登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島) 登校拒否も引きこもりも明るい話


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体験談

2003年3月発行ニュースより。
登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)会報NO.88


登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)では、
毎月の例会の様子をニュースとして、毎月一回発行しています。
その中から毎月3/1から4/1程度をHPに載せています。


体験談(親の会ニュース)目次はこちら




2月例会報告


 梅も咲き、桜の便りもちらほらときかれます。卒業、進級の季節でもありますね。
2月も4人の初参加の方が「インターネットで出会いました、癒されます、元気がでます」とホームページを通して参加されました。うれしいですね。



 比較的年齢の高い子どもさんを持つ親のありようが多く出されました。
「なにかしなくては、このままではいけない」という子どもさんの焦りもあります。
親の会に参加して、子どもの気持ちを受け止められる親になって、子どもの「無理」に後押しすることになっていないか、また考える機会を得られました。



 子どもの立場から玲子さん、愛美さんの「子どもは自分の力で生きていく、育つ力を持っている」、「条件なしで今あるがままの子どもを受け止めてほしい」ということなんですね。


 「10年間いろいろ試行錯誤して、やっと“親が何もしないことが一番大事”と分かりました」と話されたHさん。
当事者のお二人の言葉を証明する大切な教訓でした。



 家族のあり様がいろいろだされました。
子どもに教えられて、一つになれた家族もあり、逆になる場合も。
今月も親自身が「自分を大切に生きる」ことが大事だとまた教えられました。



 会報作りの中で、もう1度勉強できることは楽しみです。これも皆さんが率直にお話して下さったお陰です。感謝します。


1.Kさんの場合

2.Bさんの場合

3.Nさんの場合

4.Mさんの場合

5.Hさんの場合

6.Uさんの場合




Kさん:もうすぐ17歳になる息子は、昨年秋、東京の定時制高校に行きたいと言い出しました。
どうしようかと話していたら、息子は自分で手続きしていたので、今度は本当かもしれないと思いました。
1月息子と東京へ行きアパートを決め、高校にも行ってみました。昼間通学している制服姿の子ども達を見て、息子の態度が変わったので、私達は「ひょっとしたら、行けないかもしれない」と思いました。
息子は2月に東京に行く予定でしたが、修理に出していた単車に夢中になっているので、夫が「学校に無理して行かなくていいんだよ」と言ったら、息子はカッとなってリビングのイスを持ち上げ床に穴があいてしまいました。





私たちは「ゆっくりしていいんだよ」と言ってきましたが、本当の子どもの気持ちが解からなくなり、内沢さんに相談しました。
子どもには、夫が「今でも家にいて欲しいと思っているし、お父さんは落ち込んでいるんだよ」と伝えました。
どうするのか様子を見ていたら、単車も持って行くと言いましたので、「やっぱり行く気があるんだな」と思いました。
明日夫が送って行くことになっています。息子には最後までいてほしいということは伝えていこうと思っています。





 今日話をしたら、息子は「僕はこっちにいたいんだけど、将来のことを考えて行くんだ。
ひとりじゃ寂しいけれど将来があるから行くんだ」と言いました。それを信じて見ていくしかないのかなと思っています。
高校には行かないかもしれないです。とにかく向こうに行って、ゆっくり自分でどういうことをしたいのか考えたいというのもあります。
家にいても考えることは出来るのですが、こっちにいると友達と遊んだりして楽しいんだが、今はそうしたくないというのがあるみたいです。
鹿児島の通信制高校の籍は抜きました。





受験が20日にあるんですが、受けないかもしれません。
中学の調査票は、ヤンキーがいたからと言うので、夫に取りに行ってもらっていました。





―――ご両親は息子さんに行ってもらいたいなという気持ちがあるんですか?




 私達は「ずっとここにいていいのよ。ゆっくりしていいのよ」と言い続けてきましたが、息子は「20歳までに自分のちゃんとした道を見つけたい。
そのためには勉強はしたくないけど高校の資格はとりたい」と言います。
私達は「人生は長いし、あとからいくらでもいろんなことは出来るし、周りにもいっぱいそういう人がいるでしょう」と言うのですが、焦りがあると思います。
長女が大学受験ですので、夫は何かトラブルがあると受験に差しつかえるんじゃないかと思って、思い切り息子に向かっていけない状況です。
控えていてもつい夫が「本当に学校に行く気があるの?」と聞くと、息子は「僕が学校に行きたくない時には行けと言って、行きたい時には行くなと言う」と言うものですから、今回は黙っていようと思っています。





―――以前も黙って東京に行かせたことがありましたよね。




 あの時は暴走族から逃れるために東京の友達のところに居候したんです。
今回は自分でインターネットで調べて学校や住むところも決めましたので、ちょっと違うかなと思います。





―――息子さんは前から何かしないとだめなんじゃないかと焦っている点では同じですね。
例えば、あそこの中学だったら大丈夫だからと言われてアパートを借りて転校することがありましたね。
いろいろ形を変えてかなえてこられましたよね。
今度は東京にいい定時制高校があるからと現在の通信制の籍を抜いて行かれる。
でも今度は意欲的に自分でインターネットで調べているからと言っても、根底には今のままではダメだという将来のことに対する不安があります。





それで学校に行かないかもしれないという予測が今でもできるのに、行かせるというのは息子さんにとっては酷です。
行かなかったら行かなくていいんだよと息子さんに下駄を預けるから、イスを投げて怒る訳で、「行くな。お父さんとお母さんは行って欲しくないんだ」とはっきりとおっしゃればいいです。
そこに大学受験のお姉さんがいるから、受験にさしさわりがあればというお気持ちもチラッと働いて、それでは息子さんは苦しみます。





17歳の息子さんが将来のことを考えなくちゃいけないと無理するのは、姉は大学受験で着々と準備しているのに、僕はなんなんだ、暴走族にも入って保護監察にもなっていろんなことがあって、これではダメなんだとずっと思い続けてきて、こうやったらうまくいく、ああやったらうまくいくとずっと苦しんできたでしょう。





自分の今ではなく、何か変えれば自分は突破できるんじゃないか、いま自分はダメなんだと激しく自己否定をし、だからなにか変化することによって、環境を変えることによって、例えば家を出るとか部屋を借りるとか暴走族に入ったりとかいろいろありますが、何か進路みたいなのがなければダメなんじゃないかとすごく焦るんですね。
高校に入らないとダメ、卒業しないとダメ、大学に行かないとダメ、就職しないとダメ、家を出ないとダメと自分に自分を課すわけなんですね。
本当はそういうことは出来ないのにそうするわけです。そういうことを考える大変いい機会ですね。





木藤高校に行くために東京の定時制に行くというのは不自然なことじゃないでしょうか?




息子は「昼間の高校には僕は行きたくないし、行けない」と言いました。親は通信制もいいんじゃないと言いましたが、「暴走族の子たちがつるんでいるし、以前僕と一緒に逃げた子が監禁されて傷を受け、それがきっかけでリーダーが捕まり少年院に入った。
もうすぐ出てくるので必ず僕にも仕返しが来る。だから鹿児島には住めないんだ。叔母さんがいる東京に行く」と言いました。





「そういうことはないでしょう。警察はあなたにも事情聴取をしているからきっと守ってくれるよ」と言うのですが、「いいや、警察はそういうことでは動いてくれないんだ。だから僕は東京に行かないといけないんだ」と言いました。




木藤息子さんはそういう理由を言うのでしょうが、ご両親が「この子は自己否定している」と分かっていて、高校に行かないかもしれないと思われているのに、どうして行ったら行ったでしょうがないとなってしまうのでしょうか。
この会でも無理をして東京に行って閉じこもってしまったお子さんの例や家にいると不安でいられない、よその予備校なら大検をとれると家を出たが、結局家に帰るのが怖いというお子さんの例もあります。ここは親は止めるべきだと思います。





 そういうことも私は言ったんですけど、やっぱりこっちにいたら、すごく怖いというのがあるみたいです。
お母さん達も今までしてきたみたいにあなたを守るし、何かあったら警察もいるからと言っているんです。





内沢玲子さん:子どもの立場からすると、親は「もう1年も2年も休んでいるんだから東京にも行きたいと言うのかな」と思うかもしれないけど、子どもは不安や心に受けた疲れは何年も続くんです。
そしてもう1年経ったからこうしなくちゃとかあれしなくちゃと、そんなことを繰り返すんです。
私も年の初めと終わりになると「ああもう休んでいるんだから、あれしないとこれしないと」といつもいつも不安になるんです。
それで不安になって言っているのと、本気で言っているのをどうやって親は見比べたらいいかというと、親は決して手助けしちゃいけないです。
手助けしないで、その子がほんとの意味でしたいなと思ったら、自分から手続きでも何でもするし、17歳でもほんとにやりたかったら自分ですると思います。





 でもその中で親が子どもに何かして欲しいなという気持ちが少しでもあれば、必ずどこかで子どもに伝わるんですね。
親がゆっくりしてもいいんだよという周りの環境がそうであっても、子どもはいつも自分を責めているから卒業シーズンなどちょっとしたきっかけですごく焦ってそうしてしまうんです。





親が100パーセント条件をつけないで「生きているだけていいんだよ」と受け止めているかいないかですよね。
「何かするから存在価値があるあなた」じゃなくて、「何もしなくてもあなたがあなたであるから充分存在価値がある、お父さんもお母さんもそのあなたを愛しているんだよ」と、それを親が根本的に持っていたら、子どもも初めは自分を責めて焦るんですけど、あるがままの自分でいいんだとしだいに分かっていくんです。ただ自分を責めているのと、責めている中にも「このままの自分でもいいんだな」という気持ちがあるのとすごく違うんです。








Bさん:先日内沢達さんに電話したところ、私もお金で多少なりとも娘の辛さを和らげることが出来るんだったらと考えてしまうんですが、ダイエット食品を買うことは娘の辛さに手を貸すことになるから止める方向でと言われました。
娘にもその話をしたんです。「こういうことは止めようと言われた」と言ったら、娘も「私だって止めたいよ」と言いました。
だけどその後「お母さん、もう洋服も何も要らないから、せめてそれが命綱だから買って欲しい」と言うものですから、条件をつけて、ひと月に4箱、3万円ちょっとするんですけどそれだけは払ってあげると言ってしまいました。




 娘は普通の子どもは塾に行っていたら親はお金を出すのに、どうして不登校だとお金を出したらいけないのと自分で変な解釈をつけているんです。
家にいるから働いていないからお金を出さないじゃなくて、とにかく今私が出来ることはこれしかないんだと。
「お母さん、これだけはとらないで、これをとったら私死んじゃうよ。だってこれは美味しいんだよ」と言いました。それで続けています。





 でも最近娘が「金額が高いからご飯を食べる」と言いました。
ご飯も白米は食べず、発芽玄米等とにかく質がよくてダイエットになるものを食べます。
毎日体重計に乗って、5,6時間お風呂に入っています。
息子もそうなので、二人の会話は朝から「今日お風呂は何時に入るの? トイレは何時?」と話しています。
私は長時間の二人の入浴の隙間をぬって入ります(笑い)。単身赴任の夫が帰ってきたらまたパニックかなと思います。





 そういう中で私は生活しているんですけど、気にするということなしに、これがこの子たちのペースなんだと、二人で会話出来る、話題があるというだけでもいいかなと思っています。
二人のことでいろんな修羅場があり怖い思いもしました。だから生きているだけでもいいと思って、二人の寝顔を見ると今でもホッとします。





 今22歳の娘が13歳の時に、親は学校と一緒になって「学校に行きなさい」と責めたり、病院、教育センターといろいろまわりました。
息子が不登校になった途端に、「いじめにあっても学校は何も助けてくれない、もう学校に行かなくていい」と真から思いました。
大きな姉弟ケンカがあった後からは尚更、ほんとに生きているだけでいいと思いました。
そういうふうにさせたのも自分達夫婦のごたごたの中からいろんなものを背負って、痛い思いをして私達に分からせてくれているんだという思いをして生活しています。





だから毎日「一日、一日が大事だよね、お母さんはあなた達と毎日こうしてお話できることが嬉しい」と言って、娘にもダイエットのことは何も言いません。
息子にも「あなたはかわいいね。男前になったね」と16歳の子に言っています。
親ばかかと思いますがそうやっています。
子どもが小さい頃はそういう言葉をかけたことがなかったです。
教育ママ的で、勉強が出来たり、絵で賞状をもうと喜んでいたバカな親でした。





 「今は学校に行きなさい、早くしなさいと言わなくてもいいから幸せだよ。お母さんは何の心配もない」と言っています。
今私は子どものことも心配せず、自分の好きなことに一生懸命で夜更かししています。
書を書いているのですが、息子も一緒に書いています。息子は息子のペースでやっています。
字を書いたり、ゲームをしたり、テレビを見たり、何か考えたり自然に過ごしています。





 その前は家庭内暴力で娘と息子とのトラブルが絶えなくて、私は出かけるのが怖くてたまりませんでした。
息子が小6で不登校になり、そのことで病院に入院したんですが、「娘とのトラブルがすごいから退院させないで下さい」と医者に頼んだこともありました。
二人を離さないといけないと思っていました。そんな時に大きな怪我をする姉弟喧嘩があったんです。





 今仲直りして、お風呂にこだわったり、ダイエットにこだわったりするけれど、そのときのことを考えたら今こうして生きていることが信じられないくらい落ち着いて暮らせるようになりました。




―――お父さんはどうですか?




 娘のことも何も言いません。私に任せています。
以前長谷川さんが「子どものことは認めたのになぜ夫のことは認められないのか」と言われたことがありました。
私は夫のことをまだ受け入れていないんだ、まだ何か言いたいんだということがあり、そこが私の課題かなと思ったりします。





 私の体調が悪くて長い間親の会に参加出来ませんでした。
11月ぐらいが一番苦しくて内沢さんに電話しようかなと思っていたら、夢の中にも内沢さんが出てきました(笑い)。
いつも内沢さんに電話すると、「あなただったらどうしますか?」と言われていたことを思い出し、私だったらどうするんだろうかと自問自答しました。
すると長谷川さんが「親の責任で育てる」と言われたこと、玲子さんが「壁にぶつかって爆発してまた立ち上がる」などの言葉が頭の中にいっぱい浮かんできました。





無理せず自分が楽しめばいいんだと思いました。
私がコタツで好きな編物をしていると、娘が喜ぶんです。
お母さんが座っている姿を今まで見たことがないと言いました。私がでんと座っているだけで子どもは安心するんだと思いました。





―――(内沢達)この前、佐賀のお母さんから20代半ばの娘さんの過食のことで相談がありました。
山口愛美ちゃんもそうですが、過食の際の食べものは何でもいいというわけではありません。
その子、その子に過食用の食べものがあるようですね。





その娘さんは上等なケーキとか、1日に2千何百円もかけているというのですから、それだけで月6万円以上になってしまいます。
ぼくは、最初に相談があったときに、「千円以下にしてください」と注文を付けました。
ご両親が共働きで経済力もあるでしょうが、その他、定期的に通っている病院でのカウンセリングにもお金がかかっていて、本人は「親に出してもらっていて、悪い、悪い」と思いながら過食を続けています。
だったら、親は子どもの辛さを助長してはいけないということで、減らすよう申し上げました。





そうしないで、お母さんがいくら口先で「あなたはどこもおかしくない」と言っても、親がお金を出し続けて過食させている限り、じつは「この子はやっぱりおかしい」と思っていることと変わりありません。
金額を減らし、そのことをきっかけとして、娘さんはだいぶ元気になられたとのことでした。





 Bさんの娘さんのダイエット食品は、今いくら位でしたか?





Bさん:今は月に3万円ちょっとです。




―――(内沢達)前はもっと高額でしたよね。

それで思うのですが、Bさんの場合も、Kさん、そしてIさんの場合も、共通していて、法則的だと思います。
皆さん、今では子どもさんを理解して受け止めています。しかし、受け止めきれているかというと疑問です。
子どもさんと向き合い切ることへの不安があります。
子どもの「要求」を拒絶すると、Kさんの場合だと、また家庭内暴力になるのではないか、Bさんの場合もお姉ちゃんのお母さんに対するものだけではなく弟さんへの暴力とか…。





我々親は、たしかに以前とは違ってきています。
子どもを受け止められるようになってきています。
しかし不安があるんですね。
ここで娘、息子と向き合ったら、対峙したら、子どもはまた暴れちゃうんではないか、羽目を外しちゃうんじゃないかという不安がどこかにあります。
そこで、その不安に負けちゃって「まあ仕方ない、このくらいは経済的には出せないわけではないし…」ということで、出しちゃっている。
それが余計なことで、しちゃいけないことです。





誤解のないように、あくまでもこれは私たち、親自身の課題です。
子どものためにもなるというのは結果です。子どもは子ども自身の課題に子ども自身で答えを出してもらわないといけないんですね。
子どもの中に「このままの私ではいけないんじゃないか、いやこのままでいいかもしれない」という、ふたりの自分がいるのと同じように、我々大人の中にもふたりの自分がいるわけです。
「ここでもう少し頑張るべきではないかという自分と、いや、やっぱり子どもを見ていると大変そうだし、子どもだって苦しんでいるのだから、この程度は親としてあげたほうがいいのではないか」と。





親は最初は子どもの問題だ、子どもをどうにかしたいと思っていました。
しかし、親の会で勉強してきて、いや、子どもの問題ではないと気づいてきました。





子どもは、親を困らせることをするんですね。これは、本当に法則的です。




Iさんの場合は「30万」という大金で、Bさんの場合も「ダイエット食品の他は何も求めない」「これだけが私の命なんだ」と。Kさんもそうですよ。
「お姉ちゃんの大学受験に金を出して、俺の東京行きにはどうして金を出さないんだ」と。
親として姉弟を差別するつもりはもちろんありません。そう言われると経済的にはできないことじゃないので、出してしまう。





 そこで、「実は問われているのは我々大人の方のあり様だ」ということが分かってきていたはずなのに、また、子どもの方に目がいってしまって「この子を励ますことが出来たら」、「この子を慰めることが出来たら」というふうに我々は動いてしまいがちなんですね。




そこを踏みとどまることができるか。




子どもは、「サラ金に行くぞ」と言ったり、また口には出さないけど家庭内暴力の気配を漂わせたり、親を困らせるような言動をします。
そのときまたぐらついてしまうことがないかどうかということなんです。
以前は、現象的にはもっともっと大変なことがあったわけです。
それだって乗り越えてやってきました。





だから、ここであらためて、わが息子、娘を親として信頼できるかどうかが問われています。
問われているのは我々自身、親のほうなんだと。我々自身がもうひとりの自分に勝てるかどうかなんですね。
子どもの課題でなくて僕ら親自身の課題に戻れるのかどうかです。





 Bさんの娘さんは愛美ちゃんの過食とはちょっと違うけど、体重増の恐怖というのは共通しています。
ただ食べればいいというのではなくて、それようのものがあるんでしょう? おいしいものを食べたいのでしょう?





愛美さん、Bさん:はい。




―――(内沢達)だからその辺を、親はどこを受け止めて、どこを拒絶すべきなのかということですね。




愛美さん:でもやっぱり食べてはいるけど、前提に安心があって食べていられる…。




―――愛美さんは、前はこんなに痩せて辛いの苦しいの、こんなに痩せているから分かってもらいたいの、お祖母ちゃんにも分かってもらいたいのと、具合が悪くなるくらい食べて吐いてとやっていたわけでしょう。
周りに分かってもらいたいという気持ちがすごくあったわけでしょう。
こんなに痩せているこの苦しさを分かってもらいたいと言っていたよね。





愛美さん:そうです。
こんなに痩せているのにまだ分かってくれない、まだ痩せなきゃだめだというように、どんどん痩せていくことで愛情を自分に集めたいという思いもあって、分かってくれるまで痩せようと思い、どんどん自分を追いつめていきました。





 今は食べ物の心配は全くしませんので、お父さんは買物に付き合ってくれて食べ物もたくさんあるし、食べ物に対する執着が薄れてきています。
お祖母ちゃんという自分を否定する対象がなくなったら、ずっと食べ物で頭が一杯だったのがだんだん別の方に向き、たまには編物でもしてみようかとか、それに飽きたら昔から好きだった絵を描いてみたりしました。
安心できる親だとああこれでいいんだと私も安心してゆとりが持てて、今も私は過食をしているけど、今の私はこうなんだと、今日はいっぱい食べて胃が持たれているけどそれでもいいかなみたいに思っています。





 前はあれしなきゃ、これしなきゃと思っていましたが、今は多少はあるものの、まあいいかー、お父さんが日曜日掃除でも洗濯でもやってくれるからと寝ていたり(笑い)、今日はだるいからお父さんに買物に連れていって貰おうと甘えています。




―――以前みたいに高校や大学に行かなくちゃと思わなくなったの? (今は思わないなあ)
 以前は自分のことを自分で叩いたりして、これじゃだめだといろいろあったよね。





愛美さん:分かっていてもやるせないときがあって波があって、やっぱりそういうときに親が揺れると、揺れた以上に子どもは揺れちゃうんだろうなというところがあって、私が何か言ってもお父さんは「ああそうだね、大丈夫、大丈夫」とそれしか言わないような気がします(笑い)。




 ああしたら、こうしたらと言わないで、私が言ったことがどのくらい伝わっているか分からないけど、ただ親にどうにかしてほしくて言っているじゃなくて、自分のやるせない気持ちを愛してくれる人に言いたいだけの話で、そうすることで自分の気持ちも落ち着いて、ああやっぱりこういう気持ちも大事なんだな、このままでいいんだなと思えるようになります。




今でも気になって体重計に乗ります。
体重が増えたら心が乱れるところもまだあるけど、「増えちゃったな」「まあいいか」と思えるし、逆に痩せると心配したりしてるところもあります。
前は1キロ痩せた、2キロ痩せたと喜び、この調子で行くぞという感じでしたが、だんだん体重に対する執着も薄れてきました。
よく分からないけど安心して見ていてもらいたいなと思います。





―――Bさんの気持ちの有様は、今愛美ちゃんが言ったように、Bさんが初めてここに参加されたときに比べてすごく落ちついてきていますよね。
ひとりでは背負いきれないほどの子どもたちの実情をどうにかして夫とふたりで荷を分かち合いたいという気持ちがありますよね(はい、それが1番強いですね)。 
それを分かち合うようになれば子どもたちも気持ちが楽になってきますね。
1度一緒に行こうと言われたことがありましたよね。





Bさん:はい、でも夫は親の会には行きたい人が行ったらいいと言ったので腹が立ちました。

 つい最近息子が私に「お母さんの人生はなんだったんだろうね」と言いました。
それは息子が自分を責めて「結婚してよかったの? 子どもを産んでよかったの? こういう子どもでお母さんは不幸じゃなかったの?」という意味なんじゃないかと思い、夫に話したときに「私が幸せにならないと子ども達は元気にならないのよ」と言いました。





 今やっと子どもたちが自分の気持ちを言ってくれるという状況です。
あっ、お母さんにはそれを求めていたんだ、それを言ってほしかったんだ、と自分なりに受け止めていかなくちゃいけないと思い、親がでんとしていたら子どもはこんなにも落ち着いて気持ちよく生活できるんだと思います。
ほんとにお母さんはあなたたちがいるだけでいいんだということが、表情に出て子どもたちに伝わらないといけないなあと思いました。





 11月に娘が揺れて「なんで弟がいるの!」と言いました。
私は「なんでそんなことを言うの!」と言ったら、「そうじゃない、私はお母さんにしか愚痴を言えないから言っただけなのに、どうしてそのくらいでふらつくの?」と逆に言われてしまい、私は何のために勉強してきたのか、「ああ、まだまだ、だめだなあ」と思いました。
私はここで愚痴が言えるけど、子どもたちには私しかないんだと思いました。





―――健康管理に気を付けて、例会へいらしてくださいね。







―――Nさん、お体の調子はいかがですか?





Nさん:自分の体調は良かったり悪かったりですけど、これも生きているからと思っています。




―――あなた、悟りがありますね。(笑い)




 まあ、言うだけなんです。
娘達は18歳と14歳になりました。2人とも落ち込んだり、元気だったりいろいろですが、今特に心配な点もありません。
だから逆に自分の方へ目がいくのかと思っています。私が体調悪くて辛そうにしていると、娘達がもし何か訴えたい時や、相談したい時にできないと思って、やはり、元気にでんと構えていないといけないなあと思いつつ、自分を責める時も時々あります。
別に娘達は何も責めていないのに、自分のあるがままをなかなか受け入れられないです。
今、葛藤の時期です。他人のあるがまま、娘達のあるがままは受け入れられるのですけどね…。





―――絶好のチャンスですね。子ども達が何故、自分を責めるのかがよくわかりますね。実体験ですね。




 子ども達のことはすごく認められるけど…自分のことは「こうしなければいけない」とか、「こうしちゃいけないなあ」と思ってしまって…、時には「まあ、いいか?」と思う時もあるのですけど」…。




―――男の価値観とか女の価値観だけではなく、社会の価値観というか、大人の価値観というかそれは「おり」のように身についていますね。

 大人と子どもは対等にバトルを繰り返したりしてもいいし、これでなくてはいけないという価値観はないのです。
いろんな価値観を子ども達から私達は教えてもらっていますね。価値観はいろいろ変容してもいいということなんですね。





 こういうことを私達は言葉ではわかるし、理解するようになってきても、いざ自分がそうなった時にできるかが問われるのです。
「自分が一番!」。私は、「私が一番です!」(笑い)。
そういう気持ちになるのは難しいけど、子どもよりも自分が一番と思うことです。
そういう親の姿勢が「ああー、私も、僕も自分を大切にしていいんだ」と伝わるんですね。子どもも自分が一番と思えるんですね。





 私が幸せでなくて、どうして周りのみんなを幸せにできますか? 
疲れた時には「お母さんは疲れたからお茶碗洗っといて!」と言いましょう。





 私なんて、自分が一番と思って家でもいばりちらしだけど、今では娘も一番で夫はその間で小さくなっています。(大笑い)

 Nさんは今、それを示すとてもいいチャンスですね。(笑い)







Mさん:18歳の娘と14歳の息子が不登校になって4年になります。
初めて参加された方の話を聞いて、息子も学校が追いかけてくる夢を見て叫んだりしたことがあったので、そうだったなあと懐かしく思い出しました。(笑い)





 息子は今年中学校を卒業予定なんですが、学校から卒業アルバムのことでスナップ写真でもいいから持ってきて欲しいと電話がありました。
これまで一切いらないと断わってきたのにそういう電話で、学校に行ってはっきり断わろうと思いました。
出かける際息子に、「あなたの卒業アルバムの件で電話があったけど」と話したら、「それはいらない。僕はこの地域に住んでいただけであって中学校に入学した覚えはない」と言いました。





 学校では主任が学校の立場を延々と話しました。
「学校は3年間息子さんの名前を書き続けていろいろ対応してきた。
子どもたちの頭の中にもそれがあるので写真がないと困る」と言われました。
そして「将来息子さんが写真を見たいと言ったらどうしますか?」と言うので、「それはその時に考える。本人がいらないと言ってるし、父親も断わると言っています」と言っても言っても分かって貰えませんでした。





 「私達はこの地域に引っ越してきて、息子にとってアルバムを見たいと思うようなことはひとつもなかった。
小学校の時に学校側からいろいろ傷つくことを言われ、息子は学校に足がついて追いかけられる夢をみたり、下痢を繰り返し食事も摂れない状態がずっと続いた。
それでも頑張って学校に行く息子の姿を見て、これは親が命を守るしかないと腹をくくり、学校と距離をとることで息子を守ってきた。
学校側の立場だけでそういうことをするのは命を落とすことです。先生は責任を取れるんですか」と言いました。





 主任はこれまでの経過を知らなかったようで、「もし私に子どもがいたら、私もお母さんのようにするでしょうね」と言われました。
「学校は息子が必要だと思った時に行けばいいと考えているし、何にも心配していません。卒業証書は私が貰いに来ます」と言って帰ってきました。





 帰ってきたらス−ッとして、こういう気持になれるのに4年かかったなと思いました。(笑い)




―――すごいですね。そんなふうに演説をして(笑い)。初めて会にいらした時とは別人のように強くなられて感動しました。




 息子にもそう話して、進路も未定にして学校ときっちり線を引いて付き合っています。
また主任には「担任からの学校の圧力がなかったので楽に過ごすことができました。
不登校の生徒にはそのような対応をお願いします」と言いました。
娘も息子も卒業する年なので揺れる時期なんですが大丈夫みたいです。





―――親自身が揺れなければ、大丈夫だという大切な教訓ですね。







Hさん:今日は一緒に参加した29歳になる娘のことをお話します。
娘は高校に入学後、周りから臭い、臭いといじめられ、高1で中退しました。
その後も娘はにおいを気にしだしたので、私は病院に連れて行きました。それが薬を飲むきっかけとなりました。
途中でものすごく激しく叫んだり、暴れたりする時期がありましたが、そういう時期を過ぎてからは好きな歌を習いだしました。





 初めは先生に郡山の自宅まで来てもらっていたんですが、そのうちに片道2時間かけてバスに乗って加治木まで通っていました。
しかし去年の夏頃に辞めたいと言って、夏合宿から帰ってきてからは何もしたくないと全部辞めたんです。
その時娘は「お母さん、私は早く動きすぎたんじゃないかな」と言いました。
振り返ってみると、やっぱり私が子どもの先にいて、何かしていた方がいいんじゃないかとウロウロして心配していたわけです。
子どもの言うことを聞いているんだけれどしっかり聞かないで、私の頭で考えたことでこうしてみない、ああしてみない?とやっていたんです。
お正月にまた歌いたいと出かけたんですが、やっぱり無理している感じがしたので休んだらと言いました。
娘は「せっかく行く気になっていたのに。歌を辞めてしまったら私には何にもなくなる」と言いましたが、結局は辞めました。





 10年かけて私がやっとわかったことは、親が何もしないことが子どもの不安をなくすことだということが私自身よく分かってなかったということが1つ、もう1つは頭ではわかっているんだけど、無意識のうちに疲れたという言葉を聞けば、何かしてみる?と反応していました。
親が子どもの先に立って何かしてはいけないということです。
ずいぶん長い時間かかりましたが本当にわかるということはこういうことで、これだけの時間が必要だったのかなと思っています。





―――とても大切なお話ですね。
親が何かするときは親が不安なときなんですね。娘さんから歌をやめるというお手紙を頂きました。
私はあなたが歌を大切にしたいから今辞めると理解しました。
おろそかにするからやめるんではなくて、もっともっとたくさんのエネルギーが溜まって一番大好きな歌を心から安心して歌えるようになるまで、私はエネルギーを溜めたいということなんですね。
その時にお母さんがああしなさい、こうしなさいと言ったら娘さんはもっと不安になりますね。





 お母さんはこの10年の中でいろいろ思考錯誤があったかもしれないけれど、親が何もしないということが実は一番大切なことなんだと気がつかれたわけなんですね。
親が何かするということは結局子どもの無理に後押しをすることになるんですね。








Uさん
:私が横浜で単身赴任の生活を始めたのと、子どもたちの不登校が始まったのとほぼ一緒の時期で9年目になります。
去年までは子どものことを1割もわかってなかったんじゃないかなということに気がつきました。
今日は皆さんのお話を聞きたくて1週間帰るのを延期して参加しました。





 私は会社を始めて15年になります。
世の中は不況で大変な中、おかげさまで仕事は切れずにまだ見通しもあるんですが、去年くらいから廻していくのが目いっぱいで、前の実績を上げるためには1.5倍働かないと給料を支払えないという状況です。
行く先々にコンピューターを置いて、今朝も3時頃まで図面を書いていたんですが、大変で大変でこれでいいのかなと思う毎日でした。





 1ヶ月前は自暴自棄になって、今暮している横浜の家の前にあざらしのタマちゃんが来た川があるんですが、身を投げれば楽になるんだけどと考えたりもして、家に電話をすると、妻(Yさん)が「私が1件1件謝って回るから、お父さん全部仕事を辞めればいいよ」と言ってくれたんです。
その時にこれなのかなと思いました。





 子ども3人が不登校になりましたが、どうしても学校にこだわりがあってはじめのうちは辞めればいいと言えなかったんです。
でも言えるようになってきた。妻の言葉を聞いた時に、「そうか辞めたいときには辞めればいいんだ」と自分で納得できたんです。
先ほどの親のプライドではないんですが、会社や得意先へのプライドを捨てればいいじゃないかという気持になれたのがつい最近なんですね。





 以前は自分に全然余裕がありませんでした。
息子に対してもそうでした。息子はサッカーが好きで、学校に行かなくなっても部活だけ行って、夏からは部活にも行かなくなり辛そうだと親の会に相談に行ったときに、親がまずサッカーの親達の付き合いをやめて無関心になることと言われて、それからは帰ってくるたびに出ていたサッカーの飲み会には全く行かないようにしました。
そうでないと親が見えないプレッシャーを子どもに与えるんではないか、それで引こうと思って、自分もそれで落ち着きました。





 最近は自分も子どもも妻も落ち着いているものだから、先週はせっかく家に帰って「ただいま」と言っても誰も出てきやしないんですよ。(笑い) 
仕方がないから自分でドアを開けて、帰ったぞ、帰ったぞとひとりひとりに顔を見せてまわりました。
自分も子どもと立場は一緒なんだ、1対1の人間として付き合っていかないといけないと思いました。





 横浜の家も事務所も、鹿児島の家もなぜか目の前に中学校があるんです。
去年までは部活していたりするのを窓から見ていて、いいなという気持があったんですけど、最近はうるさいなあと思うように変わりました。





―――子どもにはゆっくりしていいんだよ、自分を大事にしていいんだよと言っているのに、親は自分を大事にしないで無理して働きづめというのはよくないということなんですね。
貴方のことをYさんはどれだけ心配されていたか。
本当に不登校っていろんなことを教えてくれますね。自分を大切にするということを教えてくれていると思うんです。





 図面を引くことが好きだからやる、夜中までやろうがどうであろうが、自分が好きだからやるんだというように気持を切り換えて、給料が払えなくなったら払えなくなったときに考えようか、そんな気持でいこうかと思えるようになったのが、ここ1ヶ月の収穫です。




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