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登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)2008年9月21日例会での 発言の一部を大幅に膨らませました。ご覧ください。 2008/10/25 内沢 達 とても辛いことだってじつは明るい 愛美ちゃんが久しぶりに参加して話してくれました。相変わらず鋭い。話したのは全部自分のことで、他人のことではないんだけど、みんなにも共通する大事なことを言ってくれました。 そのひとつですが、愛美ちゃんはかつての自分をふりかえって「治りたくなかった!」と言いました。愛美ちゃんの場合は、拒食や過食でした。それは、愛美ちゃんにとって自然なことでもあったけど、もう一面ではやっぱり辛いことでした。 普通、大人は子どもの様子をみて、「辛かったら、そんなことはやめればいいのに?」「辛いのに、どうしてやめないんだろう?」と不可解にしか思いません。 子どもはときに、いろんなことで自分を苦しめ、親に心配をかけるようなことをします。 自傷行為や強迫行動を繰り返したり、家庭内暴力におよんだり・・・。 またちょっと違うと思われるかもしれませんが、「ワル」の遊び友だちと非行っぽく深夜徘徊をするとか。これなどは悩んでいるように見えないので、「周りの心配も知らずに、いい気なものだ!」と受けとめてしまうかもしれません。 でも、違わないんですね。これも子どもの辛さ、苦しさの表し方のひとつです。 だったら、そうしたことも含めて「子どもは自分自身がとても苦しいのであれば、いい加減なところでやめればいいのに?」と思われるかもしれませんが、なかなかやめませんね。 どうしてでしょうか? その点を愛美ちゃんは言葉にしてくれているんです。みんなに共通する心理です。 簡単にやめたり「治ったり」してしまったのでは、誰も気づかないままで終わってしまうからです。 それでは、親は「やっぱりこの子が問題だったんだ」としか思わないでしょう。 本人にも気づきが生まれません。自分自身をとことん肯定するというチャンスを失ってしまいます。 その後は、辛さ苦しさの表し方が違ってくるだけで、以前よりもいっそう自身を責めるようになります。 だから、子どもが自分を苦しめたり、周りを心配させたりすることをやめずに続けていたら、逆にこれはいいチャンスだと考えてよいのです。 そこから、周りも当人もいっぱい学ぶことができます。 大人であれ子どもであれ、誰よりも何よりも「一番大切にしなければいけないのは他ならぬ自分自身だ!」ということを学んでいくチャンスです。 私たちの会には、「この子のことが心配!」「どうにかならないものか?」といった親御さんの相談がたくさんあります。初めは無理からぬことでしょう。 また、互いに信頼しあっている親の会ですから、会のなかではどのような心配を口にされてもかまいません。 けれども、です。 例会には継続して参加し、また参加できないときには会報やホームページをよく読まれて、徐々にではあってもより深いところを考えられるようになってほしいと思います。 時間が経過してもなお、初めと同じように「心配!」「どうにかならないか?」といった問題の立て方しかできなければ、子どもは親の気づきを促すためにも、自分を苦しめ親に心配をかける行動をやめるわけにはいかないのです。 子どもは無意識なんだけれど「まだわからないの?!」「これでもわからないの?!」と行動をエスカレートすることも少なくありません。 そこで、親御さんはますますわが子のことが心配になります。 わが子だけがそうなるのでしたら、親御さんの心配も仕方ありませんが、そうではありませんので考え直していただきたい。 「うちの子の状態は問題だ! 困ったものだ!」という捉え方が親のほうにあると、どの家でもどの子にも法則的に起こっていることです。 問題の所在は子どもの状態にはありません。そうかと言って、では「あすこの家は親が問題なんだ!」ということでもありません。 なにしろ「これはいいチャンスだ!」とも受けとめられることでもあるのですから、問題と言えば、見方・考え方の問題なのです。 不登校や引きこもりの問題、あるいはそれらにともなう諸々のことも、普通問題だと言われているだけで、じつは問題ではありませんでした。 これらは困った問題でないどころか、じつは大変な可能性を秘めた、子どもにとっても親にとっても明るい話題です。 受けとめ方次第で、子どもも大人も自分を大切にして楽しく確かに人生を送ることができます。 来年(2009年)で20周年になりますが、鹿児島の親の会では少なからずそのことを実証してきています。 人は人を変えることはできません。 「洗脳」でもすればできるかもしれませんが、それはたいへん恐ろしいことで絶対にしてはならないのではないか。 人は変わるときには自分で変わっていきます。 他人に変えられることがあってはいけないと思います。 そのように人は人を変えることはできないと考えますが、自分自身は変わろうと思ったら変わることができます。 親の会の会報やホームページで体験談をご覧の方はおわかりいただけると思いますが、私たちの会には「不登校や引きこもりのわが子に感謝したい」とおっしゃる親御さんが大勢おります。 そうした親御さんも最初は困った子どもの問題としか捉えられなかった方がやはり大勢です。 でも、違いました。子どもの問題でないどころか親の問題でもありませんでした。 そもそも、「誰が(何が)悪かったのか?」といった犯人探しをしなくてはいけないような否定的な問題ではなかったのです。 親は、わが子の不登校や引きこもりのおかげで、気づくことができました。 世間にあわせて自分をなくしてしまうのではなく、「自分自身を一番大切にし、自分の人生の主人公として生きよう」と思えるようになってきたのです。 思うだけでなく、実際にそうされてきているので、「わが子に感謝したい」とおっしゃるのです。 鹿児島の親の会がいつも課題にしている「親は子どものことではなく、自分自身のことに取り組む」とは、そういうことです。 子どもにとって、親のこうした変わりようはとてもうれしいことです。 子どもは、いつも親の笑顔や元気を願っています。 親は子どものことでは何もしない。 何もしないでいられるのはわが子を信頼できているからです。 そうして、親は自分自身のことに一生懸命になる。 それこそが親にできる子どもへの最大の応援でもあります。 子どもは、親に気をつかわずに、じっくり自分の今と向きあうことができるようになります。 そうではなく、「子どものために」と思って親が何かすることは、子どもに対する支援でも応援でもないどころか逆に足引っ張りです。 何かをしないまでも「子どものために何かしなくてよいのか?」などと思っている限り、子どもは自らを苦しめることをやめません。 子どもは辛いとき、自分の本当の気持ちを言葉にはなかなかしません。 言いたい気持ちがないわけではありません。でも、言っちゃうと大人から勝手に都合よく解釈されてしまい、自分の本当の気持ちが伝わらないことを感じとっているから、言わないのです。 愛美ちゃんが例会で「治りたくなかった」と言ったのは、今回が初めてではありません。 ずっと前から、言ってくれていました。それは、父親である良ちゃんが娘である愛美ちゃんのいま、現在を認められるようになってからです。 それで愛美ちゃん自身も安心して、拒食・過食の「いまの自分のままでいいんじゃないか」と思えるようになってきたと思います。もちろん辛かったところもあるわけですから、やめたい気持ちもなかったわけではないでしょう。 でも、やめちゃったらお父さんにわかってもらえない。 わかってほしいからこそ「治りたくなかった!」という心理です。 これはとても大事なところです。そして、とても深いと思いませんか。 この気持ちは愛美ちゃんにかぎりません。子どもが親を困らせ心配させるようなことを続けていたら、それはそれだけ親への期待が大きいということです。 ものごとの表面しか見なければ、子どもは自分自身をさらに苦しめているわけですから、それはただただ困った大変なことでしょう。嘆き悲しんでしまうのが普通です。 でも、ものごとを深く捉えるとまったく違います。「親だったら、わかってくれるはず!」「親にはなんとしてでもわかってほしい!」という強い期待や意欲のあらわれでもあるのですから、これはそれこそ期待していい、楽しみにしていいのです。 つまり、とても辛いとしか思えないようなことでも、じつはこのように明るいのです。 子どものことは子ども自身が解決していきます。親は自分自身のことに「自分を一番大切にする」ということに一生懸命になりましょう。 子どもは、親に「僕(私)は、どうしたらいいの?!」と聞いてくることもあるでしょう。 それは、答えがほしくて聞いているわけではありません。親とちょっとやりとりをしたいだけです。だから、たとえば「鹿児島の親の会のホームページでも読んでみたら・・・」といった返事で十分です。間違っても本気になって薦めないでください。ホームページは「イイ!」と思う人にとってよかったら、それで十分なのです。 親は子どものことではなにもしない。 なにもしないでおれたなら、それは大変すばらしいことをしていることになっています。 子どもへの信頼がいよいよ本物だという証でもあります。 子どものことはしませんが、自分のことはしてください。 そして、自分のことを子どもさんに必ず伝えていただきたいと思います。 これは自分のことだから言っていいんです(何かに書いて手渡すのもいいと思います)。 子どもの状態に関係なく、子どもが落ちついていようが、またそうではなくイライラしていようが、そのときの状態に関係なく、度々伝えていただきたいと思います。 「お父さん(お母さん)は、君(あなた)のおかげで、自分を大切にするようになった。ありがとう。」と。 いい話ですよね。鹿児島の親の会では、そのようにされている方が少なくありません。 僕らは、多くの人たちが困った問題だとしか考えないことについて、まったく違った明るい見方をしてきました。 普通には大変なことこの上ないと思われる状況でも、必ず道がありました。 周りを変えようとはしないで、「解決の道は自分のなかにある」という考え方でやってきました。 それが結果的に周りに対しても好影響をおよぼしているようです。 「登校拒否も引きこもりも明るい話」。おおもとの捉えかたがとても前向きです。 具体的に出っくわすことについても、普通だと「シマッタ!」としか思えないことも、じつは「シメタ!」と考えることができる、そんな考え方でやってきました。 僕たちは、「常識」にとらわれないで、ものごとを根本的に考えます。 その結果、「初めて聞いたときはトンデモナイと思ったけど、よくよく考えればそうじゃない」「こっちの考え方ほうがよほど自然で無理がない」「しかも誰にでもできそう」と、新しい考え方ややり方が広がってきたように思います。 いいと思ったら、みなさん、いっぱい真似していただきたいと思います。 愛美ちゃん、今日はいい話をしてくれて、ありがとうございました。 (もうひとつ、愛美ちゃんがおばあちゃんとのやりとりのなかで思ったこと「お金がない!ない!って、言っているうちはあるんだ!」(名言!ですね)とかかわって話をしました。このことは別の機会にまとめたいと思います。) |
Last updated: 2008.10.25
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