登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島) 登校拒否も引きこもりも明るい話


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体験談

2004年2月発行ニュースより。
登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)会報NO.98


登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)では、
毎月の例会の様子をニュースとして、毎月一回発行しています。
その中から毎月3/1から4/1程度をHPに載せています。


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1月例会・新年会報告

 「お互いの悩みを解消することなく、それをあるがままに受け入れていく楽しい一年でありますように!
 Mさんの乾杯の言葉です。


 「苦しい時もあったけど、今はそれをちょっと忘れて生活できる。普段は忘れているけれど、こういう時に思い出す・・・」(山口さん)


 「子どもたちの話す言葉の中に、ああ、この子たちは自分で生きていけるんだと確信を私に与えてくれる」(Bさん)・・・。

 お一人お一人のお話にとても感動しました。





―――内沢朋子(世話人):1年間あっという間に過ぎて、今年は親の会15周年を迎える年になりました。
 

 この15年を振り返って、お一人お一人のお顔が違うように、一人一人がそれぞれ個性ある豊かな人生を築いておられるんじゃないか、一人一人の人生の中に大変大きな宝物があるんじゃないかと私は思っています。



 我が子が不登校や、引きこもり、過食・拒食になったりと、思ってもみない出来事に遭遇して、大変だという思いを抱えていても、でもその時こそ人生の絶好のチャンスだと、そういうふうに私たちは受け止めてきました。



 その試練を乗り越えた時に、初めて私たちの人生は自分で作る人生になるんだ、自分が人生の主人公になるんだ、ということを私たちはこの親の会で学んできたんじゃないかと思います。


幸せは自分が作るものじゃないかと思います。



 年末にKさんからこんなメールが届きました。
 「親の会にかかわって4年3ヶ月が過ぎました。最初の頃毎回涙を流していたのが、今では懐かしく思い出されます。


毎回参加するたびに少しずつ力強い親になっていました。
人生は決して1つの生き方だけではない!
子ども達から教えてもらった大きな財産です。自分を大事に!をモットウに生きていきたい…」。


 そしてKさんはたくさんの趣味をお持ちで、「やっと心のOKのサインをだしてミシンを出すことができた、もう大丈夫」。
 彼女が涙に明け暮れた日々を私は見てきているだけに、本当にうれしく思いました。



 昨年の12月の会報の中から、例えば森田淳子さんが松山に一人で旅行に行って、
本当にこんな日がくるなんて考えられなかった」と。
森田重則さんはいいことおっしゃいましたね、
家族のために仕事をしているんじゃなくて、家族がいるから仕事ができるんだ」と。



 年が明けてUさんからお電話がありました。
1月4日の日に当時小学校6年生の娘のえりちゃんが事故で片目を失明しました。
 裁判をやったり、大変な思いをしてきたわけですが、
そのえりちゃんから泣きながらお母さんに電話がかかってきました。


 「1月4日の事故の日は毎年嫌な日でとても辛かったけれど、これからは両親に感謝する日にしたいの」とお母さんに言ったんですね。
 そういう話を聞けることにも、私は感謝したいと思います。



 Hさんもこんなことおっしゃいましたね。
 「あの時に戻って我が子を抱きしめたい、そしてそれは今でもやりなおせるんだ」と。
そうです。私たちの人生はいつからでもOKなんですね。
そういうお話をしてくださいました。



 Nさんのご夫婦の愛情、家族の交流も本当に心温まるものがあります。
 単身赴任のMさん(夫)がどんな短い時間でもご自分の家に帰るという、お父さんが家族を思う気持ち、そして家族を思いやる気持ち。



 Nさんが昨年のお正月、ご自分がとても辛かったときに、家族が何も言わずに受け入れてくれたことに救われたと家族への感謝を話してくださいましたね。
 それがまるで昨日のことのようです。



 Kさんはお孫さんをどうしようと思って会に参加されたと思うんですが、しかしそれはお孫さんを通して、実はご自分の生き方を、自分の人生のありようを投げかけられていると、そういうふうに受けとめてくださると思っています。



 Jさんや、Eさんが、夫との関係でずいぶん辛い思いをされた時に、子どものことを通して親の会にいらしたけれども、自分の人生を大切にすることが大事なんだと、自分を大切にするということを学ばれて、人生を確かに歩みはじめられたと、このことがとてもうれしく思います。



 Mさんは、4人兄弟で3人のご兄弟を亡くされました。
 そして命こそがかけがえのないものとご両親はMさんが何もしなくても決して否定することはなかった、そして亡き奥様も今のままでいいんだよと言ってくれた。


 Mさんは今この年になって、自分を否定してきた生き方を180度転換する生き方をしているわけです。それを受け入れようとしているMさんに私は感動しています。



 この席に東京に転勤されたHさんご夫婦がおいでになられる予定でしたが、ご都合がつかず参加できませんでした。

 Hさんは、13年前に乳がんを患い、2年ぐらい前に転移して、今また腰に転移して、体を動かすことがお辛いとのことです。
それでも持ち前の明るさはすばらしい。
必ず治ってみせるというお気持ちは逆にパワーをもらいます。


 Hさんから、
「あるエイズ患者さんが100年後には今この地球に生きている人ほとんどがこの世にいないと気づいた時、死の恐怖から逃れることができた」、「いつも内沢さんが言われる今日という日を大切に生きてこそ、本当に生きるということですね。
この生き方で私なりに納得のする一日が過ごせればと思います」というお手紙を頂きました。



 Bさんは、「大きくなった子どもたちに生きる力をもらって、今私は生かされている」、
子どもさんが過食や脅迫行動にあっても、「でも私は今がとても幸せなんです」と言っておられますね。
私は、今が幸せだという気持ちがあればどんなことでも大丈夫と確信しています。



 今年の1月に村方さんの新居に突然お邪魔する機会を得ました。
村方さんは96年に勝己君がいじめで自殺して、そして4年半にわたって裁判闘争をしてきました。村方さんは、昨年新しくお家を建てられました。


 神戸の連続殺人事件の女の子を亡くされたお母さんがTVでこんなことを言ってました。
 「苦しみや悲しみを抱えても尚、私たちは幸せに生きる権利があります」。


 私はそのTVを見て村方さんのことを思い出しました。
村方さんが新居を構えたということがどんなにうれしいか。お父さんとお母さんのお部屋の隣に小さなお部屋があって、勝己君の遺影と勝己君の思い出の品々がそこに飾られていました。

 勝己君とともに私は心から幸せになってほしいと思っています。



 こんな素晴らしい方たちに恵まれた親の会というのは、私は最高の財産だなと思っています。
この人生をいとおしみ、そして今、この瞬間を大切に生きていこう、そのことを私は子どもたちから教えられたと思います。



 子どもたちが嫌なものはイヤ、自分を守りたい大切にしたいという、そういうことをきちんと意思表示している。
私たちも世間体や、いろんなさまざまな憶測や自分のしがらみを捨てて、自分を大切にしていこうということを親の会で学んだんじゃないかと思います。



<乾杯>

Mさん:新年明けましておめでとうございます。
 私は、最近心が明るくなったような気持ちなので、この明るい気持ちで発声したいと思います。


 今年もいい年でありますように、そしてこの登校拒否を考える親・市民の会がますます発展し、
お互いの悩みが解消することなく、それをあるがままに受け入れていく、楽しい一年でありますように、乾杯!

(この後、会食、ビンゴゲームと楽しんだ後、交流しました。)




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Last updated: 2004.2.12
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