登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島) 登校拒否も引きこもりも明るい話


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体験談

2007年5月発行ニュースより
登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)会報NO.133


登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)では、
毎月の例会の様子をニュースとして、毎月一回発行しています。
その中から毎月1/4から1/3程度をHPに載せています。


体験談(親の会ニュース)目次はこちら




「親の会を知って、ずっと自分が好きになった!」


4月例会の様子から



何よりも自分を大切にする・・・。親の会のテーマです。


HPに「息子の暴言、暴力に、じっと我慢して・・・」という書き込みがありました。
しかし、たとえ親といえども、「我慢」は続きません。自分にとってイヤだなと思うことは避けてかまいません。親であるよりもまず一人の人間として、「ねばならない」の人生から自由になりませんか。


自分を大切に、大事にできるようになると他者も大事にでき、信頼できるようになるんですね。 


Gさんは働き始めました。50歳からの再就職です。でも、新しい職場はもうけ主義で、まったくなじめません。今年4月旅立った娘さんも驚くほどのスピードで辞めました。「イヤなことはイヤ!」に、子どもも大人も違いがありません。


Nさんは、夫の金銭感覚に不信を抱く自分の気持ちを率直に話されました。話すうちに、じつは相手を信頼していない自分の気持ちがそれでよいのか、ということに気付いてきました。我慢していると、最愛の家族への信頼が薄れていくんですね。


Mihoさんは、何年間も夫のDVに苦しみ、我慢してきました。だから、親の会でも話すことができなかったのです。しかし、我慢は続きません。泣きながらあふれる想いを打ち明けたMihoさんは、自分を大事にしていこう、と一歩を踏み出しました。


町田さんは、「親の会はわが子の状態を話すところじゃない。話そうとすると、わが子が何を考えているかという意識になってしまう」と話されました。大事な指摘ですね。親の会は、親が互いに自身のことを出し合い、学びあう場です。


親の会に出会って「スッゲー元気になった!」という啓介君が3曲ギターで歌ってくれました。


「親の会を知って、ずっと自分が好きになった」。まいさんからの手紙、うれしかったです。


今月は、ニュースのなかから、次の4つの記事を紹介します。


目次

1「親の会を知って、ずっと自分が好きになった!」 まいさんからの手紙

2 娘もびっくり、新しい職場を2日で辞めて・・・  Gさん

3 わが子の「今」も自然、夫婦の「今」も自然に・・・  町田さん

4 ゲームおおいに結構!  Kさん(母)



「親の会を知って、ずっと自分が好きになった!」 

まいさんからの手紙



―――(内沢朋子):4月は旅立ちの時期でもあります。まいさんから、お手紙をもらいました。まいさんは、高1で中退した後、十分に休養し、自分を肯定できるようになり、アルバイトもしたりして18歳になりました。この4月から大阪のアニメの専門学校に通っています。


まいさんは中学のときにいじめにあって登校拒否になり、大変な思いをしたんですね。親の会に参加するようになって、次第に元気を取り戻していきました。


まいさんのお母さんも、初め自分自身を否定していたのですが、元気になってきました。夫と別居して、おばあちゃんの家に親子三人で住むようになりました。おばあちゃんの心配や不安も、お母さんはちゃんと受け止められるようになってこられたんですね。まいさんの専門学校の費用などは、双方の弁護士さん立ち合いのもとで、お父さんが出すことになったのですね。


まいさんには、いろいろな試練があり、辛いこともたくさんあったと思うんだけれど、受け止めて、こんなにも優しい心がいっぱいです。


お手紙をちょっと抜粋して紹介したいと思います。


朋ちゃん、お元気ですか?


今日は学校の入学式でした。入学式の会場に行くまでの道中、いろんなことがあったよなと、思い出がたくさん頭と体をすり抜けていって、涙が出そうになりました。


何年前だったか親の会を知り、そして親の会で自分を大切にすることを教えてもらってから、早いものでもう3年は経つのかな、足を運ぶうちにたくさんのことを教えてもらって、3年前の私よりもずっと今の自分を好きになっている気分がします。


内沢家にお邪魔したりしてたくさん楽しいことをして、そしてお母さんに「内沢家の子どもになりなさい」と言われたことも、達ちゃんに心配かけまくったことも全部ぜんぶ私の大切な思い出です。


本当に思い返すときりがないくらい、お世話になって支えられて生きていました。そして、これからもその経験が私を支えてくれます。辛くて辛くて朋ちゃんに電話やメールでたくさん話を聞いてもらって、自分の気持ちがホッとなっていたよ。親の会に出会えて本当に感謝することばかり、助けてもらってありがとう。


学校の入学式で、「大学へ行き就職してからも自分の夢と違うことや自分のやりたいこととかしたいことと違うことをしてきて、親に本音や誰かに本音を言えぬまま生きて、辛い思いを抱えている人がいる」ことを聞いて、私は本当に心から、親の会に出会えた縁に感謝するばかりです。


お父さんやお母さんのこともすべてさらけ出して、相談できて私は嬉しかった。「ただ生きているだけで嬉しい」って感じられるようになったのは、親の会のおかげです。


まだまだ自信たっぷりとはいかず、不安だらけだけど、玲子ちゃんは一人でタイに行ったんだよな、すごいなとか、今もまた新たに家を探したり、仕事に打ち込んでいると聞くと勇気をもらうよ。


「ありがとう」は言い尽くせないけど、たりないけど、「ありがとう」。


遠くから支えにさせてもらっちゃうよ。体だけは大事に。ほんとうに「ありがとう」


この手紙を読んで、ジーンと来てね。こんなふうにして旅立ったんだなと思って、読ませてもらいました。先ほど、お母さんにも読んでもらったのね。涙いっぱいでしたね。


愛美ちゃんも書き込みをいっぱいしてくれて、すごく頑張っていて支えてもらっていますよね。本当はね、私たちが支えてもらっているのね。



Jさん(母):私は親の会のおかげで、やってこれたなと感謝しています。


4月9日の朝5時頃起きて、母娘で大阪に出かけました。私は行く前に、大阪は大都会だし、不動産関係などで人と交渉をしなければいけないので、すごいプレッシャーだったんですが、まいの後をついて行ってどうにかできました。すごく人が多くて、人をかき分けて行かないといけないので、びっくりし1日でダウンするんじゃないかと思っていました。


―――今まではずっと引きこもっていたんですもんねえ(笑)


だけど、しなきゃならないことがいっぱいあって。日用品も向こうで買えばいいと言っていたので、梅田に2回出かけました。


梅田は鹿児島にないような高いビルがいっぱいあって、陸橋も鹿児島の5倍ぐらいの幅のところに人がウヨウヨいて、すっごいびっくりしました。びっくり、びっくりを何回言ったかわかりませんけど。(笑)


お店も、店員さんが走っているんですよ、だからびっくりして(笑)。まいはそういうところで暮らすのかと思って。とにかく2泊3日一緒で、いろいろ買い物をして何とか暮らせる状態にしてきました。


帰ってきてから、今までの自分だったら近くのスーパーに行くだけで疲れていたのに、何とか乗り越えられたな、考えられないよな、すごいなって、これだけ元気になったんだなって思いました。


やっぱりそれは親の会のおかげだなって思いました。「自己否定になるのも、あたりまえよ」と内沢さんから言われて、自分のことを徐々に認めてこれたおかげなんだなとすごい感謝の気持ちが湧いてきました。


まいも入学してすぐ、7人のグループで製作活動をやるのだそうですが、一人でやれないのでちょっと落ち込んで電話がきました。私もそのときは離れた寂しさで、ワーッと涙が出てしまって、「辛かったら、いつでも帰ってきていいよ」と言いました。(笑)


今、描くことが楽しくなってきたと、熱中しているみたいです。「先のことは考えずに1日1日をやっていって、ほんとにダメだったら帰ってきていいよ」というぐらいの気持ちで見守ってやろうかなと思っています。ほんとにいろいろありがとうございました。


―――2泊3日して、まいさんと手をつないで、「辛かったときにこうやって手をつないでいたよねえ」と言って一緒に寝たそうですね。


明日私が発つという日に、まいが手をつないでくれて、「お母さんは、私が不登校になって辛いときに、手を握ってくれたよね」と言ってすごく号泣し、私も泣いてしまいました(涙)。まいは泣いたら翌日はすっきりしていました。


でも私は飛行機の中で泣きました。ほんとに、ずっと一緒だった子どもと別れるのは辛くて。親って、みんなそういう辛さを乗り越えていくんだなって思いました。


―――「内沢さんのうちに子になりなさい」とか、言ったことをちょっと後悔するよねえ。(そんなことを言ったことも忘れていました)(大笑)


私は気持ちを切り替えて、明日3回目の離婚調停にのぞみます。調停も1回目よりは2回目、2回目よりは3回目とだんだん落ち着いてきました。これも、みなさんのアドバイスのお陰だな、とても自分ひとりじゃ乗り越えられなかったなと思います。


―――ひとつひとつ強くなっていくんですよね。試練は耐えていくしかないんだけど、耐えた後には必ず大きな道が開けていくと思うんです。まいちゃんも自分を大切にするということをちゃんと知っているから、今までの試練もプラスにしていかれるでしょうね。




娘もびっくり、新しい職場を2日で辞めて・・・  Gさん



―――お久しぶりですね。今まで非常勤の看護師さんをされていたのですね。



Gさん(母):はい、5ヶ月ぶりの参加です。


障害のある子どもたちの施設で働いていました。ここで先ず感じたことは、スタッフが「感謝だよね」と言われるのです。意味がわからなくて「えっ?」と聞くと、「私たちは自分で食べることも、排泄も、自分で寝ることも出来るけど、この子達はすべて介助しないと出来ない。私たちはこの子達から学んで、もっと自分を大切にしないといけないね」と言われました。


私はそういうことを忘れていたと思い、そのときに娘が大学受験を止めるとか言っていた時期だったので、「ああ、娘は自分でご飯を食べることも、何でも出来る。それだけでもありがたいと思わないといけないなあ」とすごく感じて、肩の力が抜けました。そこに行くようになって、親の会の人たちのことをすごく感じました。


その施設は小学校から高校まであり、そこに親は子どもを預けて、たまに迎えに来て連れて帰るんですが、自宅には一泊しかできません。子どもたちはもう1泊したくても、親に迷惑がかかるから明日はセンターに帰ると言って、そこまで親に気をつかっていました。


私たちは24時間介護して夜勤もありましたので、私の後をついてくる子も、親が来ると、もう親が1番で泣いて喜んでいました。それを見ると、親の会の皆さんはどこかの施設などに子どもを預けるわけでもなく、我が子と一緒に暮らしていますから、すごいなあと思いました。


施設に障害児を預けるのが悪いと言ってるわけではないのですが、子どもってほんとに親元で暮らしたいのだなと、その子ども達を通して感じました。


―――日頃あなたになついていても、親には代われないなあ、と。


はい、親御さんがちょっと来られただけでも、泣いて喜ぶんです。小学生から高校生まで寄宿生活をしています。中には食事も動くのも命がけという重度の子どももいます。とても勉強になりました。


私が仕事で疲れてしまい、学校のことも何も言わなくなったら、娘は「お母さん、また頑張らないと」と言い出して、大学受験もすべて自分でやりましたので、かえって働いてよかったかなと思っています。


夫はちゃんと暖かいものは暖かく、冷たいものは冷たくして食事を用意して待っていてくれて、お風呂も沸いていて、上げ膳据え膳の生活でした。(笑)


この親の会へ来るきっかけは、『登校拒否は病気じゃない』(奥地圭子著)の本の後ろに鹿児島の連絡先、内沢さんの電話番号がありました。その本を読み感銘を受け、でも電話が出来ずに2ヶ月間バックの中に忍ばせていました。


娘が不登校になって、娘はもちろんのこと私がとても不安になっていきました。更年期もあるんじゃないかと産婦人科に行って、娘のことを話したら、「あなたの育て方が悪いから、あなたの性格がそうだから、娘さんが不登校になったんだ」と言われたんです。


それがとてもショックで、1ヶ月前から内沢さんへ電話しようと思っていても、迷っていたんですが、医者の一言に腹が立ってその勢いで電話をすることができたので、「あっ、あの先生にも感謝しなくちゃ」(笑)、と思えるようになりました。その先生に言われないと未だにグズグズしていたかもしれません。あれから3年になります。


―――ご夫婦で私のところにお見えになって、月日の経つのは早いですね。
さて、あなたは、この4月に新しい職場に変わって、大変だったんですってね。



はい、今回は助産師の資格を活かして働きたいと思い、募集があったので行ったんです。


でも、その次の日の朝、外来を手伝っていたら、ここにずっといたらどうかなってしまうと思ったんです。家に帰っても夫が作ったご飯も食べられないし、夜も眠れないのです。「もっと食べろ」と言ってくれるのですが受け付けないんです。


そこはスタッフを大事にしていないと感じました。スタッフも一生懸命やっているのに院長が怒鳴るんです。この歳で怒られるともう萎縮してしまって、動けないんです。そんなに怒ることでもないのに。


私もあと何年生きるか分からないのに(笑)、もう半世紀生きたなあ(爆笑)、あとは楽に生きたいな、そこまでして働かなくてもいいかなと思って。夫も二人で10万円ずつ稼いだらいいかなと言ったので益々やる気がなくなって。「辞めたら」と言ってくれたし、結局2日間が限度でした。(笑)


娘が転校した高校を2日しか行けなかったのが、すごくよく分かりました。先のことまで考えてそこの職場が怖くなるんですね、また自分を否定してしまい、前以上に落ち込むと思ったら、何年生きるかもわからないので辞めました。(笑)


娘からたまたま電話があり、「体調が悪いから休んでいいかな」と言うので、「いいんじゃない。お母さんは今日仕事を辞めるから」。「まだ2日じゃん」、「うん、まだ2日だけど、もう行けない」と言うと、「ああ」と言って何も言いませんでした。(笑)


その病院には81歳の助産師さんがいて、その方は19歳のときから病院から学校に行かせてもらい、ずっと奉公みたいな感じで働いて、それを疑問に感じていないようでした。何かあると次は私にと言われるけど、そこまで出来ないなと思いました。お産があったら呼ぶということで、夜は自宅待機でしたので、電話が気になってドキドキしてしまい、眠れないし、木藤さんにも相談して「辞めたら」と言われて、辞めました。(笑)


―――娘さんが行けなくなったときの気持ちを実感できましたね。


たぶん、私以上に行かないといけないと思い、それしか道がないと思ったんだろうなと思いました。


―――今は、お二人でお家にいらっしゃるんですか。(はい) お食事の支度とか家事はどうされていますか。(笑)


Gさん(父):妻が家にいますから、してもらっています。やっと解放されたという感じで。(笑) 


この頃は食事の支度も1時間以内で作れるようになり、だいぶ上達したなと思っていたんです。
(―――すごいですね)
例えばいろんな刻み方など書いてありますが、自分で納得したら、これでいいんだとわかって、最初はレシピ通りに切っていて時間がかかっていました。(笑)


本当は、私は今日は来る予定ではなかったんです。以前公民館での1回目の就職活動の話をしましたが、2回目の履歴書を出していたんです。


―――いろいろ働く場があるんですね。


はい、ハローワークに行くといろいろありますから。
私が出した所は、花がいっぱいある「フローランス宮崎」で、募集が1名、年齢不問、各種保険有り、給料が12万8千円となっていました。仕事の内容が受付、総合案内、接客、PC入力等となっていて、これはいいと思って出しました。


一度も行ったことがないので、どんなところかと夫婦で行ってみました。すると若い女性が受け付けをしています。よくよく考えると、これは女性の仕事だったと思って、そういうところに私が採用されるのはちょっと無理かなと思っていたら(爆笑)、案の定、今回はちょっととなって。よく調べて履歴書を出さんといかんな、と思いました。(笑)


―――下見に行ってよかったでしたね。


しなくても良かったんでした。(笑) 履歴書が帰ってきたんですから。履歴書を返却する際にも、私に嫌な思いをさせないように心配りのある文章が書いてあって勉強になりました。


―――夫婦で10万円ずつ稼いだらいいと言っておられた話は、今はおじゃんになっているんですね。


はい、まあゆっくりやっていけばいいかな、そんなに急がなくてもいいかなということで。娘への仕送りは貯金がありますから、大丈夫です。(大笑)


娘が東京に行って、たぶん妻はものすごく寂しいんだと思います。毎日電話していますから。私はそんなにないんです。あれ、こんなものかなと。娘の部屋に入ると少し思いますけど。


娘がいなくなって目に見えて変わったことは、洗濯物が少なくなったことです。すごい量でしたから。今は2日に一回でいいくらいです。早く目が覚めるので、洗濯は昼間の3分の1の割安の深夜料金で私がやっています。


後は以前は私から逃げ回っていたウサギが私になついたことです。階段を上がって行くと足音で私だとわかるようです。


また、すぐ今度の連休に娘が帰ってくると言っていましたが、なお一層寂しくなるかもしれません。


―――不登校になった時の苦しさ、親子でその辛さに耐えた日々、わが子を信じて、共に親も成長してきた日々、そういうことがひとつひとつ思い出され、苦労した分愛情の深さもひとしおだから、寂しさも深いものだと思うんです。


仕事のことでも、お二人のお気持ちがそういうふうにゆっくり出来るようになられてとてもよかったですね。娘さんのおかげですね。




わが子の「今」も自然、夫婦の「今」も自然に・・・

町田さん



―――お久しぶりですね。新しい仕事に就かれて1年ですか。



町田さん:そうですね、去年の今頃は失業中の話をしていました。


―――Gさんと励ましあっていましたね(笑) 


6月に新しい職場に行きましたから、10ヶ月になります。
今は1年前に退職した病院からSOSが来て、僕がいなくなってから大変なことになっているから建て直しにきてほしいということで、そこにも週1,2回行ってスタッフとどういうふうにやっていくかと話し合っているところです。私も恩返しをしたいという気持ちになって。


以前、15周年記念誌に書いた、私が前の職場で採用した女の子のことです。高校へ入ってすぐ中退して、1年後に別の高校に入って、自力で鹿児島大学を出て、僕の会社へ面接に来ました。ちょっと心配な面があるけど私は採用して働いてもらい、今年の3月で結婚退職しました。


その子から町田さんがいなくなってから大変で、私は3月でいなくなるから、なんとかしてほしいと依頼がきたんです。自分は1年前に辞めたけど、力をもう一回貸してほしいと言われ、僕はありがたいと思い、行っています。


―――人を信頼してその気持ちが伝わっていく、そしてまた人からそうやって信頼されていることを「ありがたい」と受け止める町田さんは、私はとても素晴らしいと思います。でも、すごく忙しいんでしょう。


それは別に働かされているという感じではないからいいんです


―――今のお仕事も含めてお休みは取れているんですか。


今日がその休みです。
前回、夫婦のことを話していましたが、普通というか自然に戻ったという感じで、妻がお茶を入れてくれたら「ありがとう」と言っています。


あの時は改まってなんかお礼をと思っていたけど、そんなもんじゃなくて、ただ日常の中で言っています。「はい、お茶」、「あっ、ありがとう」とね。それでいいんですよね。


―――そうよね。なんかこう力が入って、奥さんからお手紙をもらったので余計ぎこちなくなってしまったんですね。今は自然なんですね。


そうそう、今から振り返ってみれば、なんで自分は「ありがとう」って言えないのかなと思って。


気がつくと、ある日、薬を飲もうとしたところ、妻のいる方へ薬が転がってしまい、拾ってくれたので、「ありがとう」と自然に言ってるんです。


以前は私が焼酎を飲むときに「お湯」と言ったら、妻から「私はお湯じゃない」と言われて(爆笑)。でも、これは楽しい家庭生活です。今朝は息子と筍掘りに行って、今年は少なくて余り取れませんでした。


二人息子がいて、長男は県外にいます。19歳の次男が中学から不登校で家にいます。
先月次男が、「今、履歴書を書いたんだけど、未成年者は保護者の名前がいるから、お父さんが書いてちょうだい」と言うので、「それはお父さんが書かなくても、君がお父さんの名前を書いていいんだよ」と言うと、「あっ、そうだね」と言って。


―――突然、履歴書を書き出したのですか。今までゲームをしていたんですよね。


妻はちょっと知ってるかもしれませんが、僕にとっては突然でした。そのとき僕は「あっ、そう」と言って、どこを受けるのかとも聞きませんでした。


聞きたい気持ちもありましたが、それから10日くらいして、「返事が来た?」と聞いたら、「だめだった」と言いました。


4日くらい前に仕事から帰ると、以前は長かった髪を丸坊主にしていました。前に2回ほど坊主にしたことがあり、あまりびっくりはしませんでした。


中学3年の2学期から行けなくなって、10月くらいに坊主に僕がしてやったことがあり、そのときは心理学の偉い先生が「それは断髪式です。お父さんに対して申し訳ないという心があるから、お父さんに切ってくださいと言っているんです」と言われたことがありました(大笑)。 


体重もだいぶ太っていたのが、10キロ以上落としたようです。以前息子と参加したのは12月の例会でしたから、あの時よりももっと細くなりました。


でも、私は「今日は久しぶりの親の会だ、息子の状況がどうなのかということをしゃべらないといけないのかな」と思ったんですが、私はこのようにほとんど知らなくて。
だから、親の会は当事者がどうしている、としゃべらないといけない所でもないし、知らないんだったら知らないでいいんだな、と思ったんです。


―――以前から息子さんのことに関心がなくなってきていますね。


そうです。久しぶりの親の会で、ふと思ったことは何か宿題みたいな気持ちというか、今日親の会に来て息子の状況がどうだったということを、宿題の答えを言うような形で考えていると、常日頃、息子が何を考えているのかという意識になってしまいます。
息子のこれまでの姿を語る会でもないということですね。


―――家に閉じこもっていることも、学校に行かないことも、ゲームをしていることもきわめて自然なことで、だからそれを親も自然に受け入れて、気がついたらアルバイトをしていたとか、それもまた自然なことだということですね。


親の会は「子どもをどうするか」というところではない、親自身のことを、親がどう思い感じているかを語り合う場であるということを、ちゃんと押さえておられる。大事なことですね。


町田さんご夫婦が自然になられよかったですね。「ありがとう」というふうにね。


でも、2,3日前も新聞(日経プラス1)に「夫に言われて傷ついた一言」のランク付けで、1位が「君も太ったね」で(笑)、ベスト15が紹介されていて、その横にほんとはこう言ってもらいたかったというのもあって、それを息子も含めて3人で見て、大笑いしました。


妻が「これらはお父さんがいつも言ってることで、言ってほしい言葉はお父さんから1回も言われたことがない」(笑)、とか言って、息子も読みながら、「でも言ってほしい言葉と言うのはワザとらしい言葉だよね」と言って。(笑)


―――そういうことを笑って、おおいに言い合う関係って、いいですね。


いつもそういう言い合いはするんだけど、前みたいに「ありがとうと言うときはどういうとき」と考えるのではなくて、自然になりました。


3日くらい前、僕が食卓につく、目に見える所にその新聞が置いてあったんです。僕は当然これは一番新しいのだと思って見たのですが、ひょっとしたら妻が先に見てワザと置いていたのかも知れません(大笑)。


例えば、「俺の金を自由に使って何が悪い」というのもあって、それは僕は言った事はないのですが、妻は一つひとつ指して、「これもいついつ言った」とか言うんです。いつ言ったかまでは覚えていません(笑)。


でも、妻は僕について一部あきらめたところもあるだろうけど、でもまた楽しいことだってあるわけだから。だって内沢さんも夫婦ケンカされないですか?


―――あります。今年も桜を見にいきましたが、桜を楽しんだ後、その帰りは大ケンカです(笑)。


ケンカするほど仲がいいというのもあるし、夫婦の関係というのはその夫婦だけの形があって、これが仲のいい夫婦の形、良くない形という標準とかがあるわけではなくて、二人で長年来ている中で、二人が落ち着かんとする形がそれぞれあればいいわけですね。


―――夫婦の形もそれぞれであっていいですよね。


でも、町田さん、あなたはお手紙をもらったとき、そんなことは言わなかったですよ(笑)。先ず、「ありがとうってなぜ言えないのか、一度探ってみないといけない」と難しそうに言っていました。(笑)


もっと自然であっていいと思えるようになったのは、ご夫婦の中が円満になった証拠ですね。あなたはマメに家事をしますか?



いや、それは忙しくてできないんですけど。鹿児島の男女関係は独特ですよね。
私の母の話では、嫁にきたときは終戦後で引揚者がたくさんいる中で、嫁ゆえにお風呂は最後に入らないといけないので、そのときのお湯は泥みたいになっていて、入るほうがいいか、入らないほうがいいか悩んで。


ほんとに鹿児島は独特で、そういうものを僕はいっぱい引き継いでいるわけです。


―――そういう問題意識を持っているということは大丈夫だということですね。
それであなたのお家では、あなたが一番最初にお風呂に入るんですか?



いや、それはもう好き勝手に入っています(笑)。


我が家は私が最初に入り夫が風呂を掃除して上がります。Gさんのところもそうですね。(はい)(笑)


世の中は変わりましたね。ご夫婦が自然になってよかったですね、まだ56歳ですから、体に気をつけないとね。


そうですね。やっぱり前の職場を辞め、糖尿病の数値が非常に良くなって、眼科の仕事をしていると、糖尿の人の悲惨な姿をたくさん見ているから、この辺で何とかしないと、と思って、幸いに数値は正常範囲に戻りました。


食事や運動で意識的に下げたんです。一番底まで下がったときの数値というのが、ちょうど失業中で精神的ストレスがないときで、そこからちょっと上がってきているけど、以前ほどじゃない。


もうひとつは主治医を変えたことで、前は夜間診療で会うたびに先生が変わるので、これもいけないと、もうちゃんと、今日は病院へ行く日だと午前中は休んで、ひとりの先生に相談しながらやっています。


―――なるほどね、あなたは病院関係のお仕事でしたね、シャカに説法でした。(笑) 




ゲームおおいに結構!  Kさん(母)



Kさん(母):じつは毎月送られてくる会報が、今月は隣の家に届いてしまい、「これが入っていたのよ」と持ってこられました。


反対隣だったら息子と同級の子どもさんがいて、経過も知っているし相談もしてきていたので良かったんですが、そのお宅には知られていませんでした。
封筒にはこの会の名前が書いてあるので、私は「エーッ、何で隣に」とビックリしてクロネコに電話をして苦情を言いました(笑)。


でも今は、学校に行ってないのは事実だし、知られてしまったことはどうしようもないことだし、もういいかなと思っています。もうばれてしまったことだし、そういうふうにしか考えられません(笑)。


だから私の気持ちが、まだまだ「登校拒否は明るい話」として感じていないんだな、と考えさせられる出来事だったんだと思っています。


―――それは良かったですね。クロネコさんに感謝ですね(笑)。 でも息子さんは元気いっぱい過ごしていらっしゃるんでしょう。


はい。毎日ゲームをして過ごしています。5月で17歳になるんですが、でもゲームを取ったら何にもありませんものね。他のほうに行くよりいいかなと思って…。(笑)


―――でも毎日を「何かいいな」、と思って暮らしてらっしゃるんでしょう。 そんなふうにお隣の方にも知られて世界が広がってよかったですね。


それこそ試練が自分を変えるきっかけになるんですね。次にはお姑さんとか、お義姉さんとか、これからもいろんな場面に遭遇すると思います。それはいつも絶好のチャンスなんですね。そのときに先ほどお話した兵庫県のMさんの体験を思い出して勇気にしていってもらえたらと思うんです。


そんなふうに息子さんのおかげでだんだんと強くなっていくんですね。あなたは本当に強くなってきたんですから。



―――(内沢達):ゲームのことですが、いま一度、僕が書いた「ことわざ・格言と登校拒否、引きこもり」をお読みいただきたいと思います。その7番「いい加減はよい加減」のところで述べています。ゲームばっかりしていると、普通だと「イイカゲンニシロー」と言われかねないところですが、僕は「ゲームは、おおいに結構!」と言っています。


いま、Kさんは「他のほうに行くよりまし」と言われましたが(笑)、そういう消極的な捉えかたではなくて、積極的な見方が必要です。


絵本作家の五味太郎さんは、「だいたいの親は子どもに集中力をつけさせたいと思っているのですが、ファミコンに関しての集中力は認めません」と皮肉っていました(講談社『大人問題』)。「ゲームばっかり!」というけれど、ゲームに集中できるというのは大変なことです。


「できないおかげで、できもする」。不登校の子どもは、学校にいくことができない、また、すぐには勉強することができない、のです。


でも、「できないおかげで、できもする」という見方が大事です。そのひとつは、普通の子どもたちが、いっぱいはできないゲームができるじゃありませんか。「そんな、ゲームなんかできたって?!」と馬鹿にしたような考え方は、物事の表面しかみていません。
ゲームをクリアしていくためには、大変な精神の集中や創意・工夫、また冷静さや根気も必要としています。そうしたことは、とても大事なことですね。


不登校の子どもは、時間にしばられません。遊びたければ存分に遊ぶことができます。それは、とても人間的なことです。
飽きるほどに、これ以上はもういいというくらいに突っ込んでやってみる、そうした集中力がほかのことでも必ず生きてきます。


「ゲームばっかり!」という否定的な見方ではなく、「ゲーム、おおいに結構!」という肯定的な見方が親のみならず、子ども本人も心底できるようになると違ってきます。


普通の子どもが難なくやっているかのように見える、学校に行くことや勉強が、できない、そのような「何かができないのも能力のうちだ」という、たくましい生き方もあるんですね。





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