TOPページ→ 体験談目次 → 体験談 2008年1月発行ニュースより
自分を大切に生きる 2007年12月例会報告 自分を大切にすると、自分の本当の気持ちがわかってくる。 自分の気持ちをごまかさなくなる。 そして、素直に自分と向き合うことができるようになってくる。 自分の人生の主人公として生きていくことができるようになる。 すると、自分が一番愛している家族の存在がどれだけかけがえのないものか気がつきます・・・。 親の会は、「問題解決の道は自分の中にある」ことを発見させてくれる場です。 ものの見方・考え方しだいで、どれだけ幸せになれるでしょうか。 12月親の会の体験交流も貴重でした。 じぇりさんは、小1から不登校になった息子さんの例をあげて、「人は教えられなくても、したいことがあれば自分でするようになる」と話されました。 その考え方はスイミング教室のインストラクターの仕事でも役に立っていると言います。 子どもたちの不登校のおかげですね。 A子さんは、お姑さんとのことにふれて「自分を大切にできるようになると、相手も大切にできるようになる」と話し、みなさんの共感を呼びました。 体験交流は教訓をみんなのものにしていくことができます。 お互いの生きる力になっていきます。 なんて素晴らしいんだろうと、毎回感動する親の会、今年もよろしくネ! 目次 1 自分を大切にできるようになると、相手にも優しくなれる A子さん 2 「私も3日で辞めたのよ」 Gさん(母) 3 「2回目の参加です。まだまだ不安・・・」 Oさん(母) 4 人は教えられなくても、したいことを自分でするようになる じぇりさん 自分を大切にできるようになると、相手にも優しくなれる A子さん 今月の初めに、福岡でひとり暮らしをしている夫の母のところに夫婦で行ってきました。 母のお姉さんが高齢で入院しているので、母を連れてお見舞いと母の誕生日のお祝いを兼ねて2泊3日で出かけたんです。 おばさんのお見舞いをすませた後、三人で山口県に向かいました。夫の生まれ育った下関の故郷の様子も見たいと、昔暮らしていた場所をまわり懐かしんでいました。 私は母のお誕生日のお祝いに、温泉に入ってゆっくり楽しんでもらえたらいいなあ、というくらいで観光はあまり期待していませんでした。 でも山口県には秋芳洞や五重塔などすばらしい見所がたくさんあり、とても良かったです。母も近くに住んでいたのに来たことがなかったと言って喜んでくれました。 でもこんなふうに、母が連れてきてもらってよかったと喜んでくれて、私達も親孝行らしきことが出来てよかったと喜ぶという関係になるまでには、いろんなことがありました。 私は結婚して28年になるのですが、結婚して3年後に義父が亡くなり、母は60歳で独りになってしまいました。 その頃から母は長男である息子(夫)の家で一緒に暮らすということが当たり前の生活になりました。 年末に鹿児島にやって来て、4月、5月頃まで我が家で過すという生活になったんです。 母は長男の家だから居て当たり前という考えだったのでしょうが、私達は同居できる家ではないし、納得しているわけではないので、悶々とした気持ちがありました。 でも当時私も30歳と若く、60歳といえば身体もきついだろうし、独りっきりはさびしいだろう、やっぱり親をみないといけない、と思っていました。 今私も50歳代になって、中高年はこんなに元気なんだということがわかったわけです。(笑) 初めの頃、母は家のことを一切しませんでした。私は夫(舅)を亡くしたショックで、出来ないんだろうと思い、家事いっさいを私がしていました。 子ども達は3歳と2歳でした。自分は嫁だし一生懸命やらなければいけない、一生懸命やればいい関係がつくれる、わかってもらえるという思いでした。 でもやっぱりそれでは自分にストレスが溜まっていくわけです。それを夫にぶつけて、そのことで夫婦喧嘩にもなりました。17、8年近くずっとそんなことを繰り返して生活していました。 しかしそんな暮らし方はもう限界でした。 4年前に母が病気で倒れた時に、こちらの病院に入院させて看病しました。元気になって退院した時、私達はこれから先の独り暮らしは心配だし、無理だろうと思いました。 そこで夫が母に「もう独り暮らしは無理だと思う。だけどお互いの生活を大切にしたいから僕達は一緒に住めないよ。鹿児島の施設に入って生活したらどうか」と提案しました。そしてお正月には一緒に施設を見学してまわりました。 しかし母は「もう1度福岡で一人で暮らしてみたい」と言いました。 そのためにはヘルパーさんを利用するという条件を受け入れてもらい、今ヘルパーさんの週4日の訪問で、とても元気に生活しています。 それからもお正月は毎年鹿児島に来ているんですが、福岡の大学にいる長男が一緒におばあちゃんを連れて、1週間くらいの滞在で帰ります。 おかげで私も温かく迎えることが出来るし、おいしいものを作って食べさせてあげたいと思います。 一緒に暮らしていた頃は、どこかに連れて行ってあげようという気持ちにはなれませんでしたし、親の会が終わった後など、辺りは暗くなっているのに家に帰りたくないと思うこともありました。 でも今はお互いに自立した生活の中で、一緒に旅行しようという気持ちになったり、お互いを思いやれるようになって、すごくよかったなあと思います。 やはり、そういうふうに気持ちを切り替えることが出来たのは、毎回の親の会で皆さんのお話を聞いて、「自分を大切にする」ということを考えて、自分達の気持ちをはっきりさせて、きちんと母と向かい合えたからだと思います。 ―――最後になったらイライラしているのが私達にも伝わって来ましたものね。(笑) そんなふうに別々に生活することで、相手に対する優しさや愛情もわいてくるということなんですね。 親の会で本当に自分を大切にしなさいということを学んだんですね。 あなたの趣味は登山で2、3日家を空けたり、1週間くらい北海道の実家に帰るときは何もしないのね。 そうです。私は何かを作ったり、食材を買って冷蔵庫に入れておくことはせず、何も準備しないで出かけるんです。ただ夫と次男に「○日間留守にするけど、それぞれにお願いね」と言うだけです。 二人とも心得たもので「うん、わかった」と言う返事です。それぞれに食材を買ってきたり、外食をしているようです。 以前は温めて食べられるように何日か分を用意していたのですが、その準備で疲れるし、また作っておいても結構残っていたりなので、それぞれに任せるというふうに切りかえました。 本人に任せると自分のことは自分ですると自覚してくれるようになったので、一週間留守にして帰っても家の中はそれなりに片付いているので、とても感謝しています。 ―――それはすごいですよね。28年前、お嫁さんとして尽くしていた人とは思えない変わりようですね。(笑) 「私も3日で辞めたのよ」 Gさん(母) ちょうど去年の今頃から看護師のバイトを始め、技術的なことに自信を持って働きはじめてから1年が経ちました。 最初は臨時で4ヶ月働いて、次に勤めたところは3日で辞めました。(笑) 今働いているところは、いつもストレスで夜眠れず、夜中も忙しく今月辞めることにしました。また新しいところに勤めます。そんなふうに決めることが出来るようになったのも、この会に来ていたからです。 私も長い間ブランクがあって、研修を受けて働く気持ちになったんですが、今度新しく研修を受けた方が私の職場に来たんです。 その方の指導をしていたときに、「ブランクがあるから・・・」と不安を言われるので、「どうにかなるものですよ。家の仕事ができればその延長が看護だから、技術は働きながらつけていけば大丈夫ですよ」と言っている自分がいることに驚きました。1年前は不安でたまらなかったのに、どうにかなるんだなあと思って。(笑) また面白いことに新しく入った方が3日目に「辞めたい」と言って相談されたんです。(笑) 「実は私も3日で辞めたのよ」と話して、その方も辞めて行きました。(笑) そういうふうに言える自分がすごく変わったなあと思います。 53歳になる夫は退職してから1年半家のことをして、10月から県体育館で働いています。管理人兼雑用なんですが、「あなたに家事を教えてもらったから、掃除や雑用も出来る。1年半無駄じゃなかった」と楽しそうに話しています。 今でも食事をまめに作ってくれますし、掃除も私よりも丁寧です。 私は夕方になると自分の部屋に行って、夫に「また逃げて家のことを何もせん」と怒られるんですが、それでも夫が一生懸命してくれます。 今日も出勤する7時半前に洗たくを済ませ、私の朝食も作ってくれました。(笑) ああ、変わったなあと思いました。 私の実家の古い家を壊したときに私の大学時代の成績表が出てきて、父に見せてもらったんです。 自分では成績はいいつもりでいたんですが、見てみると結構「不可」もあったりで、それを娘も見て、「お母さんの話は全然違うじゃん」と言われてしまいました。(笑) 自分の過去って美化してしまうんだなあと思って。「あんなに不可があっても卒業できるんだね。お母さんでも出来たんだから、私もやれるかも」と言われました。(笑) 私は鳥取の医療短大に行っていたんですが、地方から来ている人に投稿をお願いします、と言われてそこの新聞に書いたことがあるんです。 30年前でちょうど娘と同じくらいの年齢のときでした。久しぶりに読んでみると、すごく生意気で、とんでもないことを書いているんです。 若い方がここで話して下さるのを聞いたり、投稿しているのを読むと、すごく自分の内面を見つめて、自分の人生を考えているのに、恥ずかしくなりました。ですから私はすごくこの親の会で勉強させてもらっています。 働いている老健施設でも認知症の方が多いんですが、自分のことしか考えていないんですね。 自分のご飯、自分のお風呂、常に自分が1番じゃないと気がすまないんですよ。 そしてまた楽しそうなんです。 でも、認知症でない方は家のことが心配、息子が離婚して心配、娘が心配と常に不安でたまらないんです。 それを見ていて、90、100にもなってこんなに悩むなら、呆けるってことも悪くはないなあと思いますね。(笑) ですから自分の人生を大事に楽しまないといけないと思います。 今娘が毎日電話してきて、ああだ、こうだと言うんですが、「もうあなたの人生だから辞めてもいいし、好きにして」と言えるようになって、これも親の会のおかげだなと思っています。 ―――私の家にご夫婦でいらっしゃったのは何年前でしたか? あの時は精神科に通って娘さんもあなたも薬を飲んでいましたものね。 3年前に内沢さんのところに行きました。薬は飲んでも全然変わらなくて、眠くもならないし、効かないなあと思っていました。 不安で眠れなくて、娘が学校に行けなくなったのは私のせい、夫が職場を辞めたいと言っているのも私のせい、と全て自分が悪いと自分を責めていました。 でも内沢さんと話して、こういう考え方もあるんだと思いました。どこに相談に行っても、それはお母さんの育て方が悪いとか、考え方がおかしいと言われたんです。内沢さんと木藤さんに最後まで話を聞いてもらったのが初めてでした。そのことに私は感動しました。 夫は最初から娘は異常じゃないと言い続けていて、薬を飲ませることには反対でした。 でも私が読んだ本の中に、「薬を飲んですぐに学校に行けた」と書いてあったんです。それで「明日から学校に行けるかもしれないよ」、と半ば夫を強迫して娘を病院に連れて行っていました。 内沢さんと話した後、眠れないんだったらそれでもいいと思って、私も薬を止めました。そうしたら今度は眠くて眠くてしょうがなくなったんです。外に出れないくらい眠くて、動けない娘に買い物に行ってもらうほどでした。(笑) ―――ご自分を責め続けたことから解放されて、心から安心されたんですね。 そうなんです。眠くて眠くて1日中眠っていました。娘より眠っていたと思います。(笑) 今、娘が友達がなかなか出来ない、どうしたら積極的に話せるのかな、と言うんですが、「そうじゃないよ、今の人達は人に話を聞いてもらいたいんだよ。お母さんは親の会で最初に話を聞いてもらって、全部飲み込んでもらった。それだけで仲間だと思えて、安心した。だからあなたもまず相手の話を聞いてあげると違ってくると思うよ。相槌を打って、うん、うんとうなずいてあげるだけで違ってくると思うよ」と話しました。 今娘は東京で一人暮らしをしているんですが、親元を離れて、今の方が束縛がなくて楽だと話しています。 家にいるときは「ご飯だよ」とか、何かにつけて声をかけたりしていましたから、よっぽど私達がうるさかったんでしょうね。 先を心配しても明日死ぬかもしれないと思ったら、今がよければいいかなあと思いますね。 「2回目の参加です。まだまだ不安・・・」 Oさん(母) ―――先月初めて参加され、お帰りになるときは少し安心して帰られたようですね。 中1の息子さんが2学期から不登校で、とても不安なのですね。 前回参加して色々考えさせられました。不登校のことは、今日ここに来て、今またホッとしています。やっぱり家に帰ると不安が出てきます。 ―――先月参加されて、ホッとされた気持ちはどのくらい持ちましたか。初めての方は少しか持たなくて、繰り返し参加される中で、安心感が持続できるようになります。今日ここに来て安心されることが何よりですね。 家ではどういうことが一番不安ですか? いろいろ考えていたら、毎日が不安です。 今日、また子どもに「出かけるの?」と言われたときに、夫から「本当のことを言っていいんじゃない」と言われ、「不登校の勉強会に行って来るよ」と言いました。 私は、母を9歳の時に亡くして、人生でいろいろあって、子どもの頃から自己否定をして生きてきました。 自己否定をしてしまう癖を持っているので、しっかり生きてこれませんでした。 今までも子育てで迷い、さらに不登校で迷っていました。でもこの会に参加して、いろんな方のお話を聞いて、私自身が人生のいろんなことを学ぶ機会だなと思っています。 子どもは5月からサッカーの部活をやっていましたが、腰を痛めてから部活を休み始めたので、そのことで親とちょっと衝突して、9月からは学校にもパタッと行かなくなりました。 今やっと親子とも一段階乗り越えた感じで、息子は明るく元気に家で過ごしていて、特に妹とふざけています。 でも家に帰ると、私は現実に不安です。 ―――この会に参加する、と息子さんに言われたことはとてもよかったですね。でも、あなたが不安なのですね。(はい) 9歳のときお母さんを亡くされて、自分を否定されながら生きてこられて、何かあったりすると自分を責めたりされるのですね。 でも、今は夫と巡り合って、かけがえのない子どもさんに恵まれているわけで、そういう幸せをちゃんと受け止めるといいですね。 はい、夫から暴言や暴力をふるわれたこともないです。そのことは感謝していて、いろいろあっても家族のありがた味も感じています。 ―――家族のありがた味を感じることはとても大事なことですね。 まだ不登校は辛いです。ここではいいんですけど・・・ ―――ここでホッとされるだけでもいいですよ。 この会はおかしいと思いながら帰るのと、ホッとしながら帰るのとでは、あなたの安心感が違います。 最初のうちは帰ったときから不安でたまらないのが、安心感が少しずつ広がっていくと思います。 そして息子さんが家の中で元気にしていることが何よりだなと思っていくでしょう。 いいことなんだと思うんですが、どこかでまた不安がもたげてきて、うまく言えないんですが、不安と繋がっていきます。 そんな時も親の会のHPで、内沢さんが「息してることにも感謝」、「命があるだけでも感謝」と書いてあるのを見て、納得できる日もあれば、出来ない日もあり、日々葛藤します。 ―――そりゃあ、日々葛藤してもらわないといけません。(笑) あなたはまだ「若葉マーク」ですから、「私はもうすっかりわかりました。自分の子どもは学校に行かなくてもいいです。とても幸せです」と言ったらウソっぽいとすぐ分かります。 日々葛藤するから、生きる力になってくるのです。 どんどん不安になったり、安心してもまた不安が押し寄せてくる。不安は大きくなったり、小さくなったりします。 その不安が自分にあるんだということをあなたがちゃんと認めている、そこが素晴らしいところですよ。 息子さんは何も問題がありません。抱えているのは自分の中にある不安で、その不安を大事にすることです。 HPを見て、納得する日と納得できない日とある、それでいいんです。 納得できる日は自分にご褒美をあげ、飴玉のひとつもあげ(笑)、納得できない日は、それはそれでケーキを買って来て食べるとか(大笑)、啓介君の書き込みを繰り返し読まれたらいいですよ。 「今日も1日よくやった、よく考えたって、自分に言って横になります。自分で自分の頭を撫でたりもします」。これはいい言葉ですね。 繰り返し繰り返し葛藤しながら、こういう自分でもいいんだ思えるようになることですね。 人は教えられなくても、したいことを自分でするようになる じぇりさん ―――Oさんのようにわが子が学校に行かなくなって、不安になったことはないですか? 学校に行かないことで不安なったことはないですね。 私は教員をしていた時に不登校の子と出会いました。不登校とはなんだろうと思い、奥地圭子さんの本などを読み、その子と話して全然問題があるとは思いませんでした。 学校に合わないんだなということを違和感なく自分の中で納得しました。 Oさんが気持ちが優しい子だと言われましたが、ほんとにその子も優しい子で、たまに学校に出てきて、私が「授業どうだった?」と聞くと、自分がどうだとか言わないで、「みんなが楽しそうにしていたから良かった」と周りに気遣いながら言う、不登校が問題じゃないということを実証してくれる子どもと出会ったんです。 我が子が不登校になったとき、もしかしてうちの子はすごい子かも、とその子を思い出している自分がいました。 でも実際、上二人は小5と小6で不登校になりましたが、下の子は1年生でした。字も教えてないし、ただ一緒に暮らして今15歳です。 字はどうするのかな、ラブレター書くときに必要になるんじゃないかなと、昔夫と話したことがありました。 ところが今日記を書いているんです。何かの拍子に書きたいと言って、長男が小学校卒業記念でもらった8年日記というのを取り出して、まあ細かい字で毎日欠かさず書いているんです。 この間息子に、「字が書けないけど、いつ書き出すんだろうか、ラブレターじゃなくて日記だったね、となおぶー(夫)と話したんだよ」と言うと、息子が「将来の自分へのラブレターだよ」(笑)と言うので、「うまいこと言うね」と笑ったんです。 これはほんの一例ですけど、人は教えられたから出来ると思い込んでいるんですが、ほんとうは「教えられなくても、したいことがあったら出来る」ということを子どもが気づかせてくれているんです。 今私はスイミング教室でインストラクターをしています。子どもに泳ぎを教えているから出来るんだ、と思っているコーチがほとんどですが、そうじゃなくて、放っておくと自分で出来るようになるんですね。 むしろ放っておいたほうが出来るようになるんです。 例えば、一応マニュアルというのがあるんですが、つい昨日のことですが、もぐるのが苦手な女の子がいて、「はい、ちょっともぐろうか」と言うと、嫌がるんですね。 「したくなかったらしなくていいよ」と言って、皆で水底におもちゃを沈めてもぐって取る遊びをさせたところ、そしたらもぐる、もぐる!(笑) その子自身が出来ないと思っていたことが出来ている自分にびっくりしてるんです。 あれを取りたいという必要性があるからもぐったんです。両腕に沈まないようにヘルパーをつけていたら、その子は片方を外してくれと言うんですね。一方は浮く状態で安定させ、片方で取るんですね。私はすごいなと思いました。 ―――そういうことに感動するあなたもすばらしいですね。(笑) あなたは我が子のこともすごいなと感動するじゃない。 私は、自分が良かれと思うことを子どもに言うのが自分の務めだと思ってずっとやってきて、その過ちに気が付いて止めたんです。 止めたらそういうのが見えてきたんです。 もし、子ども達が不登校にならなくて、そのまま自分がいいと思うことをずっと言い続ける人生だったら、たぶん気付かなかったし、そういう風にもならなかったと思います。 だから私はプールで子どもたちのすることに惚れ惚れしながら見ています。 ―――「惚れ惚れしながら見ている」いい言葉ですねえ!(笑) 親の会で「何もしない」ことの大事さをよく言われますが、ほんとに大事だと思います。 何かすることが子ども達のエネルギーを奪っているし、教えることで自分は満足していても、教えられる子どもはどれだけ迷惑してるかということです。 教えなかったら、自分でやって出来たという喜びを感じることが出来ると思います。その中に、本物の姿があると思うんです。 不登校の子は、と世間では一括りで言いますけど、不登校の子だからという生き方があるわけではない。また、子どもは自分が不登校だと思って生きているわけでもない。この会でそう聞いて、プールで子どもたちを見て、そんなことを感じます。 最近、ダウン症の子どもが入ってきて、私は実際接したことがなかったのでどうしようかと思い、一応情報を持った方がいいと本を読もうとしたんですが、ちょっと読んだだけで違和感があり止めました。 「その子は自分がダウン症だと思って生きてはいない」と思ったんです。だから私が分からなかったらその子が教えてくれると思って。 私はそんな風に考え構えて接していますけど、子ども達は全くそういうことがなく、子ども達同士はとても自然なんです。 物を投げたりしても、さりげなく取って、その子を責めるでもなく、「はい」と渡すんです。 夫が以前、ハンディのある子を受け持っていたときに、子どもに聞けば他の子どもが教えてくれる、という話をしていましたので、やっぱり見ていると子ども達のやり取りの中から、教えられることがたくさんあります。 だから毎日が楽しいし、すごいです。 ―――不登校や引きこもりを、世間が勝手な価値観で見ているんじゃないか、そして、自分たちはどうかなという大事なお話ですね。 その子のお母さんは「すみません、ルールを守れなくて、他の子よりゆっくりなので」とすごく気を遣っています。 普通学級に入れているということなので、ずっとそういうことを感じて、育ててこられたのだろうと思って。ギャラリーで一生懸命ビデオカメラをまわしているんですね。(涙) ―――ビデオカメラを回さなくなったときが、我が子に対する偏見がなくなって楽になったときでしょうね。 垣根を親が取り払う、我が子に対する偏見を親が取り払う、子どもはそれで当たり前として生きているということですね。 ―――(内沢達):じぇりさんの話で思い出したんだけど、「子どもは教えられなくても、したいことがあれば、意欲があれば自分でするようになる。自分の力でできるようになる」ということが本当に大事ですね。 12月5日の新聞にいっせいに国際学力調査(OECDの2006年調査)の結果が報道されていました。 日本の子どもたちが成績・順位をまた下げたと。たしかにそれはそうなのですが、一番の問題はそこにありません。 日本の子どもたちは順位を落としている(科学2位→6位、数学6位→10位、読解力14位→15位)とはいえ、依然として成績が上位からトップクラスであることは間違いありません。 一番の問題は成績ではなく、「関心や意欲が低い」しかも「際立って低い」ということにあります。 知識のあるなしでいうと相当なものがあるのに、たとえば「科学についての本を読むことが好き」と答えた生徒の割合が57カ国・地域のなかで最下位です。科学に関する「テレビ番組を見る」「雑誌や新聞の記事を読む」も最下位です。 この傾向はいまに始まったことではありません。前回2003年の調査(41カ国・地域)でも、数学を例にしていうと「数学の勉強に興味・関心、楽しみを感じている」生徒の割合がもっとも低く最下位です。 「数学の勉強が将来、自分のつきたい職業に役に立つと思っている」割合も、「“数学は得意だ”と思っている」も、断トツに最下位でした。 つまり、成績はよいのに、関心・意欲が低く、自信がないんです。 これは日本に限った現象ではありません。先進各国に共通していて、とくに日本が顕著です。 日本の学校教育はたくさん知識を詰め込んで成績でいうと優秀な子をたくさん作ってきましたが、関心・意欲や自信を育てることには完全に失敗しています。 成績はよくても、子どもたちの意欲をそいじゃって、「二度と科学や数学の勉強なんかするものか!」と思わせているんですから、そうした学校教育には全然縛られる必要はない! のではありませんか。 だから、じぇりさんが言ったように意欲があるということは、これからの時代に強いということです。 意欲があったら、いつでも必要なものをわがものにしていくことができます。 これからの時代は、かつてのような「追いつき追い越せの時代」じゃありません。前だと、僕なんかの青年時代までですが、1960〜70年代くらいまでは、アメリカがずっと先を進んでいて、アメリカに「追いつき追い越せの時代」でした。 そうしたときは、モデルがあったから、学校でもただ教えられたことを そのまま覚えこむだけでも、それなりのことが期待できたかもしれません。 ところが今は違います。日本も来るところまで来てしまって、決まったモデルがどこかにあるわけではありません。いや日本だけではなく世界の先進国全部がそうです。先進国同士だけではなく、それこそあらゆる国々から多くのことを学んで、自分たちの力で未来を切り開いていかなくてはならない時代です。 そういう時代にあって、不登校は大変なチャンスだということです。 みんながそうしているからというだけで、無理をしてまわりにあわせるようなことは決してしない。自分の興味・関心を大事にし、自分の気持ちを一番大切にする。やる気や意欲もそのひとつ。したいことがあれば、意欲があれば教えられなくても、やがて自分で方法まで見つけて、自分でするようになります。 誤解がないように言っておきますが、元気に学校に行っている子にチャンスがないと言っているわけではもちろんありません。 僕が40歳や50歳になってようやく気づいたことを今の若者たちは10代や20代で自分のものにしています。「自分を大事にする」ことの大切さ、その実感を今の若者たちは、はるかに多く持っていると思います。 そうは言っても、今の若者たちも知らず知らずのうちにまわりにあわせて自分を押し殺すことも少なくないことでしょう。 そうしたなかにあって、不登校の子どもたちは「自分を大切に、自分の気持ちを一番に考えて生きる」ことをより多く意識できる条件にあって大変なチャンスなんです。 親の会への参加がまだ新しい方は、分かったような、分からないような顔をされて僕の話を聞いていますね(笑)。おいおいお分かり頂けるものと思います。 |
Last updated: 2008.2.8
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