登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島) 登校拒否も引きこもりも明るい話


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体験談

2008年11月発行ニュース
登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)
会報NO.149より

登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)では、
例会の様子をニュース(会報)として、毎月1回発行しています。
その中から4〜5分の1程度をHPに載せています。


体験談(親の会ニュース)目次はこちら



「とても辛いことだってじつは明るい」

2008年10月例会報告(抄)



「とても辛いことだってじつは明るい」の読みあわせをしました。
Sさんは「この文章のどこをとりだしても自分たちにあてはまる」と言われます。
Sさんの体験は多くの大事なことを私たちに教えてくれ、感動的です。

高校で不登校になった息子さんは不安いっぱいでした。その不安から口にする要求をSさん夫婦はかなえようとしました。そうするとますますエスカレートしていきます。いらだち、ときには暴力的にもなっていきました。

そんなわが子を次第に「異常視」し「腫れ物扱い」し、「言いなり」になっていきました。「“大学に行く”“就職をする”と言い出すと喜んで背中を押していました」「そのときは、それが子どもの辛さに手を貸すことになるのがわからなかった」と言います。会報も自分のところしか読みませんでした。

その息子さんが就職するときになって、やっと動けなくなり引きこもります。
ご夫婦は5年間休んでいた親の会に再び参加するようになり、次第に「息子は心配しないで信頼してほしいと訴えているんだ」「変わるべきは親である自分たちのほうではないか」と納得していきました。

あるとき、お父さんが荒れる息子さんに「言いなりになる親を見て、おまえはうれしいか」と迫ることができました。親が自分自身のことに取り組んだのです。息子さんにも気持ちが伝わりました。息子さんは「自分は両親から確かに信頼されている」と思ったことでしょう。今28歳。親思いの優しい青年です。仕事が休みのときには実家にもどって一緒にバーベキューを楽しんだり。

Sさんは「不登校だったからこそ、あの時も今も幸せです」と言います。
親が自分自身の課題に取り組もうとしたときに、道が開かれていきます。問題解決の道は自分自身のなかにあります。「大変だ!深刻だ!」と思っていたことも、見方を変えれば「な〜んだ、違うんだ! 明るいことなんだ!」ということが少なくありません。

「自分を一番大切にして生きていく」。そうした生き方が広がってきて、親の会の例会は笑顔がいっぱいです。兵庫県から毎月参加して、「自分をいっぱい大切にするようなった」と言う妙子さんの笑顔も素敵でしたね!



目次

1 「用があるときはこちらから連絡します」と電話を断わることができた
  Yさん(母親)
2 自分にお金をかける    妙子さん
3 「心配しないで信頼する」 親の会14年   Sさん(母)
4  子どもたちに支えられて、ゆっくりと生きています  mihoさん




「用があるときはこちらから連絡します」と
電話を断わることができた   Yさん(母親)




高3の息子です。大学進学を控えて、担任から連絡がしょっちゅうあり、三者面談も短期間で5回受けました。私はどうしても息子に高校を卒業して欲しいという気持ちがあって、担任の「お前が頑張るのだったら、なんとかしよう」という言葉にすがったりもしましたけれど、結局息子は登校出来ませんでした。


先月の親の会で、担任に「電話はもうしないで下さい。用があるときはこちらから連絡します」と言えるようになるという宿題を出されたので、私は何とかしたいと思って、その後の担任からの電話には、「もう、息子への特別配慮は結構です。何かあったときには、こちらから連絡します」と言いました。


―――すごいじゃないですか、ドキドキしながら・・・。


はい、もうドキドキしましたけど、「ここで言わなくちゃ」と思って。
息子にそのことを伝えたら、「学校と連絡が取れなくなるのは困る」と言って、翌日自分で前もって取っていた「体調変動症」という心療内科の診断書を持って学校へ行きました。


―――「体調変動症」って、おもしろい名前を思いつきますね。(笑) 昼夜逆転とか気分が変わることをいうのですか。(はい、そんな感じです)
みんな誰でも1日の中で体調は変動していくのにね。(笑) 不登校になると病気を原因にして、異常だよと決めつけたくなる。それって全く子どもを信頼していませんね。学校が診断書の提出を求めたのですか。


はい、出席日数の関係で「特別配慮」が必要な状態になっていたので、診断書を提出するように学校側から言われました。
私はもう、特別配慮は求めないと決めていたから、提出する気はなかったんですけど、息子が持って行きました。


―――病院へはいつ行かれたのですか。


病院は2週間毎に行っていましたが、もらった薬を息子は全く飲んでいませんでした。私も飲みなさいとは言いませんでしたが、私の気持ちはまだ揺れ動いていたので「どうしたらいいのか」と思っていました。しかし、この会で「薬は全然必要ない」と言われたので、私もだんだんそのように考えられるようになりました。


その夜、担任から電話がありました。「どうしましょうか」と言われたので、私は「もう、配慮していただく必要はありません。子どもはそう言ったかもしれませんけれど」とはっきり言えました。
担任は「今、学校に出てきたとしても続かないと思うので、治療に専念する方向で考えていきましょう」と言いました。(笑)
「そこまでは結構です」と言いたかったけど、私も強く言えず、早く電話も切りたかったので、「お願いします」と言って切りました。


―――治療に専念する方向というのは、学校に来なくてもいいという大義名分がほしかったんでしょうね。


う〜ん、そうですね。私はもう早く電話を切りたかったのでわかりません。今週末、担任から携帯に電話があった時も、もう取りたくなくてそのままにしました。
ちょっと判断しかねたので木藤さんに電話しました。「子どもが不安になるのは当たり前だよ。子どもの気持ちじゃなくて、あなたの気持ち。あなたがどう思っているかを担任に伝えたらいい」と言われて、「ああ、そうだ」と思いました。


その後、息子も何も言いません。息子はその後ももちろん学校には行ってないけど、以前は自室のドアを閉じていたのに、最近は開けていることが多くなりました。
三者面談をしていた頃は、ご飯を食べる以外は全然部屋から出てきませんでしたが、最近はリビングにもよく出てくるようになり、たわいもない話をして会話も増えてきました。


―――それはどうしてだと思われますか。


う〜ん、そうですね。親の会で私自身の気持ちを吐き出せたのが良かったです。私が不安な表情をしなくなったし、気持ちが楽になりました。


―――良かったですね。以前は電話を断ることがとても出来ないという感じで、あなたが学校に未練たっぷりという感じでしたものね。(笑)


今のところ、触れたくないと言うか、蓋をしたいと言うか(笑)、何もしないで遠ざけたいなあという感じです。自分のことが少しできるようになりました。


―――息子さんにトゲトゲした言葉はもう出なくなりましたか。息子さんをかわいいと思いますか。


最近はそう思うようになりました。冗談も言い合えるようになったし、くだらない話題でも1時間くらい盛り上がって話せるので。


―――だいたいみんな高尚な話なんてしませんよ。(笑)
妹さんはお兄さんの不登校をどうみていますか。



妹はちょっと否定的にみています。
兄が毎日ゲームやPCしている姿しか見ていないので、「腹立たしい」と言います。
妹は通信制高校の2年生です。夫も私も、妹は通信なので家にいることも多いので、「結局は一緒じゃないか」と思っているのですけど。
妹は「自分は学校に行っている、続けているのに、どうしてお兄ちゃんは行けないの」と言います。


―――妹さんはどうして通信制高校へ行くようになったんですか。


中1の時にいじめがあり、そのときは学校に行っていたのですが、中2の2学期から不登校になりました。適応指導教室に6ヶ月通って、3年生になって転校しました。そこでは十分受け入れてもらえ、友達もでき通うことも出来ました。


高校を決めるときは、「通信制高校がいい」と言って、頑として決意を変えませんでした。普通学校へはバスや電車で行くにしても、回りに学生が乗っていると、とても不安になって行けないと思った、と言っていました。


―――それでは、お兄さんのことを見てイライラしますね。妹さんは自分の不登校のことを否定していますね。「私だって大変なのに、今はちゃんと行っている」と思ってしまう。
あなたは、娘さんに普通高校へ行ってほしかったんですか。



はい。「ここまで来たのだから、背中を押してしまおうか」と思いました。


―――その時、息子さんの対応はどうでしたか。


今の全く逆ですね。「こんなに頑張っているのにどうして行かないの。辛いことがあるのは当たり前だよ」と言っていました。
その時息子は高1でした。進学校ですので、早朝から夜遅くまでありました。


―――今の反対だったわけね。ところが、今度はそう言っていたお兄ちゃんが行けなくなる。そういう状況だと普通、「娘さんはいろいろあったけれど今は学校に行っているからいい。だけど息子さんは行ってないので問題だ」と思ってしまいがちですが、そうじゃないですね。


「学校へ行く、行かない」だけで判断していると、大事なことが見えなくなってしまいます。娘さんは自分の以前の不登校を認めることができていません。だから、お兄ちゃんの今についても否定的になります。お兄ちゃんの不登校がきっかけで、妹さんはあらためて問われているんですね。


でも、ひとまず妹さんもいろいろ自分の思いを言ってくれている。良かったじゃないですか。いいチャンスですよ。



今まではいろいろ言う子ではなかったのに、すごく自己主張してきました。


―――それはとってもイイ。あなたもいっぱい自己主張してください。「お母さんは安心だよ」と言えるように、例会に参加し、HPをご覧になって強くなってください。
「我が子は迷いながらもちゃんと生きている」「子どもたちといっしょで私は幸せ」とあなたがどんどん発信していけば、子どもさん達も安心して自分の人生を大切に考えていくようになります。






自分にお金をかける    妙子さん



27歳の息子が家で過ごしています。
息子は今思えば高校に無理して行ってたんですね。高い家庭教師を付けてやっと卒業し、大学に推薦で入りました。
本当はずっと休みたかったんだと思います。


息子は大学1年の6月、「行ってない」と言いました。それから1年間休学して、病院へ行ったり、カウンセリングを受けました。
病院を私が勧めたのではなく、本人が自分で行って、でもその時はもらった薬を飲んでいませんでした。
それから自分の部屋のドアにつっかい棒をして、何ヶ月か引きこもりました。食事も息子の部屋に運ぶような毎日でした。


その後、息子は父親の勧めで夫の実家に行って、その別棟で3年9ヶ月引きこもっていました。
夫の姉が私にはひとことの相談もなく精神科につれて行って、統合失調症と言われ、薬をずっと飲んでいます。
その時も親の会に励まされて、私は2週間に一回くらい会いに行ったり、手紙を書いたりして、やっと今年の2月に自宅に帰って来てくれて、今8ヶ月になります。
病院はまだ続けていて薬も飲んでいます。


―――息子さん自身が不安で薬を手放せないでいますね。(はい) 
妙子さんが親の会を知ったのは、引きこもったときでしたね。
でも、あなたは「自分を大切にする」ということをわかるようになってから、ずいぶん強くなって変わってこられましたね。


あなたのHPの掲示板への書き込みは感動しました。
妙子さんの家族は、息子さん達も小さい時からずっと夫から経済的な統制を受けていて、5年間で家のローンも返済したくらいですから。
更に、今も毎月いくらと生活費を渡されているのね。



定年まで後3年ですから、その時のことを考えて、今まで以上にいっそう節約しているんだと思うんです。
必要なものを買いたいと思って請求しても、「そんなもん、いらん」と、いつもそんな言い方をします。


そうやって、出来るだけ倹約するのです。
「なんかもう、経済的な考え方が違うので、ついていけない」と先日夫に自分の気持ちを伝えることが出来ました。
今までは、夫の暴言にじっと我慢してきましたから。これからもどんどん伝えるようにしたいと思っています。


―――「不確実な未来」のために、現在を犠牲にしていらっしゃる。将来のためと言って今を辛抱して(今を台無しにして)暮らしておられるんですね。
でも、あなたはその考え方に対して、HP掲示版(807、10月7日)の中で、

<・・・金銭的にも精神的にも息子は夫に遠慮しているのが伺われます。
私が遠慮していたら、息子はさらに遠慮するでしょう。
経済的な考え方の相違は我が家の生き方の重要なポイント。
人生を豊かにするにはお金はやはり必要です。

自分にお金をかけるって大事なことだと思います。
「自分を大切にする」という考え方をまるっきり知らなかった私ですが、
何度も例会に参加して、こんなにも大事なことだったんだと気付かされて
います。>

と書かれています。
妙子さんは薬を飲んでいる息子さんにすごく不安があるんだけど、「大丈夫だよ」と言えるようになったり、お誕生日に「生まれて来てありがとう」というお手紙を書いたりされるようになったのね。


夫はそうであっても、あなたは兵庫県から飛行機代を使って毎月親の会に参加されているのね。一方では貯めて一方では使ってね。(大笑)
お金は自分の人生のために使うものです。
あなたのお気持ちがずいぶんと楽になってこられて嬉しいです。






「心配しないで信頼する」 親の会14年   Sさん(母)



―――Sさんは親の会に出会ったのは何年前ですか? 


14年ぐらい前です。息子は中学3年までは何とか学校に行きましたが、3学期に行かない日数が増えました。高校には行きましたが、高校1年の1学期あたりから行かなくなりました。


―――担任のいろんなことが自分をずーっと苦しめているんだ、そして親が無理やりにでも学校に行かせていたら、こんなに自分は苦しまなくてもすんだなどといろいろ辛さを訴え続けてこられましたね。


言ってくれるようになったのは、最初からではなくて、通信制大学を卒業したあたりから言い始めました。それまでは暴力だけで、会話らしい会話は出来なかったですね。

暴力はしょっちゅうあるわけじゃなくて、気分的にイライラしたときにありました。
暴力がないときはもちろん可愛いことも言うし、冗談も言って普通の子でしたが、深刻になると私達親に辛さを表していました。


―――そして、通信制の大学に行くと言って、東京に行ったんですね。


「大学に行く」、「就職する」などいろいろ言い出すものですから、その度に私達は喜んで息子の背中を押していました。
でも、あと押ししてあげたことが子どもの辛さに手を貸すことだということが、私達も後から分かるんですけど、なぜ親が子どもの後押しをしたらいけないのか、ここにきていても分からなかったんですね。


―――「なぜ内沢さんは、あんなこと言うんだろう。間違っているんじゃないか」という感じでね。(それは確かにそうでしたね。) そして、共働きで、お金もあるからいろいろ買ってあげたりもしてね。(笑)


「とても辛いことだってじつは明るい」の文章を読みまして、どこを引っ張っても自分達の引き出しが引き出せる、どこを聞かれても自分達に当てはまる言葉があるなあと思っているんです。
子どもを変えようと思う気持ちがずっとありましたね。


子どもが「大学に行く」、「就職する」と言った時に、「あっ、変わってくれた」と思って、だから部屋を借りたり、手続きをしたりと後押しして、軌道修正すればちゃんとした軌道に乗るだろうという気持ちでいました。
子どもを変えようともしました。


親の会のHPをいつでも見れるようにして、「親の会を見なさい」とか、挙句は息子が「内沢さんのうちに行く」と言ったときに、「良かった、行って話しを聞いてもらえる」と思ったり、親の会に来ている子ども達を見て、こういう話が聞ける子ども達がうらやましいと思っていました。
今気づくことですけど、子どもを変えようという気持ちがずっとありましたね。


でもそうではなくて、子ども自身は親に変わってもらいたいという気持ちがあったんですね。
親が子どもを信頼していくようになると、子どもも親を信頼してくれて、親子の間がすこーしずつ解けていったように思います。
子どもを変えようとしている間は絶対解決にはならないと思うようになりました。


―――変えよう、変えようと思っているときは息子さんに対してびくびくしていたでしょう。(していましたね) やっぱり、腫れ物に触るような感じですよね。(はい)
犬を見て、息子さんが「俺と同じだ、俺も繋がれている」と言って、お父さんに「犬の散歩に行け」と命令したりして、お父さんが散歩に行ったこともあったり。(笑)


言いなりだったですね。心療内科の話もありましたね。


―――お母さんが具合が悪いと装って、心療内科に薬をもらいに行ってそれを息子さんに飲ませたりね(笑)。それは親の会と離れているときでしたよね。


ちょっと再び通い始めた頃からも少し(笑)、ありました。
子どもは私達親に行ってほしいと言うものだから、だからこの薬を飲めばいいのかなとネットで薬の効能を調べたりしたんですね。


―――5年間親の会をお休みされたのね。
その後再び親の会に来たときと、その前とではお気持ちが違いました?



そうですね。もう少し親の会のHPや会報をしっかりと読んでいればよかったなと。(笑)
5年間というのは、大検を受けて東京に住んで、通信ではありましたけれど、あちこち北海道に行ったり、高知に行ったり動き回って、家にもいないし、いいのかなと思って親が落ち着いていたんですね。


―――息子さんが通信制の大学に行ったから、もういいかなと思って、お休みしたら、今度は通信制大学を卒業した後に、息子さんは本当の辛さを現したのね。


そうですね、言ってくれるようになりました。
会報を見て、「人の話は我が話」ですけど、自分のところしか読んでいなかったんですね。
自分が言ったことがちゃんと伝わっているかどうか、変なことまで書いてないかどうか。


―――ちゃんと書いてあるかどうか。(笑)


人の話が自分に当てはまるとは思っていなかったんですね。
自分は特別だと思っていました。


―――思っているだけじゃなく言っていましたものね。(笑)


今考えてみると、子どもは「親に分かってほしい、自分を心配しないで信頼してほしい」というのがあって、そこを試されていたんだなと思いますね。


だから、親の会の資料をいくら見せても見もしなかったし、未だにHPも見ていないので、やっぱり、他人が理解するんじゃなくて、親が理解してほしいと訴えていたんですね。
自分を、まず親に分かってほしかったんだなと思います。


―――息子さんにビクビクしていたご両親が、ある日お父さんが開き直って息子さんに「お前の言いなりになっている父親をみてどう思うのか」とおっしゃったんでしょう。
そうやって魂で迫ったときに、息子さんは心を開いていったんですね。いいお話しですよね。


「私のうちはダメかもしれない」(笑)と、暗い声で電話をかけてきたこともありました。
いろいろあったけれどご夫婦が親の会を最後まで信頼してくださったことが何よりに感謝です。
今息子さんはハローワークでお仕事を見つけてパチンコ屋さんで働いていらっしゃるのよね。
すごく信頼されてね。今おいくつですか。



28歳で、来月29歳になります。


―――いろいろあったことはすべて忘れて、「今、幸せ」ということを皆さんにお伝えしたいのよね。


はい、そこを言いたいんですけど、やっぱり過去にさかのぼって、「あー、これはこういうことだったんだ」と思うところがたくさんありますね。


―――子どもが落ち着いたら、親が落ち着く。(そうですよね) 
子どもが荒れたら、親が不安になる。(そうですよね。全くその通りでしたね) そういうことではないということですね。
大切な教訓です。ありがとうございました。






子どもたちに支えられて、ゆっくりと生きています
mihoさん




―――mihoさんのことをつっきんさんの相談掲示板に紹介しました。あなたが他の方に書いて下さって嬉しかったです。ありがとうございました。


元夫のDVでとても辛い思いを何年も続けて、やっと離婚して1年になられるのね。今は家でゆっくりしているのね。お気に入りの赤いソファでね。



テーブルが赤で、ソファがベージュです(笑)。
入学して2日で行かなくなった中1になる娘と1日中ゆっくり過ごしています。


―――先月は別れた夫のお母さんの葬儀のことで、あなたのお気持ちがものすごく揺れて大変で、経済的にも大変だから、そのことを子ども達に言ったら、娘さんにあなたの頭をなでなでしてもらったり、子ども達に言ってよかったというお話でしたね。


いよいよになったら婦人相談室に行って生活保護のことも相談するということでしたが、まだ「いよいよ」ではないんですね。


そうですね。もう無くなるかなと思っているんですけど、自分ではだいたい予測が出来るから、それでだいたい計算するんだけど、その時になるとそうでもないというか(笑)、自分達の手持ちは分かっているんだけど、それ以外にも失業手当をもらっていたりとか、私の母が退院するときに、「他の兄弟には内緒」と言ってお小遣いをくれたりしたので、私が予想していたのと変ってくるかなという感じですね。


相談に行くのも、深刻に考えている時は、9月に深刻になって、じゃあ10月に行こうと思っていたんですけど、長男がバイトをしていて、「だいぶ溜まってきた」とたまに言うから、「あっ、そこにもあるかな」と。(笑)


―――長男さんは中学で不登校になり、高校に絶対行くと言って情報高校に行って、1年生の12月にこの親の会に来て決心して辞めたんですね。
そして、何ヶ月か休んだあと、今ホテルのお掃除のアルバイトをしているのね。



息子はすごく優秀みたいですね。(―――何時まで続くかと思ったら
意外と誉められたりするのが面白いのかなあ。今まで時給だったのが、今月から自分がやった部屋の数で計算されるということでした。


―――あなたのHPの書き込みにも、ゆっくりしていることを自分で許してあげようと変わってきて、ずいぶん気持ちが楽になってきたんだなあと思いました。


そうですね。たまに調子がいいと「働けるかな」と思う時があって、買い物に行って、パート募集という紙が貼ってあると「出来るかな」と思ったりするときがあるんです。


でもいざそれをしようと思うと、お金の計算ばかり頭の中でしていて、1週間に何日働いたらいくらになる、でもやっぱり翌日ぐったりするから無理かなと、だんだん出来ない要素のほうがお金の計算よりも多くなってきて、どうしようかなと悩んでいるうちに張り紙が剥がれてしまうんです。(笑)


―――あなたはほんとに辛い体験をしたんですね。
結婚して何時ぐらいからか夫の暴力が始まって、
(その辺もはっきり覚えていないんですよね)3年以上続いたんですか。


その後、家庭内別居状態を何年か続けて、自分の感情にふたをしてしまい、そして、あなたは子どもさんが不登校になって、親の会と出会い、子どもの話はするけれど自分の話は決してしなかったですね。
パンドラの蓋を私が開けて、あなたはパニックになって。
(そうでした)


でも、最後は長い間泣きながらあなたは自分のことをお話してくださったのね。その時「仕事を辞めたらどうなるんだろう」、「離婚したら・・・」、「実家は私たちのことを受け入れてくれないんじゃないだろうか」などなど、不安をいっぱい並べて訳が分からなくなっていましたよね。
不安な時ってそうなんですね。その時は、あなたに話していても、壁に話しているみたいでしたね。
(そうだったんですか)


そういう感じだったけれど、ちゃんと自分でそこの家を出てね。水が流れるように自然にうまくなっていくんですよね。
人は自分の気持ちを押さえ込んで、不幸せな生き方は決して出来ないということですね。必ず幸せに生きる権利をこうして自らつかんでいけるのね。


私の場合は、自分が出来なくなるけど、自分が出来なくなる度に周りの人が仕方なく代わりに引き受けてくれたりするんですよね。


―――「できないおかげでできもする」ということですね。


「できない」ということを自分が言いづらかったり、言う勇気がなかったりして我慢していたんですね。


―――家事も一切出来なくなって、まな板も包丁も握れなくなって、息子さんが洗濯をしてくれたり・・・。


今も家事のペースはあまり変っていないけど。(笑)


―――食事の支度を出来るようになったの。


あまり出来ないですね。
毎日できないんですけど、子ども達は毎日「今日はご飯はどうするの」と聞いてきて三人で一生懸命考えて、考えるのも嫌だから「あなた達が考えて」と言っています。


結局長男がお弁当を買いに行ったり。お弁当が3日続くと子ども達も私も嫌だから、私が何か作ったりしています。

―――「とても辛いことだってじつは明るい」に書いてあるように「そんなに嫌ならすればいいのに・・・」、でもできないんだもんね。
そのことを理解して、ありのままの自分を受け入れるということですよね。


子ども達も私が出来ないということは仕方がないと思っているから、とりあえず店屋物じゃないというだけでも「ありがたい」と思っているみたいです。


娘はカップラーメンに自分でお湯を入れて食べた後に、私に「ごちそうさま」と言うから(大笑)、私に言う必要ないのになと思うんだけど、「ああ、そうなの」と思って・・・(笑)


―――今の状態で働くのは「焦っているな」と思って気が付けばいいですね。
そういう風に気が付くいいチャンスなんですね。「あっ、もう1度自分を大事にしよう」とね。


そうですね。誰にも責められる状況ではないけれど、やっぱり焦ると自分で自分を責めているんだろうなと思いますね。


―――娘さんが中学に入るときに就学援助の手続きをして、そして2日で行かなくなりましたね。
学校側から、「就学援助費を渡したいのでハンコを持ってきて下さい」と言われても、あなたは学校に行くことも、担任にも会うことも出来なくて、それで内沢達が校長先生と話して、結局、就学援助は三文判で学校側が領収印を付いてくれたという経過がありました。



―――(内沢達):その時は、校長先生が「こういう場合はどうしたらいいでしょう」ということだったので、僕が「それだったら、校長先生が三文判を作って、受け取られたらいいですよ」と言ったら、「あっ、そうですね。じつは私もそう考えていました」(笑)でした。
だから、お互い大変なことは無理しないということが大事な教訓です。親も無理しないことです。誰かのためだと言ってやっちゃうとほんとに良くないです。


担任にもそれを1回提案したんです。担任は、自分では判断できませんと言って。私はお金が欲しいからじゃなくて、電話が鳴るのが嫌で。


―――(内沢達):嫌だからもちろん断るし、校長は預かっておいて、そのうち渡すんだったら渡しますということで。学校とのことでもそういう風に遠慮しないでやったら、うまくいくんです。


―――元夫に住所を知られないように、という不安もあるんですよね。


去年、離婚の後にいろんな手続きをしたからそれがとても辛くて。
ただ単に自分の住所と名前を書いてと、それだけのやり取りだったんだけど、今、あらゆる手続きがしたくなくて、しないといけないのも全部はできてないと思うけれど、でも、まあ、生活に支障がなければいいかなあという感じでいます。



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Last updated: 2008.12.14
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