TOPページ→ 体験談目次 → 体験談 2005年6月発行ニュースより
「会報が届くと家の空気がカラッと明るく!!」 5月例会報告 Kさんはそう言って笑いました。 「家では不安になるけど、ここで話を聞いていると悩みも消えてしまいます」、我が子のあるがままを愛し、家族を愛する気持ちに確信を持ち、幸せを感じている気持ちが伝わってきます。 「お母さん、かっこよくなったね」と娘さんが言います。 我が子に伝わっていきます。 FUMIEさんがHPの掲示板に書き込んでくれたことがなによりうれしいですね。 「今思えば、辛いこともいっぱい幸せなことだったんだと思います」という淳子さんのお話からも、皆さんのお話からも、我が子の不登校やひきこもりを親が受け止めていく以上に、自分の人生と重ね合わせ、生きることを大事にしたいという想いが伝わってきて、感動します。 例会に参加し、揺れながらも時間をかけてゆっくりと自分の確信にしていく、それは一朝一夕でできることではありまぜん。 答えや結果を急がない、時間がたってわかることのほうが多いもの、機が熟したときに答えがみつかるものです。 不幸せだと思ったことが、見方を変えれば幸せなことだったんだと気がついていきます。 親たちだって不安を持って当たり前、そんなとき我が子の苦しみもよくわかります。 無理をしない、自分を大切にする、たった一度の人生なんだもの、自分が主人公の人生を送ろうと子どもたちから学びます。 エリさんの結婚式の模様がHPに寄せられています。 美しいエリさんの姿が新緑の軽井沢に輝いていました。中1で不登校になって、ガラスのように壊れかかったあなたの心をしっかり支えたのはご両親でした。 お父さんは涙、涙だったとのこと。お母さんの分まで幸せになってね。 幸せは誰にでも微笑みます。 気がつかないだけ。そのことに確信を持つのが親の会です。 皆さんのお話が玉手箱です。毎回参加して気がついていきましょう。 1.自分を認められなかった時、親に気を使っていたのね。Nさん(19才) 2.辛いこともいっぱい幸せなことだった 森田さん 3.不安になるのは親だって同じ、自分を大切に Gさん 4.「何が大事なのかということをよくわかっている孫たちだね・・・」と祖母が。 Nさん 5.「あおいちゃんはね。お母さんとゆっくり暮らせて幸せ」 Uさん ―(内沢朋子)(世話人):今日は資料が用意してあります。 ・ 私、内沢朋子のHPの掲示板への投稿、 ・ Fonte(旧不登校新聞)の論説から若林実さんの「レッテル貼り」、 ・ 渡辺位さん「なぜ学校にこだわるのか」(登校拒否を考える会通信第33号) です。 今朝の朝日新聞のトップにLD、ADHDの子どもの教育に対応するため、養護教諭の教育を強化するというのがありました。 又、5月13日放送の九州・沖縄金曜リポート「学校に行きたいのに・・・子どもに忍び寄る慢性疲労症候群」(NHK)では、子どもが非常に疲れていて、5月連休明けから学校へ行かなくなるのは、子どもの睡眠不足による慢性疲労症候群という病気が隠されているからである。 だから脳を休ませるための治療が必要であると、熊本大学の三池さんが行っている光療法を25分間クローズアップしてました。ご丁寧に今日も再放送されていますね。 薬によって、脳の疲労をなくすという「治療」です。 心の傷は薬では癒されません。 癒していくのは、その子どもへの深い理解と家族の愛情だと思います。 子どもにレッテルを貼ることで癒されるのものではありません。 病気とし、障害としてしまうと、この子は特別だから、病気だからと思い込み、その人の心の苦しさに目を向けることを放棄してしまうんですね。 親の会のHPの「待ち合わせ掲示板」に、けんじいさんが詳しくコメントされていますので、読んでみて下さい。
自分を認められなかった時、親に気を使っていたのね。Nさん(19才) Nさんは高校の時行けなくなってしまったけど、ご両親の理解が得られず、リストカットして自分の辛さを訴えて、でも「学校へ行かないのだったら、携帯を取り上げる」と最初言われたこともあって、短大へ進学してから、とうとう教育実習の時に逃げ出してしまい、やっと休めるようになっても、家にいられるのだろうか、出て行けと言われたらどうしようと、最近までご両親に遠慮してすごく不安だったのよね。(はい) 今は出て行けとは言われてないのね?(はい) ご両親に遠慮して生活していたのはいつ頃まででしたか? Nさん:2月末で無理して続けていたバイトを勝手に私が辞めたんですけど、その頃まではすごく遠慮していました。 最初は、私がバイトを勝手に辞めたから、母は怒っていました。 だから私もいい子にしてなくてはと思って、朝も早く起きて、掃除して、洗濯し、テレビも余り見ずにいました。 両親が働いていたから、いない時はゆっくり寝て、テレビを見たり好きにしていたけど、両親がいたり、夕方帰ってくるといい子にしていました。(笑い) 夜も見たいテレビは見ず早く寝ていました。(笑い) ―――バイトは何をしてたの? スーパーのレジをしてました。 バイトを辞めた時も、最初母はパニクっていたけど、「受け止めるしかないんだなあ」と思っていったみたいです。 ―――バイトを辞めてからしっかり休めるようになったのね。(はい) 短大を休学するとはっきり決まってから、私はホッとしました。 「どうなるんだろう。これからどうやっていけばいいのだろう?」と思っていたので、休学することになって、「ああ、家でゆっくりしていればいいんだ」とわかって。 今は何時に起きても「おはよう」と言ったら、「おはよう」と返事が返ってくるけど、最初の頃は12時に「おはよう」と言ったら、「もう、お昼だよ」と言われてましたね。(笑い) 今は9時に起きたり、昼頃起きたり、自分の好きな時間に起きます。 ―――よかったねえ。学校のこととか何か言われない? 今はお兄ちゃんが大学を中退したので、矛先がお兄ちゃんの方へ向いているので余りうるさく言われません。(笑い) いい就職の話があったのに、お兄ちゃんが断ったので。私のことは今何も言わないけど、心の中では行ってほしいと思ってるだろうなと思います。(笑い) ―――気を遣わないですむようになったのね。 そうですね。最近母が入院したんですよ。 そのことで母も気弱になってるので、余り言いません。 それに、私が食事の支度とか父の世話をするので、父母が「あなたが家にいてくれたから良かったねえ」と話していました。(笑い) また元気になったら、何を言われるかわかりませんけど。(笑い) それと、今短大を休学していることを伝えたいと思っていた友達にちゃんと言えたんですよ。 今までは、行ってないのに行ってるかのように振舞って、「私行ってないのに、行けてない私ってなんだろう」と思って、そういう会話をするのがすごく苦しかったんです。 友達に言えて、「ああ、そうだったの」と言ってもらえて、とても楽になりました。 たまたま隣のおばちゃんと話すことがあって、「今、学校は何年生?」と聞かれた時、「今、休学してるんですよ」とスラッと言えていっそう楽になりました。 ―――将来のことを思って不安になることはある? まあ、日によって違いますけどね。 今は不安はありません。 日記を読み返して見ると、「今日はイライラした」とか書いてあるので、あの時は不安だったんだなと思いました。 ―――先月、あなたはとってもいいこと言ったのね。 「お兄ちゃんのことは、全然心配してません」ってね。 将来って、今の自分を受け入れて自分を大好きになって生きていった時、初めて素敵に生きられるのよね。 高校生の時、リストカットしたり追いつめられて暮らしていて、ここに来た時も涙、涙だったあなたが、こんな明るい素敵な子に変身している。 素晴らしいですね。人生の大きな流れというのは、結論を急がない。 結果を急がないことですね。たくさんのことを教えてくれて本当にありがとう。 辛いこともいっぱい幸せなことだった 森田さん 森田淳子さん:22歳の息子と19歳の娘が家にいます。 連休に、子どもたちを置いて、夫婦で一泊し登山をしてきました。今までも夫の単身赴任先へ行ったり、身内の病気見舞いに長崎へ出かけたりとかの外泊はありましたけれど、夫婦の遊びだけで外泊したのは初めてです。 以前息子がとても辛かった時、「自分が苦しい時に夫婦で外出するなんて」と責められてからは、なかなかできませんでした。 娘と私で福岡のコンサートに行った時も、前夜に障子をバンバン破ったり、家の中がメチャクチャになったりしました。 その時の後遺症がまだ残っていて、最初、日帰りで夫婦で映画を観に行った時も、観ていたはずなのにあらすじが全然残っていなくて。(笑い) そのうち、何回か二人で映画を観に行ったりして楽しめてはいるんですけど、泊りがけはちょっと無理かもと思ってました。 しかし、先月親の会で柿さんのお話を聞いて、「行こうか」となったんです。急だったので連休でホテルも高いところしか残っていませんでしたけど。(笑い) 森田重則さん:いつもは妻が子ども達へ言うのですけれど、今回の旅行に関しては、私が直接子ども達へ言おうと思ってましたので、4人そろった時に言ったんです。 相当緊張しましたけど、今までのように妻の後に隠れているんじゃなく、やっと妻の横に並べました。(笑い) 子ども達が「どこに、何をしにいくの?」と聞いたので、「久しぶりに、山登りに行ってくる」と言えました。何か言ってくるかと思ってましたけれど、特別何事もなくすぎました。 淳子さん:夫は数日、子ども達が何か言わなかったか気になったらしく、「何か言った? 何か言った?」と聞いてきました。(笑い) 息子は4月の誕生日あたりから、不機嫌だったので更に機嫌が悪くならないかしらと心配でした。娘の方が息子より不安になったらしく、前夜お腹をこわしたりしました。 ―――帰ってきたら何事もなく? 淳子さん:はい。えびの高原に久しぶりに出かけたのですが、キャンプ場を見ると、子ども達が小さかった頃の思い出がパァーっと浮かんできました。 それは楽しい思い出だったのですが、息子が学校へ行けなくなった頃、体育祭の次が二連休でしたので、4人で霧島のホテルに泊まったのです。 私たちにしてみれば、ホテルに泊まって元気になれば、又学校へ行くかもしれないと思っていたものですから、息子はどんな気持ちで2日を過ごしたのかしらと思ったら、思い出すと涙がでてきました。その次の日から絶対学校へは行きませんでした。 えびの高原はそれ以来でした。 山を登って降りる時、いろんなことを悔やんだり、楽しかったりと思い出もいっぱいあって、それも全部自分の人生なんだなあと思いました。(涙) 内園さんのことを思いました。内園さんは、本当はひとつひとつは幸せだったんだろうなと思います。 私も今思えば、辛いこともいっぱい幸せなことだったんだと思います。 「これから、夫婦であの山この山登ろうね」と話しました。 ―――息子さんが不登校になった時、家族で無理やりキャンプに行ったり、ドライブに連れて行ったりしましたよね。 息子にしてみれば、「ホテルまで連れてきてくれた親に対して、申し訳ない。明日から、又学校へ行かないといけないのかなあ」ときっと思っていただろうし、どんな気持ちでえびの高原を歩いたのかしらと思うと、本当に私、辛かったですね。(涙) 山へ登って、また一歩踏み出せてよかったです。 ―――ひとつひとつの辛いことが、幸せと思えるようになったことがなによりでしたね。(はい) 会報が届くと家の中がカラッと明るくなります。 Kさん Kさん: 24歳の娘と19歳の息子が家にいます。 息子は中1から不登校です。 娘は中2から不登校になり、通信制高校を卒業した後ひきこもり、今過食の状態です。 ―――今まで、二人のお子さんと、あなたの3人で「お父さんはわかっていない」と3対1で批判してきたのよね。 はい。最初の頃は私も一緒になって夫の悪口を言ったりもしましたけど、今はもう私は言わなくなりました。 退職してからは、夫はパチンコへ行ったり、子どもたちも二人とも昼夜逆転の生活なので、食事時間がバラバラなんです。 それでも以前と違って夫は、夕食を私と一緒に食べようと思ってくれているようです。 私も夫への愛情が出てきて、「お父さん、これからゆっくりできるね」と言っています。(笑い) すると子ども達は私の態度に怒って、「裏切り行為」と言うし、娘に至っては「お父さんと一緒にこの家を出て行って」と言ってます。(笑い) 私は、敵味方を作るというのではなくて、お父さんにも正しくないことには意見するし、朝から夜までお父さんのすべてを否定する訳ではないと、子ども達へ言ったのです。 ―――そんなに難しく言わなくても、今までと違ってあなたは夫に対して気持ちがポッとなったんでしょう。(笑い) はい。なったんですよ。(笑い) 夫が家を離れて、9月から再就職で別の土地へ住むとわかったら、急にさびしくなったんです。(笑い) お父さんも家でゆっくりしていたら、子ども達とも仲良くできるかなと期待していたのですが…。 先月の14日に叔母の葬式があって長島へ行きました。 夫が乗せて行こうかと言ってくれたので、連れて行ってもらい、その日は私の誕生日でしたので、二人でおいしい魚を食べました。 こんなにのんびりした生活があったらいいなと私は思いました。町内会の運動会にも夫が出ると言ったので、4月の親の会の日でしたけど、夫と手をつないで走ったりと参加しました。(笑い) ―――親の会への参加よりも、夫と仲良く手をつないでゲームした訳ね?(大笑い) 子ども達は父親が家にいるものですから、不安になって眠れないようです。 私の出すいつもの音はいいみたいですけど、父親が動いて出す音は違うのでしょうね。それを感じて耳栓をしています。 ―――「お母さんの気持ちが変わったのよ。これは夫婦の問題なのだから」と子どもさん達へ言ったのでしょう。子ども達と親との関係ではないということね。 はい。夫がパチンコに遊びに行くのは、ストレス解消でいいかなと思いますけど、やはり子ども達のことを見てほしいという気持ちはあります。 今子どもがどういう状態なのか夫にも見てほしいし、息子が書いた書の作品を部屋に飾ってあるのですけど、気づいてほしいです。 全然気づきませんものね。(笑い) 私、夫へ聞いたのです。「あなたは子どもがどうした時うれしいの?」と。 私は子どものちょっとしたことがうれしくて、感動するんですけどね。 夫に家族が必要なのかしらと思うと不安になります。仲良く暮らしていけたらと思ってます。 ―――夫がどう思っているかではなくて、あなたがどうしたいかが大切なんですね。 夫と生活していきたいと思うのだったら、あなたの気持ちを大切にしないといけません。 相手を変えよう、変えようとは思わないことですね。 ご自分の気持ちが変わったことを大切にされたらいいですね。 あなたは子どもさん二人とお話したりするのが好きなのよね。 はい。二人とも私にベッタリです。 私も楽しいしかわいいけど、父親のことであんまりグチグチ言ったときには、「お祖母ちゃんちへ行ってくる」と言って、内沢さんに電話したりします。(笑い) 娘も体調が悪くてひとりで病院に行ったりしますけど、私は余り心配していません。 姉弟二人とも仲がよいですね。 ―――じゃ、今何が心配なの? 夫のこと? あまり心配ないようですね。(笑い) 私も何が悩みだったのか・・・。(笑い) 道々考えてきたのですけど。家に帰ると不安になるけど、ここで内沢さんの話を聞いていると悩みも消えてしまいます。(笑い) ―――自分のお気持ちを大事にすることが家族に伝わっていく力になるんですね。 それは本当だからです。 心から一緒に生活できることを、お話できることを、自分の神様に感謝することです。 内園浩二さんもそうだと思うけど、勝己君をいじめ亡くされた村方美智子さんが、「どんなに困らせても、触ればあたたかいし、話せば声が返ってくる。そのことを感謝しよう」とお話されました。本当にそうだなと思います。 以前は大きな姉弟ケンカもあったけれど、今は穏やかに仲良く暮らしている。 先のことはわからないけど、今を感謝すれば道は開けるし、もちろん、今も道は開けているのですね。 4月の会報に家庭内暴力のことが書いてありましたけど、以前はうちもこうだったなあと思い、今は幸せだなあと思いました。 会報が届いたら、すぐ娘と二人で読むんです。 「お母さん、私ね、自分は会へは行けないけど、お母さんが親の会と繋がってくれてひっぱっていってくれるので、お母さんだけでも行ってほしい」と言ってくれます。 会報が届くと、家の空気がカラッと変わって、明るくなります。 ―――あなたはご近所にお母さんもいらっしゃるし、趣味の書道もお持ちですものね。 夫のことはパチンコしても、もういいですかね?(笑い) 会報もわざとテーブルの上に置いて、読みやすいように広げたりしているのに、見ているかわかりません。(笑い) ―――やがて、夫もあなたを愛している限り、読むようになります。(笑い) よかったですね。夫と心が通じ合って・・・。 不安になるのは親だって同じ、自分を大切に Gさん Gさん(父)娘は高1で不登校になり転校しましが1年間休学し、今年の3月に退学しました。 私が自分自身の疲れと親の介護で2ヶ月親の会を休みました。 先ほど退職されてパチンコに毎日行っているというお話がありましたが、私も9月で退職する予定なんです。 私はパチンコはしないけれど、お酒が好きで2日間午前様で頭が痛いです(笑い)。 いろんなことがあり、日ごろの憂さを酒で晴らしている感じなんです。 ―――お父さん自身が仕事ですごくきつい思いをされ、無理されて働いているわけですね。 はい、体力的にもですが、精神的なものが大きいですね。 自分でも何をしてるのか分からないくらい毎日が不安だらけです。やっぱり仕事をしないといけないと思っているから、働くからには精一杯やりたいという気持があるんですが大きな疲れを感じて。限界なんですね。 ―――学校に行かなければいけないと無理して行っている子どもたちの気持がよく分かりますよね。 よく、分かります。 「サザエさん症候群」というのがあるらしいんです(笑い)。 日曜日の夕方のテレビで「サザエさん」を見たら、明日からまた仕事だと思って憂鬱になる状態をいいます(笑い)。 娘もそういう状態だったんだなと分かります。 退職まであと数ヶ月なんですが、出社拒否したい気持ちです。 (―――3月で辞めればよかったと言われましたものね) はい。そういうふうに思うこともあります。 ただ私がイライラしているんでしょうけど、娘が私に口をきいてくれなくなって、話してくれないんです。どうしてなのかわかりません。 (―――以前はお母さんだったのが、今度はお父さんになったの?)(笑い)。 もしかして、私が夜遅く酒を飲んで帰ってきたとき、ひょっとして自分の不安やイライラを言ってしまったのかなと。(―――それは寂しいですね) 寂しいです。 Gさん(母):先月も言いましたように、夫はもう土日になると死んだように疲れて、とけるような感じで寝てるんです。 そういう性格なんでしょうけど、表立ってニコニコして仕事も走りながらするようなタイプなんです。思いっきり仕事をして疲れて飲みに行くと、その反動が出て、帰ってきたら日ごろの鬱憤を言うんですよ。 若いときは私も言っていたんですが、今言うと倍返しできますから、だから耳栓をして寝ます。 娘は今までは爆睡していて、父親がこんなに言うなんて思ってもいなかったみたいで、今は昼夜逆転になり、部屋が狭いというのもあって全部聞いてるんです(笑い)。 夫は私に対して「性格が悪くて」、「ぐうたらで何もしないでと」といろいろ取り上げて言うんです。 それを聞いた娘が次の日に、「あれは私のことかな」と言うんですよ。 「違うよ、あれはお母さんのことよ。あなたが知らないだけで、いつもああやってお母さんにストレスを発散してるんだよ」と言うと、「卑怯だよね」(笑い)と言って。 自分のことを言われているみたいでいやなんでしょうね。 私も「お父さんは今状態が悪くて、あなたと同じで仕事を思いっきりするから、今ストレスが溜まっているのよ」と言うと、「でも、お酒の力を借りるのは卑怯だよね」と言うんです。(笑い) ―――なるほどね。お父さんは登校拒否と同じ状態なのね。 ものすごくストレスを抱えて、ご実家のお父様が病気になられたということもプラスされてね。 3月でお辞めになればよかったのだけれども、9月まで引きずってしまった、その心の疲れというのが今とても大変なのですね。 それを抱えながらやっていているから、お酒でも飲んで寛子さんに愚痴るしかなくてね。 あまり言われると私も辛いですね。 みんなそれぞれの人生だから、私も家を建てる準備もあるんですね。 夫は私が何もしないでノー天気でいるのがたまらないみたいでね。 ―――あなただって娘さんが学校に行けなくなったとき、薬を飲んだり、あなたの子育てが悪いと産婦人科の医者から言われたり、いろいろあってすごく落ち込んだでしょう。(はい) そのときはお連れ合いさんは「僕の嫁が、嫁が」とご心配されていましたよね。 (もうそのときのことは、だんだん忘れてきましたね)。(笑い) 以前は制服を着た高校生を見ると悲しかったんですが、今は学校に制服もあげてしまい、もう辞めてから全然思わなくなりました。 娘も私は高校に行っていたのかしら、という感じで安定しています。ただ夫が。 ―――今はお父さんが一番苦しいんだということですね。(はい) それは理解しても、娘さんが口をきいてくれないのが寂しいのですね。(はい) その前のお母さんとはどのくらい口をききませんでしたか?(1ヶ月半くらいです。その後祖父が入院したので、しかたなくしゃべるようになって。) 私は、思っておられる以上にお疲れになっていると思います。 この間までこう見えても50歳と言っておられ(笑い)、1つ年をとられてまだ51歳ですが、年には関係なくやっぱり精神的疲れはそうとうこたえるものなんですね。 だからお仕事を辞めても、あれこれしようと思わないで、とにかくボーっと過ごすことが大事ですね。 いくつからでも元気にやろうとしたらできますから。すぐ農業を始めるのではなく、暫くはご夫婦で楽しまれてゆっくり休養をとるといいですね。(はい) ストレスがなくなっていくと、お父さんも穏やかになり娘さんもきっと口をきいてくれると思いますよ。 ご夫婦の山登りはどうなりましたか? 父:もうこの頃は行っていません。今妻が外に出ないんです。 母:娘が学校を辞めてから、私は気が抜けてしまって、私がひきこもり状態で、娘が買い物してこようかと言うくらいなんです。 (―――あなたは鹿児島までひとりでも来て、映画を観たりと行動的だったんですが) ほっとして気が抜けてしまい、これでもいいかなと、夫はそれが耐えられないようです。 ―――お父さんは娘さんの将来のことについて心配されていましたけど、何とかなると思えるようになりました? (父:まあ、何とかしよう思っていたんですが、今はそんな余裕がなくなってきました) ほんとにご自分のことで精一杯なんですね。一番自分を大事にするということですね。 9月も有給で休もうとおっしゃっていましたし、命が大事ですものね。(そう、思います) 子どもたちがどれだけ命がけで学校に行ってるかということですね。 そうして、精神的にまいってしまう、それと同じなんですね。 営業の厳しいお仕事をされているそうで、ここが見極め時だというときは義理を立てずに、9月まで待たないで思い切って途中でも辞めるということをお考えになることも必要だと思います。 生活できないわけじゃないですからね。(はい) そんなふうにしてご夫婦で支えあっていかれたらいいですね。 「何が大事なのかということをよくわかっている孫たちだね・・・」と祖母が。 Nさん Nさん(母)この3,4月は叔母の手術や叔父のお葬式で忙しかったんですが、二人の娘たち(20才と17才)が家のことも一切やってくれ、お葬式のときも私の手足となって働いてくれました。 叔父には子どもがなく私の両親も高齢ですから、私が両親に代わり動いたのですが、娘たちのお陰で助かりました。 当然お通夜やお葬式となると人の出入りがあり、人が集まるので、必ず娘たちに質問されるのは分かっていますから、「私がやるから、姪になるあなたたちは行かなくてもいいよ」と言ったんですが、行くと言って手伝ってくれました。 案の定、「何年生?」、「いくつ?」とか聞かれ、長女が「20歳」と言うと、外見が中学生くらいにしか見えないのかすごく驚いて、今度は「大学に行っているの?」、「勤めているの?」と質問をするんです。 娘はこういう質問を覚悟していたみたいで、「家のことをしています」と軽く言いました。 そう言う娘がとてもたくましく思えました。 今まで特に長女が不安になると、私はものすごく不安になっていました。 でもそのときの娘の言葉を聞いて、親の会で言われていた様に何も心配することはないんだな、家でゆっくりと自分と向き合ってきた結果、軽くこういう言葉を言ったんだなと頼もしく、私自身は寝ないで動き回ってとてもきつかったんですが、娘たちのお陰で乗り切ることができました。 私の両親も娘たちが家で過ごしていることを他人になかなか言えなかったんですが、今回のことで娘たちのことを喜んでくれました。 「家にいるとか働いてるとかではなく、何が大事なのかというのをよく分かっている孫たちだね」と言って、やがては自分たちも(祖父母)介護されるときがきたら、孫たちにお世話になるときがあるかもしれないと、自分たちの人生に重ね合わせて思ったようです。 ―――昨年の3月、長女さんが「限りある命だから、じっとしてはいられない」とすごく焦った時期がありました。 お母さんは娘さんに請われるままにご自分も不安になって家庭教師代金10回分を払われたんですね。 しかし、そのことが明らかに娘さんの無理を手助けするようなものと納得されて、「今度からは絶対払わない」と言ったら、お金は自分で作るからと6ヶ月くらいアルバイトをしたんでしたね。 そしてお母さんは何もしないと決めてそのとおりにしたら、何もしてくれないひどいお母さんだと信頼関係がなくなるどころか、お母さんに対する信頼がずっと深まったでしょう。(はい) 皆さん、ここが大事なところですね。 Nさんの経験はとっても大事な教訓です。 親は何もしないということを親は学び、落ち着いてくると、今娘さんも焦りから解放されてゆっくりと家にいるようになったんですね。 はい。そうは言っても時々いろんなことで焦ったり落ち込んだりはしているんです。 そんなとき娘が「お母さんだって毎日楽しかったりはしないし、仕事にやりがいがあったりはしないでしょう。それなのに私が落ち込むとどうしてすぐ反応するの?」と言いました。 私は「ああ、そうだよね」と言ったんです。 誰だってそういうことはあることなんだけれど、次女には「あっ、そう」で済むんですが、ただ長女の場合はどうしても自分を責めたり、自己否定が強かったので、私がすぐ反応するのも仕方がないのかも、「お母さんの癖だから」という感じで捉えられています。 ―――基本的には今の状態で、安心しておられるんでしょう。(はい) どうしようどうしようと思われたのは昨年の3月を境にしてでしたね。 はい、娘が動き出したからです。 本当に動きたいと思って動き出したのではなく、焦って限りある命と言って動き出したので、動かないでまだじっとしていてと必死になって止めようとすればするほど突っ走ってしまったんです。それも良い経験というか、本人は「あのときは変だったから、狂ってたから」と言うんです。(笑い) ―――本人にとってもとても良い経験をされ、私たち親の会にとっても非常に大事な教訓です。親はでんとして動かない、何もしないことが一番大事なんだということを学びました。 なかなかでんとはしていられず、内沢さんに何回も電話をしてアドバイスしていただいて、揺れながらやっとの思いでやりました。 私も成長しました。娘たちも不安を抱えながらでも成長してるんだなと思います。 ―――家のことをしていますと軽く言えるようになって、叔父さん、叔母さんに機会を作って頂いて感謝ですね。 困ったときが絶好のチャンスで、そして親が成長するときですね。(はい。それが嬉しくて) 「あおいちゃんはね。お母さんとゆっくり暮らせて幸せ」 Uさん Uさん(母)中3の長男、小6の次男、小3の娘が不登校ですが、次男はスポーツ少年団のバレーをしています。 それが水曜と金曜なのでその日は午後から学活や体育など好きな時にだけ行っています。 長男は去年の夏休み以降行かなくなりました。 小2から不登校になって、その後5年生から行くようになりました。6年の3学期からまた行かなくなって卒業式も出なかったので、中学校には行かないのかなと思っていたら、行ってみると言って自分で行きました。 でもその間、行かなきゃダメなんだという気持ちと、行けば楽しい面もあったりで、いろいろ葛藤していたんだと思います。私達に物で当たったり、ケンカをぶつけてきたこともありました。 中2の夏から行かなくなってからは、それまでのいろんな葛藤を自分の中で整理できたのかすごく穏やかな顔になり、とっても穏やかに過ごしています。 高校進学のことも全く考えていませんし、本人も「俺は高校には行かない。行きたくなったらその時考える」と言って、自分で決めることができています。 この親の会にきた最初の頃、内沢さんがもっと大きいお子さんの親御さんに「あなたはもっと自分のことをするために外に出たらいいのよ」とおっしゃっていたんですが、私はまだ娘が小さくて、だって私は出られないものと思っていたんです。 でもまさに今それをやっていてひとりであちこち出かけ、自分を大切に楽しく過ごしています。 先日娘とお風呂に入っているときに、「お母さん、“想い出のアルバム”歌って」と言ったんです。娘は1週間で幼稚園を辞めたんです。 「あおいちゃん、幼稚園に行きたかった?」と聞いてみたら、「うううん、あおいちゃんはお母さんとゆっくりのんびり暮らせて、すごくよかったんだよ」と言って、最後に「あおいちゃんはのんびりやさんだからね」と言った言葉がすごく可愛らしかったんです。(笑い) 次男の少年団のバレーの応援に行ったときに、娘はお母さんたちの会話の中にしっかり混じっていたらしく、あるお母さんが「うちの子は熱があっても学校に行くと言う」と言って、もうひとりのお母さんは「うちは熱がなくても学校に行きたくないと言う」と話していたらしいんです。 そしたら娘は「あたしのうちはね、熱があってもなくても、何んともなくても学校に行っても行かなくてもいいんだよ。いいでしょう」と言ったというんです。(笑い) あおいちゃんにはかなわないと言って、それはすごいなと思ってすごく嬉しかっです。 |
Last updated: 2005.6.16
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