登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島) 登校拒否も引きこもりも明るい話


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体験談

2009年12月発行ニュース
登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)
会報NO.161より

登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)では、
例会の様子をニュース(会報)として、毎月1回発行しています。
その中から4〜5分の1程度をHPに載せています。


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「親の会があるから安心して不安になれる」

2009年11月例会報告(抄)



mihoさんは、掲示板に「私がずら〜っと並べた不安は案外あたらないってこと」「親の会があるから安心して不安になれる」と書き込みました。淳子さんは、それを読んで安心したと言います。親の会で不安も出しあって、その気持ちも否定しないで受けとめていくと安心が広がっていきます。

今回も「心配しないで信頼する」「自分を一番大切にする」が話題になりました。
この言葉に「勇気づけられた」(Sさん)、「まわり道もあったけど、そのおかげで今の自分がある」(みどりさん)、「あなたたちの人生なんだから自分で好きにしていいよ、と言えるようになった」(Tさん)、「毎月母は私が会報を読んであげるのを楽しみにしている」(永田さん)、「ますます自分のことに夢中になる」(厚子さん)、「学校に行っても行かなくても私のかけがえのない息子」(TKさん)、「親子3人で何年かぶりに一緒に食事。私への何よりの誕生日プレゼントだった」(Kさん)、「幸せな今は子どもたちのおかげ」(森田重則さん)、「認知症の母にも優しく」(良治さん)、「毎月例会に参加して安心がいっぱい」(しずりんさん)・・・。そして「トトロ」のこうじさんは、なんと18キロも減量!

子どもは自分で解決して行く力を持っています。子どものことは子どもにまかせます。私たちはわが子の不登校をきっかけに、自分のことに一生懸命になるようになりました。自分の人生を楽しむ、自分の人生を主人公として生きる! それがわが子への一番の応援にもなります。
今回も、感動をわかちあい、いつしか元気がいっぱいになる親の会でした! 




目次


もう「トトロ!」と言わせない ベルリンの壁崩壊から20年   こうじさん

今の自分の人生をいっぱい楽しむ   内沢 達

民生委員の訪問!   みどりさん





もう「トトロ!」と言わせない ベルリンの壁崩壊から20年

こうじさん




―――
どうしてそうなったのか(笑)、聞いてみましょう。(みなさんから「別人だ」「すごいね」といった声)
こうじさんは18キロも痩せたのね。悪玉コレステロールが減って善玉コレステロールが増えて、中性脂肪など検査データをすべてクリヤーしたんですね。どうして痩せようと決心したの?


4月まで94キロで、「トトロ」でした。(笑) 
10月の初めに子どもたちと会うので、9月いっぱいで80キロにと思って、行く直前に79.8キロになって、それからまた落としました。

妻を亡くして、今は次女と一緒に住んでいます。
前ほど仕事が夜通しということもないから、ちょっと時間をみて4年通っているジムにも行ける日も増えたし、間食を一切しなくなったことが大きいですね。


―――
どんな間食していたの?


夕食を食べて、仕事を夜9時ぐらいから夜中の2時ぐらいまで毎日やっているので、途中おなかがすくんですよ。そうすると12時ぐらいになると、何か食べようかなと食べていましたね。
4月に実家で、トコロテンを食べたんです、美味しいので聞いたら、頴娃(えい)のトコロテンということでした。

それから、ご飯やうどんをやめて、おかずは普通に食べてあとはトコロテンを食べているんです。夜の果物は毒だっていうので、あると食べてしまうから買ってないです。おやつも買わないです。
夜お腹がすいたら枇杷茶と梅干を食べます。目標まであと2キロです。

この前、水を1ケース6本(12キロ)買ってみて、あっ、これよりも重たかったんだなと思いました。(笑) 
半年でお腹周りが96センチから81ぐらいになりました。
今年の春ぐらいまでジムに行って20キロ走っていたのに痩せなかったですね。筋肉が付いて痩せないんです。だからこれは食べ物だなと思ったんですね。


―――
それはすごいですね。だって、こうじさんはなかなか出来なかったんだからね。おやつを食べないなんて強い意志ですね。娘さんからは「トトロ」と言われたりしてね。(笑)


あー、言われましたよ。「お母さんが生きているときになんでできなかったの?」と。(笑)
今21歳の息子は、今月から東京の六本木で1年の試用期間で働くようになりました。 


―――
学校はどうしたんですか。


2年間の専門学校に行って、今までの彼の人生で通学している時間が一番長かったんだけど、例によって「合わない」と言って途中で辞めました。
仕事は自分でいろいろ調べて決めました。

息子は幼稚園から行かずに、行ったのは小5の5月から中学1年までで、サッカーをやっている期間だけ行きました。(笑)
長女は中1からいじめにあって行かなくなって、通信制の高校、専門学校を出て働いた後、今結婚して埼玉にいます。

次女は小4から行かなくなって、そのときが3人同時に行かなかったですね。次女は高校に行ったんですが、高1のときに辞めて開陽高校に行きました。
専門学校を卒業したのが今年の3月で、試用期間があって11月から天文館のホテルのフロントにいます。それ以前は郵便局で2年間バイトをしていました。


―――
こうやって淡々と話すけれども、当時はあなたの不安も大変で、長女さんが「学校に行かない」と言って、はしご段の下の三角形の物置に閉じこもったとき、「学校に行かないと将来が駄目だ」と偉そうなことを言ったんですよね。(笑)(そうです) 
今考えてみたら、「学校に行かなくても大丈夫なんだよ」ということですよね。


親の会の10周年記念誌(発行1999年)に「ベルリンの壁崩壊10年」と書いたんですが、壁が壊されて先月でちょうど20年なんですね。「あれから20年経つんだなあ」と思いました。

心配の「ぱ」を「ら」に変えて、「心配しないで信頼する」と、それが自分の信条と思って子どもたちに余計なことは言わない、とやってきました。ここ10年は思っても言わないと。(笑)





今の自分の人生をいっぱい楽しむ   内沢 達




(「今の学校には行かせたくない」と言われたお母さんへ)

今の学校には行かせたくないと言われましたね。
その気持ちもわかりますが、これをきっかけに「学校中心」ではなく、「自分中心」に考えていかれてはどうでしょうか。
おかしな学校にわが子を通わせたくないという気持ちはもっともですが、おかしくない、いい学校にだって、「行く・行かない」は子どものほうで選んでかまわないんです。

こうじさんの長女はかつて、いじめで学校に行けなくなりました。そう聞くと「それはひどい、かわいそうだ」といった見方が普通です。確かにいじめ自体はひどいし、かわいそうなのは間違いありません。

でも、「この子はいじめがなかったら学校に行けたんだ」といった捉え方は、「学校に囚われた」見方でもあるのです。いじめは、そう簡単になくなるものではありませんので、「いじめがある学校には行かない」というのが対処として、まず正解です。

加えて、これをきっかけとして、こうじさん親子が「学校とはいつも付きあわなくていいんだ」いう見方が比較的早くからできるようになったわけですから、悪いことばかりではなかったんです。
いじめはもちろん正当化されず腹立たしいものですが、親子が世間の常識に囚われずに自由に考えられるようになった、そういうきっかけを与えてくれたという点では一面感謝してもいいんです。


私たちの会のなかで作られた名言のひとつに「心配しないで信頼する」というのがあります。これは、元はといえばこうじさんの長女Eriさんが着目してくれたからこそ、生まれた名言なんです。「心配」と「信頼」は漢字で書くと全然違いますが、かなで書くと「ぱ」と「ら」のたったの一字違い。と教えてくれたのがEriさんです。ローマ字だと「p」と「r」の違いだけです。全体として、音はよく似ているのですが、意味は正反対のように違う。

これは「子ども(のこと)」だけでなく、自分自身についても「心配しないで信頼する」ことがどれほど大事なことか。4年ほど前から、鹿児島の親の会では、この考え方にも大きな力を得て交流を続けてきました。
そういう名言が生まれたのも、Eriさんが不登校になってくれたからです。そのきっかけがいじめだったとするとそれは悪いことばかりではなかったという見方もできるでしょう。なにしろ、僕らみんなを力づけてくれたのですから。

「“学校中心”ではなく“自分中心”に考える」とは、たとえばそういう考え方です。


Hさんは学校に不信感がある一方で、まだまだ学校に遠慮しています。
僕らの会のやり方は、はっきり断るということです。
「金曜日はいらっしゃらないください。今後電話もしないで下さい。うちの娘がまた行くようになったら、その時はこちらから連絡しますので、それまでそっとしておいてください」などとはっきり伝える。ちょっと遠慮して「必要なときだけお願いします」という言い方はいけません。教師は、なんでも必要と勝手に思っちゃうので(笑)。

Hさんは初参加ではなく2回目でも「この会の雰囲気はちょっと何か違う」と、いい悪いは別にして感じていますよね。

「登校拒否を考える会」なのに、なんで関係なさそうな話をしているのかな? 誰かさんが18キロも減量しようがしまいが普通は確かに関係ないんです。でも、関係ないどころか、それはとっても大事な話なんです。だんだんわかっていただけると思います。


僕らは初め、わが息子や娘の、つまり子どものことで会に足を運ぶようになったのですが、問題が子どもにはないということがだんだんわかってきました。かと言って、私たち親が問題だというわけでもない。なにも悪者探しなんかする必要がないんですね。
すべては・・・と言ってもよいほどに、それは見方や考え方の問題だと気づいてきたんです。

この会が20年以上長く続いているのは、誰かが頑張ったり、誰かが縁の下の力持ちになって支えたりしているからではありません。子どものことは子どもにまかせて、私たちは自分のことに一生懸命になる。いっぱい自分の人生を楽しむ。そうしてきたからこそ、自然に続いてきた会です。

もし、子どもに問題があるのであれば、それは問題というよりも課題ですが、子どもは自分で解決していく力を持っています。
親が子どもにできることがあるとすると、それは私たちが毎日元気に生き生きと暮らす姿を見せることです。見せるというより、自分を一番大事にしていると自ずと見えてくるようになります。

子どもにとって、自分のつまずきのようなことが、親の心配の種でないどころか、反対に親が元気に生き生きとしてきたきっかけだなんて、とてもうれしいことです。だから18キロ減量の話もとても大切なんです(笑)。



TKさんの場合も息子さんの不登校がチャンスになっているのではないでしょうか。おつれあいさんの実家との関係であまり気をつかわずに、TKさん自身が自分らしくより自由に生きていくキッカケを不登校の息子さんが与えてくれたということです。そう思えるようになると以前と全然違ってくるように思いますが、いかがでしょうか。


「今日できることは明日に延ばさない」(板書)


先月のこの話はニュースには載っていません。受験生には特に強調されることばです。今日やれることは今日やらないとダメだ。ずるずる延ばしていってはダメなんだ。いま頑張ることが大事なんだと言われてきました。

でも、先月(10月)話したことですが、物事は、AはいつもAと決まっているわけではありません。確かに「AはA」、これは当たり前なんですが、じつはそうばっかりとは限らず「AはAでない」ということもあるんです。

9月例会では、マッチ箱に10円玉を入れた実験で、「人間の感覚はなんと頼りないことか」と思ったら、反対に「人間の感覚はじつに素晴らしい」ということも、同時に実感してもらいました。物事は一面だけを見ていてはダメです。もう一面であったり、いろんな面を見ないといけません。

そこでもうひとつの見方があります。


「明日できることは今日しない」(板書)


今日できることは今日やってしまうということはもちろん結構なことですけど、今日できることはたいがい明日もできます。だから、最初の板書とは反対の「明日できることは今日しない」という、もうひとつの大事な考え方もあるわけです。

じつは今年の夏休み、この話をオープンキャンパスでして高校生に大好評でした。
高校生といったって、暑い中、休み期間中でもわざわざ大学まで足を運ぶわけですから、今年であれ来年・再来年であれ、間違いなく受験生です。

受験生は、これまで「今日できることは明日に延ばすな」しか聞かされていません。
そして、今頑張らなきゃ、今日こそ頑張らなきゃと思ってきたんですね。
ところが、そう思ったからといって勉強がすすむものではありません。

そこに、「受験勉強は明日だってできるんだから、今日無理をしてしなくてもいいんだよ」と僕から聞かされたんです。驚きつつも、「そういえばそうかも」と思ったんですね。
だいたい、受験生は、受験勉強を何もやっていないわけではなくて、すでに相当やっているところに、「もっとやれ」「もっと頑張れ」と言われたって、そうできるものではないですね。

高校生の感想には、「今まではしなきゃいけないと思うだけで焦っていた」「これで逆に、受験勉強に無理なく取り組むことができそうだ」「ありがとう」といったのがたくさんありました。考え方にゆとりが出てくると違ってくるんですね。

以前、Nさんの娘さんから、僕が大学の教員だからか、「どんな勉強をしたらいいんでしょうか」と質問されたことがあります。先のことではなく、いつも今を大事にして、受験勉強についても、しようと思ったときにすればいいわけだし、そう思ってもできない場合には、できない今の自分をそのまま認めて「まだ時期が早いんだな〜」と受けとめればいいわけです。

今を生きる。先のことはわからないけれど、私たちは今生きているということは確かですね。その今を大事に生きる。未来というのは今が積み重ねられて、やがてやっぱり「今」として現実になるものですから、不確実な未来をもし少しでも確かなものにできる道があるとすると、それは今をしっかり生きることをおいて他にありません。

これは「だから」といって、「今を怠惰に過ごしてはいけないんだ!」ということではまったくありません。なにかをしよう、何かに一生懸命になろうと思っても、できない、続かないときは、まだ何かを「する」ということがその人の今の課題にはなっていないということです。
そういう時は、「しない・できない」今の自分を認めて、絶対に無理しては「しない」ということに徹することこそ、今をしっかり生きているといえます。

自然にできるときはどんどんやったらいいんですね。
そのような考え方も参考にしていただけたらうれしいです。






民生委員の訪問!   みどりさん




3人の子どもが3人とも不登校で、上ふたりのときは全く民生委員は来なかったのに、今回下の娘に、小・中学校とも全く行っていないので、たぶん中学校から言われて来たみたいで、年配の男性の民生委員の訪問を受けました。ノートに間違った名前を書いてあって、その方はご近所で、あちらは認識なかったようです。

「どうして学校にやっていないのですか」
「やっていないわけではありません。本人の気持ちを尊重しています。」
「親が行かせる方向にしないといけないじゃないですか」
「私はそんなふうには思っていません・・・」
ニコニコして答えたけど印象が悪かったのか、ありえないと思われたのでしょうね。

その後、忘れた頃先月、今度は年配の女性の民生委員が来ました。
今度は最初からその方の顔が強張って構えていて、「娘さんをどうして行かせてないのか」と言うんです。「そうじゃなくて、行かせてないわけではなく、本人が行きたくないから行かないので、親としては行きたいときにはどうぞ、でも行きたくないときは行かなくていいよ、と本人の意思を尊重しているだけです」とやっぱり答えました。

たぶん前の民生委員や周りの方から、「あそこは子どもを学校に行かせてないすごい親だ」といったようなことを聞かされてきたのでは、と申し上げると「そうなんです」「お会いできてよかった。明るいお母さんですね。行かせてないわけではないのですね」と手を握って言ってきました。

いっぺんに緊張が取れて・・・
「それだけお母さんが言われるのでしたら、いろいろ勉強もされたでしょうし、いろいろ悩まれた日々もあったでしょう」と。
私は「そりゃ、そうです。最初から明るくしていませんよ。うちは3人子どもが不登校で、この件に関してはベテランです。上の子が小2で行けなくなり、そのときはどういう日々を過ごしたかも今覚えていないですよ。けれども、今はその子が不登校になって、人にとって何が大事ということを教えられました。周りの方々がどう思われようが、一緒にご飯も食べられますし、私たちは幸せです。子どもたちに感謝しています」と言いました。


先ほどのHさんのお話を聞いて、私も上の子が小2のときで、たまたま学級委員長になってしまって、子どもは行ってないのに、自分はやる、と頑張って突っ張っている感じになっていました。
ここで勉強して頭では分かっていても、後で振り返ると、世間体や声をかけてくれる友達のお母さんや学校側に自分の気持ちがむいていたんだと思います。

不登校のきっかけは担任や学校だったので、あの先生が悪い、学校が悪い、と言っていましたが、何年も過ぎてくると「不登校になってくれてありがとう」と、逆に「学校はこんなものよ。それでもよければ行ったら」と子どもにも言っています。
最初は学校を変えたい、学校にこんな子ども達の気持ちも分かってほしいと思っていました。

例会で勉強して頭では分かっても、自分が不安なときは子どもに多くをしゃべっていて、デンとしていないですね。
最初の1年は「まだまだだ」と落ち込み、2年目はそのまだまだを楽しみ、友人から「でも、でも」と否定されるのが嫌で避けているときもありましたが、後からは不登校を経験した人でないと分からないし、私も逆の立場だったら同じことを言っていたかも、心配してくれる気持ちはありがたいなとも思えるようになりました。

今まで子どもを傷つけるような間違ったこともしてきましたが、それがあって今の自分がある。以前に「もう少し早く親の会に出会っていたら良かった」と言ったとき、亡くなった由紀代さんが、「まわりみちがあってもいい」と言ってくれました。
私はいろんな経過をたどらないと分からなかったから、これでいいのかなと思います。




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Last updated: 2010.1.27
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