体験談
2015年1〜4月例会より
目次
1 「心配なのはお母さん」 永田俊子さん
2 一番の幸せは、夫と息子と3人でビールで乾杯するとき しずりんさん
3 親から否定されることは死ぬほどつらい 長谷川登喜子さん
4 私の課題とは? A さん
5 親が黙っていると、子どもは自分で考え、ちゃんとやっていく ジュンさん
6 多忙な私と家族の支え みーやさん
7 あなたがかわいい。それだけじゃいけないの? 永田俊子さん
8 「不登校して引きこもったらこうなります」と言えばいい 淳子さん・重則さん
9 そんな世間ってどこにあるの? 頭の中にあるだけじゃない! 永田俊子さん
10 親の会の言葉も紹介して「たのしい授業」 河野さん
(1月例会より)
「心配なのはお母さん」 永田俊子さん
お正月は福岡にいる娘が31日に帰ってきました。
家族みんながリビングにいて年越しそばを食べている時に、娘が弟に「学校辞めたの〜?」と冗談のつもりで言ったんです。娘は弟が専門学校に行っていないことを知らなかったので、だから私たちは3人で顔を合わせて「なんで知ってるの?」と言ったんです。
娘は「えっ、冗談で言ったのに、そうなの!」と驚いていました。なんて言ったらいいかなとまごまごしていたら、息子は「じゃあ、そろそろ俺は2階に行くわ」と自分の部屋に行ってしまいました。
娘が福岡に戻るときに「だけど、お父さんも弟も全然変わっていないから安心した。お母さんひとりだけが打ちひしがれていたけど」と言いました(笑)。
「そんなに見えた? 明るくしているつもりなんだけど」と言うと、「お母さんは、人になんて言おうかと考えるから辛いんじゃないの。別に誰にも何も言わなくていいんじゃない、弟は弟なんだから」と言って、笑って帰って行きました。
娘が帰ってきている時に私が近所の親しい方にぱったり会って、「この頃、息子さんを見ないけれど元気?」と聞かれたんですね。言わなくてもよかったんだけど、「実は……」と話したんです。そういう私の姿を見ていたんですね。
―――素晴らしいお姉ちゃんですね。
「あなたはこっちのことは何も心配しなくていいよ、自分のことをしてくれたらいい」と言ったら、「私は何も心配していません。お母さんのこと以外は」と言われました。(笑)
息子は家にいてほとんど外出しません。誰からも咎められないから普通の顔をして、ゆるゆると過ごしています。
―――あなたのお話はとても大事ね。先月あなたは、「学校に本当は行ってもらいたいと思っている自分もいるし、再び自分に与えられた課題なんだなと思う自分もいる」と言われました。
娘さんの言うとおり、「心配なのはお母さん」なんですね。息子のことをまだまだ不安に思っている自分自身の問題なんだなということですね。でも、そう思う自分も認めていくと気持ちが楽になって行くということですね。
そうですね。多分学校は辞めることになると思うんですが、まだ退学の書類は出していません。以前、高校に行かなくなった時はとても大変でした。「どうするんだ、こんなんじゃダメだ、高校に戻らないと将来どうなるんだ」と寄ってたかって言ったんですが、それは何にもならなかったという経験をしているので、今は誰も何も言いません。
―――息子さんに話すときに、なんて話そうかと構えたりはしないんでしょう。
そうですね。今日も親の会に行ってくるから、「洗濯物を取り入れるのとお風呂の掃除と灯油屋さんが来たら灯油を買ってね」と言って出てきました。どれだけしているかはわかりませんが・・・。
普段は何もしないんですが、夫婦で出かけた時に、出先から電話で「洗濯物を取り込んでおいてね」と言うとしてくれるので、夫が「ああ、こういう使い方もあるのか」と言って(笑)。夫とは、息子は社会の役には立っていないけれど、誰にも害を及ぼしていないからいいかなと言っています。
―――そう言ってみたかっただけね。息子さんはあなたが生きる大きな支えになっているでしょう。(そうですね)人間みんなそうで、そう言ってみたいことがあるんです。息子さんも先月言ったようなことを言ってみたかっただけなんです。
大事なのは、親の会の三原則「異常視しない、腫れもの扱いしない、言いなりにならない」です。自分の生活をもっと楽しく充実させるためにと考えたら、せっかく一緒にいてくれるんですから、3人家族の生活をたのしくしないのはもったいない。自分のためにね。
いま一番の幸せは、
夫と息子と3人でビールで乾杯するとき しずりんさん
私の息子も俊子さんの息子さんと同じ年で家にいます。
近所の人にいろいろ聞かれても、私は「元気よ〜」と流せるようになりました。「どうして他人の子どもが気になるの。関係ないでしょう」と心の中では思いながら、「元気ですよ」と言っています(笑)。
ずっと以前、隣に会報が間違って配達されて、それがとても気になって不安になったことがありましたが、今では周りも息子が家にいることを知っているし、気にならなくなりました。
両隣が生協の共同購入でいっしょです。以前は毎週顔を合わせると「今日も行かなかった」と私は泣いて話していました。親の会に参加するようになってからは、私は「いい会に出会ってこんな話をしているの。それで元気になったのよ」と話しました。
息子と同級生の隣の子が高校で不登校になった時、「子どもはみんな生きる力を持っているから、何もしなくてもいいんだよ」と言ったんですが、「そうなの」と言うだけでしたので、私もそれ以上は言いませんでした。
その子はその後県外の大学に行ったんですが、あと半年くらいで卒業だったのに辞めて11月に帰ってきました。でも今は郵便局の配達のアルバイトに行っているみたいです。私も話しながら、○○君はバイトに行っているんだよな〜、うちの子は2階にいるよねぇ〜、ああ〜と思ったりして。(笑)
―――ちょっと同級生だと意識してしまう。
そうですね。隣の子は学校に行かない時期があったけれど、高校に行ったし、うちの子は動いていないと・・・、でも本人が動かないとしょうがないなと思って。
(―――ちょっとさざ波が立ってしまった)そんな感じですね。
年末、息子は友達との忘年会に着る物がないからと言って、ユニクロで一式買いました。息子が忘年会に行ったときに夫と、「ゆくゆくはふたりになるけど、まだ今は息子がいるからいいよね」と話しました。夫が実家に帰った時に私はひとりでは怖いから、息子がいて良かったと思いました。
私が一番幸せを感じる時は夫と息子と私の3人で、夕食を食べるときにビールで乾杯するときです。いいなぁ、幸せだなあと思って。夕食の時は私が今日の出来事をいろいろ話します(笑)。
夫が帰ってくるなり私がしゃべりだすので、夫は「ちょっと待って、手を洗ってくるから。飲みながら聞くからちょっと待って」と言うんです。(笑)
「今日はこうこうこういうことがあって、徹子の部屋ではこういう人が出て、今日のマッサンはこういう内容で、たっちゃんが掲示板に書いていたんだけど、この言葉はすごくいいよね、私も同じように思って涙が出たんだよ」と話すんです(笑)。
―――それは素敵ね。お話している仕草とそれを聞くおつれあいさんと息子さんの笑顔が眼に浮かぶようです。
夫は年末の30日から実家に行き3日に帰ってきました。夫が出かけるとき私は「これから自分の時間だ、やった〜」と思いました。(笑)
―――とてもお幸せですね。でも去年の今頃はあなたが落ち込んで精神科の薬を飲んで、すごく大変でしたものね。あなたが元気になって、あなたはもちろん、家族のみんなが喜んでいる、なにより幸せですね。
昨年末は舅がいつ亡くなるかわからない状態で、それを考えると苦しくて,苦しくて・・・という状態でしたね。亡くなったのは2月10日です。今、夫に一周忌をするからと連絡が来ていますが、私は行くつもりはなく「その頃私はインフルエンザにかかったということにしてね」と言ってあります(笑)。普通なら自分の嫁ぎ先のお父さんの年忌に行くのは当たり前だろうけれど、私の気持ちは行きたくありません。
写真掲示板にたっちゃんが指宿・開聞のオルレの写真を載せていましたよね。自然はすごくいいんですが、夫の実家があるところなんです。夫に見せたらすごくきれいだと感動していましたが、私はそこに行くと苦しくなるんです。
姑は84歳ですが、夫が帰ってきたときに野菜をたくさんもらってきたので、新年のあいさつのために電話にでたんです。そうしたら「私は目が回って料理もできない。だから〇〇さん、帰ってきてよ」と言ったんですね。私は「は〜い」と言うけれど、最近いつもそう言われるので電話にも出たくないなと思います。
姑は嫌いではないんですが、田舎に行ったら周りからいろいろ聞かれたり、言われるのも嫌なんです。
―――もう息子さんに感謝ですね。そんなふうにちゃんと自分の気持ちを言えるようになって。27年間もお正月とお盆に行っていたんでしょう。
そうなんですよ。もう行かなくなって7、8年になります。舅の葬儀で姑に会った時はすっかり小さくなっていました。こんなに時間が経ったんだと思いますね。
親から否定されることは死ぬほどつらい 長谷川登喜子さん
私は次男が小3で不登校になった時、親に学校に行っていないと1回言ったきりで、自分の親から何か言われることが嫌で、あまり実家にも行きませんでした。親を避けることでしか自分を守れなかったんですね。
その父が晩年、15周年記念誌に載っている私の文章を読んで「お前は難儀していたんだね」と言ってくれた時は、「親の会で励ましあってきたから、ちっとも難儀はしなかったし、楽しかったし幸せだったんだよ」と言えました。
―――子どもが親から否定されることは死ぬほど辛いけれど、同じように不登校の子どもを持つ親が、その自分の親から否定されることは同じように辛いということですね。ご夫婦も別れようと思ったこともあったけれど、今はお二人の生活を楽しんでいるのね。
子どもはみんな、親に認めてもらいたいという想いがあります。たとえ50歳になっても60歳になってもね。否定されるのがとっても怖かったです。親のところに行って「子育てどうしているんだ?」と聞かれて、親を悲しませたくないという気持ちがあったし、自分の身を守るために自然と足が親元から遠ざかって行きました。
私と両親の関係は、気持ち的にはそんなに距離はないと思っていたし、4人妹弟だったので誰かが親をカバーしてくれました。妹は農業の手伝いを良くやってくれました。でも妹は自分の思っていることを120%ズバッと両親にも夫にも言う性格なので、「人に対してもあんな風な物言いをするのかな」と心配していました。
妹は小さい頃、親にアピールしてもかなわなかった想いがあって、大人になっても言葉を強く発して、自分をアピールしているのかもと私は思いました。しかし母は過ぎる妹の言葉に引いてしまっているように見えました。
昨年母が体調を崩し介護が必要になり、姉妹で1日おきに泊まり込んで面倒を看て、昨年の4月からはグループホームに入居しています。ホームでの母と妹のやり取りの時間があって、母も妹をあまり避けなくなりました。その様子を見て、良かったと思っています。
昨年の12月、母は食事が摂れなくなり少し鬱状態になりました。交代で母の介護をしたんですが、私はこの親の会で「押しつけはだめ、やめよう」と学んでいたので無理やり食べさせることはしなかったんです。しかし妹や弟は1口でも食べさせようとするんですね。
私は母の好物を作って持って行って、自然に「これ食べる?」と言うと、「うん」と言って普通に食べてくれるし、お風呂も「明日病院に行くから、お風呂に入ろうか」と言うと、ちゃんと自分で服を脱いで入るんですよ。
他の妹弟の時は抵抗して一切食べず、入浴もしなかったんですが、「どうしてあなたの時はちゃんとできるんだろうか」と不思議がっていました。今は落ち着いているんですが、母は「去年の12月はどうしていたのか、思い出せないのが悔しい」と言ったんですね。そういう言葉が出てくるというのは正常じゃないか、痴呆じゃない、と思っています。
12月29日は弟が帰ってきて、「昨年は年とりをしていないから、みんなで集まろう」と言って母と妹弟4人で食事をしました。お正月明けは女姉妹3人と母とで食事をして、母は嬉しそうな顔をして喜んでくれました。
年末我が家は孫たちも久しぶりに遊びに来て、もちをついて楽しみました。元旦には長男家族、娘家族も集まってお正月を過ごしました。娘も近くに引っ越してきて、夫が単身赴任しているので元の職場で楽しそうに働いています。
小3で不登校になった次男は今35歳で、大阪でアルバイトやパートをして働いています。昨年の11月に食中毒で入院して丸1ヶ月働けなかったんですけど、お店の人がお給料を出してくれて、友達がお弁当を買ってきてくれたりして、周りの人達から大切にされています。 息子に電話で「困っているだろうからお金を送ろうか」と言ったら、「大丈夫、みんなが助けてくれるからいらないよ」と言われています。
―――困っていると聞いてもお金を送らなかったの。えらいね〜。でも送るお金は・・?
(なかったけど、親の見栄をはったの!)(大笑)昔、夫の退職金も全部パチンコの借金に消えたこともありました。
そうなの。夫がパチンコで百万以上の借金を作りました。夫の小遣いではどうすることもできず、ギブアップと私に言ってくるんです。私はサラ金だと利息だけが増えるから銀行で借りて返したんです。良かれと思って、助けると思って。そして5年かけてやっと銀行へ返済したと思ったら、また穴を開けたと言ってくるんです。そういうことの繰り返しを20年間やってきたんです。
ですから「よかれ」と思ってやることは、何にもならないし、結局は助けているつもりで苦しみをずっと繰り返してきました。「私何やっているんだろう」と立ち止まった時に何の役にも立っていないなあと感じました。今もパチンコはしているようですが、自分の小遣いの範囲内です。
―――15周記念誌に「夫のあるがままを受け入れて一緒にやっていこう」と書いてありますね。
私の課題とは? A さん
お久しぶりです。市役所職員だった夫がいわれなきセクハラ容疑をかけられて免職され、撤回裁判を闘ってきましたが、昨年12月控訴審でも敗訴しました。最高裁でも、と考えていたんですが、闘うたびに真実がどんどん追いやられて、相手方が口裏合わせしたものがどんどん上乗せられて認められて行くので、もうやめようと決めました。
判決が出てから3、4日は悔しいやら残念やらで眠れませんでしたが、やればやるほど真実が遠ざかっていき、傷つくし、ないことが事実として認められてしまう。
でも、心の中ではどこか解放された気持ちもありました。悔しいのは悔しいけれど、いつまでも引きずるよりも区切りをつけて自分たちの好きなことをした方がいいかなあと思って。
―――ずっと裁判を抱えてきた生活でしたものね。
最初の不当人事の行政審理が平成20年度でしたから6年以上経ちました。免職になったのは平成24年で、それから裁判を始めました。最初は支援してくれる人もいたけれど、市役所が口裏を合わせて全部物語を作っていくので、やはり組織ににらまれるのが怖くなって、誰も助けてくれませんでした。その話が事実として認定されても、法的にはおかしな点がたくさんあって控訴審まで行ったんですが、結局はだめで、世の中にはどれだけの冤罪があるのかと痛感しました。
―――本当ですね。ご苦労さまでした。費用も大変だったでしょう。
はい。相当かかりすべて自己負担です。目に見えないお金もかかりますしね。
今まで長かったので、でっち上げた人たちへの恨みよりも、その人たちはその人たちでやっていけばいいのかなあと思っています。
―――裁判のことも、ご夫婦にとって避けて通ることができない大事な課題でしたね。残念なことに結果は敗訴になりましたが、人生の大事なページを避けずに向き合ってこられたことは貴重な財産でした。毎回、自分の気持ちとの葛藤でしたよね。(はい)裁判を起こしたことによって、いろんな人たちとのつながりも増えましたね。
はい。この親の会でも話せましたし、地域でも変わらずに接してくれる人たちがたくさんいらっしゃっいます。
私自身にも思いがけず仕事に恵まれて、軽い知的障害を持つ方たちのグループホームで世話人をしています。それが結構面白くて楽しくやっています。悪いことばかりではなかったと思います。
今夫は鹿児島市内でアルバイトをして働いています。不登校だった一番下の息子が専門学校に行くようになったので、鹿児島市内にアパートを借りてふたりで住んでいます。
息子は中1から不登校になり、中3まで適応指導教室へ行き、通信制高校を卒業しましたが、2年くらい家でゆっくりして、ファミレスで半年くらいバイトをしていました。
昨年の4月から3年制の専門学校へ通うようになりました。続くかなあと思ったけれど、行っています。私は娘と二人暮らしです。姑は自宅の目の前にある病院に入院中です。夫婦は別々に生活していてひと月に一度くらい会います。
―――それはさびしいでしょう。
いえ(大笑)、私はひとりで自分の時間を自由に過ごすのが好きなんですが、夫はどちらかというと私の後についてくるタイプなんです。仕事をしている時は市役所が車で5分の所だったので、毎日お昼ご飯を食べに帰ってきて、三食一緒でしたから。私が何かしていても途中で中断しなくてはならないし、なので夫が一番煩わしていました(笑)。今の状態が一番いいです。
娘は2月で27歳になります。今体重は29キロです。本人の中では29キロがキーワードになっていて、そこから減ると食べて、太るとセーブしているみたいです。全部本人に任せて昔のように心配することはなくなりました。
達さんの原稿を読んで、線引きが難しいなと思ったのは〈「子どものことは大変だから考えてもしようがない」「なるようにしかならない」「だから自分だけの生活に一生懸命になる」と言ったことではありません〉のところです。私は逃げていたのかなと思って。
―――娘さんの命がなくなるんじゃないかという大きな不安がありましたね。拒食で入院中の娘さんが退院したいと言った時、不安をこの会でたくさん話されました。
その後、娘さんの意思に沿って、恐怖もあったけれど自宅に連れて帰りました。最終的には娘さんを信頼することができましたね。あなたの不安がずいぶん小さくなってきているなあと感じます。
今はどうですか? 娘さんの食事は誰が作るんですか。掃除、洗濯はどうですか?
だいたい私が作ります。用意しておけば自分で加減して食べています。足元がふらついて危ないので作るのは無理でレンジでチンするくらいです。娘は栄養剤を飲むんですが、それは私が買ってきます。入浴は体力的に無理なので、シャワーの時は私が手伝っています。
―――大事なのは親の会の3原則です。「異常視しない、言いなりにならない、腫れもの扱いしない」。普通に接する。すごく大変だったからこの子は大丈夫かなとどこかで配慮してしまうけど、し過ぎない。わが子といえども他者ですから、変えることはできない、わが子のそのままを認め尊重するけど、変に親は協力しない。
娘さんは大変な経験をしているし、入退院を繰り返しているから、「自分は病気だ、特別だ」と思っているんですね。誰だってそんな環境や境遇が続くと娘さんのように思うのは不思議じゃないですよね。でも、そこでお母さんまで娘さんを病人扱いしていると、本人もいっそう病気だから仕方ないと思ってそこから踏み出そうとしないんです。
心配からではなく、娘さんを信頼して「食べようよ、もっと栄養摂ろうよ」「お母さんは食事はセーブしない方がいいと思うよ」とはっきり言えるかどうかは、親であるAさんの課題だと思うんですね。
娘さんのために言うのではなく、自分がそうだと思っていることを遠慮せずに言うのは自分のためなんですね。自分の課題から逃げないということです。「お母さんはこう思うよ」と。それを受け止めるか、受け止めないかは娘さんの課題で、娘さんがが決めることなので、ますます言うことに遠慮はいらないんです。そういう自分の課題と向き合えるいいチャンスですね。
一方、娘さんもそうだけれど、あなた自身にも不安はまだまだあるんだなと気がつくチャンスでもあるんですね。以前がもっと大変だったから、どこかで「今のままででもいい」と思い込もうとしている自分がいるんじゃないかなと思うんですね。
本人が気のすむまでやればどうにかなるのかな・・・。娘がこだわるのならこだわりきってやってみればいいと思っているんですが・・・。料理も手が硬直して曲がっているものですからできません。あとは本人の好きなようにさせておいて、私は飛び回っていてあまり家にいないんです。前と違って本人の居心地のいいように過ごさせているつもりなんですけれど・・・
食べるようには言っているんですけど。娘のために言っているのか、自分のために言っているのか、わからなくてむずかしいですね。
いろいろなことを子どもから学んでいますよね。私は裁判のショックより初め長女が不登校になったショックの方が大きかったです。3人の子どもたちが続けて不登校だったので、その思いに比べると、大概のことは乗り切れると思います。
―――そうですね。「もう仕方がない、気のすむまで・・・」という言い方は、娘さんの今を決して肯定しているとは言えない。娘さんにとっても辛いことですね。じつは娘さんも現状に決して満足しているわけではないと思いますよ。
もうこういうもんだと思っているから。気をつけないとだめですね。難しいです。
娘は寝たきりが長かったから、今の状態はまだいいと思ってしまうんですね。
私の課題ですね。
(2月例会より)
親が黙っていると、子どもは自分で考え、
ちゃんとやっていく
ジュンさん
―――先月、ジュンさんは自分を大事にするようになったとのお話をされました。子どもたちにも自分の思いを伝えることができるようになって、今、別居しているおつれあいさんともゆくゆくは一緒に住んで、映画にも行きたいし旅行にも行きたい、と言われました。あなたのお気持ちも変わりましたね。
まぁ、気心がしれた相手は夫しかいないので。今でも仕事で一緒になる場面があって、嫌な面も見て全然変わってないなと思うこともありますが、今は離れて生活していますからね。
―――お前のせいで子どもが学校に行かなくなったと責められたこともあって、心の傷になっていったのよね。今はもう言わないの?
それはもう言わないですね。以前はすべてがお前のせいだ、と言われていましたね。口論になるとだんだん声を荒げてくるので、これ以上言うと怖いと思い、私はもう何も言えなくなってしまっていたんです。今はもうそういうことはありません。
―――どうしてそんなに変わったの?(やっぱり離れて暮らしたからでしょうか)あなたが勇気を持って、本部の人に夫のお金のことを話したことが大きな転換点だったと思いますよ。相手を変えることができなくても、自分は変わることができる、という大事な教訓ですね。
その時はかなり追いつめられていたので、あれはかけでしたね。夫から(本部に言うと)もう仕事がダメになるとか、お前のせいで生活できなくなるとか、怒られるんじゃないかと、いろいろ悩んで考えましたが、私自身がもう精一杯でこれ以上できないと思ったので、思いきって言いました。占いにでも行って見てもらおうかな、とも考えるほど追いつめられました。(笑)
次男は来月私立高校の通信制を卒業予定です。学校から「卒業試験が5教科赤点です。追試で60点以上取れないと卒業できません」と連絡がありました。これまでも進級は無理だと言われながら、なんとか土壇場で頑張ってきていたんですね。数学は白紙で出したようで0点だったそうです。
卒業は無理かな、今まで出したお金が・・・と思ったけれど、ここでいろいろ言うといけないと思って、知らんふりをしておこうと思いました。今まで進級の時も何も言わずに来ましたから。(―――偉いですね。何も言わずにきたなんて)そこで終わったほうがお金もかからないので(笑)、それならそれでいいと思っていました。
最後の最後で卒業試験でダメですと言われて、どうするんだろうと思っていたんですが、先週3日間の追試があり、担任から「すべて合格でした。よく頑張りましたね」と電話がありました。
0点の子が60点取るなんて絶対に無理だと思っていたので、すごいと思って「どういう技を使ったの?」と息子に聞きました(笑)。「数式も全部頭に入れて、全部答えを覚えた」と言いました。それは私が見ていない夜中に覚えていたみたいです。昔から暗記力はある子だったんですが、すごいなと思いました。
息子が「お母さんは昔、いろいろ言ったよね。俺が中学校に行かなくなったとき。そのときと同じようなことを言われたら俺はやっていなかったかも」と言いました。
当時私は、すでに上の二人の子ども(兄、姉)が不登校だったので、「まさか、あんたまでこうなるの。あんただけはと思っていたのに、もうがっくりだよ」と言ったんです。(笑)
―――その時はもう自殺しようと思うほどに落ち込んだのね。
そうです。息子に「お母さんはもう元気がない、エネルギーが残っていない」と言って、2階で布団をかぶって伏せてしまったんです。
それで今度は、俺はやる時はやるんだ、すごいだろうみたいなドヤ顔をされました(笑)。でも、それで卒業が決まったかと言えばそうではなく、まだ他にも残った課題があるようです。それは卒業までに自分で行くと言っています。それでホッとしました。
(―――卒業後はニシムタで働くと言っているのね?)それは本人の希望なんですが、息子は「バイトが決まったら最初の給料でみんなでご飯を食べに行こう」と言うので(笑)、決まればね、と言っています。黙っていれば、子どもって本当に自分で考えてやっていくんだな、成長がすごいなあ、と思いました。
学校から追試の電話があった時、息子に何か言ったほうがいいんだろうかなとも思ったんですが、結局本人のことだし、本当に何も言わなくてよかったと思っています。
私は学校には入学式しか行っていないんです。PTAにも1回も出席していなくて、担任から「子どもさんが今こんな状態にあります。来て下さい」と言われても、「子どもに任せていますし、仕事があるので行けません」と断っていました。あとは卒業式に行くだけなのでよかったなと思っています。
―――とっても素晴らしいよね。親の会の教訓「“しない”と“する”ようになる」ですね。
3人とも本人に任せたのがよかったのかなあと思っています。
お兄ちゃんも今鶏肉屋さんで働いているんですが、社長さんがまじめに働いているからと言って、アルバイトなのにボーナスを下さったようです。レジまでしているということもびっくりで、「お母さん、こんなふうに言うんだよ」と教えてくれます。本当に先のことってわからないものですね。
―――あなたの心配事はなくなった?
しいて言えば、母の認知が進んでいるということかな。
以前はいっぱい抱えていましたが、だんだんと心配が剥がれていって、気持ちが楽になりましたね。
お兄ちゃんの時が一番辛かったですね。リストカットをしたり、大量に薬を飲んだり、精神科に入院したり、いろいろありました。あの頃が一番辛かったです。
親が心配すればするほど悪くなっていくんですね。
おろおろしてあっちの病院こっちの病院と連れて行けば行くほど悪くなって、それに親は気がつかないんですね。
良かれと思ってやっていたことが逆に子どもを苦しめていた。
そのことに気がついて本当によかったです。
こんなに違うんだなあと思います。
―――大事なお話ですね。
長男の職場は家の近くなので歩いて行くんですが、その後ろ姿を見るとなんかうるうるしますね。店には来るなと言われているので行かないんですが、近くを通るとお店の中にいる姿が見えて、頑張ってるなお兄ちゃん、自分の足で歩くようになったんだなあ、と感慨深いです。
「2階から飛び降りてけがをしたら、俺は障害年金で暮らせるかな」と言ったこともありました。娘から「お母さんはお兄ちゃんばっかりみている。私達のことは見ていないでしょう」「仕事のことばっかりだよね。私達のことはほったらかしだったよね」と言われたこともありました。いろんなことを思い出しますね。
やっぱり私は親の会に参加して、いろんなことを学び本当によかったと思っています。
多忙な私と家族の支え みーやさん
今は仕事が追い込みで大変です。毎晩帰宅が遅くて、夜11時からの“マッサン”の再放送が観られないですね。朝バタバタしていて、あまり観られないので夜またと思うんですけど、楽しめることができないです。(笑)
―――大変ですね。あなたのおつれあいさんは、精神科の薬も服用していたりで、夜早く帰ってきてゆっくりしていらっしゃるの。
だから、もう喧嘩ばっかりです。何時に帰ろうが何もしないんだなと思ってですね。ただひとつだけ迎えには来てもらっているんです。夫は夕方6時に帰り、それから寝るわけですよ。10時くらいに目が覚めるので、ちょうど11時ぐらいには迎えに来れるんです。(笑)
―――あなたの運転っておもしろいよね。暗闇と雨の日と高速道路は運転しないと決めているのね。(それと遠いところもしないとい決めています)(笑)じゃあ、それから夕飯作るの。
帰りにちょっとしたものとか刻んだものを買って帰ります。子どもたちもよく倒れないなと思います。でも、節分が終わって子ども達と夫の3人は予防接種を受けていたのにインフルエンザに罹って、私は自費で予防薬タミフルを飲んで、すごいお金がかかったんですが助かりました。
―――家にいる息子さんが、「お母さんみたいになるから、社会人にならない」と言ったのよね(笑)。新しい建物が完成したあかつきの4月いっぱいで激務から解放されるんですか。
新しく始まったら始まったで大変でしょうね。(―――辞められないんじゃないの)
もう、辞めたいです(笑)。この1年、3月で退職しようと思って自分に言い聞かせて何とかやってきて、ほんとに体がもつのかなと思っていたんです。4月に異動かもしれませんし、それは分からないです。
―――お母さんも面倒見ないといけないしね。
そうですね。認知が進んでいて大変ですね。(―――家にいるお兄ちゃんは、手伝ってくれますか)それがあんまりないです。最近「何かを始めないといけないからカウンセリングが必要だ」「まずはカウンセリングを受けないといけない」と言い始めて(大笑)、でも自分で行かないです。私も暇がないので良かったと思っています。
―――暇だからいろいろ考えてしまうのよね。カウンセリング受けたらうまくいくんじゃないかとね。まだ動きたくないということなんでしょう。
仕事が激務なうえに、お母さんの面倒を見て、ついでに夫もみて(笑)。(やってないです)でも仲良くやっているんでしょう。
毎日迎えにきてくれるし、それは深い愛情がないとできません。帰ったらお風呂も沸いていて(いいえ、全然そんなことしていない)(笑)ごはんもできていて。
いいえ、お釜を開けたら空焚き状態になっていて、何で気づかないのかなと思って、男三人いて(笑)、ご飯がカッパカッパになっているんです。
―――去年の話は面白かったね。バレンタインのお返しのお菓子を冷蔵庫に入れていたら、夫に全部食べられていたのね。(笑)
また、あったんですよ(笑)。ゴディバのチョコを子どもに2個やって、残り3個あったはずなのに、次の日全部消えてなくなっていたんです(大笑)。みんな言わないんですけど、結局下の息子が1個と夫が2個食べていたんです。(笑)
―――楽しく暮らしていますね(笑)。あなたが初めてここにいらしたとき、長男さんが「死ぬ、死ぬ」と言ってその不安に怯えていたとき、また長男さんが熱帯魚を飼いたいから大きな水槽を買ってくれと催促されて、そのとおりにしたときと比べたら・・・(まだ、余裕はないですね)それでもかなり心に余裕が出てきている、熱帯魚も癒しになっている。(それも、私しか世話する人はいないから。あんなに言った長男なんか今は見向きもしないですよ)(笑)
そんなふうに家族と楽しく仲良く暮らしておられる。
今、みーやさんのお仕事がとっても忙しいのをいいチャンスにして、ここは夫と息子さんたちに家事をやってもらえるようにするとイイですね。
(3月例会より)
あなたがかわいい。それだけじゃいけないの?
永田俊子さん
息子は今24歳です。2月末に書くと言って書いた専門学校の退学届を私が届けました。その夜に「出してきたからね」と言ったら、その翌日からまた食事を摂らなくなりました。
ここでペットボトルを持ってウロウロしてはいけないと言われて、肝に銘じていたので(笑)、ただ「ご飯だよ」と声をかけただけで、あとは何もしませんでした。息子は「水だけは飲む」と宣言していました。
でも、その夜から息子は議論をぶつけてきたんです。今までそんなことはなかったのに「早く睡眠薬を買って来てくれ」と言いました。私は「そんなものは買ってこないよ。あなたは大事な家族だから生きていてもらわないと困る」と言うと、「俺はクソのような人生だ」と言うんです。
「お母さん達はあなたがかわいい。それだけじゃいけないの」と言ったら、「そんなのはただの母親のプライドだろう」と言いました。「お母さんも腹が立つしイライラもする、でも困ったことにあなたがかわいいんだ」と言ったら、「1億円くれ!」と言いました(笑)。私は「今すぐはないけど、宝くじを買って必ず当てるから」と言いました。(大笑)
「死ぬしかないんだ」と言う息子に、達さんの言葉を思い出しながら、なんとか乗り切りました。食べなかったのは4日間だけで、5日目には「食ってやる、満足か」と言って食べ始めました。「まぁ、別に」と言いつつ、それからは普通に食べましたので安心しました。
「今度俺が辞める時に何もしてくれなかったじゃないか」と言ったので、「え〜っ!引き止めてほしかったの?」と聞き返すと、「もう行く気はなかった」と言いました。「あなたの決心が固いとわかっていたから、お母さんももう何も言わなかったんだよ」と言うと、息子は黙っていました。
―――すごいねぇ。もう言葉に詰まることはないのね。
あんまり私に言うので、「なんでお母さんだけに言うの? お父さんに言ってよ」と言うと、「お父さんは怖いから」と言っていました(笑)。私より優しい夫なんですよ。でも息子がそんなことを言ったら「じゃ働けよ」と言われるのがわかっているからでしょうね(笑)。
息子は先日は床屋に行って、歯医者にも行きました。
昼夜逆転しつつゲームをしながら以前と同じ生活をしています。
―――「命さえあればいいから」とは今回は言わなかったの。(笑)
前回の絶食は1週間で、今回は4日間だったので、大丈夫と思って言いませんでした。「人間は何日間食べなかったら死ぬんだろうか」と言ったので、「この前は1週間食べなくても大丈夫だったから、きっと1週間じゃ死なないよね」と言ったら、もうおなかがすいたんでしょうね、食べ始めました。(笑)
―――先月は、家にばかりいて運動しないのが心配 と言われましたが。
今も全くしませんけど、自分からやろうと内から湧いてくる力じゃないとだめだとわかっているので、慌てないことにしようと思っています。(―――それはよかった。俊子さんはどうでした?)していないです、山登りだけですね。小さいころから運動は苦手でした(笑)。でも今は週に2、3回は働いていますし、バス停まで歩いたりしていますから。
息子は運動神経抜群で、かけっこも常に1番で親を喜ばせてくれました。一時は無気力になってゲームもしませんでしたが、今はインターネットで新しいゲームを買って、生き生きとしています。
昼夜逆転ですけど、夕食と朝食は一緒に食べます。息子はご飯を食べるようになったら、議論を吹っ掛ける回数はぐっと減りました。食べない時は暇だったから吹っ掛けてきたんでしょうね。
このままずっと2階にいたらどうしようと思うこともありますが、先日川崎で中学生が殺された悲しい事件がありましたよね。
その事件のことにふれて、「あなたは心優しい子でよかった、生きていてよかった、とお父さんとも話したんだよ」と言ったら、「それが何になる」と言われて(笑)。
でも以前のように心がズシンと重くなることがないのは親の会のおかげです。
―――「わが子がかわいい」と言える俊子さんは素晴らしく、幸せですね。
そうですね。私が作った料理をおいしそうに食べる姿を見るのはすっごく嬉しいです。
私は母のところに行くことが多いので、夕飯を作って出かけます。夫が仕事から帰ってみそ汁やおかずを温めていると、ちょうど温まった頃に降りてきて一緒に食べるそうです。私がいる時は3人で食べます。
―――ご夫婦も仲良しなのね。
そうですね。夫と寄り添えたのはこの不登校、引きこもりのおかげですね。
親の会との出会いがあってこそで、今のほうが夫婦の仲が良くなりました。
「不登校して引きこもったらこうなります」と言えばいい
淳子さん・重則さん
―――先月のお話はよかったですね。息子さんが「学校に行っていないからこういう仕事しかないんだ」と言った後に、淳子さんが「今の職場の人達は学校に行ってないの?」と聞くと、「そういえば、みんな高校を卒業しているし、大学を出ている人もいるよね」と言ったというお話でした。仕事は学歴に関係ないことを自分の職場を通して発見していって、偉いなと思いました。
達が書いた文章に対して、どういうタイミングでわが子に積極的にかかわるのか、という淳子さんの感想について、私は「息子さんが引きこもっていたことや不登校になったことをまだ肯定していないとしたら、それは否定することではないし、それがあったから今のあなたの人生があって、お父さんもお母さんもあなた達のおかげで、すごくいい人生を送ることができているんだよ、と積極的に自分たちの思いを伝えていくことだと思います」と話しました。
娘さんもすごいですよね。先月、淳子さんは次のように話されました。
娘は「最近は引きこもっていたことを忘れてしまう。でも引きこもっていたことを忘れたらいけないよね。引きこもっていたことを忘れたら自分でなくなる」と言うんですね。
娘はいま生協のレジで働いているんですが、知り合いの方に「どうしたらあんなに明るく素直なお嬢さんに育つの?」と聞かれたことがあるんです。娘に話したら「不登校をして引きこもったらそうなります、と言えばいいのよ」と言いました(笑)。
娘さんは不登校をしたことを誇りに思っているのね。すごく感動しました。
淳子さん:先月の会で、私は息子が自分の不登校や引きこもりを否定しているという話をして、今度帰ってきた時には自分の言葉で朋子さんが言ってことを話そうと思っていたんですが、1月末に帰ってきた時も、3月に帰ってきた時も言わなかったんですね(笑)。
だから私が息子は自分のことをいつも否定している、と勝手に思いこんでいたんだなと思って。夜の仕事が長かったり、体調が悪い時に言った否定する言葉を、私の中でああこの子はまだまだなんだなあと思っていたのかなあと思って。
なので今度否定したことを言ったら自分の言葉で言おうと思っていたのに、なかなか言わないなあと思って。(笑)
言ったことといえば、「働いてみたらいろんな環境で育った人がいてね、俺ってすごく恵まれたいい家庭で育ったんだね」と言いました。
お正月の時は熱が出てシフトを変わってもらったりしたことで気弱になってそう言ったのかなと思って、いつも言っているわけではないんだなと思いました。
―――それは大発見ですね。息子は自分の不登校や引きこもりを否定しているんじゃないかと思っていたけれど、そうじゃなかったということですね。そんなふうに言ってもらって幸せですね。
重則さん:もう少し手抜きが出来るといいんですが、ものすごくまじめなものですから。(―――それは重則さんの息子さんですからね)(笑)洗車を普通の人が5分でするところを15分くらいかけてきれいにやるようなんです。まあ私の子どもですからそんなもんでしょう。(笑)
淳子さん:息子から「木曜日の夜、仕事が終わってから帰るから、遅くなるから寝ていて」と電話があったんです。そうすると夫が金曜日の朝、仕事に出かけてしまうと会えないので、夫は仕事を休んだんですよ(笑)。
息子には言っていなくて、朝起きたら娘は福岡に遊びに行っていなくて、「妹がいないことにびっくりしたけど、お父さんがいることはもっとビックリした」と言いました(笑)。
3人で指宿にできた新しいお店にランチに出かけてゆっくりと過ごしました。
―――以前は朝から夜遅くまで働いていた仕事人間のお父さんが休んで家にいるなんて、それは息子さんはびっくりでしたね。
娘に「お父さんは明日休むんだって」と言ったら、「へぇ〜、いいんじゃない。でもお兄ちゃんが喜ぶかどうかはわからないよね。お母さんとふたりでゆっくり過ごせたほうがよかったんじゃない」と言いました(笑)。(―――いいですね。そういうお話を聞くのは嬉しいですね)
重則さん:私はもう休もうと思えばいつでも休めるんです(笑)。今は責任がないですからね。
今は5時半になったらパッと帰りますよ。
―――息子さんが両親をリスペクトしている、と言ったのはいつでしたか。
淳子さん:去年の私の誕生日に電話が来て「お父さんとお母さんのことをリスペクトしているからね」と言ってきました。「働いてみるといろんな人がいて、子どもの頃は何も思わなかったけれど、いい家庭に育ったんだなと思う」と言いました。
―――それは最高の誕生日プレゼントでしたね。不登校を体験した二人の子どもたちを誇りに思いますね。
(4月例会より)
そんな世間ってどこにあるの?
頭の中にあるだけじゃない!
永田俊子さん
息子は相変わらずごろごろしています。カレンダーも何もない生活をしているんですけど、4月になってすぐ「今日から4月だ、みんなは今日から始まるんだな」と言いました。
息子はテレビで流れている星座占いを見て「今日は、充実した1日になるでしょう、とあるけど、俺にはこんな充実した日なんか来ないんだ」と言ったので、「そりゃ、そんな生活をしていたら、そうね」と言いたかったんですけど(笑)、「お母さんは、そうは思わないけど・・」って、それで流しました。
(―――かわいいねえ、それからは?)それから何も言いませんね。ダラダラと毎日を過ごしているだけです。
先日、夫と外食した時、息子の話が出て、夫が「いつか息子が働き出すにしても、もう世間が許さないだろうなー」と言うんですよ。それで私ははたと気づいて「あぁ、世間が許さない? だけどそんな許さない世間ってどこにあるんだろうか、探してみてもどこにもないよね。何もかも自分たちの頭の中にあるだけなんだよね」と言ったんです。
「あなたはいいこと言ってくれた、だから私はいいことに思い至った、そういうのを親の会では『自分の不安の影に怯える』って言うんだよ」と、またそれで話ができて、そう思いついてから気分が楽になりました。(―――すばらしい!)
息子の状態は変わらないんですよ、だから、じゅんさんの息子さんが仕事をしていると聞くと、やっぱり揺れますけど、なんか自分の気持ちがすごく楽になりつつあります。
―――あなたのおつれあいさんも、あなたにそう言われてすごく楽になったでしょう。
ああ、そうかもしれないですね。そして夕べ「明日、親の会だからね」と言ったら、夫は「ああ、行っておいで、行って元気をもらっておいで」と言いました。
―――そんなこと言ってくれるの。(はい)とっても素晴らしい! 息子さんもお母さんが親の会に行っていることは分かっているのね。
分かっているはずです。今日はまだ寝ていましたので(笑)。(―――親の会の話はするの)たまにしますけど、「俺には関係ないから」と言いますね。
―――先月、「俺の人生はクソのような人生だ」「死ぬしかないんだ」と言っていましたね。
最近はそれを言わなくなりました。ただごろごろした生活をしていますけど、ゲームは元気にしているし、ご飯も1日2回ですけど食べていますし、私の気持ちも楽になりました。
―――去年の10月ごろ,専門学校に行かなくなってご飯を食べなくなった時は、死ぬんじゃないかと大変でしたもんね。(笑)
行かなくなって同時に食べなくなって、1週間食べなくなった時は「どうしよう」と思っていたんですけど、ちょうどその頃、親の会に来て、ちなちゃんが「海でなにも食べないで1ヶ月ぐらい生きていたという人もいるからね」と言ったんです(笑)。
私は「海で魚を捕まえて食べていたんじゃない」(笑)、「でも、水は飲まないといけないけど海で雨水を飲んだのかも」と言って(笑)。だから、いま息子は何の心配もなく普通に生きています。
―――おつれあいさんは、以前のようにまた畑仕事を手伝ってもらいたいとは言わないのね。
畑仕事はしていないです。
息子も手伝えって言われるかもしれないと言ったんですけど、「あなたがしたくないんだったら、お母さんから言っとくからね」と言ったんです、それで夫もそれを守って何も言わないです。
ほんとに何もしていないで、ただ生きています。
だから私はパートの仕事に行って、母のところに介護に行って、夜寝るときは、息子に「お母さんは明日早いし、いろいろ予定もあるから、もう寝るね」と半分嫌味で(笑)言います。
―――息子さんが昼夜逆転で起きているのは何も気にならないの。(そうですね、気にならないですね。静かに過ごしていますね)息子さんが専門学校を辞めて引きこもっていることは、まわりには言ってないのね。
そうです。親しくしている前の家の人はわりとおしゃべり好きな奥さんで知っていますけども、だから周りも分かっているとは思うんですけど(笑)。
私の姉と夫の家族にも言ってないです。私の母にも、言えば落ち込むから言ってないです。夫の母はしっかりはしていたんですけど、90歳になってちょっと物忘れもあったりして、軽い認知かなと思うところもあって、夫も「言わないで」と言うので。
引きこもりも何も悪いことではないと思っているんですけど、でも、こうやって言えるものでもないという気もしますから。
―――波風立てる必要もないですからね。そうやって、いま肩にかけているショールを自分で編んでおしゃれを楽しんでおられるのね。ステキね。
自分で楽しむようにしています。でも今は、編み物よりもナンプレにはまっています。クロスワードの上級編にはまっています、あっという間に時間がたってしまいます。
親の会の言葉も紹介して「たのしい授業」 河野さん
久しぶりの参加です。
中学校教員ですが、25年間部活の顧問も続けてきました。
昨年の後半は土、日も休みなしで、ますます家族とのふれあいもできませんでした。朝は通勤に30分かかるので、7時に出て、帰宅は19時過ぎという日々でした。今年は副顧問なので、家に早く帰れるようになり、土、日もそんなに出なくてもいいと思います。
娘は養護学校の5年生になり、今日が誕生日です。(おめでとうございます!!)
夜、家族でお祝いをします。
―――娘さんは体が少しでも動けるようにと手術をしたり、大変な時がありましたね。
はい。筋肉が伸びないのでリハビリは現状を維持するために必要です。外では車いすを使いますが、家の中では母親が抱えてトイレや風呂に連れていくので大変です。私も抱っこしますが、娘はまだ父親を嫌がりません。(笑)
娘は兄とも仲が良くて、家族の仲はいいですね。
どこでそんな価値観が育ったのかはわからないんですが、娘は本当に前向きでプラス思考です。
―――以前娘さんに「リハビリをしないといけないよ」と言ったら、「今を楽しむことが大事なんだから」と言われたんですよね。
「今が大事なんだよ。そんな心配しなさんな」と言ったんですね。
今年は三年生の担任です。クラスにひとり不登校の子がいます。
中1、2年の時は8割くらい休んでいるんですが、今新学期が始まって10日間のうち6日は登校しています。高校受験という思いがあるんでしょうね。
でも、その子は学校に来たら本当に自分から周りの子と楽しそうに交わって行くんですよ。表情を見ていたら「本当に楽しんでいるんだなあ」とわかるんです。
その子の表情の奥底にあるものを見ようとするんですが、本当にわからないですね。
私は先週の月曜日は来ないんじゃないかと予想していたんですが来たんです。
次の火曜日は休みましたけど。教室にも自分から入ってきますし、給食もみんなと楽しそうに食べています。
各学級にひとりくらいずつ不登校の子がいて、完全に来ない子がひとりいますね。3年生はもうどこの高校を受験するとか進学の話を少しずつします。
―――昔は、せっせと電話をしたり、迎えに行ったり、家庭訪問をしたりと、かなりの干渉がましいことをしていましたが、今はしていないんでしょう?
いえ、連絡はありますよ。まず、管理職は「子どもが欠席をしたら親と連絡を取りなさい、その子が本当に家にいるのか」と、病欠連絡の子どもを含めて以前からやっています。
迎えに行きなさいとか、そういう指示はされませんが、担任や関わっている人が判断して行く場合がありますね。判断は担任に任せられています。
今は昔とは違って、登校刺激よりも、「ゆっくりとゆとりを持って相手の話を聞きなさい」というように変わってきてますね。積極的にああしよう、こうしようと動くのはダメだという考え方が広がってきています。
ただやっぱり目標として「不登校の生徒を減らそう」は今も変わりなくあります。
教育委員会へ報告するのは月単位でします。
私は昨年異動で勤務校が変わったんですがしたんですが、その時の入学式のパンフレットには、学力テストの県の平均点が何点、この中学校の平均点が何点、不登校児が何人、それを減らす目標が書いてあったんです。
今年からはその項目を無くしました。
―――それはとってもいいですね。教師にもゆとりができるし、子ども達にとってもいいですね。
学校の活動の中で、私は親の会の言葉も話したくて使わせてもらっているんです。
先週も道徳の時間に「ウサギとカメ」をやりました。
普通は、カメのようにあきらめずに、コツコツ努力、頑張って継続しよう、というのを良しとするのがこの童話なんですが、全然別の視点からとらえたお話もあるんです。
カメは水の中を泳げていいし、長生きもできるんです。ところが、「おまえほど歩みののろいものはない」とウサギに馬鹿にされて、「なんとおっしゃるウサギさん」と虚勢をはってしまいました。
カメが本当に自分自身を認めるのなら、「よけいなお世話だ」とうさぎを無視すればいいんです。自分を認めていない者に認めてもらおうと自分から自分を否定するのはけっしてほめられません。自分を否定するほうに目を向けずに、カメはカメらしく生きていっていいんです。
そういう話をしてから、板倉さんや親の会の言葉を紹介しました。
そのなかから好きな言葉を選んで書いてもらい、ラミネートしたクリアファイルを作ったんです。
割りばしの先にティッシュを絡めて、不安定になるようにして言葉を書きます。
筆だと上手、下手がでちゃうので、あえてそうしました。
子どもたちはなかなか味のある字を書きますよ。
いくつか見本のファイルを持ってきました。
どちらに転んでもシメた
いい加減はよい加減
「ダメな自分」も認められるようになると元気になる
つまらぬ自分、すてきな自分、二人の自分を大切にしよう
などです。
―――すばらしい、字も味があっていいです。素敵なファイルですね。親の会の言葉も引用して紹介してくださってとても嬉しいです。
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