登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島) 登校拒否も引きこもりも明るい話


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体験談

2008年12月発行ニュース
登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)
会報NO.150より

登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)では、
例会の様子をニュース(会報)として、毎月1回発行しています。
その中から4〜5分の1程度をHPに載せています。


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「だってお母さんのこと、信じてるもん!」


2008年11月例会報告(抄)



私たち大人も自分を大切にすると見えてくるものがたくさんあります。

永田さんは登山の前日すごく嬉しく、リュックにチョコなどを詰めていたら、息子さんが「お母さん嬉しいかい」と声をかけてくれたとか。「もう、お母さんは、すっごく楽しみ!」、「そりゃ、良かった!」・・・。「2年前は地獄の底の底だったかも」とおっしゃる永田さん、今は18歳の息子さんのおかげでたくさんの幸せをもらっています。

Kさんの息子さんも18歳。中学卒業後ずっと家にいます。親が責められかねないような場面で、息子さんは「だってお母さんのこと、信じてるもん!」と言ってにっこりしてくれたそうです。とっても暖かいですね。

「そりゃ良かった」とか「信じてるもん」と言ってもらえる親子の関係はすばらしいですね。信頼感や愛情がいっぱいです。お二人とも誰よりも自分自身を大切にされるようになったからだと思います。

妙子さんもそうです。夫の暴言や無視に我慢しないで、どんどん自己主張ができるようになりました。息子さんは自分で自分の道を切り開いていきます。親が世間体ではなく自分自身を大事にしている姿は子どもたちへの最大の支援でもあると思います。

夫婦の協力も大事なテーマです。淳子さんは「うまく言えないけれど、私(妻)のことが心配なら、そんなことじゃなくて、自分で向き合ってほしい」「そう強く思った時期があった」と振り返ります。辛さを抱えているわが子と向きあうべきは、もちろん「母親」だけではありません。互いに励ましあってきた重則さん・淳子さん夫婦の貴重な話です。

兵庫県から夫婦で初参加したサクサクさんも、夫も向きあうようになってくれたとうれしそうでした。

先々月の愛美ちゃんに続き、真衣ちゃんが久しぶりに参加。
辛かった自分の体験を振り返って「お母さんの離婚体験も理解できるようになった」と声も出るようになり元気に話してくれました。

今月もみなさんの発言が財産です。
みなさんの体験談は親の会の宝物。会報は「宝物がいっぱい!」です。



目次

1 兵庫県からふたりで参加しました  サクサクさん夫婦
2 夫婦ふたりで支えあってきた日々  重則さん・淳子さん
3 「だってお母さんのこと、信じてるもん!」   しずりんさん
4 自分の好きな登山を楽しんでいます!   永田さん



兵庫県からふたりで参加しました   サクサクさん夫婦



―――今日は兵庫県から妙子さんだけでなく、サクサクさんご夫妻も参加しています。
サクサクさんには昨年の12月から、HPの掲示板にたくさん投稿していただいています。
お二人の子どもさんが不登校になって、それをきっかけにして嫁の立場、夫との関係、自分の生き方など、私達にもとても勉強になる経験をされました。


サクサクさん夫:息子は今2回目の高校1年生です。
ほとんど行っていません。9月に休学手続きをしました。息子の「希望」です。妻はこの機会に退学してもいいと思っていたようですが、僕の方は担任にはっきり言えませんでした。

休学期間が終わる来年の3月まで、まだ4〜5か月ありますので、親の会にも参加し、自分が何をすべきか考えていきたいと思いました。


―――お父さんとの関係はどうですか。


学校の話はもちろん、日常会話もあまりありません。8月に「ビデオを借りに連れて行って」と再三言われたので連れて行き、後は先日「髪を切って」と言ってきたので、私が切ってあげました。
その時、私は「こいつ、大丈夫だなあ」と思いました。

2、3日前に、私が息子に「鹿児島に遊びに行ってくるわぁ」と言ったら、「研修?」と言ったので、「半分研修、半分遊び。二人で行って来る」と言いました(笑)。 

息子の表情が明るかったです。今までは私は息子を「腫れもの扱い」でした。
問題は私の考え方にあり、息子ではないと気がつきました。


―――最初、妻のサクサクさんが親の会を知って、あなたは反発していたんですよね。


右翼か、左翼か・・・(笑)と思っていました。
あるいは何か宗教団体かと思ったりもしました(大笑)。

それで最初は会報も読みませんでした。
でも妻の態度が変わり、私に対して怒らなくなってきたので、信じるようになりました。

私は学校でカウンセリングを受けたのですが、「お父さんに“家長”という意識や自覚がない」「お父さんが悪い」とかなり否定されました。「強いお父さんになって、頭ごなしに子どもを叱るぐらいにならないといけない」と言われました(大笑)。


―――落ち込んだでしょう。


はい。もう・・・。1月の末で、学校から帰る途中、外はもう真っ暗で雪がちらついていました。
川の近くで車を停めて、川を見ていました。あの時川にはまっていたら死んでいたかもしれないけれど、まぁ、元気にしています(笑)。


―――その時に妻が読んでいるHPを見てみようと思われたんですね。


はい。それまでは私も意地を張っていたものですから、離婚寸前の状態でしたけれど、私が一言妻に謝ったら、妻の態度も変わってきましたから。

自分がやらないといけないとはわかっても、なかなか分からなくて・・・。
これでもか、これでもかとありましたので、必死で会報を読むしかありませんでした。


―――離婚の危機を乗り越えて、ご夫妻の愛が深まったことが何よりです。
本当に良かったですね。
あなたの御両親と同じ敷地内に住んでいて、妻と御両親の間であなたも随分気苦労があったみたいですね。



妻はあの時はふさぎ込んでいました。娘の言葉が一番聞きましたね。
あれから本気で会報を読むようになりました。


―――あなたのお気持ちも楽になりましたか? (もちろんです)(笑)


サクサクさん:私はすごく楽になってきています。
息子には、私は退学を決めてほしかったんですが、本人が「どうしても休学したい」というものですから、私も息子の言葉に引きずられて休学届に必要な診断書を取りに行ったんです。

その時に朋子さんからのメールで「子どもの辛さに手を貸してしまっている」と教えてもらいました。
じつはその時、私はすごく落ち込んだんです。

でも、どうして自分はこんなに落ち込むのかなあと考えました。
そして私が今まで親の会の会報やHPを一生懸命読んでいたのは、息子にはしっかりと引きこもってもらって、引きこもりの後に動いてほしいという気持ちがあったんだ、と気がつきました。
親の会の考えを自分がしっかりマスターして、子どもに立ち直ってほしいみたいな。

それは子どものためであって、自分を大切にしていないなと気づきました。
会報が届いても、ここから何かを学ばなくちゃいけない、マスターしなくちゃいけない、と教科書を読むように固まっていたのが、今回は楽に読めました。

失敗して落ち込んだけれど、良かったなあと思いました。


―――息子さんは1年留年してもほとんど行かなかったのに、学校へは行かねばならぬ、学校へ行くしか自分の生きる道はない、という気持ちが非常に強いから、「休学して来年こそは行く」と思っているんですね。
来年の3月には、親が自信を持って伝えることができるようになりますよ。



はい、そうします。これまでは授業料を月2万円払っていましたが、休学中は支払いはありません。


―――息子さんが「無理して自分を追い詰めなくていいんだな」と自分で納得されることが大事です。それは、息子さんに御両親の信頼が伝わるときでもあるんですね。
娘さんは高2で中退して、今アルバイトをしているのですね。



はい、高卒認定を取って、今自分で勉強しています。
来年の4月から予備校へ通いたいと言って、自分でHPを検索し資料を取り寄せています。


―――心配していないのですね


はい。娘とはよく会話をします。
息子はほとんど祖父母宅にいて、お風呂と寝るときだけ家に帰ってきますので、ほとんど顔を合わせることがありません。


―――息子さんのことは絶好のチャンスです。
「お父さんとお母さんは診断書を取りに行ってまで学校に行かせる気はないよ。あなたは病気でも何でもないんだから。学校が主人公ではなく、自分が主人公なのよ」と言えるようになります。

お二人で指宿に行かれるなんて、以前なら考えられなかったでしょう。
それだけお二人はとっても気持ちが楽になったんですね。自信を持って下さい。

サクサクさんは夫の御両親に対して気を使わなくなりましたか?



はい、まあほとんど顔を合わせないので。


―――しずりんさん。あなたが「お正月は夫の実家に帰らなかった」ことを知って、サクサクさんは気持ちが随分楽になったそうですよ(笑)。
(しずりんさん:良かったです)(笑)



サクサクさんのHP掲示板への投稿「例会に参加して」(2008/11/18)も
以下に紹介します。



初めての例会参加。お世話になり、ありがとうございました。
HPの写真を拝見している方は、すぐに何方か判りました。会報で読んでいた方は、何だか懐かしい感じがして。

朋子さんの司会のパワー、夫婦漫才のような達さんとのやりとり、参加の皆さんの涙と笑いの発言に、感動の時を過ごしました。自分の時は、ドキドキして何が何だか分からなくて、後で会報で要確認です。

今回の参加で感じたのは、言葉のパワーです。
親の会で言われたことを、子どもに言っても反発される。でも、同じ言葉を、朋子さんに言われると、納得してしまう。
自分が本当に自信を持って言う言葉には、力があるのですね。

息子が休学を決めた時、「おかあさんは辞めてほしいと思っている」と、伝えたけれど、心の奥に「とりあえず、休学でも仕方がないかな」という思いもあった。それを、子どもは見抜くのですね。

自分の言葉に本当に自信を持っていれば、必ず伝わるだろうし、たとえ反発されても、言いなりになって手を貸すことはなかっただろうと思います。子どもを変えることは出来ないけれど、自分の心の持ち方、思いの強さは親自身の問題で、自分の課題です。

例会に参加して、会報の文章だけでは分からない、思いを乗せた言葉のパワーをすごく感じました。

次の日、知覧の平和会館へ行きました。涙涙で遺書を読みました。うちの子どもたちは、あんな風に 親に孝養を尽くしたいとは言わないけれど、生きていてくれるだけでかわいいと思えました。
生きていてくれるから、泣いたり笑ったり。本当に、それだけでいいんです。

感動いっぱいの鹿児島でした。また、行けますように。




夫婦ふたりで支えあってきた日々    重則さん・淳子さん



重則さん:私も昔、徳之島に5年間単身赴任をしていた頃、毎日帰らなくていいので家のことを見なくてすむわけで、その頃は妻に電話をするのも嫌になって、毎日酒を飲んでいました。(笑)

それから鹿屋に転勤になり、その時は金曜日に指宿の家に帰って、金土日の3日間を家族と一緒に過ごし、月曜日に鹿屋に行くという生活でした。

そうすると家の中が見えて、逃げることが出来ないわけです。
それで私は鹿屋に行った頃から、親の会に毎回参加するようになりました。


―――鹿屋に行ってから「指宿の自宅に帰りたくない」とは思わなかったですか。


苦しかったですね。


―――「ただいま」と帰って、自分の持っているカバンをどこに置こうかと、置き場所を探すのに困ったというお話もありましたね。(笑)


初めは家の中に僕の居場所がないと思っていましたね。
僕も苦しみましたが、家族も苦しかったと思います。
それから親の会に来てから8年になります。

毎月参加していくうちに、私自身が家にいる楽しみを見つけられるようになりました。
それから単身ではなく家族が一緒に暮らしたほうがいいと考えて、家から通える職場を希望して変わりました。

それからは毎日子どもたちと一緒に暮らしています。


―――子どもたちと別々に住もうと思ったことはありませんか。


徳之島にいた時は思ったかもしれませんが、その後はありません。


淳子さん:夫が徳之島にいる頃は、子どもは私にばっかり自分の辛さを言ってきましたから、夫にしたらある程度他人事だったと思います。

だから私と息子のことが心配という感じで、帰ってくると家事から庭仕事からいろいろしてくれました。
でも私はそれにイライラしました。

うまく言えませんが、私のことが心配なら、そんなことじゃなくて、私の心配じゃなくて、自分の息子とちゃんと向き合ってほしいと思いました。
でも鹿屋に転勤になって帰りたくない時もあったと思うんですが、毎週帰ってきてくれました。

途中で帰りたくなくなって海に飛び込もうかと思ったと聞いたり、朝も安定剤を飲んで出勤するので私は事故に遭うんじゃないかと心配したり、月曜日に送り出すと週末に会えるだろうかと思う事もありました。
でも欠かさず帰ってきましたね。

最初、子どもは父親が帰って来るとニコニコして何も言わないんですが、夫が鹿屋に出かけてしまうと私に対して毎日のように同じことを繰り返し言ってきました。
でも夫が毎週帰ってくることで、だんだんと子どもも父親に言うようになりました。

それはやはり良かったと思います。
私だけの子どもじゃないのよ、ということを思い出しました。


―――私は昔、息子さんからいろいろ電話をもらったんですが、あんなに親のことを言っていた子がある日を境に「お父さんはこんなに僕のことを思ってくれているんだ」と言うようになったんですね。私はすごいなと思いました。

子どもって、ものすごい愛情を持っていると思うんです。
そして愛してもらいたいという気持ちがとてもあるから悪口も言うんですね。
淳子さんが不安いっぱいだったときがしばらく続きましたね。

そのときに、重則さんが「僕は淳子が安心して“いかり”を下せる港になる」と言ったんです。
私は「頼りない“いかり”だね」と言ったりして
(笑)。

それまでは私から見たら、重則さんは淳子さんの後ろに隠れて子どもを見ている感じでした。そしてカバンもどこに置こうかなという感じだったんです。(笑)
長いこと親の会をやっていると人間って素晴らしいなと思いますね。




「だってお母さんのこと、信じてるもん!」   しずりんさん



―――ハンドルネームが「しずりんちゃん」(笑)、かわいいですね。掲示板にきれいな、珍しいお花の写真を載せていただいて、なんというお花ですか。


皇帝ダリアです。4、5年前までは珍しくて新聞に載るほどだったんですけど、今はどこにでもあります。背が高くて隣のうちの屋根より高いです。
その花をひとりで見るよりは、皆さんにも見てもらおうと思って、長女に頼んでHPの掲示板に載せてもらいました。 


―――すごくいいお話を木藤さんから聞きました。


息子は18歳です。中学を卒業してから家にいます。
ちょっとうれしいことがありました。
休日に夫とふたりで出かけたときに、私が携帯を忘れて出かけていたんです。

息子が「僕、お母さんにメールしたんだけど」と言い、私は携帯を忘れていったのだから、少しは責められても仕方がなかったんだけど、「だってお母さんのこと、信じているもん」と言ってにっこりしてくれて、私もホッとあったかい気持ちになりました。

私のことを信じていてくれるんだな、それをちゃんと言葉に出して言ってくれたので、すごくうれしかったですね。


―――とってもいいお話ですね。安心がいっぱい膨らんでいます。
先月のお話でもあったんだけど、お友達が就職が決まったときに、息子さんが心から喜んだというお話をされて感動しました。



「卒業までに、赤点取るなよ」と自分は勉強しないくせに、友達にはそんなに言っていましたもんね。(笑)
私は、息子の心の奥までは分からないけれども、そういう就職のこともさらりと言ってくれて、でも私としては「気にならないのかな、人はみんな動いているのに・・・」と思ったんです。


―――子どものそういう行動って、お母さんやお父さんに対して「焦らなくてもいいんだよ。僕はこうやって生きていけるんだよ、大丈夫だよ」と、伝えてくれていると思うんですね。

「イヤ、やっぱり今のままでは?」と親が思うと、合わせ鏡のように子どもには分かるんですね。



「焦らなくてもいいんだよ」と、そういうことを親として言わなければならないのかなと思ったりする時もあるんですけど、私は何も言っていないんです。


―――あなたは言いたいの。


言うべきなのかなと思ったりするときがあるんです。(笑)


―――ひとつのティーバックの紅茶をふたりでいれて「美味しいねえ」と言う毎日は、あなたの安心している気持ちがどんな言葉よりも息子さんに確実に伝わっているでしょう。


私の顔を見れば、「おなかすいた、おなかすいた」と言って(笑)、二階から私の携帯に「腹減った」と電話がきたり(笑)、「あれ作って」と言うので、「あっ、あれね」、「エッ、何でお母さんわかるの?」と言ったり。
息子の心の奥底まで分からないけれど、そういう日常の食べたいものは分かりますね。(笑)


―――あなたは、親の会にいらしたのは何年前ですか。


私が入って、すぐ達さんが入院された頃ですので、3年前ですね。
行き始めて3回目ぐらいで楽しみにしていたら、木藤さんから「今月はお休みです」の電話があり、がっかりでした。(笑)

中2の今頃からでしたので、私は「2学期は休んで、3学期から行こうね」と言っていました。
その頃、私は学校に行って欲しいの一心でこの会に来たんですよね。なんとか行かせる方法を教えるところだと間違って来たんだけど。(笑)

学校に行かないでいいのかなあと思っていたんですけど・・・。


―――そう、その時、Sさんから。(笑) 


そうです。「続けたほうがいいですよ」と言われて、私も1、2回じゃ分からないことだし続けてみようかなと思い、そしたらハマッタ。(笑)


―――その時は不安いっぱいで。


不安がいっぱいでしたね。 
私、死のうかなと思うぐらいでした。上に子どもが二人いるので、この子は生まなければ良かったと思ったり、「学校に行かないなんてこれからどうしよう」と、すごい不安でした。


―――その時、息子さんはどんな感じでしたか。


息子は暗かったですね。その頃、私は毎日学校に電話しないといけないのが苦痛でした。
だって、担任が電話をしてくれと言っていましたので、毎日していました。

早くこの会に縁があったら、電話をしなくても良かったのに、ひとりで悶々としていました。
この親の会があるというのは知っていたけど、ここまで出かけて人前で話すのが苦手だし(笑)、行き渋っていたんです。

でも、こんなにしていても一人では前にも進めないしどうにもならないしと、一歩踏み出したら、もう、いつの間にか3年も経ってしまいました。(笑)


―――あなたの気持ちはすごく楽になりましたか。


すごく楽になりました。
もう不安は全然ないわけじゃないですけど、ここに引っかかっていたものが、いつの間にかポトンと落ちた感じがして楽になりました。


―――不安がないわけじゃないって、どんなのがあるのですか。


ほら、いつまでこうしているんだろうか、他の子は頭良くって才能があるのかなあ、うちの子は飛びぬけて出来る子じゃないし、まっ、ごく普通、だから、大丈夫なのかなあ、うちの子もそういう時期が来るのかなあと思うことがあります。


―――いつまでこうしているんだろうと(う〜うん)
特別出来るわけじゃないって、何が出来るの。(頭がいいわけじゃないし) 
頭がいい、悪いって、どうやって決めるの。(学校の成績とか)(笑)
ほらね、学校の成績を知らず知らずのうちに基準にしているでしょう。(そうですね)
おかしいよね。


世間のニュースを見ていたら、いい大学を出ても悪い人はいるし、やっぱりそれは学歴は関係ないなって思いますよね。


―――また、そこに気が付くいいチャンスですね。
息子さんは幸せに暮らしていらっしゃるんでしょう。



ニコニコしています。


―――すごくいい。「俺は将来が不安だ、不安がないわけじゃないんだ」とか、言わないのね。


言わないですね。ニコニコしていますね。


―――あなたの夫はどうですか。


何も言わないです。
私は夫に「いつまでこうしているんだろうと思っているうちは子どもは動かないんだよ」と言ったんです。
私もそういう風にチラッと思っているんだけども、その時は、私はそう言ったんです。(笑)

夫は「お母さんは、親の会に行っているからそう思うのであって、僕は行ってないから、まだお母さんみたいには思えない」とは言いました。
でも何も言わないし、いつもニコニコして、家族が仲良くごく普通です。


―――今年もお正月は夫の実家に行かないんでしょう。


絶対行きません。(大笑) 行きたくないし。


―――紅白歌合戦はうちで見たい。


ほんとにそうです。 


―――親の会に来て良かったですね。自分を大事にすることを知ってね。


良かったです。(笑)




自分の好きな登山を楽しんでいます!    永田さん



先月の「事件」はあれはあれっきりで、穏やかに生活しています。
あれがあったから、またほんとに親の会を知っていて良かったとつくづく思いました。
知らなかったら息子をどうかしなきゃと思ったかもしれないなあ、と思いました。


―――毎日引きこもる状態が当たり前という感じで、あなたのお気持ちは穏やかに暮らしていますか。


はい。今月は霧島に2回山登りをする機会がありました。
登山の前日はすごく嬉しくて、リュックにチョコなどを詰めていたら、息子が「お母さん、嬉しいかい」と言って。(笑)

「もう、お母さんだけ悪いんだけど、すっごく楽しみ」と言ったら、「そりゃ、良かった」という感じで。

ただ、夫はやっぱり不安だと見えて、私が「今は引きこもりで自己受容の大事な時間だから」と言えば、「分かった」とは言うんですが、やっぱり「親父の気持ちは一応伝えておかないと」と言って、「求人情報誌をお前とってこいよ」と息子に私の目を盗んで言ってるみたいです。
「もう、やめてよ」とは言ってるんですけどね。


―――息子さんの「そりゃ、良かった」という言葉、何より嬉しいですねえ。息子さんがあなたのワクワクした様子を見て、とても嬉しかったのですね。

親子の通い合う信頼と愛情がその一言で伝わってきて感動します。
夫の考えが違うことでご夫婦の間が険悪になることはないのですね。



それはないですね。


―――それは良かった。険悪になってもいいんですよ。またそこで新しい矛盾が幸せを生みますから。今息子さんはおいくつでした。


今、18歳です。
高1のちょうど今くらいに不登校になりました。
あれから、ちょうど2年経つのだなと思って。2年前の今頃は、私の気持ちは地獄の底の底にいたなと思い出します。
2年前を思えば今は嘘みたいです。


―――いろんなことを思ったでしょう。施設とか病院とか。


はい、思いましたよ。
前に言いましたが、今自分を苦しめているのはこの子だ、この子は最初からいなかったことに出来ないのだろうかとか、(笑) 一瞬なんですが。

学校に行かせないといけない、ベッドから引きずり出して、階段から突き落として・・・。(笑) 
どうにかして下に降ろしてカバンを持たせないといけないとか。(大笑)


―――私を苦しめているのはこの子だと。(はい) 今は、私を幸せにしているのはこの子だと・・・。


でも、息子の状態は変わらず、ずっとゲームをしているのですけど。(笑)
夫がどうしてそう言うのかというと、夫のいとこが10年前に悲しい死に方をしたのです。
高校、大学は普通に出たけどやっぱり無理をしていたのでしょう、就職の段階でほんとに動けなくなって、それから長いあいだ家にいて亡くなりました。
今のうちに動けるようにしてやらないと、いとこのようになってしまうという思いがどこかにあるみたいです。


―――あなたの夫は元システムエンジニアだったんですけど、今はタクシードライバーをしているんですよね。


はい、7年前です。
今は一緒に山に登ったりして楽しいですね。
ただ、給料日に私は「通帳を記帳したら、目まいがした」と言ったんです。(笑)
すると、夫は「すごいだろう、来月はもっとすごいぞー」と言うんです。(大笑) まあ、私もパートをして何とかなるから、普通に暮らしています。


―――2年前の地獄のような辛さを思ったら、今はとっても幸せですね。
(あっ、そうですか) とっても幸せですよ。(そうですね)

息子さんのお陰で好きな山にもいけるし、息子さんもかわいいし。(そうですね)
そのことに感謝しないとね。



ここで、以下に、例会の翌日に永田さんがHP掲示版に投稿した
「私幸せです」も紹介させていただきます。


昨日の親の会ありがとうございました。
Oさんのところのかわいいまいちゃんに会えてうれしかったです。

木藤さんに2006年の会報(123号)をいただいて、その中のまいちゃんの「朋ちゃんへのメール」というところを拝見して感動したばかりだったのです。

「おばあちゃんは今まで学校に行かないことを見たことがないから、わからないのあたりまえよね。おばあちゃんの愛情を痛いほど感じる。」
というところオイオイ泣きながら読みました。

まいちゃんはこんなに若いのに、つらい思いもしただろうに、いやしたからこそ、寛大でこんなに素敵な女の子なんだわーと思うことでした。
いいお話もありがとう。

昨日の例会で、朋子さんの「あなたは今幸せですね?」という問に私は一瞬返事に詰まっていまいました。
正直なところ「だって家では息子が引きこもっているし・・」という思いが頭をかすめたのです。

家に帰って夜8時、いつものように夫と息子と3人で「篤姫」を見ました。
いつもどおりの静かな時間です。

そうよーこんな幸せは
「どうして学校に行かないの」「どうして家から動かないのよー」と
思っている時は、はるかかなたにあった幸せでした。

朋子さん、私幸せです・・

PS. 生サクサクさんにお会いできてうれしかったです



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Last updated: 2009.1.11
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