登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島) 登校拒否も引きこもりも明るい話


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そのままでいい


内沢 達


(2014年9月例会の話に加筆)



この9月、僕らの会と共通する考え方との新しい出会いがありました。

トモちゃんと僕はNHK総合の番組再々放送(9/13)で初めて、重度の自閉症の東田直樹さん(1992年8月生まれ、22歳)のことを知りました。直樹さんは普通に会話ができません。けれども、パソコンを使うと自分の考えを存分に表現できます。幼いころから文字に強い興味を示していた直樹さんは、キーボードを使う練習を繰り返して、自分の気持ちや考えを表現できるようになりました。キーボードと同じ配列の文字盤を使ってコミュ二ケーションがとれます。


著書『自閉症の僕が跳びはねる理由─会話のできない中学生がつづる内なるこころ』(エスコアール、2007年2月)は、副題にあるように直樹さんが中学生の時に出版されました。その本が6年を経て昨年アイルランド在住の作家デイビット・ミッチェルさんの目にとまりました。ミッチェルさんの8歳の息子はやはり重度の自閉症です。ミッチェルさんは日本語教師の経験もあり、本を読んで、「息子がナオキの言葉を借りて話しかけてくれるのを感じた」と言います。


それまでは「息子が何を考えているのかわからず、どう愛せばいいのか途方にくれていた」そうです。「なぜ息子は突然パニックになるのか、床に頭を打ちつけるのか、大きな音におびえるのか、すべての答えがここにあった」。ミッチェルさんは、この本は多くの人を救うはずだと考え、すぐさま翻訳にとりかかり、世界20カ国以上で出版されるようになりました。


番組「君が僕の息子について教えてくれたこと」(初回8/16、再放送8/28)は、会話のできない日本の自閉症の青年とアイルランドの作家の出会いから生まれた希望の物語です。この番組は僕ら夫婦が見た再々放送も含めて、いままで3回放映されていますが、4回目も決まっています。11月24日(月・祝)午前10〜11時です。今はYou Tube でも見られます。TV放映のDVDコピーも用意しています。是非ご覧ください。


ミッチェルさんはこの春来日し、直樹さんに会って「君のおかげで息子のことがわかるようになった」と感謝の気持ちを伝えました。と同時に、いくつか質問して、直樹さんの考えを確かめました。そのなかでもっとも聞きたかった問いが次です。直樹さんの答えがとくに大事ですので太字にします。


──お父さんとしてどうやって自閉症の息子に手伝うことができますか? どうすればいいですか?


「僕はそのままで十分だと思います。お子さんもお父さんのことが大好きで、そのままで十分だと思っているはずだからです。」


番組ではこのやりとりについて、直樹さんの気持ちを次のようにナレーションしていました。


「自閉症のお子さんに父親として何をしてあげればいいかと僕に質問されました。僕はそのままで十分だとお答えしました。子どもが望んでいるのは親の笑顔だからです。僕のために誰も犠牲になっていないと子ども時代の僕に思わせてくれたのが僕の家族のすごいところです。」


この直樹さんの「(息子さんに何かしてあげなくても)そのままで十分」「(子どもが望むのは親の笑顔だから)そのままで十分」との答えはすごいと思います。


僕らの会では「そのままで」という言葉をよく使います。すごくいい言葉でわかりやすく、そして深いと思います。相田みつをさんの一番のベストセラー『にんげんだもの』(初版1984年、文化出版局)のなかに「そのままでいいがな」という言葉があります。僕はこの言葉を本当に文字通りに「そのまま」受けとめて、そうだなあ、いいなあと思ってきました。子どもが学校に行かない、勉強しない、友だちと遊ばない・・・、大概どんなことにもあてはまります。普通だと否定的にしか見られない子どもの状態も、僕は「そのままでいい」と思います。


子どもに限りません。大人だってそうです。僕の下の名前は「たつし」ですが、トモちゃんは僕が動作や行動がのろいので「のろし」だと言います(笑)。また、今はよくなってありませんが、1年半前まで脊柱管狭窄症やヘルニアで腰痛があり、しょっちゅう「いてて、いてて(痛い、痛い)」と言ってたものだから「いてし」だとか、その他「弱し」「女々し」、そのくせ「私には威張るから“いばし”」とも言われます。僕はそういうトモちゃんは「いば子」だと言ってます(笑)。


僕がもっとテキパキ行動できるといいかもしれませんが、できません。また「めーめー」言わない強さが僕にあればいいんでしょうが、ありません。そうしたことは仕方がないというよりも、そもそも、のろくても弱くても「そのままで」いいんだと思います。他に害をおよぼすものでなければ、自分のどんな「そのまま」も認め愛着をもっていきたいと思っています。


2012年1月例会で僕は『ツレうつ』の話を紹介しました。うつになったツレを妻がどうにかしなければいけないと思っているうちはよくなりませんでした。けれど、夫がうつになって会社を辞め家計は大変だけど、いつもそばにいてくれて自分は幸せだ、恵まれていると気づいたんですね。朝日新聞の「100万人のうつ」連載のなかで、この『ツレうつ』夫妻を紹介した記事の見出しが「“治らなくていい”で治る」でした(2011年12月27日)。いまの状態を否定しない。いま現在の夫婦のありようを「そのままでいい」と認め受け入れられるようになって、治っていったんです。


僕は、「他に害をおよぼさない限り、人間のどんなありようにも価値がある」という見方を以前からしています。相田みつをさんの「そのままでいいがな」という言葉も僕を後押ししてくれました。最近ではなんといっても大ヒット『アナと雪の女王』の主題歌「Let It Go ! 〜ありのままで〜」です。人間の個人としてのありように、「これじゃダメ、このままではいけない」なんてことは、じつはほとんどないのではないか。「ありのままで」「あるがままで」「このままで」「そのままで」十分によいのではないか、と僕は思います。


僕は、19年前に「いじめにどう対処するか」という短い文章を書いています(『随筆かごしま』第88号、1995年2月号)。そこでも「そのままで」に言及し、ずばり〈子どもたちの「そのまま」や「あるがまま」を認めないのがいじめだ〉と次のように述べました。


いじめはやはり人権の問題として考えざるをえません。(中略)人権というのは、人間が人間らしく生きていくうえで不可欠の権利のことです。「人間らしく」というからには、人それぞれの「その人らしさ」が100パーセント認められなくてはなりません。活発な子、おとなしい子、自己主張のある子、あまりない子、協調性のある子、ない子、……みんな他人を害しない限り「そのままの君で!」でいいんです。なのに、生徒一人ひとりの個性と自由=「あるがまま」が子どもたちの間で認められずに、とことん痛めつけられるのがいま問題になっているいじめです。また生徒のあるがままを画一的な管理や体罰・暴言によって認めないのが教師のほうからのいじめです。


教師らが子どもたちのどんなありようも、他人を害しない限り「そのままの君でいい」と認められるか。この「そのまま」「あるがまま」でよいという考え方がないと、本当のところいじめに有効に対処することができません。ほとんど無力と言っていいくらいです。


なぜなら、「そのまま」を認められないようでは、お節介にも「君のほうもこういうところは直さなければ……」などとよく聞く「いじめられる子にも問題がある」という見方、考え方になってしまいます。これでは、いじめを合理化、正当化しかねません。


子どもに限らずわれわれ大人もふくめて、人間なら誰にでも「問題」というか、欠点や至らないところがあります。けれども、「だから、いじめられるんだ!」「だから、いじめられても仕方ないんだ!」とは、心のある人なら絶対に言えないでしょう。いじめは子どもの世界だけのことではありません。


子どもたちが「そのまま」でよいだけでなく、じつはわれわれ大人も個人としては「そのまま」でかまわない、おおいに結構!ではないでしょうか。みんな「自由」なはずです。いつも自分を一番大切にして、自身の「そのまま」を認められるようになると、他人の、そして子どもの「そのまま」も自然に認められるようになります。


板倉聖宣さんの発想法のひとつに「つまらぬ自分、すてきな自分」というのがあります。「すてき」はよくても、「つまらぬ」はよくないと思って、こっちはなかなか認められないのかもしれません。でも、「つまらない」「しようもない」ところが必ずあるのが人間です。僕の表現では「ダメな自分」です。


「“ダメな自分”も認められるようになると元気になる」 「“ダメ”を認められるようになるともう“ダメ”じゃない」。いずれも僕が書いた文章のタイトルです。自他の外見にごまかされてはいけません。「ダメ」は見方や受けとめ方次第で変わってきます。「ダメな自分」は「全然ダメ」じゃないどころか、日ごろ見落としがちな視点から自分の人生に大きな活力を与えてくれる「もう一人の自分」だと僕は思っています。


8月3日に放映されたTBS日曜ドラマ『おやじの背中』第4話「母の秘密」(脚本:鎌田敏夫、出演:渡瀬恒彦、中村勘九郎、ともさかりえ等)のラストになかなか考えさせられる次の言葉がありました。「自分の至らなさを子どもに伝え、弱みを見せる。それも親の役割」。僕は「子ども」を「生徒」に、「親」を「教師」に置き換えることもできると思う。


どんな親もどんな教師も、じつはみんな至らないし、みんな弱い。人間だったら当たり前のことです。相田みつをさんのいろんな言葉に多くの人が共感するのも、やはりみんな欠点をもっている同じ人間だからです。みんな他に害をおよぼさない限り「そのまま」「ありのまま」でいい。というか「そのまま」「ありのまま」でいたいと多くの人が思っているのは間違いありません。『アナ雪』主題歌の大ヒットが証明しています。


ところが、教育の世界に入るとそうした考えや気持ちがどこかに飛んでなくなってしまいます。親だから教師だから「○○でなければいけない」「○○しなきゃいけない」と思い込んでいます。そんなことはなく、子どもといっしょで、親も教師も「そのまま」「ありのまま」でいいんです。


親や教師が人間ならだれにでもある、自分の至らなさや弱さを子どもたちにもっと話したらいいと思います。「一人称でいつも自分自身について話す」。これも僕の文章のタイトルのひとつですが、子どもたちは親や教師の話から大きな安心を得ることでしょう。


東田直樹さんの言葉にあるように、子どもが望んでいるのは親の笑顔です。学校では生徒が教師の笑顔を望んでいます。親や教師が自身の至らなさや欠点も含めて自己肯定ができるようになると笑顔も自然に出てくるのではないでしょうか。


親であれ教師であれ、われわれ自身が毎日を笑顔で気持ちよく過ごす。そうした大人の姿こそ、子どもたちへの一番の応援のように思います。


こうした「そのままで」や「ありのままで」の考え方をおおいに参考にしていただきたいと思っています。


(注)
番組「君が僕の息子について教えてくれたこと」 
は、You Tube で 1/3 から 3/3 まで
3回に分けて見られます。2016/8/26 加筆


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初出:2014.10.26   最終更新: 2016.8.26

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