登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島) 登校拒否も引きこもりも明るい話


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2009年3月例会で話しました。
途中までですが、紹介させていただきます。


子どもの「ために」ではなく、子どもの「立場で」考える

内沢 達



今日は初め、経営・商売の話をします。1月例会でなぎささんが「親の会の考え方を知ってから、それまで大変だった(老人)介護も負担でなくなり楽しくなってきた」と話しました。〈他のことにも当てはまる〉という話は大概信用のおけるイイ話が多いのではないでしょうか。そうではなくで、〈そのことだけにしか当てはまらない〉ように言われる話は、本当かどうかあやしい。疑ったほうがいいと思います。そこで、今日は初め全然関係ないかのような話をしますが、後とちゃんとつながると思います。


コンビニ業界の最王手、セブン-イレブンの話です。鹿児島には一店もありませんが、総売上高でも一店当たりの売上高でも、2位、3位のローソン、ファミマを大きく引き離しています。コンビニは好きでない方もいらっしゃるでしょうし、またセブン-イレブンよりもローソンやファミマのほうが好きだという方もいらっしゃると思います。けれども、営業実績については誰しも認めないわけにはいきません。セブン-イレブンはより多くの買い手の支持を得てきたからこそ、業界最王手としてやってこれたわけですね。どうして、支持を得ることができたのか。セブン-イレブンの経営や商売の「秘密」に、ほんの少しだけですが、迫ってみたいと思います。


セブン-イレブンの創設者で最高経営責任者、かつグループ全体(セブン&アイ・ホールディングスなど)のトップは鈴木敏文さん(1932〜)という人です。この人の経営や商売についての考え方を紹介した本がたくさんあります。いわゆる「鈴木本」と呼ばれていてビジネスマンなどに人気だそうです。その1冊『セブン-イレブンの「16歳からの経営学」』(勝見明著、宝島社、2005年初版、文庫化は2008年、宝島文庫)の記事をもとに、問題をひとつ作ってみました。みなさんに考えていただきます。


セブン-イレブンでは社員に使用を禁じている言葉があるそうです。禁句です。それは、「顧客の○○○」という言い方なんですが、○のなかの3文字を予想してください。これが問題です。(「身なり」「ようし(容姿)」という声) なるほど、そんなところでお客を見てはだめですね。でも、違います。この3文字について、普通多くの人はよいことと考えていると思います。ヒントになるでしょうか。(「ニーズ」「満足度」という声) なるほど、よく思いつきますね。でも、それも違います。大学の授業で学生に聞いても、これがなかなか出てきません。漢字ではなく、かな文字3つです・・・


それでは答えです(プリント配布)。セブン-イレブンでは「顧客のために」が禁句になっています。「顧客のために」は普通よいことです。少なくとも悪いことじゃないように思います。でも、それがどうしてダメなのでしょう?


鈴木敏文さんは、その言い方には“顧客はこういうものだ”という決めつけや思い込みがあることが非常に多いと言います。それでうまく売れないと自分たちはこんなに努力しているのに、顧客はなかなか買わないと責め始めたりします。売り手の都合を押しつけているんですね。大切なのは常に「顧客の立場で」考えることです。鈴木さんは、「顧客のために」という言葉を社内で禁止するのも、この決めつけや押しつけをなくし、常に「顧客の立場で」考えることを徹底させるためだと言います。


「顧客のために」と「顧客の立場で」── 同じように見えますが、違います。
その違いについて、鈴木さんは「顧客」を「子ども」に置き換えて説明します。


親が子どもを叱るとき、たいてい「自分は子どものために叱っている」と思っているはず。叱ってもなかなか言うことを聞かないと「おまえのために言っているのになんでわからないのか」と、ますます怒る。このとき親は、自分の経験から「子どもとはこういうものだ」「わが子はこうあるべきだ」と決めつけたり、思いこんだりして、実は親の都合を押しつけていることが多い。子どもが叱られても親の言うことを聞かないのは、「おまえのために」と言いつつ、それが親の都合であることを見抜くから。そこで、叱るとき、「子どもの立場で」考えてみたら、叱り方も変わり、子どもの反応も違ってくるかもしれない、と。


そういうことで「子どものために」と「子どもの立場で」── これも似ているようだけど、やっぱり違います。話がつながってきましたね。コンビニの話から、いつもの「親の会」の話になってきています。


「子ども(わが子)のために」を思わない親はいません。でも、思ったからといって、その思いでのぞんだからといって上手くいくのか? いかないんですね。結果は「子どものために」なっていないことが少なくありません。それは、親が自分の善意を疑わずに、自分の考えを押しつけているからです(「悪事は善意から」)。「子どもの立場で」考えていないからです。


鈴木さんは経営者として商売の仕方を言うために、親子の関係を例にあげました。僕らは逆に経営や商売についての考え方から、親のありようを学ぶことができると思います。


そこでもう少し、鈴木さんが言うところを紹介します。売り手の視点で「顧客のために」と考えるのではなく、買い手の視点から「顧客の立場で」考える。これは意識の切り替え次第で、誰でも簡単にできる。顧客のニーズがめまぐるしく変わるようになったというが、誰が変化を起こしているかといえば、ほかの誰かではない、われわれ一人ひとりが変化を起こしている当事者なのだ。みんな仕事を一歩離れれば、顧客となる。誰もがわがままで身勝手な顧客の心理を持っている。私(鈴木さん)自身、そんな心理をもっているからこそ、顧客の立場で考えることができる。などと。


この話を親子の関係で言い換えると次のようなことが言えるのではないでしょうか。
子どものことは、「子どものために」と考えるのではなく、子どもの視点から「子どもの立場で」考える。この考え方の転換は、誰でも簡単にできる。なぜなら、親は誰もがかつては子どもだったから、そして今も多かれ少なかれ子どもの心理を持っているから。意識的にさえなれば、誰もが容易に「子どもの立場で」考えることができる。


ところがです。これまでは、そのことができていない人が多いんでしょうね。サン=テグジュペリ作『星の王子さま』の序文には、「おとなは、だれも、はじめは子どもだった。しかし、そのことを忘れずにいるおとなは、いくらもいない」と記されています。洋の東西を問わないようです。大人って勝手です。それというのも「子どものために」という考え方ばかりして、子どものことは「子どもの立場で」考えるという当然の考え方を選択肢として用意することさえ怠ってきたからです。


でも、同じように見えても「子どものために」と「子どもの立場で」は違うんだということに気づき、「子どもの立場で」考えるということに意識的になりさえすれば、むずかしいことでは全然ありません。自分の子ども時代を少しでも想いおこせば、自身が親からされたり言われたりして嫌だったことを今度は自分が親になって繰り返していないかどうか、その点検は容易です。自分が嫌だったことを子どもにしてはいけないでしょう。


僕はいままで板倉聖宣さんが作った〈ことわざ・格言〉を使って、登校拒否や引きこもりについての考え方を深めてきました。たくさん使ってきましたが、前から紹介しようと思いながらしていなかった〈ことわざ・格言〉の一つが「したくないことはせず・させず」です。


意味は字句の通り、自分がしたくないことはもちろんしないし人にもさせないということですが、いま話したように過去に「したくなかった(されたくなかった)」こともしないし、させないということも含まれるでしょう。この「したくないことはせず・させず」は、昔からの〈格言〉では『論語』のひとつ「己の欲せざる所は人に施すなかれ」(衛霊公24)にほぼ該当します。「自分が欲しないことは人も欲しないのだから、これを人にしてはならない」(『広辞苑』)という意味で、「人の道」として当然かと思います。


が、しかし、この当然に思われることがけっして当たり前になっていません。自分が嫌な(嫌だった)ことでも子どもには押しつけてかまわない、たとえば無理やり学校に行かせたり勉強をさせたりすることも「子どものために」なると信じて疑わない人が少なくありません。困ったものです。せめて「子どものために」と「子どもの立場で」の違いには気づき、押しつけが少なくなってほしいものだと思います。


さて、今日の僕の話として、この「子どものために」と「子どもの立場で」の違い以上に申し上げたいことがあります。これまでの説明から、「子どものために」という発想の仕方がどうやら問題のようだということは、みなさん、感じられるところだと思います。結果が「子どものために」なっていたら良いのですが、大概そうはなりません。動機として「子どものために」いう思い込みがあるだけで、子どもの自主性を認めず親の考えを押しつけてもヘッチャラなのですから、上手くいくはずもないのです。


では、「子どものために」ではなく、どのような発想が大事なのでしょうか。
・・・・・・・・・

ということでまだ途中です。続きは後日、お楽しみに・・・・


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最終更新: 2012.4.7
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