体験談
2003年6月発行ニュースより。
登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)会報NO.91
登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)では、
毎月の例会の様子をニュースとして、毎月一回発行しています。 その中から毎月3/1から4/1程度をHPに載せています。
体験談(親の会ニュース)目次はこちら
5月例会報告
5月に親の会は15周年を迎えました。
5年前の10周年記念誌「登校拒否は明るい時代の前ぶれ」を改めて読んで、繋がりあい支えあってきているんだなと実感しました。
最初は不安だらけだったけど、年月を経て今は落ち着いて、子どもに感謝する日々になっていますね。
毎回よく出るのは「将来のことが不安」、当事者の玲子さんは「人間だから不安になるのは自然なこと」、愛美さんも「時々不安になるけど、今は気持ちが楽になって、ゆっくり過ごしている」と話しています。
10周年の時に「不安を希望にかえて」と話してくれた恵畑君もいましたね。
将来の心配より今が大事と、今を楽しく過ごしている親御さんのお話も辛かった時を経てきているだけに説得力がありました。
初めて単身赴任して家族のありがたさが身にしみたとNさん、毎日電話で心を通わせていると妻のYさん、さらに深まった家族愛に感動しました。
福岡から参加されたkg君(16歳)とご両親、「僕の目(まなざし)が良くなった」のは「もう無理をしていないから」とお話しされたお母さんの横で、さわやかな笑顔のkg君に会えるのも例会です。今月も大いに笑い、楽しく学べる会でした。
毎回確認しあっている“自分を大切に”、今号の末尾にたっちゃんの小話「自分を一番大切に「わがまま」が肝心!」を掲載しています。
あわせてお読みください。
1.親の会を呼びかけた時から15年
2.単身赴任で知った家族の愛
3.将来の不安
パート1 木藤さん 将来の不安は今を否定しているから
パート2 山口愛美さん 子どもの立場から 今ゆったりと家で
パート3 内沢玲子さん 辛かった時を否定しないで
4.自分を大切に・・・今、独身になって
5.単身赴任の夫が帰ってきて・・・
6.もう無理しなくていいんだね
親の会を呼びかけた時から15年
長谷川登喜子さん:初めの頃の自分の気持ちを話したいと思います。子どもは、今28才の娘、26才と24才の息子がいます。
24才の息子が小学3年の3学期前くらいから休むようになりました。
親が息子を受け入れられるようになるまでには、すごく時間がかかりました。
とにかく息子は自分の誕生日の12月まで「お母さん僕の誕生日まで後○○日だね」と言って過ごしていました。私は「どうしてこの子は誕生日のことを毎日言っているのかな」と思っていましたら、誕生日の翌日から息子は登校前になると「お腹が痛い!」と転げまわるようになりました。
それでも私達親は登校拒否ということが分からず学校にやっていました。
夫は「学校に行ったか」と毎日帰宅したら言い、私は学校に行かせようと必死ですから、カバンを玄関へ投げたり、息子をドアの外に出して鍵をかけたりしていました。
そのうち息子は腹痛だけではなく、人が来たら押し入れに隠れ、お風呂にもひとりで入れなくなりました。
息子の顔が能面みたいに無表情になった時に、子どもを追い詰めていることに気が付きました。
それまで内沢さんから「休ませなさい」と言われていましたが、その意味が分からなくて行かせ続けていました。
そのとき私は「学校に行かせることは子どもの命と関係してくるんだ」と分かり休ませました。
「明日から学校に行かなくてもいいよ」と言った時に、腹痛はなくなりました。
それでも子どもは「学校に行かないといけない」というのは頭の中にあって、「勉強しようかな、今日は遠足だよね。何か買って」と言ったり、運動会の時には引越しした友達の学校に見に行ったりして、学校に行かなくても1,2年は学校を引きずっていました。
子どもが学校に行こうかな、どうしようかなとなっている時でも、親は「行かなくていい」と黙って見ていました。
そうするうちに子どもも学校に行かなくていいと思うようになりました。
そう思うまでに2年ぐらいかかったと思います。親が「もうこの子の命さえあればいいんだ」と受け入れ楽になったら、子どもも楽になって強迫症状もなくなりました。
それから息子はずっと家で過ごしました。
近所の人たちにも「ただ学校に行っていないだけだから普通に接してね」と言い、普通に接してくれたこともあって、息子もおばちゃん達と話をしたりして大きくなりました。
学校に対しては中学3年までは親が表に立って、話があるときは夫婦で一緒に行きました。
学校には来ないから行かせないからということで先生達に罰則はないですからと言ってありましたので、先生達も安心して休ませていました。
中には学校に来させようとした先生もいました。
息子は「お母さん、あの手この手を使って来たよね」と言っていました。
子どもは学校の先生が訪ねて来たら「学校に来い」ということだと見抜いているんですね。
時々教師は来ていましたが、親はそれで追い詰められるということはなくて、学校と縁を切ったときに親は何も怖いものはなくなりました。
子どもを親があーしよう、こーしようといじりまわすんじゃなくて黙ってみていました。
10周年記念誌にも書いてありますが、外に出て友達から何か言われ、布団をかぶって泣いたこともありましたが、その時にもゆっくりと見ていました。
だから子どもはその時その時に自分なりに学校に行かないということを消化していき、子どもも自己否定はなかったように思います。
―――中学の時は担任もクラスも分からないままで卒業したんですよね。
はい、中学の時は校長にも1回も会ったことがありません。
2、3年は同じ担任で「家庭訪問に行きましょうか」と言われたんですが断って、1回も会ったことがありません。
「先生はクラスの40人の子ども達を見てください。うちの子は親が見ていますから心配なさらないでいいですよ」と言うと、「そうですね」と言って1回も来ませんでした。卒業式の時にも行きませんと言ったら、担任が卒業証書を持ってきました。
担任は登校拒否の子はくら〜い、青白い子と思っていたようで、息子がニコニコ受け答えして「ありがとうございます」と証書を受け取ったら、「ああ、もう少し早くくれば良かった」と言いました。
親が子どもを学校に行かせることは「子どもが命を削ることだ」、「学校に行くことより、生きていてさえくれればいい」ということが分かったら、全然怖いものはないですよね。命があれば大丈夫と思ってやってきたので私は追い込まれることはなかったです。
息子は6年間ゆっくり休んで通信制高校に行きたいと言いました。
周りは今まで学校に行っていないのに大丈夫なのかなと思ったんですが、私は息子が充分に自分のことを受け入れているということが分かっていましたので安心していました。
そこで友達も出来て「青春だね、楽しいね」というような4年間を過ごしました。通信制を卒業し、今ホテルでアルバイトをしています。
仕事のことを聞いたら「きついけど友達が一緒だから楽しいよ」と言ってくれたことが、私はいいかなと思っています。
―――こういうふうにして子どものあるがままを認めよう「ゆっくりしていていいんだよ」と、通信制に行くと言った時も「まあ待ちなさい」と言い、子どもがほんとに行きたいのかどうか、子どもが動き出すのと無理してやるのとが見極めが付いたのよね。
でも長谷川さんは働かなくちゃいけないと自分を縛って一生懸命働いて、「あなたは休まないといけないんだよ」ともうひとりの自分がささやいても気が付かないで。気が付いたらもう命が危ないという病気になってしまったんですよね。
私は子どもが学校に行かなくなって2年後にパートに行き、9年ぐらい働いていました。
リストラで人数は減らされ、そのため仕事量は増えて期日までにしないといけないと追い詰められる状態でしたが無理して行っていました。
「辞めたいな」と思ったときは体調も悪くなっていたんです。それでも無理して行っているうちに「辞めたいな」が「行かねばならぬ」という思いに変わってしまい、 朝起きれなかったり血尿が出ても、ただ疲れているからだろうなと思うだけで、「仕事に行かねばならぬ」という思いで行っていました。ある日とうとう職場で意識がなくなり倒れてしまいました。
倒れた時にもう自分はダメだと思いました。
昨日「ドクハラ」というのをテレビでやっていましたが「ああ、私も最初それだったんだ」と思いました。
入院した病院で「あなたは白血病です。もうひとつは薬害エイズです」と言われました。
私はそれを聞いて「もう自分の命はないじゃないか」と思って気を失い、気が付いたのは2、3日後でした。
学校と同じだなと思いました。「辞めたいな」は「休みたいな」、「行きたくないな」は「行かねばならぬ」と思い、子どもが青い顔をして学校に行くのと全く同じだと思いました。
子どもが学校に行く時にいろんな強迫行動を出したり、青白い顔や無表情になったりしますが、そういうのは親が学校に行かせようと一生懸命なると見えなくなります。
私が行かねばならぬといって、倒れてもう命も危ないと言われたときに、「私は登校拒否の子どもと同じことをやったなあ。
これだけ分かっているつもりが長い間登校拒否の会で追い詰めないと学びながら、自分を追い詰めていたということが分かって、ああ、親が行かせることは大事な命にかかわることなんだ」と自分の身をもって体験しました。
子どもが「行けない」のが「行かねばならない」となった時は、もう崖淵に立っているんだな、いつ飛び込んでもおかしくないぐらいの状況なんだなということが、私の病気を通して分かったことです。
―――エイズでも白血病でもなかったんですね。
そうです。溶血性貧血でした。体が疲れたり、凝っているのを薬で治そうと強い痛み止めを1日2錠までのものを4錠飲んだり、だるいのを早く治めたいと風邪薬やいろんな薬を飲んだ結果の溶血性貧血でした。94日入院しました。
―――私は長谷川さんの話を聴いていて思うんですが、登校拒否の会というのは子どもをどうかしようと思って最初は参加するんですが、気が付くと、自分の生き方、自分の人生をどうやって生きるかということなんですね。
私達の会は子どもをどうかするんじゃなくて、自分はどう生きるのか、自分をどうやって大切にして生きるのかということですね。
あなたは自分を大事にして生きていますかと聞くと、「夫のため、我が子のため、姑に仕えて」とか、「朝から晩まで働いて気が付いたら体が疲れていた」ということがあって、結果的にはイライラして家族にあたったりということがあるんですね。
でも次第に自分が自分の人生の主人公として生きていくということを子どもから学ぶんですね。
子どもはどんなことがあったって命がけで学校を休む。
私はたいしたものだと思います。そういうふうに身体を張って休む、自分を大切にしていますよね。
そのことを長谷川さんは15年の月日を通して身をもって体験されたんですね。とっても大切なお話をありがとうございました。
単身赴任で知った家族の愛
Nさん(父):18才と15才の娘が家で過ごしています。
私は今年正月以来の参加をさせていただきました。
私は4月から川内に転勤になり単身赴任することになりました。
引越しの日は家族で行って、娘二人が1週間残ってくれて、父娘3人妻無しの生活をしました(笑い)。
学校に行っている時期なのですが、家にいるおかげで二人残ってくれて洗濯したりご飯を作ってくれて、不登校の子がいてよかったなと思いました。
長女がコインランドリーに行って洗濯してくれたんですが、以前は家から出れなかった子が不特定多数の人が集まるコインランドリーにひとりで行ってくれた、それだけでも感激しました。
普通の人から見たら当たり前なんでしょうけれど、違和感なくやってくれたというのが嬉しいでした。
私は土、日は家に帰っていますが、毎晩のように妻からも電話がかかってくるんです。
結婚して初めての単身赴任でしたのですごくホームシックになりました(笑い)。
家族がもうほんとに恋しくてですね。帰りたくて帰りたくて…。
こげんやっせん坊だったかな(こんなにも自分はしっかりしてなかったのか)と思いました(笑い)。
家族がいるというのは当たり前みたいに思っていたんですけど、離れてみたらすごくいいんだなと思って、こんなに妻や子どもに会いたいと思ったのは初めてでした。(―――よかったでしたねえ)
また慣れたら分からないですけど(笑い)。家族がすごく大事だと分かりました。
この前も皆で来て帰るときに、「身体に気をつけてね」と妻や娘達の手紙が置いてありました。
それで子どもみたいに仕事を辞める勇気もないのですが(笑い)、家族を守らんといかんなというのを実感しました。
くじけそうな時が多かったんですが、家族がいれば大丈夫だなと感じました。
妻が「お父さん家族がいるんだからね。いつでも辞めていいんだから、心配しなくていいんだよ」と言ってくれました。
子ども達も同じことを言いました。だからそういう面では子どもがいろいろ教えてくれたと思い、不登校になっていなかったらこういう機会はなかったと思います。ありがたいなと思っています。
―――1月にいらした時、「娘が、私は好きなことをしているからお父さんも好きなことをしなさいと言ってくれたので、好きなことをやっています」とおっしゃっていました。
今単身赴任してみて、好きなことって家族がいるから出来るんだなあって思われたでしょうね。
言われる通りですね。
飲みに行ってもゴルフに行っても、帰ってきたら家族がいましたから、安心して遊べていたんですね。
趣味の世界にしても自分の時間を作って没頭できたというのがあったんですけど、家族がいるから出来たので、逆に家族がいないと時間はあるんですけどなぜかつまらないんです。そういうのを初めて感じました。
Nさん(母):4月から初めて夫が単身生活をし、先程話したように不安を抱え、私も体調が以前からすぐれず落ち込んだり、元気になったりの繰り返しなんですが、さらに夫の転勤でストレスを抱えたいへんでした。
親のほうが不安定でしたが、それを子ども達に支えられて、夫と同じように家族のありがたさを感じ、自分を大切にしたいということをつくづく感じています。
将来の不安
パート1 木藤さん 将来の不安は今を否定しているから
パート2 山口愛美さん 子どもの立場から 今ゆったりと家で
パート3 内沢玲子さん 辛かった時を否定しないで
木藤:我が家は長男22歳、次男21歳です。
長男は中2から不登校で、今も家にいます。次男は高2で中退しました。
ふたり一緒に大検を取り、翌年大学受験して次男は喜んで東京の大学へ行きました。
長男はまあ試しにやってみようと受験したら合格しました。行く行かないは本人に任せたら、やっぱり行かないと、そのまま家で生活してます。
今のお話のテーマが、私が息子の将来に不安かどうかということですけど、我が家も不登校になって10年家で一緒に過ごしています。
最初は家から一歩も出れない、電話も取れない、自分はだめだだめだと言って机に落書きしたりして自己否定を続ける状況でした。
それから徐々に買物をしたり、家ではインターネットで自分でかなりの情報を集めたり、新聞も隅から隅まで読んで、いろんな情報豊かになり、家族の一番の情報通です。
今まではあまり話しかけてくる子ではなかったんですが、最近良く話しかけてきて、いろんなことを知ってるなと思うし、やりたいことは自分でとことんやっています。
ですから私は息子の将来は何も不安ではありません。
むしろ今そういう感じで落ち着いて一緒に過ごしていることに感謝しています。
そんな感じで生活していて、自分でこれでいいんだと思ったときに動き出すと思うので、毎日楽しく生活しているんです。
自分に自信がないと自分を持って外に出て行けないんじゃないかと思います。
子どもが自己否定しているままで、親が何かさせようとしても、決して良いことではありません。
親が子どもの将来の段取りをすることは出来ないんです。子どもは自分で自分の将来を決めていくんだと思います。
―――1番大切なことは、今の生活が楽しいと思っていることですね。
子どもが家にいるのが楽しいと。私のうちは24歳の娘の玲子と夫と犬のコナンの生活です。
この現在の生活が楽しいね、楽しいねと暮らしています。私が出かけるときは娘がいつも留守番をしてくれるので楽で助かってます。
子どもの立場で愛美さんいかがです?
高校を中退して現在20歳になりましたね。愛美さんは高校を卒業しなければ将来が真っ暗だと思っていたときがありましたよね。
山口愛美さん(20歳):はい。「ああどうなるんだろう」と思うときもあるけど、結局なるようにしかならないなと思えるようになりました。
たまに不安になることもあるけど、前ほど深刻ではなく、ゆったり過ごしてます。
―――お祖母ちゃんと一緒に暮らしていたとき、一番大変だったのは学校との問題よりもお祖母ちゃんとの関係でしたよね。
そうなんですけど、やっぱり学校のことも大きかったんだなと思ったのは、お祖母ちゃんと離れて暮らすようになって、お祖母ちゃんのことがなくなると、今度は学校に行ってる夢を見て、それが嫌で嫌で堪らなくて「ウワッ」と起きてしまうことがずっと続いたときがありました。
お祖母ちゃんといるときはお祖母ちゃんとの対立が大きく、学校のことは構っておれなくて、離れたらずっと不安に思っていたことが頭をもたげてきたんだなと後で思いました。
―――学校に行かないことを受け入れてもらいたいと思って、こんなに私は辛いのよと食事もしなくなって、もっと痩せなくちゃもっと痩せなくちゃと、食べて吐いて、吐いて食べるを繰り返していたのよね。今はどうですか?
さっきまでしてましたという感じです(笑い)。
ちょっと寝て起きてまだ胃のところが消化不良見たいな感じで来ました。
前は痩せなきゃいけないというのがものすごく大きくて、食べてる途中で太ってしまうと思ったらもうだめ、ここから食べないで吐く、という感じでした。
今は痩せなきゃいけないという思いが薄れてきたので、気がすむまでもう今日は食べられないというところまで食べてしまい、これはいいのか悪いのか分かりません。
心が軽くなったのはいいことなんですが、胃の状態はよくないです。
好きに生活しているから、だんだん夜起きるようになって、それから買物に行って食事を作るんです。
お父さんが帰って来てから買物に行くことになり、私には都合がいいんですが、お父さんは疲れています。
山口良治さん:だんだん元気を吸い取られています(笑い)。
娘がひとりで行くと結構坂道がきつくて疲れるんじゃないかと思い、ふたりで買い物に行きます。
まあ、あれくらいはいい運動になると思ってもいるんですが。(笑い)
愛美さん:(―――そのときが愛美ちゃんの朝なんだね)そうです。
買物に行ってご飯作って、食べて吐いて食べて吐いて、絵を描きながらちょこちょこ食べて吐いて、朝までやっているような生活です。
この間私が朝までパソコンをやっていたら、お父さんが起きてきて突然抱きしめられました。
どうしたのかと聞くと、私が落ち着いて感情がむき出しにならなくなってきたのが嬉しいみたいなことを言うので、(父:いやただ抱きつきたかっただけなんです。)(笑い)
ああそうなんだなと、そしたら穏やかなときはよくて、私が辛くてわっさわっさやっているときはよくなかったのかということになって、波乱万丈を避け、穏やかな日々を喜ぶのはちょっと年をとってきたからではないかという意地悪を言ってみたりしたんです。
―――じゃあ、今はお父さんがお仕事に行っても心配するようなことはないんですね。
良治さん:将来のことで心配がないかと言われると、それはどうにもならないというか、俺が死んだ後は自分でなんとかするだろうくらいで、生きてる間はいくらでも助けられるけど、それができないときはふたりで野垂れ死にします。(笑い)
―――愛美ちゃんは今元気でそうやって話してますけど、初めて会ったときの首の細さは私の半分しかなかったですね。
愛美さん:あの時の体重は31キロしかなくて、今10キロも増えて困っています。
皆から見るとちょうどいいけど、許せない許せないと言ってやってきて。だんだんこう太くなったなと思って。
―――あのときは生きてるか死んでるか分からなかったよね。
だけどもそのときの辛さに比べて、食べて吐いて忙しいけど楽になったね。
だいぶ楽になった。一番痩せてたときはお祖母ちゃんが大きな存在でした。
最初は将来の心配から始まったんだけど、だんだんお祖母ちゃんのことになって、お祖母ちゃんの心配がなくなったらまた将来の心配になり、まあ考えてもしようがないかと思って、だんだん自分の今を受け入れるようになり現在に至っています。
内沢玲子さん(24歳):将来のことは何も考えてないから、何をしゃべったらいいのか(笑い)。
やっぱり過去のことを考えたとき、今も波があって感情の起伏が激しいときもあります。
高校時代は自分に無理してすごく心に嘘をついて、本当は疲れているのに行かないといけないと思って、無理矢理自分を騙して行かせていました。
そのときは辛かったけど、今はこのままでいいんだと自分で自分を受け入れられるようになって楽になってきたんです。
今振り返ってみて、過去のどれをとっても自分の中で無意味な体験はなかったなと思います。
その渦中ではなんて自分だけこんな不幸な目に合わないといけないのかと思うけど、それがあったからこそ自分の今があると思う。
今こういうふうにしてゆっくりと何もしないで自分のあるがままを受け入れてのんびり出来るのも、それがあったからだと思う。
私がこういう引きこもりをしなくて、他の人と同じ人生を送っていたら、こういう考えに出会えなかったし、疲れたときは立ち止ったり、分からなくなったら逆戻りしたっていいし、立ち止っていくらでも休んでいいとは思えなかった、こういうふうには考えなかったと思います。
大変なことがあったけどそれで良かった、お陰で今の人生がすばらしいなと思えます。
将来のことを考えると不安になるけど、不安になったら「よもぎ亭」(ホームページのチャットルーム)に行って、「なおぶーちゃん」に愚痴をぶつけたりするんです。
不安になるのは人間として自然なことだと思うし、人間だからこそ不安になる。
感情の起伏があり波があって、毎日いつもいつもハッピーではない。
もし親の会の方も不安なときはよもぎ亭に遊びにきてね(笑い)。
毎週土曜日は新チャットルームで「飲み会チャットルーム」をやってますので。(笑い)
Sさん:玲子さんは小学1年生のとき箸を忘れて、給食を手づかみで食べさせらたことがありましたよね。
玲子さん:私はそれは覚えていません。
何がきっかけでこんなになったのかというと、ずっと無理して頑張ってきたのが積み重なって、ある日パワーが切れて一歩も外に出れなくなったんです。
私の場合は高校1年から6年間自分を騙して頑張ってきたんです。
パワーがなくなってマイナスになっても無理したんです。
今Sさんの息子さんも不安を出して引きこもっているということは、当たり前だし、自然でいいことだと思います。
自分を大切に・・・今、独身になって
Hさん(母):最初から別れた夫との間ではいろいろありましたが、最終的に夫が息子を受け入れないことが分かったときに、夫と離婚しようと思いました。
そこにたどり着くまでには、「息子をわかってほしい」と10年間いろいろやってみました。
―――息子さんは幼稚園から行きたくないというのをお母さんは無理矢理行かせ続けたんですよね。
はい。私はやはり将来のことを考えて、男の子は大学に行って良い就職をしてほしいと考えていました。
中2からどうしても行けなくなりました。
閉じこもってしまい、私は引っ張り出そうとしたんですが、夫は殆ど関わってくれず、頼んだらかえって叩いたりしてこじれ、これではいけないなと思いました。
そのうちもうどういうことが起きてもいい、私が子どもを受け入れ私ひとりで育てるしかないというところまでいき、自分の人生を生きたいと思うようになりました。でも経済的にひとりではとても生活出来ないと思っていました。
しかし、子どもがこうなった以上はお金よりも子どもが大切だし、私の人生は何なんだという思いが強くなって、私は最初から自分の人生をやり直そうと決めました。
子どもと楽しい生活をしながら自分の人生を取り戻す生活が出来るんではないか、お金のことは二の次にして踏み出したいという「時」が来ました。
その時が来なければふんぎりが付かなかったと思います。
あのときは息子が閉じこもり、離婚してから非行に走ったり、いろんなことが次々とありましたが全然後悔はしていません。
私は経済的苦労がありますが、今ひとりでいることがとても楽しいです。
久し振りに会った知人が、離婚して苦労してぼろぼろになってみすぼらしい身なりをしていると思っていたのか、なんていきいき元気な顔になっているんだろうと言ってくれました。
私自身も将来こんなことをやりたいという夢が今たくさんありますし、与えられた人生を楽しく生きて行きたいと思っています。
好きなことを実現する苦労は楽しいですね。息子はお前の人生はもうないなんて言いますけどね。
19歳なんですが、先月今三重県へ働きに行ってると言ったばかりなのに、もう1週間で帰ってきました。
(―――前回は名古屋へ行って2日で帰ってきたのに、今回は1週間ですか)
今回は高熱が出ても頑張って仕事に行ったらしく、そのときミスをして辞めさせられたんです。
20分も叱られて「もうお前なんか来なくていい」と言われたそうで、本人は「スミマセン、スミマセン、働かせてください」と何度も頼んだのにだめで、「今度帰ってくるときは寂しかった、もっともっと働きたかった」と言いました。
帰ってきてカーテンを閉めて閉じこもっていたのが、1週間前からカーテンも開け、今は友人のお店で夜バイトをしてるようです。
―――先月のお話では息子さんが何年間も閉じこもっていたとおっしゃていましたが?
閉じこもりがありました。
息子は不登校し、せっかく閉じこもっていたんですが、両親が離婚し引越しとなり、その部屋のドアをこじ開け引っぱり出したんです。
引越して居場所がなくなり、居場所を求めて深夜徘徊をし、それから非行に走りました。
ですから別れたことによって息子の非行が始まりました。(―――タバコの火を押し付けられたりしてね)はい、今その火傷の後がすごいケロイドになっています。
―――前は話しかけると「うるせーが!」と言って会話が成立しなかったんでしたが今はどうですか?
今はやや減って会話が出来るようになり話もしてくれるんですが、機嫌が良いときと悪いときがあり、私の言うことを受け入れるときと受け入れないときがあります。
比較的お兄ちゃんになったんだなあと思わせるときもあります。
この間アルバイトに送っていく車の中で、私が「将来は自分が好きなことが出来るようになったらいいね」と言うと、将来のことは考えてないらしく「食べられなくなったら、悪いことをして刑務所に入ればいつだって食べられるよ」と心配してると思うんですが、それを私に見せないで空威張りしています。
今は静かに見守っていこうと思っています。
―――それでも、息子さんはあなたのところに帰ってきたんですからね。
「帰ってくる」と電話があったときは、「わあ帰って来るんだ」「また試練が始まる、大変だな自由がなくなる」と思ったんですが(笑い)、やっぱり私のところが一番いいんだな、こんな狭いところでも私のところに帰ってくるんだなと、いつまでも私にくっついてくるこの子は愛しいな、大切にしないといけないなと次の日に心を入れ替えました。でも自由がなくなるなと思っています。(笑い)
―――前は息子さんの顔色を見て、急いで食事の支度をしたりしていましたが、今はどうですか?
ややなくなりましたが、家にいるときは出来るだけ支度をしています。
食事の支度をして「お母さんは出かけるから」と言っても、前は「何でよ!」と言っていましたが、今は「うん」と言います。でも今私も好きなことをやっています。
単身赴任の夫が帰ってきて・・・
Aさん(母):22歳の娘と4月に17歳になったばかりの息子がいます。先月は娘と夫が参加しました。
3,4月はとても落ち込み、内沢さんへ相談の電話をしました。
3月に今まで単身赴任で6年間家にいなかった夫の異動が決まりました。
私は今までひとりで子どもたちのことを抱えていましたが、今度夫が帰って来たら半分になるので良かったと思い、そのことを内沢さんと話して確信しました。
内沢さんに「それは良かったね」と言われ、私もそうなることを期待していました。
息子は99年の12月に娘とイザコザがあり、1月に病院へ行ったきりずっと閉じこもって玄関から1歩も出ていません。
2年くらい前から普通に話が出来るようになりました。
今は姉弟仲が良いんですが、お父さんがいないときに息子が「おじさん(お父さんをこう呼び、お母さんはあんたと言います。)(笑い)はどうしてああなのかな、あの人とは一緒に生活できない」「根本的に合わない」と言いました。
息子は夫の異動が分かった時点で「困った、おじさんはどうして帰って来るの」と言うので、「定年までは帰って来ない予定が急に帰ってくるとことになり、動揺するんだよね」と言うと、「うん」とは言ったんですが、息子はすごくピリピリなってもう死んでしまうかもしれないというくらいの強迫症状が出てきました。
息子がそんな状況なので、夫の引越しの手伝いも2泊の予定も1泊だけで済まし、息子が父親の荷物も運び込まないでくれと言ったので、主だったものは実家に置き、布団と着替えを子どもたちが寝ている間にさっと入れてしまい、何事もなかったようにしていました。
そしたら後で息子が掃除機をかけてから荷解きをしたかと言いました。
一緒の生活になって息子は、夫の職場の飲み会も「早く帰って来い」と言い、自分がトイレの時間に洗面所が重なると掃除機はかけられないからと言いました。
とにかく洗面所とトイレには掃除機をかけてから入っています。お風呂は1年中シャワーです。
夫が残業のときも帰りを待っていて、自分がトイレに入るから、その間にさっと風呂に入ってくれと言いました。
私にも「お腹が痛いので食事を早くして、トイレにいきたいから」と言いましたので、私もイライラして「あなたがお腹が痛くてトイレに入りたいというのは誰もわからないよ、それをいちいち言ってもどうしようもないよ」、「体の状態が悪いのは悪いでいいけど、あなたの体の症状で皆が振り回されるのは嫌だ」と言いました。
息子はトイレにいったらシャワーを浴びると決めていて、例えば1日に2回お腹が痛くなってもトイレに行くのを我慢するんですね。
そんな状態ですからひとりでトイレと洗面所とお風呂で10時間くらい使っています。
前回娘が話したように、夜中は息子が、朝方は娘が使い、父親は洗面所で次の日髪を洗うというような状況なんです。
前もって引っ越しのとき夫に、おそらく一緒に暮らしたらすっごくきつい状態になるだろうけど、そこから逃げ出すかどうかはあなた自身が決めたらいいと言っておきました。
一昨日夫に「私は息子が掃除機をかけてというのを聞くと悲鳴を上げて逃げ出したくなるけど、お父さんはどう?」と聞いたら、「俺は不自由と言えば不自由だけど、そこまでは感じない」と言いました。
―――お父さんの歩いた後を掃除機をかけて歩くのですか?
まあ、そういう感じです。
息子が掃除機をかけた後に、お父さんが知らないで入ってしまったことがあったんです。
そしたら息子は怒ってドアをバーンとやってしまいました。そのときお父さんは黙って静かにしてたんです。
―――それでもお父さんは「不自由と言えば不自由だけど、逃げ出したりはしないよ」とおっしゃってくれたんですね。(はい、そんな感じです)
以前の家族関係に較べたら今はずっと気持ちが楽になっていると思っておられるんですよね。
はい。でも夫はパチンコで負けたときにイライラして不機嫌になります。
私は「自分でストレス解消したのに、どうして不愉快な顔をしてるの。
皆が不愉快になるよ」と言ったら、娘も「お父さんは不満がある顔をしている」と言いました。
本人は何にもないと言うんですが、自分では気づかないんだと思います。
子どもたちは自分たちが原因でお父さんが不機嫌になるのではないかと気兼ねしてます。
でも子どもたちはふたりとも父親に対して行儀が悪いとか、嫌なところを言ってきますが、それに対して夫は何も言い返さないので、私たちは腹が立つんです。
昨夜は初めて息子が夫に直接「なんのために結婚したの?」と聞いていました。
私は「好きだったから結婚した」という答えを期待していたんですが(笑い)、夫は「結婚に夢や希望があり、幸せになりたかった」と言いました。
息子が「自分たちを生んだのは間違いだったのに、どうして子どもをつくったの?」と聞くと、夫は「だって結婚したからこそ、こんな可愛い子がふたりも生まれたじゃない」と言いました。
そのとき夫も子どもたちが可愛いと思っているんだなと分かって嬉しかったんです。
―――たいしたもんですね。
あなたは自分のことを好きだったから結婚したんだということは言ってもらえなかったけれど、あなたたちみたいな可愛い子が生まれたじゃないかとね。
6年間も単身赴任してやっと帰ってこられ、そうやって風呂やトイレに行くのが不自由だけれども、その生活はちっとも逃げ出したいとは思わないよ。
ただ不機嫌になるのはパチンコで負けたときだけよと。(笑い)
―――(内沢達)今のお話は半分くらいはおのろけみたいなもんです(笑い)。
お父さんに求めるべきは笑顔じゃないです。笑顔はあった方がいいですけど、パチンコ負けたときは仕方がないですよ。
人間だもの。お父さんに期待すべきは表情一般ではなくて、むしろ先ほど言われた「言い返してほしい」という点で、言い返すべきところはそんなところではなくて、笑顔がないとか、喋らないというのは個性なんですから。
お父さんが遠慮をしたらいけないということなんです。
息子さんやお姉ちゃんに対して、お父さんが「いつお風呂に入る時間があるんだ、俺のことも考えろ、もっと短くしろ」とこのくらい言えるようになったらいいですね。
お父さんに求めることはそこですよね。今おっしゃった一言でお父さんが子どもさんをとっても愛している、可愛がっていることが重々分かってるわけですから。
それに前回の感じでも子どもさんがおかしいと全然思ってないんですね。だったら遠慮は要らないんですよ。
夫は単身赴任先から帰ってきたとき、「自分に気を使わなくていいから、今まで通りあなたたちは自分のペースで生活しなさい」と言いました。
―――(内沢達)それはいいことですね。
―――でもね、キャラクターというのがあると思うよ。ずっとそういう無口な性格なんだよね。それでいいとご本人が言ってるんだから。
―――(内沢達)そこはいいんです。
お父さんが笑顔を持つとか、喋るようになるとかそれはキャラクターなんです。
ポイントがどこにあるかということで、ご本人が答えを出しているならそれでいいんですけど、僕の印象は今のお話を聞いていて、お父さんに対する期待が別のところにいっているんじゃないかと思ったものですから。
焦点がボケているんではないかというのが、僕の印象です。
笑顔とか一般的に言い返さないとかはそれはお父さんの個性ですから、それはそのままでいいんです。
ぶすっとしてたって構わないんです。
でも、息子さんのシャワーの使い過ぎで他の家族の人が困っているとしたら、そこで息子さんのそのままの状態をお父さんが認めていたとしたら、本当に息子さんを尊重したことにならない、息子さんの言いなりになっていることです。
そこははっきりとお父さんは自分で声を出さないといけない。そこを遠慮していたらお父さんのキャラクターの問題ではないんですね。
本当のところ息子さんを認めていない。やっぱり何か腫れ物に触るみたいな感じがとても現れているとしたら。(そうですね)
―――お父さんは長い間家にいらっしゃらなかったので、居場所がないんです。
お父さんがパチンコに負けてイライラしてるんだけど、子どもさんたちは子どもさんなりにお父さんに遠慮しておられる。
でも嫌なところは嫌と掃除機をかけたりしているんですね。
うちの娘も夫の後は風呂は入りませんよ。
一番が私、二番が娘、最後に入って綺麗に掃除をして出てくるのが夫です(笑い)。
だいたい父親というのはそういうもんです(大笑い)。
遠慮しいしいするというのがお父さんにあるとそれは違ってきますけどね。
もう無理しなくていいんだね
Tさん(母):いつもここにきて皆さんのお話を聞きながら、自分の子どものことや自分の状態を重ねています。
日々暮らしているとわからないんですけれども、皆さんのお話を聞いて、ああ、私はいまこうなんじゃないかと、そういうことを感じながら今日もお話を聞いてました。
私自身が前よりずいぶん落着いたというのがありますね。
前はすごく不安感がありました。今日息子が、「お母さん僕の眼が良くなったろ?」と聞くので、「いや、よくなったというか、前のもともとのあなたの眼だね」と言うと、「そうね、僕、今無理してないから」と言ったんです。なんかそういうの聞いたら、ああうれしいなと思います。
―――ああ、それはいい。今無理してないの? かっこいいねえ。髪も染めて。
出てくる毛が全部黒だもんね。おばさんは全部白だからね。(笑い) すごくうらやましい。
じゃあ今無理しないんでいるんだ。(はい) 無理しないってことがとっても大事だよね。自分を大事にすることがね。
お父さんとお母さんは相変わらず仲がいい?(うなずく)(笑い) 今日は遠いところありがとうございました。
それでは5月の例会はこれで終わらせていただきます。どうもありがとうございました。
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