登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島) 登校拒否も引きこもりも明るい話


TOPページ→ どうしたらいいの?! → 私は、僕は、今、どうしたらいいの?!



HP前管理人・玲子が作成した枠組み(2003/8)は、できるだけそのままにして、
大幅に加筆しました。

2008/6/8 内沢 達



私は、僕は、今、どうしたらいいの?!



今、学校に行ってないあなた。
今、引きこもっているあなた。
今の自分を認めることができていますか?
できていればいいです。


できずに、認められなくて、自分を責めていませんか?
学校に行かなきゃいけないのに、行けない自分はだめだとか、
家から出られず引きこもっている自分はだめだとか、責めていませんか?
今の自分を否定すると、不安がたくさんたくさん出てきます。


でも、学校って、無理をして行くところじゃない。
自分を押し殺しても行かなければいけないところなんかじゃない。
また、「学校に行かなかったら、働け!」というのも、もちろんおかしい。
人間は「いつもなにかをしていないといけない」ということもない。
していても、していなくても、人間は人間です。


学校に自然に足が向き毎日元気に通っているのは、もちろんいいことです。
でも、学校に行かないことだっていいことで、素晴らしいことです。
家から一歩も外に出ない引きこもりだっておかしなことじゃない。
とくに「引きこもることを肯定できている」引きこもりは、おかしなことじゃないどころか、素晴らしいことです。


なぜそう言えるのかは、このホームページに詳しく書いてあるので、読んでください。
「親の会」のホームページなので、文章表現が親御さん向けになっていることが多いけど、登校拒否や引きこもりなど、対象となっていることは同じなので、あなたも自分のこととして読んでほしい。
登校拒否も引きこもりも、じつは明るい話なんだ。


このページでは、よく聞かれる不安や心配について、ちょっとした「Q&A」を作ってみました。
学校に行っていないあなた、引きこもりをしているあなた、
そして、そうでないあなたも、読んでほしい。
読んで少しでも気持ちが楽になり、明るくなってもらえたら、とてもうれしい。




目次

1. 身体の調子が悪い

2. 人に会うのが怖い! 誰とも会いたくない! どこにも行きたくない!

3. 心療内科で「統合失調症」などと言われた!

4. 親が「学校に行け」と言う

5. じゃあ、勉強はどうしたらいいの?!

6. 将来が不安だ

7. 自分に自信がない



1. 身体の調子が悪い


身体は心と切り離せません。身体は心とつながっています。
心が疲れているとき、不調が身体にもいろいろな形であらわれてきます。
夜、眠れない、朝、お腹が痛い、吐き気がする、下痢をする、頭が痛い、などなど。
心が疲れているとき、不調は、必ずと言ってもいいほど、身体にでてきます。
身体はうそをつきません。


こんなときは、ゆっくり休みましょう。
がんばらなくていいんです。いや、がんばったらダメです。
今は自分をとことん休ませてあげましょう。


いつも、周りのことではなく、自分のことを一番に考えてください。
いつも、誰よりも自分を一番大切にしてください。もっと「わがまま」になってください。
普通「わがまま」って聞くと自分勝手で良くない感じだけど、そんなことはありません。
自分のことは「わがまま」でまったくかまいません。「自分を一番大切にする」とは、わかりやすくは「もっともっとわがままになる」ことです。


もちろん、自分にだけではなく他の人にも「わがまま」があるので、その二つがぶつかったときには調節が必要です。本当に「他人を尊重する」ことの大切さがわかるのも、自分が「わがまま」になってこそです。自分が我慢をしたままではわかりません。


あなたは、今、自分がしたくないことは何もしなくてかまいません。
それは、あなたのためであるだけでなく、周りの人にとっても大事なことです。
自分を犠牲にして無理をしてなにかをすると、自分のためにはならないことはもちろん、他の人のためにもなりません。


今まで知らず知らずのうちに無理を重ねて、とうとう身体までもが訴え始めたんです。
今は、ゆっくり休みましょう。
「いや、そんなに休んでおられない!」「もう何年も休んでいる!」と言うのですか?
あなたは、今でも、できるものならば「無理をしてでも頑張る」ことが良いことのように思っているのでしょうか?


大変なことに負けないで頑張れたら、それはそれで結構なことでしょう。
でも、大変な状況をそのまま大変なこととして素直に認め受け入れることは、それに勝るとも劣らない勇気ある行為だと思いますが、どうでしょう。


人間は誰しも弱いところがあるので、弱いことがいけないとはこれぽっちも思いません。
「弱い」って、とても人間的です。でも、他面では、強さも必要でしょう。
その強さとは休まないことではありません。休むべきときには休むことが本当の「強さ」ではないでしょうか。
身体はうそをつきません。
そこで身体も求めているのですから、今はとことん休みましょう。
期限をつけずに休もう。つけたら、休んだことになりません。




2. 人に会うのが怖い! 誰とも会いたくない!
   どこにも行きたくない!



「人に会うのが怖い」「誰とも会いたくない」「どこにも行きたくない」などという気持ちは、何もおかしくない。今までたくさん、つらい経験や嫌な思いをしてきたんだから。
誰だって、大変なことが重なるとそういう気持ちになる。
それは、人間だったら当然のことじゃないかな。


そういう気持ちになっている自分を責めちゃいけない。
責めちゃいけないどころか、そういう気持ちを大切にしよう。
その気持ちをそのまま認めてあげて、一人でゆっくり休もう。


よく「休むことが大事だ」と聞くね。
でも、それは「休むときに休まないと動くときに動けないよ」ということではないと思う。
そういうこともあるけど、それが中心じゃないと思う。
休むことは、次に動くための手段じゃない。
休むことやゆっくりすること自体がとても人間的で、大事なことだと思う。


「本当は休まないほうがいいんだけど、他にしようがないから」というのは良くない。
それだと、いくら休んでも休んだことにならない。
初めはそれでも仕方ないけど、休むことに前提や条件のようなものがあってはいけない。
無条件に心から休む。それが休むことだと思う。


したくないことはしない。
ゆっくりして、とくになにかするわけでもない。ぼけーっと過ごすのもいい。
したいことはする。もちろん、好きなことに夢中になるのはとってもいい。
時間はたっぷりある。好きなことを好きなだけやったらいい。


でも、時間があるということは暇でもあるから、あれこれと思いを巡らして悩みのようなものが深まってしまうかもしれない。それもいいんじゃないかな。ただし、答えは急がないようにしよう。
そういう自分ともゆっくりつきあってみよう。休むということは、そういうことも含んでいると思う。


上にも書いたけど、期限をつけないで休んでみよう。
誰とも顔をあわせなくてもいい。どこにも行かなくてもいい。
今は悩むことも含めて、一人でゆっくりしよう。
一人を生きてみよう。一人を楽しんでみよう。





3. 心療内科で「統合失調症」などと言われた


心療内科や精神科のお医者さんは、「統合失調症」だとか「○○神経症」だとか、はたまた「思春期△△」だとか「××障害」だとか、なにかと病名をつけたがります。
その人たちの商売ですから仕方ないのかもしれません。しかし、これを真に受けてはいけません。


人間は誰しも多かれ少なかれ偏りがあってバランスを欠いています。
また不安がない人なんて、この世にいません。
ちょっとしたくせのようなことも誰にだってあります。
「いや、それはそうなんだけど、精神疾患のある人は違う。それがちょっとどころではない。程度が桁違いなんだ」とその方面の専門家の人たちは言うことでしょう。
言われた本人も「そうか。自分は病気なのか」と、家族も「だったら仕方ないのかもしれない」などと、おかしな自己納得をしてしまいがちです。


たしかに自分自身がとても大変だから「普通じゃない」と思って、そうした見方を受け入れたくもなるでしょう。
でも、あなた自身がおかしいから、あるいはあなたに「心の病気」が潜んでいるから、あなたが大変な状態になるんじゃないのです。
反対に、あなたはとても正常で、どこもおかしくないからこそ、大変な状態になるのです。


おかしいからおかしそうになるのではなく、おかしくないからこそおかしそうになる。
とても辛いことが重なるとそうなるのは当たり前のことです。
あなたに大変なことが続いているのに、もしあなたが大変な状態にならないとしたら、そちらのほうこそ心配しないといけません。


あなたはどこもおかしくないので、治療を受ける必要はありません。薬も要りません。
不幸にもすでに薬漬けのような状態にあるのであれば、時間がかかってもそこから脱出するようにしよう。薬のせいで、自分の人生なのに、自分が主人公になれなくなってしまいます。いっぺんには無理でも、薬を減らすことから始めていこう。


あなたは、もちろんこの世に一人しかいない、唯一無二の特別な存在です。
でも、あなたの大変な状態はけっして特別ではありません。
自分の状態だけが特別だと考えるとトンネルの出口が見えなくなります。
そうではなく、自分の状態は他の人ともそう変わらないと考えられるようになると出口が見えてきます。



このページの一番上に行く↑


4. 親が「学校に行け」と言う


あなたが「学校どころではない!」大変な状態にあるときは、さすがに言いませんが、そうでないときは、親はわが子を学校に行かせようとして平気で口にします。
この世の中、まだまだ「子どもは学校に行くのが当たり前」「それが子どもの仕事」といった考えがいっぱいです。


でも、この考え方はけっして当たり前ではなく、とてもおかしいのです。
子どもが学校に行くことは、小・中学校の「義務教育」も含めて権利です。
義務教育の「義務」とは、子どもの義務ではなく、親や保護者の義務です。
昔、親の都合で子どもを働かせたりして学校に行かせないことがありました。それはいけないことです。少なくても中学校までは「どの子も勉強ができるように親や保護者は務めを果たしなさい」というのが義務教育です。子どもにとっては権利です。


「義務」はしたくなくてもやらなければいけないことですが、「権利」は違います。
「権利」は行使してもしなくてもいいことです。
だから、あなたは学校に行きたくなければ、今は「学校に行く」という権利を行使しない。
世間は大騒ぎしていますが、登校拒否や不登校といっても、じつはそれだけの話です。


でも、「自分の親はうるさい」「何度も何度も行くように言う」「わかってくれない」!!
そうかもしれませんが、これはあなた自身のことですから、あなたが頑として聞かなければいいのです。親は絶対にあなたに勝てません。


多くの親御さんは初め無理をしてでもわが子を学校に行かせることがいいことだと思っています。けれども、段々にそうではなく、子どもが学校に行きたくないときは、その気持ちを尊重して不登校を認めてあげることこそが親の義務であることを理解してくれるようになります。それまで、少し時間がかかるかもしれません。


その間、あなたが説得の努力を続ける必要はまったくありません。
義務じゃないのですから、あなたが学校に行きたくない理由を説明する責任もまったくありません。あなたは、黙って学校に行かない。それだけで十分です。やがて、親はあなたに負けます。あなたの不登校を理解してくれるようになります。




5. じゃあ、勉強はどうしたらいいの?!


あなたは、勉強のことが心配ですか?
みんなより、勉強が遅れたらどうしようとか。
心配だったら、家で勉強をしてみますか?
でも、なかなかできないですね。無理をしてやっても少しだけで、続かないですね。


あなたは、今は「勉強したくない」のです。
そういう自分をそのまま素直に認めてあげていいのではないでしょうか。
勉強は「したくなくても頑張ってする」ことがいいことのように思われていますが、それは良くない昔の考え方で、すすめられません。「しなければいけない」と思ってやる勉強はあまり続かず、身にもつきません。
勉強は「したい」「しよう」と思ったときにやってこそ、効果があります。


今はしたくないから、勉強はしなくていいんです。
勉強以外の「したい」ことをしたらいいと思います。
好きな漫画や本を読んだり、やっぱり好きなテレビ番組やビデオ・DVDをいっぱい見たり、音楽を聴いたり、料理をしたり、ゲームをしたり、パソコンを楽しんだり、何か工作したり・・・、好きなこと、「したい」ことをいっぱいしよう。


じつは、そういうのが立派な勉強じゃないかな。
自分の興味や関心を広げているんだから。
教科書や参考書とにらめっこすることだけが勉強じゃない。
というよりも、それは本当の勉強かどうかあやしい。
むしろ好きなことや「したい」ことに夢中になっているほうが、
何かを確かに学んでいて本当の勉強になっているんじゃないかな。


他に、受験のための勉強や資格をとるための勉強など、必要に応じて、ある時期、割り切ってしたらいい勉強もある。
それも、今しなければいけないというものではないから、そろそろ「やろう」「したくなった」というときにこそ、集中してやったら効果的だ。


前に、休むことに期限をつけたらダメと書いたけど、勉強にも期限をつけたらダメだよ。
教科書がそうなっているだけで、「あることについての知識や理解は何年生(何歳)くらいまでに」といったことは、じつはない。
例は違うけど、少し前まで、女性の「結婚適齢期」という言い方があった。
今では、「そんなのはおかしい」「結婚したいと思ったときが何歳であってもその人の適齢期」と考えられるようになってきている。


勉強も同じだ。その人が「したい」と思ったときに「する」ものだ。
勉強はいつ、どこでもできる。
教科書とか参考書は、しばらく目もくれなくてかまわない。
自分が好きなおもしろい本を読んだほうが、国語の教科書を読むよりもはるかに勉強になる。新聞やテレビのニュース解説などに注目していたほうが、社会のことがよほどわかる。
テレビの科学・教養番組にも勉強になるのがたくさんある。いや、バラエティー番組だって、それを楽しんでいると学ぶことがいっぱいある。


学校に元気に通っている子は、もちろんそれはそれでとても結構。
そこにはそこの学びがたくさんある。
でも、学校に行っていない子、家に居る子には、学校に行っている子には制限されている学びのチャンスがいっぱいあるということだ。


勉強は何をどれだけ知っているかということよりも、それを生かそうとすることや生かすためにも、もっともっと学びたいという興味・関心・意欲のほうがよほど大切だ。
いろいろな国際学力調査の結果から、日本の子どもたちの学力が低下してきて問題のように言われているが、じつは成績は依然としてトップクラスから上位だ。日本の子どもたちは、知識はいっぱいある。ところが、意欲は低い。しかも、断トツに低い、世界一低いことが明らかになっている。


これはいったいどうしたことか。
日本の子どもたちは学校でいっぱい教えられ、たくさんの知識を身につけている。
ところが、いい点数をとって成績はよいのに自分に自信がなく、もっともっと学びたいとは全然思っていない。今までに学んだことが社会に出てから役に立つとも思っていない。
これでは、日本の学校教育はうまくいっているとは、とてもではないが言えない。


そんな学校に縛られては自分をダメにしかねない。
自分の興味・関心・意欲を大事にしようと思ったら、学校とは「いい加減」につきあったほうがいい。学校に行くことにこだわらないほうがいい。


もちろん、学校は利用したほうがいい場合もたくさんある。
そうしたいと思ったときには、要領よく「受験のための勉強」などにも集中したらいい。
その要領は、学校に「行っている・行っていない」は関係ない。まさに要領だからです。
そういう要領って、学校は教えてくれない。
そういうことに限らず、学校というところは建前的なことを教えることばかりに熱心で、
「生きる知恵」のような実際に役立つことはあまり教えてくれないところだ。
だから、勉強は「学校の勉強」だけに一生懸命にならないほうがいい。




このページの一番上に行く↑


6. 将来が不安だ


あなたは、「将来が不安」ですか?
「こんな自分でも将来、やっていけるのだろうか?」と不安になることがありますか?
きっと、あるのではないでしょうか。
子どもや若者の場合はとくに、多かれ少なかれ誰にでもある不安だと思います。
大人の場合はいろいろ経験を積んできているので、子どもほどはないでしょう。
けれど、今はない人でも、若かったときにそういう不安に襲われた経験はやはり誰にでもあると思います。


「将来が不安」という言い方をしますが、どうして不安になるのでしょうか。
先がどうなるのかわからないから、将来は不確かだから、不安になるのでしょうか。
それもあるでしょうが、不安になっているのは「今、現在だ」ということに注意が必要です。今の私、今の僕が、安心できずに「将来が不安」になっているのです。


私たちが生きるのは、絶えず「今、現在」です。
私たちは、過去をふりかえったり、未来を想像したりすることはできても、その二つの時は生きられず、生きられるのは現在だけです。
「こんな自分でも将来、やっていけるのだろうか?」という「こんな自分」も、過去や未来の自分ではなく、「今、現在の自分」です。
「今の自分」が「今の自分」自身を評価した一つの表現が「こんな自分」です。
だから、「将来が不安」という、その源も不確実な未来や将来にではなく、今、現在にあります。


誰にとっても未来は不確実ですから、ちょっとした不安があることは何も問題ではないでしょう。小さな不安だったら、誰にだってあります。
問題は、大きな、自分を押しつぶしかねないような不安です。
その大きな不安はどうしたら小さくなるのでしょうか?
小さくなるポイントは、今の自分を認められるようになることです。


まず、今、現在、とても大きい不安がある自分自身を「ダメな私(僕)だな〜」と思わずにそのまま認めてあげましょう。「小さく」と言いながら、「大きい」不安を抱えている自分をそのまま認めるとは矛盾しているように思われるかもしれませんが、そんなことはありません。
「大きい」を否定したら小さくなるのではありません。不安が大きいのは良くないと意識すればするほど、不安は小さくなるどころか反対にさらに大きくなっていきます。
そうではなく、「不安が大きくなるのは当たり前だな〜」と認められるようになると違ってきます。不安が大きかったら大きい、その今、現在を肯定できるようになることが大事です。


なにしろ、大人たちはこれまで善かれと思って、子どもを激励するつもりだったかもしれませんが、実際はとても良くないことを口にしてきました。散々「そんなことで将来は、どうする!?」「やっていけるのか!?」などと説教したりして、どれほど子どもたちの今、現在を否定し、「将来への不安」をあおってきたことでしょうか。何も言われなくても不安なところに、そのような大人たちの言葉が重なるとどうなるでしょうか。


いつしか、あなた自身も今、現在のことよりも先のことばかり、しかも漠然と心配するようになったとしても全然不思議ではないでしょう。今、不安が大きくなってきている自分を責めてはいけません。不安が大きい自分自身をそのまま認めてあげましょう。不安が小さくなる第一歩です。


次に、いや次も、やっぱり今の自分のことです。
大事なのは今です。すべては今です。
今、現在のことに一生懸命になることです。
今のことではなく、将来のことに一生懸命になってはいけません。
と言っても、将来は「まだ(未だ)来ない」ので一生懸命になりようがありませんが、「将来を考える」ことだったら際限なくできます。それがいけない。
未来は不確実なのですから、不確実なことはいくら考えても確かになりません。考えれば考えるほど、不安が大きくなるだけです。そういうことはやめて、今、現在のことに一生懸命になりましょうということです。


それは、しかし、「あっ、やっぱり今を無為に過ごしてはダメなんだ!?」ということではありません。今、あなたが、なにもしたくないのであれば、しないでかまいません。言わば、「何もしない!」ということに一生懸命になればいいのです。もちろん、なんであれしたいことがあれば、そのことに一生懸命なればいいのです。


あなたは、今、学校に行っていません。また、あなたは、今、引きこもっています。
「学校に行っていない」ということ、あるいは「引きこもっている」ということに一生懸命になることが今のあなたの課題です。
今が大事。今を生きる、ということはそういうことです。
「なにもしない」ことや「引きこもる」ことに「一生懸命になる」なんて、おかしな言い方だな〜と思われるかもしれませんが、なにもおかしくありません。


今「なにもしたくない」あなたの場合、他のことは、今のあなたの課題ではありません。たとえば、「学校に行くための準備、受験勉強をする」とか、あるいは「働いてお金をかせぐ」といったことは、今のあなたの課題ではありません。
そういったことは、いつも「しなければいけない」ことではなく、あなたが自然に「したい」「しよう」と思ったときに初めて課題になることです。今、現在、そういう気持ちになっている人は、一生懸命になればよいのです。そうでない人は、まだ、今、現在の課題になっていないのですから、「しない」ということです。と言うよりも「しようとしたらいけない」のです。


不登校や引きこもりには誤解や偏見が多いだけに、「なにもしない」ことや「引きこもる」ことに「一生懸命になる」のは、「勉強する」ことや「働く」ことより、はるかに難しいことです。でも、世間に合わせたり従ったりするのではなく、自分自身の気持ちに素直になればよいのですから、簡単なことでもあります。


漠と将来を思いわずらわずに、今、現在の課題に一生懸命になりませんか!
絶えず、今を生きる! こうした生き方に慣れれば、どんな将来の「今」も生きることができます。これほど確かなことはありません。


再度、記します。あなたは、今、学校にいっていない、あるいは引きこもっています。あなたは、へたにあがかないで、今はそのことに一生懸命になってください。
あなたが今の自分を自然に肯定できるようになると、毎日が明るくなり、未来も確かに開けてきます。





7. 自分に自信がない


「自信」とは、『広辞苑』に「自分の能力や価値を確信すること」とあります。
ただ「信じる」にとどまらない「確信」(かたく信じて疑わない)とは、レベルが高いですね。では、「自信がない」人の反対=「自信がある」人って、つまり「自分の能力や価値を信じて疑わない」人って、そんなにいるのかな〜? とも言ってみたくなります。そういう意味だったら、「自分に自信がない」人のほうがはるかに多いのではないかとも思います。そうでなくても「自信がない」って、かなりありふれたことですから、そんなに深刻に考えなくてもよいのではないでしょうか。
でも、他面では、今の自分をちゃんと評価して、「私(僕)も、これでなかなかだな〜」と自信を持てるようになることも大事なことです。


「向上心」という言葉があります。自分をもっと高めようとする心や気持ちのことで、もちろん良くないことではありません。けれども、もし「今の自分ではダメだから」ということで考えているのであれば、まったくお勧めできない心の持ち方です。
日本の社会、とくに教育の世界では、これまで子どもや若者に対して「まだ足りない!」「もっと頑張れ!」「やればできる!」といった考えを盛んに押しつけてきました。その結果、すでに相当なものを持ちあわせていても、日本の青年たちの自己評価は「自分なんかはまだまだ」と、とても低いのです。


自分に対する評価ではなく、あなたの他人に対する評価はどうですか?
それは、大概そんなに低くないと思います。「A君は立派だ」とか、「Bさんは素晴らしい」とか、かなり高く評価していることも少なくないでしょう。ところが、あなたから高く評価されているA君やBさん自身はどうかと言うと、自己評価はそれほどでもないのです。


あなたについても同じようなことが言えます。あなたは、自分自身への評価が低いのですが、他人のあなたに対する評価はけっして低くありません。もし、低い評価があったとしても、あなたが考えているようには低くありません。これは、まず間違いありません。
そのあたりをちゃんと自己評価しましょう、ということです。


でも、「自分は不登校だし、引きこもりだから、やっぱり“ダメな人間だ!”と他の人も思っているに違いない!」と言うんですか? そりゃ、他の人たちも普通、不登校や引きこもりに理解がないので、あなたをその点では良くは評価していないことのほうが多いと思います。また、あなたのことを「少し弱いんじゃないか」くらいには思っているかもしれません。


けれども、あなたを「どうしようもなくダメなやつ!」などと全否定的には絶対に思っていません。それは、断言できます。だいたい、他人は自分と関わらない他人のことにそんなに関心がありません。私たちは、自分のことだから、つい一生懸命に考えすぎちゃって、自己評価を低くしてしまいがちです。あなたもそうではありませんか。自分のことだから、ときに考え込んでしまうのです。A君やBさん、つまり他人のことだとそんなに考えません。


だとすると、もっと自分自身を正当に評価してあげませんか。自分で「他の人が私をどう評価しているか?」「世間は僕を認めてくれているか?」といったことを勝手に想い描くのではなく、他でもなく自分のことなのですから、自身をもっともっと誉めてあげませんか。


あなたの不登校や引きこもりは何も問題ではありません。
人間は他人に害をおよぼさない限り、その人のありよう全てに価値があります。
でも、害をおよぼすというほどでなくても「親には心配かけている!」と言うのですか?
それは、あなたの親御さんがそもそも心配しなくていいことを勝手に心配しているだけで、あなたの問題ではありません。


「何かに一生懸命になっているのもいないのも」「人のありよう」すべてに価値があるとは、たとえば次のようなことです。「勉強」の箇所でもふれましたが、勉強に自然に取り組んでいたらもちろんそれは結構なことですが、他方で取り組んでいないとしたら、それはそれでまた素晴らしいのです。つまらない学校の勉強なんかに縛られていないから、素晴らしいのです。登校拒否・不登校の子どもは学校に行くことができないのですから、その点では能力を欠いています。


でも、普通に学校に行っている子どもにはない能力、「嫌なことは嫌!」と不登校する能力があるんですね。また学校のつまらない勉強に自分は縛られないという能力を持っています。そういう自分の能力をちゃんと評価し、信じてあげたらいいのです。それが自分に自信を持つということでもあります。「なにかができないのも能力のうちだ」というたくましい生き方もあるんですね。人生って、本当に多様です。この機会に、そういう生き方も自分のものにしてみてはいかがでしょうか。


引きこもりだってそうです。引きこもりはその人を成長させてくれます。人間関係の大事な基礎を学ばせてくれます。人間関係って、互いを尊重する気持ちがあって初めてうまくいきます。本当に相手を尊重することの大切さがわかるのも、自分自身を一番大切にしてこそではないでしょうか。引きこもりはとても大事な自己受容の過程です。


自分自身を誰よりも何よりも一番大事にしていいんですね。「自分が自分を大切にしないで、いったい誰が大切にしてくれるんだ!」と言ってもよいほどの、自分はかけがえのない存在だと思えるようになる過程です。自分が大切だからこそ、自分とかかわりのある人たちも大切にしようという気持ちが自然に芽生えてきます。
そうではなく、自分を押し殺したり、犠牲にしたり、周りを気遣ったりでは、たとえ一時相手から良く思われても、そんな人間関係はおかしいですから、続くはずもありません。


不登校や引きこもりは、世間や他人に従って生きるのではなく、自分の人生を自分が主人公として生きていくことです。素晴らしいことではないでしょうか。
自信が少し出てきましたか。

このページの一番上に行く↑


ここまで読んでくださってありがとうございました。関連して、このHPのなかで
あなたに特に読んでいただきたい記事をいくつかリンクしておきますので、ご覧いただけるとうれしいです。



登校拒否を法則的に考える→      ことわざ・格言と登校拒否、引きこもり→

不安を否定しない→    「ダメな自分」も認められるようになると元気になる→

「わがまま」が肝心!→       登校拒否は明るい話→

「解決の道」は自分のなかにある→

TOPページへ→




最終更新 : 2012.4.7
Copyright (C) 2002-2012 登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)