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日本教育法学会編・講座現代教育法2 「子ども・学校と教育法」(三省堂、2001年6月)44〜57ぺ-ジより 子どもの不登校と教育を受ける権利 内沢 達 一 不登校の増加は明るい話題か、暗い話題か 一九七〇年代の半ば過ぎからここ四半世紀、不登校・登校拒否の子どもたちが年々増加の一途である。近いところでは一九九七年度に一〇万人を突破し、九八年度は一二万人、九九年度は一三万人というように、少子化のなかにあっても、このデータだけは右肩上がりの傾向が止まるところを知らないかのようだ。 私は、数年前から大学の授業で学生に、「不登校の子どもたちが増えてきていることは、明るい話題だと思うか、それとも暗い話題だと思うか?」と毎期のように問を発し、次の選択肢のなかから一つ選んでもらっている。 ア どちらかというと明るい話題である イ どちらかというと暗い話題である ウ 明るい話題でもあり、暗い話題でもある エ その他の考え この問には正答があるわけではない。人には人それぞれの考えがあり、どの答であれ各人がそのように思うことを他人が否定することはできない。 授業場面においても、思想の自由は一〇〇パーセント保障されなくてはならない。そのことを前提として、学生の選択傾向を紹介するといつも一番多いのが「イ どちらかというと暗い話題である」である。 どうしてそう思うのかと聞くと「いじめなどがあって学校に行けない子どもが増えているとすると到底、明るい話題とは言えない」「みんなと楽しい学校生活を送られないとは、明るいこととは言えない」などと返事がある(なるほど、もっともだ)。 次に多いのは「ウ」である。「イ」ほど多くはないが、徐々に選択割合が増えてきている感じである。どうして「暗い話題である」であるだけではなく「明るい話題でもあるのか」と聞くと、「学校に問題があることはよいことではないが、学校に行かない生き方もだんだんと認められるようになってきていることはよいことだ」と言う(これまた、もっともだ)。 いままでに百人前後から二百数十人のクラスで計七、八回は、この問を発してきていて、これまで千人を超える学生に答えてもらっていることになるが、「ア どちらかと言うと明るい話題である」を選んだ学生は一人もいない。 さて発問者の私であるが、私の考えはその「ア」である。どうして「明るい話題である」のか(注1)。個々の不登校の原因の一つにもなっているであろう「いじめ」が「明るい」というわけではもちろんない。 教師の体罰や暴言などがきっかけとなることもあるが、これも「明るい」ことではない。また、まわりの大人たちの無理解のために本人も自分自身を責めて、悩み苦しんでいる不登校の子どもが少なくないことも「明るい」ことではない。 では、いったいどこが「明るい」というのか。個々の不登校のケースではなく、不登校の子どもが全体的に「増えてきている」ことがじつは「明るい話題」であることを言いたいのだが、どうしてそう言えるのか。 不登校は、子どもが学校に「行けない」「行かない」状態を指しているので、その対象である学校の問題を横に措くことはできない。学校に問題があって「行けなく」「行かなく」なっていることは確かだ。しかし、一〇年前、二〇年前の学校のほうがもっと問題がたくさんあった。教師の体罰も多かったし、おかしな決まりや校則をいま以上に押しつけていた。 中学校では「業者テスト」が頻繁に実施されていた。「管理主義」とか「競争主義」といった批判は、以前の学校の状態のほうがいっそうよくあてはまる。しかし、その頃の不登校は、いまの半分以下であったり、数分の一だ。だから、「学校に問題がある」と言うだけでは、不登校の増加を説明できない。 また、いじめもここ五年間ぐらいを見ると減ってきている。いじめ発生件数の調査ほど当てにならないものはないが、不登校は明らかに増え続けているのだから、いじめもその理由たり得ない。 学校は、一〇年、二〇年前と比べてよい意味で変わってきていないわけではない。学校がどんどん悪くなってきていて不登校が増えているのであれば「暗い話題」なのだが、そうではないのだから、学校に「行けない」「行かない」主体である子どものほうによい変化が起こっていると私は考える。 この間の学校の、多少のよい変化をはるかに上回るものが子どもたちにある。それが「明るい」のだ。だれが薦めたわけでもないのに、嫌なことは嫌と学校を拒否し始めた。意識はそこまではっきりしていない場合でも、気持ちや身体で拒否し始めた。 一世代、二世代前の子どもたち、つまりいまの大人たちには及びもつかなかったことを、それぞれがたった一人で(あとから兄弟、姉妹でということもあるが)不登校をし始めた。たくましいことではないか。いまの子どもは強いではないか。 もっとも論者によっては、私と正反対の評価をすることだろう。「この頃の子どもはちょっとしたことにも耐えられない」「弱々しい」などと。 しかし、そのような台詞はいつの時代にもあった。「いまの子どもは豊かな時代に育って貧しさを知らないから我慢ができない」などと言う人たちも、子ども・青年時代には「戦後世代で、戦時中や敗戦直後の苦労を知らないから駄目だ」と言われなかったか。その前の世代だって「(戦争は知っていても)軍隊経験がないからだらしない」と言われたのだ。 嫌なことに耐えることもたくましく、強いことだが、嫌なこと、おかしいこと、問題があることに耐えないで、それらを拒否することもたくましく、強く、素晴らしいことではないか。嫌なことを「イヤ!」と拒否することを「たくましい」と考えるか、「弱々しい」と考えるかは考え方の違いだ。 すでに述べたように一〇年、二〇年単位でみると学校の現状に、よい変化がないわけではない。しかし、この間の社会の変化がそれ以上なのだ。 社会の変化に対応できているほどには、学校は全然、変わってきていない。情報化社会の進展のなかで子どもたちにもそのことがよく見えており、基本的なところでは問題を抱えたままで、四角四面な学校を以前よりいっそう多くの子どもたちが意識的また無意識的に拒否するようになってきた。 さらにもっと長いスパンで考えると社会のなかでの学校の役割や地位の低下は歴然としている。学歴価値の低下も顕著だ。昔は絶対的な存在であった学校というものに対して子どもたちの見方が変わりはじめている。 私には、不登校というものが子どもたちが私たち大人に対して「そんなに学校、学校といって、学校での勉強や学歴にこだわらなくても、この世の中をちゃんと生きていけるよ」と訴えている現れのようにも思われる。いまの子どもたちはたいしたものではないか。 二 試金石としての「不登校の権利」 私たち大人の世代にとくに強いのだが、「子どもは学校に行って当然」「行くのが当たり前」といった意識、観念が広くある。言い方を換えれば「行かない、学校を休むことはよくない」といった、ほとんど無意識の観念である。 私自身、自分の子ども時代をふりかえると、学校を休んだ時なにかとても悪いことでもしたかのような気持ちになっていたことがあった。ちょっとした風邪か腹痛かで欠席したのだが、たいしたことなく昼すぎにはすっかり元気になり、夕方には学校から帰ってきた近所の友達と外で遊ぶことができるのに、「今日は学校を休んだのだから家で静かにしていなくてはいけない」と。 おかしいではないか。たいしたことはなく元気になったことはよかったことなのに、そのことを素直に喜ぶこともできずに家から外に出れないとは。だれかに強制されたわけでもないのに、「学校を休むことはよくない」という無意識の心理が働いていたのである。 大人になると多少図々しくはなってくるものの、その意識にじつは大差がなかった。十六、七年も前のことだが、家族旅行のため小学校中低学年の息子、娘を休ませたことがあった。 その計画を立てたとき子どもたちは喜んだ。私はというと、事前に子どもの担任に欠席の予定を伝えたのだが、その時どこかに少しではあっても「こんなことで学校を休ませてよいのか」という意識があったことを否定できない。飛び石連休に挟まれた、たった一日のことでも。 担任から「うわーイイですね。楽しんできてください」と言われて、正直なところほっとする有り様だった。私はその時とうに教育法学会の会員であったし、当然、日本国憲法第二六条も知っていた。なのにである。 「義務教育」の「義務」とは、親や保護者に課された義務であって、それを受けることは子どもにとって「権利」以外のなにものでもない。親の「義務」も子どもの「権利」を充足するためにある。 ところが、そのような理解は、かつての私においては文字面だけのそれに止まっていたようである。なにしろ、ほんの少しではあっても「学校を休んだり、休ませたりすることはよいことではない」との無意識があったわけであるから。 義務教育を含めて、教育を受けることが本当に権利なのだと強く意識し実感しするようになったのは、十数年前に初めて、不登校・登校拒否の相談にのるようになってからである。 いや、かつての私だけではなく、いま現在、多くの教育法研究者が教育を受けることが権利だと本当のところ思っているのかどうか、じつは疑わしい。「義務」とは、したくなくてもしなければいけない拘束的なものだが、「権利」とは普通に考えて、してもよいし、しなくてもよいものである(「広辞苑」の「権利」の説明には、「ある事をする、またはしないことができる能力・自由」ともある)。 とすれば、「教育を受ける権利」には、文字どおりの「受ける権利(自由)」だけでななく「教育を受けない権利(自由)」も含まれることになる。より実体的な言い方をすれば、「学校に行く権利」だけではなく、「学校に行かない権利」つまりは「不登校の権利」もそれに含めなければ、「教育を受ける権利」全体を述べたことにならない。 学校に行くことはもちろん結構なことである。しかし、行くことばかり考えて「子どもは学校に行って当然」「行くのが当たり前」となってくると、「行く権利」も「行く義務」に、行かねばならないということになってしまう。 これは、「権利教育」の理解の仕方とは言えない。だから、教育を受けることが義務ではなくほんとうに権利だと言うのであれば、「不登校の権利」の承認は当然のことである。不登校の権利は、「教育を受ける権利」の理解がまっとうなものであるかどうかの試金石とも言ってよいのである。 ところで、そう言うと、「不登校の子どももほんとうは学校に行きたいのだ。だから、(不登校を簡単には認めないで)行かせてあげる、行くことができるようにしてあげることが親の義務であり、子どもの権利の保障というものではないか」と反論があるかもしれない。 しかし、この反論の前提となっている「ほんとうは行きたいのだ」という認識は当を得ていない。行きたいのであれば行けばよいではないか。だれも邪魔はしない。しかし、行こうとしても行けないのだ。じつは「行かねばならない」と思っているだけで「行きたい」のではない。行き渋るのも、本心はやはり学校には行きたくないからなのだ。 でも、当の子ども自身が「僕(私)は行きたいんだ」と事実、言っている場合もあるではないかと、さらに反論があることだろう。たしかにその事実はある。しかし、子どもが発する言葉にごまかされないでもらいたい(じつは子どもがごまかしているのではなく、大人が自分で自分を騙しているのだが)。 子どもの表情や身体の変化には嘘はないが、発する言葉は額面どおりに受け止められないことが少なくない(大人だってそうだが、子どもの場合はとくにそうだ)。以前ほどではないが、「権利教育」の考え方が行き届いているとはまだまだ言えないこんにち、いまの子どもも多くは「学校に行かないことはよいことではない」と思っている。 不登校の子どもの場合は、まわりの理解がないと罪悪感にさいなまれもする。そこに「登校刺激」が重なると辛さ、苦しさから、本心は行きたくないのに「僕(私)だって、行きたいんだ!(なのに、行けない!)」と発せざるをえないのだ。そのようなことは、子どもの立場にわが身をおいてみれば、すぐにも了解できることである。ところがそうした子どもの心理を理解することができない大人たち、親、教師のみならず、学者や専門家が少なくない。 このように不登校の子どものほんとうの気持ちは、やはり学校に行きたくないのだから、先の「行かせてあげる、行くことができるようにしてあげる」などというもっともらしい「対応」も大人の身勝手な押しつけでしかない。行きたくないという子どもの気持ちを尊重して不登校を無条件に認めることが親の義務であり、子どもの権利の保障というものだ。 教育法研究者ならばだれしも、子どもが「教育を受ける権利」の主体であり、子どもの気持ちや意思を尊重することがその第一の内容であることを認めるであろう。しかし、各論に入って、学校に行きたくないという子どもの気持ちを認めることができず、「不登校の権利」を承認することができないようでは、「権利教育」についての認識を疑わざるをえない。 ところで、「不登校の権利」の承認は、いま現在不登校あるいは不登校気味の子どもにとってだけではなく、普通に学校に通っている圧倒的大多数の子どもにとっても、それはきわめて重要な意味を持つ。一方で「学校に行かない権利」が自然に認められるようになれば、他方で「学校に行く権利」の行使も主体的なものとなり、そこに内実がともなうようになってくることが期待される。 子どもが学校に行くのは、「行って当然、当たり前」「みんなが行くから」ではなく、主体的に子ども自身がいまの自分にとってプラスになる、ためになる、だから行くんだ(小さな子どもだとそこまでの自覚は無理であるから、とにかく学校がたのしい)と思える場合としたい。そうでなければ、学校に行かないことになんの躊躇や遠慮もいらない。 なにも、いま現在言うところの不登校や不登校気味ということでなくても、気楽に学校を休めばよい。権利の行使とは、選択的なものでもあり、学校は子どもたちが行き、学ぶに価するものを用意しなければならなくなる。 三 家庭内暴力などの二次反応も否定的に見るべきではない 先に不登校の個々のケースではなく、その増加がじつは「明るい話題」であると述べたが、不登校に対する誤解や固定観念を改めてもらうために、ここではさらに、家庭内暴力など親子ともども苦しみをともなうことも少なくない個々のケースについても否定的に見るべきでないことを述べてみたい。 子どもが学校に行かないという、一次反応としての不登校それ自体について、子ども自身にはなにも問題はないと主張した専門家はおそらく、精神科医の渡辺位氏が最初である。渡辺氏は、不登校の子どもは怠惰でも無気力でもなく、不登校発現の要因は子どもが直面している学校状況に求められることから、不登校は子どもの自己主張であり、教育の歪みに対する訴えとして、これに耳を傾けるべきだと述べた(注2)。 ところが、そうした理解が徐々に広がってきているとはいうものの、まわりの大人たちは依然として、不登校を認めることができずに「登校刺激」を繰り返したり、また不登校を認めざるをえなくなっても(それは、本当のところ認めきれていないから)子どもの家での状態を否定的にしか見られないことが少なくない。 子どもが自分自身を責めているところに、まわりの無理解が重なると、子どもは葛藤状態に陥り、不安を増大させて、二次反応として諸種の「症状」のようなものを呈したりもする。脅迫・不安神経症のようになったり、拒食・過食が続いたり、引きこもったり、家庭内暴力に及んだりする。 鹿児島で「登校拒否を考える親・市民の会」(一九八九年発会)の世話人として、不登校の相談にのるようになって十二年になるが、たとえば家庭内暴力について述べると、じつに「深刻な」ケースが少なくない。言葉は乱暴になり、ものを蹴飛ばし投げつける。家具や窓ガラスを壊す。ふすまや壁には穴があき放題。親は、やさしかったわが子の「変わりよう」に愕然とする。親を殴り蹴り、ときに包丁を喉元に突きつけて「殺す!」と脅かし、「無理難題」をふっかけてくる。地獄のような毎日で、たしかに親にとってこれは辛い。 しかし、だれよりも辛いのは暴力に及んでいる子ども自身である。うわべとは違って、子どもは自分自身を一番責めている。何かをしなければと思っても何にも手がつかない。今度こそ止めなければと思ってもまた暴力を繰り返してしまう。そういった自分を許せない、認めることができない自己否定が根本にある。家庭内暴力は子どもがおかしくなった結果でもなければ、異常心理のあらわれといったものでもない。 それは、無意識的な「僕(私)の辛さ、苦しさをわかってほしい」という訴えにほかならない。だから、こうしたことも否定的に見てはならない。親がわが子の辛さを受けとめる絶好のチャンスでもあるのだ。 この暴力は文字通り「家庭内」に限られている。多少物音が外に聞こえることがあっても近所迷惑というほどでもないのだから、世間体などは気にしない。大事なのは「もの」ではなく、もちろん人間で、しかもわが子だ。ものを壊すことなどはたいしたことではない。後からどうにでも修復することができる。 身体への直接的な暴力はさせないようにしなければならないが、避けられそうにないときは打たれるにまかせてはならない。それは子ども自身の傷をも大きくする。どうしようもないときは親が家から飛び出せばよい。車の中で一夜を過ごすというようなケチなことはしないで、ホテルをとって親も休息し英気を養う。子どもの暴力からは逃げても、訴えから逃げなければよい。 子どもの辛さや苦しさを受けとめることができるのは、親をおいて他にいない。この子はどこもおかしくないし悪くもないと、わが子のいま現在の状態を否定的にではなく肯定的に見ることができるようになると、あとは時間の問題である。 ただし、それは相手があることで、それまでわが子を苦しめた期間が長ければ長いほど、相当の覚悟は必要である。しかし、どんなに時間がかかろうともわが子と向きあうことをやめなければ、子どもはやがて自己肯定ができるようになり、落ちつき元気になっていく。 鹿児島の親の会には、そうした貴重な経験の積み重ねがある(注3)。 このように不登校の実際場面でも、教育法上の課題である「親の第一義的責任」(「児童の権利条約」第一八条)が決定的に問われている。子どもが不登校になること、つまり一次反応には、親になんの責任もない。親のそれまでの養育傾向とも関係はない。すでに文部科学省も一〇年以上も前から「登校拒否はどの子にも起こりうる」との見解を明らかにしているほどだ(最初は一九九〇年の「学校不適応調査研究協力者会議」中間報告)。 それゆえ、それ以前のことで親は自分自身を責める必要はまったくない。しかし、子どもが不登校になってからは違う。わが子の不登校をなかなか認めることができずに子どもを追いつめてしまった最大の加害者、責任者は親である。 一次反応ではなく、不登校の子どもの二次反応には親が深くかかわっている。その点では、親は子どもから責められて当然なのである。あらためて述べると、不登校という一次反応は教育の歪みに対する子どもの訴えであり、家庭内暴力などの二次反応は何よりも親に対する子どもの訴え、自分の辛さや苦しさを受けとめてほしいという訴えにほかならない。 それゆえ、いずれにおいても問われているのは子どもではなく、子どもの状態でもない。不登校の子どもとその状態がおかしいと見る大人の見方こそ、問われているのだ。問題はすべてと言ってもよいほどに大人の側にある。 親がわが子の不登校を肯定的に受けとめることができるようになっても、なお、それが本当に信用のおけるものなのかどうか無意識のうちに親を試している、それが二次反応でもあるのだ。たとえば、親が「いまでは、何もおかしいことではないと不登校を認めることができる。しかし、わが子の状態はよくない」といった見方しかできない段階では、子どもは命を削るようにして二次反応を強めるほかない。 そうではなくて、二次反応は子どもが「お父さん、お母さんはまだまだわかっていないよ」と親に突きつけた有り難い課題だと、これらも肯定的に見ることができるようになれば、違ってくる。「拒食・過食も大いに結構」「引きこもりも存分にしたらよい」「ものを壊すことなど何でもない」と、これらを、わが子が正常でまともであるゆえの反応と親が心底受けとめることができるようになると子どもも変わってくる。 こうしたことは、ささやかではあるが、親の会を中心とする相談、協力の活動のなかから得た私の確信のようなものである。明るいのは一次反応だけではない。深刻そうに見える二次反応にしても、見方を変えればじつは明るいことでもあるのだ。親をはじめとして、大人たちの気づきを促してくれているのだから。 四 たのしい授業と教育を受ける権利 私は大学に二十数年勤めてきているが、ここ十数年の自分自身のことについて、ひとつだけ自信をもって言えることがある。それは、大学で「たのしい授業」をしていて(注4)、八〜九割の学生諸君から「たのしかった」「ためになった」「他の学生にも受講を薦めたい」と肯定的な授業評価をもらっていることである。その「たのしい授業」は、私のオリジナルではない。 科学史・科学教育の専門家で、〈たのしい授業・仮説実験授業〉の提唱者である板倉聖宣氏の研究成果にもとづくものである。じつは、本稿の冒頭で「不登校の増加は明るい話題である」と述べたことも、もとはと言えば板倉氏の見方である(注5)。 たのしい授業とは(注6)、「教師がじょうだんを言って生徒、学生を笑わせたり、ろくに授業もしないで遊ばせたりする」ことではない。それは、学び手が「知らないことを知ることはたのしい」「意外なことを知ることはもっとたのしい」「原理的、法則的なことを知ることはさらにたのしい」と感じとることができる授業のことだ。 大学の教職課程の授業で言えば、小、中、高等学校での「たのしい授業」だけではなく「たのしい生活指導」の実際も含めて、「将来の教職を考えたとき、たしかに役立ちそうだ」と思える「ためになる」授業でもある。 ところで、板倉氏は子どもの不登校のことについて、「彼らを「登校拒否」と呼ぶのだけれど、「学校へ行くのが当たり前」とどうして決めたのでしょうか? これを「学校なんか行かないのが当たり前」と考えると、ずいぶん助かるのにね。「今日も九十何%も出席している」「今日も九十何%も学校に来た。すごいね」などと考えると、座標が全く違ってくるでしょ。」とも述べている(注7)。 実際、子どもの出席率はきわだって高い。不登校の子どもが増えているといっても、合計約十三万人は小、中学校の全児童生徒数千百万人強のごく僅か一%強にすぎない(細かく言うと一九九九年度は中学校が二・五四%、小学校が〇・三五%である)。不登校の子どもが十数万人になっていることよりも、千百万人という九八〜九九%の子どもが毎日学校に通っていることに驚いてもいいほどなのだ。 その反対の極にあるのが大学である。現在、二百五十万人を超えている四年制大学在学者のなかで、経済的な理由があるわけではなく、また病気でもないのに、年間三十日間以上授業を欠席している学生はどのくらいいるのか。そのようなデータはないが、大学の教員であれば日々実感している人が多いはずである。どう少なく見積もっても数十万の単位は下らないだろう。 しかし、そうしたことは以前からもあったということでは、まったく問題になっていない。大学生は平気で授業をさぼる。ところが、小、中学生、高校生は、まだまだ遠慮している。その大学で、つまり通常、欠席がとても多い大学の授業のなかで、学生が私の授業を「他の講義にはほとんど出ない自分が毎回来ているのだから、やっぱりスバラシイ授業だと思う」と評価してくれるのである。 ここに、子どもたちの不登校の増加が突きつけている課題の核心があるように思う。不登校はつまらない授業を繰り返している学校を拒否したものだと言い換えてもよい。かつての学校であれば、授業がつまらなくとも、なんとか「受験勉強」によって子どもたちを縛りつけることもできた。 しかし、その勉強も「神通力」を失って、以前ほど熱心にしない。それどころか、子どもは「受験のための勉強」が本当の意味では人生の役に立たないことを見抜いてしまっているのだ(注8)。 たのしくない、つまらない授業を不登校という形であからさまに拒否するようになった子どもだけでなく、仕方ないからなのか、またみんなが行くからなのか、あるいは学校で友だちと遊ぶことがたのしいからなのか、「普通」に学校に通っている圧倒的大多数の子どもたちに対しても、そこで学ぶに価するものが用意されてしかるべきなのである。 大学での私の授業は、私個人がなにか特別な創意工夫を凝らしたものではない。じつは、小、中、高等学校において全国で三千人以上もの教師がおこなっている〈たのしい授業・仮説実験授業〉を大学でもおこなっているにすぎない。 科学上の基本的な概念や原理・法則などを教える授業で、だれもがその気になれば「たのしい授業」を行うことができる教材=授業書が百以上も開発されてきている。私は、そのいくつかをもとに、大学で授業している。学生たちは、「大学生の私(僕)たちでもこれほどひきつけられるのだから、子どもたちだったらどれほどかわからない」と感想を寄せてくれる。子どもたちを魅了して止まない「たのしい授業」は、「教育を受ける権利」の保障にとって、欠くことのできないものとなっている。 (注1)後に本文四(注5の箇所)でも紹介しているとおり、不登校の増加をずばり「明るい話題」であると述べたのは、板倉聖宣氏である(「自分の判断で行動する人の時代─登校拒否児の増加は明るい社会の前ぶれ」初出・仮説社「たのしい授業」一九九七年八月号、板倉聖宣「教育が生まれ変わるために」一九九九年、仮説社、一四〜二七頁参照)。 以前、私も「不登校はいまの子どもたちの健全さを証明している」(拙稿「不登校と「教育を受ける権利」」日本教育法学会年報第二六号、一九九七年、八八〜九七頁参照)と評価したが、「明るい」という捉え方がいっそう核心をついていると思われるので、本文で述べたような問を発している次第である。 なお、本稿の一と四は板倉氏の諸論考や研究があればこそのものなので、記して感謝したい。私のことでは、論文タイトルはほとんど同じだが、本稿と学会年報の拙稿には内容上のダブりがほとんどないので、そちらも参照願いたい。 (注2)渡辺位「子どもたちは訴える─病める社会で病む子ども」(一九八三年、勁草書房)、同編著「登校拒否・学校に行かないで生きる」(一九八三年、太郎次郎社)参照。 (注3)登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)の一〇周年記念誌「登校拒否は明るい時代の前ぶれ」(一九九九年、B5版全八四頁)がある。 (注4)拙稿「仮説実験授業と教育学」仮説社「たのしい授業」第一〇一号(一九九一年三月臨時増刊号)一七〇〜一八二頁、同「大学でたのしい授業」仮説社「たのしい授業」第一六七号(一九九六年四月号)五九〜六四頁、同「教育における「子ども主権」を「たのしい授業」でつらぬく思想と方法─大学生の仮説実験授業・たのしい授業についての評価と感想」「鹿児島子ども研究センター研究報告」第七号(一九九二年)九〜二八頁参照。 (注5)注1の板倉著に同じ。 (注6)さしあたって、板倉聖宣「たのしい授業の思想」(一九八八年、仮説社)を参照願いたい。 (注7)注1の板倉著二〇頁。 (注8)「文藝春秋」二〇〇一年三月号の「教育再生・私の提言」のうち、板倉聖宣氏の提言(一七五〜一七九頁)を参照願いたい。 |