TOPページ→ 体験談目次 → 体験談 2010年4月発行ニュースより
「解決の道」は自分のなかに 2010年3月例会報告(抄) TKさんは、不安になったけど「問題は周りにあるのではなく、自分の気持ちにある」とメールを送ってくれました。そう考えると、「気持ちがグンと楽になった」と言います。「幸せは自分のこころが決める」ということですね。 SIさんは、家族の病気に直面して、「どうしてあんなに学校にこだわっていたんだろう」「家族の健康と命が一番大切」と言います。 ひろこさんは仕事をやめるかどうか悩んだとき、「お母さんは何も悪くないよ」と娘さんから励ましてもらい、「この会は自分のためにある」とあらためて納得したそうです。 しずりんさんは落ち込んだけれど、HPを読んで「あっ、これは私のことだ」と元気を取り戻しました。自分のこととして読むと元気がわいてくるということですね。 永田さんは、夫に「自分を一番大切にして、自分の人生をいっぱい楽しむ」という親の会の考え方を紹介。夫も「それならできる」とわが子に「無関心」でいられるようになったとか。 みなさんの体験に共通している教訓は、「解決の道は自分のなかにある」という主体的な考え方です。 夫婦でも親子でも同じことが言えます。意見が違うとき、問題や困難の原因は相手のほうにあると思って、ついいろいろ言ってしまいがちです。 でも、自分だって納得できない考え方を相手から強いられるのは、とても嫌なはずです。相手を変えようとしないで、かつ自分が気持ちよく過ごせることを一番に考えたらいいんですね。 それは、一人称で自分自身が楽な気持ちになってきたことを相手に伝えることです。そのほうがかえって相手にもわかってもらえます。 世話人の渡辺笑さんが少し顔を出しました。2月に卵巣がんと診断され、抗がん剤治療が始まって、食事療法もして免疫力をつけ、癌に負けまいとしています。抗がん剤投与直後は相当きついようですが、病院でも自宅でも、楽しまれています。 いまを生きる。いつも、そのときそのときの「今」に一生懸命になる。会の考え方を実践中です。 目次 1 HPを自分のこととして読む しずりんさん 2 幸せは自分の心が決める Tさん 3 解決の道は自分のなかに TKさん 4 親の会はやっぱり自分の会だなあ ひろこさん 5 何もしない、何も言わないことがよかった! じぇりさん HPを自分のこととして読む しずりんさん ―――しずりんさんの先月のお話は、息子さんからゲームを買ってほしいと言われたんだけど、親の会の「言いなりにならない」という言葉を思い出して拒絶してしまったということでしたね。 でも後で詳しい事情を聞くと、あなたの息子さんは無理難題を言って暴力を振るったり、自分の意見に従わせようとしているわけではないのね。 息子さんは「自分が持っているお小遣い5千円を出してもいい、コンビニで買っているネットキャッシュは止める」とお母さんにいろいろ提案していたのね。 息子はちょうど1年前に新しいPCを買って、その時息子が使っていた古いPCを私が使っていたのですがそれが壊れてしまって、親の会のHPも見られないので、PCが欲しいなあと思ったのですが、でも「この前お金はないと言ったのに、そんなお金はどこにあるの」となるなあと思って。(笑) でも息子が調べてくれて一緒に買いに行って、私は初期設定も全然出来ないのでそれもしてくれました。 PCを買ったら、息子が「お母さん、ポイントがつくよ」と言って、そのポイントで息子のゲーム機も買ってあげることが出来ました。 その前に私は息子の誕生日が5月なので、ゲーム機はそのとき買ってあげようかなと思っていた矢先、PCが壊れてお互いにニコニコでした。(笑) それは一件落着で(笑)良かったんですが、息子と同級生で高校に行った友達が、夏休みのころから休学していたんです。 でも1年で行けるようになって、開陽高校に転校し、卒業して今度県外に行くという話をその子のお母さんから聞いて、うちの子は5、6年も家にいるのにいいなあと思って、ため息ばかりついていました。(笑) 夫に言ったら「それはしょうがないがね」と言ったんですけど、私は気持ちが収まらなくて、でもHPにその通りに書いてあったのを読んで収まったんです。 ―――どこを読んだの? 2002年登校拒否を考える全国夏合宿の「この人と語ろう」の内沢達さんの「登校拒否を法則的に考える」を読みました。 そこには、〈最初は「学校に行け行け」と言って、次に「もう行かないでいい」と言って、次は「早く元気になって」と言ったって、そううまくいかない。子どもをどうにかしようと思わない〉とあって あっ、これは私のことだと思って(笑)、納得しました。 ―――HPを自分のこととして読むことはとても大事ですね。 今はもう全然気にならなくなりました。 昨夜、「明日お母さんは親の会に出かけるからいないよ」と言ったら、息子が「僕も出かけるよ」と言いました。 専門学校に行った友達がイオンでバイトをしていて、休み時間が2時間あるから会いに行くとニコニコしていました。 木藤さんに「なんでもそんなに言い合えて、とってもいいですね」と言われて、「あっ、そうだな」と思って、あらためて身近な幸せを感じました。 ―――春がきたし、あなたの大好きな畑も「おいで」と呼びかけているんじゃないですか。いろんなものを植えて自分のことに夢中になるといいですね。 息子さんが学校に行かなくなったとき、あなたの夫はどうでしたか。 最初の頃は、「そうやって甘やかせているからいけないんだ」と夫に言われ、私の子育てを否定されたみたいで傷つきました。ちょっと熱があると休ませていましたから。 でもこの会に参加して「ここにも書いてあるんだよ。何もしなくていいんだよ」と会報を見せながら言いました。それから夫は何も言わなくなりました。(笑) ―――人と比べたときに落ち込むことはあっても、家族の中でお互いに信頼しあうことが出来るようになっているのね。それがすごくいいですね。揺れるときもあるけど、すぐ軌道修正できる。 それも親の会に通っているからで、ありがたいと思います。 ―――自分の幸せに感謝ですね。 幸せは自分の心が決める Tさん ―――先月のあなたのお話に感動しました。離婚届けを準備するところまできていたのに、でも今夫婦関係はよくなってきているのね。 はい、別居してからよくなりました。(笑) 夫の借金もあるけど親に頼らず夫婦で働いて返していこうと今頑張っています。 私は子ども達がかわいいと思えるようになり、気持ちも明るくなりました。 先月は子ども達の小さい頃のアルバムを見て、とってもかわいくて、皆さんにお見せしたいくらいの気持ちでした。(笑) わが家はコンビニを経営していますが、夫は糖尿病を持っていてそんなに頑張れません。人件費節約のために私が店へ出る時間を増やしています。私が頑張らないとスタッフへの影響も出るので、公私混同しないように気をつけて、店の雰囲気も明るくなるようにやっています。 一緒に暮らしていた時は、夫のパチンコが気になってメールをしたり、電話をしたり、パチンコ店を転々と探しまわった時もありました。夫は逆にそれがイヤだったと思います。 私はなんとか夫を立ち直らせようと思っていたし、店もヘルパーも二つの仕事をかけもちしながら、夫の借金を返そうと必死に働いていました。 しかも子ども達は不登校で、なんで私だけこうなの? とひとりで問題をかかえ込んで、あの時は本当に辛かったです。 夫のことを切り離して考えたくて夫に出ていってもらったら、肩の荷が落ちて気持ちがすごく楽になりました。(笑) 今は一生懸命店のことをやれるし、子ども達のことも気にならなくなりました。 最近、長男が仕事をしたいと言いだして、自分で求人誌をみて、面接に行ったら落ちたと言っていました。(笑) ―――以前あなたは、「世間は18歳になったら働かないといけないんだよ」と息子さんに言っていたのね。(笑) それで息子さんがアルバイトをすると言ったら、あなたは面接会場まで息子さんを車で送って行ったということもありましたね。(笑) そうでした。息子はもうすぐ19歳になります。 私はもう一切仕事の話はしないです。 息子が「お母さん、面接を受けるにはエネルギーがすごくいるんだね。面接なしで働けるところはないかなあ?」と言うので、「今は不景気だから、まともに学校を卒業しても就職できないんだよ。1件2件落ちたからといって、落ち込む必要はないよ。そのうちなんとかなるんだから」(笑)「そのうち、うちの店で働けばいいよ」とも言っていますが、本人が「人とレジで接するのはまだできない」と言います。 夫が「うちの店にあんな暗い子をおきたくない」と反対するんです。我が子なのに・・・。(笑) ですから私も本人がやりたい時に入れればいいと思っています。 娘は今授業には全く出ず、放課後日数を稼ぐためにだけに行っています。 担任は「高2になったら授業にも出て」と言いますが、「本人が決めると思います」と言いました。 3番目はメチャ家では明るいんです。夫婦の関係もまあまあです。 ―――あなたは1日のうちどれぐらい働いているの? 朝5時に店に出て、いったん家に帰り家事をして、それからまた店に出ます。夜寝るのは11時半頃で、睡眠は5時間くらいです。 私が家へ帰ると子ども達がワアーときて「お母さん、これ見て、あれ見て」と言ってきます。高1の娘は「お母さんギューして、抱きしめて」と言うんです。(笑) 3番目は13歳で反抗期なんでしょうね。本当は抱きしめてもらいたいのに、イヤと言うんです。(笑) だから、わざといやがることをして、つまんだりすると顔は喜んでいます。まだ私と一緒にお風呂に入るぐらいですからね。(笑) ―――毎日楽しいでしょう。身体はきつくても以前のように心が辛いきつさがないのはね。 私の母も「健康がなによりだよね」と言いますし、私も「そうだよ」と言っています。 ―――以前、お母さんは親戚の結婚式に参列して、孫と同じ年頃の子ども達を見て、「うちの孫はどうしてこうなんだろう」と言われていたのに、健康であったらいいと言って下さるようになったのね。 はい。でもいきつけの美容室に行くと孫のことを聞かれるようで、「どう言えばいいの」と私に聞くので、「店を手伝っているとでも何とでも言ったらいいのよ」と言っています。(笑) ―――そういうお気持ちになってきたのね。えらいですね。 やっぱり時間かなと思って。あの時はがんじがらめでしたから。 180度考え方が変わると、私の気持ちはとても楽になって、店に同じ年齢の子どもさんを持つ人が働いているんですけど、商業科を出てNTTに入社したとか、女子高へ入ったとか聞いても、今は心から「よかったねえ」と言えるようになりました。 大人になるスピードや過程はそれぞれ違うし、よその子どもと比べなくてもいいんだなと思っています。うちの子ども達はとってもいい子だから。 ―――素晴らしいですね。「希望の星」の次男さんまでもが学校へ行かなくなって、地獄を見た、死のう、とまで思ったと言っていたのにね。(大笑) 本当に「幸せは自分の心が決める」んだよね。自分が幸せと思うと、必ず状況はうまくまわっていくんですね。 きっと御夫婦もお互いが支えになってうまくいくと思いますよ。 夫のお父さんから送ってくる1本9千円の糖尿病に効く飲み物はまだあなたが飲んでいるの? はい。山積みされてもったいないし、私が倒れたらこの家はおしまいだと思って、毎日氷で割って飲んでいます。(大笑) 解決の道は自分のなかに TKさん ―――高1の息子さんの退学届を出したのね。 はい、3日前に手続きをしてきました。ちょうど、入学手続きの日と重なっていて、こっちは退学手続だったんですが1年前を思い出しました。 息子は中3の12月くらいから行かなくなっていたので、高校に入ったら新しい世界が広がり息子が変わる、と思っていました。私はうれしくて、わくわくしていたなぁと思い出しました。 息子には毎月お小遣いをあげているんですけど、それでは足りないようで家の中でアルバイトをしたいと言いました。 皿洗いで300円、家じゅうの掃除機をかけて300円とかそういうふうにしていますが、でも貯まったらしないです。何もアルバイトをしてもらうことがない日は断っています。 ―――息子さんは退学届を出してどうでしたか?(全然顔つきが違います) あなたの夫はどうですか。 夫も何も言いません。私は1月に京都に行って、夫は先月ひとりで京都に行ったんです。行く前は京都の本を何冊も買ってきて、すごくうれしそうで計画を立てていました。帰りの新幹線の中から「すごく楽しかった。ありがとう」とメールが来たので、私もとてもうれしかったです。ありがとうって言われたのは初めてかもしれないと思って。 ―――ご夫婦で、我慢しないで楽しく生きて行こうね、と話し合ったのね。御両親との関係も言いたいことも言えるような関係になったり、あなたもお嫁さんしないようになったのね。 はい、すごく楽になりました。以前は仕事に行くのもいやだったんですけど、今は仕事に行くのが楽しくて、患者さんやスタッフにこうした方がいいかなということを考えるようになりました。 ―――あなたの気持ちが変わったのね。それが大事ですね。相手を変えようとしない、自分が変わる、自分の気持ちを第一に考えるということですね。 夫ともよく話すようになりました。もともと無口な人なんですが、だけど帰って来てからもよく話すようになって。お昼御飯も先月から家に帰って食べています。吉野家の牛丼の通販をとって、ふたりで温めて・・・。(笑) ―――御両親とのことですごく悩んでどうしようと思ったのね。でもあなたは親の会にメールをくださいました。次のように。 先日の親の会もとても元気をもらい順調に日々を楽しんでいたのですが、最近動揺することがあってメールしました。 義父母とのあいだで問題がおき、不安な日々を送っています……と、メールでうっていましたが、うまく整理できずに何度も書き直していたら、ちょっと落ち着いてきました。 問題は周りにあるのではなく、自分の気持ちにあるということ、自分がどうしたいか一番に考えることなど思い返しました。 相手に変わってほしいと期待し思い通りにならないからお互いイライラするんですよね。 両親は変わらないので、私たち夫婦は我慢しない無理しないでいいのですよね。 珍しく家族4人でこたつに入りながら各々ゲームしたり、マンガ読んだり、宿題したり、居眠りしたりしていたら夫が、こたつ狭いなーと嬉しそうに言うので、幸せだね! と言ったら、うんと言っていました。 夫も少しずつ自分を大事にするようになり、できないことはできないと両親に言えることができました。 またホームページをみて元気をもらいます。 ―――問題解決の道は自分のなかにあると気がつかれてとてもよかったですね。 今も「心が揺れる時は読み返してあの時の自分に戻ります」と。とっても大事なことですね。 メールにくどくどと両親のことを書いていたんですね。 うまく整理できずに何度も何度も書き直していたら、ちょっと落ち着いてだんだん冷静になってきて、いやこういうことじゃないな、やっぱり自分だなと大事なことに気づくことが出来ました。 小5の娘は剣道をしているんですが、本当は剣道がしたくないと言って・・・。公文も行ってたんですけど、剣道も、公文も、と大変なので公文はやめました。でも娘は剣道を辞めたいって・・・。 ―――したくないのにどうしてしているの? 私があと一年だからと言って(大笑)。そこで、私が息子にしていることと、娘にしてることが矛盾していると自分で分かって。 今度は6年生だし、5人で1チームなので娘が抜けると人数的に足りなくなるし、あと4月から私が剣道の父母会長をすることに去年から決まっているんです。(笑) 私は「お願いだからあと1年がんばって」と。本当に自分でも矛盾しているのはよくわかるんです。(大笑) ―――本当にいいチャンスですね。会長をすることになっているし、周りはどう見るか、と大事な家族より世間を考えてしまうからなんですね。「したくないことはせずさせず」です。必ず他に剣道をやりたいという方が見つかりますよ。 親の会はやっぱり自分の会だなあ ひろこさん ―――娘さんが高1で不登校になりました。親も子も一時は自分を責めて、あなたは死を考えたり、娘さんは怖がって外に出ることが出来ないという状況もありました。今は東京の大学に行ってるのね。 お久しぶりです。娘は今大学3年で就職活動中です。 私は助産師として働きたいと思っていて、やっと9月に病院が見つかって働き出したんですが、そこがあまりにも封建的というか、ものすごく否定されるんです。病院に行く時は心臓がドキドキして、医師と話をするのが怖いんです。 怖くて怖くて唯一安らぐのが妊婦さんと話している時でした。 半年間休みも少ないなか頑張ってきたんですが、ある時食事をしていたら辛かった川内時代のことを思い出して、これ以上続けたら自分が壊れてしまうと思い夫に相談しました。 夫は「もう辞めたらいいよ。俺が働くから」と言ってくれ、娘も「お母さんは何にも悪くないよ」とメールをくれました。 それで頑張って辞めようと思うんですが、それでも怖くて言えないんです。 子どもが学校に行けなくなった時に、「担任の先生とうまくいっていない、心臓がドキドキしてたまらない」「校門に入るのが怖かった」と言ったんですが、今度は自分が体験してその気持ちがよくわかりました。 夫と退職理由を相談して、義父の介護のために夫が仕事を辞めてくれと言っている、ということにしようとなりました。 でもどうしよう、どうしよう、じゃあ、明日言うね、という時に、先程のくじらさんから電話があったんです。くじらさんとは自分のことも含めて自分に言い聞かせるつもりでお話しました。 退職のことをやっと言ったら、了解をもらえてホッとしました。 ―――ひろこさんはいつくらいから働き出したんですか。 48歳の時でした。それから就職、退職を繰り返し4回目の職場でした。2日で辞めたところもありました。(笑) 私もすごく悩んだ時は会報を繰り返し読んで、皆さんからも力をもらっていました。 まちこさんが気になってお元気かなと思っていたら、今日は中央駅で一緒になってすごくお元気そうで嬉しかったです。 この場で初めてお会いする方も、ああこういうお顔をしているんだと思って。(笑) くじらさんからも電話を頂いて、私も勇気をもらって。 娘は今就職活動中なんですが、「お母さん、就職してもあわなかったら辞めてもいいよね」と言うので、ウ〜ンとうなってしまいます。(笑) ―――でも、今はすっきりさわやかですね。 そうですね。娘が何回か就活で帰って来た時に「お母さん、やつれたね」と言われて、それだけムリしていたんだなと思いました。 ―――あなたの夫も自分を大切にしたいと50歳で仕事を辞められたんですね。その後、「主夫」となって家事一切をして働くあなたを支えたのね。今は働いて何年になるんですか。 ちょうど1年になります。嘱託なんですが、宮崎県全域の河川の水質調査をしています。またもう1年契約できたと言っていました。 ―――働いていないとき不安はありませんでしたか。 私はそんなに悩みませんでしたが、夫は魚釣りに行く時に「悪いね、俺は働いていないのに」と言って出て行っていました。私は「そんなことないよ」と言っていたんですけどね。 釣った魚が夕飯の食事になることはあまりありませんでした。(笑) ―――娘さんが不登校になって、あなたが薬を飲んでいた、その時が一番辛かったですね。 そうですね。自分の子育てが悪かったのかなと自分を責めたり、「学校くらいなんで行けないの」と娘の手を引っぱって連れて行こうとしたり、ひどいことをしたなと思うんです。 それなのに娘から「お母さんは何も悪くないよ」とメールをもらうと、私は何をしていたんだろうと思って、子どもに救われました。 ―――幸せですね。よかったですね。 この会は親の会だけど、本当に自分の会だなと思います。 何もしない、何も言わないことがよかった! じぇりさん ―――じぇりさん、お久しぶりですね。お元気そうですね。 いつから来ていないのか覚えていないんですが、元気にしていました。(笑) いつもHPはチェックしていますし、会報も読んでいますので、久しぶりですが久しぶりではない感じがします。 皆さんのお話を聞いて、そうだな、うちも同じだったなといろいろ思い出しました。(涙ぐむ) ―――3人の子どもさんが学校に行かなくなり、もう子どもさん達も大きくなったでしょう。 娘は多分22歳(笑)、長男は21歳、次男は17歳になりました。 子どもたちは何も変わらずにいます。夫も変わりありませんが、今は毎月給料が出るようになりました。(―――すごいじゃない) すごいんですよ。(笑)つくづく先のことはわからないなと夫のことでも思いました。 夫は風力発電の研究開発の仕事をしていて自分の車に実験装置をつけてあちこち走りまわってデーターを取ったりしていましたが、給料も出なくなって会社がつぶれるかもという時期もありました。 もうだめかもね、と言っていたら、結局作っている物の性能がすごく良くて、大きなところに経営が変わりました。 夫の待遇や給料は変わりませんが、毎月給料が出るということで安定しています。今は中国と韓国が風力発電に積極的で、中国に技術指導に行き、先月は韓国に行きました。 一度夫が設計した物を家に持って来たことがあったんですが、自分の好きなことをやって、この人すごいと思ったんです。私は余計なことをしなくて良かったなと思いました。 子どもが不登校になった時も余計なことを何も言わないと決めて、未だに何もしていないんですが、それでよかったと思っているんです。 ―――喜界島で小学校の先生をしていて、職場でいやがらせにあって鹿児島の精神科に入院したんでしたね。鹿児島に来られないくらい心が傷ついて大変でしたね。今は宮崎に住んでおられるのね。 実家の奄美にもずっと帰っていないので、今もそういうのがあると思います。 でも夫は自分がしたいことをして楽しくやっています。 私は夫を変えようというより嫌になったら私が離れればいいと思っていました。 振り返ってみて本当に邪魔しないでよかったなと改めて思うんです。 今日も私が寝ている間に夫は会社に行っていて、私が出て来る前くらいに帰ってきて、自分の食べたいものを自分で作って食べていました。 我が家は、食べたい人が食べたいものを好きな時に食べるというふうにいつの間にかなっています。そんな感じで、“いいな、この暮しって”と思いますね。 ―――素敵ですね。喜界島にいた時のあの辛さのことを思ったらね。 親の会のおかげと皆さん言われていましたが、やっぱり自分にもそれが染みていて、世間の価値観との間で揺れた時も修正することができて、いつの間にかそれが自分のモノになってきているのかなと思います。 だから子どもが家にいることも何も問題ありません。 先程娘さんが顔を合わせないとありましたが、そういえば理由はわからないけれど、うちの娘も目を合わせないということがあって、あんなこともあったなと思いましたね。 ―――あなたのオーラが出ていますよ。私の人生最高よって。 私は私で毎日楽しいです。でも家族のおかげですね。 この前、結婚記念日に夫がメールをくれました。 「いろいろ苦労をかけたね。いつも明るく楽しくしてくれてありがとう」と書いてありました。 それは楽しいから楽しくできるわけで、決して私が楽しい人であるということではなく、皆のおかげだなと思うんです。 ―――今でも掃除機を触ったことないの? ああ、ないですね〜(笑) ―――アルバイトの水泳はうまくなった? いえ、私は自分が泳ぐのではなく、子どもたちといろいろ楽しんでいるだけなので・・・。 ―――指導するという考えより、子ども達と楽しむという考え方、いつもながら素晴らしいですね。いいお話で最後を締めくくって下さってありがとうございました。 |