TOPページ→ 体験談目次 → 体験談 2010年2月発行ニュースより
自分を一番大切にしていくのが解決の道 2010年1月例会報告(抄) 今月も親の会の3原則「異常視しない」「言いなりにならない」「腫れ物扱いしない」が大きなテーマでした。Kさんは、親の会に欠かさず参加して「いまのやり方(言いなりになっていること)はある意味で楽なんだけど、(かえって)娘の足をひっぱっていることなんだと思えてきた」と言います。 Sさんは、「大変だったけどふんばって、子どもを信頼して言いなりにならないようになってから好転してきた」、重則さんも「息子と自然に話せるようになるまで4、5年かかった」「家族いっしょに暮らせる幸せはどこかで踏ん切りが必要」とKさんにエールを送ります。 Sさんはまた、M子さんの娘さんの賀状の内容を聞いて、「優しさがひしひしと伝わってきて涙が。子どもは親が思う以上に親のことを思っていてくれている」と15年間をふりかえります。娘さんの強迫行動の辛さを話すM子さんも、わが子の優しさを感じて嬉しそうでした。 HTさんの息子さんの高校受験の話も、「親は何もしない」ということが大事なテーマでした。 TSさんの「およめさん」の話から、木藤厚子さんやしずりんさんの「自分を一番大切に」した話。良治さんの結婚のこともまさに同じテーマですね。 親の会に参加するといい話がいっぱい聞けて、みなさん元気になってきます。みきこさんの娘さんは初参加。「しんみりとした会を想像していたので驚き」「明るい雰囲気にみなさんの笑顔」「楽しかった?!」そうです。 HMさんも、ちなちゃんも「平日に遊びにいけるからいいよね」と楽しそう。みきこさんの「正月ひとりで故郷へ帰った」話や、mihoさんの「今が一番幸せ」という笑顔も、ほんとうに輝いていましたね。 子どものことで親は余計なことをしない。自分を一番大切にしていくのが解決の道です。これからも毎月の例会でいっぱい交流していきましょう。 目次 1 自分自身のかけがえのない友になる 内沢 達 2 自分を大切にすると相手も大切にできる A子さん 3 「いいお嫁さん」をやめたら、とても気持ちが楽! しずりんさん 4 親の会、楽しかった! みきこさん and 娘さん 5 私の母は会報が楽しみ・・・ 永田さん 自分自身のかけがえのない友になる (アラン『幸福論』から) 内沢 達 アランの『幸福論』(岩波文庫)のなかから僕がとくに気に入った文章を抜粋したものが別紙プリント・全8ページです。最後のページに、先月の例会で紹介した「われわれが自分を愛する人たちのためになすことができる最善のことは、自分が幸福になることである」があります。アランの『幸福論』を読んで、僕たちがこの会で言ったり、考え方を共有しあったりしてきたことととてもよく似たことが書かれているな〜と思いました。 たとえば、僕らの会でいう「二人の自分」にかかわることです。こう思う自分もいれば、こう思わない自分もいる。こうしたいな〜と思っていても、実際にはその反対のことをやってしまう。自分はいつもこう考えこう行動しているとは決まっていない。そうではない「もう一人」の自分もいます。その「二人の自分」の間で揺れ動き、ときに悩んだりもするけど、両方とも「自分」に違いがない、「自分」に変わりないのだから、その「二人」とも大事にしていこうと僕らの会ではやってきました。 このことに大いに関係しています。アランはとても上手く表現してくれています。 もし君に友人がいたら、そして友人が何事につけてもつらそうに不満をいっていたら、君はおそらく、彼をなだめようとし、世界をもう一つの見方でとらえる方法を教えようとするだろう。では、どうして君は、自分自身に対してもかけがえのない友となってやらないのか。もちろん、ぼくは真面目に言っている。もう少し自分を好きになってやったら、自分と仲良くしてやったらどうか、と。(中略)問題は自分のために弁護してやることであって、自分をなじることではない。 僕らは、近くの友だちが困って悩んでいたら、「大丈夫だよ。違った見方もできるよ」と言って励ましてあげられるのに、自分自身に対してはそれがなかなかできないということが少なくありません。アランはそうしたことについて、「自分自身に対してもかけがえのない友となって」あげるというようにわかりやすく課題を提示しています。「自分に親切であること、自分の友人となることを学ばねばならない」も同じ趣旨です。 他人に対してだけでなく、自分自身にも「親切」であること。僕らの会は「自分を一番大事にする」考え方でやってきましたから、親切が大事なのも、一番は自分自身に対してと言っていいと思います。 次です。 人間には自分自身以外に敵はほとんどいないものである。最大の敵はつねに自分自身である。判断を誤ったり、むだな心配をしたり、絶望したり、意気沮喪するようなことばを自分に聞かせたりすることによって、最大の敵となるのだ。 自分自身以外に敵はほとんどいない。「ほとんど」ですから、自分のまわりに敵が皆無というわけではないでしょう。ときにおかしなやつや悪いやつもいることでしょう。まれであっても僕らを狙っているやつがいるかもしれません。でも、ほとんどいないと言っていい。 「最大の敵はつねに自分自身」です。 自分を一番苦しめるのは他ならぬ自分自身です。表現が「敵」とは少々きつく穏当ではありませんが、さきの話ともつながって、「あ〜、自分が自分自身の敵になってはいけないんだ」と気づきを促してくれるのではないでしょうか。 僕らの会では4年ほど前から、「解決の道は自分の中にある」という短いフレーズをよく使うようになりました。まわりの状況がどれほど大変そうにみえても、困難はまわりや自分の外にあるわけではありません。まわりを否定的にしか見られない、またまわりとの自然なかかわり方がわからなくなっている自分自身にこそ困難はあります。 まわりを変えようとしても、まわりは簡単に変わるものではありません。でも、自分自身のことだったら、自分が主人公ですから、変えようと思ったら変えていくことができます。 まわりのことを「息子がこうだ。娘がこうだ。親・兄弟がこうだ」と嘆かない。それはほとんど見方の問題にすぎませんから、自分の見方をほんの少し変えるだけで、相手の状況も肯定的に受けとめられるようになります。 それは、もちろん相手の「言いなり」になることではありません。僕らは自分のことに一生懸命になる。自分を一番大切にしていくのが解決の道です。 僕らが悩んでいるときは必ずといってもいいほどに自分自身のありようについてです。 ほとんどの場合、他者が敵なのではない。自分自身が敵になっている。そうならないように、自分に親切にしてあげよう、自分自身のかけがえのない友となってあげようということです。 もうひとつ紹介します。 怒りは、もしも煽り立てようものなら、恐ろしいものだが、もし怒りの進展を眺めているなら、怒りはじつに滑稽である。それと同じように、幸福は些細なことによっているものである。もちろん幸福はまた、重大な理由にも依るものではあるが、そのことは、もしもぼくが「幸福概論」のような書物を書いていたら、語っていただろうし、説き明かしてもいただろう。が、しかし、ぼくはそれをしなかった。 家族のなかでもありますが、人間社会のなかで他者に向けられる感情でさけられないもののひとつが「怒り」です。これは煽り立てさえしなければ、恐ろしいものではなく「滑稽」なものだといった受けとめ方ができるようになりたいですね。 ここの引用で一番注目してほしいのが、「幸福は些細なことによっている」です。 この会では、内沢朋子が「豆もやし幸福説」を度々主張しています。本人によると、ただのもやしではないスーパー・タイヨーで売っている「豆もやし」が飛び切り美味しい! トモちゃんは、調理前にこの豆もやしのヒゲをとっているときに最高の幸せを感じるというのです。僕はそばでヒゲをとらされているので幸せは感じませんけど(笑)。 でも、幸せって、そのような日常のありふれたことだと思います。そうした些細なことを喜べることだと思います。 それが若い人だと、めざす高校や大学に合格したとか、いいところに就職できたとか、いい人とめぐりあって結婚したとか、人生の節目と言われるようなところに目が行きがちですが、その場合でも一番大事なことは、やっぱり日々の生活のありようではないでしょうか。 学生生活は充実しているか、仕事はやりがいのあるものか、それが生活の手段だけだとしても余暇などは楽しんでいるか、結婚後の二人の生活はどうか、といったことだと思います。 いま、現在をしっかり生きる。毎日、人生を楽しむ。未来はその積み重ねでやってきます。そうだとすると、若い人が幸せを感じるのもやっぱり日常の些細なことではないでしょうか。 もし、なにか目標が達成されなければ幸福とは言えないといった考えならば、毎日は目標実現のための手段でしかなく、その日その日を心から楽しむことなど到底できないでしょう。 家族や友人との、また自分ひとりの何気ない日常に、幸福がいっぱいあります。別のところでアランが言うように「人生には生き生きした、しかも一銭もかからない楽しみがいっぱいある。でも、人はそれを十分に楽しんでいない」。僕らの会が、ワクワクを大事にするのも、同じ理由からです。 アランは「自分のなかに幸福があったのに、今まで全然手をつけることがなかったのだ」とも言っています。幸福は手の届かない遠いところにあるものではなく、誰もが手をちょっと伸ばすだけで十分に届くすぐ近くに、というよりもいま、現在の自分のなかにあるものだと言ってよいと思います。 さて、先ほどの「すべてのものがわれわれには障害である」ということの意味について。これは岩波文庫の訳ですが、集英社文庫では同じ箇所が「すべてが私たちの意に反している」となっています。「障害」の言葉が使われていないので、かえって障害とはどういうものなのか、考えやすくなると思います。岩波文庫の訳を続きも含めて紹介します。 すべてのものがわれわれには障害である。もっと正確にいえば、すべてのものは無関心であり、何のかかわりもないのだ。 大地の表面は人間の営みがなければ藪と疫病になる。敵でもないが、味方でもないのだ。人間の味方をしてくれるのは人間の営みだけである。 すべてのものが障害で、正確にはわれわれとは無関係、何のかかわりもない。 その昔、40年以上も前ですが佐良直美の「世界は二人のために」という歌が大ヒットしました(1967年)。歌い継がれているので、この歌を知っているからといってお年というわけではありません(笑)。この歌は歌謡曲ですし、幸せな二人がそう思うというかそう思いたいのはもちろん結構で喜ばしいことです。 でも、世界はもともと二人と関係なく存在しています。地球46億年の歴史がそうですし、人間社会も身近なこの鴨池地域だって、われわれと基本的には無関係です。この鴨池公民館も、僕らの会が毎月利用する・しないに関係なく、少なくとも相当にしばらくは存続していくことでしょう。 では、無関心でなんのかかわりもないということで、自然であれ人間社会であれ、世界はわれわれを冷たく突き放しているのでしょうか。そんなことはありません。自然は花鳥風月を通してわれわれをいっぱい楽しませてくれるし、人間社会も僕らが自分の人生を主人公として生きようとすることを基本的には妨害していません。 アランは「人はよく、世の中はまちがっているという。そう考えるのが、ほんとうはまちがっているのだ」と言っています。確かに「世の中はまちがっている」ということがたくさんあるでしょう。でも、そう考えそう言うだけで終っていたら、それこそ大きな間違いではないでしょうか。 僕らの会では、板倉聖宣さんの発想法のひとつ「どちらに転んでもシメタ」を度々活用してきましたが、アランも「どんな道もいい道なのだ」「悪い運命などない」「どんな運命もそれをよいものにしようと欲するならば、よい運命となるのだ」と言っています。他でもない自分の人生です。自分にとって大事なことには主体的にかかわっていく。そうすれば「どんな道もいい道」にすることが十分に可能なのだということでしょう。 ところで、それはまわりのことは「なんとでもなる」ことを意味しません。意味しないどころか、むしろまわりは「なんとでもならない」と言わねばなりません。それが、「すべてのものがわれわれには障害である」ということです。集英社文庫の訳のように「すべてがわたしたちの意に反している」というか、僕の理解では「すべてが私たちの意のままにはならない」ということです。障害のある人がそれゆえ「意のままにならない」というだけでなく、誰にとってもまわりは「すべてのものが障害」で「意のままにならない」ものではないでしょうか。 そう考えたとき、障害やハンディのある人もない人もベースは同じということにならないでしょうか。目が不自由でなくても、見ようとしなければ見えません。「心ここにあらざれば視れども見えず、聴けども聞こえず」です。コミュニケーションは、知的障害がある人だけでなく、ない人でも容易なことではありません。「そのくらいのことは、わかってくれて当然!」とならないことが少なくないのです。それは「すべてのものがわれわれには障害である」からです。すべてが私たちの意のままにはならないからです。 もちろん、障害がある人の「障害」と健常者のそれを同一には考えられません。障害があるがゆえのコミュニケーションの難しさは、ない人とは比べようもないほどかもしれません。でも、その難しさをどのように補いあってコミュニケーションをとっているか、同じ人間としての営みですから、健常者も学ぶべきものがそこにたくさんあるように思います。 以前から「ノーマライゼーション」といって、「障害者を排除するのではなく、障害を持っていても健常者と同じように当たり前に生活できるような社会こそがノーマルである」といった考えのもと、そうした社会の実現をめざす取り組みがあります。僕の理解では、障害者だけでなく健常者も、誰もがみんな「そのままの自分」で暮らしていける社会こそノーマルな社会ではないかということです。各人のありようはそのすべてに価値があり、他に害をおよぼさない「そのまま」はすべて認められてしかるべきです。 そこでKNさんだけでなく、障害のある子どもさんがいらっしゃるご家庭では、親子や子ども同士の「そのまま」がどのようなものか、そうしたお話も遠慮なくしていただきたいと思います。「人の話しは我が話、我が話はみんなの話」。僕らは、その話からもいっぱい学んでいきたいと思っていますので、よろしくお願いします。 自分を大切にすると相手も大切にできる A子さん (「いいお嫁さんでいることが辛い・・・」と述べた方に) ―――A子さんのお姑さんは、毎年年末から5ヶ月近くも福岡からやってきていました。だいたい今頃の時期は、毎年A子さんのイライラがたまる頃でしたよ。でも今はお正月だけで、すぐ帰るように変わりました。どうしてそうなったのでしょう。 夫は3人姉弟の長男で、姉と弟は遠方に住んでいます。 結婚して3年目に舅が亡くなりました。60歳の姑が福岡に一人残され、長い看病生活の後で体調を崩してしまい、食事もとれなくなったので鹿児島に連れてきて半年くらい一緒に暮らしました。そのとき私は30歳、子どもが3歳と2歳でした。 それから毎年、年末から春先まで一緒に暮らすようになりました。それが17,8年間も続いて、私は50歳近くになっていたんです。(笑) 当時姑は茶碗ひとつ下げないし、掃除も洗濯も全くしませんでした。 私は姑を気遣って家事一切を頑張ってしていました。 そのうち3歳の子も分かるようになって、「僕たちもお手伝いしてるんだから、お祖母ちゃんもしたら」と言って、「まあ、こんな小さい子がこんなこと言うなんて、きっと嫁が言わせているんだろう」というようなこともありました。(大笑) 生活も私たち家族を中心としたものではなく、食事の内容やTVなど、どうしてもお祖母ちゃんに合わせていく生活となっていました。私も疲れたからとソファーに寝そべっているわけにもいかず、子どもを甘やかしていると言われたり、狭い家の中でいろいろあって私の気持ちはいらだっていきました。 私たちは仲のいい夫婦なのに、姑のことでケンカになって、夫は帰宅するとまず一番に私の機嫌が悪くないかと気遣います。3月頃になると帰り支度を始めるんですが、帰るまでに1ヶ月くらいかかりました。そんな生活が毎年続くと、私たち夫婦のなかでもだんだんそのことが負担になってきました。 2002年霧島であった「登校拒否を考える会ネットワーク・夏の全国合宿」の後、姑は病気になって鹿児島の病院に3ヶ月間入院しました。 もうひとり暮らしは無理なのではないかといろいろ考えましたが、私達の生活を一番に考えて、夫は「もう一人の生活は無理だろう。だけど一緒には住めないよ、今後はグループホームなどで生活したほうが安心だから」と率直に言いました。そして鹿児島の施設を一緒に見学に行きました。姑はそのとき息子家族との同居は出来ない、とわかったようで、「もう一度福岡でひとりの生活をやってみて、それがダメだったら施設も考える」と、ヘルパーの援助をつけることを条件に一人暮らしをまたはじめました。 今は週4日、ヘルパーさんを頼んでいます。最初は他人が入ることを嫌がっていましたが、今はペルパーさんが来る前に台所を片付けておかないといけないし、お茶の準備もしないといけないから忙しいよ、と言って、今はすっかりその生活に慣れたようです。(笑) それからは、年末年始は当時福岡で大学生活をしていた息子が年末に帰省するときに一緒に来て、お正月も1週間以内で息子と一緒に帰っていきました。息子の都合で1月2日に帰った年もありましたね。 もう自分の居場所は福岡だ、という感じになっています。 ―――なぜ、そういうふうに自分の気持ちをちゃんと言えるようになったのか。息子さんが不登校になって、親の会で自分を大事にすることを学んだからだよね。 そうです。親の会で「自分を大事に」と言っているのに、毎日の生活がお祖母ちゃん中心になっているのは嫌だ、という私の気持ちを夫に伝え、夫も同じ意見で自分たちは自分たちの生活をしたい、ということをきちんと話をしようと話し合ったわけです。 TSさんもご自分がどうしたいのかをまず考えて、おつれあいさんと話しあうといいですね。 以前だと、お祖母ちゃんはTVやエアコンの操作を何度教えても分からなかったのですが、今年お正月、福岡の自分の家に帰ったら、パッとエアコンをつけ、パッとTVを付けて、おまけに「いまお茶を入れるからね」と言ったんですね。 ―――つまり、手をかければかけるほどダメになる、何もしないで手をかけないとちゃんと自分の力で生きていく力があるということなんですね。そしてあなたは自分を大事にするようになったら、お祖母ちゃんに対する愛情もわいて(笑)、ご夫婦で温泉に連れて行ったりされたんでしょう。 そうですね。それは3,4回ありますね。 ―――だから、自分が嫌なことをずっと強いられると自分も嫌だし、相手への想いも薄れるということですね。自分の気持ちに無理強いするような「お嫁さん」をしたらいけないということですね。 いつも朋子さんから「夫の親は夫が、私の親は私が看る」と言うことを聞いて、「そうだな」と思っていたので、夫には「あなたの親はあなたの姉弟で見てね。私がサポートしないといけないところはするけど、中心はあなた達よ」ということはいつも言っていたのですね。 (―――30歳の時の嫁とは全然違うね)(笑) ですから、姑の家の管理面で行き届かないところは、夫と弟でしています。 エアコンを取り付けたり、家の中を片付けたりです。介護ステーションや姑からの電話は私が中心ですが、私はサポートするという立場でいるので気持ちが楽です。 ―――ずっと以前、お姑さんが家にいらしてるとき、家に帰りたくなくて、車で時間を潰して帰ったこともありましたね。 そうでしたね。子ども達も待っているので、夕食に間に合うように帰らないといけないのだけど、そのわが家に帰るのがとても嫌だったですね。 ―――A子さんは今とても自分のことに夢中になっているのね。(はい) 「いいお嫁さん」をやめたら、とても気持ちが楽! しずりんさん 私は結婚以来27年間、お盆とお正月は夫の実家で過ごすのが当たり前になっていました。子どもが小さいときは夫の両親は孫に目がいってよかったのですが、子どもも大きくなって行かなくなると夫とふたりで行くことになりました。 私は結婚当初から義兄が大嫌いで、あまり飲めない私に「飲め、飲め」とお酒を勧めたり、3年前のお盆の時にすごく嫌なことを言われたので、もう夫の実家には帰りたくなかったです。 2年前のことです。私は5年前から例会に毎回参加して、「自分を大切に」と聞いていたので、夫に「私は会いたくない人がいるので、帰りたくない」と言ってみました。夫は私の気持ちを分かってくれていたので「分かった」と言って、それからは夫がひとりで帰るようになりました。今までは「風邪をひいたから」とか、「子どもの友達が来るから」とか私が帰らない理由を言ってたんです。 今年は年末に夫の実家から電話があって「皆帰ってくるのか?」と聞かれたとき、夫が「いつも、俺がひとりだぜ。そっちのほうが気を遣わんでよかでしょう」と言ったら、「じゃっどね(そうだね)」と言ったので、「よかった。お互いに気を遣わなくて」と思いました。(笑) ―――すごく気持ちが楽でしょう。 楽ですねー。帰らない理由をいちいち言わなくてもいいし、嬉しいです。 夫が貰ってきた手土産のお礼の電話をするくらいです。 これもこの会に参加して、皆さんのお話を聞いて勇気をもらったからです。本当に良かったなあと思っています。 ―――お舅お姑さんにも優しくなれるよね。生きていくなかでいろんな意味で障害がないことなんてないんですよ。でも、どうしてもそこを通らなければならない場合のポイントは、「自分を大切にしているかな」と考えるといいんですね。他に理由を求めると単なるグチになって何も解決しませんね。 だから、TSさんもあなたがこの会で安心をたくさんもらって、あなたが強くなっていくと、夫にも言えるし、ご夫婦で解決していけますよ。一番は相手を変えようと思わない。 自分の気持ちに正直になってその声に素直に耳を傾ける、「ねばならない」から自分を解放してあげることです。世間体や嫁だからちゃんとしないといけないという価値観に、誰でもない自分で自分を縛ってしまうのね。 でも案外やってみると、大丈夫なんです。 親の会、楽しかった! みきこさん and 娘さん ―――今日は素敵な娘さんと一緒に参加してくださいました。姉妹と間違えられるんじゃないかな。(笑) 素敵なお洋服ですね。 みきこさん:中に着てるのは今年、娘が買ってきたイオンの元日の福袋に入っていたものです。 娘さん:私のお気に入りの洋服屋さんです。朝から並んで買いました。(笑) みきこさん:元旦は私は夜勤明けでしたが、高校の同窓会のためにひとり鳥取に帰りました。夜行バスで大阪まで行って、そこからJRで帰りました。2日が同窓会でとんぼ返りでしたけど、母校にも入れてすごく楽しかったです。 私が留守の時は、夫が娘たち二人をイオンへ送ってくれて、娘たちはショッピングで、(娘さん:ずっと待っててくれて、荷物を持ってくれて)(笑)不登校の息子はゲームをしていて。 私は2日は遅くまで同窓会で楽しみ、駅の近くのホテルに泊まり、またJRで姫路へ、そこから博多に行き、夫は休みだったので娘と博多まで迎えにきてくれました。(わあー!)こんなときは優しいんです。 ―――お姉ちゃんは弟さんが学校に行っていないことは不自然でもなんでもないの。 娘さん:はい。もう全然。大学ではそんな話とかでますけど、私にとってはとても自然なことで、なんとも思わないです。 みきこさん:今日娘と一緒に来たのは、帰りに買い物をして帰ろうという目的もあるんです。(笑)今回30年ぶりに帰り、同級生が私のことを昔のように「みきちゃん」と呼んでくれてとても楽しくて。 この会に来て、自分を大切にしていくことを学んで、そうだ自分が帰ろうと思えばちゃんと帰れたと思って、それが嬉しかったです。 出かけるときに夫が送ってくれたんですが、息子は玄関まで出てきて、私に缶コーヒーをくれて「楽しんで来てね」と言ってくれて、すごく嬉しかったです(涙ぐむ)。向こうはすごい雪だったんですけど、元気を貰ってきました。 ―――あなたは自分をどんどん解放していってますよね。お顔がキラキラ輝いていますね。 お正月にそんなふうに自分ひとりだけ遊びに行くなんて、今までなら思ってもみなかったでしょう。家族が皆で行っておいで、と見送ってくれたんですね。あなたがそんなふうに生き生きしてることが家族にとっても、とても嬉しいことなんですね。みきこさんは「お嫁さん」してないの。 夫の実家には私はお正月は田舎に帰るからと言って、5日が娘の成人式だったので、式の後に娘とお祖母ちゃんたちに会いに行きました。あまり気を遣わない姑で助かっています。 不登校の息子のことも一時は「お祖母ちゃんが毎月1万円あげるから学校に行ってくれないかな」と言っていたけど(大笑)、最近は「あんた達の子どもだからなんとかするんでしょう」という感じです。 ―――中3でしたよね。高校の話はどうですか。 先月、息子が通信制に行こうかなとチラッと言っていましたけど、 ―――お母さんは知らないよ、君が決めてね、ということでしたね。 はい。担任にも連絡しないで下さいと断ったので、他の子のことで忙しいのか我が家には連絡が来ません。 ―――気持ちが楽でしょう。 はい、楽ですね。パンフレットだけ持ってこられましたけどね。本人はまだ見てもいないです。バイトをしたいと言ってます。自分で決めていけばいいと思っています。お年玉でPSPというずっと欲しかったゲームを買って、今はそれを一生懸命やっています。 (翌日、みきこさんからHP掲示板へ、とってもうれしい書き込みがありました) 昨日は、娘を連れての初参加。 そして、阪神淡路大震災が発生してから15年目。 息子も15歳になりました。月日が経つのは早いものですね。 娘から−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 明るい雰囲気にみなさんの笑い声と もっとしんみりとした会合を想像していたので驚きでした。 人にはなかなか打ち明けられない自分の本音も語れる。 お話を聞いているだけでしたが、みなさんにとって「親の会」は 心のよりどころなんだな〜と感じました。 楽しかった?! という表現はおかしいのかもしれませんが、 今回の参加は、自分に良い経験になりました。 また、母にくっついて参加してみたく思います。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 「あれこれ先のことばかり考えないで その日その日を一生懸命生きる」 と改めて思いました。 また毎月参加して朋子さんのパワーをもらいに来ます。 みなさま今年もよろしくお願いします。 (2010/01/18) 私の母は会報が楽しみ・・・ 永田さん ―――11月は愛犬ペロが亡くなったお話でしたね。 お正月に娘が帰ってきまして、6日に家族4人で慰霊碑にお参りしてきました。自分のうちのお墓にはお盆に行ったぐらいで長く行っていないんですけど。(笑) 亡くなった後も家族を一緒にしてくれているね、とありがたかったです。 私は12月30日までは元気だったんですけど、31日の朝、頭が痛くて起きれなくて、熱を計ろうとしたら体温計も壊れていて、「お母さんは新型インフルエンザかもしれない」と言ったら、普段はあまり出たがらない息子がすぐコンビニに走って行ってくれました。 その時は、私が水を飲んでももどすという感じで、「柿だったら、りんごだったら、食べられるかも」と言ったら、「早く元気になってもらわないと困る」と心配して、息子はそのたびにコンビニに2回、スーパーに2回走ってくれました。(笑) 結局食べられなかったんですけど。 回覧板がまわってきて置いてあったので、「お正月なのに、こんなのが置いてあったら嫌だ」と言ったら、それもちょっと離れた隣の家まで持って行ってくれたんです。 ―――息子さんは忙しかったですね。(笑) 洗濯機は私がまわしたんですけど、「干さないといけない、茶碗も洗わないといけない」と言ったら、それも全部息子がしてくれました。(笑) 結局、新型インフルエンザではなくウイルス性の胃腸炎と言われ点滴をしてもらいました。 翌日、私はまだ具合がよくなかったので、私の実家に夫と息子2人だけ行きました。私は家でゆっくり寝て過ごし、いい正月でした。(笑) 2日間ゆっくりしたら元気になりました。娘は4日に帰ってきました。 息子は31日はそうやって動いてくれたものだから、動けるじゃんって。(大笑) そういう思いもここまではあるんですけど。それとこれとは別で、私も元気になったら、息子はまたゲームの生活です。(笑) ―――あなたのお母さんは「学校に行かなくてどうするの」とすごく心配されたのね。あなたは、そのお母さんに会報を読んで聞かせているんですね。 すごく楽しみにしています。母は目が悪いものですから、この会報の字はとても見えないんです。テレビも近くでないと見えません。 毎月の扉の言葉を読んであげます。それと他の方の体験もピックアップして読んで、自分のところは恥ずかしいのでたまにしか読んでいません。(笑) ―――お母様は楽しみにしていらっしゃるのね。 母は、この会報とお寺からの親鸞便りを楽しみにしています。(笑) 読んでいると母は「まあ、頭のよか人もおっやんもんじゃねえ(頭のいい人もいるんだねえ)」(笑)、「どこに行っても助けてもらえていいねえ」と言います。 母としては、学校に行かないということは考えられないことだったんですけど、「ああ、そんな考えもあるのか」と発見するんですね。 でも母も80年生きてきて、すぐには考えを変えられないですよね。学校に行かないで家にずっといるなんて。 お正月、母のところに行った孫のことを「どこもどうもあるようじゃなか(どうみても悪いところはないようだけれど)」と言うんです。(笑)「どこもどうもあるんじゃないのよ」と言うと、「じゃ、何で学校に行かないの」となって、堂々巡りなんですけどね。 ―――でも、それを読んであげているあなたが素晴らしいですね。(いいことが書いてあるので) お姑さんは「大丈夫だから、生きていればいいんだから」と言ってくれるのね。 息子が行かなくなった一番最初に言ってくれました。 夫の兄が、7,8年前に40代で過労死しているんです。自分より息子が先に亡くなっている、そんな悲しみがあるものですから、命が大事というのが身にしみているようです。 ―――今のあなたのワクワクは? 昨日は、映画「アバター」を観てきました。映画の後は夫と回転寿司を食べて、美味しかったです。 |
Last updated: 2010.3.21
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