| 体験談
 
 2003年5月発行ニュースより。
 登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)会報NO.90
 
 登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)では、
 毎月の例会の様子をニュースとして、毎月一回発行しています。
 その中から毎月3/1から4/1程度をHPに載せています。
 
 体験談(親の会ニュース)目次はこちら
 
 
 
 
 4月例会報告
 
 
 鹿児島の親の会は毎月笑いがいっぱいなんです。
 今月も。涙あり、笑いあり、楽しくて勉強になります。ホームページでもその様子がわかります。
 
 
 
 4月の例会は、小学校の進級、卒業、入学の学校側の対応が川本さん、内木場さんのお話でよくわかりました。
 
 
 
 川本さんは昨年とは大違いで、親の会で強くなり学校にきちんと物言えたことを生き生きと話され、内木場さんは娘さんが「あしたも来てね」と毎日担任に言われ、小学校入学から学校に行くのが当たり前と縛られていく状況や、休みながら好きなときに行こうとしている息子さんを学校側が何とかして来させようとするアプローチ等、「小さな親切大きなお世話」が具体的に出されました。
 
 
 
 先月に続いて4人の当事者のお話は勉強になりました。
 Fさんは家族が自分を理解してくれるようになり、今とても幸せ、でもまだ自分を認めることができない。
 
 
 
 玲子さんが自分がこれでいいんだ認められるまでは長い年月がかかることと、辛さ、苦しさ、ストレスで子どもがどんなに揺れても「揺れがいのある親」でいてほしい。
 
 
 
 J子さんが自分の中で決着がついてないから前に進めないと話したとき、お母さんがその苦しさを代わってやることは出来ないが、黙って聞いて、どんなことでも受け止めていこうというお話は親の静かな力強さが伝わってきました。
 
 
 
 
 1.Tさんの場合
 
 2.Fさんの場合
 
 3.Jさんの場合
 
 4.Kさんの場合
 
 5.Uさんの場合
 
 6.山口さんの場合
 
 7.Sさん、Bさん、Eさんの場合
 
 
 
 ―――こんにちは。ここ2、3日夏日が続き今日も暑いですがクーラーが入りませんので我慢して頂いて、例会を始めたいと思います。
 
 
 
 
 先月の例会では、J子さんとkg君が学校に行っていた時の苦しさを、愛美ちゃんは現在のことをお話して下さって、とても参考になりました。
 
 
 
 kg君が翌日HPにカキコミをして下さいましたので、3月号の会報に掲載し紹介させて頂きました。それを読みます。
 
 
 
 
 とてもいいカキコミでしたね。
 頑張っているのにどうして学校にいけないんだろうという気持ちが丁寧に書かれていますね。
 
 
 
 そのときは気持がいっぱいで、わからなかった学校での理不尽なことが、今思えばそうだったんだなと分かってくるんですよね。
 そしてお父さん、お母さんに助けてもらえた。
 
 
 
 子ども達が一番理解してもらいたいのは、やはりお父さん、お母さんなんだと強く思い、とても勉強になりました。
 こんなふうに子どもさんから大好きですと言われて、Tさんは感動されたでしょう。
 
 
 
 Tさん(母):はい。最初、息子は読まないでと言っていましたが、読みたくてしょうがなくて…(笑い)。
 先月の親の会でも私のことを言っていたので、なんて書いているんだろうと思って…。
 
 
 
 息子が中学の時は、朝練のため6時に出かけ、夜7時に帰ってそれから塾に行って11時に帰るという生活をしていました。
 
 
 
 私は中学生活って何なんだろうか、何でこんなに頑張るんだろうと思いながら見ていました。
 今は不登校して落ち着いてはいるんですが、根本の部分ではまだまだという感じですね。
 
 
 
 息子は4月2日の誕生日に友達を呼びたいと言ったので、私達はちょっと遅く帰りました。
 皆高校に行っている友達で、息子は途中で泣き出したそうです。
 「高校に行ってないのは僕だけだ。僕はやっぱりダメなんだ」というようなことを言っていました。
 
 
 
 それをこの頃聞いて、私たちは学校に行かなくてもいいと言っているし、それを息子も分かっていると思っていたのですが、息子の気持ちの中にはそれでは駄目なんだという気持ちがあり、何でだろうと思いました。
 
 
 
 私達はもう学校のことは話しませんし、店の手伝いも息子が行きたい時に行っています。
 そういう状態で普段は落ち着いているように見えるのですが、何かきっかけがあって押さえ込んでいる気持ちが出た時には、ドキッとするようなことを言います。
 
 
 
 「以前の僕には道があったけど、今の僕には何もない。そういう所に背を向けたのは僕自身なんだけど、今僕は雑草の中にいる」と言いました。
 
 
 
 やっぱり息子はどこかで強がっているけれど、そういう話を聞きながらどうしたらいいのかなと思ってしまいます。
 息子は学校に行っていないことを気にしているのは事実ですね。
 
 
 
 ―――それはそうですね。
 以前、息子さんがお母さんに全部話した時に「そんな辛いことがあるんだったら、学校に行かなくていいんだよ」とすんなり言えました?
 
 
 
 それは言えました。
 私自身、日本の教育、特に中学生のクラブ活動に対して朝早くから夜遅くまでクラブ漬けで、記録や優勝することだけを目的にしたような練習の仕方に疑問を持っていました。
 
 
 
 そういう意味では学校がいいとは思っていませんでしたので、学校に行かないことに抵抗はなかったのです。
 
 
 
 でもそうは言っても社会的には通用しないようで、息子の同級生が遊びに来て泊まったりするんですが、息子が泊まりに行くのはダメらしいんです。
 ○○君と□□君のおばちゃんからは嫌われているからと息子が言います。
 
 
 
 息子は割と外に出て行くほうですので、世間の冷たい風に直接あたってしまうんですね。
 だから家の中だけで「いいよ」と言っていても、実際外に出てそういう壁にぶつかった時に、それをどう乗り越えて行くかなんだろうなと思いながらこの頃は見ています。
 
 
 
 ―――ご両親が「学校に行かなくても大丈夫」というお気持ちが強ければ、必ず子どもさんに伝わっていきます。
 子どもは学校に対して、ご両親が思う以上にすごく思っているんです。
 
 
 
 お父さんやお母さんが「大丈夫なんだから」と言ったって、「お父さんやお母さんは甘い。世間を知らないんだから!」といっぱしのことを言ったりしますね。
 親御さんがどれだけそこに確信を持つかということなんです。
 
 
 
 子どもがそれでいいんだとなるまでには何時間も時間がかかるわけで、現に私の娘がそうなんですから。
 
 
 
 内沢玲子さん:すごく長い年月がかかるんです。
 自分自身が学校に行かなくてもいいと思うだけでなく、何もしなくても自分が自分でいられる、そういう自分を受け入れられるまでにですね。
 
 
 
 始めから親が子どもを受け止めてくれても、そのあと自分が自分を受け入れられないんです。
 何もしていない自分はだめ、学校に行かないんだったら何か別の形で行動しなきゃと焦るんです。
 学校に行っている他の子ども達と比べてしまうんです。
 
 
 
 結局、ずっと親が「何もしないあなたでいいんだよ」というポイントに立っていたら、それは子どもにきちんと伝わってくるんですね。
 私が揺れても、親がそのポイントに立っているから、私は揺れないで済むし、揺れても必ず止まれるんです。
 
 
 
 揺れるのはストレスを発散するために揺れるんです。
 親がきちんと止まっているんだという信頼があるから、揺れがいがあるから、親に自分の気持ちを正直に言うんですね。
 
 
 
 親にどうかしてもらいたいんじゃなくて、その時の自分の苦しい気持ちを吐き出しても安心なんだというのがありますね。
 
 
 
 
 私自身も「何かしないと、自分だけが何もしていない」と思っていたんですけど、ズーッと時が経っていく中で、私自身の中で「何もしなくても、一日をボーッとしていても、仕事をしなくても、24才になってもどこかの専門学校に通わなくてもいいんだな」というのが自分の中で分かってくるんです。
 
 
 
 親がいくら理解できていても、自分がずっと理解できていないんです。
 だけど親さえ揺れずにあるがままの子どもを受け入れてくれていれば、時間が経つと必ず子どもは落ち着きます。
 
 
 
 Tさん(母):親が揺れなければいいんですが、親が揺れるんですね。(笑い)
 子どもはどこかに行きたいと思っているんじゃないかとか、ピアノを習いたいと言えば、そういうところを探さないと、とつい思ってしまいます。
 そこがまだまだですね。
 
 
 
 ―――先月、息子さんがいいことを言って下さいました。
 「お父さんとお母さんは仲が良くて、僕を置いて遊びに行く」と。
 これは大事なヒントです。だから息子さんを置いて大いに遊びに行けばいいですね。
 
 
 
 「揺れがいがある」というのは大事です。
 子どもがどんなことを言っても、ワーッと泣いても、お父さんとお母さんが受け止めてくれるから泣くわけでしょう。
 
 
 
 暴力をふるったとしても暴力をふるうほど、お父さんとお母さんはもう大丈夫だからと安心して暴力をふるって訴える訳でしょう。
 そういうふうに思ったらいいです。お父さんいかがですか?
 
 
 
 Tさん(父):実際、親の会に通うようになってから夫婦二人で出かける回数が増えましたね。
 (―――それは良かったですね)
 親も気がめいる時がありますので、「じゃあ、飲みに行こうか」と言って出かけるようになりましたので、それは良かったです。
 
 
 
 Tさん(母):この会に参加する前は子どもに悪いなと後ろ髪引かれる思いが強かったんです。
 でもこの会で夫婦二人で楽しんだらと勧められるので、そう努力しています。(笑い)
 
 
 
 
 Fさん:こんにちは。私は今22才です。
 中2の時、父の転勤で大きな学校に転校し、その大きさに圧倒されて押しつぶされそうでした。
 
 
 
 毎日行きたくないなと思う自分がいて、でもこれじゃいけないという自分もいて、行かないと勉強が遅れる、だけど行きたくないと毎日戦っていて、保健室登校もしましたがとうとう行けなくなりました。
 
 
 
 ―――その時、勧められてお母さんは吉田の教育センターなど行政の相談機関に行っていたんですね。(はい)
 
 
 
 そして何とか通信制の高校をと言われて卒業したんですね。
 そして今、お家にいらっしゃるんですね。弟さんも一緒にね。
 
 
 
 弟は中学校に1日も行かないで卒業し、4月11日に17才になりました。
 この4月からは単身赴任でずっといなかったお父さんも帰ってきて、今家族4人一緒に生活しています。
 
 
 
 私が17、8才の頃はケンケンしていて、お父さんは威圧感があってあまり居てほしくないなあという時期があったんですが、でも今はお父さんがいて、家族4人揃っていた方が私は幸せです。
 でも弟があの頃の私と同じ時期だから、お父さんとの関係が難しいですね。
 
 
 
 ―――Fさんは中学を卒業して通信制高校に行ったけれど、通信制もとても大変でしたね。
 卒業後も無理してアルバイトをしたけれど、結局すごく大変で、食事が食べれなくなったりして、今は過食状態なんですか?
 
 
 
 変な過食なんです。
 カロリーの低いもの、例えばトコロテン、コンニャクとかキャベツとかをひと玉の半分ぐらいを一気に食べたり、野菜だったらいくらでも食べれるんです。
 ドレッシングもノンオイル、マヨネーズも低カロリーのものですね。
 
 
 
 ―――食べては吐くの?
 
 
 
 
 吐きはしないんです。
 朝起きて体調がいい日は、今日は何を食べようかなと前向きに考えられるんですけど、体調が悪かったり気持ちがハイじゃない時は、「ああ、今日もまた一日が始まる、今日も食べることしか考えられないのかなあ。
 
 
 
 自分は何なんだろう。このまま一生続くのかなあ」と思ってしまい気が重いんです。
 それでも起きて動かなきゃと起きるんです。
 そして起きている間はひたすら動いているんです。
 
 
 
 弟がテレビゲームを一緒にやろうと誘うんですが、動いてないと肥るんじゃないかと不安になり座っていることが出来ないんです。
 
 
 
 動いていると安心し気分もいいんです。
 歯ブラシする時もつま先立ちやその場で足ふみなどしています。
 
 
 
 ―――さらにランニングもしているんでしょう?
 
 
 
 以前は4、5キロ走っていました。
 気力だけで走っていた時期もあったんですが、最近は体力がなくて、時間があるときはひたすらウォーキングをして、出来ない時は自転車で走っています。
 
 
 
 ―――お風呂も長い時間入っているんでしょう?
 
 
 
 とにかく運動できないとか運動が足りないときはお風呂でカロリーを消費しようとします。
 温度計を持って熱いお風呂に半分まで入って、フタをして蒸しぶろ状態にします。
 そうやって体重を落とそうとしています。最近は早くなりましたが、4時間ぐらい入っています。
 
 
 
 弟はシャワーだけなんですが、とにかくきれいずきなので6時間ぐらい入っています。
 この間、お父さんがお風呂に入ろうとしたら弟が入っていて、弟も気を利かして早く入ったんですが夜11時になっても出てこなくて、とうとうお父さんは入れなかったんです。
 それで朝入ろうとしたら、今度は私が夜中から入っていたのでまずいなと思ったんです(笑い)。
 
 
 
 以前私はお風呂に入っている時、お父さんが洗面所に立っているだけでも嫌だったんですが、今は全然気にならなくなって、「私が湯船の中につかっているから、お父さんはシャワーを使っていいよ」と言って、この前初めて一緒に入りました(笑い)。
 弟が洗面所を使っていても私は平気で入ります。
 
 
 
 ―――お母さんが以前、姉弟の仲が悪くて、それがとても辛く、お母さん自身も不安でたまらなくなっていた時に比べたら、今はすごく幸せだとおっしゃっていたのね。(そう思います) あなたも非常に辛い時期があったよね。で今は?
 
 
 
 今もやっぱり毎日のことを考えると…。とにかく体力がないので、すごく体がきついんです。
 もう少し栄養を摂って体力をつけようと思うんですけど、食べたら肥ると思うので矛盾しちゃうんです。
 
 
 
 お父さんもお母さんも、お祖父ちゃん、お祖母ちゃんも心配しています。
 冬風邪をひいた時、「あの子はあのまま死んじゃうんじゃないか」と心配していました。
 
 
 
 ―――今までのことから考えたら、今気持ちが楽になった?
 
 
 
 まだ許せていないけど、やっぱり家族といることが幸せかなと思います。以前は家族といるより友達といる方が楽しく、好きなバンドのライブに東京まで行ったりしてました。
 
 
 
 でも今は友達といるよりは家族といる方が楽しいです。
 私は余り食べないんですけど、家族揃って食事する時間がとても楽しいしホッとします。
 
 
 
 ―――以前あなたが私に、「お父さんとお母さんが私のことを理解してくれたから本当に救われた」とおっしゃっていましたね。
 親に自分の気持ちをわかってもらいたいという気持ちがあったのね。
 
 
 
 前はそういう気持ちが強かったけど、今はもう、こんな自分でも両親とも愛してくれるからほんとに幸せだなあ、こんなに分かってくれる親はいないだろうなあと思って、ほんとに分かってくれるんですよね。だから幸せだなあと思います。
 
 
 
 ―――だからもう無理してお友達と付き合う必要はないのね
 
 
 
 そうです。今は私から連絡を取らなくなりました。
 以前は友達は皆仕事しているのに、私が「今度いつ会えるの?」と、しつこいぐらい一方的に電話をしていました。
 
 
 
 ―――友達がいないとダメみたいに思っちゃうのね。
 
 
 
 そうそう。友達がいないと周りからどう見られているのかなと、それも怖かったし、一人で歩くこと自体がかっこ悪いと思っていたんです。
 
 
 
 でも今はひとりでも気にならないし、自分がどういう行動しようがどういう格好しようが気にならないです。
 前は絶対に化粧して、つけ睫までしないと出かけられない、おしゃれしないと出かけられない、髪の毛が跳ねているなどとすごく気になっていたんです。
 でも今はスッピンでも全然気にならないです。
 
 
 
 ―――よかったね。素顔になってきたね。
 本当にいいお顔していらっしゃいます。昨日から一睡もしないで来られたんですね。
 今日は是非お話をしたいと思われたんですね。(はい) それはどういうお気持ちからですか?
 
 
 
 毎日同じことの繰り返しで疲れちゃったんです。
 時が解決してくれるんじゃないかと思っていたんですね。
 
 
 
 親にも相談したりしたんですけど、やっぱり自分が動き出さないことには待っていても時間ばかりが過ぎていく、ちょっとは動き出そうと思ったんです。
 いつものマンネリした生活が嫌だったから、毎日とは違うことをしてみようかなと思ってここに参加しました。
 
 
 
 ―――今のままの自分は嫌いなの?
 
 
 
 私の中に二人の自分がいて、痩せなきゃという自分と、もういいだろうという自分がいます。
 ちょっと休みたいと思っても、それは甘えだ、もっと頑張れるはずだという自分がいて、それが常に戦っているから自分のことを好きかというと、それはまだ?マークがつくかなあ。
 
 
 
 ―――「もういいだろう。もう少しゆっくり休もうよ」という自分のほうが、これぐらい小さかったと思うのね。
 「まだまだ頑張らなくちゃ」というほうはこんなに大きかったと思うの。
 
 
 
 でも「もういいじゃないの、今のままで充分だよ、今のままの自分でいいんだよ」というFさんがきっと大きくなってくると思うの。
 
 
 
 そして今、「頑張れ、頑張れ」と言っている自分はだんだん小さくなってくると思いますね。
 それがとても大事で、一言で言ったら簡単なんだけど、「今のままでいいんだよ。キャベツばかり食べたり、コンニャクばかり食べていても、いいんだよ」ということです。
 
 
 
 ずうっと昔のことを考えてごらんなさい。踏み切りに立って「お母さん、私死にたい」と言ったこともあったでしょう。
 
 
 
 辛い時がいっぱいあったよね。でもそれでお母さんとお父さんがずっとあなたのことを見守ってくれた、あなたのことを愛してくれた。
 かけがえのない我が子だからね。
 
 
 
 それはあなたが大好きだから、そして家族の中にいることが一番幸せになってきている、友達と無理して気を使って付き合わなくたっていいとなってきている。そういうこともすごく発見してきているでしょう。
 
 
 
 長いスパンで考えたら、あなたはそれだけ自分のことを好きに好きになってきている。
 その基準が大きくなってきていると私は思いますよ。
 
 
 
 だから何か変化を求めようとか、このままではいけないというんじゃなくて、次第次第に「このままでいいんだね」となってくると思いますよ。
 お父さん、お母さんが「このままでいいんだよ」と言っても、でも自分が許さないんだよね。
 
 
 
 自分が許してくれないんですよね。
 弟も変な姉だと思っていると思うんですが、だけど弟は私のことを責めたことはないんです。
 
 
 
 私は弟のことをお母さんに愚痴ったりすることがありますが、弟はどんな時も私のことを一言も悪く言ったことは無いと言われました。
 それを聞いた時には「こんな私なのに、こんなふうに家族が接してくれているのは、すごくありがたい」と思いました。
 
 
 
 ―――だんだん「こんな私なのに」と言う言葉がなくなってくると思いますね。
 だんだん自分を好きになってきます。皆から秀でる必要はないの、でも「オンリーワン」、自分は自分なんだと、そう見れるようになります。
 
 
 
 そして大切なことは実際に家族の愛情であなたは癒されてきているということなのね。
 だから変化を求めるんだったら、月1回の親の会にお父さん、お母さんといらしたらいいですね。
 今日は少し話してみたと、それだけでもすごいことですね。心臓がドキドキしているでしょう。
 
 
 
 だいぶ落ち着いてきました。
 話すまではすごく緊張して、夕べもお父さんやお母さんに「どうしよう、すごく緊張してきた。泣いちゃうかもしれない」と言いました。
 
 
 
 でもその時はその時、流れに任そうと思って、朝になったらテンションがハイになってきて、行ってみようかなと思って来ることが出来ました。
 
 
 
 
 ―――J子さんも先月お話するのに息が止まりそうになったとおっしゃっていましたね。
 先月いいお話をして下さいましたね。自分の気持ちをどんな小さなことでもお話するということはとてもいいことですね。
 受け止めてわかってくれる相手がいるということがとても大切だと思います。
 
 
 
 J子さん:やっぱり夜になると考えるし、自分の中で決着がついていないから前に進めないんです。(涙)
 
 
 
 言葉で言えば過去という言葉になるけど、その時のことが…(涙)、どんなに自分が頑張って変わったとしても、周りの人がそう見ても、自分の中で決着がついていないからどうしても前に進めない…。(涙)
 
 
 
 ―――J子さんも文絵さんもそうですが、いじめで自分の人格を否定されるというのは、生涯にわたって大変な心の傷を負うということなのです。
 
 
 
 J子さんは「あなたは臭い」と学校中で言われて(いえ、学校中だけじゃないんです)、 その心の傷の深さというのは大変なものなんですね。
 
 
 
 7年前になりますが村方勝己君がいじめ自殺で亡くなった時、50才の方からお電話があって「いじめられたことが今でも心の深い傷になっています」とおっしゃっていました。
 
 
 
 それを癒すのは家族の愛情以外にないんですね。J子さんもお父さんとお母さんが心の支えになって下さったことは大きいですね。
 
 
 
 そう言いたいんですけれども…。
 自分の辛かった悲しい体験が心の深い傷となって、1年に1度は同じようなことを必ず話すんです。
 
 
 
 それは今さらどうにも出来ないことと分かっていても、その時はそんなに辛いと思わなかったことも、今になるとすごく辛くて悔しいんです。
 
 
 
 もっとありのままの自分でいようと思って入った高校なのに、そこで「いきがっている」と言われ、せっかく自分らしくいようと思っていたのにそれができなかったことがメチャクチャ悔しいのです。
 
 
 
 でもそのことにこだわっていたくないし、前に進みたいとも思っているし、でも最終的には憎み恨む気持ちになってしまうんです。
 
 
 
 人に対してやさしい気持ちでやっていけなくなるような、それがすごく怖くて、悔しいし、その悔しいのがどんどん膨らんでいって、憎んでしまって、どうしようもなくて、これじゃ自分でもダメになるというか、自分でも嫌いな人間になってしまう…。
 いつも夜になるとそういうことばかり考えて、前に進めない自分がとっても悔しい。(涙)
 
 
 
 ―――お母さんいかがですか?
 
 
 
 (母):そうですね。
 昔と比べると表面的にはいろんなことが平穏に流れているように見えるんですが、そんな中でワーッと湧き上がってくるようなことがこの娘もあるし、三女にもあるんです。
 
 
 
 そんな時私が黙って聞いていると、「お母さん何にも言わないの、なんか言ってよ」と言います。
 私は「ああ、そうだろうなあ」という思いのほうが強くて…、そういうのはなかなか消えないですよね(涙)。
 
 
 
 ただ、思い出す回数が減るかもしれない、思い出した時その時の感情が少しは薄らぐかもしれない、でも大抵はその時の感情がよみがえってきますよね。
 だから私は「ああ、そうだよねえ」と、ジーッと聞いていることしか出来ないなというところです。
 
 
 
 言葉では前向きにとか、人は変わるといいますが、それは急には出来ないことだし、誰も助けてあげることは出来ない訳ですよね。
 だからせいぜい傍にいて聞いてあげることぐらいかなと思っています。
 
 
 
 三女も相変わらず「疲れた」と言うので、「何もしなくていいよ、そんな焦らなくていいよ」と言うと、「お母さんは何言っているの。焦るのが当たり前でしょう」と言います。
 
 
 
 「ゆっくりでいいんじゃないの」とその程度は言いますが、私が娘に代わることはできないし、何も出来ないけれど傍にいて聞いている位ですね。
 それでも昔と比べると、「お母さんが一番にボケるんじゃないの?」と言われるくらい、のんびりとだらしなく過ごしています。
 
 
 
 ―――それが一番です。のんびりとだらしなく過ごす、そして黙って聞くこと、それがすごく大事ですね。
 
 
 
 代わってあげることは出来ないが、「胸の内を話す」相手になる、それを受け止めることがとっても大切なことですね。
 
 
 
 J子さんは今またすごく辛くなっていますね。
 「人間性を回復したい、私にやさしさがなくなってしまうことが悲しい。もっともっとやさしいのに、でもやっぱり辛さがすごく出てきてしまう」と、あなたはそういうことをほんとに真剣に考えてきて、だから辛い思いをしてもなお考えるんですよね。ありがとうございました。
 
 
 
 
 Kさん:息子は4年生に進級しました。
 2年生のとき不登校に理解を示してくれた担任が異動になり、校長からの風当たりが強くなりました。
 
 
 
 前は通知表は担任が「白紙ですが」と家へ持って来てくれて、こちらも「いいですよ」だったんですが、今回は「1日も出席せずに通知表を渡すのは特殊な例です。
 今回は校長室で校長が渡します」と言われ、私が終業式にもらいに行きました。
 根ほり葉ほり尋問されました。
 
 
 
 ―――校長室まで行かれたんですか、通知表は関係ありませんからもう要りませんと断わったらよかったでしたね。
 
 
 
 校長から話があると担任に言われ、あんまり3年の担任が頼むので行くことにしました。
 Uさんにもアドバイスをもらって、手の平にも「内沢さん」と書いてお守りみたいにして(笑い)校長と対面したら、私も言いたいことが言えました。
 
 
 
 今までは校長にはあまり言えませんでした。
 「給食だけおいで」と言われたんですが、「給食だけでも行かせません」と言いました。
 
 
 
 ―――校長は何か言いませんでいたか?
 
 
 
 はい、すごく不思議そうにしていました。
 私は「不登校はなった人にしか分からないから、先生方には分からないと思います」と言いました。
 (―――よく言えましたね)はい、手の平にお守りがありましたから。(笑い)
 
 
 
 ―――1年前は家の中に引きこもって泣く毎日だったでしょう?
 
 
 
 はい、そうでしたからとてもじゃないけど、校長に会うのも怖くて嫌だという感じでした。
 校長が「将来息子さんが家にいたら困るでしょう」と言うので、私は「まだ小さいし将来の不安もありません。
 
 
 
 親が理解をすればちゃんとやっていけます。
 親の会で勉強しているから大丈夫です」と言うと、「分かりました」ということでした。(―――それじゃ校長は何も言えませんね) 通知表をもらい、最後に新担任はまたここで紹介しますと言われました。
 
 
 
 春休みの終わりにまた校長室に行くのは嫌だなと思っていたら、親の会のSさんと焼肉屋さんでばったり会って、もうそれだけでホッとして、親の会に参加したみたいな気持ちになりパワーをもらいました。帰りがけには「明日はがんばってね」と肩をトントンと叩いて励ましてくれました。
 
 
 
 すごく吹っ切れて担任に会いに行ったときは何もなく、「登校刺激をしないで下さい」と言いました。
 1週間後またSさんと買い物で会い、「無事済みました」と報告しました(笑い)。
 その間ずっとUさんとFAXで情報交換して、何とか乗り切れました。
 
 
 
 ―――良かったですね。担任からは何もなかったんですか?
 
 
 
 担任に「給食費も学級費も全部止めて」、「学校においでと言うなら、もう家には来ないで下さい」と最初に言いましたから、今のところ何もないです。
 
 
 
 ―――お母さんが強くなりましたからね。
 学校からいろいろ言われ土足で踏み込まれてウロウロしていたときと、今とは全然違いますね。
 
 
 
 今までは嫌だけど受け入れないと仕方がないという感じでしたが、今は親の会で勉強していたので、玄関先で戸を閉めてやろうというくらいの強さが出てきました。何かあっても来月ここへ来れると思えるから、自分がデンとしていられます。
 
 
 
 先程の話と同じで私も嫁としていろいろありました。
 まだ家事を完璧にというのがありました。
 
 
 
 この間のUさんとのFAXでのやり取りの中で、夜8時なのに「まだ夕食作ってない」と書いてあって、「ああ、それでもいいんだ」と思える自分が出てきて、家事も自分に優しく、洗い物も夜つけておいて朝するということも出来るようになり、そんな自分を許せるようになりました。
 
 
 
 ―――それは良かったですね。義姉さんとの関係は如何ですか?
 
 
 
 今のところどちらからも電話のやりとりはありません。
 「ナンバーディプレイ」にして、名前を見てから電話に出るようにしましたので安心です。(笑い)
 
 
 
 先月の会報の世話人の木藤さんのお話を読んで、私ととても重なるところがあり、涙がじわじわと出て、これでいいんだと再確認しました。
 
 
 
 ―――じゃあ、ご夫婦の関係も今はいいですね?
 
 
 
 学校とのことでストレスが溜まって、夫が悪いわけではないのにいるだけでイライラしていました(笑い)。
 特に夜帰りが遅いと子どもにまであたったりして…。
 
 
 
 会報で愛美ちゃんが「私が家事をしている時、良ちゃんは寝てるんだよ」と言ってましたが、ああ私は愛美ちゃんと一緒だと思いました。
 私のイライラが夫に伝わって、今朝は洗い物を片付けてくれていました。
 まだありがとうも言ってないんですが、今日は仲がいいと思います。(笑い)
 
 
 
 
 Uさん:2月から4月にかけて、祖母が亡くなり、父の入院でバタバタし、この間に長男が小学校を卒業し中学へ入学、下の娘も小学校へ入学しました。
 
 
 
 
 長男は卒業前にマンガにハマッて古本屋さん通いをして、学校には興味がないというか気楽に過ごしていました。
 担任と私はこれまでいつも平行線だったので何も言ってこずよかったです。
 
 
 
 しかし周りの父母や子どもたちが息子と一緒に卒業したいからと声をかけてきました。
 同級生が「卒業式には出て来いよー」と言っても、息子は「別にー」、「去年卒業式はつまんなかった、出ることに意味がないから」と欠席を自分で決めました。私は担任に「私が後で卒業証書をもらいに行きます」と伝えました。
 
 
 
 当日校長室へ行くと、校長が「このままでは自立できないから、中学では頑張ってもらわないといけない」みたいなことを言いました。
 私は「大丈夫ですから」とニコニコさらっと言って、気負いもなくとても清々しく帰って来ました。
 
 
 
 息子は中学は一応行くけれど入学式は行かないと言っていたのに、マンガの区切りがついたのか、今度は面白そうだから入学式に行くと言出しました。
 当日は娘の小学入学には私が、中学には急きょ夫が付き添いました。
 
 
 
 3人子どもがいて、上の子は行きたいときに行き、真ん中の4年生の子は全く行かなくて、今度入学した下の子は最初、学校に行って楽しそうだったら行く、「私はお兄ちゃん(長男)みたいにする」と言っていました。
 
 
 
 娘は1週間は楽しく行っていましたが、今週くらいから帰ってくるときついを顔して、「私は明日も学校へ行くよ」とわざわざ玄関で言います。
 
 
 
 しばらくひざに抱っこしていたら、「お母さん、どうしてお兄ちゃん(真ん中の子)は学校に行かないの?」と言うので、「うちは学校に行きたい子は行けばいいし、行きたくない子は行かなくてもいいんだよ」と言うと、「学校と幼稚園は違うの。
 
 
 
 先生がね、学校にずっと来てねって言うんだよ。私は行きたくないの、だけど行かなくちゃいけないの」「ずっと来てね、お勉強してお兄ちゃんを追い越さないといけない」と先生から言われたことや自分の気持ちを話してくれました。
 
 
 
 先生の言葉がすごく影響して、自分だけ行かないのはいけないことだと思ったようです。
 私が「あなたがしたいようにしたらいいよ。あなたが大好きだから、無理はしないでね」と言うと、1回「今日は休む」と言って休みました。
 
 
 
 「休んだらどうなるの?」と聞いてきたとき、「どうにもならないよ」と言っていたのが分かったのか、その次休むときは「もう休むー」と気楽に休んでいます。
 
 
 
 今、長男は1日おきに行っています。
 学校に休むと伝えているのに、わざわざ担任から電話が来て「息子さんの具合はどうですか?」、「お母さん、彼も頑張っていますから! 私も気をつけますから」と小学校で不登校だった情報が伝わっているなと分かる言い方でやれやれです。
 
 
 
 また次休んだときにも電話がきたので「私はちゃんと連絡しましたが、伝わっていないですか?」と言うと、「あ、いや連絡はちゃんと来ています」と慌てていました。長男も気楽に選択しながら行っているようです。
 
 
 
 ―――何とかして学校に行かせたいと思っている親の子どもさんは、そういう学校のアプローチがあると堪らないですね。(そうですねー)。
 
 
 
 長男は学力テストで2年生のときの掛け算が出来てないからと数学の先生に呼び出されて、「この1週間で覚えてきなさい」と言われたそうです。
 
 
 
 「2年生のとき行ってなかったの?」と聞かれたので、「はい」と言ったら、「大事な生徒だから」と言ったそうです。
 私は「九九81」とだけ言っておいでと言ったのです。(笑い)
 
 
 
 ―――うちの娘は時計が全然分からなくて何時何分が分からなかったんです。
 今でも分からないかというと、ちゃんと分かるんです(笑い)。
 
 
 
 赤ん坊のときは全く髪の毛が生えてなかったんですね。
 この子は将来毛が生えるだろうかと思ったんですが、今有り余るほど毛があります。このように何にも心配要りません。
 
 
 
 そうです。私も大丈夫だよと言うんですが、教師から直接言われたので、本人はきつかったのではないかと思います。
 その日は延々と寝て、次の日も起きれなくて休みました。
 
 
 
 ―――ほんとにそういうようにして、小さい時から学校に行くのは当然という固定概念で価値観を縛っていく、それが怖いのですよね。
 
 
 
 
 山口良治さん:僕は料理は上手ですよ。(笑い)
 でも得意だったゴーヤチャンプルの作り方はもう忘れてしまいました。(笑い)
 
 
 
 今、娘と二人で暮らしています。
 皆さん親として随分、責任を感じたり、子どもから元気をもらっているというお話がでましたけど、僕は自分がいい加減だから、会報を読みながら「こんな事あったっけ?」と自分のことなのに随分忘れているのです。(笑い)
 
 
 
 山口愛美さん:大口にお祖母ちゃんと住んでいた頃は、私がお祖母ちゃんとの確執で苦しくなった時、お父さんに電話して「すぐ、帰ってきて」とSOSを出していたのは覚えているけど、お父さんとふたりで紫原に住むようになってからは、ないと思っていたので「こんなことあったけ?」と言ったのです。
 
 
 
 ―――ありましたよ。ふたりとももう忘れてるのね。(笑い)
 私に電話してきましたよ。(それくらいもう忘れているのですよ)辛かった事は忘れるよね。
 
 
 
 良治さん:自分自身はいい加減だから、あんまり娘がこうだから、どうだとは思わないしね。
 親しい他人には、娘が拒食から今過食になっていると自然に話しているし…
 
 
 
 ―――そう話した時の皆さんの反応はいかがですか?
 
 
 
 まわりの人は「ええ、そんなこともあるんですねえ。身近で」という反応です。
 僕は周りから見たら、不幸を一身に背負った父親みたいに思われて(笑い)同情を一身にかってますけど(笑い)でもこんなに明るく生きてますから。(笑い)
 
 
 
 愛美さん:良ちゃんには魚焼き器はすぐ洗ってほしいのね。
 他の茶碗はすぐ洗わなくてもいいけど、においが付くので魚焼き器だけはすぐ洗ってほしい。(笑い)
 
 
 
 良治さん:僕は部屋の掃除はするし、洗濯もするし、主夫をしているのよ。(笑い)この上、皿も洗えというの?(笑い)
 
 
 
 愛美さん:食事作りは私がしてるじゃない。(笑い)
 今日、親の会へ来たかったので、昨日は夜寝ないで起きていたのです。
 
 
 
 昼ご飯は焼きうどんにしようということで一緒に買い物に行ったのです。私は鮭のハラスも買ってきていたから、お父さんに「どっちがいい?」と聞くと「どっちでもいい」と言ったのね。
 どっちでもいいと言うのが1番困るのよ。(笑い) いつも何でもいいというのです。
 
 
 
 良治さん:作ってもらえるものには、いつも「美味しいね」と言います。
 娘は「そう言ってくれると作り甲斐があるのよ」と言います。お父さんはすごくいいお父さんです。(笑い)
 
 
 
 愛美さん:本当にまずいなんて1回も言ったことがないのね。 私は4月25日で20歳になります。
 
 
 
 ―――愛美ちゃん、もうすぐ20歳になるの! 泣きながら私の所へ電話をかけてきてから、もう4年近くになるの!
 
 
 
 早いですねえ。その後お父さんから電話がかかってきて「学校へ行かないのはもういいんです。拒食を治したいんです。鹿大に入院の予約もしているんです」と。あの時のことも忘れているでしょう?
 
 
 
 愛美さん:いや、それはふたりともはっきり覚えています。
 
 
 
 
 ―――Sさんは一度離婚されて、また夫と再婚されたわけですが、Sさんはどうして夫を受け入れようと思ったの?
 
 
 
 Sさん:Kさんご夫婦のことはずっと気になってみていました。
 当時私の周りでも夫婦の問題を抱えた人がたくさんいて別れた人もいました。
 でも夫は嫌いだけれど子どもがいるから別れられないというのが一番許せなかったです。
 
 
 
 私が夫と寄りをもどしたのは、子どもたちをひとりでは育てられなくなったという経済的理由もあったし、何よりも子どもたちがだんだん成長していって精神的にも支えられないというのが一番大きかったですね。
 
 
 
 揺れる自分、不安な自分を支えてくれる人が欲しかったんですね。
 子ども達のことを考えると誰でもいいというわけにはいかない。
 
 
 
 その中で子ども達が学校に行き渋りをはじめて、タイミングよく夫が帰ってくると言った、ずいぶん迷いましたが、結局は自分自身がどうなのか、離婚したのは望んだものではなかったので、今度は自分の意思で選ぶことができる。
 いくつかの選択肢がある中で自分自身が一番生きやすい道を取りました。
 
 
 
 今二人きりの状態が続くようになって、あの時この人を選ばなかったら、今私はこんなに落ち着いて幸せだなと思うことはなかったんじゃないかと思います。
 
 
 
 Bさん:最終的にものすごいワンマンで、自分勝手な人でも、愛情深い家庭が欲しいと思っているはずだとそれが根底にあって、だから嫌がって逃げ出すより、拾う苦労をしたいと思ってやってきました。
 
 
 
 さんざん苦労しましたが、過ぎてしまえば苦労じゃなくなるんですが、全部自分で抱えていると思っていた気がしますね。
 全部自分で抱えていると子どもが不憫でならなくて、とりあえず子どもは放って置いてと思えた頃から私が楽になれたし、多分夫も居心地がよくなったんじゃないかと思います。
 
 
 
 ―――何年も前にこの会で子どもさんが「お父さん」と呼んでくれたことがものすごく嬉しかったとお話されたことがありましたね。
 いろんなことを抱えてこられたんだとそのお話から思いました。
 
 
 
 はい、次男は話しかけられないと答えない子だったんです。
 小さい時はさえぎられるまでおしゃべりをする子どもだったのに、小2から中2までは話をしなくなりました。だから「お父さん」と言ってくれた時には、私は涙が出るくらい嬉しくてたまらなかったのに、夫はわからないんです。(笑い)
 
 
 
 夫に「聞いた?」と言ったら、「ああそうだったね」みたいな答えで、その空白の何年かの思いがこたえていないんだと思いました。
 自分が話しかけて答えがない時にかんしゃくを起こすみたいなだったので、子どもから言われたことに気づかなかったんですね。
 その1年前に次男が私に「幸せだね」と言ってくれて、それが何より嬉しかったです。
 
 
 
 話さない子は話さない子なりに、いろいろ考えているんだな、充電しているんだというのがわかります。
 
 
 
 私もKさんは何とかなりそうな気がするんですが、また考えてみてください。
 
 
 
 Eさん:私は夫とは別居しているんですが、家の場合は子どもの学校や車に関してはお金を出すんです。
 次男は亭主元気で留守がいいとよく言っていたんですが、その通りになって楽しくやっています。
 
 
 
 次男はあまり言わないんですが、頭ごなしに私に「お母さんはこうだったよね」と責めるようなことを言ったことがあります。
 
 
 
 でも親だっていろんな経験があるわけではなくて、失敗だってあるわけじゃないですか。なんでこんなに言われないといけないの、何て言い返そうかと思っていたら、「お母さん、もう時効だと思ってるんじゃないでしょうね」と言ったので、「時効だよ!よかった、よかった」と言って、それ以来何も言わなくなったんですが、いろいろ言われてもこっちも初めての経験なので対応できないわけです。
 
 
 
 親の会でいろいろ学んで、あの時あんなことをして悪かったなと思うけれど、そのときは必死だったからどうしようもないと思ってしまいます。
 
 
 
 生きているといろんなことがあって不安も出てきますが、そのときは「これをどうしたらいいと思う、意見を出してみて」と全部子どもたちに相談します。
 先が見通せないので漠然とした不安はありますが、日々の小さなことは皆で相談しながら解決してきているから、すごく不安ということはなくて結構楽しくやっています。
 
 
 
 私は夫とやり直すという気持はありません。
 私が1番いいのはこのままの状態でお金だけもらって、もし夫が先に死んだら退職金から何から全部貰ってそれが一番いいと思っています。(笑い)
 
 
 
 ―――まず、自分の気持ちがどうなのか、一番大事なことは自分を無理せず、自分を大事にするということだと思うんです。
 
 
 
 見方を変えれば、自分の人生の主人公として生きていくことができるということだと思います。
 今日結論が出るわけではありませんが、皆で知恵を出し合いながらやっていこうと思います。
 
 
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