登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島) 登校拒否も引きこもりも明るい話


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体験談

2008年2月発行ニュース
登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)
会報NO.141より

登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)では、
毎月の例会の様子をニュースとして、毎月一回発行しています。
その中から毎月1/4から1/3程度をHPに載せています。


体験談(親の会ニュース)目次はこちら




「つまずいたっていいじゃないか 人間だもの」
(相田みつを)


2008年1月例会報告



「私はこの言葉を支えに生きてきました」「ああ、仏様がいるんだなあ。この子たちをくださって、子どもたちが今の私をつくってくれている」「命さえあればなんとかなります」。


会発足時からのメンバーの一人、長谷川登喜子さんのお話は感動的でした。


親の会を通して、私たちは、わが子のことをきっかけに、自分自身の人生のこと、
家族のこと、大事なことに次々と気づいてきました。


1月例会も、「あ〜、この会は本当にお互いを信頼しあっているんだなあ」とありがたい気持ちでいっぱいでした。


ご夫婦いっしょに参加したNHさん。「子どものことはもう不安はありません」、「でも、夫が・・・」とY子さん。言われた夫は「あの時は自分を大切にしていなくて、いらいらしていたんですね」と率直に応じて、反省。会場は笑いの渦でした。


そういえば、やっぱり自分を大切にしていないときが、いらいらするときですね。


Nさんも自分のいらいらをつい息子さんにぶつけてしまい、ぷいと立って行ってしまった息子さんに、なんと「いらいらするときはいらいらするままでも、不安なときは不安なままでもいいんだって!」とメールを打ったそうです。息子さんの返信は「わけわからん!」。微笑ましいですね。みんな大笑いでした。


Kさんは、「27年間夫の実家で過ごしたお正月を、初めて我が家で過ごしました。大晦日、我が家で“紅白”を観られてとってもうれしかった」「親の会に出会わなければ決して自分を大切にしなかったと思います」と。


みーたんさんは二人の息子さんが家にいることが全然気にならなくなったと言います。例会で何人もの方から「顔色がとっても明るくなったね」と言われ、帰宅してから尋ねると、息子さんも「明るくなったよ」と言ってくれたそうで、とっても嬉しかったとのこと。感無量でした。


喜びは何倍にもして、悲しみや辛さははんぶんこにして、親の会でわけあっていきましょう。ネ!




目次



1 いらいらするときも、不安なときもそのままで  Nさん

2 一番気になっているのは夫のこと(?!) NHさん

3 自分の人生は自分で決める  木藤厚子

4 「つまずいたっていいじゃないか 人間だもの」  長谷川登喜子さん

5 27年ぶりにお正月を我が家で  Kさん(母)





いらいらするときも、不安なときもそのままで
  Nさん



高校に行っていたら2年生の息子が家にいます。
高校1年の10月から休み始めて、11月からまったく行かなくなり、高1を終わるときに退学しました。


去年の今頃は、学校に行かせることだけを考えていた時期でした。年も明けて、私は「もうそろそろ学校に行ってもいいんじゃない」と思いました。
でも息子の状態は、「人間は内からわいてくる気力がないと息もできないんだわ」と思うぐらい落ち込んでいました。


そういう息子を見ていても、私には高校を辞めるということは考えられないことでした。しかし息子には学校に行こうという意思が全くなかったので辞めました。


私は辛い辛い時期を過ごしていたんですが、5月にこの親の会に参加するようになって、ずいぶん明るくなりました。
12月から1月にかけて、親戚の結婚式や成人式に息子も一緒に自然な感じで参加できて、よかったねというのが今の状態です。


大学生の娘もお正月に帰ってきました。私が「弟は、学校に行ってない、何もしていない。状況は何も変わらないんだけど、気持ちが全然違うのよ」と言うと、娘は「お母さんの状況が違うよ。弟はこんなに明るくなったし、去年の今頃はお母さんが一番暗く心を閉ざしていたよ」と言いました。


私が「弟じゃないの?」と聞くと、「いいや、お母さんが一番暗かった」と言われました。(笑)


お正月が過ぎて、それぞれの生活に戻っていったら、目の前には、明るく元気にはなったんですが、何もしていない息子がいるわけです。先週なんですが「あなたはどうするの? どこにも出ないで、誰とも付き合わないで、どうなるの」など、久しく傷付ける言葉は言っていなかったんですが(笑)、言ってしまったんです。(笑)


こんなになってからもう1年経った、まだ1年なのかな、でもいつまでなのかなと、イライラして言ってしまったんです。


―――
その時、あなたの気分はよくなかったのかな


すごくよくなかったんです。(笑) 自分の状態で言ってしまったんです。それが自分の本音でもあったりするんですけど。


息子はプイと二階の自分の部屋に上がっていきました。私はしまった、と思い、メールで「イライラするときはイライラするままで、不安なときは不安なままでいいんだって。これはお母さんが自分に言い聞かせていること」(笑)と打ったら、二階から息子が「訳がわからん」(大笑)と言ってきたので、「訳がわからんときは、わからんままでいいんだって」(笑)と打ったんです。


―――
どんな気分が悪いことがあったんですか?


私の母も夫の母も一人暮らしなんです。私の母が人工関節を入れるため入院していたんですが、年末帰ってきたので私がチョコチョコ顔を出し、夫の母が年末転んで怪我をして入院したので、そこにも行かないといけない、自分のパートも忙しくなって・・・、目の前には何もしない息子がいる(笑)、そんなことがあったからだと思うんです。自分の感情をぶつけてしまうんですよね。


でも、息子もそんな言葉に傷つかなくなったなあと思います。さら〜と受け流しているかなと思います。


―――
あなたの夫はあなたを支えてくださっているんですよね。


そうです。息子が学校を辞める時も、夫は「一番学校にしがみついているのは、お前だよ。この子は絶対行かないよ。辞めるのを希望しているんだから、辞めさせて、地に足を着けてそこからスタートするしかないじゃないか」と言いました。
私がすごく不安な気持ちを言うと、「そんなに心配せんでもいい。たとえ一生このままでも、食わせるぐらいはできる」と言いました。
今、息子は特に何をするでもなく、テレビを見て、ゲームをして、音楽を聞いて、でもニコニコして、必要なところには自然に出かけられるようにはなっているけど、私はそれを「これでいいんだ」と受け止められる日もあるし、無性に腹が立つ日もあるし、そんな状況です。


―――
腹が立つのは、自分を大切にしていないで自分に余裕がないときですね。(そうです) そういうことが、分かるようになっただけでもすごいじゃないですか。分からないままだった時は不安が増幅していったでしょう。


親の会という拠り所があってほんとに有難いです。また、ちょっと気持ちが違うところに行っても、そうじゃないんだと、HPをみて元に戻しています。


―――
ご夫婦で山に登られたのですね。最近はお二人で出かけましたか?


はい。夫が飛行機も好きなので、二人で見に行って楽しんでいます。気兼ねなく出かけられていいです。


―――
大いに出かけられたらいいですね。自分を大切にね。すると息子さんがダラダラしていても気にならなくなりますよ。





一番気になっているのは夫のこと(?!) NHさん



―――
娘さんは現在23歳と19歳ですね。
11月の例会にお母さんと娘さん二人が参加してくださって、とてもしっかりされているので、もうびっくりしました。
(妻:親がダメなのでその分子どもが・・・)。(笑)


以前長女さんが引きこもっている自分を否定しすごく焦ったときがあり、お母さんがとても不安になったときがありましたよね。
でもとても明るく、今を大切にいているなと感じて、感無量でした。



(妻): 長女は例会に参加した次の日に、コンビニにアルバイトの採用が決まりました。店長がとても良い方で、不登校や引きこもりの話も全部すると、「それも全て糧になるのだから」と言ってくれました。


娘は仕事となるとすごく緊張してしまいます。
でも失敗したときも、その店長は怒るのではなく、「たくさん失敗した方がいいよ、覚えるからね」と言ってくれ救われています。


それでも、買い物に来るいろんなお客さんへ笑顔で接客したり、職場の人との付き合いなどが新鮮だったり、落ち込んでみたり、しています。
日々いろいろあるんですが、以前落ち込んで焦ってバイトに行っていた頃とははるかに違います。


―――
お顔がとっても明るくて、自分を好きになっているなと分かります。


娘がそのときのことを「引きこもっていて、笑うことも出来なかったんです」と職場の先輩や同僚に話すと、「信じられない」と言われたそうです。


あの頃は私も焦って暗い顔をしていたなと思います。
次女も今のバイト先の勤務時間が長いのでそこを1月いっぱいで辞め、上の子と同じ職場に替わる予定なんです。


姉妹で同じところでいいのかな、と次女は不安に思っていて、私は「プラス面もあればマイナスもあるよ。バイトだからやりづらかったらいつでも辞めていいのだから」と言っています。


―――
あなたはひと頃の不安はないのですね。


それは全然なく、心配ないです。
私が一番気になっていることは、夫とのことなんです。(笑) そのことが一番心の中を占めています。


今まで家にいた娘たちが動き出して、バイトに行くようになると、今まで娘たちが家事をやってくれていた分、私が家事をやる時間が増え、家の中では夫婦でいる時間も増えました。
夫は何か自分の中で気に入らないことがあるとすぐ「キレ」ます。話し合いにならず、物に当たります。(大笑) ドアをバタンと閉めたり。


(夫):昔はダンボールを蹴ったり、何も入ってないつもりで蹴ったら本が入っていて。


―――
痛かったでしょう。(大笑)


(妻):新築の家だから壁は蹴りませんが、ドアはします。(笑)
若い頃は我慢して見ないふりをしていたんですが、何でなんだろうか、話し合いは出来ないのだろうか、と思っているんです。
昨日もそういうのがあったばかりです。(大笑) 


元はお金のことからなんです。小遣いが足りないからと言うので、ないと言うと、キレてバンと閉めてゴルフの打ちっぱなしに行きました。


―――
でも帰ってきたときは普通になっているの。


私はここで学んだ通り「お帰り」と普通に言うんですが、夫はまだどこかにイライラしているところがあるんです。(夫:そうだったかな)(笑)
オーラが出ているんです。
でも本当は二人で話をして、こんな風にしようね、としたいのですが、すぐキレてしまい、物に当たるので、もう少し話し合いが出来ないかなと思っているのです。


―――
それは夫さんが自分のことを大事にしていないからですね。
お仕事が忙しすぎて、牛の競りや、その競り牛の管理、見回り等、その厳しさで気持ちに余裕がなくなっているからですね。



(夫):週末もずっと仕事をひきずっています。競りが終わったばかりでクレームの嵐で、家にも仕事の電話が来たりして緊張の連続です。
それで、ちょっとしたことでカチンときたりして。「俺が食べさせているんだ」という気持ちが心の底にありますから、小遣いももうちょっとよこせ、という気持ちが出てくるんだと思いました。


―――
自分を大切にできないと家族をないがしろにしてしまいます。ちゃんと心の中では、妻のことを愛しているよ、娘たちが大事だ、と思っているのに、「オレが稼いできたお金、もっと使ったっていいじゃないか」と傲慢な考えになるんですね。


(夫):12月の会報の扉の言葉のタイトル「自分を大切に」を読んで思いました。
自分を大切にしないと回りも見えなくなるし、色々あれば、それだけに目が行って家族のことが見えませんね。
仕事の悩みは妻や子どもには言えないわけですから。


―――
悩みは言えなくても、態度で表すわけですね。(笑) 
昨日みたいに怒ってゴルフに行かれても、心が傷ついているでしょう。
ああ、嫌な思いをさせたな、と思っているでしょう。



(夫):それは当然思っています。


―――
でも、そう思っているのに、帰ってきて「お帰り」と妻に言われても、「ただいま」と言えないんだよね。


(夫):嬉しいんですけど、言えません。(笑) 


―――
本当は嬉しいのに言えないんだよね。仲良くなりたいのに言えないんだよね。(笑) 


(夫):たぶん、妻が自分と同じ言葉で返ってきたらきついでしょうね。


―――
妻に感謝でしょう。(夫:そうですね)(笑) 
せっかく子ども達に教えてもらっているわけだから、それを頭に入れて、きついときは自分を大切にしたらいいですね。
妻に甘えて、「僕は今日はこんなにきつかったんだ」と素直に言えるようになるといいですね。



(夫):そこは言っていないですね。今までも辞めようかというときは相談して来ましたけどね。
結婚したばかりの頃などは何回か言いました。
その時は「辞めてもいいよ、だけどご飯だけは食べさせてね」(笑)と、「すごいなあ」と思いましたけどね。(笑) そういうことがありました。


―――
すごいじゃないですか。やはり年齢も高くなると、責任もいっぱい出てきて、家族にイライラしますよね。(そうですね)


一番心許せる家族に、とりわけ一番愛する人に言う、そうやって甘えているんですね。言葉もうまく言えなくてガーンとやってみたりね。
ああ、我が夫は自分を大事にしてないんだな、と気が付いただけでもすごい成果じゃないですか。
親の会でこうして率直に出しあう、お互いが信頼している証拠ですね。そうやってお二人で例会にいらっしゃるわけですからね。



(妻):一緒に参加出来て良かったです。
もしかしたらもう行かないと言うかな、昨日の今日でしたから。
私は間際まで待って「どうする?」と言ったら、「行く」と言ったので、そのときに夫にマルを付けました。(笑) バッテンだったんですが。(笑)


―――
元々愛しあってるのにそういうことになると、すごく悲しい気持ちがしますよね。


(妻):こういうことでこうなんだと言ってくれると分かるんですけど、とにかく話さないと何も分からなくて。
優しい気持を持っていても、言葉や態度が逆になったり、なかなか広い心で受け止められなくて。話がしたいなと思って。
でも、「ただいま」「お帰り」と言ってくれたら、ああちょっとは成長したな、と思えます。(笑)


―――
これがまた感情的になってしまうと話し合いというのがきついものですね。
充分に妻に悪いなと思っている時に「話し合い」は責められているように思ってしまい、心が素直になりません。


家族は、特に夫婦は私はお互いにハグハグするだけで、心が通じ合うと思います。「ただいま」「お帰り」それだけでね。
そのあとゆっくり、あーだね、こーだね、と話し合えばいい。理詰めはいらないですね。



お揃いで参加して下さってなによりですね。それが夫婦ですよ。お帰りはお二人でお茶したり、時間がないのなら帰りのフェリーで仲良くうどんを食べるとか、楽しんだらいいですね。(笑)
子ども達のことは何の心配も要らないし、最後は残された夫婦が仲良く暮らす、そういうことですよね。いいお話をありがとうございました。





自分の人生は自分で決める  木藤厚子



長男は27歳です。小3の時にも少し行かない時期がありましたが、この親の会がその頃始まっていましたので、いろいろなお話を聞いていました。その後中2で不登校となりました。


学校に行かないことは何も問題ではないことや学校の状況を聞くと行かなくなるのは当たり前と思うのですが、いざわが子が行かなくなると、勉強をしないままで将来はどうなるの? このまま成長が止まってしまうのじゃないか、と不安になり受け入れることができませんでした。


その時から親の会に自分のこととして毎回真剣に参加するようになり、皆さんのお話を我が子に重ねて聞きました。
その中で思ったのは、学校に行く、行かないを決めるのはその子自身だということです。


周りで色々心配しても、行けないのはその子なりの理由があってのことで、学校がその子の居場所じゃないんだなと思って、我が子の気持ちに寄り添うようにしました。


それでも進級や進学の時期になると周りは皆、学校に行っているわけで、そうすると親も不安になってきます。
でも周りに影響されないで、我が子だけを見てみると自己否定しているのがわかったし、私がこの子だったらと考えると学校に行けるわけがないと思いました。ですからうちでは高校の話も出ませんでした。


家での生活は、テレビ、ゲーム、パソコンで過ごしていました。昼夜逆転の生活も我が家では当たり前の生活となりました。テレビやニュースから、社会の動きもよく知っていました。


そのうちに今までは手書きで作っていた親の会のニュースをワープロで打ってくれたり、子どもの人権を守る連絡会ニュースや知覧のいじめ自殺裁判の提出資料作りにも関わってくれて、とても力になってくれました。


18歳の時に塾に行き大検を取り、20歳の時に大学に合格しましたが、その時は行きませんでした。それからは車の免許を取ったり、あとは何をしていたかな?・・・やっぱりパソコンだったかな。


―――
何をしていたか、全然知らなかったんでしょう。


そうなんですね。私は自分のことに一生懸命で、よく山登りに出かけていました。家のことを息子に頼んで安心して出かけていましたから、あまり覚えていないんですね。


22歳の10月に息子が「センター試験を受けようかな」と言ったんです。私は驚いて「センター試験は大学を受験するために受けるんだよ」と、いったい何を考えているんだろうと思って言いました。


私はその時初めて、息子が大学受験をする意思があることを知ったわけです。あとから話を聞いてみると4月頃から受験勉強をしていたんだそうです。「僕は忙しんだ」と言って2階の部屋で何かやっていたのは知ってましたが、受験勉強をしていたとはそのとき初めて知ったわけです。


今、福岡で暮らしていて大学院の1年です。大学でもパソコンの情報関係の勉強をしています。
中2からあしかけ10年家にいて、23歳で大学生となったわけで、普通だったら同年齢の子たちは卒業していく年齢です。でも全然気にしていないようでした。


家で過ごす期間が長くなってきて、なかなか動き出す様子も見えないと、親の会で同年齢の子どもさんが動き出したと聞けば「うちの子も動き出すことが本当にあるんだろうか」と不安に思うこともありました。
しかしその子が納得すれば、その子なりの時間をかけて、必ず動き出すんだと本当に思っています。


息子は今年のお正月に1年ぶりに帰ってきました。いつもは春休みや夏休みにパソコンの整理をしてもらっていたのですが、1年間そのままだったので、私のパソコンはメチャクチャになっていました。(笑)


今回もその整理をしてくれたのですが、とても時間がかかってしまい、息子が持ってきた自分の仕事は後回しになってしまいました。
それで今年の私の目標は、パソコンをきちんと管理できるように勉強しよう、ということにしました。


―――
親の不安がなくなれば、次第に家にいて当たり前となってくるんですね。
そして親が全然気にしなくなると不思議に子どもは動き出します。
「親がしないと子どもはするようになる」なんですね。
今を楽しく暮らしていく、それだけで十分なんですね。





「つまずいたっていいじゃないか 人間だもの」
  長谷川登紀子さん


―――
長谷川さんは三人の子どもさんがいて、一番下の息子さんが小3の誕生日を境に学校に行かなくなり、中学校も1日も行かず卒業しました。十分休んだあと自分から通信制高校に行きたいと言い、入学、卒業して、今は家を離れて働いています。

娘さんは高校を中退し、今は結婚して幸せに暮らしています。長男さんにはお子さんがいらっしゃるのね。
今日は子どもさんのことではなくご夫婦の話をしてもらいましょう。



私も昨年の10月で60歳になりました。夫の問題はあしかけ20年にもなりますが、一番触れられたくないことです。


息子は小3の3学期から学校に行かなくなりました。当時は周りに同じ悩みを持つ人もなく、とても不安でした。
内沢さん夫婦に相談しながら、アドバイスを受けてやってきましたが、これでいいのかなあと思うこともありました。


でも子どもの反応が内沢さんのおっしゃる通りだったので、このまま親の会で勉強していこうと思い、安心してゆっくりと子育てをしてきました。
私は息子の不登校に気を取られて、夫のことにはあまり気を遣わず、大人だから自分のことは自分でやれるだろうと思っていました。


しかし、夫は4年に1回ずつ大きな借金を作っていたのです。
一番最初にそれがわかった時は、もう胸にぽっかり穴があいて、それがまだ塞がらないうちに次の借金を作るという繰り返しでした。その中で何回も離婚しようと思いました。


しかし夫は子どもの不登校を責めたり、私を責めたりすることはなく、子どものことで学校に行く時は必ず一緒に行ってくれたし、家庭内では何も問題はなかったんです。


私は8年前に大病をしました。
ちょうどその時は夫の定年の年でした。まだ借金が残っていて、夫の退職金もいくら出るのかもわからなかったので、私はきつくて動かない体に鞭打って仕事に出かけていました。


でもそれも限界で、仕事のストレスと夫の借金をどう返して行こうかということが重なって、私は職場で倒れてしまいました。
病気が治り退院した後に、夫が私に話していない借金がまだあったことを知りました。
それを聞いた時は、ああ、あの時病気で死ねばよかった、とさすがの私も言ってしまいました。


だけどそういう中でも、夫は私の健康を一生懸命に気遣ってくれました。
それから3年経って、今度は夫が胃の全摘出手術を受けることとなり、家族皆で看病しました。


そういうことがなかったら、まだひょっとして心から夫を許すことができなくて、胸の奥にわだかまりが残っていたかもしれません。
私は夫に何が原因なのかは聞かずに、子どもの登校拒否を受け入れたように、夫のやってきたことも黙って受け入れようと思いました。
夫の病気で、「命があればいい、もう全部水に流してやっていこう」と思いました。


三人の子どもたちはそれぞれ独立して、家から離れていきましたので、残りの人生を二人で助け合ってやっていこうと思って。私もさびしがり屋だから二人で生活できるのは幸せです。
こんな話をあからさまにするのは恥ずかしいです。(笑)


―――
今では、二人で支えあって仲よく暮しているのね。


私もここ最近、体のほうも安定してきています。今は畑で野菜を作ったり、私の実家の年老いた両親を訪ねたりしています。たずねると両親はとても喜んでくれます。
私は夫の借金や経済的な苦しさも、次男の不登校のことも私の両親には言っていませんでした。


精一杯の子育てをしているのに、実の親から、あんたの子育ては何ね、と言われるのは一番辛いことでしたから。だから何事もなかったような顔をして行きます。
1週間前に相田みつをさんの個展を観にいきました。
まだこの親の会が出来ていない頃、次男の相談に達さんの研究室に行きました。その時に達さんが「つまずいたっていいじゃないか 人間だもの」という相田みつをさんの書を拡大コピーしてくださったんです。


私はそれを家の壁に貼って、苦しい時はそれを心の支えにして生活してきました。
私は「みつを展」のノートに「ありがとうございました。この言葉が支えになりました」と書いてきました。(涙)
次男も「お母さん、いい言葉だねえ」と言って、20年間一緒に頑張ってきました。(涙)


途中で死にたいと思ったこともありました。その時、息子は私の異変を感じたらしく、手を握って離さず、外に出ないようにしてくれました。
長男も長女も私の支えになってくれました。子ども達が私にエネルギーをいっぱいくれました。


私は無信仰ですが、ああ、仏様がいるんだなあ、この子たちをくださったんだと思って。子どもたちが今の私を作ってくれていると思いますね。
何か大事なことは家族皆でがっちり手を組んでやってきた、そんな20年だったので借金へのわだかまりはチャラになりました。


この年になって命のあることの幸せを思っています。命さえあればなんとかなる、今は大したことじゃないと思っています。


―――
ありがとうございました。とってもいいお話でした。





27年ぶりにお正月を我が家で   Kさん(母)



皆さんのお話、素晴らしいなと思って、感激して涙が出ました。(涙)


先ほど、義理のご両親から言われた言葉に傷つき、そのことがあったからお正月には実家に帰らなかったというお話を聞いて、私も結婚当初から義兄のことが、やわらかく言えば苦手(笑)、はっきり言えば大嫌いで(大笑)、いつも嫌だなという気持ちがあったんです。


我が家も毎年お盆とお正月は夫の実家に姉弟家族が集まるということを27年間続けてきました。


去年のお盆に私は義兄からいろいろ言われて、傷ついたことがありました。その時はじっと我慢するしかなかったんですが、お正月はどうしてもその義兄に会うのが嫌で帰らないと決めたんです。


でも夫がどう反応するのかが怖くて、なかなか言えずにいたんです。
でも年末に勇気を出して「今度のお正月、私は帰らないから。私は会いたくない人がいるの」と言ったんです。
そしたら夫もわかっていたようで、何も言わずに「わかった」と言ってくれました。


ドキドキしていたんですが、私は心に決めていたことを夫にちゃんと言えて、それを了解してくれたことに、私はすごくうれしくてルンルンになりました。(笑)


31日は夫がひとりで実家に帰りました。私はひとりで紅白歌合戦を見て、元旦の日は、ああ帰らなくてよかったんだ、と思ったらワクワクして、もう最高のお正月でした。(笑)


いつも夫の実家に帰ると、私は割烹着をつけて料理を作ったり、洗いものも全部私ひとりでやって、お正月をゆっくり過ごしたことがありませんでした。


これもこの会に参加して皆さんのお話を聞いて勇気をもらったからです。本当によかったなあと思っています。
お盆のことを考えたらまたちょっと不安なんですが、またその時に考えます。田舎に帰っても、私には誰も味方になってくれる人がいなくて、ひとりぼっちという感じです。


ですからいじめられている子どもさんの気持ちがわかるような気がするんです。学校に行っている子は毎日毎日だから、どんなにか辛いだろうと思います。


私は夫が理解してくれただけでも良かったと思っています。去年の夏から夫は県外の仕事で週末にだけ帰ってきています。私は自分の時間がいっぱいあって、今すっごく楽しんでいます。(笑) それも1月で終わりそうなんですけれど、これから元の生活に戻れるか? ちょっと不安です。(大笑)




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Last updated: 2008.3.17
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