No.208
2002年06月15日 12:59
送信者:おかあ
表題:聞いてください
初めて書き込みます。
今年の4月から5年生の長男が学校に行かなくなり、親の会に参加しました。
頭ではわかっていても私の心の奥には学校信仰の考えがなかなか消えてくれず、私なりに苦しみました。でも今は親の会のみなさんのおかげで本とにこれでいいんだと自分の気持ちが変わり自分でこの変化にびっくりしています。
長男も元気にのびのび過ごしています。
私もすごく楽になりました。ありがとうございます。
最近は1年生の次男も行かなくなりました。いつも私が手を引いて連れていってました。
その中で次男の様子が変わってきて、そろそろ限界かな・・という直感みたいなのを感じました。
「なんでぼくだけ・・学校行きたくない!」と始めて訴えてきました。
私はホッとしました。
行かなくなって心からの笑顔や生活のゆとりなども感じています。
先日次男に「おかあさん、なににこにこしてるの?」と言われました。
行かなくなって、楽しく過ごしている次男を見てるだけで、満足でした。
ただ主人と始めて意見の相違がありました。
1年生の子はまだ慣れないだけでもうちょっと行けば楽しく行けるのでは?と主人は思ったようです。
少しもめましたが、今は主人も私と同じ気持ちでいてくれてます。
ただ次男が「勉強きらい。したくない。ずっとしなくていい?」と言ってきたとき、うなずいたもののまだ6歳の子に「勉強しなくていい」と断言していいのだろうか・・と少しかんがえてしまいました。
皆さんはどう思われますか?
PS:次男がもう限界かなと感じた行動は、私が朝送って行った時後追いがひどくなったこと。学校の様子を聞いたら、チック症状がでてきたといわれたこと(腕と座って膝をしゃぶる)などです。
No.210
2002年06月15日 13:51
送信者:konan <
>
表題:勉強しなくても全然OK
勉強しないと大変と思うかもしれませんけど、勉強って、学校に行かなくてもいくらでもできるものなんですよね。
勉強とは、人にやらされるものではなくて、自分からするものではないでしょうか。
おかあさんが、子どもさんの将来にたいしてたくさん不安はあるかもしれませんが、人間誰しも、自分で何かを勉強して、見につけていく能力があると思います。
子どもさんも、自分でなにかを勉強しようと思ったときに、自分からどんどんしていくと思いますよ。
私は学校に行ってても、全然勉強はしませんでした。
テストも悪い点ばっかし。笑
でも、学校に行かなくなってからは、不思議ともっともっと
いろんなことに興味をもつようになりました。
不思議ですよね。
結局感じたのは、私にとって、勉強をしないといけないという環境のもとでは、やりたくないという気持ちが先にでて、そういう環境でなくて、なんでもしていいという場合だと、逆にたくさん、たくさんいろんなことに興味がでてくるということでした。
おかあさんのお子さんも、自分で勉強しようと思ったら、これからいくらでも、自分でしますと思います。
勉強って、学校でするのだけが勉強でしょうか。
いろいろな、疑問をもって、それを自分で解き明かす、それが、ゲームであったり、漫画であっても、それも勉強じゃないでしょうか。
学校という枠にとらわれずに、のびのび過ごすことで、本当の意味で、いろんな勉強ができると思います。
不安なときは、いつでも、よもぎ亭に遊びにきてくださいね。
No.211
2002年06月15日 16:09
送信者:naobu <yu-k@btvm.ne.jp >
表題:There is no
probrem.
おかあ・さんへ
6歳の息子さん、とっても率直にものを言って素敵ではありませんか。
息子さんの感じていること、言っていること、まさしくその通りですよね。
息子さんのあるがままを信じて大丈夫だと思います。
ウチの次男も小学校入学早々から学校へは行っておらず、もう3年目なります。
それでも、ウチでは学校でやるような勉強は一切しておりません。
上の二人の子も同様です。
長女は、絵を描いたり、小物を作ったりするのが好きなのですが、本を見てその通りにしたり、人の真似をするのはイヤなのだそうです。
ましてや、人から教えてもらうなんて、とんでもないと言います。
姉弟三人、ゲーム・まんが・TV三昧の日々です。
しかし、子どもたちの夢中になってやっているゲームを見ていて感じますが、学校の教材なんて陳腐で、無味乾燥に思えてきます。
(おかあ・さんもゲームをされるとお聞きしました。釈迦に説法ですね?)
私の錆びついた思考力ではとうてい太刀打ちのできない分野だと思い知らされています。
テレビゲームであれ、カードゲームであれ、柔軟な思考力、素早い判断力、深い知識力が要求されます。
勿論楽しいし、好きでやっているからこそ、本やインターネットで徹底的に調べ、考えながら工夫して何度でも繰り返し挑戦できるのでしょう。
そのための苦労は、苦労ではないですよね。
集中力もかなりのものだと思います。
確かに、ウチの次男は9歳の今でもひらがなは書けません。
しかし、新聞に出てくるような難しい漢字が読めたり、数字にはめっぽう強いです。
ビーエーケイエーと、ローマ字でしゃべったりすることもあり、親をからかいます。
以前は、「なおぶーはかっこよさに違反しているねぇー」と言ってほめてくれたのですが、
今では「なおぶーは、かっこわるさに限界がないねぇー」とか、 なおぶーとじぇり(妻のこと)は、「でぶ」と「ぶす」だから、合わせて「でぶす」だねぇーと、正直にものを言うようになりました。
「じゃあ、とぅる(次男のこと)は、でぶすの子どもの3番目だから、でぶすこスリーだね!」と言い返しています。
ところが、彼は更にその上をいって、でぶすな親だから、でぶすおや→デブソーヤの冒険だねぇー!とかなり表現が飛躍していきます。
そこまで行くとみんなもう大笑いです。
そんな変な言葉遊びをしていますが、楽しいじゃないですか!
好きな人ができて、想いを伝えたくなったら、文字を書く練習をするのかもしれません。
あるいは、今の時代親指だけでメールを送り、想いを伝えてすませるのかもしれませんよね。
それはそれで全然かまわないよね、と夫婦で笑っています。
konanさんのおっしゃるように勿論、一生勉強しなくたってOKだと思っています。
(no probremですね。)
学校に勤めていた頃は、教えたり教えられたりしていると錯覚して、子どもたちをたくさん傷つけていたなぁーと反省しています。
人は、教えようとすると学ばないものだと思います。
学校というところは、むしろ、多くの子どもたちの学ぶ意欲や喜びを奪っている所だとも言えるのです。
学校というものをもっと相対化して捉える視点が必要だと思います。
断じて命をすり減らしてまで行くような値打ちのあるところではありません。
それよりも、6歳の息子さんは家庭の中でゆっくりとのんびりと休みたいのではありませんか?
今まで無理して頑張った分、かなり消耗しているのではないかとも思います。
そのようなときは、好きなことさえやりたくありませんよね?
こうやって、パソコンに向かってキーボードをたたいていると、とぅるが、目玉焼きを作って持ってきてくれました。(今、彼が自分で作れる唯一の料理です)
ご飯を食べた後は、多分、「コヒー飲む?牛乳たっぷり入れるんだよね?」と聞いてくると思います。
どうです?こんなに楽しくて幸せな暮らし、やめられませんよ。
おかあ・さん、また、よもぎ亭でおしゃべりしましょうね。
No.217
2002年06月16日 22:43
送信者:aimi
表題:かわいいお友達♪
今日の親の会も笑いいっぱいでとっても楽しかったです。
せっかくHさんちが親子できてて
ゆかちゃんとお話してみたかったのに残念。
また今度会えたらお話しようね!
しかし今日はちっちゃなかわいいお友達が出来ました。
みんながはなしをしてる中おえかきを楽しみました。
動物、フルーツ、などいろいろ書きました。
くまさんを横向きで書いた絵を見たときはちょっと驚きました。
あんまりくまを横向きで書くことなかったので・・・。
不登校になって2年ほど、鉛筆を持ったのも、絵を書いたのも
すごく久しぶりでした。
中学までは絵が好きで授業中も絵ばっかり書いていた私が 高校に入って大好きだった絵も、漫画も読まなくなりました。
それだけ余裕もなかったし気力も無かったんだと思います。
田舎では田植えが終わりました。
田植えまっただなかのころ久しぶりにお婆ちゃんから 電話がありました。
良ちゃん(お父さん)に用があったのですが、もう出勤した後で 私と話をしました。
その日お婆ちゃんは私とお父さんが田植えを手伝いに 帰ってきた夢をみたそうです。
私が田植えは手伝えないけど料理はするね。と言っていたらしい・・。
お婆ちゃんは夢でまで田植えをしてるなんて せめて夢では旅行にくらい行っててほしいです。
田植えで疲れて家事をするのは70すぎたお婆ちゃんには とてもきついだろうとおもって帰ろうかどうか迷いました。
でも結局帰れませんでした。
散々お婆ちゃんとやりあったことはまだ私の中で 癒されきれていない傷として残っているのだと再度気付かされました。
そしてまだどこかで期待に答えなければと 思ってる自分が居るんだと感じました。
何もしなくていい、ただそこに居るだけでいいんだ と私はやっと思い始めた所です。
私も勉強しなければ、学校に行かなければ、 と思ってる時期が長くありました。
何もしてない自分を責めて真っ暗!って時期が・・・。
何もしてない、何も出来ないことで 自分が生きてる事さえ許されないのでは、
私はここに居ていいのだろうか・・・と何度思ったか知れません。
今は私がここに存在してここに居る!
そのことがどんなに大切ですばらしいか気付き始めたところです。
何かしてるから、働いているから、勉強してるから 私がここに存在するんじゃない。
ただ、ただ生きている。
何にもしてなくてもとーっても価値がある。
それはどんなひとでも。
何かしてるしてないは関係ないんだよね。
テレビで外国の人が
「子供の発達が早いか遅いかより、 その日一日子供が幸せかどうかのほうだ大事」
だと言ってました。
ほんとにそのとおりだと思います。
発達に限らず、学校に行く、勉強する、何かしている 何かできる事よりずーっと大切だって思います。
その日、そのときは今だけ。
明日やあさってましてや未来なんて誰にもわからない。
誰にも保証できないよ。
だったら今日を楽しんで幸せでありたいと私は思います。
悩み、落ち込む事がこれからもあるけれど、 人間だからあたりまえ!そのときの自分を大切にしたいと思います。
泣いて笑って、落ち込んでとってもたのしそうじゃない?
久しぶりに書いたらメッチャ長くなっちゃったよ!!
まぁいっか♪
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