登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島) 登校拒否も引きこもりも明るい話


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母にやさしく、自分にはもっとやさしく


このページでは永田俊子さんのたくさんのお話の中から、特に重要と思われるお話を紹介します。

このページのタイトル「母にやさしく、自分にはもっとやさしく」は、最初に紹介する永田さんの掲示板投稿記事(2023年7月「ありがとうございました」)のなかの言葉です。ご高齢のお母様をずっと介護されている永田さんのこの言葉は、「やさしさ」について新しい理解を促してくれているように思います。

永田さんの「母」のところは、他に「父」や「両親」とか「兄弟姉妹」「夫」「妻」「ツレ」や「子ども」「息子」「娘」、さらには家族関係にとどまらないで「友人」や「職場の同僚」というようにいくらでも置き換えができます。

永田さんご自身も、お母様との関係だけでなく、振り返ると息子さんとの関係でも、まさに「息子にやさしく、自分にはもっとやさしく」というようにやってこられたように思います。

「自分を一番大切にする」ことは、私たちの会のモットーです。

そのことを永田さんはやさしさにかかわって表現してくれました。
そのような次第で、「母にやさしく、自分にはもっとやさしく」は永田さんの新しい名言です。

これを一般的に表現すると
「〇〇にやさしく、自分にはもっとやさしく」となります。

前半の「〇〇にやさしく」だけだとそれもよしとはいえ、ともすると「べき」論や「ねばならない」論、つまり「やさしく」あるべき、「やさしく」あらねばとなりがちな面もあるのではないでしょうか。そうしたやさしさには無理や不自然さがともないかねません。

でも続いて、後半に「自分にはもっとやさしく」とあると、自分に素直・正直に、自分を一番大切にして、かつ他者に対しても自然にやさしくあることができるように思いますが、いかがでしょうか。

前書きが少々長くなってしまいました。
では、掲示板投稿記事を初め、永田俊子さんのご家族間のやさしさと愛あふれるお話をご覧ください。

いくつか小見出しを下に記しました。
クリックするとそこに飛びます。

(2024/12/31 内沢 達)



親の会に出会い、半年ぶりに笑った
かけがえのない私の家族
「お母さんが生きがいだ」
今あるのは美味しい玉子焼き
そんな世間ってどこにあるの?





ありがとうございました
- 永田です

2023/07/16 (Sun) 22:37:21

今日の親の会、お世話になりました。
皆さまのお顔を見ながら、ここは確かに私の気持ちをどん底から引き上げてくれた場所だったとあらためて思うことでした。ほんとに何度救われたかわからない‥‥ ありがとうございます。

97才の母の介護を姉妹3人でしています。
母を診ていて思うのです。み〜んなみんな間違いなく死に行く者だと。みんな平等にみんな同じ、あの人もこの人も私もたいして変わらないのだと。

母の人生も戦争を体験してそれはそれは大変だったでしょうが、そして最後に全介護状態を子どもたちに世話させるわけにはいかないと言っていた人が、不本意ではあるでしょうが、現実は受けとめるしかないですよね。それも同じ!

母にやさしく自分にはもっとやさしくをモットーに頑張ります。





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(続いて、「22周年のつどい」時の体験発表です)

親の会は私の心の支え   永田 俊子


2011/5/15

こんにちは。永田です。
私が親の会の皆さんと出会えたのは2007年の5月、息子が高校を退学した直後のことです。丸4年経ちました。

息子は高1の10月ごろから学校に行けなくなりました。
入学以来、部活でずっとつらい思いをかかえていたらしく、心がすりつぶれるまでがんばったけれども、もうこれ以上はムリ!というかんじでした。

朝準備をして玄関までは出るけどそこから動けない、から始まり、ベッドから出てくることもできない状態になりました。

私は、それは甘えだと思って、息子を叱咤激励し続けました。
学校に行かない人生なんかあるものかと思っていましたから。
ある日、朝起こしに行ったとき、ベッドの隙間に息子が氷のように冷たくなっていて、身体が硬直して動かなくなっている時もありました。

もうこの子は病気なんだ、死んでしまうんじゃないかと思いました。
しかしそうではなくて、身体中で学校を拒否していたんだということがあとでわかりました。

学校に行ったり行かなかったりが続いたある晩、息子が野球のバットで2階の自分の部屋をメチャクチャにしたことがありました。窓ガラスはこわさなかったけど、壁や時計や置物をメチャクチャにたたきまわっていました。

次の日の朝そっとのぞいてみると、ガラスの破片だらけのベッドの上で息子は寝ていました。机の上に赤い字で「殺して」と書いた紙が置いてありました。

その下に2歳上の娘が「みんなあなたのことが大好きだから殺せません」と返事を書いていました。



心療内科も受診

そういうことがあっても、私は息子を学校に行かせるということにあきらめがつきませんでした。なんとか学校に行かせる手立てだけを考えていました。

だから、表情もなくなった息子には目もくれず、何度も学校に足を運び、学校と相談し、交渉しつづけました。

無理やり心療内科も受診しました。
それが息子の将来のためと信じて疑いませんでした。

学校からは「60日以上欠席すると留年です。第三者の診断書があれば90日まで認めます」と言ってくるので、私はその診断書ほしさに心療内科の予約も取って、「さあ、行くよ」と言ったんです。

息子は行くのをいやがったんですけど、なんとか連れて心療内科に2ヶ所行きました。
私はうつ病と思いこみ、当時慣れないパソコンで「うつ病は薬で治ります」と書いてあったのをすっかり信じこんで「薬だ」と思いこみました。でも、病院の先生は「なんで行かないんだ、留年するぞ」と言いました。

息子は「もう二度と病院へは行かない」と言いました。

それでも私は心療内科へ行き、泣きながら訴えました。「それはいかんなあ、薬を増やしましょう」と薬を増やしてもらったり、でも、息子は一切飲みませんでした。私が半狂乱になっていました。

でも息子はどうしたって学校に戻ることはできず、高1の3月に退学しました。その時の息子は、自信も気力もなくし心にふたをし、人間不信で、対人恐怖で、自分のことが大嫌いだと言っては、壁に穴をあけ、もう私は、どうしてあげたらいいんだろうとパニックになっていました。

高校を離れたことを私がまだ受け入れられずに「この子は一体どうなるの? 私達はどうなるの?」と夫に訴えたら、「大丈夫、親子3人仲良くいつまでも幸せに暮らしました」と言うものですから、この人は何も真剣に考えていない、と思いましたが、今考えると救われる言葉だったと思います。



親の会と出会い、半年ぶりに笑った

そして、5月、「親の会」と出会いました。福岡にいる夫のおいっ子が、鹿児島にはこんな会があるよと教えてくれたんです。とてもつらい思いで参加しました。

そしたら、朝目が覚めたらワクワクする話でもり上がっていました。
それって何の話ですか? 引きこもりと不登校、こんなつらくて悲しい集まりなのに…?と思いました。

私は、心がワクワクするかんじなんて、ここ半年ぐらい味わったことがないし、朝目が覚めたら、胸に鉛をいれているみたいだと思っていました。


不安を口にする私に、「昼夜逆転もぜんぜんおかしくないし、三度のご飯をしっかり食べなくてもだいじょうぶ、かべの穴もOK」と言われて、びっくりしたけど、すごくホッとしました。

半年ぶりぐらいに笑いました。それまで、そういう状態をおかしくないと言ってくれるところはありませんでしたから。人間、大変な思いをしたら大変な状態になるのはあたりまえなんです、という親の会の考えにとっても救われました。

県外の大学に進学して初めての夏休みに帰ってきた娘に、「家の中が明るくなったでしょう」と言うと、「お母さんが一番暗かったけど、一番明るくなった」と言われました。

それから毎回参加するようになりました。毎月届く会報も心の支えでした。
同じ苦しみを理解してくれる人がいるというのは心強いものだと思います。

それまでは、世間から捨てられたような、離れ小島に置いて行かれたような、ほんとに心細い気持ちで過ごしていましたから。

自分の気持ちも行きつ戻りつしながらでしたが、毎回参加していくと、そのたびに新しい発見や価値観に出会うことができました。

でも、この会で教えてもらうことは、それは確かにそうなんだけど、でも世間では通用しないんじゃないかと不安に思うこともありました。不安な時はHPをくり返しくり返し読み、「自分が自分の人生の主人公、世間が主人公ではない、自分を一番大切に、自分の立場にたって自分にやさしく」とおまじないのように心の中でくり返していました。

不登校やひきこもりを理解するというのは、自分の中の学校信仰、学歴信仰との戦いです、という話も聞きました。まさにそうでした。



「この私が幸せになる」

ある時、例会で「息子が元気になるんだったら、私は矢でも鉄砲でも受け止めようと思うんだけど、何をどう受け止めたらいいのかわかりません。あるがままに受け止めるというのは、どういうことかもわかりません」と訴えたんです。

朋子さんの言葉は「この私が幸せになるということです。この私が元気になるということです。それが子どもを100%受け止めるということです。親が幸せであるということは、それが子どもに対して、あなたを信頼している、あなたはそのままでだいじょうぶ、という何より強いメッセージになります。何より心強い応援になります」というものでした。

すぐには理解できませんでした。私は、親だったら、息子といっしょに悲しんで、苦しんで、恨んで、正しい道を指し示すものだ、と思っていました。

息子の状態に関係なく、親は自分の人生を楽しんでいいと言われても、そんなことができるんだろうか…? でも確かにそうなんです。息子には息子の人生が一人分、私には、私の人生が一人分、別々にちゃんとあるんだなと思いました。

それから、あまりうしろめたさもなく生活を楽しめるようになりました。

夫と好きな映画や星を観に行ったり、山登りのまねごとを始めたりしました。明日、山に行くという前の晩、リュックサックにチョコレートやおやつを詰めていたら、息子が、「お母さん、うれしいかい」と聞いたんです。「お母さんだけ悪いけど、すごく楽しみ」と言うと、「それはよかった」と言ってくれました。

84歳になる私の母は、「親の会に出会ってよかったねぇ。なによりあんたが元気になったことが一番よかった」としみじみ言ってくれます。

そんな母に私はときどき会報を読んであげます。内沢達さんの「自分自身のかけがえのない友となる」をいただいた時に、これはいいと思って「アランの幸福論」の一部分を読んであげました。「愛する人のためにできる最善のことは自分自身が幸せになる」というところは、母も一番感動していました。



かけがえのない私の家族

息子は、今20歳になり、ずっと家にいます。それが我が家では当たり前で、引きこもりをしていても大切なわが子に変わりないと思っています。そう思えてきたら、ほんとにこの子はやさしい子だとわかってきます。

我が家の愛犬が一昨年に亡くなったのですが、その時も、ずっと何日もそばに寝て看病してくれました。私が病気になった時も、スーパーやコンビニに走り、回覧板を回し、家事もしてくれました。普段は何もしません。でも、いざという時は動いてくれるじゃん、と思っています。

夫が少し前から、畑を始めたのですが、今、それを手伝っています。土を50センチぐらいほり下げて、ふるって石ころをとり除く、という一番きついところを息子がしています。「人間いやなことはできないよ」と言っていた息子だったので、それはイヤじゃないからしているんだろうと思っています。「この辺の筋肉がついただろう」と言っています。

親の会に出会ってよかったと思うことのひとつに夫とのことがあります。

夫は10年ほど前に、コンピューターのシステムエンジニアからタクシードライバーに転職したんです。給料も半分ぐらいになるし、ずっと、なんでなの? という思いでおりました。

でも今さかのぼって、あの時夫もつらかっただろうな、弱音も吐かないですごいなーと、ほんとにありがとうと思えるようになったんです。おもわぬ、不登校の置産物でした。

息子の不登校、引きこもりがあり、親の会との出会いがあった、そして今がある。そのことに感謝したいです。

「不登校、引きこもりになってよかった」とは、まだ大胆に言えませんが、決して悪いことばっかりじゃなかったぞと思います。そして不思議なことに、幸福感はアップしているような気もします。ごく普通に当たり前と思われている道を行くのがいいという価値観もあるし、そうでなくてもいい、どっちの価値観も私は知っているぞと思います。

22年前、たった三家族で親の会を立ち上げてくださった長谷川さん、ずっと運営して下さった、内沢さんご夫婦、世話役の木藤さん、川島さん、渡辺さん、瀬戸山さん、そして親の会のメンバーおひとりおひとりに、心からありがとうございますと伝えて発表を終わらせて頂きます。

ありがとうございました。






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(以下は2022年7月例会の資料です。2012〜2015年の例会記録の中から、俊子さんの特に重要と思われるお話を紹介しています。紹介がとても短いものもあります。その前後は当該年月の例会記録でご覧になれます。)




2012年3月  
息子が議論をふっかけてきた


先月もお話したんですけど、息子は家にいておだやかに暮らしてきたつもりだったのに、この1,2ヶ月、いろいろ言ってくるようになりました。「俺を見てどうも思わないのか?」と言うので、「今、そんな時間を過ごしているんだなぁと思う」と言ったら、「そんなこと言ったら、俺はずっと居つくぞ」と言いました(大笑)。「エーッ、それも困る。お母さん達も年を取っていくし、認知になったらどうしよう」と返事をしたら、「俺はころあいをみて首をくくる」と言いました。


そんなことを言われたら、私も少しへこむのですが、「お母さんは親の会へ行って考え方や価値観が変わって、今幸せなのよ」と言うと、「じゃ、俺も幸せにしてくれ」と言うんです。「それはできない。自分を幸せにできるのは自分だけだから」と(――
すごい)それ以上言っても続かないので、「じゃ、お母さんはもう寝るから」と言って(笑)。「議論は短めに」と、この会で学んでいるので、早々に切り上げました。


淳子さんに先日相談にのってもらったんですが、「今、3月だからだよ。うちもずっとそうだったよ」とアドバイスしてもらいました。私は今、耳の調子が悪くて、息子が何か言うと、「はぁ? はぁ?」と聞きなおすものですから、息子は「もう補聴器を買え」と言って(大笑)。何を言いたいのかわからないので「お母さんにどうしろというの?」と聞くと、「分かれ」と言うんです。


たっちゃんが先月「別に深刻ではなくお母さんとの会話を楽しんでいるだけ」と言われたので、そうかなと思ったり、またへこんだりしています。今までは、議論をふっかけてくることもなかったんです。ここ1,2ヶ月のことです。どうしたらいいのでしょうか?(笑)……夫には言いませんね。私は夫に「私にだけ言うから、あなたはあまり信用されてないんだよ」と言います(笑)。じゃ、会話を楽しめばいいんですね。
……


夫の母が年賀ハガキで1等が当たったんです(
わぁー)。私達にプレゼントしてくれるというので大きなワクワクなんです。1等は、電気製品か国内の旅行です。この際、旅行に行くつもりです。(拍手)(毎日のワクワクは?)じぇりさんが「今年のラッキーアイテムは編み物」と言われましたね。私、半年前から編み物にこっています。山登りも年に数回行きます。春になったらまたこしき岳に行こうかと思っています。お花がきれいでしょうね。




2012年12月  
夫が子どもたちに「お母さんが生きがいだ」と言ってくれた


2ヶ月前にくも膜下出血で入院しましたが、今は元気に生活しています。パートの仕事は年内休む予定です。1ヶ月検診で主治医から“合格”といわれ不安がやっと少し取れました。「また再発したらどうしようとずっと心配している」と話したら、「緊張と不安をとるクスリを出しましょう」(笑)と言われ飲んでいます。確かにその薬を飲むと首、肩コリが消えて、寝る前に睡眠導入剤を飲むとぐっすり眠れます(笑)。こんなのを飲んでいいのかなと思いつつ、たまに飲んでいます。半分は薬に頼って、半分はいいのかなぁと思って…


退院後、娘が帰って来て、「お父さんがお母さんの入院中に感動的な話をしてくれたよ」と言いました。3人で私を見舞ったあとに外食して、夫が「結婚相手は自分で見つけるように。お見合いをさせるつてもないし」(笑)と言ったそうです。息子が「おれは結婚しないかも」と言うと、「それはそれで全然かまわない。だけど家族はいいもんだ、おれの生きがいだ」と子ども達に言ったそうです。「お母さんが生きがいだとお父さんは言ってたよ」と娘が話してくれて嬉しかったです。もしかしたら、命に関わる病気だったかもしれないわけでしたから。


(―――おつれあいさんはシステムエンジニアだったけど辞めて、今はタクシードライバーをされているのね) 
はい。私は余り詳しく聞きませんでしたけど、人間関係などいろいろ会社であったようです。私に「辞めるつもりだけど、ついてきてくれるか?」と聞きました。娘が中学生で、息子が小学生の頃でした。給料は減るし、どうなるんだろうとすごく不安でしたが、転職して10数年経ち、今、夫は「おれには定年はないぞ」と言っています。今となっては、夫もあの時辞めてよかったと思っています。あのままシステムエンジニアを続けていたら、きっと夫はどうかなっていたと思います。「今の仕事が楽しい」と言っていますので、私も「よかったねぇ、頑張って」と言っています。(笑)




2013年3月  
そのとき私の言葉に息子は「おー」と


この1ヶ月、いろいろありました。今22歳の息子ですが、高1の9月から不登校になり、5年間家にいたんですが、去年の4月に高卒認定試験を受けると言って予備校に通い始めました。今年の4月から情報の専門学校に入学する予定で、入学金と前期の授業料も50万円払いこんで動き始めるはずでした。これで一安心と思っていました。(笑)


1週間前、その日は息子の入学式のスーツを買いに行く予定でした。私がデイサービスに出かける母の準備を手伝いに行って帰ってくると、和室の床の間の鴨居に洗濯ロープが結び付けてあったんです。ええ!これはなんだ、とびっくりして、こんな時はなんて言うんだっけ、そうだ、みーやさんの言葉だと思って、お昼に2階から降りてきた息子に「お母さんより1日でも長く生きて」と言いました。息子は「お−」と言って、また自分の部屋に戻って布団をかぶって寝ました。さらに私は「お母さんはあなたの命以上に守りたいものはないから」と言うと、また息子も「お―」と言いました。


その日夫は仕事で、翌日夫に話さなければならないと思って、「何があっても3人で生きて行くが」と言ったんです。夫は「そのつもりだけど、いつかは出て行くよね」と言うので、「そうじゃなかったにしてもただ暮らして」と言いましたら、夫が「また何かあったか」と言いました。


いろいろ話す前に、今読まれた相談掲示板と朋子さんのレス「わが子の最大の味方は、親なのだけれど、わが子を追い詰めてしまう最大の加害者も親なのです」を読んでもらいました。この投稿に助けられたという感じです。


夫はこれを見て「このお父さんの気持ちがわかる」と言いました(笑)。「このおつれあいさんは学んでないからよ、でも私達は学んだでしょう」と言って、でも学んだのは私だけで(笑)、「今は責めないで」と言ったら、「わかった」と言いました。


学校から教科書代の請求が来て、息子に「どうするの?」と聞いたら、「まあ、待って」と言いましたので、息子がどうするかはわかりません。私は「どっちに決めてもいいから、あなたのしたいようにしなさい、お父さんとも話したんだ」とそれだけを伝えました。


でもここにきてこんなふうになって、私はまだ社会に出ることがすべてだ、と思っていたんだと気が付きました。すごいですね。親の会と出会ってなければ、また息子を追い詰めるだけ追いつめていたと思います。




2013年6月  
息子をかわいそうと思わなくなったころ、私は元気になってきた


……
「私は何でこんない辛いんだろうか」と言ったら、夫は「自分と一心同体だと思うから辛いんだ、別物だと思え」と言ったので、私は「あなたは産んでいないからよ」と言ったんです。(笑)息子が高校を辞めた直後の5月から、この親の会に出会って5年になります。最初のころは、ここに参加したら元気になるんですけど、その元気も1週間ぐらいしか続かなくて、ここで教えてもらう価値観は「それはいいのかもしれないけれど、だけど世間では通用しないんじゃないか」と(笑)、そんな事も思ったりしながら、だんだんわかってきて…。

……
いつから私が元気になってきたかなあと今考えれば、私が息子を可哀想だと思わなくなった頃かなあと思います。他の子は今青春じゃないか、青春を謳歌しているのに、という感じで見ていました。だけど、痛々しいというそういう目で見なくなった頃から元気になってきたような気がします。この会に来て「ワクワクは何ですか、自分のワクワクを見つけましょう」と言われても(笑)、「いやー、私は今自分のワクワクどころじゃないです。息子が可哀想で来ているんです」という感じで最初は参加していました。今なら、自分を大切にするということが、とても大事なことだとよくわかります。




2014年3月  
「親の会に行ってくるからね」「どうぞ」


私は親の会のことを夫にも母にも話しています。息子にも話そうとしたら「お母さんのことだから」と言います(笑)。今日もルンルンとして「親の会に行って来るからね」と声をかけたら、「どうぞ」と言っていました(笑)。




2014年10月  
息子が食べない、飲まない


24歳の息子のことです。高1で不登校になって3月に退学してそのままずっと家にいて、22歳の時に高卒認定試験を受けて専門学校に進んで、今2年生なんです。先週の木曜日学校から帰ってきて、夕飯を食べなくって、「なんかおかしいぞ」と思ったら、翌日学校に行きませんでした。それまではインフルエンザ以外では休まなかったんです。今日で3日目です。


今日国家試験があって、それに向けて勉強をしていたんです。突然行かなくなっただけじゃなくて、ご飯を一切食べなくなって、水分も摂らないものですから、こんなときは放っとくもんだと思っていたんですけど、たまらず「どうしたの、いったい何があったの、お母さんは訳がわからないんだけど」と言ったら、「俺も訳が分からない、もう心が折れたのかも」と言うんですね。


私は専門学校に執着しない、資格とかも、もういいんです。でも、ご飯を食べないと、せめて水を飲まないと今日の命がない、命をつないでという感じで、ちょっと口にするお菓子を置いたり、ペットボトルを二階に持って行ったりしているんですけど。息子は用事があるときは二階から下りてきて、私が持っていったペットボトルを「飲んでいないんだぞ」というように、開けないまま置いていきます。


私は学校に戻らなくてもいいと思っているんですけど、でも息子の命が心配で、息子の周りをうろうろしている感じなんですね。(笑)夫に「人間は食べないで何日生きていられるものだろうか、もう今日で3日目、水も飲んでいない、お風呂も毎日入る子だったのにずっと入っていない」と言ったら、「なにも心配いらない。全然大丈夫、どうにかなるさ」というので、私は二階に行って、「お父さんが、“何も心配いらない。全然大丈夫、どうにかなるさ”と言っていたよ」と言ったら、暫くしたら下りてきてお風呂に入っていました。


(HPを)読み返して自分の思いを一人称で伝えたらいいんだと思って、「お母さんは、あなたが大好き、大好き」と寝ている24歳の息子に、布団の上から抱きしめて言ったら、「うるせえ!」と言われて(大笑)、でもそのとき息子の顔が見え、ニッと笑ったので、ちょっと嬉しかったです。


昨日はお風呂に入ったから水ぐらいは飲むだろうと思ったんですけど、そのまま二階に上がっていくものですから「水ぐらい飲んだら」と持っていったんです。息子は、「俺はなんも食べない。もう、いいんだ」と言って、「睡眠薬を買ってきて。そしたら水を飲むから」と言うんです。私は「そんなこと言わないで生きていて、お母さんはあんたと生きていたい」と言ったんです。


今日も息子は何も食べない、飲んでいないんです。何日こうしておれるのかな、このままでいたら意識朦朧となって救急車を呼んで点滴をするしかないのかな、とそこまで考えているんですけど・・・。原因は何もわかりません。


ただ、ずーっと行っていた息子が、木曜日から行かなくなったとき「私は二度目の体験だから、もう動じないぞ」と思ったんです。夫も「息子自身も二度目だから対処の仕方もわかっている、だから見守ればいい」と言ったんですね。


息子は何も言わないし、聞いても、「俺もわからない」と言うだけで・・・。


(―――
「おつれあいさんの言うとおり、黙って何もしないことですね。心配そうにまわりをウロウロしない、「食べて、飲んで」と言わない。全然大丈夫ですよ。)そうですね。今日も「お母さんは出かけてくるからね」と言った後、見るとベッドでゲームをしていました。ほっぺたを触ったら、「ベタベタ触るな〜」と言いました(大笑)。「食べてないけどゲームはできるな」と自分で言っていました。


木曜日に行かなくなったときは最初は「何があったんだろうね」と夫と話して、私たちも二度目だったから腹を括れて「何があったにしても、自分で受け入れ、消化していくほかないわけだよね、私たちが身代わりになるわけにいかないからね」と話をしました。


一緒に生きていたいからねとベタベタしたり(笑)、だから今日は皆さんの顔を早く見たくて来ました。
(―――親の会があってよかったね) はい。そうじゃなかったら、また心配で心療内科だの、電話をみんなにしまくったりしていたと思います。今は騒がずにじっとしているのがいいんだろうなという知恵は働きました。夫は「辞めてまた落ち着いたら、俺の畑を手伝ってもらえたら、いつでもウエル・カムだ」と言っています。


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2014年11月  
今あるのは美味しい玉子焼き


息子は今24歳です。高1のときに不登校になって1年の終わりに中退しました。それから家で過ごして、21歳のとき自分から動き出して予備校に1年間行って高卒認定試験を受けて、その後専門学校に行って今2年目です。ほとんど休まずに行っていたんですけど、先月突然「わけがわからないけど、行けなくなった」と言って、それから1週間お風呂に入らなくなりご飯も食べなかったんです。


息子は1週間食事もとらず、水もほんとに飲まなかったです。そしたら息子はガリガリに痩せました。その間に何も食べていないのに、わざと走りに行くんですよ。その後 風呂には入りしましたけれど。


先月の例会で朋子さんに「とにかくお菓子やペットボトルを持って周りをうろうろしたら駄目よ」と言われたので、その言葉を守って我慢して放っときました。そしたら1週間目に息子の方から寄ってきて「俺は、もう社会には出られないんだ、ずっとこのままだ、思い描いていた未来も何もない」などといろいろ言ってきたので、「過去も未来もあるもんね、あるのは今だけよ」と言って、ちょうど卵焼きを作っていたので、私の卵焼きは美味しいんです(笑)、「今、卵焼きがあるだけよ」と言ってお皿に乗せて仕事に出て行ったんです。帰ってきたら食べていました。それから食べ始めたんです。


それから1ヶ月、私の心の中は「ああ、親の会があってよかった」という思いと、せっかく1年半専門学校に通って、なんで再びこんな思いとこんな体験をするんだろうかという思いがあります。多分もう行かないだろう、引きこもるだろうと思って毎日過ごしています。


夫に「私はもう一回、親の会を信じてみようと思う」と言ったら、「俺は言いなりにもならないし、腫れ物扱いもしない、だけど異常視はするかも」「10代なららまだ世間は受け入れてくれるかもしれないけれど、24歳でこういう風に家にいるようになってどうなるんだ」と言うものだから、私は必死で「いいや、人はどんな大変な今でも、ありのままを受け入れないことには、元気になりようがないんだよ」「人は今を否定されたら、やっていけないんだよ」と覚えている限りの言葉を言いました。(笑)


そしたら夫は「それは自分自身に言い聞かせているんでしょう。じゃあ、親は今までどおり楽しめばいいのね、俺は楽しむことは得意だからそうしよう」と言いました。(笑)


(―――
最初とき、おつれあいさんは「全然大丈夫、心配いらないどうにかなるさ」と言ってくれたのね。)当時、私は「あなたはそんなのが得意だからいいね、私は得意じゃない。あの子の深い深い孤独を思ったら私は可哀想でたまらない」と言ったんです。夫は「なにも可哀想じゃない、孤独が辛いと思うんだったら出て行くはずだ、だけど自分が辛くない状況を自分で作ってこうしているんだから」と言ったんです。


(―――
あなたがパニックになったときは、おつれあいさんがそんな素敵なことを言ってくれて、今度はおつれあいさんが不安になると、あなたがいろいろ言って、お互いに支えあってこられましたね。今度のことをきっかけにまたご夫婦の仲が深まりましたね。


そうですね。考えてみれば、息子が16歳で不登校になった時は、親の会も知らなかったから、私はパニックになって、毎日入れ代わり立ち代り人がいろいろ言って来て、クラスの子ども達からも手紙が来て(―――
あなたが担任に頼んだからね)そうですね(笑)。


その時は息子は落ちつく暇もなかっただろうなあ、自分のことを受け入れる暇もなかっただろうなあ、だからあの時息子はだんだん顔面蒼白になって、身体も冷たくなっていったけど、だけど今度は誰からもとがめられず、文句も言われず否定もされず、そうしたらだんだん元気になっていくんだなというのを冷静に見ている自分もいます。


息子は緊張はほぐれたようなゆるゆるとした表情をしています。笑顔も生まれてくるんだなと思ってみている自分もいますし、「やっぱり専門学校は辞めることになるだろうな」とかがっくりしている自分もいます。(笑)


(―――
学校からは何も。)言ってきますよ。担任からも電話が来たので「今の体験は二度目なので、もうちょっと時間を下さい」と言いました。そしたら「お母さんはいろいろ勉強されているでしょうが、でも家に伺おうかなと思っています。週に1回カウンセラーも来るんですが」と言われたので、「ありがたいですけど、ちょっと待ってください。カウンセラーはお断りします」と言いました。


今は、息子は昼ごろ起きてきてゲームしてゆっくりした毎日です。週に一度学校から電話が来て、私が不在のときは本人が出るんです。もう辞めると伝えたみたいです。


(―――
もう俊子さんのパニックもなくなったのね)もうなくなりましたね。私の姉にだけ言って、他は誰にも言ってないんです。先日伯父の葬儀があって、お焼香する私の姿を見た姉から「あなたは痩せたんじゃない」と言われたんです。それで、「何故かというと息子が再び引きこもりになりました」「でも、私達は今息子の生きる力を奪うわけにはいかないの、だから親は何をしたらいいかと言うと、何もしないことなの」と、びっくりしている姉に向かって偉そうに宣言はしたんですけど(笑)、やっぱり揺れ動いてはいます。辛くないといえばウソです。


私もここで学んだように私の心が元気になるようなことをすればいいんだ、息子にたいして「何もしないこと」が、私の課題だなと思って腹をくくっています。 


(―――
揺れ動くのもいいじゃないですか。揺れ動く自分を否定しないで、そのあるがままを受け入れて行く、そういう自分とつきあって、そういう自分も大切にしていく。息子さんは幸せね。そしてあなた自身が「今を大切に、自分を大切に」ということを改めて確認するというすごく大事なチャンスをいただきましたね。


そうですね。大事なチャンスをもらったと思うと同時に、そんなチャンスはいらなかったと思う自分もいます(笑)。




2015年4月  
そんな世間ってどこにあるの? 頭の中にあるだけじゃない!


息子は相変わらずごろごろしています。カレンダーも何もない生活をしているんですけど、4月になってすぐ「今日から4月だ、みんなは今日から始まるんだな」と言いました。息子はテレビで流れている星座占いを見て「今日は、充実した1日になるでしょう、とあるけど、俺にはこんな充実した日なんか来ないんだ」と言ったので、「そりゃ、そんな生活をしていたら、そうね」と言いたかったんですけど(笑)、「お母さんは、そうは思わないけど・・」って、それで流しました。


(―――
かわいいねえ、それからは?)それから何も言いませんね。ダラダラと毎日を過ごしているだけです。先日、夫と外食した時、息子の話が出て、夫が「いつか息子が働き出すにしても、もう世間が許さないだろうなー」と言うんですよ。それで私ははたと気づいて「あぁ、世間が許さない? だけどそんな許さない世間ってどこにあるんだろうか、探してみてもどこにもないよね。何もかも自分たちの頭の中にあるだけなんだよね」と言ったんです。


「あなたはいいこと言ってくれた、だから私はいいことに思い至った、そういうのを親の会では『自分の不安の影に怯える』って言うんだよ」と、またそれで話ができて、そう思いついてから気分が楽になりました。(―――
すばらしい!)息子の状態は変わらないんですよ、だから、じゅんさんの息子さんが仕事をしていると聞くと、やっぱり揺れますけど、なんか自分の気持ちがすごく楽になりつつあります。


(―――
あなたのおつれあいさんも、そう言われてすごく楽になったのではないでしょうか。) ああ、そうかもしれないですね。そして夕べ「明日、親の会だからね」と言ったら、夫は「ああ、行っておいで、行って元気をもらっておいで」と言いました。


(―――
とっても素晴らしい! 息子さんもお母さんが親の会に行っていることは分かっているのね。)分かっているはずです。今日はまだ寝ていましたので(笑)。(―――親の会の話はするの)たまにしますけど、「俺には関係ないから」と言いますね。


(―――
先月、「俺の人生はクソのような人生だ」「死ぬしかないんだ」と言っていましたね。)最近はそれを言わなくなりました。ただごろごろした生活をしていますけど、ゲームは元気にしているし、ご飯も1日2回ですけど食べていますし、私の気持ちも楽になりました。


(―――
去年の10月ごろ,専門学校に行かなくなってご飯を食べなくなった時は、死ぬんじゃないかと大変でしたもんね。)行かなくなって同時に食べなくなって、1週間食べなくなった時は「どうしよう」と思っていたんですけど、ちょうどその頃、親の会に来て、ちなちゃんが「海でなにも食べないで1ヶ月ぐらい生きていたという人もいるからね」と言ったんです(笑)。私は「海で魚を捕まえて食べていたんじゃない」(笑)、「でも、水は飲まないといけないけど海で雨水を飲んだのかも」と言って(笑)。だから、いま息子は何の心配もなく普通に生きています。


(―――
いま肩にかけているショールを自分で編んでおしゃれを楽しんでおられる。ステキね。)自分で楽しむようにしています。でも今は、編み物よりもナンプレにはまっています。クロスワードの上級編にはまっています、あっという間に時間がたってしまいます。









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初出:2024.12.31 最終更新: 2025.1.24
登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)ホームページ