TOPページ→ 体験談目次 → 体験談 2009年1月発行ニュースより
今年もいっぱい「わくわく」しましょう 目次 娘の強迫行動と私 KMさん(母) お久しぶりです。今日は体調が悪かったんですが、どうしても参加したいと思って来ました。 夫が10月4日に亡くなりました。最初は風邪かなという感じで入院したんですが、入院中に脳内出血を2回起こしました。手術をしましたが、ほとんど麻痺した状態となり、私のことも分かっていたのかどうか、意識もはっきりしないまま亡くなりました。 夫が亡くなる前、入院後義姉たちからいろいろ言われ、まいってしまいました。娘が「おばちゃん、私たち家族のことに干渉しないで。お母さんも一生懸命やっているし、私たちもお父さんのことが好きなんだから」と言ってくれました。そんないざこざもありました。 夫が事務所を開いて1年半でしたので、その整理などもあり、それからが毎日大変でした。 ―――いろいろ大変でしたね。でも、義姉さんたちによくご自分の気持ちをはっきり言うことができましたね。あなたは今、本当にお寂しいでしょう。 でも、夫が今年の5月に一緒にご飯を食べたときに、これまでの結婚生活の苦労をすべてチャラにするような言葉を言ってくれたんです。 ―――それはどんな言葉ですか。 なかなか恥ずかしくて言えないんですが・・・。その時に「愛するまっちゃんとご飯を差しで食べられてうれしい。僕は幸せだ」と言ってくれたんです。(涙) ―――そうですか。それは何よりですね。 娘や息子もお父さんのことを嫌いではなかったんです。そういうことも知らないで義姉は、「父親が入院しているのに息子は見舞いにも来ない」と言ったんです。 私は「行きたくても行けない息子は辛いんです」と言いました。でもそういうことも分かってもらえませんでした。 お葬式には息子は出なかったんですが、家に帰ったお父さんとお別れしました。娘は参列してくれました。 息子は12歳の時からですから、引きこもって10年になります。 娘は15歳からで12年になります。 その間、娘は通信制高校に行ったり、勤めにも出て、ライブに行ったり、いろいろありました。 娘も父親とケンカもしていましたが、「お父さんのことが嫌いじゃなかった。お父さんとドライブに行ったときに、私が眠っていたら、お父さんは私の手を握っていてくれた」と言って、そういうことはちゃんと覚えているんですね。 ―――今、娘さんはあなたや弟さんとやりあったりして、不安定になっているんですね。 そうです。昨日も親の会に行かないといけないので、お風呂に入って早く寝ようと思っていたのですが、姉弟ケンカがあり、私は家を出ようとしました。 ―――あなたはご実家という、出て行くところがあるのね。 すると、娘が「お母さん、また出るの。お母さんはすぐに家を出る。内沢さんは暴力があるときにだけ逃げなさいと言っているよ」(笑)と言ったんです。 ―――でも、よく出られるようになりましたね。以前は私が出たら、また以前のような大きな姉弟ケンカになってしまうのではないかと、不安になってびくびくして怖がっていたでしょう。 昨日も娘は興奮して手が震えるくらいでした。息子は冷静に受け答えしていました。 そんな中で私はお風呂にも入らないといけない、もう11時になると思って、開き直ってお風呂に入りました。でもお風呂からあがっても、また突っかかってきましたけどね。 私も娘にすごいことも言うんですが、一瞬私はやっぱり子どものことが好きなのかなと思いました。 娘は「私はお母さんが嫌いだから言うんじゃない。お母さんにしか言えないからなんだよ」と言いました。 それも私はわかるんです。でも私のなかで積もり積もったものがあって、言いなりになりたくないというのがあります。 ―――ケンカをしているときは、言いたい放題言っていいんです。でも親子なんだから、すぐに仲直りするでしょう。 私はその仲直りするのがいやで、「朝はケンカして、夜は仲直りをしてしまうのは嫌だ。あなたにどこか部屋を借りてあげるから出て行って」と言いました。 ―――本当は出て行かないと分かっているから、言うんでしょう。 娘は「出て行かない」「強迫があって出ていけない」と言います。 毎日の生活で制限がかかるのは本当にきついです。ケンカして終りになって、また次の日、不愉快な1日が始まる、同じことが繰り返されるのがわかっているから嫌なんです。 食事のときに白い紙をしいて食べないといけないとか、最近は玄関とトイレを通っただけでほこりがするから、そこも通るなと言うんです。 娘は「私は辛い。お母さんが言いなりになるのは良くないけれど、私としては言いなりになってくれると楽だ」と言いました。 そして、「私は人が入っているコタツに入れるはずがない。あんた達と一緒に入りたくはない」とめちゃくちゃなことを言ってくるんですね。 だから、私は「それはおかしい。私たちは何も悪いことはしていないし、それはできない」と言いました。 息子は「自分がしたくないと思ったら、しなければいいじゃない」と言います。 ―――(内沢達):口論することではないんです。おかしいとも言わなくていいんです。 なんだかんだ言って娘さんが突きつける無理難題にがまんしていますね。 口で鬱憤を晴らしても、それではだめでしょう。口でいろいろ言ったって行動は我慢しているのが良くない。弟さんが我慢しないでいるように、お母さんも我慢しないということです。 私は以前のことがあり、荒れるのが怖いんです。そのことも娘にははっきり言いました。 9月からそういう状況があって、いっぱい背負っている状態です。 ―――今日は体調が悪くて来られる状態ではなかったけど、何としても今日は、と思って来たのね。ここで元気をもらおうと思って来たのね。大きな花マルです。 毎月親の会にいらしてください。そうしたらあなたが楽になりますから。 以前、あなたは、「夜中に娘さんが、お母さん、私は生きていられない。明日の朝までに自殺する」と言ったときに、娘さんを信じて「どうぞ」と言って腹をくくって寝たことがあったでしょう。 昨日もそんな感じでした。以前の会報に達さんの「子どもを信じることができるか」という話がありました。信じるって、やっぱり、子どもは私を信じているわけですよね。でも、私のほうはどうなのか・・・ ―――娘さんの辛さにいつも付きあって振り回されていると、娘さんはこれでもか、これでもかと、親を試してきます。すると親は大変になって、子どもを腫れ物あつかいしたり、ついつい子どもの言いなりになってしまいます。そうすると子どもはさらにイライラをつのらせます。 これは、子どもの辛さに親がつきあっているところでは、どの家でも起こっていることです。 ですから、KMさんの場合はそういう時には、さっさと近くのご実家に行って、そこでお風呂にも入ってゆっくりする。 暴力がなくてもいいんですか。 ―――もちろんです。自分がゆっくりしたかったらどんどん行って下さい。 娘さんとは議論しないことです。議論するとあなたの心が疲れます。 疲れてきて投げやりな気持ちで、子どもはどうなってもかまわないと言うのと、わが子を信頼できて「どうなってもいい」と言うのは、全然違うでしょう。 やっぱり心の底では何とかしたいなと思いながら、自分で言うことと、することは違うなと思います。 ―――「なんとかしたい」、そんなことは思わないことです。 自分の気持ちを、あなた自身をどれだけ大事にするか、です。 「愛するまっちゃんと・・・」と、あなたの夫はとても素晴らしい言葉を言って下さったでしょう。 その言葉を支えに生きていきましょう。自分を大切にすると必ずたくさんの幸せとの出会いがあります。 あなたが朝起きたときに何か1つでもワクワクすることがあったなら、気持ちが楽になるし、幸せです。 朝起きたらまた娘とのバトルが始まると思っては、がっかりしてしまうでしょう。それはつまらないじゃないですか。 KMさんは今無理しています。もっともっと自分を大切にしてください。 娘さんは親の会と接触していろんなことが分かっているんですから。娘さんを信頼して、決して言いなりにならないでください。体調管理を十分にされて、是非毎月いらして下さい。 すなおに泣ける自分がうれしい・・・ Mihoさん ―――miho さんは生活保護の申請のことで大変だったのね。 先月から元夫からの養育費が入らなくなり、延ばし延ばしにしてきた申請ですが、11月25日に息子に付いてもらって思いきって出かけました。 今まで離婚のとき、行政相談の窓口になってくれたサンエールから、これまでの経過をまとめて生活福祉課に送ってくれるということで、ちょっとは安心していたのですが、実際はなかなか私の気持ちは分かってもらえず、大変疲れました。 私は考えてもいなかったんですが、生活保護を受けるためには基準の家賃のところに引っ越ししなければいけない、車も手放さないといけない、働けないという病院の診断書も必要ということでした。 それは離婚してからこれまで1年間かかってやっと築いてきたものをいとも簡単に壊される感じで、生活保護は権利、生活の自立を助けるものと言いながら、結局は私の力を奪い去るものだという怒りの感情が湧いてきてものすごく疲れてしまいました。 とても引っ越しを考える体力やエネルギーはなく、落ち込んでしまって、そうしたら昔のことがいろいろフラッシュバックしてきました。 元夫に、あれも買うな、これもダメと言われて、自分で働いて買ったバックやネックレスも隠して、おびえた毎日のことや離婚調停のことなど思い出し、夜も眠れなくなって大変混乱してしまいました。 私が泣いていると、娘が心配して頭をなでてくれました。私が「大丈夫だよ」と言うと、「うん」と言ってそのままにしてくれました。 でも気がついてみると、以前は辛い時でも安心して泣ける場所がなくて、感情を殺すことでしか生きる方法がなかったのに、今では泣きたいときに泣けることがとてもうれしいと思いました。 病院へは娘が一緒に行ってくれましたが、待ち時間が長くて途中で私は気分が悪くなり、ベッドに横になりながら看護師さんの質問に答えました。医者の診断は10分くらいでした。診断書には「うつ病」「DVによるストレスが強く当面引っ越しは無理」と書いてありました。 二回目の申請のときにはサンエールの相談員に付き添ってほしいとお願いしました。そういう付き添いの事例は今までなかったようですが、「緊急事態」ということで付き添ってもらうことができ、申請書を提出できました。 12月18日には生活保護課の担当者の家庭訪問がありました。私はとても一人では対応できないと不安になっていたんですが、内沢さんと木藤さんに同席してもらい心強かったです。引っ越しも当面猶予されそうで、少し安心しました。 この1ヶ月間にいろいろ動かなければならなくて、ゆっくりすることができずに本当に疲れました。今もその疲れが残っています。 だけど振り返ってみると結婚している時には考えられなかった離婚もできて、母子三人で暮らすことができて、申請もやっとだけれどできるようになって、昔の私では考えられなかったことだなあと思います。 ―――(内沢達):生活保護行政は以前より改善されてきているとはいえ、やはり恩恵的な考え方が払拭できていなくて、受け手にとって屈辱的なところがたくさんあるんですね。 この間、大変でしたね。でも、miho さんにとって間違いなく前進だと思います。誰だって暮らしがにっちもさっちもいかない大変なときには、権利として、堂々と受けることができるもの、それが生活保護だと思います。 これからも手続き面では嫌な思いをすることがあると思います。そこで、そうしたときは「理想を掲げて妥協する」の精神でやっていきませんか。残念ながら心療内科へも通わないといけないでしょう。でも、そこは「妥協」と考えて、できるだけ負担のないようにやっていきましょう。今の優先順位はお金を、生活保護費をちゃんともらうことです。mihoさんの経済事情を少しでも改善することを優先させて5年、10年単位くらいに考えてゆっくりやっていきましょう。 私、声が出るようになりました! まいちゃん(20歳)とお母さん ―――真衣ちゃんは、先月は「声が出るようになった」というお話をしてもらったんですね。今20歳で、みんなで「おめでとう!」って言ったのね。 真衣さん:ありがとうございます。 高校を中退して、家で休んだ後、大阪にあるアニメの専門学校に行ったんですね。そこを「中退したい」と学校に言ったときに、「これからもそんな風に自分勝手で生きていくつもり」と先生に言われて、電話をかけてきた真衣さんに「そうです。今までもこれからも自分を大切に生きていきたい、と伝えるといいね」とお話しました。 真衣さん:このあいだ、私が学校を辞めたいという気持ちがふくらんで、それと就職の内定をもらった会社に研修の課題を取りに行くのと、あとひとつは学校に辞めることを自分で言いに行きたいからといって、母に大阪まで付いてきてもらったんです。 母と一緒に今から、学校に行こうというとき、元気をもらおうとトモちゃんに電話したんです。 その前に電話で先生とけんかをして、「私は辛いから辞めたいんです」と言ったら、そう言われたんです。でも、私は学校で友達やクラスメートに言われたこととか(涙)、いろんなことが積み重なっていて辛かったんです。 そのことを先生に言ったら、「もし辞めるんだったら、辛いことがあったことを学校がクラスの人に事実を聞いて確認しないといけない」と言ったので、私が「それって、脅しですよね」と言ったら、先生は超焦ってしまって、母に代わってもらい「とりあえず、時間をおいてから伺います」と言ってもらいました。 電話を切った後に、トモちゃんにすがる思いで電話をしたら、「今まで自分の思いを貫いてきたんだから、これからも自信をもって」と言ってくれて、私の辞めたい気持ちは大丈夫なんだって、ちょっとホッとして、母に、「話すときは私が話すから、何も言わないでね」と言って、先生と話しました。 先生と話したんですけど、先生はやっぱり学校の人だから、「辞めるな、いろいろあるけど辞めても辛いのは変わらないよ」と、一通り言ってくれて(笑)、私は「それでも気持ちは変わらないです」と言いました。それが終わった後だからすごく疲れて。 会社は中退でも問題ないからと課題を渡されたんですけど、それが全然できないんですよ。 それで、今までできていた学校に行くことや、人と話をすることとか、楽しんでやっていたことができなくなることは、こんな辛いんだなあということを、また味わって。でも、家族は何も言わないんです。 私が「辞めたいけど、どうすればいいんだろう」と言っても、「やりたいようにすればいい。まだいろいろあるんだから」と言ってくれて、それだけでもありがたいし、先生と喧嘩できたのも、母やトモちゃんやみどりさんやいろんな人に助けられてやっと今生きているなあって気持ちになっていて、すごいうれしいんです。(笑) すごい辛いんですけど、すごいありがたいなあと思います。 ―――中学で学校に行かなかったことも、高校を中退したことも、ちゃんと自分を大切にするためにそうしてきたのね。そのことに自信をもったらいい。これからも自分の気持ちを大切にして生きていくといいですね。 それにしても、高校中退の時あんなに動揺したお母さんが、全然動揺しなかったことがすごいですね。(笑) あなたも離婚するというときも、真衣ちゃんがいろいろ不安になって「お父さんと別れるのは辛い」とか、いろいろあったけれども、ちゃんと自分の気持ちを貫いたんですよね。 母:はい。最近やっとわかってくれました。(笑) 真衣さん:同じ経験して。(大笑) 結婚して子どもを生んでるわけでもないし(笑)、疑似体験じゃないけど、体験コースにしかならないけど。(笑) 母:同じような感じでした。ふたりで共感しあって。(笑) ―――自分の嫌なことを強いられることはとても嫌なことなのよね。(はい) だから我慢しても続かない。人になんと言われようと、自分の気持ちを大事にして生きていくということですね。これからも大いに自信を持っていったらいいよね。 真衣さん:すごい安心なのは、2月までに会社の研修の課題が終わらなかったら、自動的に内定取り消しになるらしいので、すごいホッとしていて。(笑) もし、これが就職したあとだったら、もっとすごい苦しかっただろうなって思います。ちゃんと断わらないとと思っているんだけど、まだしんどいから、2月までぎりぎり引き伸ばして、すると会社の方から断わってくるだろうなって思っています。 ―――2月までの課題というのは、アニメの絵を描くわけなの。 真衣さん:そうです。それがたくさんあるんです。 母:それが出来なかったら、自然に就職取り消しになるので、そのほうが楽になるので、自分から断るのもね。私は首になってもいいと思っています。どうでもいいです。(笑)(―――おお!よかったねえ) 真衣さん:お母さんは、今メチャ楽しそうなので。見てて、「あッ!いいなあ」って。 母:最近、ワクワクするという気持ちがすごく湧いてきて、今54歳なんですけど、自分の人生を振り返って、私は誉められたことがなくてずっと小学校、中学、高校と自信がなかったんです。 で、それが最近わかって、自分で自分を褒めればいいんだと思って(笑)、だから、最近自分を褒めまくっているから、すごく元気が出ているんです。(笑) 離婚できたことも、「ワーオッ!すごい!自分って」と思って、この会にきたから離婚できたんだと思って。 内沢さんが最初「そういう生活してきたら、疲れているのは当たり前よ」と言ってくれたんです。それまで、そんなことを言ってくれる人はいなかったです。だからそれを認めてもらえて、いろんなことがあって自信をつけていって、調停も自分で乗りこえて、「あー、自分ってすごい!」って、最近自分を褒めています。 今、いろんなことに興味が湧いてきて、随筆の通信講座を受けているんです。それで親の会にすごい感謝が湧いて、そのことを「随筆教室」に書いて、題名に「不登校のおかげ」って書いたんです。離婚まで行ったことも、この会のおかげと書いたんです。そしたら、その「不登校のおかげ」という題名は飛躍しすぎと添削してあって。(笑) 次は「不登校のおかげ・パートU」を書こうかなと思っています。(大笑)そういうのにもめげないぞと思って。 ―――いろいろ外出できるようにもなってきたんですね。 そうです。(―――以前は男の人が怖いと言っていましたが、どうですか) そうですね。男の人はまだ苦手ですけど、怖いというのはもうないかもしれないです。だいぶ回復してきています。 ―――よかったですねえ。その話聞いたら、真衣ちゃんのことに対してもそういう風に、ちゃんと「全然不安じゃないよ」って、受け止められることができるようになってきたのね。 中退を言おうと大阪にふたりで泊まったときに、ふたりでいても真衣がすごい不安がっていたんですよ。 だから、ひとりでやっていたら、とんでもないことになっていたかもと思います。 みどりさんから二人で行ったほうがいいよと言われたし、私もひとりでやるのは不安だったし。 だから、先ほどの方の話がよく分かります。お部屋にいるだけで涙が出ていて、学校が怖くて行けなかったですから。 ―――アパートのほうはどうしたんですか。 3月で契約が切れるので、それでもう、途中で解約というのもしんどいし自然に任せます。 ―――あなたのお気持ちが安心がいっぱいになってきましたね。 ですから、真衣ちゃんに「それでOKだよ」と言えるようになってきたのね。大丈夫だよという気持ちがあれば、そこからまた新しい人生が開けていくんですね。 真衣さん:今私はすごく辛いけど、お母さんはこれ以上の辛さを味わった中で「離婚調停」というのをよくしたな、「すげえ!!この人!」って思います。(笑) ―――お母さんは、すばらしい人だなって思ったのね。(はい) 母:あの時は、こういう時にどうして娘は大阪なんかに行ってしまうんだろうと思っていました。本人はすごい苦しくて、鹿児島から出たかった、私たちの離婚を傍で見たくなかったと、そういうことを今度いっぱい話しました。 ―――ほんとに時間が経てば安心が大きくなってちゃんとうまくいくということですね。理解しあえる、それが親子ですよね。とにかくなずなさんが元気になったことが、ほんとにうれしいですね。 親の会に出会って、気持ちがとても楽になりました Yさん(母) ―――仕事を持っていて、今日は休みを取って参加されたのですね。 中3の娘は12月になって「お母さんそろそろ冬休みだから、行こうかな」と言って学校に行ったんですけど、すごく疲れたらしくて、その日1日だけでした。 高校受験をどうするか先生に言われたらしくて、希望校をあわせて3校書いて、その後、先週先生から「私立高校の願書を書かないといけないので取りに来て、書いてきてください」と電話がありました。 それを娘に言うと、すごく機嫌が悪くて、何でこんなに機嫌が悪いんだろうと思ったら、休んでいる間に、ほかの高校に気持ちが変わってしまったらしくて、それを私に言えなくて、暴れてはいなかったんですけど、物を投げたりして変な様子だったんです。 ぎりぎりの火曜日になってようやく「実は、私は先生に言ったところじゃないところに行きたいんだ」と言い出しました。 「そしたらどうする、別に受けなくてもいいんだよ、お母さんが行くわけじゃないんだから、あなたが決めなさい」と言ったら、木曜日の日に、それまで起きれなかったのに起きてきて、「お母さん、私は学校に行って、自分が行きたい高校を書いてくる」と言って、自分で書きに行きお金も払ってきました。 先々週でしたか、「お母さん、私は夜寝れないの、昼間はぐっすり寝れるのに、夜眠れないの」と言ってきたときも、この会で皆さんのお話を聞いていたので、「いいじゃん、夜眠れないんだったら、昼寝たら。お母さんもいないんだから昼ぐっすり寝なさい」と言ったんです。 それがすごくうれしかったらしくて、長女の家に行って「お姉ちゃん、私ね自分で起きたんだよ」と言って、長女から「お母さん、今日は遊びに来てすごく明るかったよ。ずいぶん変わったんじゃない」とメールがきました。 やっぱりここに通ってきて、いろんなことを勉強して、私も気持ちが楽になってきたり、完全に諦めきってはいないのかもしれないけれども、高校は行けなくてもいいや、という気持ちが出てきているのが、娘達にも伝わってきたのかなと思います。 もし冬休みが終わって3学期行けなくなっても、「自分で好きにしなさい」って、言えるような気がします。 ―――今、保健室登校しているんですか。 本人が、保健室に行きたいと言って、週に1,2回ぐらい昼から行っています。塾は火曜日から土曜日まで毎日行っています。 ―――わかりました。高校は、行くと言っても、あなたはあまり期待しなくなったのね。 もう、行っていない姿を見ているから、中学にも行けないのに、希望している公立高校は遠いし、無理かなと思っています。 ―――なるほど、あなたは変わりましたね。 親の会に来てから、気持ちがずいぶん楽になりましたか?(楽になりました) よかったですね。気持ちが楽なるということがなによりですね。(子どもにも言われました) お姉ちゃんにも言われるぐらい、あなたも高校に未練があまりなくなって楽になってよかったですね。 でも、娘さんは、塾に行ってどうしても学校に行かねばならないと思っている。そういう辛さがあるんですね。あなたご自身にそういう不安はないし、学校に行かなくても大丈夫と安心していくようになると、娘さんは必ず安心するでしょうね、どこかの時点でね。 例えば、真衣ちゃんも中学に行かなかったんだけれども、高校には行くと言って家庭教師をつけて(笑)、普通高校に入ったんですね。 真衣さん:7月に辞めました。行かなくなったのは5月の連休の頃でした。 ―――休んでいるのに勝手に応援団にさせられたとか、「あなたは、学校に来なくていいね」と言われたとか、いろいろな理由をつけたけど、結局は行きたくなかったのね。(笑) だから娘さんも高校に行ったとしても行かなくなります。入学金を払うのはもったいないですけれどね。 母:思います。だけど本人が受けたいと言うから、じゃ、やってみれば、と言って。私立も自分で決めて、私の言うことも聞かないんです。 でも、「受けたくなかったら受ける必要はないよ」ということは言いました。 ―――そういうお母さんの意思表示はしておいたらいいですね。 mihoさんの息子さんも、「お母さんがなんと言おうが、どうしても僕は高校に行く」と言って、中学に3学期少し行って、高校に入ったけれども、行きづらい状態を続けたまま12月に辞めたのね。 mihoさん:後で聞いたら、朝いつも吐いていたみたいで、でも行くと言ったので、とりあえず行ったみたいです。 私はその頃は家を出で、離れていたのでわからなかったんですけど、やっぱり無理だったんだなあと思いました。 |
Last updated: 2009.2.19
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