TOPページ→ 体験談目次 → 体験談 2005年5月発行ニュースより
「異常視しない」 「言いなりにならない」 「腫れもの扱いしない」 4月例会報告 これは鹿児島の親の会の「3原則」として確認してきた言葉です。 不登校はもちろん、自己否定の辛さをさまざまな形で表すことを否定しないことです。 4月の親の会は、上記3点を再確認して、改めてその大切さを学びあいました。 繰り返し、繰り返し不安や辛さを表す我が子。 その我が子の状態を「異常」だと思えば、「なんとかしなくては」と考えます。 「今」の状態を否定してしまいます。「困らせる」存在としか見えなくなっていきます。 または、「不憫な」としか見えなくなってしまいます。 その両方は正反対でも、実は、我が子に対する絶対的な信頼、愛情が揺らいでいくんですね。信頼があればこそ、今の状態を自然なこととして、無条件で安心して受け入れることができます。 親の信頼と愛情のまなざしが、自然に辛さを一番抱えている当人に伝わっていくんですね。 そのためには親が安心することが大事。 親の会で支えられて、ひとりぼっちにならないで強くなっていく、強い愛情が育まれていきます。 毎回参加する積み重ねが、こうして毎回新しい発見と感動を生みます。 参加して間もない親たちに暖かいエールが送られて、また勉強になりました。 「お母さん、私は今が一番幸せ」と娘さんから言われた森田さん、親の確信と愛情が確かなものになって我が子に伝わっていったということですね。 「家族が一緒に住む喜び」が伝わってきます。 参加し続けることの大切さを教えてもらいました。 5月1日に鹿児島のホームページ開設、満3年になりました。 アクセスが30万件を超え、全国各地の方に利用されています。 「ホームページを読んで救われました」、何より嬉しい言葉をたくさん頂いています。 1.我が子を困った存在と思う時、我が子への愛情が薄れていく 2.「私、今が一番幸せ」と娘に言われて 森田淳子さん 3.自分を大切にすることで私は強くなったの Nさん(19才) 4.いつも家族と過ごせる喜びに感謝しています。 じぇりさん 5.今そこにいるだけですごいこと maiちゃん(16才) 我が子を困った存在と思う時、我が子への愛情が薄れていく (中学で不登校になって、私立高校に合格し、両親・祖父母の対応に家庭内で荒れていった息子さんについて) 内沢達:息子さんは両親からだけではなく、おじいちゃんおばあちゃんまでやってきて言われたわけでしょう。 だけど、息子さんはどうしようもないんですね。 学校なんて、15や16で行かなくなったからといって、どうっていうことはない。 条件が整ってきて、自分のほうから学校を利用してやろうと思ったときに利用すればいいだけのところなんです。 でも、何の情報もない息子さんに、そうしたことを15歳で「分かれ」なんていうのは絶対に無理なんです。 いま息子さん自身はどう思っているのかというと、間違いなく自分自身がふがいないと思っています。 おじいちゃんおばあちゃんから「頑張れよ」と言われるまでもなく、本人は頑張れるものだったら頑張りたいと思っているんです。でも頑張れませんね。 「頑張らなくっちゃ」と思っていても頑張れない自分に苛立っているんです。 だから辛くてしょうがないんです。 その辛さをお母さんへの暴力や入学式の日に皿を何枚も割ったりということで表しているんです。 ところが、そうされると親のほうはたまったもんじゃない。 普通、「この子はおかしくなったんじゃないか」と考えてしまいます。 だけど、違うんです。息子さんは、絶対におかしくはない。 それはHさんの息子さんだけではありません。 例えば、山口愛美さんが以前「過食・拒食をやめて元気になったらお父さんは今の私の辛さに気づいてくれない。もっともっと悪くならないと」と話してくれたことがあります。 愛美さんに限りませんが、子どもが元気に毎日を過ごし、よく食べるし、よく寝るし、勉強もするし、時には働くしといったら、誰も心配なんかしてくれません。 だから、無意識のうちになんですが、子どもはあえて、親が困ることをする。 暴言や暴力で、また引きこもりや拒食・過食で、「こっちを向いてほしい」と辛さを表すんです。 非行や夜遊びだって、「親の心配も知らずにいい気なもんだ」ということでは決してありません。それも辛さの表しかたのひとつです。 Hさんは本音のところでは「息子はどこかおかしい」と思っていませんか? 息子さんはどこもおかしくないんですよ。 以前から「頑張れ」と言われてきたうえに、今度は、おじいちゃんおばあちゃんからも取り囲まれて「お前はしっかりしろ」と言われて、それができない自分自身にふがいなさを感じているわけです。 そうした状況では暴れるのも当然なんです。 息子さんは正常だからこそ暴れるんです。 暴れないで、もし「おじいちゃん、おばあちゃんが言ったとおりです。僕は4月から一生懸命頑張ります」と言ったら、それは心配しないとダメです。 そうではないので、息子さんの言動は親の気づきを促してくれています。 すごく今困ったなと頭を抱えられていると思うんです。(はい) おじいちゃんおばあちゃんがいらした時に、ここで「諦めよう」とご夫婦で話し合った。 けれど息子さんが「入学する」と言ったので、やはり親の気持ちとしては期待もあって入学金を払った。 その後息子さんは「行かない」と言ったので、そこでやめようと思った。 けれど、今度は担任が訪ねて来た。 するとまた親の期待が出てきた。経過をずっとたどっていけば、どんな時に息子さんが荒れているかということがわかりますよね。 私立高校を受験した時、おじいちゃんおばあちゃんがやってきた時、入学金を払った時、担任訪問とそうした節目節目がありますよね。 ここでやめようと思うんだけれど、それでも親には「学校に行ってもらいたい」という気持ちがすごくあるものですから、期待してしまうわけです。 親が期待するから、子どもはもっとひどいことをしようと爆発してしまうわけです。 息子さんは自分の身をもって教えているわけです。 これからも親が学校に行くことを期待すれば、息子さんはこれでもか、これでもかと繰り返すでしょうね。それは「そういう人生を俺は歩みたくないんだ」、「お父さんお母さん、いい加減にやめてくれ」ということですね。 いつかここの親の会での話に納得されたならば、「あの時、おじいちゃんおばあちゃんと一緒になって説得しようとして悪かった。 学校に行って欲しいという気持ちがあって、あの時私立高校の担任を家にあげてしまって悪かった」とおっしゃればいいと思います。 今の息子さんの状態の中で担任を家にあげるということは絶対にしてはいけないことです。 絶対にやってはいけないことを繰り返しやってきているのですから「それは悪かった」と謝って、親の気持ちを前とは違う方向にしていけばいいんです。 親が期待を持っていると今度は「通信制に行く」とか、「予備校に行く」とか言います。 そうするとまた親は期待します。 そしたらまた爆発します。 そのことを異常だと思わないことが大事なことですね。 親御さんは息子さんから学ばなければいけませんね。 自分の人生は自分で決めるんだということです。 いま息子さんは親御さんや周りが思う以上に学校に行けない自分をものすごく否定しています。 子どもはときにそうした無理難題を突きつけるんです。 それは子どもさんが本当のところ望んでいることではなくて、親を困らせようということが主目的なんです。 「今から飯を作れ」と言ったって、本当におなかがすいてるわけではないんです。(夜中の3時ごろに言います。今、妻は作らないと言っています) 息子さんは「俺の方をむいてくれ」と言っているだけなんです。 先月の会で話題になった、おじいちゃんも含めて息子さんに「頑張れ」と言ったことについて、その後ちょっとは「悪かった」と言いましたか?(まだ言っていません) 拒絶しなければいけないことは拒絶しないといけないんですが、他方では、親が「子どもに悪いことをしたな」と思われるんでしたら、それは謝ったほうがいいですね。 ことわざ・格言集の中に「負けるが勝ち」というのがあります。 その詳しい説明は「ことわざ・格言と登校拒否・引きこもり」のなかにありますので是非お読みください。 親が謝ったからといって、すぐに子どもさんがどうかなるわけではもちろんありません。 でも、「以前のお父さんお母さんとは違う」と確かに感ずるようになります。 子どもが今ぶつかっていることは子ども自身が乗り越えて行くしかないんですが、その過程で、親の支えがあるかないかでは全然違います。 「そういう考え方もあるんだな」というヒントを親から得られるのだったら得られたほうがいいんですね。「俺は今の俺でいいんだ。どこもおかしくないんだ」と自分を認められるようになって、初めて息子さんは動き出すんですよ。 「ねばならない」という意識での動きは一時的なもので、動き出したってすぐにダメになります。ダメになるだけでなく、「またダメだった」ということになって、いっそう自己否定が強くなります。自己否定がある限り、「動き出した」といっても、それは本当のところ動いたことになっていません。 子どもがちょっとでも動き出すと親や周りは喜んでしまいますが、それは喜ぶべきことではなく、反対に心配しないといけないことです。 学校には行かないけど塾に行き始めたとか、働き始めたとか、それは学校の代わりが塾やバイトになっているだけで、明らかに無理をしているんです。 そうではなく、「何もしない自分、ダメな自分と考えなくてもいいんじゃないか」と息子さんが自分自身を認められるようになって初めて、自分の興味関心のあることに無理なく動いていくんです。 「謝ったんだから、もう暴れないでくれ」というのは親の身勝手です。 散々長いことわが子を苦しめておいて、一度の謝罪でうまくいくものではありません。 「本当に謝っているのか」という気持ちから、子どもはさらに荒れだし、親の本当の気持ちを確かめようとさえします。 そうしたことも親が受け止めることができて、子どもは自己肯定のきっかけをつかんでいきます。 親は子どもの言いなりになってはいけない。 無理難題には絶対につきあってはいけない。 他方、そういうわが子を、そのままのわが子を異常視せずに認めることができるかどうかというところが肝心なところです。 ―――Hさんの問題提起はとても大事なことです。 「子どもを真に尊重する」とはどういうことなのか、子どもが荒れているときどうしたらよいのか、これまで鹿児島の親の会の「3原則」と言ってきたことですが、復習の意味で確認しておきたいと思います(以下3点板書)。 1 子どもの言動などを異常視しない。 2 子どもの言いなりにならない。奴隷にならない。 3 腫れ物にさわるような、ガラス細工を扱うような接し方をしない。 子どもが学校に行かないことはもちろんのこと、閉じこもりや拒食・過食、家庭内暴力など子どもの状態を異常視しないことです。 異常視していると子どもにその気持ちが間違いなく伝わります。 自分自身も肯定できていないところに、親のそうした視線があると子どもは確実に荒れます。 それが怖くて、親は子どもの言いなりになり奴隷のようになってしまうんですね。 それがまた子どもをイライラさせます。 何とか荒れないようにと腫れ物に触るように接していくと、それまた子どものイライラの原因となります。悪循環です。 異常だと思うから、わが子を何とかしよう、何とかしなければダメだと思うんですね。 そして困らせる子だとしか見えなくなっていきます。 そのうち、わが子に対する愛情も薄れ、親を困らせる厄介な存在だというふうになっていきます。これが深刻なんです。 私は、一番大事なのは愛情だと思います。 これが薄まっていったんではいけません。 親である私(僕)にとって「この子はかけがえのない存在」で、「掛け値なしにかわいい子だな」という気持ちがあれば、必ず修復できると思います。 子どもさんの小さかったときの写真などを見て、その気持ちを確かめられてください。 小さい時は無条件にかわいかったと思います。 そして「いま現在のわが子もかわいい」という気持ちがあれば、大変でも必ずやっていけます。 子どもの奴隷になることもなく、子どもを腫れ物扱いにすることもありません。 「どうすれば、どうすれば」という心配もしなくてすむようになるんですね。 それが伝わって、「僕は両親から大事にされている。 愛されている。学校に行く僕ではなく、何かする僕ではなく、あるがままの自分を愛してくれているんだな」と無条件の愛情が伝わっていくんですね。「わが子がかわいい」という気持ちがあれば、必ず家族みんなが救われます。 「私、今が一番幸せ」と娘に言われて 森田淳子さん 春になったら不安だという森田さんのお話を聞きましょうね。息子さんは中1のときに不登校になって、その後ものすごく自分を否定していた時期がありました。 息子さんは4月が誕生日で22歳になるんですね。世間のみんなはいろんなことをやっているのに自分は何もやっていない、4月はやはり不安な時期、誕生日と不安が一緒に来るのに何で俺を4月に生んだのかと。(笑い) でも以前とは違ってとても落ち着いていて、たくさんの葛藤があって、こうして今大人になってきたんだなと思いました。 私は大学生でも将来何になりたいと答えられる子はほとんどいない、いろんな体験をしたり、偶然があったりして、その積み重ねの中で決めていく、あなたが今していることは決して無駄なことではないんだと言ったんですね。 森田淳子さん:私は冬がだめなので春に産みたいと思ったんです。 ですから4月と6月に生まれてよかったなあと思っているんです。(笑い) 息子はここ1,2年、親が悪いということをほとんど言わなくなっていたので、「私はあなたがそういう話をしなくなったから、自分の中で踏ん切りがついたのかなと思っていた」と言いました。 息子は「言えば自分が辛くなるだけだから言わなかっただけで、今もそう思っている。 春って不安なのに4月に生んだあんたが悪い」と言いました。 2,3日はそういう話をしても、自分の中で納得できていないんだろうなあと思います。 (―――でもあなたはそれに対して動揺しなくなった?) はい。 以前のように激しい口調では言いませんし、さっきの話ではありませんが、夜中や朝早くに言うわけでもありません。 ただ夫が帰ってくるともうおしまいと言って、自分からうまく違う話に切り替えていくんですね。 自分以外の皆は大学に行って就職も内定して、自分の好きなことができる。 自分だけが取り残されていくというとらえ方をしています。 新聞を見ると年金の問題や働きたくても職がないという記事がたくさん出ていますよね。 このままお母さんが言うように家でゆっくりして、30歳になっても大丈夫と思っても自分が世間に出たときに職がない、仕事の経験がないというところで不安になるんだと思います。 私もそんなふうに畳み込まれるとちょっと不安になってしまいます。 ―――あなたは15周年の原稿にこう書いています。 ……辛い毎日でしたが、もっと困ったことが起きました。 息子は夜中、不安でたまらないと私を起こしに来るのですが、親の会で起きてはいけないと言われたのです。 私が息子のためにとしていることが、かえって息子を不安にしているというのです。 「眠たいから起こさないで」の一言が言えません。 一晩中、起きて話をきいてやる方がずっと楽でした。 やっとの思いで言った夜のことは忘れません。 息子は起きない私に怒り、「朝あんたが起きたら、俺は死んでいるからな」と言いました。 朝まで起きていようと思ったのですが、いつか寝てしまって。 目が覚めたらいつもと同じ朝。 息子も寝ていました。その朝のうれしかったこと。他にもたくさんありました。…… つまりいろんな不安に対して淳子さんも重則さんも大きく揺れていた時期があるんですね。 そういう時期がたくさんあってひとつひとつ向き合い乗りこえてこられた、そしてまた今そういうふうに試されていく。 そんなふうにして我が子から別の形で突きつけられたときに、自分はどんなふうにでんと構えられる親になっているかということですね。 ひとつひとつが具体的な問題提起でそれに親が試されているんですね。 そう言われて自分が動揺してはいけないと思うんですが、息子が自分の部屋に行ってしまってひとりになると不安になったりします。 ですから私は夫にずっと生きていてねと言っているんです。 倒れてもいいから生きていてねと。(笑い) Eさんが、「そのときに考えればいい」と言ったことは本当にそうだなあと思いました。 世間や新聞で言っていることは、それは本当にそうなるかどうかはわからないことで、親の会にきて自分の揺れを戻していこう、そう思いました。 今娘がよく話をしてくれ、昨日も夜遅くまで話しました。 私は覚えていなかったんですが、息子が不登校になった頃よく泣いたり、落ち込んでいる私に娘は「お母さん、10年後は家族皆が笑っているよ」と言ってくれたんです。 娘は「私が言った通りになったから、これから10年後も皆で笑ってるよ」と言ってくれました。 19歳の娘はここ1年家から1歩も出ない生活をしています。 何か体につくんじゃないかとか、私が見ていてもちょっと辛くなるくらい不安をいっぱい抱えています。 息子と娘と3人で話しているときに息子は「小学校の時が一番楽しかった」と言いました。 娘はそのとき何も言わなかったんですが、「私は自分が何かしなければならないということがないから、今が一番幸せだよ」と言いました。(涙ぐむ) ―――それはよかったですね。 親と子は合わせ鏡ですね。親が動揺しなくなってくると子どもも動揺しなくなるんですね。 自分を大切にすることで私は強くなったの Nさん(19才) Nさん:お兄ちゃんが大学を辞めて家を出て行って、友達のところへ行って私ひとりになってすごいさびしいかなと思ったんですが(笑い)、いなくなったらいなくなったで、家族3人仲良くやっています。 お兄ちゃんは一人でちゃんと生きて行くだろうなと思うから、お兄ちゃんのことは全然心配していません。(―――えらいね。信頼しているということはそういうことだよね) 3月の終わりにお父さんから「1回学校に行って先生と話をして来い」と強い口調で言われ、そのときは「行ってくる」と返事をしましたがそのままにしていました。 1週間後また言われたので、「もう休学届けも受理されたから行かなくてもいいと思うよ」と言ったら、「ああ、そうね」とそれで納得したみたいです。 お母さんも一昨日「もう半年休んでいるけど、まだゆっくりするの」と言ってきました。 でもそんなふうに言われても以前のように落ち込んだり、自分を否定したりすることはなくて、「今すごく気持ちが楽になってきているけど、でもまだ不安なんだよね」と言ったんです。 「何が不安なの」と聞かれて、「言葉では表せない」と言ったら、「言葉にしてもらわないとわからないのよ」と言われました。 でもお母さんも将来どうするのとまくし立てることもなくて、「私の子育てが悪かったのかなと思うのよ。 お兄ちゃんも大学を辞めて二人ともどうしようもない子になってしまって」みたいなことを言ったので、「そんなことはないと思うよ」と言いました。 「じゃあ何でこんなことになるの」と言われました。(笑い) だけど私がどんどん元気になっていく姿を見たら、お母さんもこの子は大丈夫なんだなと思うだろうし、お母さんも自分を責めることはないだろうから、もっともっと自分を大切にしようと思いました。(拍手) ―――わー、すごいね。大学の実習から逃げ出した時は、すごく不安な気持ちでいっぱいだったでしょう。 でもその不安な気持ちからこんなに楽になっていくなんてあなた自身思っても見なかったよね。 一昨日お母さんが言ってきたときも、9月から学校に戻るんだよねと言う感じだったんです。 私はまだそれがわからないから「わからない」と言ったんですが、お母さんは9月から行って欲しいと思っているみたいです。 ―――家にいてお父さん、お母さんに悪いという気持ちはもうないの? 今はないですね。 お昼ぐらいまで寝ているのはどうかなと思うところはあるけれど、今家にいてすっごく楽です。 短大を逃げ出してきたから、短大の子達からどう思われているのかなという負い目もあるけど、自分を大切にしようという気持ちのほうが強いから大丈夫だと思います。 私も多分、実習中もがまんして頑張ったら続けてこれたと思うんです。 でも逃げ出してよかったなと思います。 今は何でこんなに気持ちが楽なのかなと思うくらいです。 今までは本当に疲れていたし、辛かったんだなとあらためて思っています。 ―――逃げるということは大事なことですよね。 自分を大事にする第一歩ですものね。 自分がそうやって納得できれば自分を大切にするのに時間はかかりません。 初めて会った4年前私はNさんに、お母さん、お父さんがわかってくれなかったらお兄さんがいるでしょうと言ったんです。 その時Nさんはお兄ちゃんも絶対にわかってくれないと泣きながら言ったんですが、そのお兄さんはちゃんと理解してくれてご自分も大学を辞めたでしょう。(笑い) すごい。そうやって人生は変っていくんですね。 先のことは分からなくても確かに言えることは、自分を大事にすることで時間はかかっても自信を持っていくし、自分の人生を幸せにしていくことが出来る。 たとえ周りに理解がないように見えても、それはそのときの不安がそう見えているんですね。 自分を大切にしていくと周りをも納得させる力が出てくるんですね。 Nさんのお話はとても大事なことを言われていますね。 いつも家族と過ごせる喜びに感謝しています。 じぇりさん じぇりさん:娘と二人の息子がいて、3人とも不登校です。 次男は小1入学早々から学校へ行かなくなり6年経ちましたが、行かなくてよかったなあとすごく思います。つい先日夫と私と次男で広島県のスキー場へ行ってきました。 次男は高所恐怖症でつり橋も近くに行くのが苦手でしたのに、リフトにひょいひょいと乗って、夫と上級コースの傾斜の激しい所からスイスイと滑ってきました。 私は断念して、下のほうで滑っていました。 子どもはどんどん変わっていくなあとまた発見する喜びを味わいました。 ―――あなたの夫は鹿児島県の喜界島で小学校の教員をしていましたけど、周りからのいやがらせにあって職場に行けなくなり、退職して今県境の都城に住んでいるんですね。(はい) 彼も登校拒否し、子ども達も登校拒否したのよね。(はい) あなたはパートに出て働いて、ある時から夫は仕事に就くようになりましたが、経済的には大変ですよね。 そうですね。(笑い) 私もパートを辞めましたから尚更です。 夫は会社勤めをして今一年半くらいです。 3月分の給料もやっと昨日出たような有様で決っして豊かではありませんね。(笑い) ―――そういう状態で、広島のスキー場へ行ったんでしょう。 なんとかなるわと思って・・・(笑い)。とってもいいことですね。 私は昨年の5月頃パートを辞めたんです。 又働くつもりだったんですけど、当時小6の次男と一緒にテレビのお笑い番組を見ていました。 その時気がついたんです。私が次男の相手をしていると思っていたけど、逆に次男に私が遊んでもらっていたんだなあと。 確かに働けばお金が入ってくるし、その方がいいのですけど、ふと今この時をこの子と一緒にいることを私が楽しみたいなあと思ったんです。働いている場合じゃないと思って。 パートをしている時も忙しく暮らしていた訳でもなく、結構のんびり生活していました。 それでも別に何をするではなく、子どもを感じる、目に触れている、家にいて子ども達がいるのを感じるのが、私が嬉しいという気持ちです。 パートに就いている時は、あまり感じなかった感覚でした。 私は豊かな時間を過ごしているなあと思いました。 今の私は、働くことも学校へ行くことも、今の思いに比べたら取るに足りないことだと思えるようになりました。 ―――働くことや学校へ行くのは、取るに足りないことだという大切なことに気づかれたんですね。 はい。長い人生の中で、働こうと思ったらいつでも働けると思うので、もったいないと思いました。 次男は小1から不登校でしたので、ひらがなも書けませんでしたが、今はもうひらがなもカタカナも漢字も書いてます。 いろんな情報もテレビ、ネット、ゲームから得ています。 学校で得る情報よりもたくさん情報が入ってくるし、本人が興味を持っていることはどんどん頭の中へ入っていくようです。 それを息子は私に教えてくれるんですけど、私は聞いた端からどんどん忘れていきます。(笑い) 時が経てば自然に身についてくるものを、わざわざ学校に行って、したくないことをさせられるのはいらないなあと思いました。 上の子二人も学校へ行っていないので学費もかからずよかったなあと思います。 我が家の子ども達と私たち親は対等で、親と子という関係ではなく同居しているという感じでのびのびしています。 私が仕事を辞めた時、明日の予定が何も決まっていないのはとても心地よかったです。 本当にいっぱいエネルギーがあって、元気な時は周りに一切気を使わず24時間すべてを自分のために使う。 自分のために使う時間が保証されている人生を子ども達が自分で選んだことはなんてすてきなことなんだろうと思っています。 ―――そんな3人の子ども達と一緒に生活していることに、幸せだなあと感じることが出来る、素敵ですね。 はい。本当にそう思いますね。 夫も変わりました。 親が上で子どもが下と思うから、「ああしなさい、こうしなさい」とつい言ってしまうのですけど、対等になると言う言葉もないし、まあ「一緒に暮らしてくれて、ありがとうね」という感じです。 それを子ども達が気づかせてくれて本当によかったし、多分年月が経ってそう思えるようになったんでしょうね。 ―――あなたの夫が仕事ができなくなって、仕事を取るか、命を取るかの時、あなたは不安でしたか? はい。とても不安でしたね。 あの時内沢さんが、「命を取るか、仕事を取るか」とおっしゃったけど、それよりも「私たちの生活は辞めたら明日からどうなるの?」という気持ちばかりでした。 きてみれば何とかなったんですけど、その時はもう不安ばかりでした。 あの時は、「命があれば失うものはない」という言葉の意味が頭ではわかっているつもりでしたが、今本当にああ、そうだなあと思えます。 辞めてよかったです。すごく私も先が楽しみですね。 (―――どのぐらいひきこもったの?) 休職が1年半、家でゆっくりが2年半で、4年ぐらいですね。 (―――無理やり、又働こうとされたけど、絶対ダメでしたよね。自分に無理を重ねるから余計疲れてしまう) はい。今ならその気持ちはわかりますけど、その時はわかってやれませんでした。 3ヶ月休職したら、私は夫は又復職すると思ってましたから。簡単に考えていたんですね。 今までの私の価値観は、「原因がわかったら、OKね」というものでした。 その原因が私にとって納得できなければダメという考えでした。 不登校の価値観に出会って、私は、その人、その人にはその人の人生があるということがわかったんです。 夫の人生は夫のもので、私は責任が負えないから、働きたくても働けない夫に働けとは言わないようにしようと思いました。 困ったら自分が働けばいいと思いました。 子どもは夫には何も言いませんでした。 当時13歳の息子が生活に困ったら、僕が働くからと私に言ったんですよ。 ああ、息子はそう思っているんだなあと思いましたけど、娘にしてもいざとなったら自分で動くんだよなあ、とそういうふうに自分の心がしっかり据わるようになったのも子どものおかげですね。 今も経済的に豊かではありませんが、学校へは行ってないのであまりお金はかかりませんね。なんで、皆お金を払って学校へ行かせるのかなあと思いますね。(笑い) 私だったら、そのお金で皆で楽しく遊びますね。(笑い) ―――本当にそうですね。 お金は人生を豊かにするために使うもの。 お金が主人公ではなく、人生が主人公なんですね。 じぇりさんのお話を聞いたら、みんな安心しますね。(笑い) 今そこにいるだけですごいこと maiちゃん(16才) (―――お母さんの病気の状態はいかがですか)はい(涙)。 病院から貰った薬が強かったのかどうかわからないけど、その後検査でも肝機能が弱くなってると言われたんです。 お母さんも不安になっているのが分かって、私も不安だったけどちょっとでもいいふうに考えたくて「お母さんが入院しないで、毎日そこに居ることだけでもいいじゃない」と言ったんです。 そしたらちょっとホッとしてたみたいでした。 先ほどのインターネットのお話だけど、以前は私はインターネットをしてるとき傍に誰かいると嫌で、わざわざつなぎ難い場所を選んでひとりでやっていたんだけど、今は寂しくて居間に持ってきてやってるんです(笑い)。 以前ずっとやってると傍で、「あんたは目は大丈夫なの」、「頭がおかしくならないの」と言われたから近寄りたくなかったけど、今は近くにいて一緒に話をしたりして、それだけが楽しい。(涙) ―――今回のことで家族の大切さを学んで本当によかったね。 真衣ちゃんの言葉「今、そこに居るだけですごいこと」を3月号の扉の言葉のタイトルにしました。お母さんは「私が病気になったら、皆大切にしてくれるからすごく嬉しい」って言ってましたよ。 だから神様のプレゼントですねと言ったんです。 その前はお祖母ちゃんとのバトルで大変なのだと言ってらしたのにね。 そのお祖母ちゃんのことだけど、友達にお祖母ちゃんとのバトルのことを話して「クソ婆死ね!と言ってやった」と話したら、「えっ!そんなこと言わない方がいいよ」と言われて、それをお祖母ちゃんに話したら、「何でも言えることがいいことよ」と言ったんです。(笑い) (―――さすがお祖母ちゃんですね。ちゃんと大きな心で受け止めておられますね) 友達は浪人して今年高校に受かったんですが、全然そのことも気にならなくなっていました。「あんたも塾に来る?」とか、「先のこと考えたら」とか、「バイトしたら」と言われても、いろんな道があるし、その子もその子なりに一生懸命生きてて、私も私なりにやってて、どっちも誇りを持ってると思う。 以前はそんなに言われるとすっごく悲しくて、なんでそんな言うのと思っていたけど、今は余裕が出てきたかなと思える。 ―――お母さんのことで、命の大切さがわかり、何かしなくてはと不安になっていたことも、実はそんなことどうでもいいことなんだな、大切なことは「今、そこに居ることなんだ」と心から感じたとき、あなたの不安は消えていったんですね。 毎日毎日家族と一緒に暮らせることを大切にしていってね。 そうして暮らすことで不安がなくなって、エネルギーが溜まっていくんだね。 そんなふうにしてまた揺れながらでも、そうやって親の会に来て元気になっていってなによりですね。いっぱいここでは泣けるものね。(うん、涙) |
Last updated: 2005.5.22
Copyright (C) 2002-2003 登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)