体験談
2002年11月発行ニュースより。
登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)会報NO.84
登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)では、
毎月の例会の様子をニュースとして、毎月一回発行しています。 その中から毎月3/1から4/1程度をHPに載せています。
体験談(親の会ニュース)目次はこちら
10月例会報告
今月の例会は、親が我が子の不登校や引きこもり等の理解者、伴走者となろうとするときに、その子を取り巻く家族(特に父親像について)、親戚との関係などが深く討論されました。
Eさんは「今、とても幸せです」と前置きして、家族への暴力的で支配的な夫との関係に悩み続けたこと、自分の辛い思いを子ども達と重ね、我が子と信じあえるようになったと感動的な話。
村方美智子さんは勝己君のいじめ自殺裁判を通して、夫婦で支えあいより一層理解しあえるようになった。
Kさんも夫婦であるから分かり合えるのではなく、お互いの気持ちが通じ合ったとき言葉が出てくる、「今を大事にして生きていきたい」。
現在23歳の息子を持つKさんは、息子さんから「もう我慢しないで自分の人生を楽しみなよ」と言われたこと。
長い間夫から否定され苦しみ抜いた末の「自分らしく生きる」と宣言された話は感動的でした。
わかりあえること、支えあうこと、しかし、今の自分を大事にし、生きていくこと、存在を否定されたり、拒否されたりしたときは、距離をおくことが必要という多くの体験談は大事な教訓を与えてくれました。
それは我が子の生き方を肯定できるようになった親が、自らも自己肯定の生き方を子ども達に示してみせる事に通じるからなんですね。
それは私たちが子ども達から教えてもらったことです。
一番大事なものは社会的な価値観に縛られないで自分を大切にすること。
個性的なそれぞれの家族のお話に、感動が渦巻いた例会でした。
登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)
1.Eさんの場合
2.Mさんの場合
3.Iさんの場合
4.Kさんの場合
―――Eさんは、初めの頃はドアを開けて入ってくるときから涙があふれていましたが、このごろは「幸せで、幸せでたまらない」と言われます。
そのEさんにお話してもらいたいと思います。親の会に参加されるようになってもうどのくらいになりますか? どうして親の会を知ったのですか?
Eさん:参加して3年になります。次男が高校をあと半年というときに中退して、私はどうしていいか分からずただ見ているばかりでした。
その後三男が中2の夏休み前後と、3年から行かなくなりました。
次男のこともありこれは大変だと思いました。
不登校を受け入れるという情報高校へ三男の入学の手続きをしましたが、どうも様子がおかしくてこのまま進学させていいのかと思っているときに、朝日新聞で親の会のことを知り参加しました。
この会で、もう進学は止めた方がいいと言われ、子どもの様子も行ける状態でなかったのでふんぎりがつきました。
三男に「高校へ行くのは止めよう」と言ったらニコッと笑ってくれて、それがかわいくてこんなにも喜ぶのだろうかと、良い選択をしたと思いました。
夫は子どものことを「頭がおかしくなったのか」と言い、三男が不登校したときは頭を蹴りつけました。
三男は頭が痛いと言って吐き、そんなことが何回かありました。
それよりも先に次男が行かなくなったとき、夫は次男に包丁を突きつけて「学校へ行け!」と脅し、次は金属バット、次はゴルフバットを持ち出して脅し、終いにはブロックで次男の頭を叩き、次男は恐怖のあまり夜中に警察を呼びパトカーが2台来たこともありました。
その後次男が荒れて家の壁を包丁で切りつけたことがありました。
それで次男が高校を中退するときは、夫は次男のことを理解したわけではなく、怖かったのでさっさと退学の手続きをしました。
次男は私とも口をきかないし、私の作った食べ物を食べない時期がけっこう長かったです。
私も声をかけるにもかけられず、そんな中で三男がそういうことになって、その最中にここへ来ました。
―――もうそのときのことをほとんど忘れてますか?
はい、ほとんど(笑い)。
あんなことも、こんなこともあったなという感じで・・・、家はあちこち壊されて穴が開いていて・・・。
次男は暴れていた時は、ぎりぎりのところで止めているんですね、リビングのテレビは割れないように避けるとか、壁の穴は父親の部屋に開けていて、ああこの子は本気じゃないなと思いました。
私も何回か首を絞められたんですが、もし本当に傷つけたいなら父親をやると思うので、どうして私にきたのかと思い、息子の顔をじっと見ました。
するとすごく寂しそうな顔をしていて・・・、後からそのときのことを聞いて、私に分かってもらいたかったんだいうことだと納得しました。
―――毎回親の会に参加する中で、子ども達の気持ちが分かってきたと話されていましたが、どうしてですか?
私自身子どもの頃から母とのことで大変な思いをしていました。
私は小さいときから一人遊びが好きで妹とはあまり遊ばず、妹が私にちょっかいを出してきて、「じゃましないで」と言うとケンカになり、そこへ母が来て何も聞かずにいきなり私が叩かれることが何回もありました。
高校時代には言葉の暴力もありました。
私の顔が姑に似ていたために、することなすこと全部ケチをつけられ、母の傍にはおれませんでした。
そんな子ども時代があって、何かあるとすぐ自分が悪いのではと思って自分を否定するようになってしまいました。
今でもそれを引きずっていて対人関係が難しく、それは今の子どもたちと重なる部分があるので、子どもの気持ちがよく分かるんです。
私は今でもどちらかというと引きこもりぎみで、一人でいる方が楽しいです。
―――そんなことがあって自分に自信がなく、子どもたちの気持ちもこんなときはこうだなと理解できるんですね。夫との関係はどうでしたか?
外面がよく、一見いい人ふうで騙されたというか・・・、子どもたちから「お母さんはそんなふうだからお父さんに騙されるんだよ」と言われました(笑い)。
子どもの方がしっかりしています。世間には「いい人」で通っていたので、私の親や姉妹もいくら私が言っても信じてもらえなくて、私の方が悪いと言われて、今回のことで初めてホントのことを知ったと思います。
子どもたちが不登校になったら子どもの頭がおかしくなったと言い、別れると言ってきました。
性格の不一致ということで裁判所に離婚調停を出されました。私は経済的なことで不安でしたが、やっとふんぎりをつけ、こちらの要求がかなえられたら離婚すると言ったんですが、私には何もやらないし家からも出て行けと言い、私もそれは困ると主張し調停は不成立になりました。
今度は生活費を入れなくなり、私の方から婚姻費用分担を請求をして生活費が入るようになり(親の会で教えてもらい)、今生活しています。
―――というように一言で簡単そうに聞こえるけど、その過程は大変だったのですね。今どうして幸せなんですか?
本当に大変でした。すごーく大変でした。
何が幸せかというと、先ずあの夫がいないこと(笑い)、ほんとに大変でしたから。
私は左目が失明するかと思うくらい殴られて、あざだらけで、大変な暴力を受けました。
その後夫が出て行ったんですが、鎧を取ったみたいに体が軽くなり、今まで考えることが出来なかったのに頭もすっきりして、次男のことも素直にすっと入っていけて、次男とも今はとてもいい関係になりました。
私はとても働けるような精神的状況ではなく、人間不信というか人が怖くて家からも出れない状態でした。
近頃ちょっと出れるようになりあれしてみようかな、これしてみようかなと楽しみが出てきました。
次男は今家にいます。三男はバイトしてみたり、辞めてみたりで、この前は10日道路工事に行きましたが続かなくて辞めて、昨日はパチンコで稼いできました。(笑い)
―――Eさんはそういうふうに夫とのこともいろいろあったけど、子どもさんの気持ちが良く分かり、「学校へ行きなさい」、「働きなさい」という関係でしたら、今の幸せはなかったかもしれませんね。
Eさんは本当に強くなりましたね。以前はもう「どうしよう、どうしよう」と言って、(ほんとそうでした)「もうそんなときは頭が回らないんだから布団かぶって寝てなさい」と言った時期もありましたね。(ほんとに寝ていました)
終いには、離婚調停中の夫がきたとき警察を呼んだりするほど、強くなりましたね。
はい、強くなりました。ちょうど国会でストーカー防止法を議論している頃で、警察も何かあったらすぐ呼びなさいと助けてくれて。(笑い)
―――今は子どもたちに支えられて、自分自身も癒されていっているという状態ですね。
Eさんのお話に、芹沢さんの本(「引きこもるという情熱」)の中から引用しますと、耳が痛いお父さんもいらっしゃるかと思いますが、
<引きこもりの要因―環境としての父>というところに「家族を自分に従わせようとして妻や子どもを指導的にふるまおうとする父親像」をこう記述しています(p136)。
・他人の落ち度に非常に厳しい、それでいて自分の非は一度も認めたことがない。
・「俺の言うことを聞け、聞いておれば間違いがないのだからという態度」(笑)。
・自分が一流だと認めないものには見下した言い方をする。
・さすが俺の子だというあり方を求める。
・過干渉。
こういうお父さんはもう少し変わりなさいと言っています。
父親ってどこかに当てはまりますね(笑い)。父親はこうした自分の殻を母親より持っています。
こうあらねばならないと言って威張りたがります。そのことによって自らを縛りあげているんですね。
私は男女平等はとても大事だとつくづく思うんです。
夫と妻は対等平等の関係です。自分の人格を認めるというのは、相手の人格も認める。
夫婦お互いの人格を認め合う、お互いにその人を信頼するということは、お互いの人格が対等でなかったら信じることは出来ません。
夫が妻の上にいて妻が従属している状態では、本当の愛情は生まれないと確信します(笑い)。それでたくさんの悲劇があるからです。
もう一つのEさんの大事な教訓は、自分自身も辛い思いをしたけど、その辛い思いを子どもたちに重ねて、我が子と信じあうことが出来た。
不登校とは、子どもが学校に行かない、引きこもっている、それだけではないですね。
不登校、引きこもりによって起こる家族の関係、家族のありかたの問題を子どもたちが問題提起しているんです。
Mさん(父):初めて参加しました。15歳の息子です。中1でいじめを受けて今は学校に行っていません。
私たちは息子の不登校をようやく認められるようになりました。この頃、息子が話をしてくれるようになり、それがなにより嬉しいです。
私は塾をしていて、以前塾にきていた今は横浜にいる21歳の青年と今でもメールのやり取りをするなど交流が続いています。
その子が交通事故で突然亡くなったのでお知らせしますとメールが入っていたので大変驚きました。
その話を聞いた時に私は、「息子は生きているだけでもありがたいんだ」と心から思いました(涙ぐむ)。
そんなことで私自身も気持ちの変化があったと思うんですが、その翌日今まで話をしようとしなかった息子が話しかけてきました。
亡くなったと思っていた子がどうしても心配で、その携帯にかけたら本人が出ました。別の人がしたいたずら電話だったんです(笑い)。
でも私に「生きていることがありがたい」と気づかせてくれたという思いでお礼を言いました。家族の心の変化が子どもに影響あるんだなと思いました。
―――それはありますね。
以前息子さんがあれて弟さんにいろいろ強制したり寝かせなかったりしてお母さんを困らせているということがありましたが、それはどうですか?
(母):1学期の時そういうことが続いてその度におろおろしてしまい、どうしていいかわかりませんでした。
夏休みに入って2ヶ月ぐらい私と話を全くしなくなった時もありました。それまでも息子があれて,弟に何かあったらと思ってしまいました。
私と話をしなかった2ヶ月間は,弟が食事を準備して部屋まで持って行ったり、「お兄ちゃんがこういうのを欲しいと言っているよ」と全部世話していました。
私も早く元のような関係になりたいと内沢さんに電話で相談したりしていました。
2ヶ月たったら息子の方から話しかけてきました。
息子は「漫画家になりたい夢をもっている」と話しました。話してくれるようになってからも、落ち着いたと思っても毎日息子は波があって、そのたびに私自身がとても落ち込んで不安になってしまうんです(涙)。
夫は「もっと息子を信じてあげないと」と言いました。私は信じてあげないといけないと思っているのですが、今は不安ばかりです。
何日か前も息子は弟の頭を殴っていたので、私が「暴力だけはやめて」と間に入ったら物にあたっていました。
―――息子さんがそうして弟さんにあたったりお母さんの前でやっているのは、「僕の辛さをわかってよ」と訴えていることなんですね。
いじめは人格も破壊し命をも奪うんですね。
そのことで大変な思いをして息子さんは家にいながらも自分を破壊しつづけていった訳で、「こんなに辛いんだ、わかってよ」とあれることは実は大変いいことなんですね。
大変なことがあったりすると親もそのことで一生懸命考え悩み、子どもさんを理解し、受け止めようと考えるし、こうやって親の会にも参加されて、私ひとりじゃないんだ安心できるんだとなり、だから私はとてもいいことだと思うんです。
先ほど話されたEさんもはじめのうちは涙だったんですが、涙を流すこともとってもいいことなんですね。
そういう風にして子どもさんが訴えてくれたことに心から感謝しないといけないと思うんです。
暴力ふるったことに感謝しないといけない。そのことで親子の関係をどうしないといけないか一生懸命考えることになりますものね。
学校に行くのがあたり前という価値観に親も縛られてきました。
その価値観を大転換して「生きているだけでいい」と子どもさんの命に感謝するようになるということはとてもすばらしいことなんですね。
気がつかなければいけないこんな大切なことを我々大人は見過ごしている。息子さんはそれを命がけで訴えたんですね。
全国合宿の親たちのシンポジウムを森田淳子さんがテ―プ起こししてくださったのですが、その中で山口良治さんが「娘を信じようといつも思っているのですが、じゃあ本当に信じているのと突きつけられると、やはりイエスと答えられなくて、“つもり”になってしまっているのかなあと思っている。
でも親の会に参加していく中で、生活のその場その場で娘を信じることができるようになりました。
娘を信じるということは自分自身を信じるということなんですよね。
親自身が自分を信じられれば子どもも親を信じてくれるでしょうし、子ども自身も自分を信じていけることだと思います」と言っています。
お父さんが「息子を信じなさい」といいことおっしゃいましたよね。
そうやって信じていくことで子どもさんは心を開いてくださったと思います。
でも子どもさんの辛さはまだまだ癒されていないんです。
それでも、息子さんは、僕の辛さを少なくともお父さんとお母さんは少しはわかってくれるんだというふうに思ってくださると私は思います。
―――(内沢達):僕は「ことわざ・格言と登校拒否・・・」にも書いているのですが、“どっちに転んでもしめた”という考え方が出来るかどうかが大事だと思います。子どもさんが落ち着いていたら、それはそれでいい、でもそうでもなくても、不安を出していたら、それでもいいということです。
落ち着いている時だけがいいんじゃなくて、不安を出してくれているんですから,親もわが子と向き合う良いチャンスなんです。
子どもさんのある時、ある状態だけがいいということではないんです。
Mさんは子どもさんのお家での様子を、もしかしたら自分のうちだけがそうじゃないかと思っていらっしゃるんじゃないですか?
そんなことはありません。不登校であろうが、閉じこもりであろうが、また拒食・過食であろうが、そうでない子であろうが、暴力・暴言ということはどこの家庭にもあることなんです。
今日は、例会に娘が久し振りにきていますが、8月の初めのことです。夏の全国合宿が終わって、その報告をインターネットに娘がうまく載せられなくてイライラしていたんです。
僕が横からいろいろ言うと、娘はなんと言ったと思いますか?「うるさい、下っぱは黙れ!」ですよ(大笑い)。
ひどい言葉ですよ。こんな暴言ってありますか。わが家では、妻が社長で、パソコンやインターネットに詳しい娘が工場長ということになっていて、ほとんどコンピューターの分からない僕が「ひら」です。
そこでよく知りもしないくせに横から言うな、「したっぱは、黙れ!」ということになります。
僕自身が小さい頃を振り返っても、兄弟・姉妹げんかなどで相当危なっかしいことをしています。
そういう暴言とか暴力的なことはざらにあることです。ましてや辛い状況をまわりに理解されていないだけではなく、自分が自己否定をして、これじゃダメだと思っているときなのですから、ちょっと乱暴な言葉が出たり、つい手が出たりすることは、実に自然なことです。
これは困ったことやおかしいことでなく、決して否定的に見るべきことではありません。
そうした時は、「お父さん、お母さんは、今まであなたの辛さを受け止めきれなかったね」と辛さを受け止めるとてもいいチャンスなんです。
Iさん 私は13年前に5歳と2歳の子どものいる夫と結婚しました。
世間体が気になって一生懸命いい子に育てようと必死でしたが、子どもの気持ちを余り考えなかったのではないかと今思います。自分の気持ちを子どもに押し付けていたのかもしれません。
高1の11月に長男は退学しました。
私たち夫婦は学校信仰が強くて子どもは非行へ走っていきました。私の実父も教員でしたし、私の中にも「学校」が一杯入りこんでいましたので、息子の気持ちを理解できなかったのです。
昼夜逆転、夜中のバイクのふたり乗り、無免許運転etcと一杯ありました。
息子は福岡に一人で住んでいましたので、350キロを無免許で運転しまして、昨年12月に保護観察処分という審判が下りました。
本当にいろんなことがあり・・・、顎の骨を骨折して1ヶ月入院しましたが、手術当日まで1日おきに自宅に帰ってきて医師や看護婦に迷惑をかけたこともありました。
家庭内暴力もあり、包丁を振り回して私に迫ったこともあり、そのときは2時間くらい過呼吸症候群の真似をしてやり過ごしました。
本人も苦しみましたが、私たちもいろいろありすぎて本当に大変でした。
保護観察処分後、彼女が出来まして一緒に住んだりして落ち着いてきました。
息子は私たちにいろんな事件を起こしたときの気持ちを自分から話してくれるようにもなりました。
無免許運転のことは、お父さんとドライブに行ったとき、ハンドルの握り方、ブレーキのかけ方などを盗み見て覚えたと話しました。(笑い)
3月の始めに私たちと妹に5枚くらいの手紙をくれ、これまでのことがびっしり書かれてあり、本当に感動し心からやっと通じ合えたかなと思いました。(涙)
それからは心が安定してきているみたいです。
息子は福岡で大検予備校に行き、8月に大検に合格、つい3日前に大学の合格通知が届きました。
10月2日の私の誕生日にメールをくれました。
その日の朝に「お母さん、お誕生日おめでとう」と電話があり、その夜またメールが入りました。
「お母さん、改めてお誕生日おめでとう! 電話じゃ恥ずかしいからメールを入れるね。今まで育ててくれて感謝しています。ろくな親じゃないと言ったけどごめんなさい。誰よりもいい母親だと思っているから、これからもよろしくお願いします。お父さんもいろいろありがとう。ふたりとも元気でこれからも長生きしてね。ふたりの息子より」とあり、本当に嬉しくて涙があふれました。(涙)(拍手)
―――本当にすばらしいお話をありがとうございました。
Kさん 22歳の次男です。
中2あたりから「学校へ来ていませんが」と連絡が入るようになり、私立中を3年で卒業し、中高1貫の高校には進学せず、中学浪人して公立高校へ入学しました。
やっぱり価値観が違うと言って中退し、大検を受けて大学へ進学しましたが、やっぱり描いていた心理学とは違っていたと1年で中退し、今家から保険つきのパート勤務です。経済的にも自立しています。
息子の不登校で私もいろいろ学びました。
今、私は夫と別居中です。
夫から私の職場へ書類の件ですごい電話が入りましたのが別居の発端でした。
ふたりで話し合ったのですが、夫が興奮し「家を出て行く」と職場の2階で寝泊りしています。
話し合いの席に夫の両親を伴ってやってくるし、お風呂も洗濯も母親にやってもらって、ただ寝泊りのみ仕事場でやっているという形です。
夫から「明日家に帰る」と連絡があったのが9月29日でした。
それ以前に夫の母が私を訪ねてきて、「帰りたい」と言っているので…と私に話をしました。
それを聞いて次男は激怒しました。
「男があれだけのたんかを切って家を出たのに、よくものこのこと帰ってこれるものだ」と。「冗談じゃない、まだ2〜3週間しかたっていない。1年ぐらいたっていたら又話し合いもある、しかし、僕にはたくさん文句を言ったのに、自分の時は、たった2〜3週間だ。
もし、あの人が帰ってくるのだったら、自分がこの家を出る。
教育ローンも自分で働いて返すから、あの人からの援助も切ってくれ。今もパートだけど保険もついているし、年金も自分で払うから、一切の関係、援助も切ってくれ」とまで息子は言いました。
先ほどのお父さんが「どうして子どもに嫌われるのかわからない」とおっしゃいましたよね。
子どもは小さい時から徐々に言葉の暴力で傷ついているのですね。夫は「どうして息子に嫌われるのかわからない」と夫の両親に言ったそうですが、私に言わせるとなんて馬鹿な父親だろうと思います。
不登校をおこしたとき、夫は怒って息子を2階まで追いかけていき、「何故学校へ行かなかった」と怒鳴りつけて、息子はクローゼットの中で震えていました。
その時に「開けろ、何よ、こいつは逃げやがって」と言ったらしいです。
「あの人は、僕が一番苦しかった時に、「逃げやがって」と言った。僕があの時、どんなに辛かったか、そんなに辛いのにののしって」と言いました。
いろんなことが積み重なって息子が父親を拒否するまでになったのです。
つい最近も「お前は22歳の誕生日を迎えたのにどうするのだ。
お前のために借りた教育ローンをこの不況の時にどうして俺が払わなくちゃいけないのか、どぶに捨てたような金だ」と言ったのです。
本人は何気なく言っているのかもしれませんが、子どもの心にグサッとくるのです。
やはり自分の人生だから「ここで引き返したいと思った訳だし、会わないところに無理して通って親に負担をかけるより、やめたほうが負担をかけないと思った」と言いました。私は「やめてくれてよかった」と思っているのです。
「働きながら資格をとる」と言う息子に対して、夫は「そう簡単に資格はとれない、大学を出ていないと資格があってもダメだ」と言いました。
「仕事を選ばなければ、生きて食べていける」と言うと、「20社でもいくらでも就職試験を受けてみろよ。どうせお前は全部落ちるから」と言って全て却下します。
夫は息子の人格を全て否定したものですから、息子は「父親」とは言わず、「あの人」と呼んでいるのです。
今回も「僕は絶対許せない、お母さんはどうしてあんな人と結婚したの、お母さんが喘息で苦しんでいる時も手も差し出さない、病院へも連れて行かない、自分のことしか考えない人とどうして結婚したの」、「僕は、ああいう人の血が半分混ざっていると思うだけでどうかなりそうだ。
自分の身体をズタズタに切り裂きたいくらいだ。その人が帰ってくると聞いただけでいやだ。お母さんがあの人を受け入れようと言ったら、お母さんのことまで信じられなくなるよ。
お母さんも今まで我慢してきたんだから、もう我慢しないで自分の人生を楽しみなよ、僕にお母さんはそう言ったでしょう、これからの30年を笑って暮らせるようにしようよ」と言いました。
「僕と力を合わせたらできるよ」とまで息子は言ってくれました。
夫が帰ってくると言ったのは、家族への愛からではなく、自分の都合からだと悟りました。
電話で話した時、「今までのことを含めて変わってくださるのですか?」と聞いたら、「それは全部は変わらないけれど、それはそっちも同じだ」と言ったものですから、これはもうダメだと分かりました。
本当に真から変わろうと思わない限り、50歳過ぎてからは変わることは無理だろうし、ここらで見切りをつけようと思いました。
今は二男と食後1時間ぐらいよくいろんな話をします。
昨夜も二男が「僕は将来結婚することがあるとしたら、子どもはしっかり相手と話し合ってどんな子育てをして、自分も育児にきちんとたづさわることを決めてからでないと子どもは作ったらいけないと思う」と言いました。
やはり、本当に家族を愛して妻を愛して、家族が好きでないと一度家を出た人間が再び帰ってきてうまくやることは出来ないと思います。
「自分は常に正しい」と自分の価値観を押し付けていた父親への反乱だったと、今回の息子の言葉から思いました。
今、一応夫は帰って来ない状況です。私もやっと自分の人生を楽しもうと気持ちにふんぎりがつきました。
―――今まで人生に折り合いをつけて、自分をだましだましやってきましたものね。
辛い思いをずっと押し込めてね。(そうでした) だからと言って先程のお父さん、絶望的にならないでね(笑い)。
この親の会に参加しているお父さんだったら大丈夫ですよ。
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