登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島) 登校拒否も引きこもりも明るい話


TOPページ→ みなさんの体験談 → 体験談(掲示板より)




体験談(掲示板より)


 引きこもりは問題だ。すぐどうにかしないと、治さないとと思っているそこのあなたに読んでもらいたい。
 のんびりと引きこもっているayakoさん、aimiさん、reikoの3人それぞれいろいろな道を辿ってきました。



 そして、今休むことの大切さ、自分を大事にすることの大切さ、そして何より、日々こうやって自分に無理をしない、でもとても自然な生き方ができて、幸せをかみかみしてるところです。



 それぞれの記事に、とても重要なメッセージが入ってます。
 どこかの「○きだし屋」(笑)などに頼みそうになったそこの親御さん! 
3人の記事をじっくり読んでみてくださいね。



 後半は勉強をいっさいしなくても本当にだいじょうぶなの?と心配される「おかあ」さんの場合を見てみましょう。


 1れいこ、aimiさん、ayakoさん、3人の書き込みより

 2.勉強いっさいしなくてもだいじょうぶ?!「おかあ」さんの場合





2002年09月16日 11:49
送信者:reiko
表題:私のこと


 (お悩み相談掲示板にもカキコしましたが、ここにも載せました。)


 はじめまして こんにちわ Kanukaさん。
 ここの管理人のれいこと申します。^^



 Kanukaさんの投稿を読んで、私自身のことをとても思い出しました。 



 私自身、そういう風にずっと思っていたから。
 なにかしたい、〜しないといけない時期にもうなってるのに、 なにもできない。



 外にでるのが、とってもおっくう。
 人に会うのが辛い。
 でも、何が原因なのかわからない。。。
 この先、どうしたらいいのかわからない。。。



 ずっとそう感じ、そして思っていました。
 どうして、自分だけ、こうなんだろう。。。
 どうして、ほかの人は、いろいろなことできるのに、
 どうして、どうして自分だけ、何も、できないんだろう。。。



 そうやって、私自身、自分で自分のことをずっとずっと、 このことで、責めつづけていました。



 でも、はじめは、その自分自身を自分でこのことによって、 責めているということにも気づきませんでした。 そして、自分に無理をしている。
自分の心の声を無視して、がんばって、外にでてる。。。
ということにも、気づきませんでした。



 私の場合、親が、「がんばらなくてもいいんだよ。」
 「無理しなくてもいんだよ。学校に行きたくなければ行かなくていい。 働きたくなければ、働かなくてもいい。」というのにです。



 身近にそういう人がいても、自分自身が無理をして、がんばっているうちは、そういう言葉は耳に入ってくるけれども、 自分でそれをはねのけ、外にでてがんばっていました。



 でも、私のがんばりも、ついに切れてしまいました。
 去年、私はタイにずっといました。タイが好きで、好きで (正確には、タイ料理が好きで。。。ふふ。。)タイに行ったのに、気づいたら、 家の外から一歩もでれないぐらい、疲れ果てていました。



 前は、一歩、いや、何歩かはでて、どうにかバイトも、学校もいけたのに。。。。そう、思いました。


 
 でも、私はそれは、体からの警告じゃないかとも思いました。
 ずっとずっと、心の奥底で疲れてる〜〜〜、休ませてくれーー といっていた、心の声をずっと無視しつづけ、自分をだまし、 いつかは、登校拒否の子どものように、自分も休まないといけないんだろうなあと 思いつつ、 決してそれを実行に移すことはしませんでした。
 できませんでした。 その勇気が私にはありませんでした。



 でも、タイから戻ってきて、ほんとうに心身ともに今までの疲れがピークに達したとき、家から本当に一歩もでれなくなったとき、 私は、心のそこから、「ああ、本当に、休まないといけないんだなあ、自分をいままでたくさん、たくさんいじめてきたぶん、 これからは、自分のことをたくさん、たくさんいたわってあげよう」と思うことができました。



 それでも、はじめは、閉じこもっている自分をたくさん、たくさん責めました。
 まして、こういう世の中。
 閉じこもる自分自身を、世の中は否定している。
 そして、周りはどう思うだろうかと何度も、何度も眠れない夜を過ごしました。



 でも、その時は本当に、そういう風に思っても外にでれないくらい、自分自身疲れていました。



 今、家で本格的に閉じこもりはじめて、9ヶ月。
 今、やっとやっと、閉じこもる自分自身を認めてきています。
 今まで、自分に無理して、自分にうそをついて、そして、その結果、 疲れ果てた自分を休ませてあげることに専念してあげようと思えてきました。



 こういう風になるまで、私の場合、6年以上かかりました。
 だけど、今はその過程があったこそ、辛い思いをたくさんしてきて、疲れていたのに、 自分にムチをうって高校にずっといってきた事もすべて含めて、認めることができるようになりました。
 


 そういう過程があったからこそ、今私は、自分を大切にすることの重要さを知ることができた。
 自分を大切にすること、わがままに生きることで、自分の中で今までなかった、余裕がたくさん、たくさんでてきた。



 だから、私は今、とても感謝しています。
 そういう風に、無理をしてきたこと。
 自分にうそをずっと、ついてきたこと。
 でも、それによって、今の自分があること。



 今もたくさん、家でのんびりすごして、ゆっくり自分自身を休ませてあげることに専念しています。
 


 途中いろいろあったけど(将来の不安とか)、でも、それもすべて、よかったな、とてもよかったと思える今日この頃です。



 これから、あと何年休むかは、自分次第。
 自分の心が決めること。
 一生休むかもしれないし、働くこともないかもしれない。
 でも、それもそれで、そういう人生でもいいんじゃないかと思ってきました。



 「無理しなくてもいい」「がんばらなくていい」といくら、人に言われても、 私自身が、ほんとうにそのことに気づくまでは、まわりがいくらいっても、わからない。
 でも、それはそのとき、そのときの自分にとって、そう感じるのはとても自然なことだった。



長くなってしまったけど、私のことばかり書いてしまったけど、 こういうふうなことを、感じられて、考えることができて、自分を大切にすることが、実はどれほど重要なことなのかという事を 知ることができて、私はなんて幸せ者だろうと、毎日チャット、たまーにHPつくりをしながら感じています。



2002年09月20日 01:04
送信者:aimi
表題:自分


朝の7時ごろ寝て夜7時ごろタムレ(同居猫)に起こされ起床。
買い物に出かけて、夕ご飯の準備。



それから食べては、吐き。食べては、吐き。
チャットしながら食べては、吐き。
で朝になる。



ほとんど毎日こんな感じ。



 普通の人?ならこの生活異常だって思うよね。
昼夜逆転に過食拒食。
でも今の私にはこれがとっても正常。


過食って辛い事だと思ってた。


 毎日食べては吐いて何してるんだろう。
こんな事やっていていいのかな?
そんな自分が大嫌いだったよ。
今振り返っても辛い毎日。


 初めは学校に行けない自分を、そのうち過食という行動を否定してた。
食べて吐くのは異常だって。
毎日自分の体重が気になって一キロでも痩せていたい。



 やせていなければならないそう思ってた。
わからず屋の、おばあちゃんに自分の苦しさを訴えたかったから。


 でも引っ越しておばあちゃんと離れても私の過食は続いてる。
食べては、吐きを繰り返し自分を否定しつづけた。


 何でそうかって考えると
過食って言うのを病気だと思ってたんだよね。ずーっと。


 良くないもの。おかしいもの。治すべきもの。異常なもの。
辞めようと思っても辞められない。



 だからそういう自分を否定しつづけてた。
行きたくても学校に行けない自分を責めつづけていたように。


 「登校拒否はいいけど過食は治したい。」
はじめは家のお父さんはこんな感じだった。
すごく多いよねこういう人。


 なるべく苦しまない方がいい。楽なほうがいい。


 自己否定、引きこもり、脅迫行動もみんなそう。
治すべきもの。
今じゃなくてもいずれは治そうみたいな。
かわいそうだから。良くなってほしいから。


 登校拒否なら、行くのが当たり前だって思っているように、
過食拒食、脅迫行動なら、治すのが当たり前。
自己否定なら、しないほうがいい、自分を好きなほうがいいって。


 過食や拒食、脅迫行動で病院に通っても治らない。
むしろ悪くなるのはなぜ?


体が求めた自然な行為だから、病気じゃないからだって思う。


 それを否定されてるんだよね。だから自己否定もする。
良くないものだって決め付けられてる感じ。


 過食拒食は良くない。自己否定は良くない。脅迫行動は良くない。
今の自分じゃいけない。
治すべきもの、そうじゃないほうが良いってことは 
こう言われてるのと同じ。


 おばあちゃんと暮らしているころの私は、
食べ物を隠され、過食はダメだと言われつづけていたのと同じ。
そして何より私自身が自分を許さない。
今のままでは自分は ダメなのだと責めつづける。


 何かに追い立てられるように
食べつづけ吐きつづけ体重落としまくっていたころに
「親の会」に行っていたお父さんは過食を辞めろとはいわなかったよ。


 私がすることに何も言わず、
あの時自分を責めつづけた私に何もしなかった。
食べつづけ吐きつづける私に食料を買ってきて、 好きなようにさせてくれていた。


 あのころ私はすごく苦しかったよ。
あんな苦しみ二度と味わいたくないよ。
でもその苦しみさえ良しとしてくれないのは、 取り除こうとするのはあるがままでいいというのとは違うよ。


 あの頃の私をそのまま受け入れてくれた。だから私は今があると思う。
過食するのもいい。自己否定もいい。
そんな自分でいいのだ、それがいいんだ。



そう思うのは、私を過食や自己否定も含めて 良しとしてくれたからだって思うよ。



 なんだっていい。どうだっていい。
自己否定していたっていい。引きこもればいい。
自信がなくたっていい。過食拒食もそれでいい。
脅迫行動もすればいい。
それでいい。そのままでいい。



 だって必要なんだもん。
だからしている。どこかおかしいからじゃない。
とっても自然な事。自然な感情。



 それを奪うんだよ。
辛く、苦しい今を周りがどうにかしてあげようとしても
私は余計に自己否定するだけだった。


 周りは何もしなくていい。



 全て本人が自分でしていく。
自分で納得して自分で許していく。



良かれと思ってやってもいい事は一つもない。そう思うよ。



 誰であっても今の気持ちを本人が辛いからといって取り除いていいの?
今のありのままを良くないと否定してるんだよ。
苦しまない方が、楽なほうが良い、苦しむのは良くないって。
自己否定してはいけないって。



 ただ見守り今を受け入れてそれでいいのだと言ってほしいよ。



 初めに書いたように、今も私は過食しています。
治す事、辞める事なんてちっとも考えません。
私にとって息をするようなもの、 今必要な事として過食をして吐きまくってます。



 私はこの生活をとても幸せだと思います。
大好きなお父さんと暮らし 過食をして自由に好きなことをしていられる。



自分自身に正直な状態 それが今の生活。
やっと自分自身を許しながら、ゆっくりさせはじめたところ。
これから先 過食しなくなるかもしれないし、 そうじゃないかもしれない。



 現状が変わり これからどうなるか分からないけど、 過食をし 痩せていたいと思う自分もとても好きだと、 私は今これでいいと心からそう思うよ。



 長い間自己否定して、
自己否定してきたから今の自分があるんだってすごく感じる。



 そういう過程が私にとってすごく大事だって、大切だったって思う。
それを他人が取り除いちゃったら私はもったいないって思うけどな。
自分を見つめて向き合っている時だって、 大事な時間を過ごしているんだって思う。
それを奪う権利は誰にもないよ。



2002年09月20日 08:00
送信者:ayako
表題:reikoちゃんへ


おはようございます。お元気ですか?
いつものように夜更かししてたら朝になってしまいました。。



掲示板に、とってもいい書きこみがしてあるとおしえてもらったので 遊びにきました。



 reikoちゃんとおんなじように、私も完全にとじこもりができるように なるまで、丸6年かかりました。
 今から思うと、本当にあの出掛けて いたのは何だったんだろう。。。?と不思議に思うほど、今じゃ とても考えられません。



 きっと、楽しいと思うことよりも、 緊張や恐怖の方が大きかったと思うのだけど、当時はそんなこと、 全然気付きもしませんでした。



 今、1歩も外に出なくなって5ヶ月になるけれど、どんどん本来の 自分自身になっていくことで楽になったり、そのことを嬉しく思った りする一方、物音や人の声にとても敏感になり、その度に不安 になります。



 それは今のマンションが、前のマンションに比べて狭い だけでなく作りがボロっちぃせいか、物音や声が響きやすいのです。
(毎朝、どこからともなく、おじさんの「へックシ!」という くしゃみが聞こえてくるの。)そのため、



みんな普通に暮らしてる人でも聞こえてくるのに、 私なんて、大声で怒鳴ったり物にあたったり きっとまわりの人に迷惑をかけてる、そして今度越してきた人はヘン な人だときっと私のことを怒っている・・・・と思ってしまうのです。



 でもそう思ってしまうのは、自分をまわりの人達とは違う、自分は いい意味でも悪い意味でも特別である、という思いが強くあったから だと思います。



 でも、 私はとじこもりという私の生活を持っていて、皆もそれぞれに 生活を持っていること。生活していれば色々なことがあり、毎日 笑って過ごせたらいいけれどそういう訳にもいかず、それでも 人は毎日毎日、生きてゆくこと。



 晴れの日も雨の日も同じように一日はすぎてゆき、前へ 歩きつづけることは、どのような生活をしていようと関係なく、皆が 共通することで、まわりの人は皆同じで私だけが違うのではなく、 皆それぞれの生活を日々歩んでいるという点で、私もまわりの人も
おんなじなんだ、と思えたとき、またひとつ楽になりました。



 実はこれ今朝思ったの。だからつい1時間ほど前まで一人で おびえてたのです。でも苦しんでもそれを突破でき報われたとき、 いつも、ああ、無駄じゃなかった、と嬉しくなります。






No.208
2002年06月15日 12:59
送信者:おかあ
表題:聞いてください



 初めて書き込みます。
今年の4月から5年生の長男が学校に行かなくなり、親の会に参加しました。



 頭ではわかっていても私の心の奥には学校信仰の考えがなかなか消えてくれず、私なりに苦しみました。でも今は親の会のみなさんのおかげで本とにこれでいいんだと自分の気持ちが変わり自分でこの変化にびっくりしています。



 長男も元気にのびのび過ごしています。
 私もすごく楽になりました。ありがとうございます。
 最近は1年生の次男も行かなくなりました。いつも私が手を引いて連れていってました。



 その中で次男の様子が変わってきて、そろそろ限界かな・・という直感みたいなのを感じました。
「なんでぼくだけ・・学校行きたくない!」と始めて訴えてきました。
私はホッとしました。
 行かなくなって心からの笑顔や生活のゆとりなども感じています。



 先日次男に「おかあさん、なににこにこしてるの?」と言われました。
行かなくなって、楽しく過ごしている次男を見てるだけで、満足でした。
ただ主人と始めて意見の相違がありました。



 1年生の子はまだ慣れないだけでもうちょっと行けば楽しく行けるのでは?と主人は思ったようです。
 少しもめましたが、今は主人も私と同じ気持ちでいてくれてます。



 ただ次男が「勉強きらい。したくない。ずっとしなくていい?」と言ってきたとき、うなずいたもののまだ6歳の子に「勉強しなくていい」と断言していいのだろうか・・と少しかんがえてしまいました。



 皆さんはどう思われますか?
 PS:次男がもう限界かなと感じた行動は、私が朝送って行った時後追いがひどくなったこと。学校の様子を聞いたら、チック症状がでてきたといわれたこと(腕と座って膝をしゃぶる)などです。


 



No.210
2002年06月15日 13:51
送信者:konan < >
表題:勉強しなくても全然OK


 勉強しないと大変と思うかもしれませんけど、勉強って、学校に行かなくてもいくらでもできるものなんですよね。
 勉強とは、人にやらされるものではなくて、自分からするものではないでしょうか。



 おかあさんが、子どもさんの将来にたいしてたくさん不安はあるかもしれませんが、人間誰しも、自分で何かを勉強して、見につけていく能力があると思います。



 子どもさんも、自分でなにかを勉強しようと思ったときに、自分からどんどんしていくと思いますよ。
 


 私は学校に行ってても、全然勉強はしませんでした。
 テストも悪い点ばっかし。笑
 でも、学校に行かなくなってからは、不思議ともっともっと
 いろんなことに興味をもつようになりました。



 不思議ですよね。
 結局感じたのは、私にとって、勉強をしないといけないという環境のもとでは、やりたくないという気持ちが先にでて、そういう環境でなくて、なんでもしていいという場合だと、逆にたくさん、たくさんいろんなことに興味がでてくるということでした。



 おかあさんのお子さんも、自分で勉強しようと思ったら、これからいくらでも、自分でしますと思います。
 


 勉強って、学校でするのだけが勉強でしょうか。
 いろいろな、疑問をもって、それを自分で解き明かす、それが、ゲームであったり、漫画であっても、それも勉強じゃないでしょうか。



 学校という枠にとらわれずに、のびのび過ごすことで、本当の意味で、いろんな勉強ができると思います。



 不安なときは、いつでも、よもぎ亭に遊びにきてくださいね。

 



No.211
2002年06月15日 16:09
送信者:naobu <yu-k@btvm.ne.jp >
表題:There is no probrem.


おかあ・さんへ


6歳の息子さん、とっても率直にものを言って素敵ではありませんか。
息子さんの感じていること、言っていること、まさしくその通りですよね。
息子さんのあるがままを信じて大丈夫だと思います。



 ウチの次男も小学校入学早々から学校へは行っておらず、もう3年目なります。
それでも、ウチでは学校でやるような勉強は一切しておりません。
上の二人の子も同様です。



 長女は、絵を描いたり、小物を作ったりするのが好きなのですが、本を見てその通りにしたり、人の真似をするのはイヤなのだそうです。



 ましてや、人から教えてもらうなんて、とんでもないと言います。
姉弟三人、ゲーム・まんが・TV三昧の日々です。



 しかし、子どもたちの夢中になってやっているゲームを見ていて感じますが、学校の教材なんて陳腐で、無味乾燥に思えてきます。
(おかあ・さんもゲームをされるとお聞きしました。釈迦に説法ですね?)



 私の錆びついた思考力ではとうてい太刀打ちのできない分野だと思い知らされています。
テレビゲームであれ、カードゲームであれ、柔軟な思考力、素早い判断力、深い知識力が要求されます。



 勿論楽しいし、好きでやっているからこそ、本やインターネットで徹底的に調べ、考えながら工夫して何度でも繰り返し挑戦できるのでしょう。



 そのための苦労は、苦労ではないですよね。
集中力もかなりのものだと思います。



 確かに、ウチの次男は9歳の今でもひらがなは書けません。
しかし、新聞に出てくるような難しい漢字が読めたり、数字にはめっぽう強いです。
ビーエーケイエーと、ローマ字でしゃべったりすることもあり、親をからかいます。



以前は、「なおぶーはかっこよさに違反しているねぇー」と言ってほめてくれたのですが、
今では「なおぶーは、かっこわるさに限界がないねぇー」とか、 なおぶーとじぇり(妻のこと)は、「でぶ」と「ぶす」だから、合わせて「でぶす」だねぇーと、正直にものを言うようになりました。



 「じゃあ、とぅる(次男のこと)は、でぶすの子どもの3番目だから、でぶすこスリーだね!」と言い返しています。
ところが、彼は更にその上をいって、でぶすな親だから、でぶすおや→デブソーヤの冒険だねぇー!とかなり表現が飛躍していきます。



 そこまで行くとみんなもう大笑いです。
そんな変な言葉遊びをしていますが、楽しいじゃないですか!



 好きな人ができて、想いを伝えたくなったら、文字を書く練習をするのかもしれません。
あるいは、今の時代親指だけでメールを送り、想いを伝えてすませるのかもしれませんよね。
それはそれで全然かまわないよね、と夫婦で笑っています。



konanさんのおっしゃるように勿論、一生勉強しなくたってOKだと思っています。
(no probremですね。)



 学校に勤めていた頃は、教えたり教えられたりしていると錯覚して、子どもたちをたくさん傷つけていたなぁーと反省しています。



 人は、教えようとすると学ばないものだと思います。
学校というところは、むしろ、多くの子どもたちの学ぶ意欲や喜びを奪っている所だとも言えるのです。



 学校というものをもっと相対化して捉える視点が必要だと思います。
断じて命をすり減らしてまで行くような値打ちのあるところではありません。



 それよりも、6歳の息子さんは家庭の中でゆっくりとのんびりと休みたいのではありませんか?
今まで無理して頑張った分、かなり消耗しているのではないかとも思います。
そのようなときは、好きなことさえやりたくありませんよね?



 こうやって、パソコンに向かってキーボードをたたいていると、とぅるが、目玉焼きを作って持ってきてくれました。(今、彼が自分で作れる唯一の料理です)



 ご飯を食べた後は、多分、「コヒー飲む?牛乳たっぷり入れるんだよね?」と聞いてくると思います。



どうです?こんなに楽しくて幸せな暮らし、やめられませんよ。



おかあ・さん、また、よもぎ亭でおしゃべりしましょうね。




No.217
2002年06月16日 22:43
送信者:aimi
表題:かわいいお友達♪


今日の親の会も笑いいっぱいでとっても楽しかったです。



 せっかくHさんちが親子できてて
ゆかちゃんとお話してみたかったのに残念。
また今度会えたらお話しようね!



 しかし今日はちっちゃなかわいいお友達が出来ました。
みんながはなしをしてる中おえかきを楽しみました。



 動物、フルーツ、などいろいろ書きました。
くまさんを横向きで書いた絵を見たときはちょっと驚きました。
あんまりくまを横向きで書くことなかったので・・・。



 不登校になって2年ほど、鉛筆を持ったのも、絵を書いたのも
すごく久しぶりでした。
中学までは絵が好きで授業中も絵ばっかり書いていた私が 高校に入って大好きだった絵も、漫画も読まなくなりました。
それだけ余裕もなかったし気力も無かったんだと思います。



 田舎では田植えが終わりました。
田植えまっただなかのころ久しぶりにお婆ちゃんから 電話がありました。



 良ちゃん(お父さん)に用があったのですが、もう出勤した後で 私と話をしました。
その日お婆ちゃんは私とお父さんが田植えを手伝いに 帰ってきた夢をみたそうです。



 私が田植えは手伝えないけど料理はするね。と言っていたらしい・・。
お婆ちゃんは夢でまで田植えをしてるなんて せめて夢では旅行にくらい行っててほしいです。



 田植えで疲れて家事をするのは70すぎたお婆ちゃんには とてもきついだろうとおもって帰ろうかどうか迷いました。



 でも結局帰れませんでした。
散々お婆ちゃんとやりあったことはまだ私の中で 癒されきれていない傷として残っているのだと再度気付かされました。



 そしてまだどこかで期待に答えなければと 思ってる自分が居るんだと感じました。



 何もしなくていい、ただそこに居るだけでいいんだ と私はやっと思い始めた所です。



 私も勉強しなければ、学校に行かなければ、 と思ってる時期が長くありました。
何もしてない自分を責めて真っ暗!って時期が・・・。



 何もしてない、何も出来ないことで 自分が生きてる事さえ許されないのでは、 私はここに居ていいのだろうか・・・と何度思ったか知れません。



 今は私がここに存在してここに居る!
そのことがどんなに大切ですばらしいか気付き始めたところです。
何かしてるから、働いているから、勉強してるから 私がここに存在するんじゃない。



 ただ、ただ生きている。
何にもしてなくてもとーっても価値がある。
それはどんなひとでも。
何かしてるしてないは関係ないんだよね。



 テレビで外国の人が
「子供の発達が早いか遅いかより、 その日一日子供が幸せかどうかのほうだ大事」
だと言ってました。
ほんとにそのとおりだと思います。



発達に限らず、学校に行く、勉強する、何かしている 何かできる事よりずーっと大切だって思います。



 その日、そのときは今だけ。
明日やあさってましてや未来なんて誰にもわからない。
誰にも保証できないよ。
だったら今日を楽しんで幸せでありたいと私は思います。



悩み、落ち込む事がこれからもあるけれど、 人間だからあたりまえ!そのときの自分を大切にしたいと思います。



泣いて笑って、落ち込んでとってもたのしそうじゃない?



久しぶりに書いたらメッチャ長くなっちゃったよ!!
まぁいっか♪






このページの一番上に戻る→


体験談(10周年記念誌)より← /みなさんの体験談目次/ 体験談(掲示板より)2へ→


TOPページへ



Last updated: 2003.8.26
Copyright (C) 2002-2003 登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島) (http://www.futokokagoshima.web.infoseek.co.jp/)
futokokagoshima@yahoo.co.jp