登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島) 登校拒否も引きこもりも明るい話


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体験談

2014年6月例会より


目次



1 母の「子育て」は大事な教訓     淳子さん

2 親の会は私を、母を、息子を救ってくれた    永田俊子さん

3 拒食で入院していた娘も退院、人生なんとかなるものですね   Aさん

4 息子が初給料で御馳走してくれた!    ちなちゃん

5 エンジェルカフェ始めました!    あけちゃん






母の「子育て」は大事な教訓     淳子さん



―――淳子さんのお母さんは病気になりお店を閉じておられるのね。先月お母さんと距離を置くと言われていました。どんな関係だったの?


両親は30年以上子どもたち相手のお菓子を売る店をしていました。父が亡くなった後も母は店が大好きで、心臓が悪くなって手足がむくんでも店に連れて行けと言う母です。もう82歳です。退院したらすぐ店を再開すると思っていたら今はきついんでしょうね、再開すると言いません。母も店をできないストレスを私にぶつけます。

店は、平日はおばさんたちのサロンになっていて、子どもたちはあまり来ません。私も遠足のときは手伝うんですよ。子どもたちとのやり取りは好きなんです。昔は遠足の前日は店の前は子どもたちの自転車が並んでいたけれど、今は親が車で連れてくるので、車が並びます(笑)。時代は変わるんだなあと思います。

5歳離れている妹は、小さいころから先天性の身長が伸びない病気と言われて、両親は、将来は私に面倒をみてほしいと思っていて、私には妹の面倒をみるために、将来は自分で生活できる職業についてほしいと願いがあったんです。結婚は「妹を可愛がってくれる人と結婚しなさい」と小学生のときから言われていました。そのときに子ども心に、自分を好きになってくれる人に巡り合うかどうかもわからないのに、そんな条件は無理だと思っていました。

でもそうするのが当たり前と思って勉強したんですが、親が望む大学には入れなくて、私も大学時代にリュウマチの病気をしてしまって、5年かかって卒業したんです。その頃から私への期待はなくなっていきました。

親は私にはそう言いながら、当時、生活が大変だったのに、妹には先々のことを心配して先手を打って、妹が自活できるようにと、小学生のころから、フラワーデザインの資格をとるための勉強にたくさんのお金をかけて、服も妹は山形屋のあつらえを着て、私には勉強、勉強と言って、外に遊びに来ていく服もないくらい辛抱しました。

妹は京都の短大に入学することになっていたんですが、行きたくないと言いだして、社会福祉専門の大学に入りました。妹は母と離れてよかった、山形屋の服も、特別扱いされたことも、母が世間体を気にしているのがいやだったと言います。出来ない、出来ないと言われて育ったけれど、お友達から何が出来ないの?と言われて、自分はちゃんと出来るんだとわかったと言っています。今S県の公務員として社会福祉関係の仕事をしています。身長が低いだけで何も問題がないんです。

夫と知り合った学生の時に、「私は妹の面倒をみなければいけないので結婚できないんです」と言ったんです。すると夫は「それって、妹さんに失礼なんじゃないの」と言われ、そういう考え方があるんだ、妹に失礼なことなんだと思ってびっくりしました。

妹も、自分がいるから姉の私が結婚しないと親から言われていたようで、でも誤解だとわかってから妹とも仲良くなりました。最近親の会で皆さんの話を聞いて、皆さん元気だなあ、それに比べて私は・・・と思っていたけど、妹が休みと聞いて、すぐ妹に会いに行って、妹が仕事の時は琵琶湖をひとりで歩いたり、頭の中にあった疲れも飛んで、自分で自分を縛っていたんだなと思い元気がでてきました。

母が病院で胃カメラの検査のとき、リスクの紙を見て、「私は明日死ぬんだね、妹のことを重則さんに頼まないと」と言うんです(笑)。なにかあると「妹が心配、姉妹仲良く」しか言わないんですよ。小さい時からすぐ妹のことしか言わない母の対応がよみがえって、嫌な思い出がよみがえるんです。

特別扱いしたり、異常視することはこんなふうに心を傷つけていくんだなと大事な教訓があるんだなと思います。でも母は子どもたちの不登校は何も言わなかったし、可愛がりましたね。それより、妹のことでいっぱいで余裕がなかったのかもしれません。


―――重則さんは2回目の就職のあと、今ふたりでなかなか旅行に行けないですね。でも、現職のころは、屋久島や北海道の礼文島や尾瀬にも行って楽しまれました。


重則さん:一年に一度は行きたいと宣言したんですけど、なかなか行けなくて。夏場が忙しいんですよ。でも、今年は伊吹山に行きたいと思っています。この間は知覧の母が岳登山を楽しみました。

今日僕が着ているのは、娘からのプレゼントです。(淳子さん:私のブラウスも娘の神戸のおみやげです。おしゃれしてほしいんでしょうね)息子も毎年プレゼントしてくれます。(―――お幸せねぇ)何年も前辛くて内沢さんの家に毎週のように通っていたのはウソのようですね。






親の会は私を、母を、息子を救ってくれた

永田俊子
さん




息子は今23歳です。
今日は、夫は仕事でしたので、息子とふたりでサッカーを観て、私はサッカーのことが分からないので「オフサイドって何?」と聞いて、息子は「何度も教えたがね」と言いながら観ました(笑)。そういえば4年前も同じことを聞きながら観ていたなあ、4年前も幸せだったけど、今回も一緒に観れて幸せだなと思いました。

息子は4年制の専門学校の2年生です。ひとりだけ親しい子ができたみたいで、やっぱり人付きあいは得意じゃないのかなと思いますが、そこは私がタッチするところじゃないなと思っています。

息子が行かなくなったときに、私は「友達だけは必要だ」と思って、クラスの子たちにメールしてと、いらぬ手助けをいろいろしていたんですね、今になって思えば、それは息子にとって迷惑でしかなかったなあと思います。


―――担任の先生がクラスの子ども達に手紙を書かせたりすることはあるけれど、親から頼まれるというのは珍しいですね。(笑)


「ひとり」が自分を守るための必要な手立てで、息子の自己防衛本能だったんだろうな、家でじっとしている、家にいれば安心できたんですね。私も、やっぱり「ひとり」が好きですね。だから人それぞれでいいと息子のおかげで思っています。


―――それはよかった。自分がこうしているときが一番幸せという生き方ができることは、ちゃんと自分を大事にしているから。ご夫婦で楽しむのも好きなのね。


淳子さんは、大恋愛だったみたいですけど(笑)、私は「愛してる」とかはないんですけど(笑)、夫と一緒にいるのが一番楽だなあと思います。山登りは夫と一緒が楽しいです。とにかく気を使わなくていいので楽です。5月は霧島の甑岳(こしきだけ)に登りました。内沢さんたちの写真を見て、それから何度も登りました。わりと簡単に登れて山の上に草原があるところが好きですね。


―――よかったね、大病をしたけれど行かれるようになって。


今日は父の日で、夫は仕事なので、昨日「あなたの好きなものを作るね」と、焼きナス、焼きピーマンを作って、焼き鳥、から揚げ、鳥刺しは買ってきて食べました。(笑)
(―――星を見るのも好きね)科学館で年に4回「季節の星座を観る夕べ」に行きます。元々好きだったけれど、息子が家にいるようになっていっそう好きになりました。


―――初めての親の会で、「あなたのワクワクは?」と聞かれて、とんでもないといった感じだったのが…


そうです、皆さんがすごく楽しそうにいろんな話をされているのを見て、「なんで、そんなワクワクするわけないじゃん」という感じでした。(笑)


―――息子さんが学校に行っているときは、自分の楽しみはありましたか。


その頃は、子ども達をしっかり育てて勉強させるのが一番大事と思っていましたから、自分中心に楽しむ考えは知らなかったです。だからあのときよりは今がずっと楽しいです。親の会がきっかけだったなと思っています。

今は映画も観に行きますけど、いちばんホッとするのは、だらしな〜い格好でテレビを観ているときで(笑)、基本的には家でだらしなくしているのが好きです。週に2、3回、市の住民健康のパートで10何年働いています。

娘は大学を卒業して社会人になって、福岡に住んでもう4年目です。私は娘が帰ってきた時に「弟のことをお願いね」と、よく言っていたんです(笑)。娘は「私は知らない、食いっぱぐれても知らない」と言っていたので、私は「そんなこと言わないで、あなたを訪ねて行ったときは、ご飯ぐらいおごってあげてね」と言っていたんです。(笑)


―――お姉ちゃんが、家を出て行くときに「お母さんは、弟がいるから寂しくないよね」と言ったというお話は聞きましたけど、お姉ちゃんに「お願いね」と言っていたことは知らなかったです。(笑)

ひとりで「だらしな〜い恰好で・・・」というのはとってもいいですね。
しずりんさんも先月「だらだらしてもいいじゃんと自分を許せるようになった」と言っていました。何もしないでゆっくりできることは、心がゆったりして不安がないという何よりの証拠ですよね。不安がいっぱいのうちはとてもゆったりできない、自分を責めてばかりです。「あっ、私はこんなにも安心がいっぱいになってきたんだな」ということですね。



息子は、情報処理の専門学校の2年目で休まないで行っていますから、あっていたんでしょうね、したいことがちゃんと出来るんだと思います。アルバイトはしないです。だから、私はアルバイトもしたり、彼女も作ったら楽しいのになあと心で思っているんですけど(笑)、大きなお世話でとんでもないですね。(笑)


―――親が「あ〜しなさい、こ〜しなさい」というのは駄目だっていうことね。(そうですね)淳子さんのお母さんの話は大事な教訓です。親が何も言わないというのは大事です。あなたのお母さんが、「あなたが元気になったことが一番よかった」と言ってくれたんでしょう。


昨日、母のところに行って「明日は来ないよ、親の会に行くから」と言ったら、「今は楽しみで行くんだね、よかったね」と言いました。私も「うん、いつも親の会は楽しいんだよ」と言って来ました。母は88歳でひとり暮らしで、週に3回ヘルパーさんに来てもらって、デイサービスに3回行って、姉と私が交替で行って何とか過ごしています。


―――お姑さんも近くに住んでいて、学校に行かないことは何にも言わなかったのね。


夫の母は最初から「私は何にも言わない、もう、生きとってくれさえすればいい」とだけしか言わなかったですね。義母はもう89歳で、ひとり暮らしなんです。ちょっと認知が入ってきたかなと時々思います。

結婚したときから思っていたんですけど、義母は今も前向きで、明日あさってのことに興味があって、過ぎた過去のことに対しては何も言わないんです。だから気をつかうことも全然なかったです。(―――そのとき、あなたはとても大変でしたから、言われないことはずいぶんと助かったでしょう

私の母は、私に似て「こんなんじゃいけない、何とかして行かせないと」と最初のときは、そればっかり言っていましたね。でも私が、親の会に出会って落ち着いてきたら、母も落ち着いてきた感じでした。

ほんとに親の会はありがたい会です。皆を救ってくれました。私も救われて、母も救われて、結果的に息子を救ってもらいました。






拒食で入院していた娘も退院、
人生なんとかなるものですね


さん




宮崎県のK市から参加しています。娘は拒食で鹿児島市内の病院に入院していましたが、今はもう退院して家でゆっくり過ごしています。昨年の11月から体重があまり増えず29キロのままでしたが、娘は「退院したい、退院したい」と言っていました。病院ではお菓子を制限されて、1日中食べ物のことを考えていたみたいです。私はその体重では命が危ないんじゃないかという不安がありましたが退院させました。

帰って来てからは好きな時に好きなものを食べて3キロ増えて、今32キロになりました。歩くことはできるので日常生活は全部自分で出来ますが、入浴は心配なので私が手伝っています。私も気持ちが楽になりました。今、92歳の姑が入院しているので、娘は姑がいた離れに住んで母屋と行ったり来たりしています。私も月の半分は仕事をしていますが、心配したほど手はかかりません。朝は娘のリクエストの食事を作って出かけますが、後は娘が好きなように生活しています。


―――数ヶ月前までは、「退院はとても考えられない」と言われていたけれど、退院できてよかったですね。


姑の入院でストレスが減って、私も娘も良かったです。結婚以来30年以上隣どうしに住んでいます。姑はとてもしっかりしていて認知もありません。今年の1月に帯状疱疹で入院したんですが、病院内で骨折してしまい入院中で、特老なので長くいられるようです。


―――30年以上も隣同士に住んで大変だったでしょう。


はい。ここでも嫁姑問題が話題に上るので、私もよくわかります。子どもたちの不登校のことではよく嫌みを言われ、「あんたの子育てが悪い」とか、毎日来て「学校に行け、行け」と言われていましたから。世間話が好きで単純で裏のない人ですが、口うるさい人で、よく口げんかもしましたが、後は私の方から話しかけていました。普段は流していましたが、こっちが疲れている時やストレスがたまっている時などは嫌でした。

いろいろなことがありましたが不登校のおかげで乗り越えてこれたと思っています。長女の時に腹をくくったので、周りを敵に回しても我が子を守る決意があり、やってこれたと思います。

夫の懲戒免職の時も最初は落ち込んだけれど、今は幸せに暮らしているし、過ぎてみればなんとかなるものですね。夫の裁判の判決は7月23日にあります。どっちに転んでも今の生活を続けて行きますので。


―――人生いろいろあって、避けて通れないこともあるけれど、そういうことがあって強くなれるということですね。


なんとかなるものですね。私も仕事が楽しいし、息子もあれがあったから動け出せたし、今年の3月までダイエーのレストランでアルバイトをしていましたが、4月から専門学校に
通っています。結構楽しんで行っています。今日は息子と映画を観る約束でしたが、「友達と遊ぶから」と断られました。(笑)


―――もう娘さんを入院させないことですね。


はい、もう25キロくらいになって命が危ないという時以外は入院させないつもりです。ずっと家にいてくれればいいかなあと思っています。


―――いろんなことを乗り越えてきたわけですから、しっかりと自信を持って、あなたが「大丈夫」と思えば、娘さんは「大丈夫」ですよ。ともすれば「命がなくなるんじゃないか」という不安に怯えて娘さんを入院させてしまいがちになるけれど、自分が不安なんだなと気がつく大事なチャンスですね。娘さんは生きる力を持っているということですからね。


長女は28歳、次女は26歳、長男は20歳です。長女は中2から行ったり行かなかったりで中3はほとんど行きませんでした。東京の予備校に行って大検を取り、アニメの専門学校に行って、バイトをしたりして、21歳で結婚しました。今埼玉で幸せに暮らしています。家にいる次女は社会に出ないといけないと思って焦っているみたいで、なかなか変わりませんね。私は物の見方が変わって、好きなことをして幸せに暮らしています。


―――それは娘さん自身が決めて行くことですね。


時間はかかりましたが、最近つくづく「そうだ」と思えるようになりました。






息子が初給料で御馳走してくれた!  ちなちゃん



小5から不登校だった18歳の長男は今年通信制高校を卒業し、家の自営の仕事を手伝うことになりました。社員として雇い給料を渡しています。

小1から行っていない次男は中3で、家にいます。先日学校から「進路についての調査で訪問したい」と電話がありました。次男に伝えると「会おうかな」と言いました。その頃小学校の頃から行っていなかった子どもの白骨化した遺体が見つかったというニュースがあった時だったので、「ちょうどよかった。顔を出せば生きているというのがわかるからいいかもね」と言いました(笑)。

担任は、まさか息子が出てくるとは思ってなくて、すごく驚いて「会えてうれしいです」と言う感じでした。進路については、開陽高校通信制と書きました。担任とは、一度教科書を持って来てくれたことがあり、私は会うのは2回目なんですが、息子は初めてでした。教科書はそのまま放置されています。(笑)


―――小1から学校に行かなくて9年間、長い年月が経っていて、行かないことの方がむしろ自然で違和感がないのね。(はい)


先月は初めての方がいらして、「子どもがかわいいと思えない」と言われました。皆さんにもかわいくないと思った体験を話してもらったんですが、あなたは「私もありました。フリースクールに一所懸命車で子ども達を送迎しているとき、“何で、こんなきついことをしているんだろう”と思うときです。“してあげている”ときは、やっぱりきつかったです。子どもは望んでいないのに、私が勝手にしていることに気が付かなくて、自分が辛くなっていましたね」と大事なことを言われました。


そうでしたね。今は本当に自然体と言うか、子どもっていうよりもお互いに人間なんですね。自分の子どもというのはおこがましいというか・・・。

息子には今までアルバイト代を渡していたんですが、今度は従業員として雇ったので、「お給料になったよ」と言ったら、「給料がでたら皆でご飯を食べに行こう」と誘ってくれました。うわ〜うれしい、そんな給料でいいの、おごってくれるんだ、と涙が出ました。皆でハンバーグを食べに行きました。すごくうれしくて、美味しくて、感動しました。

私は最初子どもたちのことを育ててあげていると思っていたんですが、教えられることのほうがはるかに多くて、完全に逆だったんだと反省もしました。小さい時は手がかかるし、お世話をしているつもりだったんですが、よくよく考えたらそのことで私の経験が増えて、させてもらっているんだなと思いました。子ども達からたくさん教えてもらって、すごくよかったなと思っています。

以前子ども達に「親孝行というのは、生まれた時点で終わっているんだよね。生まれて来てくれてありがとう」と話したんです。それにも増してご馳走してくれるなんて、もう涙が出ました。






エンジェルカフェ始めました!    あけちゃん



―――あけちゃん、先日はエンジェルカフェありがとうございました。盛会でとてもよかったです。イメージ作りもおしゃれで、若い方のエネルギーいっぱいで元気がでる会でしたね。娘さん手作りのクッキー、息子さん手作りのチーズケーキ、コーヒーゼリー、おこわ、飲み物とどっさりのおもてなしで、後片付けも大変だったでしょう。それをあけちゃん、ちーちゃん、かえちゃん、ここちゃんと楽しんでやっておられて、すごいなあと感心しました。


先月23日に第1回目のエンジェルカフェを開きました。接待に一生懸命で話には加わらなかったんですが、皆さんすごく和やかな感じで話をされていたので、見ているだけで心地よくなりました。次回は是非話に加わって行きたいと思っています。次回は6月27日ですので、是非いらしてください。

前日の朝からバタバタとメールが入って、当日の朝にも申し込みがあって、皆さんギリギリまで悩んでいて、行きたいけど勇気がなくて、でもやっぱり行きたいと言って、初めての方が5人参加して下さいました。終わってから、参加してすごくよかったです、と皆さん言って下さいました。「今は行かなくていいよ、と言えました」というメールももらいました。


―――先月は、息子さんが高校を辞める時に「通信制に行く」と言っていたことから、おつれあいさんが「どうするんだ」と聞いてきて、それで息子さんは自分で手続きをして開陽の通信制に入学手続きをしたけれど、その後行っているの?(いいえ、行っていません)でも、自分が動揺していたんだなとわかってあなたが安心していくと、その安心がちゃんとおつれあいさんに伝わっていって今は何も言わなくなったのね。

先月あけちゃんはとてもいいことを言ってくれました。「私は昔から、人に甘えられない性格でしたが、今は人に甘えたいという気持ちが出てきました。困った時にただただ「助けて」と言いたいです。夫に対しても甘えるというか本音でぶつかっていきたいです」と。


夫は優しいのは優しいんですが、ただちょっとしたことにガーッと怒るところがあって、それにはビックリしました。3年ごとに転勤を繰り返していて10年前に夫の実家がある鹿児島に来ました。夫の両親、姉も近くにいて、そこからちょっと関係がおかしくなりました。


―――でも今は単身赴任しているのがさびしいと思えるようになったんでしょう。あなたの気持ちも柔らかくなって、親の会の内容をメールで紹介したりもしているのね。


また単身赴任になると聞いた時はさびしいと思いましたが、毎日ではないですよ(笑)。先週帰って来て、居たら当たり前で、いなくなるとさびしいなと思います。

今回も「次男は行かなかったよ。またHPをゆっくり見てみてね。私もエンジェルカフェを始めるの」とメールをしたら、それに対しての返事はなかったんですが、この間帰って来た時には次男については何も言わなくて、受け入れてくれたのかなと思いました。

次男は自分で手続きをして通信制に入学しましたが行っていません。レポートは2回提出しましたが、ギリギリになって慌ててやってという感じなので、無理して出しているんだなとわかりました。それからは出していません。

先週の11日は結婚記念日でした。銀婚式だったので、二人でお祝いするよりも家族で食事に行きたいと考えたんですが、結局は家でステーキを焼いて皆でお祝いをしました。二人で買い物に行ってワインとお肉を買ってきて、夫がステーキを焼いてくれました。夫はステーキの焼き方にはこだわりがあるんです。私はワインを飲んで座って楽をして(笑)、子ども達も美味しいと言って、その方がよかったかなと思っています。今度は私が宮崎に行った時にふたりで美味しい食事に行きたいと思っています。

私は、子ども達にはいつも甘えています。私は幼稚園のお預かり保育で昼から夕方まで働いていて楽しいです。私が仕事の時は夕飯は娘が喜んで作ってくれます。その他にアロマやバレーボールをしています。今回のエンジェルカフェのことを子ども達に話すと、娘も調理科を退学した息子もそれぞれクッキーやチーズケーキを焼いてくれました。


―――親の会にお母さんが参加していることに、息子さんは違和感はないのね。


親の会に行ってくるね、と言って出かけては来るんですが、息子に直接話したことはなく、何の親の会なのか(笑)、どんな会なのか、知っているかどうか分かりません。


―――でも、僕のお母さんは僕の気持ちを良くわかってくれている、ということは確実に言えることですね。(そうですね)

人生は長いスパンで考えるとなるようになっていく、その前提は不安がなくなって自分を一番に大切にできるようになると、ちゃんとうまい具合いに収まっていくということですね。ご夫婦の関係もとてもよくなってきたということですね。


そうですね。もう少し甘えたいと思います。(笑)








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最終更新: 2014.8.26
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