登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島) 登校拒否も引きこもりも明るい話


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体験談

2007年3月発行ニュースより
登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)会報NO.131


登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)では、
毎月の例会の様子をニュースとして、毎月一回発行しています。
その中から毎月1/4から1/3程度をHPに載せています。


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「会報が届くと空気が違う!」   2月例会報告


3月になりました。この時期、「世間」は進級、卒業、就職と何かと気ぜわしい。不登校や引きこもりの子ども、親が不安になる時期でもあります。


でも、「あー、そういえばそんな時期ね・・・」と感じる気持ちがあれば大丈夫です。大事なことは、世間の価値観や学校のスケジュールに我が子の気持ちを合わせないことです。


「幸せ」ってなんでしょうか。私は、「愛」だと思います。家族への愛、つれあいへの愛、わが子への愛。愛情の対象があることは何よりの幸せと思います。無条件の愛は、幸せをもたらしてくれます。愛が深ければ深いほど、人は幸せになれる。学校に行っているから、職についているから、どこかに所属しているから、ではないんですね。いつもその原点にかえることができるのも親の会です。


2月例会は、夫婦のことが話題になりました。長い間、夫のDVやモラルハラスメントに苦しめられ、自己を否定して辛い日々を送ったJさんやOさんは、親の会に参加するなかで自分を一番大切にすることに気がついてきました。


このたび離婚されたKさんは、「今月の例会を最後に鹿児島を離れます」と辛い別れの言葉を述べられました。Kさんの話をきっかけにして、夫婦の危機があっても、わが子の不登校や引きこもりをきっかけに、大人である自分達自身を大切にするようになって、お互いがかけがえのない存在であることに気がついたという感動的な話もありました。


MKさんの娘さんからのメールがありました。
「会報が届くと、ほんと空気が全然違います。読んだ母が一気に元気になるのが分かります(笑)。私も、ここは重要だ!ってところには蛍光ペンを引いてマークし、読み返したりしてます・・・。」


うれしいメールでした! 会報が元気を届ける源になっているんですね。
感謝、感謝です。

(内沢朋子 3月発行会報「扉のことば」より)




目次


1 過食、拒食は何も問題じゃない   山口良治さん

2 引きこもりは私の人生の貴重な期間    内沢玲子

3 「うちの子は特別!」じゃない   内沢 達

4 「息子にはもっとゆっくりしてほしい」と思えるようになって  Kさん(母)

5 娘から多くのことを教えてもらった日々   Gさん(父)





過食、拒食は何も問題じゃない   山口良治さん



@現在娘は23歳で、福岡で昨年8月から一人暮らしをしています。
娘は高1の時に生徒会長に選ばれました。しかし生徒と学校の狭間で悩み、だんだんと疲れが溜まって拒食になっていきました。でも僕はそのことに全然気がつかなくて、ある日突然学校からの連絡で学校に来ていないということがわかったんです。慌てて探したんですが、どこにもいなくて、自宅裏の屋根の上にうずくまっていたんです。


娘は「学校が怖い」、「登校できない」と言いました。僕は娘の身にそんなことが起こるなんて全く考えてもみなかったので、何をどうすればいいのかもわからず、日頃車の中で聞いていたNHKのラジオ電話相談に電話をかけたりしました。また鹿児島大学の心療内科に行き、ベッドが空いたら入院という手続きもしましたが、娘は絶対拒否で、もらった薬も全く飲みませんでした。首に縄をつけて連れて行く訳にもいかず、毎日途方に暮れていました。


そうこうしているうちに、娘は拒食から過食へ変わり、はっきり登校拒否になりました。何かにすがりたくて、書店や図書館で拒食・過食の本を探し、また登校拒否に関する本を探しては読んでいました。高2の5月の連休前でした。図書館から借りてきた本の後ろに鹿児島の親の会が紹介されていたんです。娘が内沢さんに電話をして、それから僕が毎月欠かさず参加するようになりました。


はじめに内沢さんから、「拒食は何も問題ないです」と言われたんです。(笑)
そう言われても僕は「登校拒否は仕方ない。しかし女性として、今、身体の出来つつある時期に、拒食は困る、過食も困る」とものすごく不安でした。それからの1年間は本当に地獄のようでした。


娘は昼夜逆転し、一晩中食べて、そして吐いてを繰り返し、バケツぐらいの屑入れいっぱい吐きました。一番痩せているときで、153センチで32キロまで痩せました。
それでも例会の参加を重ねるうちに、少しずつ娘の状態を受け入れるということが出来るようになってきました。


しかし、拒食から過食になった時に、今度は同居していたおばあちゃんと娘との関係が大変でした。農作業から帰ってきた時にお茶を飲もうとしても、飲み物は勿論、家の中の食べ物は娘が全部食べてしまっていて、冷蔵庫の中が空になっていたんです。
おばあちゃんは「何でそんなことをするんだ」と怒って、新しい冷蔵庫を買い、カギのかかる部屋に食料を移したんです。そうすると娘は何とかカギを開ける方法を見つけて食べるという、いたちごっこのようなことをしていたんです。


いくらお袋に娘の状態を話してもわかってはもらえず、終いに僕はドアを蹴飛ばして破ったこともありました。


それからアドバイスを受けて、お袋との距離をとったほうがいいと決断し鹿児島市内に娘と二人引っ越しました。
当初娘は朝ごはんを作り、ワイシャツにアイロンをかけてくれたりで、これは良かったなと思ったんですが(笑)、1ヶ月位するとしなくなりました。
結局無理をしてやっていたので動けなくなり、それから本格的に引きこもり始めました。


それでも娘は過食をしなくてはいけないもんですから、買い物には行って、食事を作っていました。僕が帰ってくると一緒に食べるんですが、僕が晩酌をする横で娘は食べて吐いてを繰り返していました。それが我が家では当たり前の生活が丸4年続きました。


娘も2002年の夏合宿の前くらいから親の会に参加するようになって、皆さんのお話を聞き、自分のことを話したり、実際に当事者の子どもさん達とも接するようになりました。


僕自身も皆さんと交流する中で、拒食・過食はなんでもないことなんだ、とだんだん納得していきました。


そして、いつの間にか全く頭の中からそれらのことが消えて、娘との生活に明るさを取り戻して、父娘二人の生活を笑顔で過ごしてきました。


すると娘は何かしたいと思ったようで、動き出しました。一昨年の暮れくらいからモデルやプロダクションに応募するようになりました。去年は東京や福岡に頻繁に行くようになり、本格的にやりたい、福岡に住みたい、と言い出しました。言い出してからはいろいろなことがあっという間に決まり、去年の7月末に引っ越していきました。


―――早く動いてもらいたいという気持ちはありましたか。


最初はありましたね。気持ちは行きつ戻りつで、これでいいんだと思ったり、周りの人やテレビ報道などで、登校拒否や過食・拒食に後ろ向きな発言やこんな治療があると聞けば、本当に大丈夫だろうかと思ったりしました。


でも本当にこの会を知って気持ちが楽になり、助かりました。
異常視しているのは世間で、本人も親もそういう考えに振り回され自分が異常なんだと思ってしまっているから、堂々巡りの出口のないトンネルに入ってしまっているんだと思います。いろんな人の体験談を聞くとわかってこられると思います。


―――今振り返ってみるとあっという間のことでしたね。


そうですね。丸7年ですね。一番最初ここに来たときは、そんなバカな話はないだろうと思いました。(笑) 
「早く治さないと」と思って入院の予約もしていました。
そうではなく、親がある程度気持ちが楽になったら、子どもも安心して動き出していくと思います。


―――昼夜逆転はどうでしたか?


完全な昼夜逆転ではありませんでしたが、時間がずれた生活は半年くらいしていました。最初は気になりましたが、たたき起こしたって、僕が仕事に行った後に寝ていたんでは同じですから、気にならなくなりました。


―――仲がいい親子ですよね。


そうですね。今でも毎晩のように電話のやり取りをしています。僕が電話をしなかったら、娘から「どうしたの、何かあったの」と電話がきます。(笑)





引きこもりは私の人生の貴重な期間    内沢玲子



(「引きこもっているわが子のことが心配」との初参加者の発言に対して)


@私はあと2日で28歳になります。
高校の時本当は行きたくないのに、自分の気持ちに無理をしてだましだまし学校に行きました。ですから息子さんが働きたくても働けないという気持ちがすごくわかります。


ずっと自分を否定している状態でいたら、いくら人から「働くことはいいことだ。チャンスがあるのにどうして働かないの?」と言われても、自分に自信がなく、自分は駄目だと思ってしまうんです。


私の場合は両親からのプレッシャーは何もなかったんですけれど、私自身が自分に対してだめだ、だめだと思っていたんですね。


そんな感じでずっと来たので動こうと思ってもすぐにエネルギー切れしてしまって、すぐに疲れてしまい、ああ、やっぱり出来ないんだと思って・・・


息子さんがHPをみて、「この会は気持ちがわかってくれる」と思ってくださったのは本当に良かったなと思います。


私もそうだったんですが、自分のことを否定していて何も出来ない、動けない状態でした。それを周りが受け入れてくれる中で少しずつ休んでいけるようになったんですね。


でも周りが「ゆっくり休んでもいいよ」と言ってくれても、自分の中で葛藤があるので、世間の価値観や働かないといけないとか、○○しないといけないというのがあったので、初めは自分のことを否定していて、見た目は休んでいるんですが、心からゆっくり休めてはいなかったですね。


で、少しずつ親の会に参加するようになって、皆さんのお話を聞きながら、「どんな状態であってもいいんだ」とわかるようになりました。


そして今の私を認めて、自分が何もできないほど疲れたときは、心からゆっくり休んでいいんだなとわかってきたんです。


それから本当にゆっくりと休めるようになって、私は23歳から26歳まで3年以上休みました。3年以上ゆっくりすると、自分を否定する考えも自分の中でだんだん納まっていって、いろいろしてみようという気持ちになりました。


先ほど、「仕事はお金をもらうだけじゃなく、そこからいろんなことを学べる」と言われましたが、それは自分を受け入れることが出来るようになってから、本当にそうだと感じることが出来たんですね。


自分を否定しているときに、そう言われても余裕がなくてイライラしてしまう。
「こんなに余裕がないのに更に追いつめるようなことをどうして言うんだ」と思ってしまうんですね。


引きこもりたくてもそれが出来ない人がまだまだたくさんいる中で、私は友達との付き合いもせず、自分のペースで無理しないで休めたことはすごくラッキーだったと思います。


すごく貴重な時間を過ごすことが出来て、両親には感謝しています。(拍手)





「うちの子は特別!」じゃない    内沢 達



Yさんは親として我慢できなくなって強くではなくても言ったりすると、息子さんは人が変わったような目つきになるんでしょう。その時、「息子はどうなったんだろう」と思われるでしょう。


はい。私は妹とよく話をするんですが、「姉ちゃん、どこの子も一緒やで」と言うんですよ。そう言うんですけど、それでも・・・と思うんです。


妹さんの「どこの子も一緒やで」は、いい文句ですね。
いま、うちの娘がなかなかしっかりした話をしたでしょう。


はい。「貴重な時間」と言われたのが印象に残りました。


わが娘も同じでしたよ。
先日パソコンをいじっていたら、4年半前、2002年10月の例会の資料が出てきたんです。
2002年の夏に霧島で全国合宿があって、終わってから、娘がその様子をホームページにアップしようとしていたときのことです。


思うようにアップができなくて娘が少しイライラしていたんですね。
僕が心配して横から「どうした?!」と声をかけたら、娘はなんて答えたと思いますか?
玲子は覚えている?


玲子:全然、覚えていない。


覚えていないよね。


僕もずっと忘れていたんですが、資料を読んで思い出しました。
なんと、「ウルサイ! 下っぱはだまれ!」と言ったんです(爆笑)。


たしかに我が家では、トモちゃんが社長、娘が工場長、僕はヒラで、パソコンのことで娘にいろいろと教えを請う立場です。
それにしたってひどいじゃないですか。父親のことを「下っぱ!」ですよ(笑)。


子どもは家族だから、ときに目をむいたり、そういう「ひどい」ことも言うんです。妹さんが言われるとおり、どこの子どもさんもそう変わりがありません。われわれ親を信用し頼りにしているからこその言葉です。


これは何度も紹介してきましたが、うちの娘は、小1のときは僕に向かって「このジジイ、死ね」と言ったんです。小6のときは「このデブ、死ね」でした(笑)。


さて、子どもであれ大人であれ、人間はどうしたら元気になれるのでしょうか。
今までだと、どんな子にも必ずいいところがあるから、そこを評価して、励ましてあげて・・・などといった考え方がありました。
けれど、それでは、これからの時代は元気になっていけないようです。


きっと息子さんも、学校時代はもちろんのこと、就職後も頑張れるはずだと思ってやってきたんです。ところが昨年5月、頑張りきれなくなって戻ってこられたわけです。これはチャンスです。


頑張る自分ではなく、頑張れない自分を認めることができるかどうか。
頑張る自分を認めるのは簡単なんですね。むずかしいのは頑張れない、ダメな自分を認めることができるかどうかです。
そうした自分を認められるようにならないと自己肯定がホンモノとはいえません。


僕は昨年6月の例会で、
「〈ダメな自分〉も認められるようになると元気になる」という話をしています。


普通、ダメは「ダメ以外のなにものでもない」のですが、そうでもないんですね。自分のひどいダメさ加減を「こういう自分も間違いなく自分自身だ」と受け入れることができるようになると、違ってきます。






「息子にはもっとゆっくりしてほしい」と思えるようになって  Kさん(母)



@この会にはいつも夫が送ってくれます。
「一緒に参加」というのは木藤さんからも言われていて、私の願いなんです。(笑)


迎えに来てくれた車の中で、「今日はこんなことがあったよ」と話しながら帰ります。


―――こうなんだよと、いろいろお話できるのね。


そうですね。夫は何も言わないから大丈夫だと思って、夫も全然気にならなくなったと言っています。


―――それはよかったですね。息子さんは去年中学を卒業して、お家にいらっしゃるのね。ゲームが趣味でね。


そうですね。ゲーム、パソコン、テレビで一日を過ごしています。眠たくなるまで起きていて、私も二人でいることが当たり前になってきていますね。土、日は友達と遊びに行ったり来たりしています。
私が早く寝て、何かあるときは「明日何時に起こしてください」と書いてあるんです。(笑)


―――以前は、昼夜逆転していることをすごく心配していらしたのね。


それが一番心配でしたね。だって、「規則正しい生活をさせなさい」と周りが言うし、私も世間にあわせたい価値観があったので、やっぱり学校に行かなくてもちゃんと朝起きて規則正しい生活をして、普通に暮らしてくれたらいいなあと思っていました。


でも、ゲームをするのは自然なんだよって、木藤さんにいろいろ教えられて、私が息子の気持ちになって考えたら、やっぱりそうだよね、ゲームしかないのかなと思いました。


―――この会で、子どもさんが昼夜逆転の方は? と聞いたら全員が手を上げたんですよね。


2回目に参加した時でしたが、そのことが一番安心しました。息子は二階にいるんですが、ドアの隙間から明かりが見えると、「早く寝なさい」と言っていた自分が、なんか懐かしいというか、あんな頃があったなあと思いました。


今は明かりが見えても、全然気にならないんです。


―――あなたのお連れあいさんも、全然気にならない?


私が「気にならなくなった」と言ったら、夫も気にならないと言っていました。(笑)


内沢さんが「いつまでこうしているんだろうか?と思っている限りは子どもは動き出しません」と話されて、そういうものなのかなと思って、それに自分も近づけたらいいなと思って、皆さんの話を毎回聞いて学びたいと思って来ています。


―――息子さんがお家にいることに全然違和感がなくなったのですか?


なくなりつつありますね。
今では考えられないですよね。1年前この会に最初に来た頃の自分と今を比べたら、すごく楽になって、この会とめぐりあってとてもよかったなと思いますね。


―――参加するようになるまで、ずいぶん迷っていらしたんですね。


皆さんの前で、我が子のことを話すということに抵抗があって、でも家で一人で考えているのも堂々巡りで、これではいけないと思って、自分の思いを話して、同じ体験をしている人と話をしたら、また何か得るものがあるかなと思いました。最初はやっと来たという感じでした。


―――あなたのお姑さんやあなたのご両親は何もおっしゃらないのですか?


それは、一切言っていません。(笑) 夫の田舎は近くに夫のお姉さんもいるし、言うと私が責められそうで、分かってもらえないと思うので、一切言っていません。


―――高校に行っていることになっているんですか。


なっていますね(爆笑)。お正月に帰った時も、何年生になったのと聞かれると、打ち合わせはしていないんですが(笑)、息子も「高1になった」と言っていました。(笑)


だって、言ったら私が責められるし、何を言われるか分からないし、説明して分かってもらうにはすごくエネルギーがいるし、夫にも「絶対言わないでね」と言っています。私の兄弟と親しい友達には言っています。言えるまでには、私はまだなっていないんです。


私も「学校に行っていないです」と言えるようになりたいんですけど、息子の同級生のお母さんたちとスーパーで会っても、挨拶ぐらいはしますが、「どこに行っているの」と聞かれそうで、深く聞かれないように、それ以上聞かないでと、さっとかわしています。


―――今、やっとご家庭の中が自然になったところですね。


はい。まだ息子にはもっとゆっくりしてほしいなと思うようになりました。
(―――すごいですね) だから、すごいと思って(笑)。
こんなになれるなんて思ってないですよね。
1年前はほんとに、「学校に行って欲しい」と思ってこの会に来たんですもの。
でも、いきなりポーンと行けるはずがないですよね。学校に行って欲しいなあというのは無理だったはずですよね。


―――このままの状態がずっと続けばいいなあと思うようになって本当によかったですね。
多くの皆さんの体験でもおわかりのように、「今の幸せが続きますように・・・」と思うくらい、親の気持ちが安心して落ち着いてくることは、心からわが子を信頼してきたということですね。
すると子どもは自己肯定しエネルギーを十分に貯めて動き出すんですね。
「親がしないと子どもはするようになる」んですね。






娘から多くのことを教えてもらった日々   Gさん(父)



@現在18歳の娘は、高2で中退したあと家でゆっくり過ごしていましたが、高卒認定試験を経て、今年、大学を受験し合格しました。来週は第一志望の大学を受験します。


この頃思うのは、娘からいろいろ教えてもらったなあということです。
娘が不登校になった当時、私は川内に単身赴任をしていましたので、妻は不登校になって人に怯え、家に閉じこもってしまった娘を連れて私の単身赴任先にやってきました。


最初はどうして娘が不登校になったのかばかりを考えていました。通勤途中で高校生の姿を見かけると「なんでうちの娘が…」と、涙が出ましたものね。
心療内科や相談機関にも行きましたが、妻は自分の子育てを否定されて、うつ状態となり、私自身も仕事のことで悩みを抱えており、その頃が一番大変でした。


しかし夫婦で毎回親の会に参加するようになって、娘の気持ちを受け止められるようになり、家族で暮らすことを一番大事にして過ごしてきました。その時妻から「あなたが長く単身赴任のままでいたら、将来病気になっていたかもよ」と言われました。自炊をしていたとはいうものの同じものばかりを作って食べていたからです。


娘が不登校をしてくれたおかげで、娘と妻が私のところにきてくれ、私の健康を気遣ってくれました。
私も職場を退職し、昨年8月実家のある宮崎に家を建て引っ越しました。


その頃から娘は勉強したいと自分で予備校を決め、大学受験に向けて動いていたんですが、あるときパタッと勉強をやめ、受験も止めると言いました。


―――娘さんが受験を止めると言われた時、ご両親は?


「何でだろうか、2度目の引きこもりだろうか」と戸惑いましたが、親が何もしないことが大事、とここで学んでいたので、全て娘に任せようと夫婦で話し合いました。するとしばらくしてから娘は勉強を再スタートさせました。


今回東京の私立大学に合格したのですが、その時娘が「10割の力でやっていたら私は続かなかった。8割ぐらいでやったからよかったんだ」と言いました。「一生懸命やり過ぎると、またパタッとつまずいていく気がしたから」と言ったので、自分で悟ったんだなあと思い、また娘に教えてもらいました。


4月から娘は遠く離れて暮らすようになります。家族3人で暮らせることが最高の幸せ、この暮らしがずっと続けばいい、と思っていましたけどね。


―――「こういう幸せがずっと続けばいいな」と思っていると、子どもは動き出すのよね。


はい。(笑) 私も、娘の学費がかかるので働かなくてはいけないなあと思って仕事を探しています。


先日は公民館の嘱託職員の試験を受けました。私に向いているかなあと思って。


―――Gさんにピッタリですね。


26年ぶりに面接を受けたので私も上がってしまって(笑)、面接官は私より年下だとわかっているのに、つくづく自分もまだ若いなあと思いました。(爆笑)
若干名の採用に49人の応募ですからどうなりますやら。3月5日に結果がわかります。


妻が働いているので、今家事は私がしていると先月お話しましたが、洗濯ものをたたんでいて気がついたことがありました。私、妻、娘のズボンを並べると娘と私のズボンの長さが15センチも違うのです。(爆笑)身長はさほど変わらないのにもうショックでしたよ。


達さんが小さい頃の玲子さんから、「くそジジイ!デブ!」と言われたと話されましたが、うちなんか「うるさい!チビ!デブ!ハゲ!」ですもんね。(爆笑) そう言われるのも後ちょっとです。


―――こんな日が来るなんて思っても見なかったですね。(はい)





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Last updated: 2007.3.21
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