登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島) 登校拒否も引きこもりも明るい話


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体験談

2005年7月発行ニュースより。
登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)会報NO.114


登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)では、
毎月の例会の様子をニュースとして、毎月一回発行しています。
その中から毎月2割から3割程度をHPに載せています。


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「自分を大切にすると、幸せだと思えることがいっぱいある!」

 
6月例会報告


 子どもたちのお話は、本当に感動します。
子どもたちが元気になっていく、そして、大事なことをたくさん私たちに教えてくれます。



 高校時代リストカットをしていったNさん(19歳)は例会に参加するたびに笑顔が増えます。
「高校時代、私は誰からも愛されないダメな人間だと思っていました。
でも、私ってありのままで素晴らしかったんだ、私は今自分を大切にしています。
自分を大切にすると、幸せだと思えることがいっぱいある
」。なんて素敵な言葉でしょう!



 不登校や閉じこもりの「解決」「成功」は、世間の価値観では、学校に行くこと、とじこもりは社会に出ること、と短絡的です。
 しかし、もっとも大事なことは、「今」の自分をあるがままで大好きになることです。



 玲子は、「親の会の話は、すべて自分のこととして考えられるようになり、自分の生き方を勉強できました」「親の会は私の人生の基盤」と言います。
 「何もかも色鮮やかに見える。美しいと感動できる、幸せだなと感じられる、そのことに感動しています」と言う山口愛美さんは、気がついたら過食も辞めていました。



 こうして子どもたちは自分を大切にすることを私たちに教えてくれます。
親たちがそのことを学び、自分の人生を豊かにしていきます。
 親の会に参加して、理屈ではなく、人生の楽しさを、命の大切さを、そして何よりも自分を大好きになって、自分を大切にしていく子どもたち、おとなたちの話に、感動しあいたい、感じあう力を持ってほしい、だから親の会が毎回感動するんです。



 今月も初めて参加された方、しばらくぶりで参加された方が問題提起をしてくれて、
またあらためて自分を振り返るいい機会でした。
 こちらに、内沢達の書下ろし(家の真ん中に「15周年記念誌」を置こう!─ 親自身の課題への取り組み ─内沢 達)を掲載しています。
6月親の会の大事な問題提起をまとめてあります。是非ご一読ください。



 
 
1.自分を大切にすると幸せだと思うことがいっぱいある!Nさん(19才)

 2.親の会は私の人生の基盤  内沢玲子

 3.私は、花がきれいだと感動できる、幸せだなと感じられる・・・。山口愛美さん

 4.今、息子はゆっくりと充電中 Mさん




自分を大切にすると幸せだと思うことがいっぱいある! Nさん(19才)

Nさん(19歳)に辛かった時の気持ちと今の気持ちを話してもらいましょう。


Nさん:高校時代の辛かったこと、リストカットしたりしたことは余りよく覚えていないです。
でも夜中に本当に一人でずっと泣いた時、「自分はなぜ生まれてきたんだろう、自分はダメな人間だ」と思って絶望していました。



 リストカットした時は、言葉で苦しさを訴えてもわかってくれない両親に対して、リストカットすると「この子はこんなに辛かったんだ」とわかってもらえるのじゃないかと思ってしたのに、「なんでこんなことをするの」と怒られたぐらいでした。
「私のことは愛してないんだなあ」と絶望的になって、高校時代はとても辛かったです。



 卒業してからも短大へ行きなさいと言われて、「私はがんばって、がんばって短大へ行くしかないんだなあ。これが私の人生なんだろうな」と思って。
言っても両親にはわかってもらえないだろう、と思ってました。
「学校へ行かない」ということを私の親は絶対認めてくれないだろうと思っていたので、絶望して行きました。


―――絶対わかってくれないと思っていたお父さん、お母さんがどうして変わっていったのですか?


 私が短大の実習を逃げ出して、一時行方不明になったんですよ。
その時、皆で必死で探しまわったらしくて。
両親は私が短大に行った時から、高校時代のような保健室登校とはさよならしたと思っていたらしいのです。



実習を逃げ出した時、ものすごくびっくりして、それで母はだんだんあきらめていったのかもしれないです。
 最初母は、ものすごく動揺して辛そうでした。
でもだんだん表情も柔らかくなって、私にやさしくしてくれるようにはなりました。


―――あなたが親の会へ毎回参加して明るくなっていったのよね。
自分を大切にすることを学んだからなのね。
そしてとうとう「あなたのこと大好きだよ」とお母さんも言ってくれるようになったのよね。
(はい)
 
今、アルバイトを辞めてから、やっと自分をすべてから解放して、ゆっくり家にいられるようになったのですね。


 やっぱり、私が楽になったのはここの会に来てからですね。
短大の友人とメールで話したんですけど、「私、今親の会へ行ってるんだよ。自分を大切にしようと思ったのは、親の会へ行くようになってからなんだよ」と言ったら、友人が「Nちゃんがどう思うかが大切で、それを人に伝えたり、聞いてもらう場所があるのはいいよね」と言ってくれました。



 するとすごく楽になって、自分はまだ高校時代のことを認めきれていない、辛くてまだ受け入れられずにいたんですけど、もう隠す必要はないと思って、初めて保健室登校のことや、リストカットのことが話せたんです。
それまでは高校時代のことは私の中では消し去りたい過去だったんです。
「気づいてあげられなくて、ごめんね」と友人は言ったけど、そんなんじゃないよと言いました。



 私は最近、いろんな人に自分の気持ちを言えるようになりました。
他の友人にも「自分を大切にしているんだよ」と言ったら、「Nは成長したね。ゆっくりいけばいいよ」と言ってもらえました。



 高校時代、私は誰からも愛されていない、ダメな人間と思っていました。
今はバイトしている訳でもないし、学校に行ってる訳でもないし、がんばっている訳でもないし、いい子している訳でもないし、それなのにいろんな人が私を受け入れているし、認めてくれているんです。
私ってありのままで素晴らしかったんだなあと思えました。
ありのままでいいんだとわかって、とってもうれしかったんです。



しかし、短大の友人が6月になってから、なた実習に行ったんです。
それから、何か頻繁にメールしていたのが来なくなって、取り残されたような気分になって、そこからへんな方向へ考えが向いていったんです。



 何もしていないのに、皆が受け入れてくれるので申し訳ないから、自分もがんばらなくちゃと思うようになったんです。
友人ががんばってるから、自分もがんばらなくちゃと思うけど、することもできないし、だんだんイライラしてきたんです。
 昼間一人でいると、自分にイライラしてきて、お父さんやお母さんと一緒にいるとイライラしなくてすんだので、私は家族に癒されているんだとわかって良かったです。



 一人になると何かしなくちゃ、しなくちゃと思っている所に愛美ちゃんからメールが来て、今の気持ちを伝えたら、愛美ちゃんも「私も一人でいると不安になるよ。話してくれたらうれしいし、話聞くよ」と言ってくれたので、楽になって落ち着いてきました。友人ががんばっているなら、自分は応援するだけでいいし、自分までがんばる必要はないとわかって、私は私のペースでいけばいいとわかりました。



 高校時代の友人で専門学校へ進学した人が、登校拒否で一時、東京から帰ってきていました。もうどうしたらいいかわからないし前へも進めない、と言ったので、私は「今、自分を大切にしているよ。自分を大切にすると幸せだと思うことがいっぱいあるよ」と言ったら、「ふうん。自分を大切にすることならできるかも。人間の心ってすごい複雑で、いきなり180度変えることはできないので、ゆっくりいこうと思う」って返事がきたんです。



 それを見たら私の方がすごい楽になって。「ああ、そうだな。実習をリタイアしたことをいきなり認めることはできないけど、ゆっくり時間をかけて認めていけばいいかな」と思ったら、すごく楽になりました。


―――よかったねえ。
 自分を大切にするということは年齢に関係なく、自分を受け入れていくことなんですね。
それには自分の時間が必要なんだよね。
 あなたの時間、愛美ちゃんの時間、FUMIEさんの時間、玲子の時間、ひとりひとりの時間がそれぞれ必要なんだよね。




親の会は私の人生の基盤 内沢玲子

―――26歳の娘の内沢玲子の書き込みです。
 玲子は3年余り充分に引きこもって、休息しました。そして5月6日〜16日まで念願のタイへ行ってきました。

〜玲子さんの書き込みを読み上げる〜(こちらで見ることができます。→


 
こんなふうにして、娘はタイへ行くことができました。
娘は辛い時は私に八つ当たりしたり、イライラしたりしていました。そんな玲子を「見守る」のではなく、「放ったらかして」一緒に暮らしました。
そして、エネルギーを貯め、それがはじけて元気にアルバイトをして、その働いたお金で大好きなタイへ出かけることができました。



内沢玲子:私にとって親の会は私の人生の基盤です。
 親の会へ来て、いろんな人の話を聞いて、主語を私に置き換え、述語を私の今の状況へ置き換えて聞くと、今までは他人事として聞いていたことも、ひとつひとつの皆さんのお話が自分のこととして考えられるようになり、自分の生き方を勉強できました。


 
 そういうふうに聞く力が出来てきたから、親の会以外でも、例えばバイトで知り合った方たちの話も、聞くのが今楽しくて楽しくてたまりません。
暇さえあれば、たくさんの人たちのそれぞれの人生を聞きたいと思っています。あんまり聞くので、新聞記者みたいと言われました。



 そして感じたことは、今まで自分が閉じこもっている時は、皆スムーズに人生を生きていていいな、自分だけ不幸な状況だと思っていたけど、誰一人として、形はたとえスムーズなように見えても、ひとりひとりの人生には山あれば、大きな谷もあるんだなと思いました。
そうやってひとりひとりのお話から学ぶことがたくさんあるんだなとつくづく思いました。



 以前だったら、自分にとって気に入らないことを話された場合、その人の全てをシャットアウトするみたいなところがありました。
 その人はもうそういう人だと決めつけていましたけれども、今はその人はそういう所もあるけれど、自分はその人のこんないい点は学べると思えるようになりました。
それはやっぱり親の会で学んだ基礎が、私にそういうふうに応用をさせてくれる力をくれたんだと思います。




私は、花がきれいだと感動できる、幸せだなと感じられる・・・。山口愛美さん


山口愛美さん:私は今22歳です。
 学校に行かなくなったのは17歳の5月で、その秋に退学しました。
 Nちゃんの話を聞いていて、私も痩せなきゃ、痩せなきゃとやっていたのは、親に私の辛さを理解してもらいたかったからだなあと思い出しました。
―――命がけだったものね) そう。
一番身近な家族に理解して欲しいという気持ちがそうさせていたと思う。



 この間、まいちゃんと学校時代のことを話しているときに気づいたことがあるんです。
私は今年の新年会のとき、学校に行かなくなった時のことを「ただ学校にあわなかっただけ」と話したけれど、そうではなくて、自分がその前に自分らしくないことをして疲れてしまっていた、だからその結果だったんだな、と思ったの。



 それまで宿題もテスト勉強もしたことがないのに、高校に入って急に宿題やテスト勉強をしたり、生徒会長になり皆の模範になりますみたいにして過ごして、一生懸命自分はこういうふうにしないといけないと自分自身をがんじがらめにした結果、疲れてそうなったんだなと、私がこれまでの中で一番納得する答えを見つけました。
それを認めるまでに時間がかかるんだなあと思いました。


―――そんなふうに愛美さんは言えるようになってきたのね。


 この頃はただ生活しているだけなのに何もかもが色鮮やかに見えるの。
色がなかったわけではないけれど、以前よりより鮮やかに感じられるのね。
この間、お父さんと霧島に行ったんだけれど、ミヤマキリシマを見て、なんてきれいなんだろうと感動しました。
 


 その帰り道、車の中で泣けてきたの。
私は花がきれいだと感動できる、幸せだなと感じられる、お父さんと休みの日を満足して過ごしたり、楽しいと思えるようになったんだと、すごく自分自身がびっくりして感動したんです。



 この間バイクの免許を取ったんだけど、事故ってしまったんです。
たいした事故ではなかったけれど、家に帰ってご飯を食べているときに、もしかして死んでいたかもしれないと思ったら、横にお父さんがいてご飯を食べられることが嬉しくて、そんなふうに自分で感じられるようになって幸せと思う。



 テレビで、全身にやけどを被った女性が家族に大切にされ、家族の愛情で癒されていったという番組があったんです。
 その女性はあなたはやけどをしなかったほうがよかったですか?という質問に、私はこうなってよかったと答えていたの。ああ親の会と同じなんだなと思って。散歩に行って小さい子どもが泣いていたんだけど、その子のまだ小さいお兄ちゃんが大丈夫だよって一生懸命慰めている姿に感動したり、もう何を見ても感動してるの。(涙)


―――あなたはこの5年間、親の会に毎回お父さんと参加して、いっぱい泣いて、そして強くなっていったのね。
 感動できる力が出てきたということなのね。親の会に参加して、その積み重ねが、気がついたらたくさんの幸せをもらって、こうして楽になってきている、そのことに感謝ですね。



 12月にNHKの取材を受けて、あの頃から楽になってきているんだけれど、日を追うごとに昨日と今日でガラッと変るわけではないけれど、徐々に徐々に小さな積み重ねで、ある時ハッと気がついたら、ああ、私はこんなに楽になっている、幸せだと感じている自分がいるんだということにすごくびっくりする。


―――毎日の積み重ね、目に見える変化はないかもしれないけれど、毎日の積み重ねが大事なんだよね。
 愛美さんの話も、Nさんの話も、玲子の話も、当事者の話は私達に多くのことを教えてくれますね。


 FUMIEさんが掲示板に書き込んでくださったことも嬉しいし大事なことですね。
私達親は子どもの人生のために生きているわけではありません。
私達は自分の人生を大切に生きて行く、その結果として我が子もそのように感じていくということで、そのためにも人の話からたくさんのことを学ぶということが大切ですね。





今、息子はゆっくりと充電中 Mさん


Mさん(父):長男が20歳、次男が17歳です。
次男が中3の2学期からずっと家にいます。


 中3の1学期中盤から朝起きられない状態が続いたので、叩き起こして「学校に行きなさい、行きなさい」と言って、行ったり行かなかったりしました。
担任も訪ねてきて息子と話をしていました。夏休みの間に息子の気持が変わって2学期から行ってくれればと思い、運動をさせたらいいのではないかなどと色々考えました。



 2学期になり始業式に行ったきり、2日目からまた行かなくなりました。
そのとき息子に「もう、お父さんとお母さんは、朝、君を起こして学校に行きなさいとは言わないから、君が行きたいなと思ったときに行けばいいよ」と話をしました。
そうしたら、いつも朝になると頭が痛い、お腹が痛いと言っていた子が、次の日には我々よりも早く起きて、非常に元気でガラッと変わりました。



 それから親はこういう息子の状態が長引くのにものすごく不安を感じて、さていつから行ってくれるのだろうか、行くきっかけをどう作ろうかと、私は学校や大学の心理学の先生に相談に行きました。
 妻は教育委員会のホーム相談に行きました。
息子は友達の誘いで2学期途中の音楽発表会にだけ行きましたが、その後はずっと行かず卒業式にも出席せずに中学を卒業しました。



 高校は私立に専願という形で入学しましたが、2日行ったきりでまた行かなくなりました。高校側も学校になじめない子のための部屋を作って、父母にも相談室を設けていましたので、私は1回、妻は2,3回行って話を聞きました。息子はずっと家にいる状態でした。



 2年に進級の時点で、出席日数も足りないし、どうしたらよいか分からなくて、初めてこの会に参加しました。
 結果として息子に、「もし来年4月に行くとしたら、もう進級できないから、1学年下の子たちと一緒の教室になるけど、どうする?」と聞くと、「いや、とても行けない」、「それだったら思い切って辞めようか」と言う私に、本人も「そうして欲しい」と言うことで、退学をしてずっとそのまま家にいます。



 私もこの会に参加する前は、何とかきっかけを作って学校に行ってくれれば、それが親の責任のような気持ちがあって、親が何もしないままで子どもが社会復帰に入っていけないのは、やはり親の怠慢かもしれないと思っていました。



 この会で私たちは、そういう働きかけよりも、彼自身が家の中にいてゆっくり過ごし、そこで自分の力でエネルギーを蓄積していく、という考えに納得しました。
息子を腫れ物に触るような感じはなく、普通の接し方ができるようになってきています。


―――皆さんもそうなんですが、いろんな所へ相談して回っている時というのは、ご自分の気持ちはとても不安なんですか?


 そうです。
 結局は親である私が、子どもが学校に行けないというのがかなり不自然な環境であって、それが長くなれば長くなるほど、社会復帰のハードルは高くなる、だからハードルの低いうちに何とかそこをクリアさせてやりたいという気持ちで焦るわけです。
親が何もしないまま放っておくと社会復帰のハードルはどんどん高くなるのではないかと。
―――そういうときに聞くお話はどんなお話ですか?



 私が聞いたのは心理学の先生で、うちの息子のことを見かけたことがある方でした。
サッカー部の息子が周りの子に気を遣って、ほんとだったら後輩がしないといけないような仕事を3年生の息子が率先してやったりするんです。



 例えば心理学の先生にも最後に出るときに、「ここの照明を消すんですか?」と言って気を遣い過ぎるんです。
それに対して、人間というのは家族以外の人間の中で疲れもするし、その中でも楽しみがあるんだから、先ず家族以外の人間関係を作るほうがいいでしょうと言われ、私は「そうだ、そうだ」と納得して。(笑い)
―――そこら辺の人が言うのと大して変わらないですね



 でも、普通の人が言うのと、やっぱり偉い先生が言っているのでは信頼度が違いますから。(大笑い)
―――自分が疲れているのに他人との交わりはできないよね



 そういう中で疲れて学校を拒否してるわけだから、学期の初めとかにきっかけを作って、そこから学校に行ける環境作りができる、と言われて。(笑い)


―――そのような言い方をすると親はそうかなと思って、出さなきゃ、出さなきゃと焦って、子どもが親の言うことをきかないとイライラして、いったいいつまでこういうことになるんだろうと思いますよね。結果として我が子を否定してしまう。


 最近の状態を言うと、自然な生活で、妻もパートに出るようになり、パート仲間の飲み会で夜遅くまで出かけていたとき、私が7時半に職場から帰ったら、息子が冷やし中華を作って「お父さん、ご飯だよ」と出してくれて、それがなかなかのもので妻が作るのよりおいしかったです。(大笑い)


―――「社会性が身につかない」という言い方で脅迫されると、家にいると社会性が身につかないと不安に思ってしまう。
 「社会性」という漠然とした概念に怖れるんですね。

 私は社会の一番の単位は家族だと思います。家族に愛されて慈しまれ、自分が大事にされ、あなたの存在が非常に大切なんだよということが伝えられ、自分自身も大切に出来るようになる。それが社会性を育む大切な要素なんですね。


 例えば娘の玲子が26歳で閉じこもりをやめて、タイへ出かけたとき、この子は無理しないで出ているなと分かりました。
 無理していないか、無理しているか、すぐ親はわかります。
親にそれを見る力があればね。そのとき家族の中でこれだけ社会性が身についてるなと分かります。何の違和感もなく肩に力を入れずにすんなり社会に入っていきますからね。


 正しい引きこもりは必ず身につきます。
 ですから社会性は家族の中で身につくというのが大前提ですね。
家族はそういう重大な役割を果たしているんです。
身につかないときというのは、家族の中に虐待があるときだけですね。





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