TOPページ→ 体験談目次 → 体験談 2010年3月発行ニュースより
予想を立てて思いきって一歩を踏み出そう 2010年2月例会報告(抄) 「今、子どもたちがかわいい!という気持ちでいっぱい」「今まで困難だと思っていた夫との関係もよくなって・・・」とTさんに笑顔がこぼれます。以前は「地獄を見た」とまで言われたけれど、こんなにも明るくなって・・・、感動です。SIさんの娘さんは、やりあっていてもバレンタインデーには「お父さんにチョコをあげて」となんてかわいいことでしょう。胸が熱くなります。 M子さんは娘さんが会報について「あんまり期待してなかったけど、でもなんか違うんだよね。読むとほっとする。あったかい」と言ってくれたと嬉しそう。息子さんも含めて「この子たちは命を粗末にしていない。一生懸命生きようとしている」と子どもたちへの信頼があふれます。 「自分を一番大切にする」ようになると、「いいお嫁さん」もやめることができます。まわりへの気遣いではなく、自分がどうしたいかを第一に考える。 すると家族もほんとうに大切にできるようになります。 会報にヒントを得て、姑、母、叔母・3人の介護の仕方を夫とともに変えたなぎささんの経験は貴重です。おかしな気遣いではなく、ほんとうにお年寄りを大切にするとはどういうことなのか、教えてくれます。 不安が大きくなるのは、あれこれ考えてばかりで行動がともなわないからです。じゅんこさんは以前の自分について「先のことばかり考えて不安になっていた」と述懐します。 Y子さんも「どうしようと考えすぎがいけなかった」と。けれども「仕事に復帰すると思ったよりできる。自信につながった」そうです。「案ずるより産むが易し」ですね。 鹿児島の親の会には誰にとっても参考になる法則的な経験がいっぱいあります。 予想を立てて思いきって行動に移してみましょう。道は必ず開けていきます。 「解決の道は自分のなかにある」。私たちの会のテーマですね。 これからも支えあっていきましょう。 目次 1 まど・みちおさんの詩 2 姑・母・叔母3人の介護をしています なぎささん 3 「会報はなんか暖かい、読むとほっとする」 KMさん 4 新しい一歩を踏み出そう 内沢 達 まど・みちおさんの詩 ―――先日NHKスペシャル「ふしぎがり〜まど・みちお 百歳の詩〜」を観ました。その中で「ぼくがここに」というまどさんの詩が紹介された時、私はものすごく感動しました。 「ぼくがここに」 ぼくが ここに いるとき ほかの どんなものも ぼくに かさなって ここに いることは できない (中略) ああ このちきゅうの うえでは こんなに だいじに まもられているのだ どんなものが どんなところに いるときにも その「いること」こそが なににもまして すばらしいこと として 私たち一人ひとりはかけがえのない命を持った素晴らしい存在なんですよ。 このことをまど・みちおさんは、こんな素晴らしい言葉で言ってくださっているんですね。 自分の命、そして家族の命それ以上に大事なものはありません。 先月の親の会のテーマは「親は何もしない」でしたね。 HPの掲示板にとても大事な書き込みがありました。 (No.1146 ひかるさん2010/01/23) 親は何もしないと、子どもは必ず自分でするようになる、ちゃんと子どもは生きていく力がある。わが子を信じることの素晴らしさを教えています。親は自分を一番大切に、自分のことに一生懸命になるということですね。 永田俊子さんも掲示板でまどさんの詩を紹介してくれました。 「あしのゆび」 たまに みるからなのか いつもわすれているからなのか あしのゆびって こんなにめずらしい チビで あどけなくって みればみるほどみたいに かわいい しかもこっちとこっちにこんなに 10にんも・・・ ああ こんなにすてきなチビたちを こんなにいつも ひきつれちゃって あしのやつ いや からだのやつ いやいや あたしという にんげんめ なんてしあわせなんだろう ―――「リンゴ」という詩も良かったです。 「リンゴ」 リンゴを ひとつ ここに おくと リンゴの この 大きささは この リンゴだけで いっぱいだ リンゴが ひとつ ここに ある ほかには なんにも ない ああ ここで あることと ないことが まぶしいように ぴったりだ 「りんごがただひとつここにある。それを私に置き換えてごらん。唯一、ただひとつの大事な存在なんだよ」ということをまどさんは言っています。 姑・母・叔母3人の介護をしています なぎささん ―――内沢達が2006年7月の例会で、次のように言っています。 「何で登校拒否を考える会なのに介護の話をしなければならないの?」と思われるかもしれませんが、とても大事なことです。 小さい子どもも若者も高齢者も「本当に気遣うとはどういうことなのか」が問われています。お年寄りも一人の人間として独立して尊重することが大切なんです。 共通するテーマはみな同じなんです。 本当に相手を尊重する、子どもを尊重する、お年寄りを尊重するとはどういうことか。変な気遣いは自分が無理をしているのです。無理な気遣いは続かないし、気遣いされるほうもよくないということです。 ―――なぎささんはこの会報を読んで翌朝、自分の思いを夫に話しました。 私は姑、母、母の妹の叔母と3人を看ています。当時夫の母親と10年間同居していて、私の実家にはその頃90歳の母とその近くに88歳の叔母がいました。 家に姑を置いてやれやれと出て行くと、今度は母と叔母の二人の世話をして、また家に帰るという状況でした。 気持ち的にも肉体的にもいっぱいいっぱいなのに、私が看ないといけないという気持ちがずっとありました。そしたら、やっぱり限界がきて具合が悪くなるという状況でした。 ―――新しい家を建てたから自分が看るのは当たり前と思ったのね。 そうです。姑も住み慣れたところを離れ、誰も知らない見知らぬところに来たわけで、とっても我慢していたところがいっぱいあったんでしょう。 母も私達に気遣いをし、私達も気遣いをしてとっても大変な状況だったと思うんですね。 母は家ではすることがないから引きこもった状態になっているわけですよね。でも部屋から出てきていろいろ言われると、私も嫌でした。 私は会報は大好きなのでいつも寝る前に布団の中で見ていました。 そんなときに先ほどの達さんの文章があって、私は初めて自分を大事にしていないなと気がつきました。 なんということでもないのにいちいち気に障ったりイライラするのは、自分を大事にしていないから、とっても無理しているんだなと気がついて、夫が朝出かける前に「もう、お義母さんとは一緒に住めないので施設を考えてほしい」と話しました。 そしたら夫もすぐ「それがいい」と賛成してくれました。 夫の他の兄弟たちも、義母もそれを望んでいました。 それから母とふたりで施設探しをして、それがとっても楽しかったのを覚えています。施設をいろいろ見に行って、母の気に行ったところに入りました。 今義母はとっても生き生きと書道を習ったり、歌謡教室に行っています。 私も施設に行くのも楽しみで、行くと「待っていたよ、こんなに楽しい思いをさせてもらってありがとう、あなたのお陰よ」と言ってくれます。 義母が何か言っても、それが全然気にならなくなったんですね。そして「お義母さん、長生きしてよ、長生きしてくれるのがうれしい、感謝だよ」と帰るんです。今とってもいい関係です。 もし、義母とずっと一緒にいたら夫が私に気を使うし、義母にも言わないといけないし、仲の良かった親子もおかしくなっていったと思います。 夫の兄弟達もが時々温泉に連れて行ってくれることすらも、私はいつもは何もしてくれないのに……と気に障っていたわけですから(笑)、 兄弟の関係もおかしくなってしまいます。 やがては義母の方が先に逝くわけだけど、この関係のまま見送ることになるのかな、私がこういう雰囲気を作っているのかなと自分を責めていて、でもそれでもあの日までは別居はひとつも考えていなかったわけです。 ―――実のお母さんも、三姉妹の末っ子のあなたが「私ひとりで看ないといけない」という感じになっていたのね。 福岡に住むふたりの姉にも、「どうして私だけ」と、嫌みったらしいことを言ったり(笑)、無理するといろんな関係がおかしくなるんですね。 93歳の私の母はとてもしっかりしていて、父が亡くなったあともヘルパーさんの力もかりてひとりで暮らしていました。 でも施設に入ったあとは被害妄想がとてもひどいときがあって、私も毎日「そうじゃないでしょう」と言っていたんです。 でも良治さんのお母さんが「死にたい」と言われた時、「出ました。お母さんの十八番」というのを読んでから、私も「母さんの十八番」と、「被害妄想があるのがこの人の一番ベストな状態だな」「何も不思議なことではないんだ」と感じるようになって、そのことをそのまま受け入れてしまうと、ほんとうに被害妄想が出なくなったんです。 朋子さんがいつも言われている「介護は公共の施設に、愛情は家族に」ということを実行しています。 ―――叔母さんも看ているのね。 91歳の叔母は認知があるんですけど、ヘルパーさんに頼んでひとりで生活しています。2週間ぐらい前に、いただいたみかんを腐らしていました。 一昨日叔母のところに行ったら「みかんが腐れている、あんないっぱい買ってきて、何で食べなさいって言わなかったの」と言ってきました。 叔母は思い出せないでいる自分に苛立ってきて、それでもゆっくり話していたら思い出して、「そうだった、ごめんね」となったわけです。 以前ヘルパーさんから「今日薬を夜と明日の分と一度に3袋飲んでいました」と電話がありました。 一緒に住んでいたら「これは明日の分でしょう、日にちも書いてあるでしょう」と否定してしまうと、相手も攻撃的になってくるんですね。 一緒にいないから、「あら、そうだったの、まあ死にゃせんわ」と思って、「もう今夜はいいが、いっぺんにいっぱい飲みすぎたね」ぐらいですむんですね。 一緒に住んで顔を突き合わせていたら、「今、こう言うたでしょう、これは違うがね」と関係をおかしくするなと思っているんです。 「火のこと」だけを注意をしてあげて、後はもう汚れたものをまた着ようが、薬をいくら飲もうが(笑)、みかんが腐れていようが、はいたパンツをそこらへんに投げていようが(笑)、もう全然いいです。 気持ちも穏やかになって、優しく接することができます。それが一番だと思います。 何とか自分でできることはやっていっていますよね。全部私がやると、認知はなお進んでいくんじゃないかなと思います。 ―――とても大事ですね。自分を大切にしていないと相手の人格をも否定してしまう。 自分を大切にすることによって、ちゃんと「やさしさはやさしさで」接することができるようになる。 今ではなぎささんは3人のお世話が苦ではなく、いろんなことを発見できる関係になっているということですね。 「会報はなんか暖かい、読むとほっとする」 KMさん 娘が14歳のときから不登校になって、今15年です。 お話を聞いていて私もそういうところを通ってきたなと思うし、良治さんやなぎささんのお話は、両親もだんだん年を取っていくから、そういうことを自分も経験することなんだって思ったら、なんか聞いていて希望が湧くというか、形が変わってもみんな辛いことを抱えてるんだと思ったら、共通してるのは一緒だなって思うんですね。 ―――すごいじゃない。いつも「私だけ特別」と言っていたのはどうなったの? 一昨日のことですが、母が「あなたの家だけがこんなに特別じゃないの、ふたりともこんなひどいところはいないでしょう」と言うから、私も「そうかもねぇ」と言ったんですが、でも最近は母の所へ行っても、私がすごく母にくってかかって怒ったりして矛先が母の方に行っています。 母は難病があって車イスの状態ですが、そういう中でもすごく受け入れてくれて、優しくしてくれます。 それなのに私は、母が「ご飯たべていかない?」と言っくれても、「ご飯を一緒に食べたからって解決するわけじゃないんだから」と言って、怒って帰るんです。(笑) 娘も美容院に行くよりもおばあちゃんの方が上手に髪をカットしてくれるので、年に1回か2回行っています。私も昨日母に髪を染めてもらいました。 娘もおばあちゃんの所に行きたがります。「もうおばあちゃんのところに行ったら気持ちが良かったー、もう帰りたくないくらいだった」って。話しこんだら夜中の2時3時まで話しを聞いてくれるんです。 私は娘が話をしたいと言っても「もう眠いから嫌だ」「また明日ケンカするんだから、もう仲良くしない」と突っ張ってしまうんです。 娘が私に怒ってしまった次の日には、「悪いことをしてしまった。お風呂に入ったり掃除してるときはもうかっかしていて分からないんだよね」と自分の気持ちを書いた手紙をよくもらいます。 丁寧に自分の気持ちを書いているから、これは捨てたらいけないなと思ってとってあるんです。 ―――以前とだいぶトーンが違いますね。(笑) 娘さんの年賀状にも娘さんの優しさが書いてありましたね。 「あなたの優しさが会報に書いてあるよ」と言ったら、しっかり読んでいました。それこそ「隠さないで親の会ニュースは堂々と!」と書かれていますが、「うちそのままだよね、いつもそこに置きっぱなしにしてある」って言うんですよ。 「お母さんが気がついたときにパッと読みたいから、そのために置いてあるんだよ。あなた達に読ませるとかそういう気はない」って言ってるんですが、でも勝手に見ているんですよね。それで、昨日珍しく読んだって。 そしたら娘が「あんまり期待して読まないんだけど、でもなんか違うんだよね。なんか読むとホッとする、あったかい」と言ったんです。 私も同じことばかり話していると思うんですけど、でも皆さんの話を聞きたい、やっぱり必ず行かなくては、と思っています。 子どもも「お母さん、今度親の会どうするの?」と言うんです。「行って」ということなのかなと思って。そういう会話もしているんです。 1月の親の会が終わってすぐに、小学校のときからの友達が茨城から帰ってくるという電話をもらって、また鹿児島に出て来たんです。「15年ぶりだし、またいつ会えるか分からない人だからね」と出かけました。 1時間半くらいしか会えなかったんですけど、その人の生き方も刺激になりましたし、ラベンダーの花も植えていていっぱいのポプリと、マフラーも編んできてくれました。 だから私はいろんな人に力をもらっているんだなあと思いました。 ―――先々月より先月、先月より今月とあなたは変わりましたね。回を重ねるたびに、あなたの不安が少なくなっている。(やっぱりここにくるとね…) 自分次第ということなんですね。お気持ちが楽になって、子ども達を信頼していけば、子ども達も必ず不安が少なくなっていきます。 Tさんのお話にもありましたね。地獄を見たって言われたけれど、今では子どもたちがかわいくなったってね。 必ず人間って変化するんです。自分の一番の友達になろう、一番の理解者になってあげよう、自分を信頼しよう、ですね。 私は母に産まれてこなければよかった、とそんなことも言うんです。 母にも悲しい思いをさせてしまって、でもここにくると違う気持ちになるっていうか、最近それを感じるんです。 この間息子が腫れて紫になった手を見せたんですね。 私は見た瞬間に「あーきれいになったねー」「よかったねー」って言ったんです。以前は切れたり血がふきだしたりしてた息子の手を見て、私は「そんなにしていたら手が腐るから病院へ行きなさい」と言ってケンカしたんですね。 そうしたら息子が「自分で治るんだから。なんで信頼しないの」って言ったんです。 治ってきているのを見ると、この子は命を粗末にしていない、一生懸命自分で生きようとしている力が手に出てるんだって思ったんです。 子どもは私のことを信頼しているのに、親の私がどうして信頼しなかったのかなと思ったんです。娘も同じ日に足を見せて、だいぶよくなっていました。 ―――そしたらあなたは家をもう出たいと思わなくなったの? それはまた別で……(笑)、そこはまだちょっと揺れていて、出るかどうかはまだ分からないですけど。 ―――家を出て子ども達と別々に暮らして問題が解決できるか? できないでしょう。子ども達との愛情を結んでいって、はじめてあなたの気持ちが安心するんですね。 口で言うことと思っていることとは違います。あなたが自分のお母さんに言っていることと思っていることは違うように、娘さんや息子さんがあなたに言うことは、全然違うのね。 お母さん大好きだよ、って言っているんですね。こんなふうにお母さんのことを思ってくれているのね。ありがたいですね。 新しい一歩を踏み出そう 内沢 達 このところ例会で毎月のようにアランの『幸福論』を紹介しています。 僕らの会の考え方にとてもよく似ていて、100年近くも前の著作ですが人間考えることは同じだなと思います。表現がたくみで、気づきをいっぱい促がしてくれます。 アランは「幸福は些細なことによっている」と言っています。 幸福の反対は不幸ですが、その不幸のなかでも「本物の不幸」については、自分はなにも書いていないと言っています。たしかに、どうしようもない「本物の不幸」といったものがないわけではないでしょう。でも、そうではないのに、つまり「重大な理由もないのに」「自分が考え違いをして」不幸だと思い込んでいる人に、そうじゃないでしょ、幸せか不幸せかを分けるのは特別なこととか「重大な」ことではなく、日常の「些細な」ありふれたことですよ、といっているのです。 われわれが悩むのはほとんどの場合「本物の不幸」ではありません。どうしようもない不幸に遭遇したときは悩んでいるひまなどないと言ったらよいのか、その現実を受け入れるほかないでしょう。われわれがときに思い悩むのはまったくどうしようもないことではありません。まったく不可能なことではなく、一方ではなんとかなりそうにも思えるのに、他方ではどうやってもうまくいきそうには思えない、といったことで悩みます。 僕らの会の標語のひとつは、「解決の道は自分のなかにある」です。アランの言葉では「人間には自分自身以外に敵はほとんどいない」です。「ほとんど」ですから、まったくいないわけではないでしょう。でも、敵の「ほとんど」は自分自身だと言ってよいのです。まわりの状況がどんなに大変そうに見えても、ほんとうの困難はまわりにではなく、自分自身にあります。 ほんとうに現状を打開したいと思うのであれば、まわりを変えようとしないで、自分が変わればよい。自分が変わると言ったって、自分の性格は変わるものではありませんし、その人に特徴的な行動様式も簡単に変わるものではないでしょう。 アランの言葉では「考えを変えるだけでよいのだ。もしその気になればむずかしいことではない」です。 僕らは、不登校や引きこもりについて、じつはそこにあるのは見方、考え方の問題(だけ)だと言ってきました。それ自体が問題なのではなく、不登校や引きこもりはおかしい、良くないといった考え方にこそ問題があると言ってきました。 そもそも、誰も悪くないのに、今の子どもはおかしい、親がもっとだめだ、いや学校・教師こそ問題なのだなどと悪者や犯人探しをし、問題でないことを問題にしてみんなを悩ませてきたのは、ほかならぬそうした否定的なものの見方・考え方です。 そうではない見方が十分にできます。不登校や引きこもりはなにもおかしいことではないという新しい肯定的な見方・考え方ができるようになり、迷いながらであっても、誰よりも自分自身を一番大切にしてやってみるとうまく行くようになってきた、というのが鹿児島の親の会の経験であり、実績です。 だから、Kさんの場合の課題も明確です。なにもむずかしいことではありません。自分が建てた自分の家で自分が住み暮らすということです。他の何をしても、このごくごく当たり前のことをしないようでは、自分を大切にしているとは絶対に言えません。これは当たり前のことですから今すぐでもかまわないのですが、この3月が離島勤務(単身赴任)も終える区切りですから、チャンスが迫っています。これは、もちろんKさんご自身やご夫婦の課題であって、娘さんの課題ではありません。 「解決の道は自分のなかにある」というのはそういうことです。まわりを変えようとしないで、自分の課題に取り組むことです。娘さんが受け入れてくれるかくれないかではありません。そうした発想では自分の課題に取り組んでいるとは言えませんし、また娘さんを信頼していない証でもあって、二重に問題です。 でも、いきさつから不安もあって、アパートはひとまずそのままにしておきたいというのであれば、それでもかまわないでしょう。 とにかく一歩を踏み出すことです。事前のなんの説明も了解も必要ありません。「いままで、一人にしておいてごめんね。お父さん、お母さんはこれから自分たちの課題に取り組む。この家で生活を再開する」と告げて、二人で戻ればよいのです。そうした行動を開始して、初めて課題も具体的になってきます。 トモちゃんが言う「考えてばかりじゃだめ。行動しなけりゃ」というのもそういうことです。アランも言っています。「あれこれ考え込んでいる人はけっして決めることができない。理由や動機をせんさくする学校の分析ほど滑稽なものはなにもない。」「いったいだれが、行く道を選んでから出発したか。ぼくはそれをたずねる。だれも選択はしなかった。みんな、まず行動したのだ。」「だれも選んでいない。みんな歩き出している。どんな道もいい道なのだ。」 僕は学生に話すのですが、たとえば彼、彼女を好きなるとはどういうことなのか、自分に「好きになるぞ、好きになるぞ」と言い聞かせて人を好きになっている人間はどこにもいません。自分の考えを決めてから、彼、彼女を選んでから、好きになってなんかいません。気がついたときにはもう好きになっている。いつの間にか、自分の視線は彼、彼女のほうにいっている。「まず行動したのだ」「みんな歩き出している」とは、たとえばそういうことです。 でも、なにか困難なようなものに直面したとき学校の先生や大人たちが子どもに向かって言ってきたことは、「よく考えなさい。しっかり考えなさい」です。われわれも言われてきて、そうした思考方法にすっかり慣れっこになってしまっている。もちろん考えること自体が悪いわけではない。でも、今までと似たりよったりの考えをいくらくりかえしてもおぼつかない。堂々巡りのケースがほとんどではないでしょうか。 いままでの原理原則とは違う新しい原理原則にもとづく考え方が必要です。子どものために子どもをどうにかしようという今までの考え方ではなく、自分自身のために自分がどうあったらよいのかを第一に考える。そうすると確かにそうかもしれないと思えるようになります。 けれども、その実行に踏み切れないもう一人の自分もいる。いわば「二人の自分」です。どっちも自分なのだから、無理をしてどっちかにしてしまわない。どっちも認めていいんです。でも、それは、逡巡して自分自身の課題になにも取り組まない、ということではありません。 僕が言いたいことは、100パーセントそう思うようになってからとか、確信を持ってから行動するということはありえないということです。 確信は実際にやってみる、行動していくなかで生まれてくるものです。 Kさんには、是非、新しい一歩を踏み出していただきたいと思います。初めはおっかなびっくりで全然かまわないと思います。自分自身のことですし、誰かに見られているわけでもありませんから、かっこうなんか気にしなくてよいのではないでしょうか。娘さんの反応いかんではなく、自分が自分の課題に取り組むことができたなら、いっぱい自分をほめてあげましょう。自分自身の課題に取り組んだら、行動した後は自分の気持ちがどうなっているか、予想を立てながら、やってみましょう。 |
最終更新: 2010.5.5
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