TOPページ→ 体験談目次 → 体験談 2004年3月発行ニュースより
「今のあなたがかわいい!」... 2月例会報告 今月は新しく参加された方が5家族10人程いらっしゃいました。 「先輩」の皆さんから、ご自分の辛かった体験を振り返って「大丈夫なんだよ」と気持ちが通じ合った暖かいメッセージを届けられたと思います。 新しく参加された方は「先輩」のお話を聞けるし、初めての方のお話はまた改めて自分たちの生き方を振り返るよい機会に恵まれましたね。 人のお話の中にたくさんのヒントが宝石のように輝いてあります。 人の話は不思議とよくわかるものです。 他の人のお話を聞いて我がことを振り返る、それが我が親の会でしかなしえない大事なチャンスだと思います。 何歳からでも人生はやり直しがきくんだよと、自分の仕事を替えようと思ったときに支えになったのが、Mさんの生き方というKさんの話。 辛い過食の体験をしているFさんに「今のあなたがとってもかわいい!」と抱きしめてくれたお母さん。誰もが涙した感動のお話でしたね。 愛美さんの話もよかったですね。 良ちゃんとの父娘のやり取りをちゃんと親の会で話が出来る。 これこそ父娘が信頼し合い、会を信頼しているから何でも話せるのですね。 心の底から話が出来る、感動を共有し合える仲間がいる。今月もすてきな会でした。 1.明けない夜はないんだね。 山口愛美さん、良治さん 2.「今のあなたがとってもかわいい」と抱きしめてくれた母 Fさん 3.自分の人生観を変えた親の会 Kさん 4.10年間 息子に頼りきった暮らし。今我が子は旅立とうとして 木藤厚子 5.「これってステップアップだよね」 森田淳子さん 森田重則さん 6.振り向けば息子とダス(愛犬)がいる。毎日笑い声がある。それが最大の幸せ。 K子さん 明けない夜はないんだね。 山口愛美さん、良治さん ホームページ(HP)の掲示板に山口愛美さんが書き込みをしてくれました。 彼女は今年成人20歳です。高校1年のときに不登校になったときの辛さと今の気持ちを書いてくれています。
愛美さんは拒食・過食で自分を責めた大変な時期を過ごしたんですが、明けない夜はないんだとしみじみと書いていますね。 山口愛美さん:それを書いたのは、年賀状の住所録を探していて日記を見つけたときです。 文章を書くのは面倒くさいほうで、以前勧められて仕方なく書いたものだったのです。 あとで読んで見たらこんなことがあったんだっけと、思い出して泣けてきちゃって。 …「卵がないない」とお祖母ちゃんがさかんに言うので「愛美は知らないよ」と言ったのに、私のせいにされたりとか…、お祖母ちゃんは私が過食していてその時は食べ物を隠していたときで、私は食べ物を買ってくること自体が嫌で、そしたらさらにお祖母ちゃんは特売のチラシを隠して買ってこれない様にするとか…。あの時は私の気持ちは本当に辛かったです。 ―――愛美さんは高校で生徒会の会長をしていて大変になり不登校になったんでしたね。 はい。私は今思うんだけど、責任感みたいなものがあって、学校で何かあったときいい子だけを演じてるというか、すごく自分に無理をしていた。 (―――お祖母ちゃんとのバトルが日記には書いてあったのね、その時の辛いことをまた思い出して涙があふれちゃったのね) うーん。それから、最近の話だけど、弟が停学になりそうになったの。 クラスに態度がすごく悪い子がいて、他の子がその子をやっつけようとしてたのを見て、弟はその子に忠告にいったけど、別な子がその子を殴ってしまったらしいんです。 そのとき先に忠告した弟までが問題となったらしいんです。 弟は犠牲になったと思ったんです。そのことでいろんな話を弟としていたとき良ちゃん(父)が、「学校行きたくないなら、仕事すりゃいいんだよ」と言ったんです。 (―――えっ? 良ちゃんが言ったの! 全然学習してないね)(笑い)。私は何を言ってるんだと思って(笑い)。 「じゃあ愛美はどうなるの? 愛美は何も仕事はしてないよ! 何もしてないのに何言うの?」と言ったら、「愛美はいいのよ、過食してるからいいのよ」と言ったんです(笑い)。 じゃあ、いつまで過食してたらいいの、早く治さないととなるでしょう。 結局、健康で見た目元気だと仕事をしてないといけないような言い方で(笑い)。ということは、私のことを健全な人と見てないということだよね。 失礼だと思って。前から私と弟に対する態度が違うんだよね。男の子だというのがあると思うんだけど、私のことを弟と同じように見てないから対応が違うんだと感じた。 ―――それで良ちゃんとやりあってどうしたの? この頃見つけた日記にそれを書いていたら、むかついてきて言わないといけないと思ってさ、じゃないと病気にならないと休むことも出来ないんだったら、世間と同じだし。 世間の人は元気でいるのに何もしないと何でしないんだとなり、結局、無理して精神を病んでからやっと休めるでしょう。そうなってからでないと休めないなんて。 登校拒否と過食をしてなかったら、きっと分かってくれなかったんだろうなと思うと怖くなってしまいます。 ―――辛いことは喉もと過ぎれば忘れるんだね。 あれだけ泣いたのにね(笑い)。例会にドアをあけて入って来られるたびにお父さんは泣いて泣いてでしたよね。 山口良治さん:それを言われると冷や汗が…。 (愛美さん:それを言うとちょっと不機嫌になるんだよね) 僕が条件つきでないと認めないと言ってしまい、娘にきれいな切り替えしをされてね、ばっさり切られてしまい…。(笑い) (―――あまりにばっさり言われたもんだから、機嫌が悪いような顔をしないとしようがなくなってしまってね) うん、そうかなと思って、二人の子どもに対する接し方が違うというのが、ここでも何回かありましたが、それが見事に出ました。 愛美に今の状態はいろんなことを理解してないと言われて、余計にばっさり切られました。 愛美さん:私は理解しているものと思っていたんです。そしたら根本のところが擦れ違ってない? ―――またそれを良ちゃんは愛美ちゃんに教えられたんですね。 わかってるつもりでも、ほんとうに世間の価値観があって、それに人間て流されちゃうんだよね。そういうときに愛美ちゃんが軌道修正してくれる。 本当にこれでもか、これでもかと追い詰められてボロボロになってやっと休めるというのが実際なんですね。 愛美さん:なんで私が過食してるのを治りたくなかったかいうと、そういう世間的な目で見られて、健康だと攻撃されるじゃない、だから治りたくなかったんです。 今も太るのが怖いというのがあるし、そこのところを分かってなかったのかなと思って。 ―――良ちゃんは改めると言ってるから許してあげてね(笑い)。 (愛美さん:どうしようかな)(笑い)。 本当にそうだよね。親の問題なんだよね。 親が理解するということはそれだけ大変なことだということを、愛美ちゃんが率直に教えてくれたわけですね。 そしてやっぱり辛いことを抱えていたからこそ、Mさんの紹介された詩を読んで感動したんですね。 (愛美さん:私も自分の日記を見つけて読んでたときで、すごくジーンときたの。) 「今のあなたがとってもかわいい」と抱きしめてくれた母 Fさん Fさん:23歳で今過食の真っ只中です。 一番痩せている時は31キロしかなくて、今は20キロ近く太りました。 この間内沢さんに電話するまでは、すごく修羅場で、これからどうやって生きていこうかというほど悩んでいました。 毎日毎日食べて食べて、私は吐けなくて、体に詰め込んでいって、最近体のあちこちが腫れて、朝は体にいっぱい水が溜まったような感じになるんです。 ひざ,踵が痛くて、階段は1歩1歩下りている状態です。 体がきついのに余計に過食します。止めようと思えば思うほど食べてしまい、その悪循環です。 もう死んでしまいたいほど苦しくて、そんなときもウォーキングに行きますが、頭の方が疲れてしまい、その日はもう1歩も歩けなくなって戻ってきました。 そのときに内沢さんに電話しました。「どんな自分も受け入れなさい」と言われたので、いつもそのことを自分に言い聞かせています。 (―――どんなときも自分なんだよとね) はい、調子が悪い時は特に自己否定が強くなるんですけど、そんなときこそ「大丈夫、大丈夫」と自分に言い聞かせています。 昨日もそうでしたがオムライスとすき焼きうどん、パンは一気に10個とか食べちゃいます。 最近はそれも私、どんなときも私なんだって思えます。 弟も「食べることは悪いことじゃないんだよ」と言ってくれて、家族が私の過食を受け入れてくれて、私自身も自分を受け入れられるようになってきたからかもしれないけど、家族皆で食事が出来るようになってきたんです。 弟と母は普通に一人前食べていて、私はたくさん買ってきてたくさん食べるんです。 それも楽しいし、たくさん食べるのが悪いことじゃないと思え、食べながらも会話も出来るようになりました。 以前は、食べることは悪いことだと思い、隠れて食べたり、いっぱい食べるから恥ずかしいと思っていたんです。 動物みたいな感じで、隠れて待ちきれなくて外で食べていました。 そういう自分がまた嫌で、最近はちゃんとテーブルで食事が出来るようになったんです。 ちょっとそれが変わってきたことです。 私が一番苦しいとき、私は辛くてどうしようもなくて暴れていたんです。 お母さんが家事をしていても引っ張ってきて、いろいろ愚痴や文句を言って、言ってもどうにもならないことを、言わずにはおれなくて、どこにもぶつけようもなくて、「聞いてもらうだけでいいから、お母さんごめんね、聞いてくれてありがとう」といつもそう言いながら聞いてもらっているんです。 そしたらお母さんは「痩せてるときのあなたもあなただったけど、太っていてもFはFだし、最近良く笑っているし、お母さんは太っているあなたも大好きだよ」と言って抱き締めてくれたんです。 私はすごく嬉しくて一生忘れないと思う、すごく嬉しくて…。 私が食べても食べてもお母さんは「あなたがいつも嬉しそうに一生懸命無心で食べているその姿がかわいい、かわいい」と言ってくれて、そう言ってもらえることで太ってる私でいいんだって思え、太っていても私は私でいいんだって思えて…。 最近は弟とよく話すようになって、今朝も5時までずっと話していました。 その後、今日ここで人前で話すのは緊張するし、限られた時間に上手く話せるかどうか考えていたらとうとう寝付けなくなって起きたら、弟も起きてて「2時間しか寝てなくていいの?」と言ったので、「もう寝られなかった。私はちゃんと話せるかな。言ってることが人にちゃんと伝わるかな」と言ったら、私の話をよく聞いてくれました。 口数が少ないけど、重みのある言葉を吐いてくれて、すごくしっかりしています。 弟がいるとすごく楽しいし、出かけるぎりぎりまで二人で手相占いをやって、会話が絶えません。 (母):結婚して不安な状態で娘を産みました。 娘が生まれたとき、正直言ってほんとに幸せだったかどうか、娘がかわいかったかどうか、よかったと思えなかったかもしれないんです。 今娘が太ってきて赤ちゃんみたいにぽっちゃりなってきたら、それを思い出したんです。 生まれた時はぽっちゃりしてかわいかったのに愛情をかけてなかったかなと思うんです。 今私は本当に抱き締めてやりたいし(涙)、食べて寝て泣いて抱き締めて、お腹いっぱいになったら夕方でも寝るんです。 無邪気に生きている、ただ食べて寝て、赤ちゃんと同じだなと思ったとき、今そういう状態を娘に与えてもらっているんだと、私は今から親にさせてもらっているんだという気持ちで、娘を抱き締めていました(涙)。もう一度親のやり直しだと思っています。 ―――お母さんが子どもさんを思う気持ちに余裕が出てきたのですね。 前はいっぱいいっぱいだったもんね。 はい、だから、今こんなに大きくなってから、子どもがかわいいなと思えるんです。 小さいからかわいいんじゃなくて、大きくなったからかわいいんだなと思って、赤ちゃんよりも今の方がかわいいんです。 今の方が大事な時期を生きてるし、この子達も一生懸命生きてるんだと思ったら、自分も人生を無駄には出来ないなと思います。 この頃台所に立っていても嬉しくて、仕事のときも趣味のときでも私は皆から助けて貰っているなあという思いが沸いてきます。 私の仕事が子どもと接する仕事で、よその子を見るとかわいいのですが、自分の子はなおさら愛しいですね。 思春期の子ども達の言葉一つ一つに感動しますが、我が子はもっとかわいいです。 この会で勉強させてもらったから、こういうことが考えられるようになったんだと思います。 宮之城に住んでいるときに、初めて内沢さんに電話したんですが、「カラスが鳴いてるから殺してと子どもが言うんです」と言うと、「お母さん、そういう子どもさんの苦しい気持ちがわかりますか?」と言われて、「なんでだろう、何を言ってるんだろう」という感じでした。 すごい姉弟ゲンカをしていたときは、この子達を離さないといけない、と切羽詰ってとても怖かったんです。 大学病院に避難させたい、どこかにやりたいという気持ちがありました。 いろんな場所に相談に行き、結局は親の会に行き着きました。色んな過程を越えてきました。 ―――初めて来られた時から大きく変わりましたよね。 今日はお父さんも参加されてよかったですね。 ここに来て色んなことを考えさせてもらい、いろんな方から支えられています。 4年になりました。夫は風邪をひいていて、おまけに五十肩になってしまい、娘と二人で行こうと思っていたら、注射しながらでも運転して今日は一緒に来てくれたんです。 自分の人生観を変えた親の会 Kさん Kさん(父):お久しぶりです。半年振りの参加です。 毎月会報を読んで、勇気付けられたり、勉強になってとてもいいと思っていました。 12月にはHPにMさんのお話(Mさんのお話のページはこちら→ 否定してきた私の人生 Mさんの体験)が出ていて、ご本人はしんどかったんでしょうけど、自分達から見れば、ああこういう形で生きられるということは、とても素敵だなと感じましたね。 今回私は転職しました。 今までの仕事も僕にはとてもいい仕事で、自分にはとても向いていたんですが、体がしんどかったりとか、もうちょっとゆっくりしたいなというのが本心ありましたので、たまたまいいきっかけで替わりました。 1月いっぱいで前の事業所が終わって、2月早々に次の事業所に替わったんですけど、非常に疲れが出たんですかね、緊張状態もかなり続いていたし、疲労感もかなりあって、替わったばかりでしたけど4日目から「辞めさせてくれ」「ちょっと休憩しようかな」と、その辺はMさんの影響もあって、まあちょっと楽になろうと、何とかなるなという感じで言ったんです。 すると、今度の職場の院長も自分もそういう時期もあったと言ってくれて、今月は休みをもらっています。 3月から仕事が始まるんですが、もともと自分がやりたかった仕事のポジションに急に決まり、今となってはラッキーな感じなんです。 前の仕事を辞める4日くらいは、不登校の子ども達のお話、愛美さんほか皆さんのお話を聞いていても、物事を冷静に考えられないんですね。 そんなときにうちの家族皆が「ゆっくりしていいよ」と支えてくれて、非常に楽でしたね。 息子は小5から不登校で、現在14歳(中2)です。 学校に行かなくてはいけないという気持ちがあって、行けない自分への自己否定があって今も苦しんでいますけど、今回のことで私は息子のそういう心境が多少理解できた、肌身で分かったかなという感じがしました。 今、山口さんと愛美さんのやり取りがありましたが、ああいう感じで子どもがある程度苦しまないと親はなかなか理解できないというところがありますよね。 ちょっと元気になればどうかなみたいな感じでね。 でもにっちもさっちも行かない子ども達のそういう気持ちが少しは分かったような気がするかなと思っています。 (―――休職されてお気持ちは楽になりました?) 楽ですね。転職してもちろん給料では少し下がるんですけど、休みが先ず多いということと、自分のやりたい方向性がありますから。でもまあ休みたいですね。 ―――特に奥様が協力してくださったんですね (そうです)。 痴呆性老人病院のケアマネージャーさんですから、私も皆さんもそうなったら一緒にお世話になりましょう。 (どうぞ、どうぞ)(笑い) 会報をずっと読んで下さってて、大きな流れが変ってきてるなあと、ご自身の気持ちなどもあって、理解されたとおっしゃっていましたね。 自分たちの世代ではMさんの生き方が本当は皆やりたいんだけど、色んな手かせ足かせで生きられない部分がある、男の人は特にそういうのをもつのかな、そういった意味で半分は世間と付き合っていますから、やっぱり元気な人には働けとか、世間常識的なことを言ってしまうと思うんですよね。 ところが自分がいざそういう立場にたったときに、にっちもさっちも行かない状況なんだなということが分かりました。 自分はわりと短い時間でそういうことが過ぎてしまいましたけど、そこを飛び越えればもっと楽になるかもしれませんが。 10年間 息子に頼りきった暮らし。今我が子は旅立とうとして ...木藤厚子 木藤厚子(世話人):23歳と22歳の息子がいます。 二男は高2の11月に高校を退学しました。 先ほどの方と同じように教師からの傷つく言葉や部活での人間関係でいろいろあったようです。 高2の6月頃から休みがちになりましたが、修学旅行には行きたいと参加しました。 修学旅行から帰ってきた息子は夏休みの補習から学校に行くと言ったんですが、やっぱり行くことが出来ませんでした。 朝になると行かなきゃいけない、でも行けないと悩んでいるのがわかりました。 私は長男の不登校を体験していたし、親の会で皆さんのお話も聞いていましたので、やっぱり自分の居場所のない学校には行けないだろうと思い、学校を辞めてもいいよと伝えて、自分がどうしたいかよく考えなさいと言いました。 ちょうどその頃、小学校の時からの友達が同じようなことで学校に行けなくなっていました。 それから二人は意気投合して毎日ずっと一緒に過ごして、お互い学校であったことを話し込んで吐き出していたようです。 家に帰ってくると自分が学校で体験したことやおかしいと思うこと、その友達のできごとなどを話してくれました。 3ヶ月間考えて自分で高校を辞めると決めて、自分で退学届けを出しました。 家で兄のことを見ていたし、中学のときに不登校の友達もいて、不登校についての自己否定はあまりなかったようです。 退学して数週間してからやっぱり辞めてよかったと言っていたのを覚えています。 それからは外出も自由にして、近所の人に学校どうしたのと声をかけられても、「僕、学校辞めたんです」と言って、かえってその人をびっくりさせたようです。 それからの1年間は昼夜逆転をして、ゲームとギターづけの生活をしていました。 友達とアルバイトに行ったりもしました。 自分のしたいことをして過ごす時間の中でもいろんなことを学んでいたと思います。その中で友達と大検を受けようという相談もしていて、受験資格を取りました。 今大学3年生で神奈川に住んでいます。 今年は1年間休学してカナダ留学させて欲しいと言ってお正月に帰ってきました。 本当に子どもはやりたいと思ったら、どんどん行ってしまうんだなあと思います。 長男は中2から不登校で10年間ずっと家にいて一緒に暮らしています。 不登校になった最初の頃は自分はダメだ、ダメだと言ってため息をつき、床や壁に頭を打ちつけたりしました。 食事を摂らなかったり、お風呂に入らなかったこともあります。 机一面にマジックで、バカだ、アホだと自分をなじる言葉や死んだほうがましと書いて、自分が死んだ絵を描いたこともありました。 電話やインターホーンがなっても出ることもできませんでした。 そのとき私は親の会に携わっていましたが、いざ我が子が不登校になるとこのまま子どもの心も体も成長が止まってしまうんじゃないかという不安な気持ちになってしまって、完全には受け入れている状態ではなかったと思います。 いろんなことがありましたが、親の会で皆さんのお話を聞き、いつも我が子の気持ちだけを考えていようと思いました。 そしてもし私がこの子と同じような立場だったらということを考えると、外に出たくない、昼夜逆転するのも当たり前なことだと、息子の状態を自然に受け入れることが出来ていったんだと思います。 息子がパソコンを始めるようになってから、毎月発行している親の会のニュース作りを手伝ってくれるようになりました。 毎月の話し合いの内容をパソコンに打ち込んでいくうちに、いろんなことで学校に行けなくなっている子がたくさんいることがわかり、自分で自分を受け入れられるようになって、自分がだめではないんだと思えるようになったんだと思います。少しずつ外に出て行くようになりました。 弟と一緒に18歳のときに大検を取って、20歳のときに大学に合格しましたが、そのときはまだ外に出て行くつもりはなく、入学しませんでした。去年の10月にセンター試験を受けてみると言って受験し、2次試験も受験するように自分で準備をすすめています。 この10年間家族で一緒に過ごしてきましたが、振り返るといつも息子に頼った生活をしてきているんです。 そんな中で息子はゆっくりとエネルギーを蓄積してくれたんだと思うと感謝したい気持ちです。 息子が外に出て行くことになるかもしれませんが、全然心配はなく、安心して見ていられるというのがあります。 かえって親のほうが生活に支障が出て困ったなと考えてしまいます。(笑い) ―――ゆっくり休む時間をとったからこそ、自分で自分の行く道を選んで動き出したということですね。 じゃあ動き出さない子はだめなのか、そういうことではないんですね。 動き出さないということも非常に大事なことなんですね。 家にいることの大事さ、これはかけがえのないものなんです。 休むことの大切さ、人生の中で動いてばかりいたら、電池が切れ切れの状態になってしまいます。 電池を十分に充電することは人生の中で全然回り道じゃないんですね。 そのことだけで大事なことをしているんですね。 我が子がやっていることに無駄なことは1つもないんですね。 それは私達もそうですね。ボーッとしている時間、けんかしている時間、笑い合っているときも、生きて感情を交流し合っている、それは家族だからできるんですね。 他人に気兼ねなしにできるんですね。 「今の状態」が素晴らしいと私達が心から思えるかどうかということですね。先ほどフミエちゃんが、私は笑えるようになったと言われた。 この言葉は私にすれば感無量ですね。本当に涙が出てくるくらい感動しました。 1日1回でもいいから笑える、それがどんなに素晴らしいことかと思いますね。 「これってステップアップだよね」 森田淳子さん 森田重則さん 森田淳子さん:今20歳の息子は中学のときいじめが原因で不登校になりましたが、18歳の娘は学校が合わず、自分で決めて辞めたんです。 中2で辞めて去年くらいまでは、私は幸せだと言っていたんですが、同級生が高3になった頃から不安になって、息子と同じように不安な状態になっています。 誰かに見られているんじゃないか、インターネットから自分の情報が漏れているんじゃないかと不安になって、「大丈夫?、大丈夫?」と一日に何回も聞きます。 そのたびに私は大丈夫だよと言っているんですが、この1週間ちょとありました。 息子の時はわからなくて、いじめにあって傷ついているわけだから親が何とかしてあげなくてはいけない、元気なのに学校に行けない分、家族で楽しい思い出をたくさん作ってあげようと疲れていた息子を連れ出して旅行に行ったりしました。 学校に行かなくても息子は3年間は外にも出て、隣近所の人にも挨拶をしたり、とても親に気を遣っていい子をしていたんですね。 その後に爆発して私を責めたんですが、娘を見ていると結局親が悪いと言えない辛さがあるのかなと思います。 息子が1年近く親のせいだと言って私を責めていたときは、どうしてなんだろうと思っていたんですが、そのことはもう忘れてしまって(笑い)、娘を見ていると親のせいにしてくれるとずっと楽だろうなと思ったりします。 娘は自分を責めているんですね。 娘は学校に行かなくなってもピアノは続けて習って、コンクールや発表会にも出ていたんです。 親はピアノもやめていいんだよと言ったんですが、娘は先生のところでおしゃべりするのが楽しいからと言っていたんです。 さっき出ていた新聞配達だけはというのと同じように、娘にもピアノだけはという気持ちがあったんじゃないかと思いました。 この間娘と話をしていて、「なぜ学校に行かなくなったときに悩まなかったのかな」と話していたら、「お父さんは単身赴任していたし、お兄ちゃんは荒れていたし、私が悩み始めたのはお父さんが家に帰ってきてからだよね。 それって自分の状態が下がったのかと思ったけれど、もしかしてこれってステップアップなのかな」と言って、ああそうだねという話をしたんです。 さっきの話ではありませんが親のことを考えたり、随分と気を遣っていたときと、安心して自分の悩みを出せるようになった今を「ステップアップ」と表現したのだと思います。 森田重則さん:先ほど娘とちょっとあったというのは、インターネットのプロバイダーを替えたんです。 娘はプロバイダーを替えることによって自分の情報が外に漏れてしまっているんじゃないかと心配するんです。 その恐怖にとらわれているんですが、まったく関係ないんだと話したつもりなんですが、娘にはその説明では足りなくて…。 淳子さん:娘が「大丈夫? 大丈夫?」と聞くので、最初は大丈夫と言っていたんですが、何回も聞くので夫は「わかんない」って答えたんですよ。 そしたらばーっと娘の顔色が変わって、でもそれはしょちゅうあることで、私も疲れていたりすると、はい、はいと聞いていると、機嫌が悪くなるんです。 でもそれはそれでまたすぐに話しかけてくるのでいいかなと思っているんです。 夫に今日も泣かしちゃったと言うと、「ダメだよ、ちゃんと聞いてやらないといけない」と言うくせに、娘が泣いたら、それで夫は落ち込んでしまって、血圧が上がってしまったんです。(笑い) そのとき息子が、「お父さんやお母さんと妹がケンカしてトラブルがあるのはいい、だけどそのあとに落ち込むなよ」と言っていました。 そのあとまた同じことがあって娘が1日食事も摂らないで部屋から出てこなかったんです。 もうすごく夫は落ち込んでしまっていて、そしたら息子は「早くお父さん帰ってこないかな」と言うんです。 どうしてと聞いたら、「お父さんがどうするか見ていたい」と言うんです。(笑い) ―――お兄ちゃんの時には俺の人生どうしてくれると言って、俺がこうなったのは親のせいだと親を責めていたでしょう。 親はすごく責められて落ち込んで、でも娘さんは自分のことを責めているんですね。 親を攻撃してもらうとまだ楽だとお兄ちゃんのときの当時の辛さを忘れてしまって思ってしまうんですよね。 重則さん:今、娘がそういう状態にあるというのは悪いことじゃない、娘にとっても私達にとってもいいことだと思うんです。それがおかしいとか、変なことだとはまったく思っていません。 淳子さん:息子の時には親がどう対応するか、娘が見ていたわけですよね。 今度は娘にどう対応するか、息子がちゃんと見ているわけです。 そこで不安になっておろおろしたらいけない。 私はそんなに心配はしなかったんですが、でも24時間水も飲んでいなかったので2階に上がっていったんです。 「開けていい?」と聞いたら、か弱い声で「いいよ」と言うので、ドアをそっと開けたら、娘は本を読んでいてブアーッと笑うんですよ。 そしたら「お母さんが早く来ないから降りるタイミングがなかったじゃない」と言われて、娘自身もそんなにパニックになっていたわけじゃなく、親の対応を冷静に見ているんだろうなと思いました。 けんかしたり、泣いたり、笑ったり、そんなのがすごくいいなと思います。 重則さん:娘は昨日昼に自分のメールを全て消したんです。 でもその日の夜にはインターネットを始めているんです。 息子は「妹の前ではパソコンの話をしたらいけないと思って遠慮していたのに、自分はさっさとインターネットを始めている」と言ってましたけどね。(笑い) ―――本当に腫れ物にする必要はないんですよね。 根本的なところで家族は信頼し合っているんですね。 お母さんが早く来ないからタイミングを失ったのよとね。 家族って信頼し合えるからケンカできるんですね。 そういうことがやっぱり大事ですね。 振り向けば息子とダス(愛犬)がいる。毎日笑い声がある。 それが最大の幸せ。 K子さん K子さん:先ほどの方はうちの息子と同じ年齢ですね。 息子は小2からずっと学校へ行ってませんけど、隣で今も元気よく騒いでます(笑い)。 小2以前からちょくちょく休む傾向はありました。 「一人っ子だから」、「甘い」とか周りのお母さんや幼稚園の先生方から言われて、自分の子育てが悪かったのかと本当に追い詰められた日々でした。 3歳までに何かなかったですかと質問されて(笑い)「転勤したよね」とか、夫と話し合ったりしました。とにかく、まわりの視線は母親が悪いというものでした。 すごく本を読みあさったり、毎晩泣いていた時期もありました。 しかし会にめぐりあえて、今はもう息子が家にいるのがあたり前になってきて、昼間は息子は犬と仲良く遊んでいます。 振り向けば息子と犬がいる、毎日、笑い声がある、それが私の最大の幸せです。 お母さんが悪いから不登校になるのではないので安心して下さい。 私が息子をだっこしていたら、甘やかすから不登校になるんだよとも言われました。 私は今でも息子を湯たんぽ代わりにして一緒に寝ています。(笑い) 「いつまでも一緒に寝るから、お母さん、お母さんと甘えて学校へ行かなくなるんだよ」と何をしても母親が攻撃されますね。きっと厳しくしたらしたでで言われるのだと思います。 周りの人のガードが強くて、最初の頃は電話を取るのも怖かったし、買い物に行って知っている人と会うのも怖くて、びくびくした自分がいました。 息子はとてもやさしい子で、私が泣いていると「自分のせいでお母さんが泣いている」と思って慰めてくれるような子どもでした。 しかし今は私も泣くこともなくなり、笑って生活しています。 だから大丈夫ですよ。 小2から学校へ行ってないので学校の勉強は全然してませんけど、ゲームやテレビから情報を得て計算ができるようになったり、難しい言葉も知っています。 教えてもいないのに、家族の中でいろんな学年にとらわれない、ばらばらの勉強ができているなと思いました。 多分、何も心配されることはないし、お母さんが安心されて、自分を責めないことが一番だなあと思います。大丈夫です。 「今すっごく幸せなの・・・!」 K子さんの携帯メールから 昔、悪かった時、クラブや仕事何をしても1年ほどしか続かなかった私。 周りにダメだ根性が無いと言われ自分をずっとダメなやつとせめていた。でも、すぐバイトさがしたりして働いてたの。 結婚してもパパの身内の事で自分を攻めながら、ずっと自分なりに頑張って良い嫁として、また頑張ってうまくいかなくて、昔から、ダメなやつとまた自分をせめながら頑張ってきたの。 あのころの私、ゆっくり休むって事を知らなかった。 疲れて無理してるのに気付かず頑張ってた。親の会にめぐりあえて、私ほんとに良かった。 不登校の事で会に参加しはじめたけど、今は自分の人生を振り返り、自分の生き方を学ばせてもらってる。頑張らなくてもいい。ゆっくり休む事の大切さが、わかってきた。 今、子供と一緒に私も不登校してるの。 会のおかげで自分に優しく自分を大切に少しずつ出来てきてるの。そして、今、私は一生懸命、休んでるの。 そしたら心からゆっくり休むのって、むづかしいと自分で気付いた。こうして不登校の子も休んでても、自分をせめないで休む、休む自分もいい、休む事が必要と思うまで沢山の時間が必要なんだろうなって自分の今の生活で身を持って実感出来てきた感じ。 私は今、すっごく幸せなの。 将太や内沢さんや会の人達が大好きなの。ほんとに、みんなにめぐりあえて幸せ!みんなに感謝、感謝、いっぱい、いっぱい、ありがとうございます。 ところで先日、校長と教頭が来たからびっくり!担任に進級の事伝えてたし、訪問もお断りしてたのに。 でも会に参加した後だったし、以前、木藤さんとも話ができてて、私パワーいっぱいの時だったから助かった。 進級たのんで、玄関先で、すぐ帰ってもらいました。 木藤さんとメールしたり、電話いただいた時、木藤さんの強さ、優しさが伝わってきて、また親の会のありがたみを感じました。 パパが怒っても、いつもの私ならパパ嫌いってなるけど、パパも大変だなあとパパを心配する自分がいるの。これも親の会のおかげだなあと、しみじみ思っています。今、幸せ。ありがとう。 K子さんからの携帯メールをご本人の了解を得て紹介します。 自分を否定していたK子さんが将太君の不登校を通してご自分をようやく受け入れられるようになったのですね。 ゆっくり休むことの大切さと難しさを私達に教えてくれています。 |
Last updated: 2004.3.17
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