登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島) 登校拒否も引きこもりも明るい話


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体験談

2009年2月発行ニュース
登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)
会報NO.152より

登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)では、
例会の様子をニュース(会報)として、毎月1回発行しています。
その中から4〜5分の1程度をHPに載せています。


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親の会は“私の会” 「自分のため」にある

2009年1月例会報告(抄)



「今年はいっぱい“わくわく”したい」というNさん。
娘さんの24歳の誕生日に「あなたはお父さんの大事な宝もの」と手紙を書きました。

しずりんさんは夫から大きなカサブランカとバラの花束のプレゼントをもらって、「嬉しくて、嬉しくて・・・」。
永田さんは、「今年も俺は寄生するからね」と言う息子さん(18歳)に、お小遣いといっしょに「君が私たちにとって良い子でも悪い子でも、りっぱな子でも困った子でも、私たちの愛に変わりない。君は君自身でありさえすればいい」(会報2004年1月号。Mさんが紹介)という詩を贈りました。

こせさんは息子さんに、「“親の会”じゃなくて“私の会”に行ってくるね」と言って出かけてきたこともあったとか。
ここはやっぱり「自分のため」にある会なんですね。

mihoさんは生活保護の申請手続きで疲れ、娘さんから頭をなでなでしてもらったりしています。みなさんから、「今まで以上に元気そうよ」と声をかけられていました。
孝子さんは、自己否定していたときもあったけど、「今は毎日いっぱい自分をほめています。今までで一番幸せ」と話しました。

みどりさんは、「私は私でいいんだ!と気づかせてくれた3人の子どもたちに感謝!」しています。
なぎささんは、実母・義母・叔母の3人ものお年寄りの介護にかかわっています。自分を一番大切にするという親の会の考え方でするようになって、介護もたのしくなり姑さんからも喜ばれています。

夫婦の愛を確しかめあう話もステキでした。
例会で夫と妻の関係を率直に出し合うことができるのも、お互いを信頼できているからです。
Nさんの最後の一言「頑張ります!」にみんな大笑いでした。

多くの体験が示すように、「子どもをどうにか・・」などと思っているうちはうまくいきません。
親の会は、なるほど“私の会”“僕の会”です。自分たち一人ひとりのためにある会です。

いっぱい“わくわく”しましょう。
自分を一番大切にしていくと、優しさや愛がいっぱいになっていきます。
すると、かけがえのない家族への深い愛が生まれていくんですね。




目次

1 親の会の考え方は老人介護の力にも  なぎささん

2 息子に「詩」をプレゼント  永田さん

3 夫から大きな花束  しずりんさん

4 今年もいっぱい“わくわく”したい  Nさん夫婦




親の会の考え方は老人介護の力にも   なぎささん


―――なぎささん、お久しぶりの参加ですね。あなたは3人のお年寄りの介護をしておられるのね。


こんにちは。久しぶりの参加ですが、毎月の会報に助けていただいていますし、会報の中のカットにも癒されています。
私は2年ほど前まで、87歳の夫の母と10年間同居して、実家には94歳の母、別のところには一人暮らしの90歳の叔母というように、食事の介護、お風呂、買い物、洗濯、通院の世話など3箇所をぐるぐる回る毎日です。

それでも会報で「自分を大切に」と読んでいますから、デイサービスに頼んで、私は旅行に行ったり、遊びに行ったりしていました。
でも、3人の存在がいつも頭の隅っこにあって、私自身が体力的にも10年間でだんだん負担になってきました。

2年位前に、もう限界かなと思っているときに、会報に「老人介護の話」が載って、考え方はどちらも同じで、老人もひとりの人間として尊重することが大切、という内容でした。それにすごく気づかされました。

私は長男の嫁で、家を建てたときに同居した姑を、ずっと最後までみないといけないと思っていたんですが、その会報に後押しされて、あるとき夫に「施設に入ってもらいたい」という話をしました。

世間的には私も嫁と姑との関係でしたから。
そうしたら、夫もすぐ分かってくれて、姑もその希望があったと言ってくれました。
姑はまだ身の回りのことはできるので、その姑にあった施設を探したところ自立支援センターというのがあり、8ヶ月後に入居することになりました。

いざ入るとなると姑は不安になり、私もなにか追い出しているような複雑な気持ちになりましたが、その度に何度も会報のその部分を読み返して、これでいいんだと、自分を納得させました。

今はすごく姑もイキイキしていて、今年のお正月には、「ここでこうして過ごせるのもあなたのお陰だよ、ありがとう」と言ってくれて、私はすごく嬉しかったです。(涙ぐむ)

実母は生まれてからずっと94年間、同じところで暮らしていましたが、骨折をしてから入退院の繰り返しになりました。病院では被害妄想がひどくなり、誰かが自分をいじめると言うんです。例えば看護師さんがコップを置く音も、自分のところだけガチャンと置いたと言って。
私は「毎日母はそういう辛い思いをしている。私が受けとめてやらねば」と無理して毎日足を運びました。

その時、目にした会報には、山口さんの「出ました! お母さんの“死にたい”が」というお話が載っていました。
私もこんな風にゆとりを持ってと思い、「出ました、お母さんの被害妄想が」と真似をするんですが、なかなか山口さんのようにはいかなくて。

いよいよ退院となっても、骨折の母はとてもひとり家で暮らせる状態ではなく、なんとか特別老人ホームに入居することになりました。
しかし、この被害妄想がどんどんひどくなっていきました。私はホームの職員にも声かけを特別頼みました。声かけをしてもらっても母には裏目に出て、ますます大変になっていき、私は腹を立ててケンカをしても、またかわいそうに思ったりの連続でした。

母の形相がひどくなったので、私は安定剤を飲ませたらどうかと思い(笑)、看護師に頼んでみると、「基本的には飲ませていません」と言われ、「でも、お宅のお母さんは幸せですよね。こんなに話すことが出来て」と言われました。

その時にハッと会報のことが頭に入ってきて、「ああ、自分は間違っていた。これは母はきつくてやっているのではなく、こんなふうにやりたくてやっているのだから、何もかわいそうじゃないんだ」。
会報に、引きこもりも介護老人も原理は一緒とありましたが、引きこもりをかわいそうと思う必要もなく、当たり前なんだな、と思ったとき、私の心がスーッと軽くなって楽になっていきました。

ですから今母のところに見舞に行っても、そういう態度で接することができ、今でもちょこちょこ被害妄想が出ますが、「あら、お母さんすごいね、そういう風に話す能力があるんだね。えらいね、えらいね」と言って帰ってきます。

すると、今ではそんなにひどい妄想はなくなり、ほんとにかわいい顔、いつのも母の顔をしているんですね。ほんとに会報に助けられているんです。


―――叔母さんにもそう言うのね。


はい。「おばちゃん、今日はいい顔をしてるね」と言うんです。母にもそう言うんです。
何よりも胸の奥につかえていたものがなくなって軽くなりました。


―――あなたは3人姉妹の一番下で、二人のお姉さんたちが福岡にお住まいで、「私ひとりでこんなに大変なんだよ」というお気持ちがあったけど、今は全然ないんですね。


以前は毎日逐一大変だったと電話で訴えていました。今はそういうこともしないし、同じように施設に行くのも足取りが違って、楽しみにしながら、「今日はどうしてるかな」という感じなんです。ほんとにありがとうございます。


―――とってもいいお話でしたね。




息子に「詩」をプレゼント   永田さん


一昨年、高1の3月に退学した息子は今18歳です。
お正月は2つ上の娘が帰省していました。娘は成人式で、私はその記念に家族写真を撮るのが夢だったんですが、息子がどう反応するか心配していました。息子が学校に行かない頃は、カメラを向けただけで「撮るな」と顔をそむけていましたから。

しかし「お姉ちゃんの成人式だからいいよ」と言って写真館で家族写真を撮ることができて、うれしかったです。ちょっとしたお祝いも祖父母を招いてすることができました。

1月7日の朝、起きてきた息子は「今年も俺は寄生するから」と言ったんです。(大笑) 

私は「ええ〜、いきなりそんな宣言ねぇ」と言いつつ、「わかった。でもすることはしてもらうから」と言って、七草粥の豆もやしのひげを取ってもらいました。(笑) 

素直に「わかった」と言ってしてくれて、息子と台所に立つのも嬉しかったです。


―――「寄生するから」と言われた時はどうでしたか?


「もう、やめてよ」という気持ちでしたね。(笑) 
「だってそんなにしないと生きていけないもん」と息子は言っていました。(笑)

17、18日はセンター試験なので普通に学校に行っていたなら、息子も受けていたはずなんですよね。その日天気が良かったので「布団を干すよ」と息子に声をかけると、「みんな今頃、センター試験だね。俺はこんなに寝ていてごめんね」と言ったんです。
毎日ただゲームばかりしているわけではなくて、心の中では悶々としたものを抱えているんだなと思いました。

私もHPで過去の会報を読んでいるんです。
2004年1月号にとてもいい詩が載っていました。それを見つけたのがクリスマスの日でした。

・・・・・・
君はいつだってありのままの君でいい
父も母も何も望みはしない
君が私たちにとって良い子でも悪い子でも りっぱな子でも困った子でも
私たちの愛に変わりない
君は君自身でありさえすればいい
そうだ いつも君自身を失わないことだけをどうか覚えていて欲しい

・・・・・・

すごく自分の気持ちを凝縮したもので感動して、どうしても息子に伝えたくて、その詩の中にある生まれた時の体重と名前を息子に変えて(笑)、5千円のお小遣いもプレゼントに添えて、息子の机に置いておきました。

しばらくして起きてきた息子に「何か置いてあったでしょう」と尋ねると、「お金と手紙が置いてあった」と言いました。
「お金と手紙とどっちが嬉しかった」と聞いたら、「どっちも同じくらいうれしかった」と言ったので、ちょっとホッとしました。


―――よかったですねぇ。いいお話でした。




夫から大きな花束   しずりんさん


今年も夫の実家へは帰省せずに、息子と二人で自宅で2回目の年越しとお正月を迎えることができて良かったです。
大みそかの夜は夫がひとりで実家へ帰り、上二人の娘は外出し、息子は別のテレビを見ていたので、紅白歌合戦ものんびりゆっくりとひとりで見ました。(笑)

年末に、忘年会に出かけた夫から、「今から帰るけど、お寿司を食べるか」と電話がありました。私はお茶の準備をして夫の帰りをずっと待っていたんですが、夫はなかなか帰ってきませんでした。

ようやく帰ってきた夫は私を驚かそうと後ろに何か隠して、玄関に入ってきました。
それはカサブランカと赤いバラの大きな花束で、私は予想もしていなかったことにもうびっくりして・・・

私がお花が好きなことを知っていて、花屋に寄って買ってきてくれたようです。今3週間経っていますが、次から次に花を咲かせて、玄関でいい香りを放っています。夫は「俺が長持ちする花を選んだのが良かったんだ」と言い、私は私で「私の管理がいいからだよ」言っています。(笑)

夫から花束をもらったのは2回目です。1回目は私の誕生日に赤いバラを買ってきてくれました。その時は「もうこんなものを買ってこなくて良かったのに」と言って、そんなに喜ばなかったらそれっきりでした。反省です。(笑)

でも今度は嬉しくて、嬉しくて、長女がデジカメで撮ってくれて、携帯の待ち受け画面にしました。今は満開の花になっています。嬉しいです。

夫がお正月に実家に一人で帰ることも、妹達と忘年会をしたときに夫が、「俺がひとりで帰るから」と言ってくれました。夫は私の気持ちを分かってくれる人で、それがうれしいです。


―――ご夫婦の愛情と信頼が伝わってきて、本当に感動しました。




今年もいっぱい“わくわく”したい
  Nさん夫婦


―――先月の例会で、お母さんが亡くなってあなたの妻が大変なときに、あなたや娘さんたちに支えられたとおっしゃっていましたよ。


(夫):ああ、そうですか。(笑) 私が親の会に来るのは、子ども達のことではなくて、夫婦のことを話しにくるようなものです。(笑)

妻は一人娘で、父が足を怪我して杖をついて生活しているので、私の家で4,5日過ごし、また実家で1,2週間生活する暮らしです。昔の家でバリアフリーではないので、妻はとても心配しています。仕事をしつつ、ちょくちょく実家へ行っているので大変だと思います。娘たちも料理を届けたり、よく妻をサポートしてくれて、ありがたいなと思っています。

長女が1月15日で24歳になりました。次女は20歳で成人式でした。
みんなで誕生日パーティをしようということになり、ケーキを買ってきました。いつもは長女がケーキを作って皆のお祝いをします。次女がプレゼントを買ってきて、メッセージカードに「私はお姉ちゃんの味方だからね」と書いていました。次に私がいいことを書きました。(笑)


―――どんなことを書いたの?


「あなたはお父さんの宝物で、大事な娘です。ケンカもするけど、いつまでも見守っているからね」と書きました。
次に妻が書きました。何を書いたか見ていませんけど、子どもは本当に宝物ですよね。


―――すばらしい言葉ですね。幸せいっぱいの誕生日でしたね。


私は9月に異動があって、職場が変わりました。12月の会報を見て思ったのは「職場でも家庭でもワクワクできたらいいなあ」でした。それを今年の目標にしようと思います。

新しい職場は牛・豚肉などの製造業で、210人くらいの職員がいて、私はそこの工場長です。
まあ、子どもの心配事や諸々相談を受けたりするので、人生相談所みたいです。薬を飲んでいるパートの婦人もいたりして、「薬は飲まん方がいいよ」と言って、ここで勉強したことがとても役立っています。

(妻):母の死は悲しかったけど、夫や娘に支えられて「ああ、家族っていいな」と実感しました。
夫は元々は優しい人だと十分わかっているんです。

けれど妻の私に対して「従わせる」というか、私がNOと言うと不機嫌な表情や言葉で嫌だなと思うことがあります。私がNOと言ったときに、自分の考えに従わせようとしないでほしいのです。

今は娘たちもいるからいろいろワァーワァー言ってるうちに嫌な部分も消えていくのですけど、やがて二人きりになったとき、どうなるのかなと思ってしまいます。
夫婦のちょっとしたズレを共有するのは大切なことだと私は思っているのです。

先ほど「優しさは優しさで」というお話が出ましたが、私も「嫌だなあ」という気持ちを抱えたままでいるから、どうしても優しい言葉や行動をとっていないから、夫もそうなるのかなと思って。
私と話すときはニコニコして話してほしいのです。


―――あなたは夫とお話しするときはニコニコしてお話しするの? 嫌だっていうときもニコニコして話す?


何もないときは普通に話します。
嫌だなと思うときは、もちろんニコニコできません。(笑) 


―――自分はニコニコしないで、夫だけにニコニコを求めるのはおかしいでしょう。(笑)


夫は普通と思っているかも知れないけど、言い方がきついのです。

(夫):いや、普通とは思ってないよ(笑) 

(妻):私は大事なことだからもう少し夫に考えて欲しいのです。

(夫):考えます(笑)


―――あなたは、夫と一緒に参加して、みなさんに堂々とそういう話ができるのはえらいわね。


(妻):ここだと、みなさんが証人になって下さるので、家で1対1で言うより言いやすいのです。(笑) 


―――夫さんはわが妻なしでは生きていけないでしょう。


(夫):ハイ、その通りです。(笑) 家では妻、娘ふたりと3対1なんです。


―――でも、1対1になることあるよね。娘さんたちは引きこもっているわけではないのでね。その時、わが妻!命!だよね。


(夫):当然です!(笑)

(妻):これからは二人です。ときに夫の言葉や表情に、オーバーな言い方ですが「おびえる」こともあるんですよ。
私もワクワクした生活を送りたいから、夫にNOと言っても「分かった」と言ってくれるような生活を二人で作って行きたいです。

何でも話せる状況を作りたいし、夫にも何でも聞いて欲しいという気持ちがあります。
夫との関係を大事にしたいからこそ、そう思うんです。
1対1で話せばいいのかもしれないけど、今はまだ話しにくいです。


―――みんなが証人になりますから。(笑) 1ヶ月やってみて、夫が威張ったときは「あなた親の会で誓ったでしょう」と言ってください。(笑) 来月楽しみですね。
あなたのお母さんが亡くなった時、あなたの夫や娘さんたちが支えてくれたんですものね


(妻):はい、感謝しています。


―――お互いがこの世の中で一番大切な存在だということを確認しあえることが、とってもいいですね。それがあったらもう大丈夫ですね。


(夫):はい、頑張ります。(笑) 



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Last updated: 2009.3.22
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