登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島) 登校拒否も引きこもりも明るい話


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体験談

2009年7月発行ニュース
登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)
会報NO.157より

登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)では、
例会の様子をニュース(会報)として、毎月1回発行しています。
その中から4〜5分の1程度をHPに載せています。


体験談(親の会ニュース)目次はこちら




親の会は「私は世界一幸せ」と感じる玉手箱

2009年6月例会報告(抄)



親の会は1989年5月、長谷川登喜子さんが呼びかけて発足しました。21年目になります。美味しいケーキでささやかにお祝いしました。かけがえのない教訓と財産を生み出してきた親の会の20周年を皆さんとお祝いすることができる、うれしいな、と感謝の思いでした。

「私は無信仰ですが、ああ、仏様がいるんだなあ、この子たちをくださったんだと思って。子どもたちが今の私を作ってくれていると思います」・・・2008年1月例会の長谷川登喜子さんのお話です。子どもたちを育てているんじゃなくて、子どもたちに育ててもらっているんだ、ということですね。いい言葉だなあと感動しました。

永田俊子さんはHPに、「そんな私に夫は、いつも心に五寸釘だね〜、そんな物騒なものは捨てなさいよ、と」「でも、そんな思いがいつの間にかなくなっている!これは間違いなく、わくわくの効用です!」「私が明るくなると、息子も元気になりました」と大事なお話でした。

はたちのまいちゃんは「不登校したときのこと、今日話せたよ〜」と笑顔いっぱい。会報をすみからすみまで読んで元気をもらっているというGさん、仕事の上でも、「ために」と「立場」の違いを読んで、いっそう優しくなったと言います。しずりんさんは、「毎回参加して、私の一番の収穫は、自分を大切にするようになったこと」、今はトマト作りに夢中です。森田さんは、今月もご夫婦の楽しみについて話してくれました。Sさんご夫婦も、ふたりで初めてカラオケに行ったとうれしそう。

親の会で、毎回感動できる。毎日わくわくをたくさん見つけて、自分を大切にしていこう、と感じることができる。笑顔がたくさんになると、無条件の愛情が家族みんなに響きあっていくんですね。




目次


1 心に「五寸釘」はいらない   永田さん(母)
2 親の会の考え方、仕事にも活かしています   Gさん(母)
3 私が学校に行かなくなったとき・・・    まいさん
4 ふたりでシニアの青春楽しんでます!   Sさん
5 毎回欠かさず参加、最高の喜びは「自分を一番大切に!」   しずりんさん



心に「五寸釘」はいらない    永田さん(母)



ホームページの掲示板には夜中に眠れなくて書き込みました。今年親の会が20周年とおっしゃいましたが、「ああ、長谷川さんの息子さんが不登校になってくださってよかったな、それがあったから今の親の会があって、私たちも助けられているな」とつくづく思いました。ありがたいことです。今、私もワクワクを見つけながら楽しく暮らしています。


―――
どんなワクワクなの?


そんなに言うほどのワクワクじゃないです。(笑) 例えば朝パートに行くとき、バナナにチョコレートクリームを塗って食べます。とっても美味しくてバナナダイエットどころじゃありません。(笑)
今、更年期で不調なんですが、シナモンシュガーがいいと聞いて、トーストパンにバターをぬって、その上にシナモンシュガーを振りかけて食べると、これも美味しいのです。(笑)


―――
毎日の暮らしにちゃんとワクワクを見つけられて、素敵ですね。「幸せは私の手の中にある」ですね。
あなたのお連れあいさんは、とってもいいことを言われていますね。「心の中の五寸釘を捨てなさい」と。



ふたりで映画も観て楽しんでいます。「60歳のラブレター」も観たし、「グラン・トリノ」も観ました。今日は私たちの結婚記念日です。
(みんなで、おめでとう!) 夫が今日は仕事なので、明日二人でお祝いしようと思っています。
昨日、私はすごく仕事で疲れたので友人とお茶して夕食も食べて7時頃帰ったんです。帰ったら庭のヒトツバの木に虫がいっぱいいて嫌だったんですが、それを夫と息子が見事に切ってくれていました。


―――
すごいワクワクじゃないの!


すごく嬉しかったです。私は「何しているの、あなた達。すごい神々しい姿だよ」と言いました。(笑) 
夫と息子を二人きりにするのは、夫が何か言うんじゃないかと少し心配していたんです。自分はこれまで息子をいっぱい傷つけてきたのに。(笑)
息子は今18歳です。高1の終わりに退学して、もう2年家にいて、めったに外出しません。


―――
最初はあなたはそんな息子さんの態度に耐えられなかったのよね。


はい、そうです。もちろん親の会も知らなかったし。不安で不安で…。
親の会を知って、参加すると安心しても2,3日経つとまた不安がもたげてきて、「親の会ではこの考え方は通用するだろうけど、世間ではきっと通用しないだろう」の繰り返しでした。でも、参加する毎にだんだん自分の心が落ち着いて、明るくなってきたら、息子も元気になり、明るくなりました。


(永田さんの掲示板への投稿)

こんばんは。会報届きました。ありがとうございます。
親の会とつながっているんだと確認できるうれしい瞬間です。
今月の会報の末ページにHP「きらっとひとこと」の「条件付きの愛情はいらない」が載っていましたよね。

親の会と出会ったばかりのころ、不登校の後高校を退学した息子は、心に蓋をして気力も自信もなくし、人間不信でとんがった顔をしていました。
私はそんな息子をどうすることもできずにいました。

そんな時に毎晩「なにもしない我が子が、かわいいと思えますか? 無条件で、我が子を、ただそこにいて息をしている我が子を愛していますか?」というところを読み、「はい、思います。かわいいと思います。」と泣きながら、パソコンに向かって返事をしていたのを思い出しました(笑)

最近、自分の心の変化に気付きました。
私も執念深いタチなんでしょうね。(笑)もう二年も経つというのに、いつまでもいつまでも、息子をつらい目にあわせたいろいろなもの、人たちに対する恨みというものを消すことができないでいたんです。
そんな私に夫は「いつも心に五寸釘だね〜そんな物騒なものは捨てなさいよ」と言っていました。私は「イヤだ。捨てるもんか。あんたらいつかバチが当たるからね。覚えときなさい。」という、きれいじゃないもので心がいっぱいなることがありました。

そんな時は、間違いなく、振りかざした五寸釘で自分の心も傷つけていたんですね。だって、とっても苦しかったですから。

それが最近、そんな感情がほとんどなくなっているんです。自分が苦しいから、憎い憎いと思うのはやめようと思っても、湧き上がってくる感情はどうしようもない・・そうした思いとの戦いだったような気がします。

でも、そんな思いがいつの間にかなくなっている!
これは間違いなく、わくわくの効用です。わくわくってすごいです!


昨日デパートで開催している、アメリカの絵本作家ターシャ・テューダ展に行ってきました。昨年92歳で亡くなったんですが、その暮らしぶりがテレビで紹介され、大反響をよんだ人です。

「人生はあっと言う間よ。愚痴を言ってる暇などないわ。今目の前にあることを楽しまなきゃ」というタ―シャのメッセージが印象的でした。

もうすぐ親の会ですね。また皆様に会えるのが楽しみです。

No.1022 - 2009/06/18(Thu) 04:18:56





親の会の考え方、仕事にも活かしています   Gさん(母)




―――
今は宮崎でご夫婦と兎のレオちゃんと仲良く住んでいらっしゃるんですね。娘さんが高校の時に不登校で閉じこもり、精神薬を飲んだこともありました。
あなたも自分の子育てが悪かったと産婦人科の医者に言われて薬も飲んで、すいぶん辛い苦しい思いをされましたね。何年前でしたか?



そうでしたね。平成16年でしたので、今から5年前の夏に内沢さん宅を夫婦で訪ねました。

娘は高1の時に行けなくなって転校したんですが、そこも2日間しか行けませんでした。
私達は辞めてほしかったんですが、娘は籍だけ置きたいと、休学して1年経って退学しました。それから家でゆっくりと過ごしました。母娘で旅行したり生活を楽しむようになってくると、娘も動き出したように思います。予備校に行って東京の大学を受験し、今3年生です。


―――
今、振り返ってみてどうですか。


親の会でいろんなことを学んできましたが、以前働いていたところに精神科があり、デイサービスに来た患者さんがいろいろ文章を書いていたんです。
30歳代の方が、「自分は神様とか友達、社会に愛されたいわけじゃない。親に愛されたい」を読み、ああ、親に愛されるのが一番なんだなとあらためて思いました。

親の会で言っている、「異常視しない」「腫れもの扱いしない」というこれだけの言葉にたくさんのことが凝縮されているんだなと、すごく涙が出ました。

前回の「ために」と「立場」での話で、看護する上でも患者さんの「ために」ではなく、「立場」に立たなくてはいけないなあと勉強させられています。以前、働いていたときより、自分はやさしくなったんじゃないかと自負しているんです。

今、私は仕事を辞めて新しいところに願書を出しています。いろいろ考えるところがあって助産師として働きたかったんですが、年齢的なものと経歴が足りないということで断られ、本当に私は助産師として働きたいのか、看護師として働きたいのかをずっと考えて、もう一回老人介護で働こうと思って願書を出したところです。

夫は4月から水質調査の仕事に就いて、宮崎県をあちこち回っています。ちょうど私が辞めようかなという時に夫に仕事が見つかりました。
私が悩んでどうしようかと相談したら、夫が「休んだら。僕も休んでいろいろ考えたから休む時期じゃないの」と言ってくれて、すごく助かりました。


――― 
あなたの夫は娘さんの不登校を見て、自分を大事にしようと50歳で会社をお辞めになったんですね。それから5年間ずっと主夫をされてきたのね。
あなたが仕事から帰ってくるとすぐに食事が出されるくらい、食事作りから掃除、洗濯をしていたんでしょう。今は立場が逆転してどうですか?



テレビを見てひっくり返っています。帰ってきてからお米を研ぎます。(笑)


―――
何にも気を使うことはないのね。


そうですね。ケンカばっかりしていて、娘にまたケンカしているのと言われます。
会にはなかなか参加できませんでしたけれど、会報が送られて来ると隅から隅まで読んでいますし、皆さんが今、どうされているんだなと手に取るようにわかります。


―――
あなたは娘さんが不登校になった時、とっても苦しんで、辛かったのね。朝の5時に家を出て、いつまでも帰ってこないのであなたの夫はものすごく心配したということがありましたね。 


川内の川に飛び込もうかなと思ったこともありました。やはり先ほど言われたように自分を責めていましたね。

自分の育て方が悪かったから娘が不登校になったとか、私が夫に優しくしなかったから早期退職してしまうんだとか、義理の父も同じころに認知症になり、全部いっぺんにきて、全て私が悪いと思ってしまったらどうしようもなくなりました。


―――
今はおふたりの実家のある宮崎にお家を建てられてね。


夫の実家とだいぶ離れたところに建てました。(笑)


―――
無理しないで良かったですね。ご夫婦の仲はどうですか。


夫が実家に帰って私一人になるとさびしいなと思いますね。
先日、娘のところに行って来たんですが、部屋がものすごい状態になっていて、本当は片付けてはいけないんでしょうが、座るところがないくらいだったので片付けました。

最初の頃は、レポートが書けない、辞めたい、帰りたい、とかいろいろ言ってきていました。「じゃあ、帰れば」と言って、「お母さんもこの間勤めたところを2日で辞めたから」と言ったら、驚いて「早すぎるよ」と言われて。「あんたも高校を2日で行かなくなったじゃん」と言って。(笑) 娘が「そうだったっけ」って。(笑)


―――
いろんなところで無理をすると自分を責めていくし、いいことはないんですね。仕事の上でも全てにおいても、その人の立場に立って考えるというのは大事なことですね。会報を読んで大事なことを発見して、本当に嬉しいです。





私が学校に行かなくなったとき・・・
    まいさん



―――
はたちのまいちゃんは、中学のときに行かなくなったんですね。初めてこられた方のために、その時のことをお話してください。


中学1年の秋に行かなくなって、それからずっと行かないままで、中学3年になってから行きだして、高校に入学したんですけど、その高校も7月に辞めました。


―――
中1のときに、行かなくなったときのことを覚えていますか。


いじめにあいました。でも何されたか覚えていなくて、今皆さんの話を聞いていたら、ちょっと断片的に思い出したりしてきて、そしたら涙が出てきて、私はその時のことを、自分でどういう風に受けとめていいか分かっていないんだと思って、ここで話したいなあと思いました。(涙)


―――
いちばん辛い時のことって、人間は自分を守ろうとする本能があるから、忘れるという大事なことをしてくれるんだよね。でも嫌な思いは残っているのよね。(はい) 
学校に行かない時、お母さんはどんな感じだったの。


お母さんは、私が寝るときにずっと傍にいて手を握って寝てくれていました。(涙)(―――
良かったね) はい、すごい安心できたというのを覚えています。
精神科の病院にも行ったりしました。薬を飲んだら眠れると言われたけど、別にそんなことしなくても、お母さんが「眠れるよ」と言ったほうが眠れるし(笑)、 薬を飲んだらすごい肥るし、10キロぐらい肥りました。そして、体がだるくなってくるし、私はそんなことが嫌だから飲むのを止めました。


―――
中学のときに、学校に行かない私はダメな子だと自分を責めたりしましたか。


私が行かなくなってから、多分その前からも夫婦喧嘩はあったんだけど、それとお父さんがお兄ちゃんへ暴力を振るったりすることがあったんだけど・・・


―――
今、お父さんとお母さんは、離婚して別々に暮らしていらっしゃるのよね。


そういうことも全部自分のせいだと思っていました。(涙)
その時のお母さんは「行け」って言うよりは、「どうしたらいいんだろう」という感じでした。
先生は「学校に来い」としか言わないし、友達のお母さんは「行ったほうがいいよ」と分からないで言うし、でも、友達のお母さんなりに心配はしてくれていたし。

私は今想い出そうとしても「辛い」という感情だけで、何も覚えていないです。何があったかなと言うと、喧嘩と学校からの電話と、後はパソコンしていた私とを想い出すだけで、あとは寝ていました。


―――
そして、HPを発見したんですね。


お母さんが、探してきてくれて(―――
あのときに、私が「リビングかごしま」に写真つきで出たのね)。それは私は今でも覚えています。きれいな緑色の植物と一緒に写っていて、今もとってあります。(笑)

お母さんはパソコンが出来ないから、「親の会をいれてくれる」と言って、すると親の会鹿児島のHPがあって、お母さんが先に見ていて、私に「これをみてごらん」と言ってくれて、HPを見ていたら、今まで聞いたことのないような言葉がどんどん書いてあって、「え〜ッ」と涙がどんどん出てきちゃいました。

何を思ったのか覚えていないけど、その場面は覚えていて、すごいうれしかったです。
(―――
救われたと思ったの) はい。それはいつなんだっけ。(笑)


(母):それは中学2年の時でした。
学校に行ける日が少なくて、どうしたらいいだろうと不安でいっぱいでした。
ちょうど、霧島で親の会の全国合宿(2002年)があったときで、新聞やリビングかごしまにそのことが出て、行ってみたいなと思っていました。

親の会は中学3年の12月ぐらいに申し込んだのかな、木藤さんに電話をし、2月から参加しました。
その時は、不安で毎日HPを隅々まで読んでいました。そしたら、すごく安心してきました。
実は私も娘の薬の残りを飲んでいて(笑)、私は、ストレスがあると太るタイプで、どんどん太ってきていたんです。


―――
あなたは、その時、夫との関係ですごいストレスだったから不安も倍加されて、親の会のHPを眺めるだけでも安心されたのね。


そうですね。毎日一回は読まないと眠れないという感じでしたね。
私が安心したら、娘も笑顔が出てきて、あのHPの効果はすごいなと思いました。読んだら安心してきて、べつに精神科なんて行かなくてもいいなと思うようになりました。

でも、心から学校に行かなくていいと分かるまでは、結構時間がかかったような気がします。毎月親の会に来て安心していきました。
だけど、娘が高校に受かった時はこのまま行ってくれればいいなと思ってしまいました。(笑)

中3のときは1年間頑張って行ったので、多分無理していたと思います。家庭教師も頼んで高校に合格したんだけど、やっぱり疲れて、高校を7月で辞めました。


―――
担任もいい先生で、8月、9月までいると授業料もかかるから、7月でいいんじゃないかと言ってくれたんですね。(笑)


はい、そういう心使いに、気持ちが楽になりました。高校を辞める時も、親子でバトルがあったんです。(笑)

まいさん:ふたりとも煮え切らない気持ちのまま、パソコンに熱中している振りをしたり、お母さんは私の周りでそわそわ動き回っていて(笑)。 何か言いたそうと思ったら、「あのサー、やっぱり、退学じゃなくて留年とかいろいろあるじゃない、もうちょっと考えて」と言い出して、私もそう思っていたから、お互い不安で、朋ちゃんに電話したら「大丈夫だよ」と言っていただいて、翌日、朋ちゃんの家に行って高校に送ってもらい退学しました。


―――
その前から、母娘とも「もう高校はいい」と気持ちはふっ切れていたんですよね。
そのあと家でゆっくり休んで、大阪のアニメの専門学校に2年間行って卒業はしたけれども、就職の内定を断って、今、まいちゃんは家でゆっくりしているのね。
(はい) 「毎日幸せだな」と思う気持でいるのね。


そうですね。今、気持ちがやっと回復したのかなと思って。それまでは元気な振りをして、自分の気持ちに無理をしていたと思います。
それでちょっと落ち着いてから考えようと思っていたんだけど、だいぶ時間が経ってきて、気持ちの上でもその時のことを無理しないで思い出せるようになってきたんです。もうあんまり覚えていないんですけどね。(涙声)

お父さんは「他の学校に転校したら」って、ずっと言っていて、お母さんの話を何も聞こうとしなくて、今までずっとそうだったから。それまでお父さんが家で天下とっていて(笑)、それが、私は何をしたいと、ずっとお父さんに言えなかったなあと思いました。

この間、従兄弟の結婚式に出ないかとお父さんに誘われたんです。最初、私は「何を着ていったらいいの?」と言ったんだけど、私が言いたいのは絶対そういうことじゃないと思っているけど、どうにかして紛らわそうとして、「何を話したいのかな、何を言ったらいいのかな」と別のことばかり言っていて、でもそうじゃなくて、「私は、行きたくないんだ」と思って、お母さんに相談したら「行きたくないところには、行かないほうがいいよ」と言われて、「あっ、そうだ」と思いました。

私は、お父さんに対して断るのがすごい怖いから、それが断れてよかったなあと、今は思います。


―――
怖い苦手なお父さんにも、自分の気持ちが言えるようになったのね。(ほんのちょっと!)(笑) まいちゃんの、毎月のお話を聞いていると、「今の自分をほんとに心から大事にしたいなー」というのが分かるのね。

すごいよねー。なんでもない毎日に、これがほんとの幸せなんだなーと思える。朝カーテンを開けたら「あー、朝が来てしあわせだなー」と思えるとかね。あなたを長いこと見ていると、あせった時期や辛い時期もあったけれど、でも今そういう体験があったから、家族への想い自分への想いをちゃんと育んできて、自分を大切に、毎日を大切に生きているなあと思うのよ。

そして、お母さんも、まいちゃんが就職の内定を断っても、全然なんとも思わなくなっている。すごいじゃないですか。お母さんは、毎月親の会に来て、いつも涙、涙でしたものね。
(そうでしたね) でもちゃんと離婚されて、今、ほんとに自分らしく生きておられるんですよね。


(母):今は疲れがきたみたいで、50肩とか(笑)、急にガタが来たみたいです。体が調子が悪いと、心まで低空飛行なんです。

まいさん:今、ふたりとも整骨院に通っているんですよ(大笑)。 私も体が歪んでいると言われたんです。私は体のこととか全然気にしたことがなかったんです。(―――
はたちのまいちゃんだから)(笑) 足とかキコキコいうんです。


―――
お兄ちゃんとも仲がいいのよね。


はい。この前、ふたりで映画に行ってきました。「ターミネーター」でしたが、私は大きな音が苦手で、怖くて耳をふさいでいました。(笑)


―――
まいちゃんは、中学のとき学校に行かなくなった時、自分のことを嫌いでしたか。


嫌いでした。(―――
今はどうですか?) 今は…、なんとも思っていないし(笑)、好きな時もあるし、嫌いな時もあります。(―――大好きじゃないの?) えー、別に湧き出てきません。(笑)


―――
でも、真衣ちゃんはワクワクすることをたくさん発見しているのよね。


(母):今、お花を育てるのが楽しみで、ね! (まいさん:うん。そうそう)
家族みんなで「今日は、ミニひまわりが咲いたね」と言いあって、数が増えてきて楽しいです。


―――
お母さんもワクワクすることがいっぱい増えてきたのよね。(はい)
昔のことを知っている私にとってみれば、考えられないですね。素晴らしいですね。 
だから、学校に行かない子がいても、大丈夫だよってことですね。



まいさん:それはほんとに心から言いたいです(笑)。ほんとに大丈夫ですから(笑)。


―――
引きこもっていることもあったけれど、だけど、それも、心から大丈夫だよということよね。





ふたりでシニアの青春楽しんでます!    Sさん




―――
Sさんは、ことし3月に退職されて、長い間のお勤めごくろうさまでございました。そして4月1日から、陸上グラウンドの管理のお仕事をしておられるのね。だいぶ陽に焼けましたね。


(父):全く違った外回りの仕事です。(―――
休日はヨットに乗っているから、アウトドア専門になりましたね)(笑)


―――今
年29歳になった息子さんが、中学3年の3学期から学校に行かなくなって、いろいろ暴力もあったと思うんですが、その時はすごく怖かったし辛かったですね。


そうですね。辛くて怖くて、親の会でいろいろ「こうしなさい、ああしなさい」と言われるんだけど、反発が怖くてなかなか子どもに言えなかったですね。


―――
親の会で「こうしなさい」と言われ、「はい、はい」と聞いていても、心の中ではとても出来ないと思う自分がいる訳ですよね。(そうですね) そうすると、そのギャップで、親の会に来ても、また言われるなと思って、足が重くなることはありませんでしたか。


それはありました。(笑) 
けれど、親の会に参加し続けていくうちに、結局は自分が何かやらなければならないんじゃないかと、少しずつ考えが変わってくるというか勇気が出てくるというか、それでやっていこうと。 


―――
親の会に参加していると勇気が出てきましたか。


最初はなかなか実行は出来ないんですけど、最終的には、「これは言わなければ解決出来ないな」と思いました。しかし、それもむしろ妻から言われて、なかなか自分では言えない、そういうじれったさというのはありました。

ほんとに子どもが荒れたのは、高校の2年ぐらいまでは友達が遊びに来ていて、その子どもたちが3年になって「自分達は大学受験があるから、これからは来れない」と息子に言って、それから息子が意識しだして、「みんなはこうやっているのに、自分は行けないんだ」と、いう時期から息子は変わってきて荒れてきました。

それから息子は友達と一緒にするために、いろんなことをどんどん要求してきました。それがバイクであったり、専門学校であったり、通信制高校、大検といろんな要求を次々にしてきました。結果的には、親が手を貸すということは子どもを苦しめているということが分かりましたね。


―――
でも、言いなりにならざるを得ないということは、自分の問題だと


そうですね。それは自分の問題であって、子どもを信頼し切れなかったというところがあったと思います。


―――
振り返ってみて、ご夫婦で励ましあってやってきたというのは、ほんとに財産ですね。  


そうですね。今は息子の給料から逆に食事代を出してもらったり、ガソリン代を出してもらったりしています。(笑)(―――
お父さんは、収入が半減したからと)(笑)

(母):さきほども電話がありました。息子は母親の私が出ると、まず、「お父さんいる?」と言うんです。今日の夕方また帰ってくるという電話でした。息子は難しい話はどちらかというと夫とするようになってきています。


―――
いろいろ荒れたり、時には暴力があったりしたことで、心にしこりが残っていますか。


(父):ないです。不思議なことにないです。
(母):今はないですね。


―――
それが親子ですよねー。素晴らしいね。いっぺんにわかりあえる、信頼しあえる、理屈じゃないんですね。


(母):今となれば、いい思い出というと変だけれども、あれもあったな、これもあったなと。たぶん、もうちょっとしたら「あんなことがあったよね、あの時はどんな気持ちだったの」と子どもと語れるんじゃないかなと思います。


―――
そうね。今はふたりでヨットに乗ったりして楽しまれているんでしょう。


(母):カラオケにも初めて行きました。(笑) 私の声が、以前に比べたら高い声が出なくなってしまったから、発生練習のために行ったんです。そしたら、選ぶ曲が全部低い曲ばかりだったんです。(笑)

(父):そんなには行かないですけど、好きなことは好きですね。積極的に歌うというわけじゃないですけど、そういう場は好きです。


―――
とっても意外でした。静かなおふたりというイメージでしたから。(笑)
昔、Sさん(父)が「とても辛いんだ」と、電話で話されたときのことを覚えています。ほんとに辛くてたまらなかったんだろうなと思います。

でも、私は、それをよくご夫婦で受けとめて頑張ってこられたなと感動しています。こうやっておふたりが人間として息子さんに育ててもらったんだなと、思います。ぜひこれからも、おふたりでシニアの青春を楽しんでくださいね。





毎回欠かさず参加、最高の喜びは「自分を一番大切に!」


しずりんさん




今、19歳の息子が中2のときに学校に行かなくなって、最初ピアノの先生に相談したら、この会の10周年記念誌を薦めてくださって、後ろに書いてあった番号に電話をかけたんです。それで私は4年前の6月に初めて参加しました。

その時は皆さんのお話を聞くだけでした。2回目に参加した時にSさんが5年ぶりにいらしていて、「続けて来たらいいよ」と言われて、私はそれを信じて来ました。(大笑)


―――
そう言うSさん5年間お休みしていたのだから、おかしいよね。


最初は、私も学校信仰が捨てきれず、皆さんの言っていることがわからなくて、私にとっては深刻な悩みなのに、なんで皆さんこんなに笑えるんだろうかと不思議でなりませんでした。(笑)

一番よかったのは、悩んでいるのは私ひとりだけなんだと思っていましたが、ここに来たら、仲間がいっぱいいる、私ひとりじゃなかったんだと、それが一番うれしかったです。 
毎回欠かさず参加し続けてきている中で、私が一番の最高の喜びは、それまで行きたくない夫の実家に我慢して行っていたことを、自分の正直な気持ちを言ってみようかなと思って夫に言ったら、それを夫が「いいよ」と、受入れてくれたことですね。

その頃、私の頭の中は息子のことでいっぱいで、自分のことは考えられなかったんですけど、だんだんと私がこの会に参加して、皆さんの話を聞いて、自分を大切にすることが一番なんだなと気がつきました。

私は学校に行くというひとつの考え方しかなかったんだなと思いました。ここに来たら、いろんな考えがあって、今思えば、息子がスムーズに学校に行っていたら、この会に縁はない訳だし、会でいろんなことを学んで、「子どものためじゃなくて、子どもの立場に立ってすることがいい」と学んで、それが一番いいと思うようになりました。


―――
あなたが先月の会で、息子さんに「誕生日おめでとう。あなたのおかげでお母さんは親の会を知ることが出来てうれしい。そして、今までしたことをごめんね」と、ビートたけしの詩を添えてお手紙を書いたというお話がありましたね。とても感動しました。
「今までしたこと」とはどんなことですか。



あの頃は、学校に行かせたくて毎日寝るときは「一日も早く学校に行きますように」と祈っていました。それしか頭になかったんです。(笑)

息子は朝になると「頭が痛い、お腹が痛い」と言うので、私は毎週のように小児科に連れて行きました。小児科で脳波を取ったほうがいいと言われ、市立病院に行って脳波をとって、「何も異常はありません」と言われました。

息子は嫌だったんでしょうけど、私は「お母さんがお父さんに怒られるから行って」というような言い方をして、息子を振り回して連れて行ったんですよね。
私は学校に行かない息子は頭のどこかが悪くてそんなになるんだろうかと、病気なんだろうと思っていました。

その頃、新聞に不登校という記事が載ると気になって、「不登校の人が心療内科に行って、行けるようになりました」と載っていると、そこに行ったり、でも、息子に「こういうところがあるよ」と言っても、「僕は不登校なんかじゃない、僕は行かない」と言ったんです。

今考えると連れて行かなくて良かったな、私はいつもひとりで行って私がいろんなことをして、行っても効果がないというか、それよりも名前が悪い、育て方が悪い、私が悪いと言われましたね。(笑)


―――
自分を責めていたんですね。


そうです。だから、最初子どものことは頭にあったんだけど、子どものことより自分が苦しかった、世間が気になって「うちの子は行っていない、何で?」と思ってしまって。だから、今思えば、自分が一番不安だったんだなと分かるんです。

私はこの会に参加するようになって「こんな考えもあるんだよ」と、夫に記念誌を読んでもらいました。そしたら夫も何も言わなくなりました。

今の私の一番のワクワクはトマトを育てることです。ひとポット10円というのがあって、すごくしんなりしていたけど、「私だったら生きかえらせてあげる!」(笑)と、一緒に大きな鉢も買ってきました。桃太郎トマトなんです。1個なれば元は取れると思って3ポット買ってきました。(大笑)

育て方を習って、DVD付の本も買ってきて、今それを育てるのがすごい楽しみです。息子がトマト大好きなのでよかったと思い、トマトの成長がすごい楽しみです。ワクワクいっぱいです。(笑)

今日は、息子も友達と約束したからと一緒に街に出てきました。同級生は就職したりいろいろなんだけど、友達にとっては息子がいつも家にいるのが分かっているので、平日休みの子が遊びに来たり、癒しの場所なのかなと思っています。
息子はゲームをしたり、週末は友達と連絡を取り合って出かけています。


―――
息子さんが、家にいることは何にも思わなくなったのね。


息子は二階にいるので、何しているかなというぐらいで、私は好きなことをして自分のことが楽しいので気にならないですね。


―――
息子さんへお誕生日の手紙を出した時、息子さんは「ありがとう」と言ってくれたんですね。何よりでしたね。


何よりですね。私はその手紙をチリ箱に捨てているんだろうかと思って(笑)、いない時に引き出しを見てみたら、あったので「ああ、良かった」と思いました。(大笑)



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