登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島) 登校拒否も引きこもりも明るい話


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体験談

2002年9月発行ニュースより。
登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)会報NO.82


登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)では、
毎月の例会の様子をニュースとして、毎月一回発行しています。
その中から毎月3/1から4/1程度をHPに載せています。

体験談(親の会ニュース)目次はこちら




8月例会報告


今月の例会には、夏の全国合宿を成功させた力と感動がみなぎっていました。
 合宿で、「娘の本当の要求は閉じこもることだと分かった」と発言し、「一生、我が子とともに生きていくことが出来る」といわれたHさん。



 長女のJさんから先日電話がありました。「何かしないと、と思って長い間無理していたけれど、本当は私は疲れていたんです。



 ようやく、閉じこもってゆっくりしたいということに気付きました」・・・。自分のあるがままを素直に受け入れ、そのことに自分で納得したお話でした。
親が心から我が子の「今」を受け入れ、幸せだと感じたとき、はじめて我が子も自分を肯定できるんですね。



 閉じこもりたいと気が付いたJさん、「一生家にいていい?」と言ったAさん、
「生きていることがすばらしい」、「一生過食していい?」と言った山口愛美さん。



 親が会に参加することによって理解し元気になっていく、そしてその子どもたちが自分で納得して自分の人生を決めていく・・・。
そのことに感謝します。



 久し振りに参加したTさんは、皆さんの前で辛かったことが話せて気持ちが楽になったと心持強くなったようす。
 毎回、新しい発見、新しい感動に出会える親の会。「参加するのが楽しみ!」という感想は皆さん同じです。



 わが親の会の根本の柱は「登校拒否、閉じこもりは明るい話」です。
その基本姿勢をもっている親の会だから、その役割や存在が光っていると全国合宿を通じて思いました。


 登校拒否を考える親、市民の会(鹿児島)




1.Hさんの場合


2.Kさんの場合

3.Tさんの場合

5.Tさんの場合

6.Kさんの場合

7.Nさんの場合

8.Hさんの場合

9.Eさんの場合

10.Tさんの場合



1.Hさんの場合


 不登校をして
非行に走った18才の次男がガールフレンドを突然家に連れて来ました。
次男は人を拒んできましたから、もうびっくりです。



 私はもうその状況を受け入れられる状態ではなく、内沢さんにも電話しました。
その夜は眠れなくなり息子の部屋をどんどん叩いて、「これはなんなの!」と怒鳴ってケンカをしました。
 そうして今は次男の彼女とも一緒に住んでいます。
そうやって私は彼女と話が出来ました。



 次男が今までとても寂しくて話が出来る人を求めていたんだなということが分かり、このことは自然に受け止めなければいけないんだと思いました。



 またここで違った意味で自分を変えなければいけないんだと思い、とても苦しかったですが、でも彼女の話から息子の気持ちが良く分かりました。



 「おばちゃん、悪いと思っているのに、お母さんにこんなことを言ってしまったと言ってるよ」と聞いて、私が今まで息子に言ってきたことを、息子がきちんと受け止めているということも分かりました。



 夏休みで帰ってくる長男に「帰って来ても驚いたらだめよ。
彼女がずっといるからね」と話すと、「いいんじゃないの、うちはよその家と違っているんだから」(笑い)、常識的にはおかしいけど「ああ、そうなんだ、いいんだ」と思えました。



 それからは二人のことは放っといて、私は自分のことに没頭することが出来、資格試験を受けました。
二人に「これを食べてね」とか声かけて、気軽に出かけたりして自分の生活をすることが出来ます。



 長男が帰って来てもそのままの生活で、お祖母ちゃんの所で生活していた娘も帰って来て、2週間わいわいがやがやの5人家族でした。
ちょっと面白い雰囲気でした。



 大人が思っている以上にいやらしい関係ではなく、二人で家の中をプロレスごっこ的なけんかをして「お母さん、お母さん」と呼ぶので、私も一緒になって、「どうして女の子にそんなことするの!」とドサクサ紛れに息子の後ろを叩いたりしました。(笑い)



―――今まで息子の顔を見て怯えていたお母さんは、そんなことはできなかったよね。(大笑い)



 何か知らないけどそんなことが自然に出来て、息子に対する恐さも取れてきて世間とは違うけど全て受け入れることが出来ました。
これからは自分の人生を大切に過ごしたいと思っています。



 この会に他にもおられるシングル同士(笑い)、お互い励まして、自分の人生を大切にしたいと思っています。
いつも親の会で涙を流して座っていましたが、今はここに来て皆さんの顔をみたらホッとするし、合宿に行って良かったなと思いました。



 ここへ来たくない時期がたくさんありました。
人と話したくなくて、私自身が自己否定していました。
次男が小学校で不登校になったときはPTAの役員も引き受けてちゃんとしなくてはと(笑い)、学校と繋がって自分に無理をしていました。


 



2.Kさんの場合


 17歳の娘と14歳の息子が家にいます。
今の方と同じ様なことがありました。
親の会にも参加して分かっているつもりでしたが、我が子のこととなると、頭がパニックになりました。



 夏合宿に参加して元気をもらって帰ってきて、夜にバイトをしている娘から11時頃電話で、「お母さん、怒らないでね。今から彼の家に行っていい?」と言われました。



 私は頭に血が上り「何なの、それは?」と叱りつけました。
夫も単身赴任でいなくて私は眠れない日を過ごして、3日後に帰った夫に話しているところに娘も帰って来ました。



 娘は「この家には私の居場所がない!」「お母さんは弟にばかり話して、私には話をしないで突っかかってくる」と捨て台詞でまた出て行こうとしたので、夫と私は「お前、何を考えているんだ!」と二人して怒鳴りました。



 私が「不登校の子どもを二人抱えどうしていいか分からず、単身赴任のお父さんがいない家で明るい家庭は築けなかったけど、今まで一生懸命やってきたんだよ」と言うと、娘に「お母さんは自分だけが悲劇の主人公のように言うけど、あたしだって苦しんできたんだよ、私がリストカットしたときも止められなかったじゃない」と言われ、言われたショックと子どもをここまで追い込んだのは私だという自己否定で、すっかり落ち込んでしまいました。



 夫から「もう、ほっときなさい。これは報復だから。あの子が居場所がないというのも当然だし、自分たちの今までの生活を反省しないといけない、もういい。娘を信じなさい」と言われました。



 だいぶ悩んでから、内沢さんへ電話をしたら娘さんの玲子ちゃんがいました。
 玲子ちゃんと話をして、「おばちゃん、何を心配しているの?」「親だからと上からものを言うのではなく、親を下ろして横並びで彼女のことを見て、彼女の気持ちを考えてごらん。そうしたら彼女がするのは当然じゃないかとわかるし、受け入れられるんじゃないの? 横や後ろで暖かく見守ってやればいいじゃないの」と。



 ほかにも「私がそうだったんだけど、お母さんから「ゆっくりしなさい、休みなさい」といくら言われても、自分でぶつかって溜めて溜めて爆発して倒れてそのときになって初めて考えるんだよ、親にはどうにも出来ないんだよ。自分で考えることに大事な意味があるんだよ」と教えてくれました。そのとき3日間の頭の痛みがスーッと取れました。(笑い)



 玲子ちゃんと話して子どもの生の声を聞き、子どもの立場が分かりました。
山口愛美ちゃんとも最近チャットをして、教わることが多いです。



 愛美ちゃんに「子どもは勝手に悩んでいるんだから、勝手に悩ましてやればいいよ」と言われ、そうなんだなと良く分かりました。
この10日間二人に助けられました(笑い)。



 その後娘を暖かく見守るという気持ちで、メールを送り続けていたら娘も落ち着いて余り彼のところに行かなくなって、今は家で生活しています。全て受け入れていこうと思っています。



 私は何にも分かっていなかったということに気づきました。
親の会でも人のことは良く分かるのですが。(笑い)



鹿児島の親の会のホームページがないときは、親の会が1月に1回で、送られて来た会報を見るだけでしたが、今は1日何回でも苦しくなったらHPをクリックすると、内沢さんの声と写真が出てくるから安心ですよね(笑い)。



いつも繋がっているという安心感があって落ち着いていられるんです。
書き込まなくても見るだけでも安心感が広がります。HPはぜひお勧めです。


 



3.Tさんの場合


 男の子が3人いますが、現在19歳の長男が中学のとき不登校になり、この会へ参加しました。
その頃はこの会で楽になれるよと言われても、よく分からなくて会報も隠れて読むというような苦しい状態で、とうとう参加しなくなりました。



 先月合宿の準備中に久しぶりに参加して今は2回目ですが、あの頃苦しかった方が明るくなられているなあ、お父さんたちもたくさん参加されているなあと思いました。
 


―――息子さんが学校に行きたくないときに、すごく自分が不安なり学校に行っている弟さんのカバンを隠したり暴力があったり。



 いろいろあったが、ずっと休むことが出来ないで、不安を抱えたまま行ったり行かなかったりして無理してきました。
学校に行かないのならとIHセンターにも行ってそこでもトラブったりしたこともありましたね。




 通信制の高校にも行ったけど「僕のことを誰か言っているんじゃないか」という脅迫にかられたりもして。




 息子さんは本当は休まないといけなかったのに、休み足りずに疲れたままずっと動いていました。
皆さんもこれがとても大変なことだということを分かってほしいのです。



 学校に行かないのなら何かをしなければと不安になって動き、息子さんは苦しかったんですね。



 今また、福岡にあるパソコンの専門学校に行きたいと言って、お母さんの心のどこかに息子さんがいないとホッとすると言う気持ちも手伝って、福岡に部屋を借りたのですが、息子さんは閉じこもることも知らないで、ずっと緊張状態が続いていましたから福岡に住むことができなかったんです。



 それでグリーン車で夕方に鹿児島に帰ってきて、またグリーン車で福岡へ朝出かけるという生活が始まったんです。
高いグリーン車の乗車料金を毎日毎日払わないといけなくなったんですね。



 貯金を下ろしてもどんどん息子さんに使うという状態で、困ってしまい何年かぶりに私に相談がきたのですね。
 私は即座にお金を渡すのは止めなさいと申し上げました。



 そんなことしたら息子さんの辛さにどんどん手を貸してしまうことになるからと。
 その後お金は渡さないと言ったらひどい暴力があったんですね。




はい。私が仕事から帰ってきたら息子がすごい形相で向かってきて、同居している母が中に立って、「私は殺されてもいいから、出て行きなさい」と私に言いました。



 私はそれは出来ないとやられっぱなしになっていました。
私が血を流していたので母は警察に通報しました。警察が来るとすぐ息子は「僕がしました」と言いました。



 警察の人からも「息子さんはすごく疲れているからゆっくり休ませた方がいいですよ」と言われました。
私の腕の傷は1年以上前からのものでよくなったほうです。
職場でもアトピーですか? やけどですか? と聞かれる度に苦しくていつも長袖を着ています。



―――今はどうしているの?(またグリーン車とバスで往復しています)また言いなりになっているということですか?



 子どもが親に向かって暴力を振るうということは、子ども自身がものすごく傷つくんです。
大平光代さんが「だからあなたも生きぬいて」という講演の中で、この私の手が母を殴り、この私の足が父を蹴って血だらけにした、一生悔いても悔いが残ると話されました。



 あの方は当事者として、自分の親を殴ったことが心の傷となってものすごく苦しむんだということを教えてくれましたね。
息子さんの暴力から逃げないといけません。



 それからお金を渡したらいけません。
そうしないと息子さんはいつまでも辛いですよ。お金を渡さないと、今度はお祖父ちゃん、お祖母ちゃんへいくんでしょう。



 そしておじさん、おばさんのところまで巻き込んでしまうので、それをなだめようとして息子さんの要求をかなえてしまった。
暴力を怖れて、その結果暴力の矛先がどんどん広がっていますね。



―――(内沢達)お父さんに対する暴力はどうなんですか? 



 夫は私みたいに細かい無数の傷はないのですが、この前夫の実家に帰ったとき、祖父母の前で暴力が出てすごい傷になっていました。
息子はお父さんは絶対帰ってくるなと言い、夫は実家に行きました。



 それでも今朝断りもなく薬を取りに帰ってきたと責めていました。
今日も親の会と関わってほしくないと言われ、夫も参加する予定だったんですがとりやめました。



―――(内沢達)この前の打ち上げ会にお父さんが来られて少しお話しましたが、今もバスとグリーン車で福岡を往復しているんですね。(はい) 



 お父さん曰く、息子さんは「この特急券が僕の宝物だ」「福岡との往復が僕の今の人生だ」と言っているんですか? (「仕事をしている」と言っています) 




 僕はお父さんの話を聞いて、お父さんに「辛さの表し方がバスジャックの少年と同じですね」と言いました。
バスジャックの少年は真夜中に親を叩き起こして、「今からドライブだ」と言って、中国自動車道を走らせて大阪、名古屋まで往復させたんです。



 あのバスの中で高速道路料金の領収書を「僕の宝物だ」と見せびらかしたんです。
そのことについて九大医学部精神科の教授は、「この子はドライブのときだけが気が休まる数少ない時間だった」と書いていましたが、そんなことはありません。僕は全く違う見方です。



 親に無理強いして気が休まるはずはありません。
父親は翌日仕事があるにも関わらずそういった無理難題に付き合わされた。往復ドライブを何回もしたわけでしょう。



 息子さんも特急券が宝物だと言ったということです。(それは聞いたこと私はないです)僕はそう聞きましたよ。



 息子さんは前は学校に行かなきゃならない、今は専門学校に行かなきゃならないと、結局福岡まで行っても自分のアパートには泊まれないのでしょう。



 お父さんにも言いましたが、子どもが無理難題を突きつけてくるとき、どうしたらいいのか、私たちの会の3原則です。
1つは、息子さんの行動を異常視しない。



 息子さんに限らず、子どもは辛くなったときにどんどんエスカレートさせて親を困らせることをするんです。
これは法則的なんです。
お祖父(母)ちゃんまで巻き込んでいるわけでしょう。



 最初はお母さんに対してだけの暴力だったのが、お父さんにも相当きています。
巻き込んで巻き込んで困らせるようなことをするから、この子はおかしいと思ってしまいがちですが、違います。自分が辛いからそれを表に出して、気がついてくれと訴えているんです。



 うちの子だけがと思ってしまうけど、表し方が違うだけです。
息子さんは休んでいいのにずっと休み切れていない。
絶えず何かしていなくてはならないということでね。
ちょっと見ると異常に見えてもこれは全然異常ではありません。



 2つ目は、子どもの奴隷にならないということです。
福岡に行くから金を出してくれと言われて出す、これは奴隷になっています。
子どもの言いなりになっちゃいけない。子どもの辛さに手を貸しています。



 3つ目のガラス細工のように扱わないというのは、これから出てくると思います。



―――グリーン車に毎日乗るということは自然じゃないでしょう。
それに言いなりになってしまって親戚へと広がってきていますね。



 息子さんは自分が辛さを発揮できるところは全部発揮している。
だけど他人との関係では「おりこうさん」にして、「どうしたの、あのしっかりした子が」と言われるけど、違います。



 小学校から「行ってね、行ってね」とずっと続けてきた辛さが出てきています。
あなたたちご夫婦がしっかり手をつないで、お祖父母ちゃんの前でもそうしたのだったら理解してもらい、皆でしっかり防波堤を作らないといけない。



言いなりにならない。
金は出さない。
福岡の部屋は撤去する。



自分が恐いからと言って暴力に負けたらいけません。
暴力のときには逃げる。



 以前、Hさんは裸足で逃げたこともありました。
ほんとに長袖しか着れなかったんです。



 その娘さんがやっと今閉じこもることが出来た、自分をやっと認めることが出来た、安息の日々を過ごすことが出来るとメールが送られて来ました。
やっとになるまで何年もかかりました。
でもご両親はちゃんと向き合っていたのです。



 爆発しないようにだましだまししないで、これからはきちんと向き合っていけばいいです。
お父さんも息子に帰って来るなと言われたり、朝こそこそ帰ってきたりせず、「ここは俺の家だ」と毅然とすることです。



 お祖母ちゃんに暴力が及ぶんじゃないかとか、下の弟さんに暴力がいくのではないかと、怯えて言いなりになってはいけませんね。
ご夫婦の関係はどうですか?



 
はい、夫がおとなしくて、威厳がありません。
息子が老齢の病気がちの親に当たっているのに、傍で聞きながら料理をパクパク食べていて、とても腹が立ちました。




―――あなたはそういう辛いお話を皆さんの前で出来て良かったですね。以前は出来なかったですものね。



 前に来たときはすごく子どもの存在が恐くて、会報にも載せないでとお願いしましたから。
こそこそしていました。
それとうちの子は閉じこもりではないから、違うと思っていました。




―――あなた自身の抱えている問題がみんなの問題になって解決していけると思います。
また、ほかの方の話からあなたも分かってもらえます。



 これからです。
私たちの会で今まできちんと受け止めることが出来れば解決出来なかった問題はありません。
息子さんの今をあなたやあなたの夫が受け止められるかどうかということですからね。



 



5.Tさんの場合


 (父):16歳の息子です。
私立の中学でいじめにあい、転校さしたら行くと言い、それも地元の中学は嫌だということでなので、別の中学に部屋を借りたり、私たちも何とか行かせようと思いました。



いろんな相談にもまわりました。
そのうち非行という形をとって、今までは色いろなことがありましたが、今は、まあ、落ち着いて生活しています。
今年の4、5、6月は警察との関りもありましたが・・。



―――先ほどからご夫婦について話が出されましたが、夏合宿でもとても仲睦まじいと評判でしたが(笑い)、以前からそうだったのですか?(大笑い)



4、5年前はもめましてお互いに責任のなすりあいでしたね。(笑い)



 (母):今の方のお話を聞いて思い出したのですが、私たちも息子の言いなりになって息子に色いろ付き合いました。



例えば私の実家が国分市ですが、息子が「お祖母ちゃんの家へ行きたい」と言うと夜中の1時、2時であろうが、私は送り迎えするということを何回もしていました。



 この親の会に来てそういうことをするのは良くないのかなあと思いましたが、最初の頃は、息子が癒されてホッとするんじゃないかと思って、全ての要求に応じていました。



 それはいけないのだと解かって「お父さんもお母さんも仕事をしているので疲れるし、出来ない」と言いました。



 すると息子はワーッとなって家庭内暴力というか私達は殴られるし・・・(笑い)。
その時は、車の鍵を必死で隠したり、逃げたりもしましたが、息子は背が高いし、私は逃げ切れずに投げ出されたり、あざも作ったりしました。



 しかし、殴られても絶対息子の要求に応じてはいけないと思いました。
その次からは息子も言ってこなくなりましたね。こういうことが何回かありました。



―――その時が大きな転換期でしたね。(はい) その時、ご夫婦の関係はどうでしたか?



 夫から「おまえの育て方が悪い」と言われました。
「そう言うんだったら、私は生きていけるんだから、別れるわ」と言いました(笑い)。



 夫の両親も交えて話し合いをしたこともあったし、私の実家からも帰ってこいと言ったり、そういうところまでいきました。
今はとても仲良しです(笑い)。 いつも二人で話し合いながら、息子を見守っている状態です。



 息子は今昼夜逆転です。
夜中に外出して朝帰ってくるのですが、私はつい仲間と悪いことをしているじゃないかと心配の余り、いちいち夫へ言うのです。



 すると夫は「大丈夫だよ。何も悪いことなんかしていないのだから。
ただ、だべって帰ってくるのだから、息子を信頼しなさい」と言いました。
「ああ、そうか」と私も安心したり、今は夫婦で支えあっています。




―――いいお話ですね。
よかったですね。



 なんと言ってもお父さんが暴れる息子さんを抱きしめて、「命さえあればいい、生きていてくれさえしたらいい。お父さんは親の会で、変わったんだ」とおっしゃったことが大きな力ですね。




はい、家で暴れたのは、あの時が最後でしたね。
あれ以来静かに暮らしています。
なかなか受け入れるまで時間がかかりますよね。



 私たちも息子の不登校を受け入れるまでに5年かかりました。
何とかなるのではないかと暗中模索でした。



 学校へ行かなくても大丈夫と言われても、私達も最初は「ええ〜っ」という感じでした。
学校へ行かせたいと親は思っているわけですから、なんとか行く方法はないかと思いましたし、本人も「行きたい、行きたい」と言うものですから。



 しかし、親の会で、親を安心させるための言葉だと言われて、息子の気持ちや辛さが少しずつ分かってきましたけど、行き着くまでは長い道のりでした(笑い)。



 息子が暴力をふるったりしたときは、金属バット事件を思い出して「親のそんな気持ちも理解できるよね」と話したりしました。



でも理解するにつれ、不登校の子どもを預かってくれる施設とか、中3の担任からも北海道の不登校の子どもを預かってくれる高校の話などもありましたが、「そういうことではないよね。自分たちで育てなくてはいけない」と思えるようになってきました。
辛い時の親の気持ちが分かるし、否定は出来ないなあとも思います。



―――いろんな思いや体験を通ってきていらっしゃるから、尚更、前の方の気持ちもわかるのですね。
暴力に屈したらもっと悪い方向になってしまうということですね。



 



6.Kさんの場合


 K.Sさん:14歳の息子です。
ようやくここにきて真剣に引きこもっています。
見ていて自然に生活していて、家から1歩も外出はしないのですが、すごく正しく引きこもっているように見えます(笑い)。



 以前は、自分の部屋にいたのですが、今はほとんど居間にいて、パソコンをしたり、テレビを見たり、最近は月2000円支払うとできるネットワークゲームにもはまっています。



 最近は朝早く起きてきて、パソコンをしたりゲームをしたり、朝食も2日続けて食べたので、少し無理をしていないかなあとも思っています。



―――いま中3ですね。高校のことは何か言っていますか?



僕達夫婦は、一切高校のことは考えていないのですが、今のところ息子も余り意識はしていないように見えますが・・・、しかし、先輩方のお話を聞いていると「ちょっと変化がおきたかな?」という時のシュミュレーションは考えています(笑い)。 



 3原則に従って準備はしています(笑い)。
 「高校には行かなくていいよ」とはっきり言ってあげた方が良いのか、自然のままにしていた方がいいのかなあと思ったりもします。



―――Kさんにこだわりが無ければそのままでいいです。



最近2人とも本心からこだわりが無くなってきました。(笑い) 



 K.Hさん:1歩も外出しない訳ではなくて、家族で行くキャンプには行きます。
息子と直接関わりの無い人達の中へ行くのは関係ないみたいです。



8月11日に実家の福井へ帰省する予定をどたん場でキャンセルしました。
2日間とも親族が集まる計画を電話で話すのを聞いていたらしく、最近は以前よく言っていた「だるい」という言葉も言わなくなってきていたのに、「危ないことをしたい」と言って台所へ包丁を取りにきて、おかしな行動をしたものですから、帰省するのが負担になっているんだと分かりました。



 8月11日の夏合宿の打ち上げ会で「田舎に帰るんです」と言ったら、木藤さんが「息子さんは電話にも宅急便にも出ないのに、人の集まる田舎へ帰るのは絶対無理よ」と言って下さったものですから、急きょ取りやめました。



 それより家族でキャンプに行った方がいいねとなり、キャンプに行ってきました。今はもう、息子は落ちついてきました。



―――とっても分かりやすい息子さんね(笑い)。 
Kさんは悟りきったように見えていたのに、実家に帰ろうと思っていたの?(笑い)




(父):いや、お正月も帰らなかったので、余り深くも考えずに、息子のことも余り意識せずに「じゃ帰ろうか」なんて思ってしまったのです。



 息子の様子がおかしいと思っていたのですが、毎日「高校野球、高校野球」とテレビが言っているので、「高校」を意識してそんな行動をとるのかなあぐらいにしか考えていなかったのです(笑い)。



 妻が「帰省が負担になっているみたい」と言ったので、「ああそうか、無理なことを考えていたなあ」と思いました。




7.Nさんの場合


 Nさん:打ち上げ会のときは、肉の話しかせず反省しています。(笑い)
 17歳と14歳の娘が二人とも不登校です。
毎日20、30分ほど娘達と会話しています。



「お互いがお互いに好きなことをしようよ」と娘が最近言った言葉が印象に残っています。
私も自分の好きなゴルフやその他に精出しています。



 娘は新聞を読んで自分の意見を言うのですが、我が子ながら感心させられます。
私は仕事からの帰りが遅いのですが、娘は起きていてテレビを見たりしています。
私はタバコを吸ったり、ビールを飲んだりする場所が台所なのです(笑い)。 
娘とは、ただスキンシップをしたいけど娘は触られるのを嫌がります。(笑い)



この会にめぐり会ったおかげで、自分の両親や職場の人たちにも自信を持って言えるのでとてもよかったと思っています。
気持ちが楽です。



 上の娘がたまに落ち込んで波もあります。
たまに娘は夕食も食べない日がありますが、私もあまり詮索しないし、娘もあまり言いません。



 N.Yさん:確かに上の娘は、自分の悩みが大きくなったり、小さくなったりして決してゼロにはならないのですが、大きい悩みの時は表情を見たら、すぐに分かります。



 娘は何故落ち込んでいるのかは言いませんが、その思いを日記に書き綴っています。
私達が、娘が家にいてずっと閉じこもっていて、昼夜逆転していても何も心配していないし、それでいいと考えていると分かってくれています。



 上の娘は特に「何かをしたいけど何も出来ないの。出来ない自分が嫌だ」と今の自分を否定しているのです。
上の娘は中1から不登校でしたが、学校へ行かないことは本人も認められてきていたと私は思っていたのです。



 最近、夏合宿関連の記事も多く、新聞に載ったりしていましたが、全部肯定的な部分だけの記事ではなかったし、今日も80代の男性が広場欄に「不登校はダメだ」と投稿していました。



 鹿屋市では不登校相談員の家庭訪問制度があったり、フリースペースなども設置されたりしている等、娘の方が私達以上に情報を知っていて、「何でこんなことをするんだろうね、全然分かっていない」と言っていました。



 そういう価値観の人が多い中で自分はただ家にいるだけで、それが嫌なんだと娘は言うのです。
ずっとその状態できています。
私は不安ではないのですが、娘は不安を抱えている状態です。



―――お母さんが不安が無ければ大丈夫です。
私の娘もそうです。
不安な時は誰が来ても一切出てきません。



 でも自分の不安が少なくなれば出てきます。
それでいいし、それがいいのです。
親は手を代すことは出来ないんですね。



 今までの辛いことも否定しない、あの時があったから、今があるわけですね。
全てを受け入れるという思いがご両親にあれば大丈夫です。
これからも素敵に生きていけるのですね。
いいお話をありがとうございました。


 



8.Hさんの場合


 Hさん:29歳、26歳、21歳の3人の娘が不登校でもう12、13年になります。
 三女は、いつも「疲れた、疲れた、何かしたいのに、何も出来ない」と言い続けてきました。



 「疲れた」と娘が言うと、私は、「何かしてあげなくちゃいけないのかなあ」と思ってきました。しかし、娘は実はゆっくり何もしないで閉じこもりたかったんだと思います。その事が解かって夏合宿でもそう発言しました。



 以前は「何かちょっとしたいなあ」と三女がそぶりを見せると、私は先回りして、すぐ反応をしていました。
それで内沢さんに「人工衛星みたいに娘さんの周りをウロウロしている」と言われたこともありました。(笑い)



 夏合宿から帰ってきて、私の受け止め方に変化がありました。
三女は以前と変わらず、「疲れた、疲れた」と私に言ってくるのですが、今の私は「ああ、そう、疲れたのね」と自然に相手が出来る様になりました。



 三女は「私の性格がよくない、欠点があり、人との付き合いが下手だ」と言うことがありました。



 私は「あなたはひとりでいても寂しいと思わないし、別に友達が欲しいとか、電話してみたいとは思わないで、ひとりでゆっくりと過ごす方が好きなんでしょう」と言ったら、娘はそうなんだと言いました。
私の受け取り方が少し違ってきて、三女も今は落ち着いて生活しています。




 長女は夏合宿から帰ってきて少し落ち込んでいます。
毎晩寂しいと言ってますし、合宿に参加して刺激を受けたり、大勢の人の前で泣けたことは良かったけど、ちゃんと自分を保っていけるか不安がっています。



 「人に優しくされると自分はメロメロになってしまう」と言うものですから、「突っ張っている自分もいるし、優しくされるとメロメロになるという自分も受け入れてみたら」と言いました。
長女はあちこちに電話したり、メールを送ったりしています。



―――長女さんは、高校生の時、皆に「臭い」と言われいじめられて不登校になり、それ以来ずうっと苦しんできたんですね。



やっと合宿に参加して、1日目はほとんどホテルの部屋にこもっていて、夜中から動けるようになり、皆の前で泣いたりして2日間過ごしたのです。




 私に「合宿が終わり、みんながバスで帰っていくのを私も見送りたかったけど、ひとりホテルの玄関のガラスの内側から手を振って見送ることが出来てとてもうれしかった」と話してくださったのです。



 その後の打ち上げ会も参加出来て、自分の気持ちも話せたし、本当にはじめて皆さんと交わって楽しかったのですね。
だから自分の気持ちが寂しいと素直に出せて、よかったと思っています。



 今日、親の会へ一緒に来て、今、子どもさん達と一緒にダイエーに遊びに行っています。
 私は長女とバトルをやり続けました。
ずっと長く続きました。
その頃は、親の会には参加しないで悶々としていたのです。(笑い) 



―――21歳の三女さんは、ゆっくり家で閉じこもることが一番大切とお母さんが気付かれた事がとっても良かったですね。



 気付くのが遅くなってしまいました。



―――遅いということではないですよ。
何かしたいということは編物をしたいとか、英会話を習いたいという事ではないんですね。
夏合宿へ参加出来て良かったですね。




 はい。夏合宿で長女が私の前でさめざめと泣いてくれた事が、私にはとても嬉しかったです。
夜中から明け方まで長女の背中をさすってやりながら、「ああ、この子がやっと私の所へ来てくれた」と思って、本当にうれしかったです。




9.Eさんの場合


 Eさん:今20歳です。横浜から夏休みを利用して帰省しました。
中1の夏休みから不登校でした。



 理由はいじめでした。私は中1のはじめに横浜から鹿児島へ引越ししてきたものですから、言葉が違っていたらしく、又、私が男子と仲良くしたのがにらまれたらしいのです。



 私は小6のお正月に鹿児島へ遊びに来て、事故で片目を失明したのですが、「その目はうつる」と言われていじめられました。
そのことを話すと泣けてきます。(涙)



 自分が何故好きな横浜から鹿児島へ、しかも事故に遭った場所へ帰らなくてはいけないのか分からなかったし、嫌でした。



 何で自分はこんな苦労をしなくてはいけないのかと思ったし、目が見えないと自分のなりたかった仕事にもつけないと分かって・・・(涙)。 将来へも絶望的になって、思い出すと辛いのですが・・・。



―――最後は、お父さんもお母さんも、Eさんの立場に立ってお母さんの実の妹さんを相手にして裁判(調停)を起こしたのよね。(はい)



 お母さんの妹さんの子どもが、目を怪我させてしまったのですが、謝罪とか誠意が無かったので、お母さんもご両親のことを気遣い、実の妹さんということで悩んだけど、あなたの心や気持ちを一番大事にして、提訴に踏みきったのですね。




 はい。というか当たり前ですよね。
私は守ってくれる人は両親しかいないのですから。(涙) (本当ね)



―――裁判は4年かかったのです。
最終的には1番の要求であった謝罪文が提出されて終りました。



 今は単身赴任中のお父さんと横浜で生活していて、医療の専門学校に通っています。
就職試験にチャレンジして5次テストもクリアして内定をもらいました。
その時、私にとっても素敵なメールを送ってくれました。




 面接重視の会社で1次、2次の面接がクリアしていたので、3次の学力テストに慌てて問題集を4冊買ったのですが、余り出来なくて、結局好きな問題だけしてテストにのぞみました。



 試験場に行くと120人位いて60人となり、30人となり、30人はほとんど有名大学の4年生で短大が1人、専門学校生は私1人でとても太刀打ちできない問題でした。
しかし、3次もクリアできて、役員面接に望みました。
いろいろ怖い質問もあったけど必死で自分の思いを喋ったら、内定がもらえました。



―――何て言って思いを伝えたの?



 私は片目で義眼なので目の不自由な人の気持ちは人一倍解かるし、そのコンプレックスを個性に変えたいからと、それともう一つは、通信制高校に行ったので、いろんな年令層の人とも付き合ってきたことも私の大切な宝物になっています、是非採用してくださいと私の思いを一生懸命訴えました。



 医療ともあながち遠くは無い職種だし、目の事も勉強していたし、私はブランド品が好きだったので接客にも大いに役立ちますとアピールしました(笑い)。 
最終的に4人採用されたと思います。役員さんに一番熱心だったと誉められました。



――きっと、Eさんの「演説」が心を打ったのよね。
Eさんは事故にあって辛い体験をしたけれど、決して無駄ではなかったということですね。(はい、そうですねえ)




私が面接で話すことをまとめて母へ電話で話しても母は、余り聞いていなかったみたいです。(笑い) 



 試験どうだったという電話もかかってこないし、父も母も余り私にプレッシャーをかけないようにという配慮だったと思いますけど。(笑い)
又入社してから方向が変わるかもしれませんけど。転職もありかなと思っています。(拍手)



―――お父さんも、お母さんも親の会で長い間学んでいるから、貴女が就職してもしなくても全然動じないんだよね。



 そんなことでオタオタするようなご両親じゃなくなって、いつでもどこでもでんと構えていられるようになったということだよね。
それでかえってEさんは気持ちが楽だったんじゃないかな。
辛い時のお話をして下さってありがとうございました。




 U.Yさん:娘は大事な宝です(涙)。
辛い事もいっぱいさせてしまって(涙)、子どもの不安より、私の不安の方が大きくて、どっしり出来ない私でしたが、明るくなり、こうして親の会へも来てくれて、いい娘に育ってくれて本当に感謝しています。



 この子は我が家の不登校のパイオニアで、何も分からない私達にいっぱいいろんな事を教えてくれました。
娘の成長がこれからの私達にまた色いろ教えてくれると思うので、子どもに教えてもらいながら一緒に私達も歩いていきたいと思います。(拍手)


 



10.Tさんの場合


Tさん:20歳の長男です。中1から不登校です。
息子は父親とは口を一切きかなくなり、今にいたっています。



 中3の頃から部屋に閉じこもるようになり、私とは口をききますが、父親や弟妹とも顔をあわせようとしません。
出会わないように気をつけていて、用事がある時は階段の途中まで下りてきて、私を呼んだり、携帯で私を呼び、用事を言います。



 夜、ファミリーマートに外出する時も、居間を通らずに玄関に行けますので、顔を会わせる事はありません。
 以前は自宅の電話にかけてきていたので、たまに夫が電話に出る時もあり、2階の息子へ「お母さんは今いないよ」と言うぐらいの会話です。



 つい最近、息子が長髪を切り、丸刈りにしたのですが、夫はまだそういう姿も見ていません。
5月の連休明けの頃から「何かしたい、働きたいのだけど」と言うようになりました。
 


―――打ち上げ会の時はお父さんが参加されて、「息子とは電話で話しています」とおっしゃっていました。(笑い)



 そうですね。
今の悩みは父親と息子が口をきかないことと、弟がももう働いているのですが、「お兄ちゃんはどうしていつまでもああなのかなあ、いつになったら働くのかなあ」と思っていることですね。



―――中1の時、無理やりお父さんと担任が普段着姿のままの息子さんを車に押し込み連れて行こうとした事が原因なのでしょう。



 はい、そうですね。
息子は裸足のままで普段着姿だったので、近所の視線もあるし、制服に着替えてから学校へ連れて行きました。



 息子は仕方なく午前中はいたのですが、途中から気分が悪くなり帰って来たのです。
それ以前も、居間の隣の部屋に閉じこもっていた長男に対して、夫は「学校へ行かせろ」と毎日私に言っていたので大変でした。
その期間が結構ありました。



 県の教育センターの教育相談を受けたら、友達を毎日来させなさいとか、登校刺激をしなさいと言われて、その通りにしたら、数ヵ月後には「無理な登校刺激はしないように」と言う通知が出されました。(笑い)
 その夫もずいぶん変わりました。



―――以前不登校になって居間の隣室で閉じこもっていた息子さんに食事を運び、他の家族を拒否していた息子さんの世話をしてこられたのですね。



 中学を卒業した、そういう状態の息子さんが家を出たいということで東京のすし屋さんの住み込み職を探して、息子さんを就職させました。




 そのときは1週間で、すし屋を辞めたのですが、鹿児島には帰らず、そのまま東京のアパートに閉じこもりました。



 ご両親が帰っておいでと促して、やっと帰ってこられましたが、息子さんは「周りが嫌だし、このまま閉じこもっていたらどうにもならないし、東京へ行けば何とかなるから」とお母さんを説得し、お母さんもとうとう負けて、つい最近また東京へ行きましたね。



 はい、息子が東京へ行く時には、自分で行ってやってみないと納得しないというのもあったし、長男に10万円援助し、その枠内でやるのだったらやらせてみようと思いました。



 息子は全て自分で手配し東京へ行きウイクリ―マンションを借りて、職安へ面接に行ったり探したりしたけど、「仕事はなかった」と1週間で帰ってきました。



 行かせる前は、「内沢さんたちの言う通りだろうけど、本人が挫折しない事を願って一応行かせよう」と夫とも良く話し合いました。
しかし、帰ってきた時、「やっぱり、内沢さん達の言う通りだったわねえ」と話しました。(笑い)



―――(内沢達)お父さんは今日はいらっしゃっていませんが、昨夜はおやじの会で一緒に楽しく飲んだんですよ(笑い)。



 お父さんにうかがったところ、僕が書いた“ことわざ・格言と登校拒否、引きこもり”は読まれたとのことでしたので、今日はぜひ感想を聞かせてもらいたいと思って来たのです。(笑い)



 “ことわざ・格言と登校拒否、引きこもり”について、僕はHPの掲示板に「これは鹿児島の親の会の知恵と経験の凝縮したもの」と書きました。
 そのいくつかを紹介します。
「負けるが勝ち」です。



「負けるが勝ち」というのは、負けのように見えて、じつは相手に勝つという意味ではありません。
 子どもに降参する、負けるというのは、子どもに勝つという事ではありませんよ。
不登校や引きこもりはおかしいという偏見に勝つのであって、子どもに勝つことではありません。



Tさんの場合に限らず、子どもの問題として考えている限りはダメだと思います。
息子さん自身の課題はもちろんありますが、ご両親も辛くて「どうしてこの子は?」と見てしまうのも分かるのですが、息子さんの問題として捉えている限り、息子さんの状態は決して良くなっていきません。



 私達は、親の会で学習してきて、「問われているのは、我々大人だ、親の方だ」とだんだんわかってきました。



 「大人のほうはこんなに明るく元気に、確信を持てるようになったのに、なぜ、我が子は今でも・・・」という思いが、結構多くの方にありますね。



 なぜ、「負けるが勝ち」が親の会の経験の凝縮かというと、星ヶ峯のSさん親子の事例がわかりやすいと思います。
子どもに向かって、「君は」「お前は」ではなく、「お父さんは」「お母さんは・・」と親自身のことを一人称で話すことが大事です。



 Tさんが「子どものおかげで親が変わることが出来た」とおっしゃいましたが、本当にそうなんですね。自分のことを話すことが大切なんです。子どもと話が出来ない場合は、メモでも手紙でもいいから書くということですね。Sさんは、それをしました。



 Sさんの息子さんは昼夜逆転で、ご夫婦が仕事から帰ってきて疲れていても、息子さんは夜は元気で力があり余っています。



殴る、蹴るの家庭内暴力がすさまじくて、連日のように相談にみえたお母さんの顔は腫れ上がっていました。
家の中の物は壊れ、家の中でまっすぐなものは何一つなかったと言います。



 Sさんご夫婦は、暴力からは逃げたけど、息子さんの訴えからは逃げずに向き合って、話が出来ない状態でも、息子さんに手紙やメモを書き続けました。「あなたのおかげで、お父さん、お母さんは、いろんなことに気づき、変わることができた」などと。



 そうして、とうとうご両親の気持ちも息子さんに通じるようになりました。(10周年記念誌のなかで「やさしさはやさしさで気付く」に書かれています)。



 だから、最後は子どもが自分自身の課題に取り組んでいくのですが、それまでは親の存在、ありようがとても大切なんです。
子ども自身の課題には、本人が取り組むほかありませんが、親はその応援をすることができます。



 それは、親が子どものことを子どもに向かって話すことではなく、親自身の課題に取り組んで、その進行状況を子どもに伝えることです。
子どものことではなく、親自身が自分のことでなすべき事がまだまだあるんじゃないでしょうかというのが僕の問題提起です。




 次に
「ビリッかす、向きをかえれば先頭に」です。
不登校や引きこもりの子ども若者はビリだというのが普通の評価ですが、僕たちは違う、時代の先頭に立っているという評価をします。



 不登校については何度も耳にしてらっしゃるでしょうから、引きこもりについて少し言います。
引きこもりはおかしいという見方は、かつての貧しかった時代の社会常識にすぎません。



 昔は、貧しかったから、いい年になったら働いてもらわなくてはならなかった。
「貧乏人の子沢山」で家も狭かったので、いい年になったら家を出てもらわなくてはならなかっただけです。



 いまは、いい年になっても、働かなくても、家にいても、家族はやっていけるんです。
社会が豊かになってきていることの証です。



 そして、新しい家族のあり様、新しい個人の生き方を提示してくれているから、引きこもりも明るい話題なんです。
引きこもりの若者は時代の先頭に立っています。そんな見方ができると変わってきます。




 次に
「どちらに転んでもしめた」です。どうして学校に行けなくなったぐらいで、がっかりしちゃうのか! 元気に学校へ通っていたら、もちろんそれで大いに結構。無理して学校へ通っているのが1番だめです。



 不登校していても「不登校している自分はダメだ、引きこもっている自分はダメだ」と思っているようでは力になりません。
正しい引きこもり方をしないとダメです。



 引きこもっていたら、とてもいいことがあるんです。
学校へ行ったら行ったでいいことがありますが、行かなかったら、行かなかったでいいことがあるんです。
何事も実は気付かないだけなんです。




 22番の
「出来ないおかげで、出来もする」なんです。
不登校の子どもは学校に行くことができないのですが、行けないおかげで実は学校に行っている子どもにはできない事がたくさんできるのです。



どっちへ転んでもいいことばかりなんですが、何故か、今までの固定観念や社会常識に縛られてそういう風に考えられないのです。



 26番の「最後にだますのは自分」ということにかかわって、人間というのは一人ひとり違うようでいて違わないということを強調したいと思います。



私の妻はゴキブリと私の母、つまり姑がじつは怖いのです。
何も怖いものがないように見えるかもしれなせんが(笑い)。



 皆さん、自分が悩んでいる時は、自分ひとりが悩んでいるように思われて、何も悩みのないように見える人を見ると「あの人は力強いなあ、立派だなあ」と思うかもしれないけど、たいがい、そうではありません。
みんな違わないのです(笑い)。



 自分だけがデリケートなのではなく、他の人だって傷つきやすく結構繊細なんです。
そういうことを知ると我々はもっともっと自由に振舞えるようになると思います。



 我が子の不登校と親の会のおかげで、現在進行形ですが、私たちはほんとうに、たくさんのことを学んできました。
一月ほど前のことですが、「よもぎ亭」でチャットをしていたら、東京のある方が「私って自分がずっとない」と白状していました。



 僕はたいしたものだと思いました。
「自分がない」ということを、ちゃんと自覚しているのだから。
僕なんかは「ずっと自分がある」と思ってきていたのですが、実は、30代、40代の頃の僕は、自分を騙していただけでした。



 50を過ぎてから、ほんとうのところは、ここ2、3年です。「ようやく自分をだまさなくなったなぁ」と思うようになったのは。ついこの前までは、自分が鹿児島大学を背負っていると思っていたんですよ(笑い)。



 森田重則さんも鹿児島県の農業は自分が背負っていると思っていたんですよ(笑い)。
大丈夫なんです。
大学や農業は、そんなに簡単につぶれたりしないのですから(笑い)。



 「自分がある」と思っていた人も、じつはなかったりしているのです。
大学や農業も大事だけど、僕自身や重則さんの方がずっと大事なんです。



 親の会の資料や通信のなかでよいと思ったものは、短い言葉にまとめて家の中に貼り出してみる、なんていうのはどうでしょう。



 自分にとってよかったことは、子どもが聞いていようがいまいが声に出してみる。
夫婦で繰り返し話題にする。
声に出したり、形にしてみたり、そうした経験も親の会に持ち寄りませんか。




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Last updated: 2003.8.22
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