登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島) 登校拒否も引きこもりも明るい話


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登校拒否は明るい話、
もう子どもたちに降参したらどうですか

   
─ 板倉聖宣さんの講演より ─
                                  内沢 達

登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)
10周年記念誌「登校拒否は明るい時代の前ぶれ」(1999年11月)前書き 



私は大学教員の仕事を23年ほどやってきていますが、ここ十数年の自分のことについて、ひとつだけ自信をもって言えることがあります。


それは、大学で「たのしい授業」をやってきていて、8〜9割の学生諸君から「とても楽しかった」「楽しかった」「他の学生にも薦めたい」と肯定的な評価をもらっていることです。その「たのしい授業」は、私のオリジナルではありません。


科学史・科学教育の専門家で、たのしい授業・仮説実験授業の提唱者である板倉聖宣(いたくらきよのぶ・1930年生まれ)さんの研究成果に依拠したものです。
板倉さんからはたのしい授業についてだけでなく、教育論についても学ぶことが多く、私は2年半前に書いた「登校拒否を考える ─ 親・市民の会8周年にあたって」という一文のなかでも、登校拒否が増える背景のひとつとして、「学歴価値の低下」について紹介しています。


その後、板倉さんが登校拒否それ自体について、「明るい話〈登校拒否〉」「登校拒否児の増加は明るい社会の前ぶれ」といった、さらに突っこんだ評価をしている文章に出会いました.。
(「自分の判断で行動する人の時代」、初出「たのしい授業」1997年9月号、板倉聖宣「教育が生まれ変わるために」、仮説社、1999年8月刊行、にも収録されています。もともとは1995年の講演記録です)。


私たち親・市民の会の、今回の10周年の集いのネーミングも、この板倉さんの評価をまねています。


さて、どうして登校拒否が増えることが「明るい」ことだと言うのでしょうか。
板倉さんの文章には大事な見方がたくさん示されていますので、多少長くなりますが、以下、関係の箇所を引用して紹介します。



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(前略)しかし,〈みな成長が止まるか〉と思うと止まらないものもあります。
経済成長もこの時期で止まり,進学率も止まっているのに止まらないもの。


なぞなぞのようですが,〈教育現象で止まらないもの〉,何だか知っていますか?
……〈これだけは,未来がすごく明るい〉というものです。
それは,〈学校嫌いによる登校拒否〉です。
文部省が〈学校嫌いによる登校拒否の統計〉のデータをとりはじめたのは1966年ごろです。


そのころから登校拒否が目立ってきますから,文部省もなんとかしなければならないと考えて統計を取り始めたんです。(中略)1970年ころ,文部省が登校拒否児を何とか減らそうと努力しはじめたわけですが,その成果はありました。すごいですね。


ところがです。
登校拒否児の数は1975年からまた増え始めたんです。
なぜかまた1975年です。
そこで文部省はまたやっきになって,登校拒否児を減らそうと頑張りました。


はじめは「登校拒否をする子どもは,なにか本人に欠陥がある。
家庭に問題がある。家庭と本人がおかしいのだ」と考えて,家庭訪間をして「学校に来なさいよ」と励ましたりしましたが,減りませんでした。


それで,文部省は大きく方針を転換したんです。
偉いものです。
僕は変わらないと思っていたのですが,変わりました。


僕の作った諺=「発想法かるた」に,〈変わるのが社会,変わらないのが社会)というのがありますが,文部省も方針を変えたんです。
では,方針を転換して減ったかというと,減らないのですね。
「これはなんとかしなければならない」と,教員組合も,教育委員会も気になります。
普通はこういう統計数字は上下するものです。


地価のバブルの統計なんて,バーッと上がって,ばたっと落ちたりする。
1975年のころの登校拒否は1万人くらいだったかな。
現在,文部省の出している数字では,登校拒否児は7万人です。しかもこれは〈文部省に届けた数字〉です。


教育委員会などに届け出す数字は,ふつう手心を加えてありますから,実際はもっとあると思います。


これは「明るい話」ですね。
現在「右肩あがり」のすばらしい成長率を示しているのは,ポケベルと登校拒否です。


しかも,登校拒否は懸命なる努力をしても止まりません。
普通これは〈素晴らしく?! 暗い話〉として語られています。
しかし,私は明るく話します。(中略)
それなら,どういう意味で明るい話なのでしょうか。
登校拒否児はどうしてこんなに増えたのでしょうか。


どういう子どもが学校に来なくなってしまうのでしょうか。
どういう状態なのでしょうか。(中略)


嫌いなことがあれば,「嫌いだ」と言う能力がある。
嫌いなことは嫌いだと感じる能力がある。


嫌いなことは,頭ではしようと思っても身体がいうことをきかない。
身体がそうなってしまう。そういうのは,考え方によっては素晴らしいことではありませんか。
たいていの人は「嫌いなことも我慢する」という能力があるわけでしょうが,それも考え方によっては素晴らしいことです。


それなら,「嫌いなことは我慢できない」というのと,「我慢できる」というのとでは,どちらのほうが素晴らしいのでしょうか。
私より年配の人は,何かというと「今の若者はダメだ。徴兵検査を受けて兵隊に行っていないから,嫌いなものを我慢する努力がない」などと言ったものです。
これは僕より年齢が上の者のお説教の仕方です。


「今の若者はだらしない。軍隊に行って苦労していないからだめなんだ」とさんざん言ったものです。
今の大人たちは,それと同じように,「今の子どもはダメだ。ひよわですぐに登校拒否になる。今の学校の教師は,ちょっとしたことですぐに辞めてしまう」などと言います。


私自身,白分の子どもを育てて一番感動したことは,何かというと「イヤ!」と非常にはっきり言われたことだ,と言ってもいいかも知れません。
「いまの子どもは自分の意志をこんなにはっきり強く言えるのか」と驚きました。そして「僕の小さい頃にはそんなこと言えなかったんじゃないかなあ」とつくづく思いました。


これを「今の子どもは軟弱になった」と思う人もいるでしょうが,私は「いまの子どもは強くなった」と思いました。
私の場合は10人兄弟の6人目に生まれたこともあって,子どもの時から親に遠慮して,「イヤだ」などとは言えなかったですね。それで,「我が家の子どもはたくましいな」と感動したのです。


嫌いなことを「イヤだ」と言うのを,たくましいと考えるか,弱々しいと考えるか,考え方によって大きく変わりますね。
学校の先生方は「登校拒否がたくさんあることは困ることだ」と思っているに違いないですね。これは,文部省も日教組も全教も,皆一緒で,統一と団結が出来るようです。


私だけがそうは団結できないだけです。
私は「これなら教育の未来は明るいぞ」と思うのです。
この子どもたちは,「先生も学校も教育委員会も文部省も,日教組も全教もみんなけしからん。みんなで統一と団結して,ますます登校拒否をしよう」などとあからさまに主張して運動しているわけではなくて,バラバラに自分勝手でやっているだけです。
しかし,バラバラは強いですよ。


「ほかの人はどうでも自分だけは」というので,孤立を恐れないんですから。
しかも,そういう子どもがどんどんどんどん増えているんでしょ。
文部省や先生たちが団結しても手を打ちきれない。


そこで,私なんか「もうこの子どもたちに降参したらどうですか」と言うんです。
「学校をたのしくしたらいい。学校をたのしくして,行きたくなるようにすればいい」というんです。


彼らを「登校拒否」と呼ぶのだけれど,「学校へ行くのが当たり前」とどうして決めたのでしょうか? これを「学校なんか行かないのが当たり前」と考えると,ずいぶん助かるのにね。


「今日も九十何%も出席している」「今日も九十何%も学校に来た。すごいね」などと考えると,座標が全く違ってくるでしょ。(後略)

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いかがでしょうか。
経済の高度成長が戦後ずーっと続いてきたのに、およそ四半世紀前、1970年代の半ばにストップしました。それと期を一にして、高校、大学の進学率も止まりました。
その流れとは反対に、その後二十数年、「右肩あがり」のすばらしい成長率を示しているのが登校拒否です。
このことをどう評価するかです。


私は、2年半前の「8周年にあたって」の一文のなかで、「じつは登校拒否を問題視しているところに一番の問題がある」「子どもに問題があるどころか、反対に、登校拒否はいまの子どもたちが健全に育っていることを証明している」と書きました。


それは、板倉さんが言う「嫌いなことは嫌いだと感じ、言う能力がある」「嫌いなことは、身体がいうことをきかない」「そういうのは、考え方によっては素晴らしい」ことなどと同じ趣旨です。


文部省は、途中で(1990年〜1992年頃に)、「登校拒否はどの子にも起こりうる」と方針を転換しましたが、登校拒否それ自体を否定的にみる見方には変化がありませんでした。


この間、親はもちろん、学校の教師、いろいろな相談機関等の「専門家」と呼ばれる人たち、文部省・教育委員会、組合といったところの「懸命なる努力」にもかかわらず、登校拒否は減るどころか増える一方でした。今後とも間違いなく増え続けることでしょう。


そこで板倉さんは、もうこのへんで「この子どもたちに降参したらどうですか」と、わかりやすい言い方で問題を提起しているのです。
おかしいのは子どもたちではありませんよ、子どもは「学校へ行くのが当たり前」という考え方のほうですよ、と言っているわけです。


「子どもたちに降参するなんてとんでもない。それは教育や指導の放棄だ!」とお考えの方もいらっしゃることでしょう。
でも、教育を通してであれ他の何であれ、もし人が人を、また大人が子どもを変えることができ、また実際に変えようと思っているとすると、その考え方は原理的に「オウム真理教」のそれとどこが違うと言うのでしょうか。


失礼千万にも「子どもを変えよう」とする大人たちがたくさんおります。良いことだったら子どもに押しつけてもかまわないと平気で思っています。


私は、8周年の集いのときにも言いましたが、「人は変わることができる。しかし変えられてはいけない」と思います。


登校拒否の子どもを「変えよう」なんて、人間改造を試みるようなもので、怖ろしいことです。
登校拒否の子どもたちは、嫌なことに、意識的に「イヤ!」と言うことができたり、また無意識的に身体で反応することができる子どもで、見方を変えるととても素晴らしい資質をもっており、「できたら変わってもらいたい」と思う必要すらない子どもたちです。


いま、大人に求められていることは自分自身も含めて「人間を変える」ことではまったくなく、見方を変えることです。


親が登校拒否を否定的に見ている限り、何カ月も、何年も、学校を休もうが、子どもの心身は休まることがありません。


親の見方が肯定的なものに変わったとき、はじめて子どもにとって家が居場所になり得ます。やがては子どもも自己肯定ができるようになり、明るく元気になっていきます。
登校拒否「なのに」ではなく、登校拒否「だから」明るい、元気だ、幸せといった子どもと家族の様子が本誌にもたくさん記されています。


この〈「なのに」と言ったら「だから」〉の言い換えも、板倉さんの発想法から学んだことです。
普通の見方は、登校拒否に対して否定的で、これを暗い話題と考えていますので、たとえば「この子は登校拒否なのにとても明るい」、という言い方になってしまいます。


でも「なのに」と言うときには、〈登校拒否の子は当然、暗いはずだ、明るいとは不思議だ、そんなはずはない〉という勝手な、間違った前提があります。そこで、〈「なのに」と言ったら「だから」〉と言い換えて、ほんとうのことに近づこうというわけです。


事実、〈登校拒否だから、明るい、元気だ、幸せ〉という子どもたちと家族がいっぱいおります。


悩み、苦しんだことも含めて、それらは、私たち、親・市民の会、10年半の、ほんとうに貴重な財産、宝物です。




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最終更新 : 2012.4.8
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