登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島) 登校拒否も引きこもりも明るい話


TOPページ→  体験談目次 → 体験談 2006年2月発行ニュースより



体験談

2006年2月発行ニュースより。
登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)会報NO.119


登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)では、
毎月の例会の様子をニュースとして、毎月一回発行しています。
その中から毎月2割から3割程度をHPに載せています。

体験談(親の会ニュース)目次はこちら→


問題だと思われていることは 問題ではありません 
2006年2月発行ニュース(会報)より
(2006年1月例会の様子)


皆さんのお話は、毎回感動です。
わが子が不登校やひきこもりになって、どうしよう・・・と不安だった日々。
でも、いつしかそのわが子にいっぱい教えられていることに気づいて感謝している、というお話が相次いで胸が熱くなります。


高校を辞めたいと思っても、なかなか言い出せなかった長谷川さんの娘さんが「親が子を思う以上に、子は親を思っているんだよ」と言いました。
子どもは本当は自分が大変なのに、それ以上に親を思っているんですね。そして、一番自分が信頼している「親」にわかってもらいたい、と切実に思っているんですね。


親が、わが子の状態になんの不安もなく、安心していくにしたがって、子どもを「放っておく」ことが出来るようになります。
Tさんのメール「お母さんが僕のことをほっておいてくれたから、僕の人生の中で一番充実した年だった」という言葉は大事ですね。


「我が家は5人が好きなことをして仲良く暮らしています。親を呼ぶときも名前で呼んで・・」というじぇりさん。「気がつけば家にいる娘たちが親を支えています。私の気持ちがこんなに楽になって」というNさん。「娘から、お母さんは親の会に行きなさいと言われて、おかげで夫婦の仲もよくなりました」とAさん・・・。わが子の状態が自然なんだなと気がついていって、家族の関係が幸せになっていった話はとても感動です。


娘さんの拒食が不安だというYさん、Mさんのお話は、誰にも共通する大事な問題提起でした。わが子の状態を「普通問題だと思われていることは問題ではありませんよ」と、内沢達が「AであってAでない」と展開しています。是非お読みください。


1 「これでよかった?」と聞くと明るく答える息子  Kさん
2 自分を大切にしよう、自分を認めてあげよう  Nさん
3 食事をとらず、話さなくなった息子・・・  Mさん
4 「AであってAでない」
  問題であって問題じゃない  内沢 達

5 「不安な気持ちはよくあること、
  不安になるってフツーなんだね」  まいさん

6 荒れる息子をとおして、
  自分を大事にすることを学ぶ  Hさん

7 「その時の息子の気持ちは・・・」  Dさん

8 家族5人仲良く、楽しく  じぇりさん



―――(内沢朋子)親の会で私がすごく感じるのは、例えば学校に行って当たり前、高校や大学に行って当たり前、夫は仕事をして当たり前といった価値観が大きく揺らいだとき、そのことを不幸と捉えるか,それとも絶好のチャンスと捉えるか、だと思うんです。

人生の中には思ってもみないことがたくさんあるけれど、本当の幸せはなんなのかという大切なことに気づく絶好のチャンスと思えるか、思えないかによって、天国と地獄に分かれると私は思います。
私たちはもう一度そのことを確認しながらこの1年をやっていきたいと思います。
毎回の例会を積み重ねていくことが親の会の財産になっていきますね。



1 「これでよかった?」と聞くと 明るく答える息子  Kさん


@Kさん(母):中3の男の子です。
12月の例会で、担任から「私立高校か、通信制かを選択するように」と言われたと話しました。学校に行かず家にいる選択があることを親の会で教えてもらったので、「息子の意思を大事にしたいので受験はしません」と断りに行きました。
しかし担任は「私立の申し込みは1月中旬まで大丈夫ですから、年が明けてからまた返事をください」と言い、保留の状態でした。
先日担任に会って「どこも受験しません」と、もう一度はっきり断ったらすっきりしました。帰って息子にそのことを話し「これでよかった?」と聞いたら「うん」と言いました。明るく答えた息子を見て、これでよかったんだと思えました。


―――担任によく言えましたね。あんなに高校へ行って欲しいと思って揺れていたのに、息子さんを信じて言えてよかったですね。


はい。でも担任はしつこくって「3月中旬までは通信制もありますから」と言ってました。(笑) 「2、3ヶ月で変わることはないと思います」と言って帰ってきました。
夫は、今は何を言ってもだめだから行ける時でいいと思っているようです。


―――家族の笑顔が何よりですね。
子どもって親が導くものだと思いがちですが、違いますね。親は子どもから教えられることがたくさんあります。子どもはリスクを承知の上で不登校をして自分を大切にして、自分を守っているわけでしょう。そういう自分の人生を送っているのです。


今日長谷川さんはカゼでお休みですが、以前こんなお話をされました。長谷川さんの娘さんは高校を中退したんですが、娘さんはお母さんのことを思って中退したいとなかなか言えなかったんです。そのときのことを振り返って娘さんが、「親が子どもを思う以上に、子どもは親のことを思っている」と言いました。子どもは自分が辛くてもそれ以上に親のことを心配し思っているものです。


会報の後ろに先月千葉から参加されたTさんからのメールをご本人の了解をいただいて載せました。(HP前月例会報告をご覧ください)


彼女は以前は本当に涙、涙の日々でした。ここで大事なことは長男さんが「今年は僕が17年間生きてきた中で、一番充実した1年だったよ」、なぜかというと高校を中退して、いろいろ辛いこともあったんですが、「うちは、お母さんが、 僕のことを放っておいてくれて干渉したりしないから、すごく居心地がいいよ」って言ってくれた、これが大切な言葉です。
自分を大切にすることを息子さんを通して学んできたんですね。とてもいいメールですね。


Kさんも気持ちが楽になってこられてよかったですね。
受験の時期も冷静に乗り越えられますよ。息子さんはきちんと自分の人生を歩いていきますので、心配しないでご自分の人生を大切になさってくださいね。



@Kさん(母):それを信じています。私は最初、この会に参加したら息子が学校に行けるようになるのではないかと思って来ました。(笑) 以前は別の会にも行きましたが、ここに来てからは行っていません。私が息子に代わって高校に行ってやることも出来ないし、行くのは本人ですからね。本人の気持ちを大事にしないといけないと思えるようになりました。




2 自分を大切にしよう、
  自分を認めてあげよう  Nさん



@Nさん:19歳です。9月からバイトをしています。
本当に1年前の自分と、今の自分は全然違うなあと思っています。
1年前の親の会の新年会のときは、自分をすごく責めていたし、親にも理解されていませんでした。「家を追い出されたらどうしよう」と、本当に苦しかったし辛かったんですけど、「自分を大切にしよう」と決めてからは、自分がどんどん変わっていくことが出来て、それが自分でもよくわかりました。「自分を大切にしよう、自分を認めてあげよう」と思ったら、こんなにびっくりするくらい気持ちが楽になるのかと思いました。



年が明けてから成人式と同窓会がありました。
学校へ行っていて、自分を否定したままだったら、行きたいという気持ちは起こらなくて、きっと行かなかったと思います。だけど「自分を大切にしよう」、「自分はありのままで大丈夫なんだ」とそう思えるようになったら、成人式や同窓会に行きたいと強く思えるようになったんです。


本当に楽しみで楽しみで当日を迎え、懐かしい顔とも会えてすごく嬉しかったです。
就職している子や地方の大学に通っている子など、人それぞれじゃないですか。以前だったら「すごいなあ」と思って、自分と比べて落ち込んでいたと思うんです。
だけどそれがすごく楽しくて、友達の人生も素敵だなって、そう思えました。


同級生が「Nちゃんごめんね」と言ってきました。私は「なんのこと?」と聞いたら、「私は小学校のとき、Nちゃんを傷つけてしまった」と言いました。
「ええ〜、そんなことあったけ?」と言ったら、「うん、友達関係でNちゃんを傷つけてしまった。だけど、Nちゃんは優しくてその後も普通にしてくれて、だからずっと気にしていたの。謝る機会がなくて」と言ったんです。


よく考えてみたら、ゴタゴタあったなあ、私はいろんな出来事を全て私が悪いと思い、どんどん自分を否定していったんだな、そしてもうダメだと思って、短大の実習から逃げたんだな、と思ったんです。


その子も私のことを気にかけていたんです。
だから私も「今までは自分のことを否定し、全部自分のせいにしていた。
でも今は自分のことも好きだし、今前向きなんだよ」と言ったら、その子もホッとしたみたいでした。


私も今まで生きてきた中で、人を傷つけたことが絶対あると思います。
傷つけられたり、逆に傷つけたりということがあって、だからこそ、人の痛みも分かるし、いっぱい辛い思いもしてきたけど、良かったなあと今思っています。
普通に学校に行っていたら、親の会や今のアルバイト先の人たちにも会えなかったし、だから、私の歩んできた今までの人生は本当に辛かったけど、良かったなあと思えるのです。



それで1月12日に休学中の短大へ行って来ました。
私は実習中に逃げ出したことを責めていたんです。それだけは心の中でいつもひっかかっていて、短大のクラスメートに会いたいと思うようになったんです。
自分の言葉で自分の気持ちを伝えたいと思って、それで手紙で「私は実習のとき逃げ出したけど、自分を否定し続けてきたけど、ゆっくり時間をかけて自分を大切にしようと思って、今は自分のことを大好きになりました。
しかし、みんなには合わせる顔がないなあ、悪いなあという気持ちがあって、学校へ来られなかったんだけど、逃げていたくないと思って、今日は会いにきました」と言いました。


そしたらクラスのひとりひとりから「自分を大切にしてることって、すごいね」とか、「実習を逃げ出したとき、Nちゃんがそれほど悩んでいたのを気付いてあげられなかった」と言ってもらえました。
私は自分のことを責めていたけど、周りの人は全然私のことを責めていませんでした。
逆に心配してくれて、みんなの前で話せたことで気持ちが楽になりました。
今までずっとずっとそのことを責めていたけど、帰りの電車のなかでは、すごくすごく解放感があって、本当に楽になりました。
本当にワァーと楽になったので、それほど私の心の中を占めていたんだなあと思って。


―――短大の実習だけでなく、高校時代も保健室登校をしたり、ずっと自分を責めて自己否定していましたね。


本当に自分を大切にしようと思ったことがよかったな、きっとそんなふうに思えなかったら変わっていかなかっただろうと思います。
そう決めてからは自分がびっくりするくらい変わっていったのでよかったです。


―――本当に良かったね。
お母さんには高校へ行かないあなたを理解してもらえなかったとき、あなたはお母さんに理解してもらいたい、愛してほしいとずっと思ってきたよね。
そういう辛いときのことも全部忘れられるのね。お母さんはそのときのことを何か言われますか?


今でも完全に理解しているわけではないと思うけど、ここにも1回も来ていないけど、でもいいんですよ、そんなこと。(笑い)


―――いいお話ですね。
本当に子どもって親を許すのよね。私も娘に許してもらっていたなとつくづく思います。毎日反省の日々です。(笑い)




3 食事をとらず、話さなくなった息子・・・  Mさん


@Mさん:3人の息子がいます。
17歳の三男は、一昨年の9月頃から食事を摂らなくなりました。無理に食べさせていたら、去年の1月末に食べ始めたんですが、今度は言葉が出なくなりました。


これは息子のSOSだと思って、私は仕事を辞めようと思ったんですが、仕事が忙しくて言い出せませんでした。
そうしているうちに6月頃から固形物を全く食べなくなり、水分だけを摂るようになりました。最初はサプリメントを飲ませていたんですが、それも嫌がり自分で作るバナナジュースや飲むヨーグルトなどを飲んでいます。



9月からは持病の薬も飲まなくなりました。それまでは条件をつけて無理やり飲ませていたんですが、息子は「絶対に飲まない」と言うのです。
10月の親の会でお話したときに、「薬だけは飲ませないといけないよ」と言ってもらえるかと思ったんですが、そうではなく嫌がるのに無理に飲ませることはしないほうがいいと言われました。
薬は小さい頃からずっと切らさず飲んでいたので、飲まないとひきつけを起こすのではないかと、私は夜も眠れず心配でたまりませんでした。


(―――ひきつけを起こしましたか?)
ひきつけは起こしていないんですよ。(笑い)


11月末の寒い時期、がんがんお風呂のお湯を沸かして、「お湯に浸かっておきなさい」と言って浸けていたら、息子はのぼせて倒れてしまいました。
一瞬意識がなくなって、そのとき私は「これで病院に連れていける」と思いました。(笑い)
栄養が足りてないのではないか、せめて点滴でもしてもらえたらと思ってしまったんです。


―――そんな無理な注文にも言うことを聞いているのは、「お母さんに心配をかけて悪いな」という意識が働いているからでしょう。


私は仕事がきつくすごいストレスでした。
この会で「自分を大事にしなさい」と言われても、生活をしていかなければならないので辞めることが出来ず大変でしたが、息子のことがきっかけで仕事を休職し、もうすぐ3ヶ月になります。
おかげで私はすごく楽になりました。
息子がここまで体を使って私を休ませてくれたんだと思っているんです。
そうしないと私は辞める決断がつきませんでした。
ですから子どもには感謝をしていますし、こういう状態の子どもに何か親としてできることはないのかなと思ってしまうんです。



私は以前、別れる前、夫に付き添って心療内科に行っていたことがあるので、そこに行ってもだめだとわかっていましたが、周りがあまりに心配するものですから1度だけ子どもを連れて行きました。
そこではそのままでいいんじゃないんですかと言ってくれたので、それからは行っていません。


でもやっぱりこのままじゃ生活もあるし、仕事をしなければならないという不安がありますし、子どもの回復を待っていたら自分はいつまで経っても仕事が出来ないという自分のあせりもあります。


昨年9月の会報を読み返したときに、三男はこれまでいろんなことを見てきて、その辛さを出していると書かれていて、そうなんだと納得しました。
お兄ちゃんのことがあったときに私が困らないように先回りして、いろいろ手伝ってくれた気持ちの優しい子です。



―――仕事を辞めたことは、あなたご自身のためによかったということであって、息子さんのために、という考えはいけません。
「あなたのためにお母さんは仕事を辞めて、こんなにお母さんはあなたのことを心配しているの」ということは、「僕はこんなにもお母さんに心配をかけているんだ」と受け止めてしまい増々自分を責めることになります。


自分の人生を大切にするために自分が仕事を辞めたのであって、子どもがしゃべれないし、だから母親である私が仕事を辞めて何かしてあげなくてはいけないという考え方は、息子さんに「あなたは異常なんだ」というメッセージしか伝えませんよ。
「お母さんに心配をかけているなあ」としか伝わってこないんです。息子さんを心から信頼していたら何もしてはいけないんです。


だけど一方理解をするということは大事なんですね。
そこは法則的なんですが、23歳の長男さんは中学から不登校で、ずっと不安を訴えてきましたね。長男さんはそういう不安な状態で過ごしてきて、次は毎日三男さんを連れて外出しいつも一緒にいたでしょう。弟さんもお兄ちゃんと一緒でないと不安になるといった状態になっていましたね。そういうことを振り返り考えて理解してあげないといけないですね。


@Mさん:長男はカギがかかってないんじゃないかとカギに固執したり、携帯電話におびえたり、いろんなことで私が悩んでいるのを三男が見てきました。



―――長男さんがあなたに暴力を振るったり、これまでの家族の経過をずっと見てきましたね。そういう一言でいえないくらいの大変な状況がずっと続いたでしょう。
三男さんが自分の気持ちをバァッと表せないというのは分かりますよね。
だからあの子がこうなってしまったというんじゃなくて、そういうことから今こういうふうに自分の辛さを表しているんだ、それはとても自然なことだなと理解できるかどうかということなんですね。


長男は今いい状態です。
すごく頼りになっていろんな話が出来ます。
私が用事があるときは車に乗せて行ってくれます。
長男は私が仕事を辞めて家にいることが、精神的にすごく楽になって安心だ、と言ってくれます。


三男が今までの積み重ねで声を失ってしまうくらいストレスが溜まっているなあと思ったときに、放っておくといっても、私として何か出来ないかと思ってしまうんです。
このままでいいのかなと思うんですね。


 


4 「AであってAでない」
  問題であって問題じゃない  内沢 達



―――(内沢達):つまり親の会で言われることもわかるけど、親として何かしなくていいのか、という気持ちが他方であるわけですよね。


「AであってAでない」(と板書・・・)


僕が書いたなかで一番長いものですが「ことわざ・格言と登校拒否・ひきこもり」というのがあります。「登校拒否も引きこもりも明るい話」と言った板倉聖宣さんが作った「ことわざ・格言」を使って、問題の見方、対処の仕方を深めています。
「ことわざ・格言」を意識的に使って考えていくと、以前だと否定的にしか受けとめられなかったことも、違った明るい肯定的な見方ができるようになっていくんですね。
いつも「AはA」に決まっているわけではありません。
よくよく考えてみると「AなのにAじゃない」ということも少なくありません。



このことをMさんの三男さんの場合を例にして言いますと、お母さんは三男さんの状態を否定的に見ていますが、果たしてそうなのかということにもなります。
しゃべらないし、食べないし、すごく辛そうだし、かわいそうだという見方をお母さんはしています。でも、そうではない見方が、辛そうで辛くない、かわいそうでかわいそうではないという見方ができるんです。「AであってAでない」のです。



しゃべらない、食べないということは、普通だと大変辛そうに思われますが、じつは三男さんの今、現在はその状態が一番自分にあっているからそうしているんです。
もちろん辛さも間違いなくあるでしょうが、それはお母さんが心配している「食べない」「しゃべらない」というところにはありません。「食べる・食べない」「しゃべる・しゃべらない」を比べると、今は「食べない」「しゃべらない」ほうがはるかに辛くなく、楽だから続けることができているんです。


三男さんにはいろいろないきさつがあって、いまは食べなく、口をきかなくなっています。そのこと自体は心配しなければいけないことではありません。
問題のように見えることも問題じゃないんですね。むしろ、お母さんが「大丈夫だろうか、大丈夫だろうか」と心配していると、息子さんは今の自分を肯定できなくなってしまいます。問題といえば、「食べない」ことではなく、そちらのほうです。


Yさんの娘さんの場合も同じですね。
娘さん・A子さんの拒食も心配ありません。以前のBさんの娘さんの例からも心配ないと言えるんです。人間は食べたくない、食べられないときがあるわけです。だけどお母さんが心配でしようがないというふうに見ていたら、どうでしょうか。



昨年11月の例会にいっしょに参加されて、娘さんは「参加してとてもよかった」と言ってくれたそうです。うれしいですね。でも、娘さんは非常に気をつかっています。
帰りの車の中でA子さんは、お母さん(Yさん)に「私のことで心配かけてごめんね」と言ったそうです。お母さんは「いいのよ。あなたのことで私がいろいろとやるのは当たり前じゃないの。」と答えられたそうです。
普通ですと、このYさんの答えで十分ということになるんでしょうが、親の会16年の経験からは、違った評価になります。視点を是非変えていただきたいんですね。



僕は、「親だからわが子のために一所懸命になるのは当然」という考え方について、とても疑問に思っています。どうしてかと言うと、その考え方では、なんとおっしゃろうとも、相も変わらず問題を子どもの、息子や娘の、つまりわが子の問題ととらえているからです。
それでは、親が一所懸命になればなるほど、子どもは辛くなります。親の会には、まず親が自分自身のために来て欲しいと思います。
もちろん結果として子どものためにもなっていくのですが、鹿児島の親の会は「子どものため」という考え方で会をやってきていません。
初めは無理からぬことなのですが、その点を勘違いされたままでは、子どもは「お母さん、心配かけてごめんね」と言い続けることになっちゃうんですね。これは子どもを応援しているようでいて、じつはその反対で、子どもの辛さを助長させてしまっています。



僕はなにもここで、子どもの問題ではなくて大人の問題だとか、社会の問題だなどと言おうとしているのではありません。そもそも、「普通問題だと思われていることが問題なんかじゃありませんよ」ということを言いたいわけです。
「AであってAでない」んです。
その見方がないとわが子を辛くさせるだけでなく、まず絶対にといってもいいほどにうまくいきませんから、親は自分を「なんてダメな親なんだ」と責めはじめ、自身までも辛く苦しくさせちゃうんです。



Mさんの三男さんも、YさんのA子さんも、いまは拒食という形で辛さをあらわしています。それを他に仕方がないからではなく、自然なこととして肯定する、認めることがすべての始まりです。ある子は拒食・過食、別の子は家庭内暴力、はたまた深夜徘徊とか、閉じこもりとか、辛さのあらわし方が違っているだけです。大変なことや辛いことが続くと普通「そんなんで大丈夫?」と心配されるような状態を子どもは呈するようになります。「大変なときにちょっと異常のようになる」というのは、その子がなにもおかしくなく、正常であることの証明だと僕はこの会で何度も言ってきました。


さきほどBさんは、そのときは大変だったけれど、そのときがあったからこそ、今はすごく自分を大切にできるようになったと話されました。だからそういう点からも、心配しなければいけないような問題ではないんです。逆に「でも心配・・・」と考えてしまうほうが問題なんです。


親はわが子のことについては特別なことはせずに、普通にしていたらいいんです。「子どものために」ではなく、自分自身のために、子どもの状態に関係なく、毎日を楽しまれたらいいんです。そうした親を見て、子どもも「自分も今の自分のままでいいんだ」と自己肯定のきっかけをつかんでいくんです。


ひとつ僕からの質問ですが、A子さんが今食べられるものは何ですか?


(A子さん:スイカとキウィ、りんごの汁です)


今はそれしか口にできないんですね。そのA子さんの今を異常視せずに認め、肯定する。ただしです。「肯定する」ということは特別扱いをしないということも含んでいます。
今店に行けばりんごやキウィはいっぱいあるでしょうが、スイカはどうでしょう? お母さんが普通に買い物に行ってスイカがあったならいいんですよ。
そうじゃなくて、それしか口にできないのだからとお母さんがいろいろな店を探し回るようだったら、それはおかしいんです。子どもを大事にしているようでいて、じつはそうではないんです。それは子どもの辛さに手を貸していることになります。


 A子さんは以前にはプリンや乳製品しか食べられない時期があったそうです。今はそれが果物のほうに変わってきています。時期によって変わってくるんですね。
主人公は人間のほうで、食べ物ではありません。
食べ物や嗜好の変化に振り回されることは、子どもを尊重したことになっていません。



親が「この子はいまこれしか食べられないから」といって、その食品の確保に一所懸命になると、子どものほうの内面は「迷惑をかけてごめん」ということになってしまって、今の自分の状態を肯定していくきっかけをつかむことができないんです。
Mさんの三男さんの場合も同じです。本人が点滴だけでも受けたいと言うのならいいけれど、全然望んでいない。
嫌がっているのははっきりしているんだから、食べないことを認めてあげて、冷蔵庫に食べ物をそれなりに準備しておけば十分じゃないんですか。
他に食べたいものがあればスーパーやコンビになりに本人が買いに行けばいいだけの話です。


ここでも親の会の三原則が大事なんですね。
食べない、言葉を交わさない息子さんを異常視しない、家庭内暴力のときだけでなくて、子どもの言いなりにならない。お母さんは息子さんがこれとこれしか食べられないと思い込んでそれだけを用意しているとすると、それは言いなりになっていることでもあるんです。腫れ物にでもさわるかのように子どもに接しない。子どもをガラス細工のように扱わないということが大切ですね。



5 「不安な気持ちはよくあること、  不安になるってフツーなんだね」
  まいさん



@まいさん:17歳です。先程のA子ちゃんと同じ病院に私も行って薬をもらったことがあって、私自身も何かにすがって自分が悪くないのならそのほうがいいのかなと思っていたんだと思います。病院に行って診断書を書いてもらったら私は正式に休んでいいんだ、学校の先生達が何も言ってこない正式な了承みたいなものが欲しくて病院に行ったんだと思いました。


薬をやめたのは太ってきたからです。
昼夜逆転も直したほうが親が喜ぶかなと思って、「どうしたら夜眠れるようになりますか」と聞いたら、「2日間くらいずっと起きていたら夜はぐっすり眠れる」と言われました。(笑い)
 そうなのかと思って挑戦してみたんですが、6時くらいになると眠くなってしまって、もう眠いと思って寝てしまったらいつものペースなので、お医者さんの顔が信用できないし、もういいかと思ってやめました。
でもそれしかないときには、私が変なら誰かにすがれば元通りになるのかなと思っていました。


―――自分のことを変だと思っていたんでしょう。


周りが心配するし、そうだったと思います。
何でもいいから誰かにすがったら気持ちが楽になると思いました。でも診察をする先生が、お母さんがお父さんとのことを話したときに「それは夫婦の問題ですから」とお母さんが傷つくことを言ったのでいやだなと思いました。
カウンセラーの先生は「大変でしたね。すごく頑張ってきましたね。今ゆっくり休んでいいんですよ」と言ってくれて、その先生が話してくれるたびに涙があふれました。


―――お母さんが親の会に来られるようになった後から、真衣ちゃんも親の会に来るようになりましたね。


お母さんが新聞の記事を持っていてホームページを探して、それをふたりで毎日見て気持ちが楽になっていきました。


―――自分はおかしくないんだということに次第に気づいていったのね。


はい。「不安だ、不安だ」ということは、多分「ちょっと頭が痛い」っていうことと似ているなと思います。「ちょっと頭痛い」って言うと、「寝てたら治るよ」とお母さんが言ったり、「もっと痛い」と言ったら、「薬飲んで」って言うのに、「不安だ」と言うと、「どうしよう、どうしよう」となる。頭が痛いのは普通のことで、不安だということは普通じゃないっていうのはおかしいなと思うんです。
不安なことはよくある気持ちで、不安であることを不安に思っていたら、更に不安が拡大していってしまう。だから今、「不安だー」と私が言っても、「不安だねー」で終わりにしています。



実は暇でバイトがしたくなってお母さんに言ったら、絶対にやるなって言うんです。私は「学校に行かないんだったらバイトをしなさい」と言う親が多いのかなと思っていたんですが、私のお母さんは私がバイトをして、それがいやだと言うのがきらいらしくて、あんたが働いたらそこで皿を割って給料から引かれて泣くんじゃないのと言うんです。(笑い)


これまで、バイトのことで4回くらい言い争って、今回初めてお母さんが「いいよ」って言ってくれて、「辞めたいときにはちゃんと辞めなさい」と言ってくれました。これから探そうと思っています。


 


6 荒れる息子をとおして、
  自分を大事にすることを学ぶ  Hさん



―――先月の親の会で、Hさん(お父さん)が荒れる息子さんを「安心しなさい、大丈夫だよ」と言って抱きしめたら、息子さんが変わってきていい状態になってきた。
そして家族の状態がとてもよくなって、特に「妻が僕に一番優しくなった」とおっしゃっていましたね。(笑)


@Hさん(父):先月はひとりで参加しましたからねえ。(笑い)


―――息子さんはもう荒れることもなく、(母:はい、もう暴れないですね) お正月もご家族仲良く過ごされたんですね。(外には出ないですけど) そんなことしなくて良いです(笑い)。
あなたも夫のご両親に気遣いすることがなくなったのですか? 


@Hさん(母):お正月などは行きますけど、気にしないですね。
自分が変わり、穏やかになりました。以前は、子どもがこうなったのは夫のせいじゃないか、自分のせいじゃないか、といろいろ考えていたんです。


でも、昨年の6月、内沢さんに電話をしたときに、「息子さんが暴力をふるって命令したときに言いなりになってはダメよ、そうじゃないのよ」と一生懸命言われたんです。
う〜んそこはなんだろうと思いながら聞いていました。


(―――あの時、私のお話したことを分かってくださったの? あの時は、食器棚もひっくり返して大変なことになっているときでしたよ) そうです。
あの時「僕のことを信じていないんだね。と子どもが携帯に電話してきたんですよ」とお話したら、「そうでしょう。そこよ、何であなたは分からないの?! 今までいっぱいお話しをしてきたでしょう!」って!!(―――もうちょっと優しく言ったでしょう・・・)(笑い)



本当にたどらないと分からない道なんだろうと思うんですけど、「放っておく」というその意味が理解出来なかったんです。ここに来て勉強して分かるような気がするけど分からなくて、でも分かったときは、子どもとの壁というか、言葉では表現できないんですけど、それがなくなったんです。
「子どもに手を貸してはいけない」と言われて、放っておけば・・・何もしなければ子どもはどうにかなると、それも教わって、それから自分が変わりました。



そこまで行くまでには、家庭内暴力ですので子どもといろいろありました。息子が私の方に向かって来ると逃げる、教えられた通りにしました。来たと思ったら、「私は逃げるね、さよなら!」という感じで(笑い)。私が逃げると息子は血相を変えて追っかけてくるんですよ。
「でも、あなたがその状態ではお母さんが怪我をするから危ない、ごめんね」と言って逃げました。それから「時間が経ってから帰ってごらん。けろっとしているから」と言われて、夜、暗くなってから「ただいまあ」と玄関を開けて入ると、息子は二階で寝ているんですよ。
だから、ほんとに言われた通り息子がしているので、やっぱり経験者から聞いていることはいいことだと思って、その通りしました。(笑い)


「死ぬか生きるか腹をくくりなさい」と言われて、そこまできました。「どこかに預けようとしてはだめよ、親子の信頼をなくす」と言われて。
そこも頭に入れていたので、もう続く限りは家にいてそうやっていこうと思いました。


這い上がるまで何ヶ月もかかりました。やっと12月位で安定したかなというところです。息子は葛藤や不安があるので態度に出ることもありますが、それが落ち着いてきました。
昼夜逆転してはいるんですけど、二階から降りてきて「お母さん、ご飯」と、「ああ、ご飯なの」と言って、あとは余計なことは言わない、それだけです。


―――それじゃあ、あなたの夫も息子さんが暴力していたときは、かっこよく言えば、自分が盾になって、あなたをかばってくださったりして、ご夫婦仲も良くなり、いっそう信頼関係も増しているんですね。


自分が変われば人も変わるんだなというぐらい変わってきました。自分が優しくすればいいというのを学んでですね。優しくというか、子どもには普通にご飯を食べさせればいいのよと、その通りしました。


自分がイライラするようなことがあったら、自分を大事にすればいいんだな、温泉にでも行ってとやっと分かって。すると夫が趣味でゴルフに行こうが、息子と会話もしてくれないと思う時も「まっ、それはそれでいいっか!」というぐらいの感覚になってしまいました。


 (―――じゃあ、あなたはお嫁さんとして気を使うということもなくなったの?) 気を使いませんね。考え方ひとつで、そうやって流せるようになると人間は変わるんだなと、だから今日お話を聞いて、私は間違っていなかったんだなと思いました。


自分を大事にすると周りのことも「これもありだな」と思えるようになってきました。(―――いいお話でした。)



7 「その時の息子の気持ちは・・・」 Dさん


@Dさん:今年の正月は皆風邪ひいたりしてゆっくりしていました。
その時思ったのが、息子が学校に行けなくなった中学3年生の時のお正月のことです。
2学期に大学の心理学の先生のところに行き、「家族以外の人と接することが大事だ。あなたの息子さんはタイミングをつかむと行くと思いますよ。正月休み後の3学期が始まるその辺がいいですね」と聞いていたので、僕もその気になって、その時のお正月は息子を引き連れて、親戚のうちをいっぱい回り、家族以外の人と接することが大事ということで、普通は行かない親戚で中学の校長をしているおじさんのところにも回ったりしました(笑い)。



息子は別に拒否するんじゃなくて「いいよ」と言ってついてきて、そのとき僕はほんとにものが見えなかったんだなと今になってつくづく思います。
その時の息子の気持ちはどうだったんだろうかと思います。
その例では、まさにAであってAでない、自分であって自分でない、と思います。
つまり自分は自分なんだけれど今の自分であって、あのときの自分ではないです。それにしても反省しています。


―――子どもは自分が辛くても親を思うんですね。子どもって本当に親孝行ですね。



8 家族5人仲良く、楽しく  じぇりさん


@じぇりさん:2、3日前にいきなり適応指導教室の人が男女二人でやってきたんです。
普段は一歩も外へ出ない17歳の長男が応対していて、「適応指導・・・」と聞こえてきたので、私は早く帰ってもらおうと思い急いで交代しました。
私は「もう、結構ですから」とすぐ玄関を閉めたら、ドア越しに色々しゃべるんです。


私は頭にきてもう一度ドアを開けると、「心配で・・・」とか、「お母さんの話が聞きたくて」とか言うから、「失礼じゃないですか! 人の家に訪ねて来るのに、なんの断りもなく突然やってきて。私はそういうことは一切してくれるなと学校にも伝えているのに、それでも来るということはどういうことですか!!」と言うと、「校長に聞いたら行ってもいいと言ったから」とか言って。私は「心配とは、うちの子どもが問題だと思うから心配なんじゃないですか」と言ったんです。もう止まりませんでした。(笑い)


(―――じぇりさんじゃ、先方は言う相手を間違えましたね)(笑い)。
いやもう、すごく疲れました。見るからに偽善者ぶって、愛想をふりまいて、いや〜な感じでした。学校の先生に長い間関わっていなかったので、ほんとに久しぶりの不快感でした。


「お母さんの気持分かるんですよ、分かるんですよ」と言うので、私は「いや、分かりませんよ」と(笑い)。こんなこと一生懸命言っている私はばかみたいだなと思いながら言っていました。
「今後、来ないで下さい」、「良いと思って家庭訪問することが、どれだけの子どもや親を苦しめることになるか分かりますか」と言っても、相手はなんと「分かります」と言うんです(笑い)。
分かってないのに「分かります」と言える無神経さがすごいなあと思って。かわいそうだなと思って。(笑い)


最後に「ほんとに子どものことを思ってくださるのなら親の会のHPを見て勉強してください」、「今までも学校に何度も足を運んで色々話して来ました。私が今まで話してきたことはあなたたちには全然伝わってないし、もう意味がないことだとわかり、私は足を運ばなくなりました」と言いました。


もうすっかり熱くなって(笑い)、不愉快になって、夫に学校のこういう人たちが来たとメールして二人で怒ったんです。今でも思い出すだけでも嫌です。


―――上の娘さんは?(18歳です。3人の子どもが家にいます)。下の子どもさんは?(13歳です)もうそれが当たり前という感じなんですね。


昨日も職場の人に子どもはどうしてるの? と聞かれて「ずっと家にいます」と言うと、「私だったら、そういう状態ならどうかなりそうだ」と言われて、そこの子どもさんは進学するからお金がかかって大変みたいなので、私は「うちは子どもが学校に行ってないので、お金もかからず助かります」と言ったんです。(笑い)


子どもたちも初めに見せた不安な状態はなくて、今はもう普通です。いろんな時期があるんだなと思います。(―――気が付いてみたらもう、という感じで?)そうですね。今は何をやっているのかわかりませんが、自分で好きなことを色々やっています。漫画を買いたいからとか、こんなDVDを観たいからと一緒に買い物に出かけたりします。親子という感じでなく、たまたま一緒に暮らしている5人家族、それぞれ好きなことをやっているという状況です。いい家族だなと思っています。


先ほどの話で子どもにはご飯だけ用意してということでしたが、私はご飯すら用意してるかどうか怪しいんです。私は食事を作りたいときしか作らないんです(笑い)。
昔は3食しっかり作って食べさせたいと思っていたので、残すのも許したくなくて、こんなに作ったのになんで食べないのというのがありました。
今は子どもたちに「したいことだけをやりなさい」と言っていますから、子どもでも夫でも私でもそうです。お互いに干渉しないでお腹が空いたら何か食べるだろうなと思っていますので。


―――じぇりさんのご家族は「お母さん」「お父さん」と呼ばないんだよね。(はい)あなたは「じぇり」で、 お父さんは「なおぶー」と呼んでる。


最近は「直樹」と呼び捨てなんです。今日も「おい、直樹」なんて息子が夫に言ってました。(笑い)


(―――親子の垣根なんて何もないんですね) ないですね。


―――(内沢達):じぇりさんやなおぶーさんが出かけるときの朝ごはんはどうなっているの?


朝ごはんは決まってないですね。
時間帯が違って、夫は私が寝ているときに5、6時の早い時間に会社へ出かけてしまっていなくなっていて、夜も帰宅時間は夜中2時だったりで、もう独身のような生活なんです。
私は息子の掃除機の音で目が覚めます。(大笑い)



このページの一番上に戻る→


体験談(親の会ニュース)目次へ←


←2006年3月発行ニュースはこちら/ TOPページへ /  →2006年1月発行ニュースはこちら





Last updated: 2006.2.25
Copyright (C) 2002-2003 登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)