TOPページ→ 体験談目次 → 体験談 2010年5月発行ニュースより
「いや、私ががんばらなかったから」 2010年4月例会報告(抄) しずりんさんは、「カラオケすっごく楽しかった」との息子さんの報告に、「よかったねー」と答えて嬉しそう。中3から不登校になって家にいる19歳の息子さんとの生活も自然な日々。かつてはスーパーに行っても人に会わないように急いで買物もすませていました。 TKさんも「前は人の目ばかり気にして自分を押し込めた生活をしていた」「今は自分がどうしたいかを一番に考えるようになって幸せ」と言います。みきこさんも「親の会に出会って自分が一番変わり、息子もイライラしなくなった」と。 永田さんはお母さんから「親の会に出会わなかったら、まだまだ辛い気持ちでいただろうね」と言われました。 会に続けて参加すると気持ちが楽になり、やがて子どもも落ちつき明るくなっていきます。 いけさんは友人から娘さんのことを聞かれ、友人が「そう、よかったね。あなたががんばったからね」との反応に、「いや、私ががんばらなかったから」と、我ながら「かっこいい!」ことを言ったと思いました。 妙子さんは、自分の気持ちを夫に遠慮せずに伝えることができるようになって自信がつき、HP掲示板にも「自分を尊重する」と書き込みました。 自分を一番に考え、自分自身を誰よりも大切にしていくと「解決の道」も見えてきます。 直美さんは「自分を大切にすれば相手への愛情もわいてくる」と。 永田さんの「息子のダラ〜ッとしてても気にならなくなった。それ以上に私がダラ〜ッとすればいいんだ」には大笑いでした。 相手を変えようとしない。子どもや相手のためではなく、なによりも自分自身のために自分の思いを伝えたらいいんですね。 Kさんは中学の教師。不登校の生徒がどのクラスにもいる。保護者に「がんばって行かなくてもいいんですよ。子どもさんはけっして無駄な時間を過ごしていません」と話してきて、卒業時に「その言葉は目からうろこで大変ありがたかった」と感謝されました。嬉しいニュースですね。 目次 1 わが子が口をきかないのは、親を信頼しているからこそ 直美さん、泰史さん 2 息子の薬漬けが不安になって・・・ 妙子さん 3 不安なときほど、自分を大切にして 重則さん・淳子さん 4 親の手助けは子どもの辛さに手を貸している 内沢 達 5 親の会の考え方を伝えて親子から感謝されて Kさん ―――みなさんの体験を交流していきましょう。「人の話はわが話。わが話はみんなの話」です。他の人の体験に、必ず自分に共通する教訓があります。「人の話はよくわかるけど、自分のこととなるとよくわからない」ことが多いものです。でも、自分に照らしてみると、「ああ、そうだなあ」とよくわかると思います。 わが子が口をきかないのは、親を信頼しているからこそ 直美さん、泰史さん ―――大阪からおふたりで来てくださいました。お久しぶりですね。 娘さんが中学の時に不登校になり、あなたは言いなりになったり、腫れもの扱いして、ますます娘さんも荒れてつらい時期がありましたね。 直美さん:そうですね。つらい時期もいっぱいありました。買い物でお金を使ったり、ドライブに付き合ったり、高校への入学金諸々で70万円くらいの大金を払ったり、いい勉強をしました(笑)。 娘は17歳になって家にいます。「お母さんに暴力をふるって申し訳なかった、どうしたら謝れるかしら」とすごくやさしくなりました。 少し前までは、朝11時頃まで寝ている私に代わって、朝食の支度から家事一切をやってくれましたけど、今はもうしていません(笑)。たまに自分が食べたいものがあるときだけ作っています(笑)。 今年の1月、娘の誕生日に私が娘へ手紙を書き、お金と一緒に渡したんです。「あなたは私の宝物、誇りです。私が親の会に出会うきっかけを与えてくれて感謝しています」という内容の手紙でした。 なぜかその頃から、娘はいろいろ聞いてもうなずく程度で、自分からはほとんどしゃべらなくなりました。 昨年10月にわが家の愛犬クリが亡くなったんです。その子を病院へ連れていく時にひとりじゃ大変なので一緒に外出したり、ついでに焼肉やラーメンを食べに行ったりと楽しそうにしてたんですよ。 2週間前に私について従妹の家へ行ったり、私の実兄が訪れてきた頃から、また荒れました。同年齢の従兄妹達の話を聞いたりしたものですから。つい私も言ってしまったんですよ。(―――何を?)何を言ったかさえもよく覚えていないんです(笑)。 娘が「だんだん離れていってるような気がする」と言ったんです。息子がガールフレンドを連れてきたりするのもイヤみたいです。ガールフレンドが短大生できれいに化粧していて、兄と楽しそうにしているのを見ると、自分と比べて落ち込むのか、そんなときはワァーと言っていました。 ―――しゃべらないことが何か不安なの? ごはんを食べる時、目の前で一点をじっと見ている娘の姿を見るのがしんどいです。私は気にしないようにふるまっているけど、目の前でやるのでアピールしているのかなあと思って(笑)。 しゃべるとニコッとしてくるので。(―――まあ、かわいい) 朝から夕方まで娘とふたりでいると、どよん〜とした空気の中にいるので、娘のことことが心配というより、自分がしんどいです(笑)。 ―――でも、直美さんは昼近くまで寝ていて、泰史さんが仕事に出かけるときも寝てるんでしょう(笑)。昼間は少ししか時間がないんじゃないの?(笑) 娘のことが目に入らないように、私はご飯を作ったり、お風呂に入ったり外出したりして気を紛らわしているけど(笑)、しんどいなあと思うし、普通にしゃべりたいんです。 以前は一生懸命私の話を聞いていて、逆に今の方が自然なのかなとも思います。心配はあまりしていませんけど。ふと気付くと、私ひとりがワァーとしゃべったりしてます(笑)。私の母が私にワァーワァー言うのでうるさいし、私も母へやさしい気持ちになれないので娘の気持ちもわかります。自分も反省しないといけないなあと思います。 ―――(内沢達):反省されてもいいし、何かアピールしているのかなあと思うのもいいけど、娘さんの行動や様子にとくに意味はありません。直美さんに限りませんが、子どものことを心配していると、ちょっとしたことも気になって「何かあるのかな〜」と思ってしまいがちです。でも、なにもありません(笑)。 娘さんは、娘さんらしい表し方をしているでしょうけど、他の子どもさんの場合と変わりません。 ひとことで言えば「ヒマ」なんです。ヒマだから、ときに一点を見つめるようにしていたり、またボーっとしていたりするんです。M子さんの娘さんの場合は、ヒマだからお母さんにからむんです。一つひとつの行動にとくに意味があるわけではありません。 反対に、ヒマであるにもかかわらず、時間をもてあまさないで、何かに打ち込んでいるようだったら、そのときにこそ「どうしたの?」って聞いたらいいんです。 僕たち親がよほどひどいことをしていたら別ですよ。そうでないのに、反省の念が脳裏をよぎってしまう。「母親である私がこうだから・・・」などと。 でも、そうした見方は二重におかしいんです。ひとつは自己否定です。否定する必要がない、否定してはいけない自分自身を否定している。もうひとつは、そう思って、子どものことも否定しています。 子どもだけではありませんが、人間は基本的に自分の意志や判断で動こうとする主体的な存在です。「親である私がもっとしっかりしなくちゃ・・・」といった受けとめ方は一面では結構ですが、もう一面では結構とは言えません。 それは、子どもの自主性や主体性を認めない考え方です。子どもを信用、信頼していない考え方です。 われわれ親は誰だっていたらないところがあります。それは、自分の親のことを振り返っても同じでしょう。でも、「自分の父親がこうだったから」とか「母親がああだったから」とか、自分自身のことについては、親のせいにしていないと思います。だから、わが子との関係も同じです。自分の息子、娘もかつての自分自身とほとんど変わらないんです。 子どもは親の前だからこそ、ほとんど無意識なんだけど親を信頼しているからこそ、ボーっとしたり、また「困ったな〜」といった気持ちを隠さずに表します。他人の前では、背筋を伸ばしピシッとして、内面を表すことなんかしません。 だから、親がつい心配してしまうような態度や表情を子どもがするのは、じつは悪いことではなく、親子の関係も悪くないということです。 親にまで気をつかってピシッとしていることがあったら、そっちのほうこそ心配しないといけない。そうではないのですから、僕たち親は自分にもっと自信を持っていいし、わが子もいい子だな〜と、もっともっと思っていいんです。 ―――ご夫婦の仲はどうなったの? 直美さん:夫以上にわがままが私にはできません(笑)。夫には細かいことを言うのが面倒なんです(笑)。 ―――「夫との仲が・・」というわりには、ふたりでいろんなところへ行かれ、HPにもいい写真をアップされて楽しそうな雰囲気が伝わってきますよ(笑)。 ふたりで行くんですが、夫は自分のことに夢中になってしまい、基本的にはひとりなんです。誘ってはくれますけどね。 泰史さん:僕は元々ひとりっ子なので、ひとりで遊んだりしてましたのでね。僕は電車に乗る旅が好きなので妻を誘って行きます。ふたりで行くと楽しいので。 直美さん:イヤミを言われるのもイヤなんです。例えば、「俺のかんおけ用意しとけ」に始まり、最近は「生まれかわっても、もう結婚しないし子どももいらない」と言います(笑)。夫は王子様で育ってきているから、何もしたこともないし、見て見ぬふりをしているなあと最近気づきました(笑)。 夫は家が散れていても「わあ、ゴミがいっぱいや」と言ってよけて通っていきます(笑)。だんだん夫もやってくれるようにはなったんですけどね。言うのがしんどいです。 ―――言葉がないと相手には伝わりませんね。(やっぱり) 私が耐えられなくなって掃除もするんですけど、汚れを感じないレベルは夫の方が上なので…(笑)。いちいち掃除してとか洗濯してとか言いたくないのです。家にいたらヒマそうに見えるんですよね。 泰史さん:僕は別に妻が朝寝てようがもう慣れたし(笑)、さびしくないし、決められた日のごみ出しもきちんとしています(笑)。掃除機もたま〜にはかけます。妻は毎日家にいるのだから掃除機くらいかけとけよ、と思いますね(笑)。 妻は昼まで寝ているので、掃除機かけたらうるさいだろうなと思って夕方かけていますよ。 ―――人の話って両方聞きかないとダメだねえ(大笑)。お互いに優しい思いやりがあるのね。ケンカしてもその真っ最中に、「私はアナタが好き」とやっちゃんに言ったという直美さんのメールを読んで私は感動しました。 直美さん:自分がキッチリやっている時は相手に腹が立つけど、自分がグータラしていると相手にも腹が立たないし、相手への愛情も出てきますね。自分を大切にすることが大事ですね。 泰史さん:ふたりで飲みに行ったり、映画に行ったりしてますよ。 ―――自分を大切にして、おふたりが仲良く楽しむと何より笑顔がいっぱいになりますものね。そのご両親の様子は、娘さんにとっても何より嬉しいことですね。おふたりでドライブに行ったり映画を観たり、おおいに自分の人生を楽しめばいいですよ。「今を生きる。今を楽しむ」ということですね。 息子の薬漬けが不安になって・・・ 妙子さん 28歳の息子が大学1年のとき行かなくなって、今精神薬を飲んでいます。薬漬けの生活に私は不安を覚えているし、夫との関係もうまくいっていません。 私はいろいろ考えて、夫へふたりでちゃんとやっていきたいという手紙を出しました。その後、夫はあまり怒鳴らなくなり、だいぶ表情がやわらかくなりました。夫に手紙を渡してから、夫の変化というより、私自身が自信を持つことが出来ました。もっと、自分を大切にして、楽しく毎日が送れるように、考え方を変えて行きたいと思います。私も自分の不安を出していたから、夫は仕事のイライラやストレスと重なって、「聞きたくない」と言ったんだと思います。家の中の雰囲気も少し変わりました。私も「お帰り」とか自分から言えるようになりました。夫は、「ただいま」とは言わないけどうなずくようになって。昔から夫婦の間では言ってませんでしたね。 ―――息子さんの薬も不安なのね。 ほとんど前と一緒で、5種類15〜16粒飲んでいます。 薬のことがどうしても私の中では受け入れられません。息子が飲んでいる薬の中に、副作用のある薬が新聞にのっていました。そういうのを読むと私は不安におちいります。本人に言ってもイヤがるので言わないけど、こんな薬を飲ませていいものなのか、医者に言うべきか悩んで、さっき朋子さんに相談したんです。 ―――本当は薬をやめてほしい、薬のせいで息子さんがほとんど自分の部屋にこもって寝ていたり、具合い悪そうな顔をするとますます不安になってしまう。おまけにまわりの人から大丈夫なのとあれこれ言われたり、専門書を読んだりするといっそう不安になるのよね。 はい。まわりの人は、引きこもっている息子のことを心配しているというより「こまった状況」と思っていて、一方的に言われるのがイヤなんです。おせっかいだなぁと思って。本はひとまとめにして外へ出しました。不安になると、まだたまに息子へ言ってしまうのですが、前より少し落ち着いてきました。まだまだ「信頼する」とまではいきません。 ―――息子さんのことは、かわいいと思われているのでしょう。 はい、思ってます。息子ふたりの小さい頃の写真を、パソコンの待ち受け画面に入れています。 ―――(内沢達):子どものことが心配でないかといったら、全く心配がない訳がない。心配はもちろんあります。あっていいんです。でも、子どものことを心配しても何も始まらない。 僕らの会は、僕らが自分自身の課題にどう取り組んでいるのかを交流しあっている会です。まわりや相手の反応いかんではなく、僕らが自分自身の課題に取り組むことができたらハナマルをあげようと。 妙子さんの例だと、昨年、息子さんの誕生日にメールを送りました。それは、息子さんを励まそうとか息子さんのためにということではなく、なによりも自分自身のためでしたよね(はい)。「あなたのおかげでお母さんは元気になってきた。自分の人生を大切にしていきたいと思えるようになったのもあなたのおかげ。ありがとう。誕生日おめでとう」と。息子さんの反応も悪くなかったでしょうが、自分自身のためにメールしたというところが一番大事なところです。 今の薬のことも同じです。心配がないかと言ったらあるし、あっていいんです。でも、「心配しないで信頼する」という考え方が大切なこともわかっていると思います。百パーセントそうでなくても、その考え方が大事なのがわかればできます。 じつは薬のことが心配というのも自分自身の不安です。そこで、普通だと「薬漬けは危ないから止めて!」と言ったりメールしたりするんでしょうが、それだと息子さんの課題になってしまいます。止めるか止めないかは息子さんの意思に委ねるほかない事柄です。 では、親はその点でまったく無力かというとそんなことはありません。同じ屋根の下に自分のことがきっかけとなって元気になったお母さんがいるということは大変な支えです。 だから、妙子さんも息子さんに変わってもらおうと思って言うのではなく、薬のことでも自分自身のために言ったりメールしたりするといいんです。「お母さんは、鹿児島の親の会で学んで元気になってきたし、薬は飲まなくても大丈夫と思うわ」と自分の気持ちを素直に伝えたらいいんです。 これは似ているようだけど全然違います。「薬はよくない。あなたは薬を止めなさい」というのと「お母さんは必要ないと思うわ」は違います。後者は相手に変わることを求めていません。自分の考えの表明が第一です。 自分の考えを聞いてもらえただけで満足する考え方です。息子さんも、それならオシツケを感じないですみます。相手に通じたかどうかではなく、自分の課題なんだから、自分が言えたらハナマルです。 初めはぎこちないところもあるでしょうが、だんだんあっさり言えるようになります。そうなったら大きなハナマルです。なにしろ自分自身の課題についての取り組みなんですから、相手のことを気にしないでやれるようになるはずです。 直美さんも同じです。一点をじっと見つめている娘さんに、その娘さんの状態をあれこれ詮索してなにか言おうとするのではなく、自分自身の気持ちを素直に口に出したらいいのだと思います。それは娘さんに変わってもらうためにではなく、やはり自分自身のためにです。「あなたのことをきっかけとしてお母さんはとても元気になってきた。お父さんとも仲良くなってきた。けれど、まだまだ自分自身がしんどい」と言ったらいいと思います。 「子どもじゃないのに大人の親がシンドイなどと言ってはいいのか」というのが普通の考え方です。が、それは固定観念にすぎません。子どもであれ大人であれ、誰だってシンドイときはシンドイんです。 本当に子どもを信頼するということは、親が自分の辛さや弱さを見せないことではありません。親も自分自身の課題に取り組んでいることを隠さずに見せてあげることだと思います。 不安なときほど、自分を大切にして 重則さん・淳子さん ―――鹿屋に転勤になり単身ではなく、おふたりで行かれたんですね。どうですか、楽しいでしょう。 ?重則さん:はい、2回目の新婚生活です(笑)。 (―――毎日遅いんですか)いえ、私が遅くまで残っているといけないので、5時半には家に帰ります(―――すばらしいじゃないですか)。 先月までは、子ども達ふたりだけで大丈夫なのかなと心配していました。しかしこの2週間の子ども達を見ていると、息子も「妹は思った以上によくやっているよ」と言って、その不安は全くなくなりました。 娘は24歳で今家にいます。26歳の息子も中学で不登校になって、24歳から働きだし3年になります。 ―――その息子さんが不安でいろいろ言ってきたときは、ご両親も不安ばかりが大きくなって親の会で何を言われているのか頭に入って来なかった。 ?淳子さん:そうです。会報を見るのも怖くなって、内沢さんが何を言っているのかもわからなくなった時期もありました。 重則さん:その時「ふたりで旅行に行きなさい」と言われたことだけはよく覚えています(笑)。旅行先に息子から電話がかかってきて、手首を切ったとか、いろいろ言われたりしました。そこまでして旅行に行かなきゃならないのか、その時も帰ろうかなと思ったんですが、やっぱりちゃんと泊まって帰ろうと思って。何回か旅行をしましたね。 淳子さん:そうやって電話があった日は大変で、次の日も大変なはずだったのに、でもあそこで食べた食事はおいしかったねと思い出して話すんです(笑)。だから楽しい思い出なんですね。 ―――海外旅行にも行ったら、と言ったら、「冗談じゃありません、1泊2日が精いっぱいです」と言われましたね(笑)。 淳子さん:それが今になったら残念だったなあと思います(笑)。 今までも2泊以上家を空けるということがお互いに不安だったんです。計画を立てたこともあったんですが、なかなかそこまで出来なかったんですね。 今年は2泊で山登りにも行こうと言っていたら転勤になって、子ども達と別々に生活するようになっても全然大丈夫で(笑)、今思えば1週間くらいの旅行をあの時にしておけばよかったなと思いました。今は何の制約もありません(笑)。 それこそ子ども達への信頼がまだなかったのかなと思います。(―――困難な時ほど大事ですね) 淳子さん:その時は不安の方が大きくて。映画を観に行っても最初の頃は何を観たのか覚えていません。観ているんですがそれどころじゃなくて気持ちは子どもの方にあったんですね。うちの息子はよくおしゃべりするんです。一緒にいて仕事の話とかを聞くと、また心配してしまうので、今回の転勤で離れて生活するようにしたことはかえってよかったのかなと思います。 ―――子離れできるいいきっかけになってよかったですね(笑)。ご夫婦の意見が合わない時もありましたね。 淳子さん:内沢さんはそう言われるけれど、自分の家は特別だと思っていました。最初の頃でしたけれど、息子がいろいろ言って来ることを聞くなとか、さっさと寝なさい、と言われて、息子に話を聞かないと言うと「朝になったら死んでるからね」と言われて、「なにもしない」ことの方が自分の中で不安で不安でたまりませんでした。でもやってみたらこれだけですんだんだ、と思うことがあって。 ―――やっぱり腫れもの扱いしていたのね。 そうですね。自分の中で「しない」ことができた時には、あっ出来たと思って、小さな自信につながって、それが積み重なっていったんだなぁと思います。 ―――(内沢達):お父さん、お母さんに聞いてほしいわけではなくて、自分の辛さ、苦しさを表しているだけなのに、聞き役になりなさい、と言うのが普通のアドバイスです。しかし僕らの会は違うわけです。それに付き合ったらダメだ、拒絶しなさいと言うんです。付き合っていい訳なんかないんです。聞くのも大変ですし、言えば言うほど不安がエスカレートして行くだけなんです。言いなりにならないということが共通なんです 親の手助けは子どもの辛さに手を貸している 内沢 達 (「つい要求をかなえたら、息子は楽になるんじゃないかなと思ってしまう」「まだまだ息子には気を使っているし、腫れ物扱いしているのかなあと・・・」というお母さんへ) 子どもがそういうふうなときは、取り合わないことです。ふつう子どもが大変そうなとき、「なんとか力になってあげよう」と思ってしまう。多くの人がそう思って余計なことをしてしまう。それがよくない。 力になってあげられないどころか、それは反対に子どもの辛さを助長してしまう。子どもは自分ひとりでできないだけならそんなに落ち込まなくてもすみますが、親に助けてもらってもできないとなると自己否定がいっそう深刻になります。 息子さんの場合、株をやるとかFX(外貨通貨取引)をやるとかほとんど空想的なことを言い出したら、この子はけっしておかしくなったんじゃない、反対にこの子は正常だという見方ができるか、というところが大事な点です。 自分を責めているときに多少おかしいことを考えるのは何もおかしくなく、むしろ当たり前なんです。今の自分が認められない状況なんですから。「ダメな自分」も含めて、今の自分を肯定できたときに、初めて息子さんはそんなことを言わなくなるんです。 だから、いま息子さんが言っていることを真に受けて、まともに付きあったら駄目なんです。取り合わないことです。 そこで、先ほどトモちゃんが読んでくれた今月(4月)の会報の「扉の言葉」が大事になります。「解決の道は自分のなかにある」という主体的な考え方がいつも一番といってもよいほど大事です。 まわりや相手をどうにかしようとしてはいけない。自分だって他人から変えられるのは絶対にいやなはずです。自分がいやなことを他人にしてはいけない。 その他人(他者)が妻であれ夫であれ子どもであれ親であれ、どうかにすることはできないし、少しはできるかもしれないけどしてはいけないんです。 その人はその人の意思で変わるべきときに変わり、自らの力で道を切り開いていくんですね。「一人称で伝える」とはそういうことにかかわっています。 子どもが「僕は(私は)、どうしたらいいの?」と聞いてきても、「あなた(おまえ)はこうしたらいい」と二人称で返事したらだめだということです。 子どもは不安だから「どうしたらいいの?」と口にしているだけであって、その通りの答えを求めているわけではありません。 鹿児島の親の会は始めて満21年になりますが、僕らが会で交流してきたことは、いつも僕らが自分自身のことでどうしている、どうしてきたかということです。間違っても子どもをどうしてきたか、ということではありません。 たとえば「それはうまいやり方ね。息子(娘)さんを励ましよくぞ元気にすることができましたね」といった、つまりは子どもをどうにかしたという経験はただの一度も交流していません。 人が人をどうにかするということはできない、あるいはしてはいけない。 けれども僕らは自分を主語にして、自分自身についてはおおいに語ることができ、子どもにも伝えることができます。 「一人称で自分自身が楽な気持ちになってきたことを伝える」ということが大事なのは、その相手が子どもでも同じです。 少し時間はかかっても、子どもに「お母さん(お父さん)はこのところとても明るく元気だ。そうか。僕のことがマイナスではなく、プラスだったんだな〜」と受けとめてもらうことも十分可能です。 子どもは子どもで自分の力で道を切り開いていきます。僕らが今後とも自分自身を一番大切にしてやっていくと、よい答えも自ずと出てくるというものではないでしょうか。 親の会の考え方を伝えて親子から感謝されて Kさん ―――中学の教師をしていらっしゃるのね。娘さんが障害を持っていて、その娘さんを愛おしいというお話をしてくれました。 中学校の教師をしています。我が家は特に変わりなく、明るく幸せに、娘も日々笑顔をふりまいています。来年度小学校に上がる年なので、娘が日々生き生きと過ごすためにはどういう環境がいいかと妻と話しています。わが子のことではそういう感じで、特に大きな変化もなく過ぎています。 3月に担任をしていた3年生を送り出しました。私の担当したクラスにも登校拒否している子が数名いて、この会のこの場の空気を少しでも子どもやその保護者に送り届けられたらと、会報に出ている言葉も使って接してきました。 最後送り出す時に、その子たちの表情やその保護者の方からお礼の言葉もいただいたりして、まだまだ勉強不足なんですけども、こちらで聞いた話を伝えたことは良かったなあということをほんとに感じました。 もしかしたら異色の教師という接し方だったのかも知れません。これでよかったのかなあというのもあったんですけども、最後はそういう場が確認できて良かったと思っています。 ―――何人ぐらいが不登校なんですか。 そうですね。6,7クラスの各学級1名ないしそれ以上の学級もあります。 以前は暴力や喫煙などが学校の大きな課題だったんですけれども、今はおそらくどこの学校も登校拒否のほうが大きいんじゃないかなあ。 ですので、異色といったら失礼ですけども、こちらの会の考え方はとても・・・ ―――異色なわけ?(笑)(そうですよ。) 全体としては学校にどうやって来させるかという感じなのよね。 学校の先生も辛いですね。上司やまわりから「君のクラスの子はいつまでも休んでいる」と言われたらね。 そういうプレッシャーはなきにしもあらず、それを感じながらですよね。 そういう中で「そんなに頑張って行かなくてもいいんですよ。今無駄な時間を過ごしているわけじゃないですからね」と言うと、長いこと苦しんできた方にとっては、その言葉は眼からうろこで大変ありがたかったと3月の最後に聞いたものですから、「あー、なるほどよかったんだなあ」と思いました。 最初、自分も無責任に言っているんじゃないかという部分がどうしてもあって、でも、目の前の子どもや親がそういうふうに最後に言ってくれて嬉しかったです。 ―――あなたに、プレッシャーはないのですか。 もうずいぶんないですね。もうそういうことは気にならなくなりました。 ―――やっぱり本人次第ですね。ご本人が自信を持ったら言わなくなるものね。 そうですよね。今年1年間3年生を持ってなおいっそう思うようになりました。 ―――あなたのお仕事にとっても良かったですね。(ほんとです) 素晴らしいですね。子ども達が救われるよね。(同僚にも語っていこうと思います) |
最終更新: 2010.7.17
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